前のF社のこと、私の後継者と言うことで、本社の工場で33年の経験者。
53才で、私が始めてインドネシアへ来て、何もないところへ装置をしれて、高卒の何人かの新入社員に、言葉が全くできない状態で、手とり足とり、押出の技術を教え込んで、10年以上経過したところへ、その時の私と同じ年、53歳の人がやってきた。
何をするのかと思ったら、何もしない。作っている製品を見て、日本ではこんな製品はできないよ、と、つぶやいた。それから、何をしたかと言うと、各機械の稼働率や生産の収率を表に示すように、生産管理の担当に命じた。その結果を眺めて、一喜一憂をしている。収率が悪いからと言って、自分では何もできない。只、なぜ悪いのかと呟いているだけ。
ある日、生産管理の人間に原料別の購入先と電話番号、担当者のリストを要求した。リストが出来ていないと思ったのでしょう、明日までに作ってほしいと言っていた。しかし、ある。担当者は私が見ている前で、その人に渡した。それから、一週間後のこと、各部署の日本人8人で毎朝ミーティンングをする。その席で、「太田さん、原料の顔入先のリストをお願いしてあったのに、まだ、貰っていません、いつになりますか?」と発言した。これにはびっくり、先ず、そういう話は、ミーティングの場で言うことではないでしょう。押出の事務所で言えば良いことです。その場違いの発言に、頭が変じゃないのと思った。それから、「一週間前に担当者から受け取ったでしょ、私の目の前で、ですよ」と言ったら、「そんなことはないでしょう、受け取っていません」と発言。2人で言い合う場では無いので、私は、現場事務所で確認しましょう、ということで、終わった。ミーティングが終わって、PPICの担当者のところへ行って、聞いたら、彼も、渡したと言っていた。当り前である。ご本人、首をかしげている。インドネシア人担当者はそれを見て、改めて、プリントアウトして渡した。ご本人、それでも、全然、記憶がよみがえって来ない様子。だから、次の日のミーティングでも、私の勘違いでしたと発言することはなかったし、個人的に私に謝ることもなかった。だから、ミーティングのメンバーの皆さんは、私が忘れてしまって渡していないと思ったままになってしまっていると思う。ひどい人が来てしまったと思った。そういう、若年何とかというか、記憶喪失というか、もともと、全く記憶をしていないというか、ご本人が忘れてしまってインドネシア人が悪者にされる事例が次々と繰り返されている。いまでも、そうだと、聞いている。ご本人、自分で仕分けしてファイルが出来ない人らしい。他人にあれがないのか、これがないのか、と言うばかり、あると、それに、日本語で何のファイルと書いている。日本語のファイルではないのでそれを見ても分からない。
ところで、その仕入れ先リスト、どう使ったのでしょうか、電話を掛けて話をしたり、メールで何かを要求したりした形跡が全くない。原料に関して自分で何かする様子は全くない。何が目的で、そのリストを要求したのでしょうか、そういうリスト作っていないだろう、要求したらあわてるかもしれないと思って、要求したと勘繰りたくなる。勿論、無かったとしても、作れというだけで、自分が作ることはできない。
その会社、私が残した仕事以後は新しい仕事は始まっていない、勿論、全部、できないと断ってしまっているからです。インドネシア人はできますが、その人が出来ないから、インドネシア人に任せて、やらせることはできない。
インドネシア人が呆れていることを本人はご存じない。
バリ島で一番よくみられる花、カンボジィアです。髪、耳に飾ります。スパでバスタブに入れます。棺桶に撒きます。白とピンクがある。インドネシアの人たちは花や木の名前を知らない人が大部分ですが、この花の名前は多分30%位の人が知っていると思う。
ひどい だめだ 不毛