南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆ショッキング

2013-03-28 22:24:30 | 人間

 1532 イワン君やアウェン君の兄さんのコビル君が無くなったとのSMSがパンガンダランの彼の妹、イヨさん(私のウェブサイトの表紙で、ラフレシアと一緒やロブスターを持っている女性)から入った。日本にいてはどうしようもない。コビル君は、11人兄弟の次男、1999年、三回目のパンガンダランで、パシールプティを散策中に、彼が、人懐こく、話しかけてきた。小学6年生だった。ジャングル(チャガールアラム)に中のガイドを出来るかと聞いたら、よく遊んでいる場所だから、出来るよという。それじゃ、案内して、と頼んだのが、初めての出会いだった。

それから、5年あまり、彼の案内で、パンガンダランのほとんどすべての見どころを、回った。そして、周辺の地図も出来上がった。

日本語の勉強をしたいと言うので、ブカシの日本語学校に通わせたこともあった。しかし、ガイドを職業とすることに、飽き足らず、土産物屋をしたり、熱帯魚の飼育販売をしたり、ブロイラー飼育などに手を出したが、いずれも、うまくいかなかったらしい、そのうち、どこかへ消えてしまった。噂によると、色々始めるのに借金をしたが、膨らんで返すことができ無きなり逃げたということだった。彼が23歳くらいの時だったと思う。家族にも所在を告げないで、数年、行方不明、音信不通になっていた。そのまま、つい先日、チラチャップの病院から、死亡の知らせが家族に入ったという、死因など詳しい話は、聞いても仕方がないので聞いていないが、ショックな出来事だった。家族のだれもが、結局、何年振りかに行方が分かったときには、亡くなった姿だったという、何とも、無念な話である。

 

インドネシアの友人の何人かが、濁酒を作りたいという願望を持っている。そこで、頼まれたのが、種麹か米麹、子供の頃、米麹を買って来て、甘酒を作ったことがあったので、その、麹屋を訪ねて行ってみたが、今は無かった。そこで、ネットで探しあてて、行ってみた。多分、ネット販売が主の店だと思う、目立たない住宅地に在った。1kg880円、高いのか安いのか、分からないが、久しぶりに米麹を手に入れた。お酒の作り方はパンフレットにないが、甘酒や味噌の作り方は丁寧に書かれていた。酒の作り方を説明するわけにはいかないのでしょうね。

余談、味やアルコール濃度など細かいことを言わなければ、比較的簡単に酒を作ることはできます。大学の時に発酵化学科があって、私たち応用化学科と同じ講義を受ける機会が多かったため、彼らと一緒に、日本酒やワインは当たり前に一緒に作っていた。イーストも欠かせない。フラスコやビーカーでエチルアルコールを飲んでいた同級生も多かった。

 はかない アルコール 麹

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(^_-)-☆できない生き方

2013-02-14 23:02:25 | 人間

 1490 PT,NANBU初代の社長さん、Mさんと久しぶりに交信をした。20年前から15年間中国国内の4工場を次々と軌道に乗せていったかたで、65過ぎに、中国の仕事を終えて、しばらく、ゆっくりしようとしたところへ、請われて、インドネシアの工場に社長になってきた。いかにも経営者タイプで、それほど深くはないが広い知識を持っている方で、人の使い方にソツガない、気配りができる人でした。性格は、温和、この人の為なら、ひと肌もふた肌でも脱いでやろうという気分にさせる人だった。約一年半の短期間だったが、心地が良いお付き合いをさせていただいたと思っている。

ただし、利益を追求するにはあまりにも、開設当時の条件が悪かった。中古の工場と中古の機械をかなりの高額で買ってしまっていたので、それを、使えるようにするだけでも、追資金が必要だった。借金を増やさざるを得なくなっていた。その上、機械をとにかく遊ばせて置くわけにはいかないので、ほとんど、利益が見込めない仕事を取らざるを得なかった。他社が安すぎて引き受けない仕事を引き受けたのでした。もっと悪いことに、それらの仕事は、金型の老朽化が進んでいたので、収率も悪かった。

