以前、、、、ほんの数年前までは 各省庁の次官の 首を、政府が簡単に奪う事等はできませんでした。
戦後はずぅ~っとその状況が続き、日本の国が官僚政治で持っていると言われてたんです。
政策を政治家が考えて決めるのではなく、官僚が考えて実行して世の中が廻っていたんです。
政治家が高速道路を無料にするとか、大きなダム工事をストップすると言って政権を握りましたが、、、どうなりました?
結果はどうにもならなかったデスヨネ。
官僚は自分たちが考え実行した事を変更すると、自分たちの考えが間違っていたとなり、自分たちの首を絞める事になるので、変更等はやりません。
国民の思いは、各省庁は大臣の下に位置するから、大臣の意向の方が強いと思っていた。
ところが各省庁のトップ(次官)は大臣に逆らおうが、飛ばされたり、首になったりしないんです。
正確には出来ないんです。
例は悪いが(笑)、田中眞紀子外務大臣が 「外務省は伏魔殿だ。」と自分の部下にあたる官僚達を批判すると、、、、どうなりました?
部下の次官じゃなくて、上司の大臣の首が飛びました。
外務省の政府に対して。。何もしてやらないよと言う圧力です。
こんな事ではいけない‼
官僚と言えども単なる公務員。
その点、国会議員は国民によって選ばれた人達。
どちらが国民意見の代理人かは明白で、官僚主導では国民主権とは言えない。
そこで数年前に内閣総理大臣直轄の内閣府が、次官の人事権を持つようになったんです。
つまり、このシステムはまだ新しくて成熟していません。
以前なら、大臣が
「この件を急いでくれ。」と言っても、急ぐか実行するかは各省庁の考えで決まるので、大臣の言葉を圧力とは感じないし、それこそ「ソンタク」は次官の気分次第。
ひらたく言えば次官は大臣や政府をナメていたんです。
人事権を持つ相手に言われるのと、そうでない人に言われるのでは天地の差があります。
どちらのシステムでも、それなりに欠点はある。 その欠点は進行しながら改めて行くしか方法は有りません。行政を止める事は、もっと大きな損失が国民に降り注ぎます。
強い政権の下では次官も大きな顔は出来ない。
私はそれで良いと思っています。
何故なら、、、、
大きく道を外した政権は交代させる事が出来ますが、各省庁のトップ(次官)が大きく道を外しても解らないし、交代さす事も不可能ですから。
まだ、ほんの少しだが国民の力が及ぶ可能性のある政府が人事権を持ち、実質的に上の立場で存在している方が良い‼
戦後はずぅ~っとその状況が続き、日本の国が官僚政治で持っていると言われてたんです。
政策を政治家が考えて決めるのではなく、官僚が考えて実行して世の中が廻っていたんです。
政治家が高速道路を無料にするとか、大きなダム工事をストップすると言って政権を握りましたが、、、どうなりました?
結果はどうにもならなかったデスヨネ。
官僚は自分たちが考え実行した事を変更すると、自分たちの考えが間違っていたとなり、自分たちの首を絞める事になるので、変更等はやりません。
国民の思いは、各省庁は大臣の下に位置するから、大臣の意向の方が強いと思っていた。
ところが各省庁のトップ(次官)は大臣に逆らおうが、飛ばされたり、首になったりしないんです。
正確には出来ないんです。
例は悪いが(笑)、田中眞紀子外務大臣が 「外務省は伏魔殿だ。」と自分の部下にあたる官僚達を批判すると、、、、どうなりました?
部下の次官じゃなくて、上司の大臣の首が飛びました。
外務省の政府に対して。。何もしてやらないよと言う圧力です。
こんな事ではいけない‼
官僚と言えども単なる公務員。
その点、国会議員は国民によって選ばれた人達。
どちらが国民意見の代理人かは明白で、官僚主導では国民主権とは言えない。
そこで数年前に内閣総理大臣直轄の内閣府が、次官の人事権を持つようになったんです。
つまり、このシステムはまだ新しくて成熟していません。
以前なら、大臣が
「この件を急いでくれ。」と言っても、急ぐか実行するかは各省庁の考えで決まるので、大臣の言葉を圧力とは感じないし、それこそ「ソンタク」は次官の気分次第。
ひらたく言えば次官は大臣や政府をナメていたんです。
人事権を持つ相手に言われるのと、そうでない人に言われるのでは天地の差があります。
どちらのシステムでも、それなりに欠点はある。 その欠点は進行しながら改めて行くしか方法は有りません。行政を止める事は、もっと大きな損失が国民に降り注ぎます。
強い政権の下では次官も大きな顔は出来ない。
私はそれで良いと思っています。
何故なら、、、、
大きく道を外した政権は交代させる事が出来ますが、各省庁のトップ(次官)が大きく道を外しても解らないし、交代さす事も不可能ですから。
まだ、ほんの少しだが国民の力が及ぶ可能性のある政府が人事権を持ち、実質的に上の立場で存在している方が良い‼