3274 ヴィザに書かれているポジションと定款に書かれているポジションが違うと指摘された件、まだ、どうなるか、インドネシアから、知らせが入っていない。12日フライト、片道だけ確保してある。何も問題なければ、それで十分のはずだが、どうなるやら。
何十年ぶりに疑問が解けたことがあった。昨日の集まりで、現在は無くなってしまっている、以前、住んでいた頃の家についての話が出た。ポポーという木の話も出た。食べるのは私だけだった。誰もが、臭いとか、気持ち悪いとか言って嫌っていたが、私だけは、おいしいといって食べていた。大学進学と同時に、私が家から出た、その後、すぐに、切られて無くなってしまった。そして、先日、家の庭に苗を植えたという話をした。
そのついでに、お手洗い(トイレット)の話になった。当時は当たり前のおつりがくる甕式だった。それは、それとして、高校に入ったころ、しゃがむと、目の前の壁に、“この世の中”と書かれた。鉛筆書きだった。毎回、座るたびに目のまえにある。私はおふくろが、書いたとばかり思っていた。誰にも確認しなかった。この世の中のことを考えろ、という、哲学的文字と思いっていた。何年も、この家が壊されるまで消えることはなかった。たまに、家に寄ったとき,薄くなっていれば、なぞって、復元した。そのことを、話題に出した。すると、妹が“それ、私だよ”と、あっさり言った。60年越しの疑問が解けた。大笑いだった。妹は、昨年末まで、静岡ホームの理事長を務め、今年から、フリーになったそうだ。彼女は年女だ。
物心がついたころ、隣の家に遊びに行っていた。その家には縁側があった。その端に、便所があった。その反対側の端には、そば粉を挽く道具が固定されていて、おじいさんがよく挽いていた。その姿がいいなと思ってみていた。そして、縁側の有る家を見るたびに、家を作るときに、縁側を作るぞと決めていた。そして、そこから、庭が広がっていると思っていた。そして、便所は別として、粉ひき道具もないが、その通りにした。
縁側の碁盤と鳥籠と菜の花。日当たりの縁側で碁敵とのんびり打つのが夢の一つだ。そう思って、碁盤は25年以上前、この家を建てた当時に買って、ここへ置いた。それ以来、一度も使っていない。碁石はどこへしまったか、覚えていないし、探そうともしていない。これを使うために、誘う人もいない。使うのはいつになるだろうか。十姉妹のつがいと、ヒナが入っている。鳥籠を日向に出してある。そして、庭には、菜の花。ここにいれば、のんびり平和に暮らせるのにと思う時だ。
碁盤 鳥籠 哲学的