全然儲からない仕事の上にクレーム処理が続いていては、何をしているかわからない、そんな、状態にしかできなかったのが、工場立ち上げ当時の条件でした。それでも、ファンドが承知しない。そこで、犠牲者の様なものいでした。突然、社長を解任させられたのでした。

酷い状態で、請われて社長になり、ほとんど、何も手を打てない状態のまま、止めさせられた。まったく、気の毒な状態に、私には見えた。いわば、会社にとっては、功労者である。この人がいたから、中国の工場が軌道に乗ったのです。それなのに、最後には放り出されるがごとく、追い出された。本人は無念だったろうと思う。

 

ゴルフをしているとき、本当に楽しそうだった。仕事は頭が痛いことばかりだったが、土日のゴルフは、楽しみだったようだ。二打目のショットに失敗は無かった。寄せが、また、うまい。ミドルのスリーオンはほぼ100%。それも竿以内に付けた。転がす寄せではなく、ふわっと、あげて、グリーン上ではほとんど転がらない。うらやましかった。

 ゴルフの後の食事での酒を無性に愛した。議論が好きで、色々な、話題を持ち出して議論をする。その相手をするのだが、逆らえば逆らうほど、熱が入ってくる。適度に酔って、いい気分なのでしょう、その上、好きな議論をできるのだから、ゴルフ仲間と一緒に過ごす時間は、本当に、楽しみだったようだ。仕事がうまくいっていない、自分の思うようにならない、そういうストレスはその場で十分発散できたと思う。

 

 私にはできない生き方なので、こういう人の様な行き方ができていればな、と、思わされる瞬間々々が多くあった。また、いつか会ってみたいと思う。一緒にゴルフをしたいと思う。

 

三四日 雨が降らずに、雨季もそろそろ終わりに近いなと思わされていたが、また、強烈な雨が降り続き始めた。一時間も降り続けばたちまちバンジールである。それが、今日は昼過ぎから10時間以上、雷交じりの豪雨である。

あこがれ まねたい まだまだ

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(^_-)-☆醜い日本人

2012-10-08 20:27:13 | 人間

 1362 自分で会社を興してから、20何年間、色々な人と出会ってきたが、付き合う人々は社長として見るので、取引関係、雇用関係や上下関係、損得関係ははっきりしていた。だから、だれも私に対して文句を言ったり、怒鳴ったりしなかった。そういう経験が私にはないのです。だから、インドネシアで始めて、53歳にして、怒鳴られるということを経験した。大変ショックだった。怒られると、この人、頭がおかしいいんじゃないのと思う。怒られて、なるほどと思ったことは一度もない。
 事実、どう見ても、私のほうが能力は上だし、結果も私のほうが出しているし、第三者からの評価も私のほうが上である。しかし、冷静さを欠いて私を叱る。自分は何様と思っているのでしょうか。総じて、インドネシアで同じ会社で出会った人は怒りっぽい。私より若い人からも怒鳴られた。これには本当に参ってしまった。言って聞かせてやろうと思っても本人冷静さを欠いているし、私の言うことを彼らの能力では理解できないのだから仕方が無い。私に仕事や技術についての知識は全くお持ちでない。本当に参ってしまった。こちらが冷静に受け答えをすると、なお、頭にくるらしい。 

