南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆押出金型事情

2013-01-16 22:39:44 | 押出成形

 1462 試作の準備に取り掛かる。プラスチック押出し成型の金型について、インドネシアの事情を書く。押出しと言ったって、インフレもあれば、シートもある。網やコルゲートチューブ、ブレードホース、蛇腹ホースなどなど、幅広くある。それらは金型を作るだけでなく、装置全体をそれのみの生産用に作らなければならない。たとえば、プラスチックの袋を作るなら、その装置が必要で、サイズを変えることはできるが、袋以外のものを作ることはできない。そういう、押出し成型ではなく、押出機、水槽、引取機がラインになっている成型装置で色々な断面形状の製品を作る時の金型のことです。

一般的には押出機の先端に取り付けられた口金から溶けた樹脂が出てきて、水槽の先端に付いている冷却金型のセットからなる。形状によって、樹脂の種類によって、大きさによって、暑さによって、穴があいているか、いないかによって、などなど、製品によって、口金も冷却金型も違うものになる。それらの金型の形状を決定するのは製造者で、設計を製造側がする。ここが、射出の金型と大きく違うところです。金型屋は図面通りに作ることに責任がある。その金型を使って製品ができるかどうかの責任はない。

 

 ということで、金型の知識、押出成型の知識は全く必要なし、金属加工ができればいいのです。主にワイヤーカットで穴をあけたり、隙間を開けたりする金型が多いので、それができれば、どこでもいいのです。図面通りにできることが最低条件で、価格と納期でこちらの希望通りにできることが条件になり、金型屋を選ぶだけです。

 10年前にはローカルでそういう仕事ができる会社を探すのが大変だったが、今では、その程度の金型屋はブカシ、チカラン、タンブン、チビトゥン、ジャバベカなどこのあたりにローカル企業で10社以上ある。もっと範囲を広げて、ジャボタベックなら、二十社以上ある。この付近の日系企業は知る限りでは三社あるが、それらは、射出の金型を手掛けている。日本人の技術者がいて、OK製品ができるまで責任を持つ。皆さん知りあいで申し訳ないが、高価になるばかりなので、押出しの金型を作ってもらうことはない。増してや、日本など外国で作る必要は全くない。

 射出は金型工業会というものがあるらしいが、残念ながら、日本人の優秀な金型技術者と属する会社はそれに入っていない。ましてや押出に金型工業会に参加しても、独自で作っても仕方がないと思うし、情報の交換もしようがない。

 

 雨季も佳境に差し掛かっている。洪水も日増しに範囲が広がっているし、水位も上がっている。バリ島も例外ではない、有名海岸も強風、大波で荒れる日が多いと思う。観光客にとっては一番、難しい時期です。海関係の遊びや観光は、最新の情報をつかむことが肝心です。

日増しにアスファルトの穴が大きく深くなっている。今季は、特に長雨が降り続いているので、修理をできない。益々、深く広くなる。事故やパンクや故障を増やす。CDも壊す。

 独自 自己責任 安さ

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(^_-)-☆噂では

2013-01-15 22:25:24 | 情報

 1461 日系企業、アメリカ企業の大企業がインドネシアから撤退して、他へ生産拠点を移すという動きがある。いずれも一万人以上の製造人員を要している。四千人は近日中に削減するらしい。勿論、突然ではないが、何年間かけて徐々に進める。そのプロローブが始まっているという噂がある。そりゃそうでしょう、そういう会社が出ることを、日系企業を始め外国系企業は、望んでいる。そうでなければ、最低賃金の上昇や労働条件の優遇条件の要求に歯止めが掛からないと思っているからだ。何十%の賃金上昇では、企業体力で限界に達している会社も多いからだ。だから、撤退した会社の関連会社も巻き込まれて、大変なことになるのだが、関連していない会社にとっては、そういう噂が出ることは、大歓迎でしょう。あくまでも、噂ですから、私が関知するものではありません。

 

 昨年のバイクの販売台数は700万台プラスでした。一昨年比では10%ほど減少している。頭金の%を3倍にすることを義務付けられたからでした。メーカーによってばらつきはあるが、昨年の後半はその影響をもろに受けて、急遽、生産調整に追い込まれた。下請け企業では、在庫調整のために生産を一時ストップした会社もあったようだ。契約社員を契約延長や新規採用をしないで、人員を減らした。今年からそれがかなり制約されるので、メーカーにしても下請けにしても、ミニマムの人数にして、販売台数が上向きになっても生産台数を増やすことはしないで、従業員数の減らしたままにするでしょう。いけいけ増産をする環境は無くなった。

