今はマタ、パンガンダランにいる。先ほど、24:00に着いた。明日は08:00出発で、ジャングルへ入る。仕事は月曜日から、また、ちょっと忙しくなる。
日本にいるときには自分の身の置き所が無いというか、じっとその場所にいなければならないような気がして、大変窮屈。自分の存在がどこかも分かるようにして置かなければならない。縛りを感じる。会社にいる時間の大部分は椅子に座ってコンピューターに向かっているしかない。どこへ行くと言ったって、行く当てが無い。どこかへ行くなら、乗り物を使う。自腹なら問題ないが、会社から費用を出してもらうには、事前の届け出とそれに対する承認が必要になる。面倒くさいから、出かけたくなくなる。来てもらってもいいが、それも、悪いような気がして、結局、日本の国内での行き来はできるだけ、避けたいという、意識が働く。
それにくらべて、インドネシアでは、回りの目を気にする必要はない。自由に外出し、出勤し、家にいてもよいし、現場にいてもいい、第二工場へ行ってもいい。行動は自由である。誰かに迷惑さえ掛けなければ、動きはいちいち、誰かが把握している必要もない。だから、今どこにいて、これからどうするかなどの行動予定は知らせる必要が無い。私にとっての仕事関係では、はっきりって、インドネシアの方が、成果を早く出せる。ただし、いつも、感じることだが、そのインドネシアでも、ボトルネックはある。その部署は、購買である。ここの、ブレーキが無ければ、文句を云うところは何もない。
日本でも、インドネシアでも、実際には何も手を出さないで、手をお出しているふりをしていても、文句をいわれることは無い立場だ。しかし、回りが気になってしょうがないし、自分もじっとしていられる人ではないので、問題が起きるのです。それは、分かっているのです。
しかし、疲れた。
チトマンの清流、インドネシアではこんなに透明な水は本当に珍しい、イカンバカールやアヤムゴレン、チャーカンクンなどを、床に座って、右手で食べるのが、インドネシアスタイルです、
専門 顧問 関門