そういう人は私より会社では責任ある立場だし、私が命令や指図(日本へ返すとか、他の人と変えるとか)出来ない立場だし、かといって、直ぐ逃げ出すわけにも行かないので、なお弱ってしまう。
 オタンウータンはインドネシア語で”森の人”ですが、96年からインドネシアで仕事を始めて、出会った人々は私にとって初体験の変わった人が多かった。これが一般社会の普通の人たちかもしれないが、私にとっては、オラヌータンに会うように新鮮だったし、ショックだった。これほど、人間はいろいろな種類があるのかと。余りにも世間知らずだった。
 新任の社長さん、私より10歳若い、どう見ても、動きが悪い、物覚えも悪い、その上、白を黒と言って、インドネシア人を怒鳴りつける。そういう人が、“私と一緒にやりましょうよ”と、上から目線で、いってきた時は、まったく返事にこもってしまった。“良くいいうよ”この人、私と一緒にやれる何も持っていないのに、この発言の裏付けは何だろうと考え込んでしまう。 この人はその後、私の仕事の足を引っ張ることしかしなかった。黙って見ていてくれれば、成果が上がって、その人の手柄になるのだが、そういうことは、自分の立場を悪くするという被害意識を持ってしまうのです。私をうまく使うという人間的容量が無いのです。私が育てている人間を他の部門に異動させてしまった。やはり育てていたQCの担当者を、母親の病気の為に休暇を取って故郷へ一週間ほど帰って、会社を休んでいた。その時に私が日本へ仕事でいっていて、インドネシアにいなかった。インドネシアへ戻ったら、目を掛けていた、その担当者が止めさせられていた。私に何の断りも報告もなかった。それらはほんの一例である。

 

 最近、ゴルフ場で日本人の酔っ払いが、ゴルフ場の人間に暴力を振るって、怪我をさせた。泥酔状態だったと言うが、それで、情状酌量されるものではない。酔っ払っていなくても、暴力をふるう日本人はいる。だから、本当に泥酔だったかどうかも疑わしい。暴力や暴言は恥ずかしいことです。みっともない、日本人の恥だと思う。

 今日の記事とは無関係。昨日の文章と関係あり。

醜い ソンボン 旧日本軍

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(^_-)-☆これからも

2012-10-07 22:14:38 | 人間

 1361 これからもよろしく!!成り行きで間に入ってしまった会社が、知識でも技術でも何ら役割を果たすことができなかった。何年かその状態が続いたが、話し合いで抜けてもらうことにした。直接、取引が徐々に増えていった。利益は充分に上げさせてもらった。それ以上にその会社にもっと多くの利益を与えていた。当時、Kg600円~1000円する原料で製品を作り、三倍の1800~3000円で納めていた。利益は三分の一を超えていたので,一カ月3トン分納品すれば、百八十万~三百万円の利益があった。その会社は原料価格に十倍で売っていた。諸経費を引いても、五百万円くらいの利益を上げていたようだ。今もその製品は同じ客先に納められている。それを知ったら、腰を抜かすほどの話だと思う。それぞれの売値は半減して利益も半減しているが、それでも、充分、満足な仕事として継続している。ただし、その会社の兵隊さん、いちゃもんを付けては、たびたび、私の会社の現場に乗り込んできて、いつの間にやら、そっくりの方法で、社内で生産を始めてしまっていた。だから、その会社の一部の建物の小物製品生産工場は、私の会社の装置とそっくりである。

半年ばかり、その方の要望で顧問として、通ったことがある。良くここまでまねたなと思うほどの装置が自分達の技術と思い込んでいる若者作業者によって、運転されていた。

その他にも、私の会社で手掛けた製品ではないが、その会社の技術開発担当者がしばしば私に相談に来た。今は現役を引退したり亡くなってしまったりした人たちだが、その人の腹心の部下として、創業以来会社に貢献してきた人たちでした。海外の工場も彼らが前線で恰好を付けたのでした。その活躍ぶりを知っているし、同世代なのだし、技術屋なので、話があった。彼らの問い合わせや確認には親身になって答えた。私が指示した通りに装置を作ってトライをし、その結果について、検討し、再度、改良装置でトライ、それを繰り返して、ついに製品化に成功した製品が幾つかある。いわば、共同開発だが、それは、彼らだけの力でやったことになっている。そういう製造工程も数ラインある。

 

そういうことは、その人知っていて、色々世話になっているなと、何回か言われたことがある。

そういう人達がいなくなってしまって、創業当時の貴重な経験、経過を知る人はいなくってしまった。本人一人が年齢も飛びぬけて高くなってしまった。それでも、会長として、孤軍奮闘、側面から見ていて、もう、そろそろ、気楽になったら?と思うことがあった。私が言うのはおこまがしいが、実際に、そう言ってあげたこともあった。取り巻きに言ってやる人はいないからだ。