 今年の販売台数は昨年並みに戻ることはないでしょう。昨年後半の生産ベースで一年通せば、さらに10%少なくなって、670万台付近になるでしょう。

 下請け企業は新工場に増設を急いでいたが、昨年末から、急ブレーキをかけている。現状設備で問題ないことがはっきりしたからである。カラワン、チカンペック、スルヤチプタ方面の工業団地のことです。他の業種では相変わらず進出ラッシュらしきものが収まっていないが、労働条件や人材不足での賃金高騰など、進出企業にとって、こんなはずではなかった思うことが続出するでしょう。気の毒に思うが、日本に仕事が無いのだから、その流れは止まらないでしょう、地獄とは言わないが、進むも困難、留まるも困難、これが、日系企業の大部分の切実な姿です。

 結論は今頃出てきても、なにも良いことはないよ、です。

 

 こんなにガラガラな道はいつどこのこと?原因は?これだけ空いているのは、何か良からぬ理由があると思うのは当然だ、というくらい、珍しいことである。

1998年大暴動の年、11月、ジャカルタ北端のメガモール プルウィットでボーリングをしている最中、ふと気がつくと、今まで、賑やかだったのが、次第次第に人がいなくなり、カウンターの係員までいなくなってしまった。これは変だと思った時、落ち口のシャッターがガラガラと下ろされ、セキュリティが走ってきて、向こうの非常階段から外へ逃げろと叫んでいる。何があったのか、分からなかったが、ボーリングの靴のまま四回の外の非常階段を使って避難した。周りの人に聞いたら、モールの反対側で投石が始まったという。向こう側だから何も見えない。30分ほどして、収まったという。駐車場へそのまま行ったら、私の車一台だけ、ぽつんと駐車していた。他の車はすべて逃げて仕舞っていたのです。ボーリングに夢中になっていた私たちだけが、何も知らずに呑気だったのでした。無事だった車で駐車料金も払わず外に出て、ジャカルタ中央に向かって帰る途中、前方二か所から黒煙が上がっている。しばらくそちらへ向かっていたら、交通が遮断されていた。何事かと、その辺りにいた人に聞いたら、キリスト教会が襲撃されているから、この先へは行かないほうがいいという。Uターンし、高速に乗ってタンジュンプリオク経由でチカランへもどった。そういうことがあったので、妙に閑散となると、何か、あったのかなと思う。

 風潮 流れ どうする

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(^_-)-☆金の撒きよう

2013-01-14 22:57:29 | 情報

 1460 ジャワ島とスマトラ島を隔てるスンダ海峡が強風、高波のため、すでに三日間、フェリーがストップしている。ムラックへ向かい高速道路所上、トラック行列が27Kmに達している。いつ、運航を再開できるか、予想がつかない。インドネシア各地での同じ状態で、海上運送はストップしてしまっている。このことはアンダーテーブルでもどうにもならない。が、しかし。

 

輸出入コンテナ港、タンジュンプリオクへのアクセス道路も冠水しているので、港への出入りのトラックは半減しているという。その上、もともと、入管チェックを異常なくらい慎重にやっているようで、チェック持ちの港に着いたコンテナが、溜まる一方だという。予定通りに入荷しなくて困っている会社は増えているはずである。相応のアンダーテーブルを出せば、早く検査が進むことは周知のとおりである。

 

チカランも豪雨ではないが、一日中、降り続いている。午前中のゴルフも雨の中だった。ハスの花と蝶。

 

ということも大きな理由でしょう。日本食スーパーのうち、勝ち組と負け組がはっきりしたようだ。うまく立ち回っている店とそうでない店、輸入が順調な店とそうでない店の差だ。ブロックMにある店は大繁盛だ。駐車スペースが足りなくて、路上駐車している車は10代以上、ブロックMの中には、20台以上、私は駐車したのはブロックMへ入って右に曲がったところでした。

 

運転手を使っていないので、仕方がない。店の中はごった返していて,各レジには三人以上行列ができていて、見ていると、それぞれが1ジュタ2ジュタ以上を買い込んでいた。二時間で往復した私なんて、インドネシア産開発納豆20パックと開発冷凍ウドンと卵パックだけで、0.2ジュタしか買っていない。それでも、高いと思う。

日本人は皆さん、日本からの輸入食料や調味料をおしみなく買う。米や出汁とか振りかけなどは日本で買う倍以上するのに。こんな状態だから、いくら高くたって、商品を輸入して並べることが最重要で、警察、イミグレ、カスタムいずれにも、おしみなく金をばらまいて、金持ち日本人の欲望を満たしてやることが、必要かなと思う。まったく別の境だと感じる。贈賄だが必要悪でしょう。

 

 日本食レストランも、同じような状況になっていて、老舗であろうと新興であろうと関係なしで、食材を順調に手に入れることができるか、できないかは、深刻な状況になっている。ライセンスがあるからと言って、それだけでは、順調に輸入できないのがインドネシアのシステムで係官の匙加減次第でということは公然のことである。

 

