今日の料理(こだわりがないのがこだわり)

フードリテラシーに沿いつつも、なるべく夢のある料理や飲食をジャンル・国境・時代・時間をボーダレスに越えて書いています。

カボチャの飾り切りで、始末について考える。

2015年11月17日 | 飲食業
 食材へのリスペクトを感じていつも考えていたいし、技に走るのも良くないのでこういう事は避けてきたが(出版社の頃もなるべく専門用語は使わないようにしていた、なるべく共通の言語で新しく入ってきた後輩や誰にでも解り易くって。その方が連絡のミスやお互いの勘違いが減る。共に汗を流してくれる事が大事なんだって。)、林檎のウサギも作れない自分が(←どうしても興味が無くて、折り紙と同じで、作れない。)1回どんなものか?、かぼちゃの飾り切りに挑戦してみた。
今回、何故自分が和食を食べるのも避けてきたかも解った。
勿論、「味」・「技」・「込めた気持ち」のどれも欠けてはいけないのは解っているのだが、合理的な外国人や、飢餓に苦しむ世界から観たらどう思うのだろうか?。

ではその理由を書いていこう。


先ず種を取って。(国産の良いカボチャってメロンみたいな香りがするんだな~)

自分は、刃の刃先をほぼ垂直に使って刃渡りを下ろし、少しづつ切り込みを入れていく、

少しづつ中央へ

小学生の頃、力付くで切ろうとして包丁の刃がすっぽ抜けて飛んだ事があって友達に当たりそうになったからそれ以来怖くて。

最初はこんな感じ。

これを又ユックリ縦に

次に皮を剥く。

結構ガッツリ深く剥いた方が良い。(手に気を付けて)

包丁が重くないペティナイフが良いかもね(包丁だと重みで手を切ってしまいそうなのと、いくつもやっていると右手の包丁の重みが、かぼちゃを持っている左手にのしかかっているので段々、重みで下に降りてしまい、それも危険だ)。

鋭角に曲がって丸まっている部分をガッツリ平らに切って座りを安定させる。

面取りをしながら側面や先端を削ぎ切って葉の形を目指す。

なんとなく葉の形

側面に切り込みを入れていき、先端に近付くほど、より鋭角的に深く切り込みを入れる。(片側にも入れる=最初に数を数えていくと左右対になり易い。)

側面の切込みに対し下側(又は横から)から切込みを入れ、切除した部分をパカッと外して溝を付けていく(両側)。

1つ完成(今回、キレイにやることが目的ではなく、何度も様々な角度から切り込みを入れるアプローチをする事によって自分の身体で、興味無い事でも噛み砕いて理解し覚える事が目的。どんな仕事もアタマで覚えると忘れるので)。

ヤケに時間がかかったし大変だった、そしてこういう飾り切りはムダが多い。丸い曲線の内側を平らにする為に切るのでどうしても大きいムダが出る。それに食材を触り続ける時間が普通に切るより確実に長いし。
意味があるのかなぁ~端っこ場は「始末」という言葉でマカナイとか、別の料理にするけれど、上手く出来るとそれはそれで面白いんだけれど、これってモノ凄く勿体無い事をしているんじゃないか?って、外国人に受け入れられないのはこういう理由なのかな?って、出来るから偉いとか、偉いから後輩や出来ない人を蹴ったり(包丁の刃の部分で殴られた時はヤバイと思ったわ、味=仕事の為に人はエスカレートするって。)、「ヤニ買って来い」とかパシリに使ったりしてはいけないなと、改めて強く感じた事と、作業をしながらずっと食材に対する罪悪感にさいなまされていた、見よ、この右側の↓カスと皮の山。

(昔から「素材を活かせ」という言葉があるが、本来は「素材の味を活かせ」という事を強く言いたいのだと改めて言葉の意味を噛み締めた。)
だから、
・厚めなカボチャは、ダシで炊く薄味のダシを活かした煮物にして、
・薄めなカボチャは、グリルで焼き素焼きし、素材の味を確かめて。
カスや皮はとりあえず茹でた(最初は味噌汁にしようか?と思ったが)。

煮物も、自分は田舎のボソボソした甘ったるい煮物が苦手で(男や子供は特にキライかもな。)、ダシを効かせて、素材がダシ汁を吸って中まで水分が浸透したジューシーな煮物が好きだ。ただ、ダシがなかったのとダシの素がなかったから、から、一煮立ちしたら、砂糖を少し入れて、麺つゆの素を薄っすらと入れた、=どうせ、醤油を入れるのだから、ダシ入りの醤油のイメージで、
普通、出し汁→砂糖→醤油の順を、
 ↓
水→砂糖→麺つゆの素にしてみた。ぜったい葉先が煮崩れするので、少し余裕をもってかぼちゃとかぼちゃのスペースを開け、しかも落し蓋をしないで、でもまったくの弱火では時間がかかるから、弱火と中火の間、やや弱火寄りで煮ていく。
(想定したとおり出来てくれ!!、昔からボソボソの田舎風のは作ってきたけれど、本来食べたかったのはそういうんじゃないんだ。)

皮や、大体茹であがった端っこ場はミキサーにかける。

煮物の方は出来た。(セコイから・・・イヤ・・・勿体無いから、皮を剥く部分が青く残っている。)

カスで作ったポタージュ(というかカボチャが少ないからスープに近かった)は、皿の中で塩・コショウで味を整え、鍋の中は味を付けない。冷製にしても有りだな。

グリルは、しまった、流石に慣れない事3ついっぺんには無理か(昔は7ついっぺんに出来たんだけれど、6つの熱源に囲まれていた。)。ただ、グリルで素焼きしたカボチャって、焼き芋の少し、優しいバージョンみたいな感じで、上品なお菓子みたいに、カワイイ味。

煮物は薄味でダシを効かせられて良かった!!。こういう薄味のダシが効いたカボチャが食べたかったんだよ(煮物は急いで作ろうとして火を強くしてはいけない、火を強くすると食材にストレスがかかる、ストレスがかかった食材は口に入れるとストレスを感じて血圧が高くなったりすると思うし、実際に統計的に見てきた、放っぽっておくに限ると思う。余熱でダシを染み込ませながら通すぐらいの感覚でも良いんだ。下手したら前日から仕込んでおいても良いぐらいの気長さで良い)。どんな料理も最初は丁度良い味付けても冷めていく過程でより味(ダシ)が染み込んでいくし。
きっと昔の味が濃い理由は~
・保存の為
・寒暖の差を乗り越える為
・昔はおかずが少なかった為
に味を濃くしていたのだろうなあと、しみじみと素材の大切さや食べ物が傍にある事を実感。
そして、国産の美味しさも(やっぱ違うんだな)。

カスで作ったポタージュ(カボチャの牛乳スープ)は味を付けていないので、鶏肉を炒め、

どうも、最近、炒める時、水を使ってしまうな。イタリアンや中華も炒める時たまに水は使うし、他の作業をしつつ火の通りをコントロール出来るからラクで、ツイ。

火が通り水が蒸発したらポタージュへ

温めて、少し沸騰したらカレーのルーと、ガラムマサラや余っているスパイスで味を整え、

少しルーが濃かったら牛乳で調整し、カボチャとチキンのカレー・ライスへ。
クリームが余っていたので少し飾って、味を更に調整してみる(普段は乗せない、そんな贅沢は出来ない)。

野菜カレーって美味しいよね。






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