かくして、テレビドラマでしか見たことが無いような、クーデターが起きてしまった。直属の部下たちも反対しなかったし、そんなことなら、私も身を引くとは言わなかった。

 

私がインドネシアへ来てしまってからも、日本へ帰るたびにゴルフに誘われて、やっている。今もそれは継続している、この年末、年始にも何回かご一緒することになるでしょう。今までずっと、家庭を振り返らなかったので、今後はゆっくり奥さんと旅にでも出てほしい。多分、そのお手伝いをすることになるでしょう。どっちかが死ぬまでよろしくと言うところでしょう。

 

 最近現れた焼き芋屋、蜂蜜のように甘いさつま芋と言う意味です・値段は1Kg一万Rp、約、80円です。

 

 年末のオープンと書いてある工事中のホテル、ズリ エクスプレスと書いてあります。マクドナルドの裏、ファーマーズマーケットの右横。リップチカランの現在のホテルの合計部屋数の倍くらいの部屋数が在りそうだ。

 

長生き 息抜き 回顧

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(^_-)-☆お世話になった

2012-10-06 22:07:00 | 人間

 1360 雨季になりそうな黒い雲が現れるようになってきた。時折、昼間でも小雨がぱらつくようになった。

 

今朝、会社概要などが更新された。完全にトップ交代を公表したことになる。発表責任者もファンドからの人間だ。悲哀を感じる。

何故、ジャスダックの上場を止めてしまって、ファンドと手を結ぶことにしたのか、資金調達の早道か安全か、狙いは何だったんだろう。結局、それが、命取りになってしまった。牛耳られてしまった。腹心だと思っていた部下たちも長いものに巻かれるしかなかった。そうしなければ、自分が路頭に迷うのだから。

従業員とその家族、関連下請けを含めれば、恐らく一万人以上の生活に責任があると心配してきた。それが、社外に発している方針とは別の経営の基本方針だと、常日頃言ってきた。それが、私の誇りだと言ってきた、その人が、こんなことになってしまったのだから、残念でならない。

 

1981年倒産した会社の後を引き継ぎ、新日鉄化学などの支援を受けて、創業社長になった。倒産した会社の組合とかなり厳しいきわどい交渉をし、何とか、障害を無くして専業に集中できるようにした。

押出部門はもともと地道な利益を上げていたし、その部門の直属の部下たちは、私と同世代の人達で、皆さん、優秀だった。倒産した会社の時からその人たちを知っていた。大学の後輩もいた。その他、国立大学の工学部を卒業した連中が多かった。

私が独立したのが、1973年ごろ、静岡へ本社を移したのが1982年でした。その直後から、手違いがあって、間接的な取引が始まった。断面が小さい、塩ビ以外の製品の孫請けになった。30年以上前からの手伝いです。V0のPP丸棒3φ、5φで長さが50mmから2000mmまで、数ミリ刻みの種類があった。耐熱難燃N6黒のスパイラルチューブ、5φで肉厚は0.5mmでした。それも、長さが50mmから1000mmまであって、1mm刻みの種類があった・長さの公差が±2mmだから、1mm刻みの規格は変じゃないのと言っても、いうことを聞かない。

その他にも縦割れチューブやのノ字チューブでも原料がN6やPCでこなした。その成型技術を持っていなかったというより、自社に挑戦する迫力がある人材がいなかったので、私のことは、直ぐに、その創業社長に伝わった。それ以降は、何かと、お呼びがかかった、何とか工業会などは、私は出席したくなかったが、引っ張り出された。

 

ジャボンという木です。紙になります。

 