ブロックMのセブンイレブンとバジャイの風景に違和感はない。

金次第 要領 やり方

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(^_-)-☆実態は

2013-01-13 22:35:57 | 情報

 1459 再び別世界に戻って、初めての休日、一か月前にゴルフをした連中と再びゴルフを楽しんだ。こちらのゴルフは、難行、苦行ではなく、リラックス100%。耐えることは一つもない。緊張感が全くなし。 気を使うことも全くなし、やっぱり、ゴルフはインドネシアに限る。

 その中での話題は、やはり、仕事の状況、環境についてでした。その第一は、最低賃金、ジャカルタ近郊は220万Rp。これは前年比40%以上にアップだ。残業手当も当然、比例して上がるので、人件費がいくなり40%アップするのだから。経営へのダメージは大きい。それプラス、正規従業員の比率を上げざるを得なかった会社が多い。これも、大変厄介である。今までは極力、契約社員か派遣社員で人材の調整をしていたが、それが、できなくなった。仕事の量によって、かなり自由に従業員の数をコントロールできた。しかし、正規従業員がほとんどになれば、調整ができない。一番忙しい時の従業員数を減らすことが簡単にできなくなった。

 仕事の量が日本の季節によって極端に違う会社は、一番、大変である。本業でない仕事も取らなければならなくなる。

 

 約一年半~1年前には生産量を半年後辺りから倍増する計画をぶち上げ、関係会社、協力会社にその旨を伝え、それに、対応できる体制を整えるよう強く要望していた、それに関する説明会も何度か開かれていた。ついて来ない会社があれば、増加分は他社に注文を出すしかないとまで言っていた。某大企業プリンンターメーカーの話である。ところが、昨年の9月ごろから、11月12月は生産調整をするという通知が出され始めた。その通りに12月の生産量は半減した。1月はその横ばいか、ちょっとプラスかというところらしい。そして、9月ごろに生産量に戻る可能性は全くなしで、これからは、ピークの60%くらいに落ち着くだろうという予想が出されている。その影響は膨大である。下請け孫請けなど百社以上は確実にある。それらの会社でこのプリンターメーカーに頼る比率が50%以上というのも多い。

バイクの売り上げの落ち込みは回復していない。最低賃金が上がったことで、頭金を払う能力が増すだろうから、若干は増産になるかもしれない。希望的観測である。

日本ではインドネシアへ行け行けモードになっているが、現地から見ると、今さら出てきたって、話が違うじゃないかと思わされるのが関の山だと見る。日本にいても仕事は減る一方なので、海外、インドネシアに望みを託す気持ちは分かるが、進出すれば、低賃金で労働力を賄えるし、仕事はすぐにある、と、甘い考えで出てくれば、そんなはずではなかったと後悔するでしょう。事実、進出計画を後退させて会社もある。

 

分譲住宅と土地の年末追加セールの看板。

 

雨季で雨が降り続いている、ジャカルタから西へ向かう高速道路が冠水し通行止めになっていた上にスマトラ海峡の高波のためフェリーがストップしている。ムラックの手まえ12Kmにトラックを主体に立ち往生している。天候の回復を待つしかない。

 

毎回のことだが、道の凸凹はより広く、より深くなる。ひっくり返るトラックも増える。今にも倒れそうなトラック、その横を通り過ぎるのは恐怖である。

あまくない 期待 厳しい

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(^_-)-☆最近のニュース

2013-01-12 22:29:06 | 行きすぎ

 1458 赤ちゃんをネット販売するという変わったことが出現して、警察があわてている。”Toko bagus”という、日本でいえば楽天のようなシステムである。10ジュタ(約9万円)から、だそうです。

“Habibie dan ainun“という映画が大評判で観客動員がすごいらしい。テレビで予告編をやっていたし、今も、その内容の解説が頻繁にされている。ハビビさんは、1998年大暴動後のスハルト退陣で急遽、副大統領から、暫定大統領になった人です。アヌンさんは、ハビビ夫人です。奥さんは落ち着いたきれいな人でした。ハビビさんは、愛嬌のある、ひょうきんな顔をした、小ぶりの人です。奥さんは数年前に亡くなってしまったが、本人は、まだまだ、元気そのものです。

 ハビビさんはインドネシアの航空機製造の権威です。ドイツへ留学し、航空機関して勉強し、メイドインインドネシアの双発プロペラ機を初めて作った。奥さんとは、ドイツで知り合った。確か、そういう人です。間違っていたらごめんなさい。

 

 雨季のまっ盛り、夜中から一日中、いや、二日中、降り続く時もあるし、午前中、晴れていても、お昼過ぎから、土砂降りになり、夜中まで降り続くこともある。ということで、都市でも、田舎でも、洪水だらけ、他にこれとったニュースが無い時には各地の洪水の様子が伝えられる。

 

