今日の料理(こだわりがないのがこだわり)

フードリテラシーに沿いつつも、なるべく夢のある料理や飲食をジャンル・国境・時代・時間をボーダレスに越えて書いています。

眼鏡でやりすぎ

2019年12月30日 | 飲食業
先ず先に自分の腕が未熟だからという事も先に書いておかなければならないだろう。

ゲーム・スマホ・PC作業・他etc・・・、こんな時代なので多くの人の視力が悪くなっている。
無論、自分もその限りではない、

だが、どうも、料理を作る時、眼鏡をすると、ツイやり過ぎてしまう

料理に限らないのかもしれないが、物事の『塩梅』って少し足りないぐらいで丁度良かったりするから。
(特に料理って余熱で火が入っていき、目指す場所を結構過ぎてしまう場合があるので、提供出来る時間、もう加熱される熱が組織に入らない頃を見計らって、事前に仕上げとするのが丁度良いのだが ← 昔は1つの店じゃないが10年近く店で1本1本そうやって焼き続けてきたじゃないか)

食品系の出版社に居た時、制作の人や若いデザイナーさん達と接っして物事を進める事が多かったのだが、話していて、どうも俺が観ている色(俺が受注してきたお客様の広告のイメージするデザインや記事の文章)に比べて、仕上げてくるデザインの色やイメージ・インパクトが強過ぎる事が多々あった。

同じ感覚の人だけで物事を進めると、全体がダメになるので、どうせデザインは解からんし、敢えてデザインやセンスの事から距離を取っていたので(ダニエルキイスの『アルジャーノンに花束を(のアルジャーノンやチャーリー・ゴードン)』をではないが「俺、解かんねーからさ、笑」って正直に言っていれば←その方がスムーズに打ち合わせが出来るんだ、というか95%雑談で、経理の奴も含め、少数精鋭のスペシャリスト達なので、後は信じれば良いって話なのだが)、
敢えて口出しはしなかった、が、その後も違うデザイナーさんと印刷物について物事を進めていた時、やはり同じ現象が起きた/span>。

最初、出版社の頃の奴等も含め、若い奴等だから、「デザイナー自身が作った広告で~」とか、「世の中に自己表現をしたい~」とかのかなぁ~?って、出版社の頃も含め、お客様から校正の手直しが入らない限り、ほぼ全部受け入れていたんだが、どうも俺とは観えている色の度合いが違うぞ?って感じた。
(気のせいかもしれないが、サルガドやブレッソンとか写真に興味のない一般人もスゴイって世界中の人が思える写真って作り過ぎていないような気がする部分もある、気がする、感性の部分だから絶対こう!!ってのは無いのかもしれないが、ディック・ブルーナとかも50%までを意識して、あとの半分は読み手や視聴者に委ねていると事あるごとに様々な媒体やメディアで自身の戒めの如く語っている。人形劇から3Dになったミッフィーを見比べると、昔の人形劇版のマッッタリとした感じのミッフィーと、今のチョッ早なミッフィーを比べると、その50%消費者の想像力に委ねた違いが明確に解かると思う=私はアニメはあまり解からないので櫻井孝弘さんの「問い」の部分はワリと好きだ、あそこで視聴者の気持が落ち着く、その部分で「双方向という事を表現」しているのではないだろうか?=、デザインや制作物に限らず、万事が万事半分は消費者に委ねるという事が同じではないか?という所で気付いた事があった)

で、(話は逸れたが)、その違いはなんだろう?と、考えたところ、全員、PCでDTMやHTML(←HP更新作業)をやり過ぎて、皆、目が悪く、眼鏡やコンタクトをしているという事だった。
(仕事でPCを扱っているのに、ネットやゲーム・写真・アニメ等の『画』が好きな人も多かったし)

やはり裸眼で見る(観る)ものと、1枚レンズを入れて見る(観る)モノはかなり違うのではないか?って。
裸眼だと、感性で全体を観る部分もあるが、眼鏡やコンタクトをすると見え過ぎてしまうんじゃないか?って。

で、あそこがまだ足りない、ここが足りないってバランス調整をしているうちに・・・
その物事に引き込まれて行動まで引っ張られ、やり過ぎてしまう事も多いのではないかなーって。

TVや会場でスポーツ観戦とかをしていても、眼鏡や双眼鏡で観るのと、裸眼で観るのでは、結構観え方が違う。
見え過ぎると選手やボールばかりを追ってしまう。
(無論、プロに習って経験した事があるスポーツは足首の使い方とかで、あ、今休んでいるからまだ余裕があるな、とかは解かるが、そうでないものは全体を観た方が戦略的に観れて先が見通せる)
どっちが優れているって事もないのだろうけれど、私は全体を観れた方が最終的には料理もそうだが結果的に良いなって事が多い。

特に料理は感性を要求されるもの、事務仕事をしている時は、私は一切料理は作らない。
料理は1+1=2になるとは限らず、3になったり99になったりするものだから。
技術として身に付けば、そんな事も筆を択ばずで、出来るのだろうが、私にはまだ出来ない。

それと同じように、やり過ぎてしまう事が多々、世の中にはあるような気がする。

正解よりも、正しい塩梅、が大切だと思う。

※ただ、(自身の経験値がまだまだという事もあるが)初めて挑むフレンチ(や大陸のやや複雑な工程の料理)には眼鏡があった方が距離が取れる気がする、その分感性の部分を保ち続けるのは気を張るが・・・
飲食や料理・調理に限らず好きな事距離を取って作業をする事の違いの塩梅が又違う気がして。



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