1955 そろそろ、引き際を考えなければならないと思う。いくらなんでも53才から20年は長すぎる。まだ、その20年にはなっていないが、それほど長くもない。その時点で必ずしもインドネシアから離れなければならないということもないが、やはり、期限を設けて、その後は、責任というか、負担というか、客先などとの約束を果たすというか、ストレスのない世界に身を置きながら、技術的なことで相談に乗るくらいの位置にいるようにしたい。それが、この仕事から手を引いたということになると思う。関わりからは死ぬまで抜けられないと思う。それは、それでいい。
こういうことを考える年齢になったと思う。
私の仕事を頼む人は、どうしても、私がいつまで先頭に立って仕事が出来るか、突然、いなくなるように事態にならなければいいが、必ず心配します。口に出さなくても思っているはずです。そして、また、私自身も私がいなくなった会社は、それまで、私が教えてきた物、私が作ってあげた装置を使って、そのままの仕事は継続してできるが、新しい仕事を引き受けることが出来ない状態が残る、と言っている。実際、そうです。その会社の日本人は、新しい仕事を、ほとんど、取っていません。
で、私がいなくなっても、今までの仕事は出来続けるのですから心配ありません。と、いうだけです。それでいいのです。もし、新しい仕事を手掛けるなら、その会社の経営者が、出来るかできないか分からないようなものでも、従業員の誰かがやってみたいと言い出したら、やらせる、心に余裕のある人でなければならない。そういう会社が、伸びるのです。先行投資しても、研究費などを使って、誰から、こういうものが出来たらいいなと、言いだしたもので、自分の出来たらいいなと思えば、作らせればいいのです。追求させればいいのです。新しい製品を作り出すということは、多くの会社でやっていることです。それは、出来るかできないか分からないものに挑戦させる経営者か、そうでないかの違いです。
私がインドネシアで出来るかできないか分からないが、引き受けてしまうのですが、その製品は、どこかで作っているものをメイドインインドネシアにするだけの話で、世界中だれのもできなかった事をするわけではないのです。中には、これは、多分、世界で私が最初に作った製品だと思うものもありませが、大部分は、世の中にあるが、私が、作ったことが無く、どうしたら、これが出来るのだろうか、と、考える。そういう製品です。
引き際とは、こういうことを考える必要から解放される時だと思う。
今朝のジャバベカ2のマクドナルド、ここで、人と待ち合わせをして、新しい仕事の話をした。バタムからの来訪者でした。
昼、ゴルフの後、皆さんと食事をした場所です。気の毒なくらい、昼間はガラガラ、聞くところによると夜は常連客で一杯になるのだそうだ。シンガラジャの日本食レストランはどこも昼食時には一杯になるようだが、ここは、遅くなっても空いているので、断られる心配が全くないから利用する。値段も良心的だと思う。
引き際 余裕 投資
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