 元ミスインドネシアで国会議員のアンギー(アンジェリーナ ソーダ)という人の汚職の嫌疑で裁判が進んでいたが、昨日判決が出て、禁固4,5年、プラス、罰金300ジュタRpでした。3年越しの騒ぎで、彼女の夫も国会議員で、スポーツ関係に携わっていた。夫は心不全で4年前に亡くなってしまったが、もし、生きていれば、夫も、汚職の罪で裁かれていたはずである。二人とも若くて、ガンタンとチャンティック(美男美女)だったので、人気があった、しばしば、動向はニューズで伝えられていて、注目の人たちだったので、なおさら、汚職に関しても大々的に報道されていた。確か、そういう人です。間違っていたらごめんなさい。

 

 早速、渋滞だらけの中で運転をしている。オートマからマニュアルに替ってすぐは、時々、クラッチを踏み忘れる。

 

 水嵩が増したカリマラン川でバナナの木を組んだ船?の上に立ったままで、投網をしている。

 映画 大雨 汚職

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(^_-)-☆気にしないで

2013-01-11 22:11:52 | 変!

 1457 新幹線や成田エクスプレスの座席の前面に書いてある三行の文章、全部が変だと思うのですが、何十年も前から変わらず、書いてある。誰も、指摘しないのですね。内部から何かの意見が出てもよさそうなものだと思うのだが、不思議ですね。英語での表記も直訳なので、外国人も変だと思う、と、思うが、どうでしょうか。どうでもいいと言えば、どうでもいいことですから、別にクレームを付ける必要がないと、皆さん、思っているのでしょうね。

 駆け込み乗車は危険ですから、おやめ下さい。そりゃそうだが、ここに座って読んでいる人には、今の問題ではない。次に乗る時の、いつか乗る時のことですよね。とにかく書いておけば、頭に入っていて、駆け込み乗車はしないようになるでしょう、という、考えで書いてあるのでしょうね。それなら、ホームの柱に大きく書いた方がいいと思うのですが、書いてありましたか、書いてあるのを見たことがないのですが、私が見逃しているのでしょうか。

 携帯電話はマナーモードなどに切り換えて置いてください。趣旨は分かります。そこに座っている人にしてもらいたいことなので、書いて注意を促すことは納得です。しかし、言っていることは分かるが、文章が変。マナーモードなどですか、切り替えるものが、他に何がありますか。飛行機内のように電源を切るのも、などの内に入るのでしょうが、切り替える、とは、違いますよね。正しい文章は、「マナーモードにするか、電源をお切りください」だと、思いますがどうでしょうか。

 持ち主がわからない荷物?自分のもの以外はほとんど分からない、置いてある場所の近くにいる人が持ち主だろうと推測できるが、確実ではない。一緒に乗ってきた人たちの内、前を歩いていた人の荷物が分かるだけでしょう。

 不審物?そんなの、わかるわけがないでしょ。昇降口付近で、プラスチックの袋を見つければ、不審物と推測できるが、そんなことは、万が一にも遭遇しない、十万が一くらいなら遭

遇するかもしれない。そのために書いてあるのでしょうか。座っている状態では、足元に、前に座っていた人かどうかわからないが、袋やボトルがある場合とか、他に、その付近に誰もいないが、棚の上にぽつんと荷物が置かれているとか、そういう事でしょうね。まったく、無いとは言えないが、書くことで、何らかの効果はあるのでしょうか、ほとんど、無視されていると思いますが。

 

 何を言いたいのか、私にはわからない看板、インドネシア人には分かるのでしょうか。

気になる 変? 普通?

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(^_-)-☆面白そう 

2013-01-10 22:20:18 | 押出成形

1456 仕事始めで、いきなり何点かの見積もり依頼が入った。そのひとつにLEDの棒状の蛍光灯タイプがあった。インドネシアにもついに、来たと思った。

この製品については、一年ほど前に、中国製が大手を振って日本へも入ってきているのだから、日本で今さらと思いながらも、N社のテクノサンターにいた時、新しい原料でトライをし、サンプルを作り、その会社の従来の成型方法より、安定した状態を示した。原料もサンプルとして無償で頂いてトライした。私が考えた金型はインドネシアで作って日本へ持ち込んだものでした。だから、難しいものではないが、問題は原料の入手とその価格である。インドネシアでは作っていないし、特殊グレードなので、メーカーは限られるし、在庫のコントルールも難しい。

インドネシアでは、まったく、作られていないが、中国から簡単に輸入できるはずである。その価格に対抗しなければならない。

製造は簡単だが、インドネシアならではの、いろいろ問題もある。しかし、興味深い製品には違いない。

 

ローレット、懐かしい製品である。10年ほど前まで、インドネシアで私が作っていた。用途はカーテンレール用でした。1インチの鉄パイプに0.8mm厚の樹脂をかぶせる仕事である。重要なのは、樹脂と鉄パイプの接着強度である。かぶせた樹脂パイプが動いてしまっては、使いものにならない。

この仕事も難しくない。

 