構想道路わきの枯れ草が燃えあがっています。多分、誰かがわざと火を付けたのだと思う。高速道路の両脇には焼いた跡が連続している。

反乱 クーデター 出張中

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(^_-)-☆良くある話

2012-09-13 22:31:38 | 人間

 1337  “風が吹けば桶屋が儲かる“ではないが、”後輩がカラオケへ行けば私が風邪をひく”先週の金曜日、前の会社の50歳くらいの後輩から相談があった、というより、頼まれた。“カラオケの女の子が、自分が、お腹が痛いから病院へ行きたい+母親が病気で病院へ連れてゆきたいから、3ジュタ(約2万5千円)を貸してくれと言ってきた。詳しいことを聞きたいが、私には、聞けないから、手伝ってほしい“そんなのは、ほっとけ、まともに聞く必要はない、他の日本人にも、同じようなことを言っているはずだから”と言ってやっても、本人、どうも、すっきりさせたいらしい、そして、納得できれば援助してやってもいいようなことを言う。そこで、私に彼女から電話させた。直接本人から聞いた話では、ラマダン前からお腹が痛くてラマダン中にバンドゥンの実家へ帰っていたが全然治らない、母親の病気も本当で、長く続いている。その治療費も稼がなければならないから、レバランが終わって、戻って来たという。“そんなに続いているなら、直ぐ、病院へ行こう、お腹の検査をしてもらうから、何も食べないで、3時間後(17:00)にシロアムの玄関で待っていてほしい、支払いは私がするから”そう言って電話を切った。

 

彼女が日本人の私を見つけてオオタか、と言いながら寄って来た。話があると言うので、駐車場の車の中で話を聞いた。“妊娠4カ月だと”切り出した。“父親は分かっていて、インドネシア人で、何度も電話で連絡を取ろうとしても、自分の責任ではないと言って、逃げてしまっている。住所や勤め先はわからない、お腹が痛いのは、病院へ行くお金が無いから、自分で降ろそうとして、ジャムーや薬草水を飲んでいるからで、全然聞きめがなく、4カ月になってしまった”続く。

 

世界一の汚染水の水量が五分に一位になって、汚染濃度が5倍になっているカリマラン川。

 

 MM2100に久しぶりに行ったら、カワサン ブルイカッ(保税地区)の金網塀がなくなっていた。スギティとホギーを遮断していた塀が取れ、そのずっと先の突き当たりになっていた塀もなくなっていた。広い一本道が何の障害もなく使えるようになって、非常に便利になったと思う。パラマウントベッドとハイモールドが一番遠く奥だったが、今は直ぐ近くになった。両者の先の塀がなくなれば、もっと便利になるのに、そこだけ残っているのは変だと思う。

 塀 嘘 内緒

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(^_-)-☆事情はいろいろ

2012-07-05 22:51:20 | 人間

  1267 今週末ラフレシアが見ごろと言ったって、近所の桜の満開予想ではないから、直ぐ行ってごらんと言うわけにはいかないよね。バリにいる人でも無理ですよね。ジャカルタからジョクジャカルタの間にいる人は運転手を使えば金曜日仕事が終わってからでも、行くことはできるでしょう。ゴルフの予定をキャンセルしなければなりませんが。

 

こういう話は初めての例ではないが、そう多くある話でもない。

私が良く出入りをしていたインドネシアの日系企業で、技術者で営業を主にやっていて、今の社長を支えていた人が、突然、日本の会社を辞めてしまった。当然、インドネシアからも居なくなってしまった。まだ、55歳くらいで海外の経験も豊富、しばらく日本の本社にいて、つい一年ほど前からインドネシアの子会社へ赴任してきて、当然、現社長に代わって社長になると見ていた。本人もそのつもりだったようだ。行く行くは本社の社長になるのではないかとも囁かれていた。従業員にはかなり信頼されていた。彼とはほんの半年前くらいから、たまに、挨拶するくらいだったが。印象は良く、周りの日本人からも、彼は次期社長だというような紹介をされていた。これから親しくなるかなと期待をしていた人物だったが、姿を消してしまった。

