2534 Christmas Eveですね。 All alone I watch the quiet rain Wonder if it`s gonna snow again Silent night, Holy night
ローストチキンとショートケーキでクリスマスを祝う。いいね。インドネシアのことなど吹っ飛んでしまう。
本日の富士山です。
その前に、スーパーに買い物、また その前に、中古パソコンショップ、麹屋、ホームセンター、百円ショップ、で買いもの、最後に、私の孫会社の一つを訪問、まだ、二ラインだが、フル運転で忙しいようだった。やっているなと思う。二ラインで一杯の工場、ラインを増やすには、工場を移転しなければならない。
どうでしょうか、孫達、22:00頃、ベッドに入ったようだが、まだ、サンタクロースを信じているのでしょうか。妻が、夜中に枕元に置くと言っていたが、成功したのでしょうか。私は図書券を用意した。
この時期思い出すこと。子供のころ、私がサンタクロースからもらったもので覚えているのはただ一つ、小学5年の時に、皮のカバンだった。手提げかばん、焦げ茶色にピカピカに光っていた。それまで、学校にはどんな鞄を使って通っていたかというと、背嚢でした。知っている人はほとんどいないと思うが、厚い牛皮の重たいランドセルのようなもの、日露戦争などの兵隊の写真を見ると、背負っている鞄です。フィリピンで戦死した、私の母の弟、私のオジサンが持っていたものでした。当時は、今のようなランドセルはなく、ズックという布で使ったランドセルでした。手提げ鞄や靴もズック製が多かった。それでも、それを買ってもらえず、背嚢を背負って通学していたのでした。ごわごわしていて、重かった。夏と冬では皮の硬さが変わっていた。
親が、一応、気にしていたのだと思う、いまさら、みんなと同じようなランドセルというわけにもいかない、中学校で使うのだから、早めにということだったと思う。皮の学生鞄を貰った5年の時から小学校を卒業するまで、私のような鞄を持って学校へ来ていた人は、いなかった。それまでの、背嚢も私だけ。ランドセルを私は背負わなかった。他人と同じではないことをちょっとおもしろいと思っていた。他人と違うことがうれしかった。
その後、そのかばんは、高校一年まで使っていた。その後は、どうだったかというと、教科書やノートをバンドで縛って肩に担いだり、振り回したり、自転車の後ろに縛ったりして通っていた。いわゆる、バンカラを気取っていた。
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