テレビの枠のモール、ABSのコノ字型のプルファイルの内側にダブルテープを貼った製品。この仕事も難しくない。

いずれの製品も量が半端ではないことが、一番の心配。現在の製造ラインの一つで専属して作っても足りない量である。

ま、どうにかなるさ、一遍に仕事が始まることはあり得ないし、とりあえず、見積もりはすることにする。

やる気 どうかな そっと

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(^_-)-☆初日

2013-01-09 22:07:25 | 状況

 1455 私が留守中にPOが届いていて、原料の手配から、サンプルだし、OKをもらって、今日から量産に入った製品があった。難しい話ではないが、私がいない状態でよくできたと思う。

サンプルや図面の入手から、見積もりの提出という段取りの話が、舞い込んできている。少しずつ、忙しくなりそうだ。

 丸鋸カッターなど、設備の増強の準備も始める、まず、見積もりを受け取ることから。

 ホタルテープもサンプル依頼が入っている。

今回、帰国して、その感を強くしたが、日本の状況は厳しい。スンバコを奪い合いあっている、地方のインドネシア人の主婦たちのように、日本全体の国内の生産が減ってゆく流れの中で、生き延びるには、他の会社が作っているものを横取りしようと画策するのは、当たり前だが、今までの自分たちの技術ではできない仕事も横取りしなければならない、切実さが、どの会社にもあるようだ。そこで、技術を開発するのではなく、技術を盗もうとする姑息な会社も当然増えてくる。一つの方法は、自分たちができない製品を作っている会社に注文を出す、下請け的存在にする。しばらく、仕事を出しておいて、そのうちに何かとクレームを付ける。指導と言って、現場に入り込む、QCならまだましだが、製造現場の責任者まで乗り込んでくる。結局、何も指導をすることなく、いつの間にか、自社で生産を始めてしまう。

もう一つの方法は、できる会社が装置を作らせている金型やなり装置屋に、同じものができる装置を注文してしまう。装置屋も仕事をほしいので、断りなしに、装置を提供してしまう。その装置を使いこなせなくて、結局、最初の方法に戻り、その装置を使いだす。

世知辛い世の中になっていることは確かですが、こういう方法を取って生き延びてきた会社は多い。現在、大企業になっている会社でも、そういう評判の会社は多い。

商道徳などと言っている時代ではない、人の足元をすくうしか生き延びる手段が無いと思っていて、そのことは罪でもなく悪でもないと思うのです。せこい、世の中になったものです。心当たりのある会社や個人は多いと思う。こんな状態の日本です、景気刺激など、外から見ている私にとっては、無意味どころか、回復時期を遅らせるという意味がある。

 

そういう方法で、私の技術を黙って持っていた会社は何社かあるが、それらの会社はそれ止まりです。それ以上のものはできない、だから、そういう会社は、虎視淡々と、別の技術を盗もうとしている。そういう会社の社長さんが、若い従業員を引きぬこうと画策しているのが、今回の帰国時に、明るみに出た。こそこそ、そんなことまでして、情けなくなる。三十年前頃には、私が製品を提供していた会社です。下請けをしていた会社です。その頃は、その人の意欲的な販売姿勢を尊敬のまなざしで見ていた。それが、20年ほど前から、がっかり人間の一人になってしまった。

 

 雑草の成長は驚くほど速い、一か月、留守にしただけで、この状態、どうにもならない。静岡の自宅の庭とは、えらい違いだ。

 

 持ってきた酒類、自分は一滴も飲まない。匂いを嗅ぐのもいやだ。

 スタート 残念 気の毒

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(^_-)-☆また、戻った

2013-01-08 23:35:24 | インドネシア

 1454 インドネシアにいる。いつもと同じ06:20に家を出て、08:30成田エクスプレスに乗り、10:00前にはイムグレを通過、何の問題もなし、バゲジの重量が28.5Kgあったが、何の咎めもなかった。座席はいつもの通り、32Dである。後ろから二番目の真ん中。狙い通り、三つの座席を占有したはいいが、機内の寒さで眠れない、また、何度かの大揺れで、頭は痛くなるし、吐き気はするし、眠るどころではなかった。初めての飛行機酔い、だったかもしれない。ジャカルタの手まえ、300Kmくらいのところ、カリマンタン上空、赤道の辺りは、必ず、飛行中、一番、大きく上下左右をする、期待がギシギシ音を出す。

 

 で、何が一番、重かったというと、焼酎、酒1,8L6本、単純計算で10.8Kg千回は、5本だったが、今回は6本に挑戦した。ジャカルタのベルトに乗る前にX線チェックがあるが、今回もチョーク印を覚悟していた。しかし、拍子抜け、何も印をつけてくれていなかった。全然問題なし、ガルーダだから、甘いのか、紙パックだから、酒と見ないのか、たまたま、チェックを省いたのか、液体は問題にしないのか、理由は分からないが、ティダ アパ アパのようです。しかし、私が保証するものではありません。

