地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

孤独死ですが・・・

2018-10-08 11:01:00 | 最近のニュースから
連休だし、久しぶりに全国的に良い天気の時に、少し重い話題ですが・・

昨日の夕方のテレビ
バンキシャで孤独死を話題として取り上げていました。

過去3年で2000人あまり、その内で50才以下が40%強と言う数字には少し驚きました。

孤独死→大半は過疎地の老人の話で。
街中で、時々ニュースになる孤独死は、そんなに多くはないと・・
勝手に思っていたのです。

家族の人数が少なくなり、今後も孤独死は増え続けると予測されています。
解決策の1つとして、独り生活の人はネットでそれなりの人と繋がっておく。
そんな話もあったり・・・


でも、、、この話、少しモヤモヤする点があるんです。
孤独死の定義って有るのでしょうか❓

私のように独り生活していても、死んだ数時間後に発見されたら孤独死じゃなくて。三日後に発見されたら孤独死になったりします。

五人家族で、四人が仕事などで出払っている間に死んでも孤独死にはならない。

これって、、、、

亡くなった人の話じゃなくて、その後の話ですよね。

少し乱暴な言い方ですが、亡くなったままで、発見が遅かった場合を孤独死と言うなら、大した問題じゃない。
亡くなった人には何の関係もないですから。


私は亡くなる人の立場で考えてみたいですネ。

孤独死した2000人余りの中で50才以下が800人余り。
その800人は誰かが横に居てたら死ぬ事の無かった人じゃないだろうか、、、、。

心臓・脳の病気は一瞬で意識を失う事が多いが、医学の進歩で対応が早ければ助かる可能性は大きくなっています。

誰も介抱したり、救急車を呼ぶ人が存在しなかった為に命を失ったのでは・・・
それが孤独死なんじゃないでしょうか。

亡くなって、発見されるまでの長さで孤独死となったり、ならなかったりは、少し変だと思うのです。

現在は夫婦で仲良く暮らしていても、長生きした方は一人になります。その時に子供と同居出来るかどうか、または老人施設に入る経済力が有るか、、、
これは、その両方とも不可能な人が増え続けるでしょう。

そして、、、、

施設で亡くなる場合は、寂しい孤独死ではないとする考え方は正しいのでしょうか‼


私のオヤジは短い期間ですが、寝たきりになりオムツの交換が必要でした。
ケアマネと相談して、深夜の1時に私がオムツ交換する。
朝はヘルパーさんに来てもらい、オムツ交換と朝食をしてもらう。

そのプランで日々を過ごしていました。
もちろん、他の時間帯もヘルパーさんや看護師さんに来てもらっていました。

ある日の夜、何時ものように深夜にオムツ交換をして
「オヤスミ、また明日。」
と何時ものように言葉を交わし、私は別の家に行き寝る事に・・・

翌朝、ヘルパーさんから電話があった。
そんな事はよく有る事です。

ところが、その時は声が違った。

「意識が無くなりました、、、」
「暗いと言うのでカーテンを開けて振り向くと・・・・」

正確には覚えていないのですが、オヤジの状態が危ないのは解った。
急いで家に帰ると、医者も来ていて、私の方を向いてうなずくだけでした。

私は看取ってやる事が出来ず、、、
仕方ないと自分に言い聞かせるのですが、どうしても割りきれない。

オヤジの立場で考えれば、これだって孤独死だ‼
自分の子や孫はそこに存在せずに、知らないヘルパーさんに看取られ、寂しく死んでしまった。

オヤジの死後、しばらくはこの事が頭から離れなかった。

しかし、時間の経過は思いも考え方も変えてくれます。

今は、、、、、、
死後・死の直前・それまでの期間と3つに別けて、それまでの期間が一番大切だと思う様になりました。

何故なら、、、
死後・死の直前にオヤジは寂しいとか悲しいとか痛いとかは感じない。
だから自分はこれで良かったんだと。死の直前までの期間に、お互いの顔を毎日見たし、イッパイ話もした。
だから、絶対に孤独死じゃない‼

今、社会で言う孤独死は死後に、誰にも気づかれず放置された時間のある人を言う。

しかし、それは正しくない。

本当の孤独死は死ぬ前の生活がどうだったか。
そこが大事な所です。

独りで生活して、
苦しくなった時、医者に連絡して来てもらう事が出来たとしても。

医者と看護師に見守られながら亡くなっても、、、、私は孤独死と思います。

確かに孤独死は発見後に色々と問題が発生します。

まず、
事件か否かの判断が必要です。
相続人(身内)を探す必要もあります。
相続財産が有ればあったで、無ければないで問題が発生します。

結果、
行政機関はけっこうな時間と手間をとられます。

そう‼
孤独死を社会が問題化しているのは、後処理が面倒だからです。

孤独死に至る、その人の人生を優先して考えるべき事を、生き残った人の都合を優先しているのです。

これは、この事を考える入り口が間違っています。