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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆大晦日

2018-01-01 22:35:50 | 生活

 3271 昔、昔、浦島は、助けた亀に連れられてえではなく、助けるつもりで出かけたインドネシアは21年過ぎた。玉手箱は開けないまま、また、できるだけ、早いうちに、インドネシアへ逃げる。月日の経つのは夢のうち、だ。

 

今年は、今まで、5カ月日本にいる。久しぶりの長期滞在である。この間に、会っておきたい方の多くに会うことができたし、大学と中学の同級会にも参加することができた。沼津、長泉時代の人たちにも会えた。そして、独立から、譲った工場にも付近まで行ってみた。新婚時代に住んだ場所付近も訪ねた。

 

ゴルフも誘われるままに、何人かの人達と一緒させてもらった。“今年も無事に通り過ぎた、来年はどうかな”という話が、誰からともなく出る。そのたびに、いちいち、“まだ、まだ、体も口も達者でしょ、来年も、再来年も、まだまだですよ”と、わたしが言ってやる。すると、そういう、“まだ、まだ、というやつが、ぽっくり行くんだから、そういう話は、社交辞令に過ぎないよ”と、理屈っぽいことをいう人もいる。社交辞令で言っているのに、そういう会話が普通になっている。面倒くさい年齢になっている。同年代の5%が亡くなっていて、5%が動けない状態になっているようだ、というのが実感だ。特に山川君、野桜君、静高の同級生どこへ行った。インドネシアでは、栗崎さん。

 

“逃げるは恥だが役に立つ“説明が必要なフレーズだが、私にはぴったりだと思う。会社から逃げたことは、その裏にある、様々な、面倒なことから逃げるためだ。経営からも逃げた。社員や客先に対する責任から逃げた。日本から逃げた、家庭からも逃げた。いろいろな、役割から逃げた。そして、これからも、逃げる、止む負えないときだけ戻るが、基本は逃げだ。

 

逃げるが基本だが、一つだけ、言い訳を書く。私がいると、私の周りの人が私に頼りすぎる。私がいると、私がやってしまうので、楽ができる。小学校の時からそうだった。班を作って何かを作るということになると、私がリーダーに自然になってしまって、私一人で作ってしまう。ほかの人は見ているだけだった。仕事でも、私がやってしまうことが多かった。だから、なかなか、自立できない。自立させるために、私が手を引くのです。その時、残った人たちのスタート地点は、マイナスからでなく、プラスからにしているのです。金銭、技術などの十分な資産を残して去っている。当然、一年以上、それ以上前から予告しているのだが、残された方は困るというか、それは仕方がない、自立を促すためだから。

 

そして、逃げるとき、逃げる前に逃げ先を確保しておかないのが私のポリシーだ。

 

逃げて、自分の会社をこの貸工場、左側だった。

 

そして、その工場から逃げて、手も引いて、独立してもらった会社がここだ。

この正月、どこへも、出かけられない方、私のウェブサイトで旅をしてください。読む、見るだけで、多分,三日間は、インドネシアの隅から隅まで旅をした気分になれると思う。浮世から逃げれば、こんな旅ができるという証拠です。

http://otaenplaext.net/newpage01.html

http://otaenplaext.net/newpage2.html

http://otaenplaext.net/newpage327.html

http://otaenplaext.net/newpage350.html

近場でお勧めは、ブリトゥン、インドネシア国内で一番遠くでのお勧めは、ムラウケのソタ村です。

 

http://otaenplaext.net/newpage29.htmlこちらがムラウケ関連。

http://otaenplaext.net/newpage28.html

紅白を全員で見た。

行く年 逃げ 残す

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