 

 空港からのタクシーは検査が終わって出たところの左側にマネーチェンジャーとタクシーのカウンターがある。そこで、行き先を言えば、価格表を見せながら、ここですかと、確認して、価格を示してくれます。MM2100、チビトゥンでしたら、30万Rpくらいだと思う、EJIP、リッポチカランなら40万Rpです。タクシー会社はどこでも同じです。他にも方法はありますが、お勧めしません。

 空港へ向かう時にはどこのホテルでもブルーバードタクシーを呼んでもらえます。メーターで価格は表示されますから、空港からの価格より安くなります。

 とにかく、渋滞は、当然ありますから、時間には余裕を持って、行動した方がいい、約束の時間を守るのは大変難しい。

 

 とにかく、Selamat tahun baru Indonasia(新年、おめでとうございます、インドネシア)である。21;00(日本時間23;00)家に着いた。明日から、早速、仕事である。

 

出がけに、まだ、真っ暗だったが、下の子が、タクシーを追いかけてきて、すぐそばの信号で止まっていたところに追いついた。

ジャカルタでは、タマンアングレックのネオンが私を歓迎してくれているようだった。

順調 暖か ほっ

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(^_-)-☆最終日

2013-01-07 23:24:49 | 情報

 1453 孫たちに、最後の日だから、どこにへ連れて行ってと頼まれて、浅間さんへ行ってきた。浅間さんと言えば私の青春の一つの舞台である。中学、高校の時、6年間が一番濃い付き合いだった。浅間さんの東西二三キロの間で、将来の私の考え方、生き方がどの程度になるか決定づけられた。だから、今に至るまで、あの時代に、これをしておけば、あれをしておけば、違った生き方をしていただろうと思うことは沢山ある。

 孫と一緒に百段を登り降りする風景は、中学校や高校の時に駆け足で何往復も上り下りした時の風景とダブって、思わず、深呼吸をしてしまった。

百段の上で、ガマの油売りが、日本刀で自分の腕に傷をつけ、血が出たところにガマの油を塗って、“どうだ、この通り“と、大声を出していた。父親が“あれはいんちきだよ“と、つぶやいた。そこにいる私の姿が蘇った。

もう、思い出を語る年齢にとっくになっていて、できるだけ、語らないようにしているが、生活の主だった場所を訪れれば、記憶は蘇る、祖背は、心地いいものだ。

 

今回の日本滞在は今までになく寒さを感じた、こんなに寒く感じたことは、今までになかった。その中でも最終日の今朝が一番寒かった。

とにかく、日本での生活最終日は終わった。目的の一つだったこともあり、普段は、そう会えない方の何人かお会いした。これが、最後になるかもしれないと思いながら、お話させていた方もいた。私自身が、いつどうなるかわからない年齢に達しつつあるので、なお、そう感じるのでしょう。一年後にまた、お会いできればいいと思う。今後、帰国するたびに、しばらく会っていない方を訪ねようと思う。

 

今、最後の日だから、お爺ちゃんと一緒に寝たいと言って、私の布団の中に潜り込んで、眠ってしまっている二人が目の前にいる。平和そのものである。インドネシアに天国がある、日本にも天国がある。

スルガ プアス ニルワナ

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(^_-)-☆間違えている

2013-01-06 23:02:28 | 欲望

 1452 日本人のほとんどが間違えている。目先の景気回復だけを望んで、その後はもっと深刻な下降をたどることを知らない、本格回復を遅らせていることも知らない。景気回復策?そんな、方法があるの?もしあるなら、なぜ、何十年も前にやっていなかった?バブルがはじけた時にやらなかったの?二十年以上、景気対策をしなかったの?したけど、中途半端だったの?その間に、いたずらに、赤字国債を発行し続けて財政赤字を世界一にしたの?それに、今、気付いて、これから、効果的な対策をするの?そんな、いい方法があるの?ばかばかしくて、皮肉を言うしかない。

 

 日本全国が、景気対策を望み、景気刺激策を望む、景気が悪いからだ。何十年も前から景気が悪いからだ。政治家も経済界も一般市民も景気浮揚を望む。私もその望みは理解できる。景気が悪いより、良い方がいいに決まっている。しかし、目の前の一時しのぎのミニ回復は害であることを知らない。

 

 どんなことをしても景気は回復しない状態になっていることを、経済学者も政治家も官僚も誰も指摘しない。デフレスパイラル、円高、株安傾向が、この数年で止まることはないし、ましてや、反転することはあり得ない。何度も書いているが、行きつくところ、もっともっと、どん底に落ちない限り、回復はしない。対策はすべて、それを、遅らせているにすぎない、そのたびに、税金の無駄使いをし、国の借金を増やし続けている。そして、今、なぜ、政府の財政赤字が膨大であっても、日本の格付けがそれほど下がらないのか、その、一番の理由になっている、そして、一番、頼りにしている国民の貯蓄を減らし続ける。行き着くところは、EUの経済危機のような状態になるのは確実で、それを、どん底とするしかない。そういう流れを変えることは、今となっては、できるわけがないことを、指摘する人はいない。地震の予言のような、馬鹿げた、予言をすることに、罪も違和感もない地震学者や専門家という人ばかりの世の中なのに、なぜ、「国債の発行を止めて、金利も正常に戻し金融を正常にし、自立をしない団体や産業への補助は全廃する、公共事業は補修だけにする、そして、景気をとことんどん底に速くしてしまおう、そうしなければ、真の回復はない」と、予言する学者がいないのでしょうか。

 

こんな状態になっている日本。

 円安?株高?浮かれている日本は危険だということを誰も指摘しない。日本は、日本人は間違えている。流れは止まらない。

 どん底 逆行 一時凌ぎ

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(^_-)-☆もう一つの荒行

2013-01-05 20:27:07 | 体験

 1451 今日で、8回目 歯医者である。歯医者というのは、なぜ少しずつしか治療というか、手入れというか、しないのでしょうか、これも、小学校のころから、そう思っていた。虫歯など、削って詰めるなどは一回、一日でできそうなものだと思うし、歯垢を取るのも、どんなに酷くたって、三四回通えばきれいに取ってしまうことぐらいできそうなものだと思うが、何をどうしているのか知らないが、毎日、同じようにギリギリ、ガリガリやって、「ではまた次の日」と、いわれるだけ。いつまでに、終わるとか、どのくらいまでかかりそうだ。ということは絶対言わない、言う医者にあったことがない。昔から、完全に終わりましたと言われるまで、通う続けたことはない、休みが終わったとか、どこかへ出かけるとか、しばらく、通えなくなった時を機会に、歯医者へ行くのを止めて仕舞うしかなかった。

今回も、その通りである。最初の日に、「通えるのは、一月4日まで」と、いってあった。

今回、歯医者へ通った主な目的は、軽いと思うが、ちょっとした虫歯の治療をしてもらうことだった。そして、最初の日の全体の歯の状態をチェックした時も、その虫歯のことは医者が指摘していた。

しかし、医者は歯垢とそれが原因だと思うが、歯肉の緩みを、治療する方が優先だと判断したのでしょう。毎回、そのためのギリギリしかしない。そして、私には、虫歯の治療はどうなっているのか、聴く勇気がない。だから、手つかず、そのままになっている。もう、終わりである。虫歯については全く無視された状態のまま、毎回、1400円~1800円払った。

その毎回は、痛さを堪える、連続だった、歯の治療でしか、感じることのない、強烈な痛さ、目を堅くつむって、両手をにぎりしめて我慢をするしかない、体をのけ反らしたいが、それは、こらえようとする。

 

 歯は自分なりに磨いているが、不足らしい、もっともっと、歯肉から血が出ても構わないから、歯と歯肉の間をごしごし、磨けと、注意される。鏡を見て、残っているものがないかチェックしているのだが、まだ、残っているといわれる。

 

 しばらく、この荒行から、遠ざかることができるが、虫歯については、インドネシアで直すしかない。

 

 下の子に、ランドセルをプレゼントした。どちらに、いるかわからないが、日本の学校に通う準備もしておかなければならない、上の子と同じように。

苦痛 試練 解放

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(^_-)-☆荒行終了

2013-01-04 20:42:38 | 行きすぎ

 1450 今回、帰国、日本での荒行は、無事かどうかは、少し時間を経過しないと、分からないが、とにかく、終わった。五回のゴルフである。昨年中の四回も寒さはキツカッタが、今日が一番きつかった。

 富士山静岡空港の近く、小高い山の中腹、茶畑の中、大井川の流域近く、風が取り抜けやすい場所、今朝、家を出た時から、強風が荒れていた。東名高速道路では、横殴りの風で、何度も、ハンドルを取られた。そのままの強風はプレーしていた08:50~15:00の間、やむことはなかった。強風のために構えてもなかなか打つことができなかったり、ちょっとした傾斜では下に転がり落ちるまでボールが止まることはなかった。飛距離の計算など全くできない。後期ことは、スコアーに影響することだが、そんなことはどうでもいい。

 きついのは、呼吸がしにくかったこと、風邪が治りかけていたが、鼻が詰まっているうえに、寒さによって、鼻水が止まらない、呼吸を鼻でなく、口でしかできなかった、冷たい空気を直接,喉に当てるので、喉が痛くなる、そして、首全体が痛い。下を向いたり、上を向いたりするのも、痛さが気になって自由にできない。

 口で息をしているので、口の中が渇く、お茶や水を含み続けなければならない、水分を入れるが、汗は出ない、茶屋毎にトイレに入るが、その前に尿意を感じて、そこへ着くまで、我慢をしなければならない。

 手がかじかんでいるし、指先がしびれてしまっている。ティーグランドでボールを置くときも、震えてしまった、ティーの上に置くのも一苦労。ホッカイロを長脇のポケットに入れておいて、手が空いているときはポケットに突っ込んでホッカイロを握っていたが、ほとんど、効果はなかった。

 

 ハーフ終了後一時間くらいの休憩時間が与えられる、まったく、うれしくない、暖かいレストランで休憩しても。中途半端にしか、コンディションは戻らない、後半は風ももっと強くなり、試練は増すばかり、無意識の無我の状態で、何のとか、終了した。荒行が、やっと、終了して、無事だったことにホッとした。それほど、途中では危機感を感じていた。

 他の三人は、私ほどではなかったような気がする。やはり、インドネシア人か化してしまっていることを感じる。

 

向かい途中と帰る途中

 修行 試練 付き合い

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(^_-)-☆一時代終焉

2013-01-03 22:21:12 | 思い出

 1449 もう、何年も前から入っていない、私が小学校へ入る前から、高校卒業まで住んでいた場所、家、そして、両親が、親父が亡くなるまで、住んでいた場所、家、その後は、他人に貸していた家が、間もなく、解体される。更地にして、駐車場と庭にするそうだ。

 

“柱の傷は一昨年の五月五日の~~”の歌のように、小学校の時に、毎年、5月5日に傷をつけていた柱、右側が、四畳半の板の間の子供部屋、子供の時から引きだしは無かったが、木製の机が与えられていて、次の写真のガラス窓に向かって座って勉強をしていた。その板の間で、百人一首のかるた時やトランプ遊びなどをしていた。

 

裏の庭から見た家、右が便所、勉強机が並んでいた右端から外に出てすぐのところにあって、入って、座ると、木目がはっきりした板の壁を目の前にする。底には大きな目玉の牛が私を見ている、大きな目玉の長い口ばしの鶴が下を向いている。そして何より、お袋が鉛筆で書いた“この世の中”という文字。

このガラス窓の前に井戸があった、“釣瓶取られて、もらい水”の詩のような釣瓶があった井戸でした。およそ数メートルの底に透明な水がいつでもあって、緋鯉が数匹、泳いでいた。中学の時は、日陰になっていた、その井戸の脇に椅子を出して、吉川英治や武者小路実篤や井上靖などなどを読みつくした。私がこの家を出た後に埋められてしまった。

 

便所もちょっとだけ外に出たところにあったが、風呂場も左側の3メートルほど離れたところにあった。木製の丸い風呂桶で薪をくべて漏らして沸かしていた。火を付けて沸かすのは私の役目だったと思う。新聞紙に火をつけて、放り込み、火吹き竹で吹いて入れた置いた薪に火をつけるのが、楽しみだった。

 

 思い出が限りなくある、築60年の家が間もなく壊される。トタン屋根で雨が降るとうるさいというより喧しかった。屋根に上ってペンキの上塗りも何回か手伝った。

 時代 月日 思い出

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(^_-)-☆元旦に思う

2013-01-02 22:33:02 | 情報

 1448 69歳の元旦は、静かなものである。毎年恒例、ウイーン フィルハーモニーのニューイヤー コンサートを聞いていた。美しき青きドナウの後ラデツキー行進曲で一緒に拍手をして、終了。二十年以上前から、私の新年のセレモニーになっている。今日は、孫のお姉ちゃんの方が、私に付き合っていた。彼女、25年以上前にスイスのインターラーケンで買ったオルゴールに“美しき青きドナウ”が入っているのを聞いたことがあって、同じ曲だと言いながら、そのオルゴールを持ってきた。子供の吸収力、記憶力には驚かされた。

 

 昨年はインドネシアでの仕事の準備が思うように進まず、不完全燃焼の気分になっていた。欲求不満になっていた。他のことはほぼ満足だったが、仕事のことは不満足で、気になっていた。10月から、やっと、仕事ができる状態になったが、二つ三つの試作をしたところで、日本へ帰らなければならなくなってしまった。不本意ながら、私がいる間には注文を取るところまでは至らなかった。

 私の仕事は、他でできないもの、インドネシアではまだできていないものを、断らずに何とか作り上げるものだから、話があってから、生産に至るまで(注文を受けるまで)最低三カ月かかるので、仕事を始めても、すぐに生産ができるわけではない。しかし、注文を取って生産が始まれば、それまでの間に何点かの試作をしているので、新しい製品の生産が始まるのは、そう、期間がかからない。だから、多分、一月中には、三点ほどの新規製品の生産が始まるでしょう。それを、確実にするために、インドネシアへ戻ればすぐに、本格的な行動に出ようと思う。会社の押出部門は、忙しくなると思う、忙しくしなければならないと思う。

 

 旅にゴルフに仕事に今年も暇なく過ごすことになると思う。

予定 予測 予知

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