だから、詳しい事情を知る由もないが、見かけも若い、行動にもまだまだ余裕があるようだ。どこかで活躍の場を見つけてあるのでしょう。それと天秤を掛けて、その会社にいることがつらくなったのでしょう。活躍の場と言うのは、与えられることはまれだから、一般的には我慢するが、一部の仕事を出来る人は、自分で、切り開く方が自分らしいと考える。会社で必要な人と考えるなら、そういう時を与えてはいけないのですが、その会社は考える時を与えてしまったのでしょう。

多くの会社の上司や経営者(特に雇われ)は、自分が批判されることを過剰に嫌う。批判でなくても、自分の考えを主張する部下を嫌う。改善提案を奨励しるのはお決まりだが、自分にかかわることは嫌う。そして、そういう人を本能的に排除しようと画策する。第三者的に見ても、私の体験からしても、そういうところから、パワーハラスメントが発生する。そして、自分より有能な部下を排除して、自分の立場を守った人は多いと思う。思い当たる人は多いと思う。そうです。あなたです。本当は、自分が、身を引いたり、組織から逸れたりした方が、会社全体のために、良かったのですよ。

 

私も、サラリーマンになった時には、この会社で社長になってやるくらいの気持ちだった。入社して4年目、26歳の時には、サラリーマンは無理だと悟った。ほとんどの上司が、総合的にレベルが低いと思ってしまった。自分が大部分を稼いでいるのに、配分の大部分は彼らに渡ってしまうし、自分がやって出来ないのに、何故出来ないんだと、ガンガン言われるし、出来れば、できたと客先へ持って行くのはその人たちだし、納期遅れや品質でクレームが付けられれば、彼らでは言い訳できないので、私が、言い訳に行くことになるし。納期がひっ迫すれば残業、休日出勤、彼らは知らん顔。的の外れたことを言うだけ言うが、自分は先頭に立って出来ない。

そうです。あなたのことですよ。心当たりがあるでしょう。多くのサラリーマンは同じようになるか、我慢をするかのどちらかです。しかし、能力がある人は、別の方効、方法に走るのです。私のように、速い人もいる。50過ぎてからの人もいる。事情は様々です。

会社を興すのは難しくないですよ。簡単ですよ。

 

思い出として、部下が出来ないのは、私はその人の指導の仕方が問題だと思うのだが、ご本人“スキルの問題だよ”という上司がいた。高卒の連中、”スキル“って、なんだ?という顔をしている。”スキル、スキルだよ“と重ねていう。能力と言えばいいのにと思う。その人、多分、過去に、上司からしつこく言われた経験があるのでしょうね。だから、覚えたので、使いたいのでしょうね。ところで、そう言っているその人の”スキル“はどんな仕事をさせれば高いのでしょうか、思い当たらない。滑稽ですね。あなたのスキルはどこにあるのでしょうか。そうです、あなたのことです。

 

飲み水の新しいデザインのボトルです。3Lと5Lがあるそうです。15Lボトルから移して使います。コックが着いていて、持ち運びが出来るようになっています。ヲーターディスペンサーといい、日本ではあまり必要ないものですから、インドネシアの方が進んでいますね。

NOZOMI自動車です。バイクの後ろに荷台を付けた三輪車です。サンプルが展示してありますね。30万円くらいです。名前が良い。

退職 独立 遅くない

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(^_-)-☆何故か分かっていない

2012-06-26 22:02:09 | 人間

  1258 ワーキングビザのステッカーがパスポートに貼られているので、今日から、胸を張っても張らなくてもいいが、作業服を着て、どこの会社へも工場へも出入りすることが出来るようになった。挨拶をかねて、世間の様子を探りに三社を訪問した。いずれも、旧知のインドネシアの仲間達です。それぞれが、10年以上の企業戦士です。

インドネシアでの生活は総じて快適である。危険や不安を感じることが全くない。物価が安い。ということですが、気に入らないことも幾つかあり、馴染めないことも沢山ある。

ゴミだらけの環境を作るし、渋滞も作るし、洪水が起きやすい街を作っている。11日のジャカルタ市長選挙に向けての選挙運動が開始されたが、その立候補者が、口をそろえて現状だけを言っていることである。しかし、原因については誰もが言及していない。解消すると言っているが、原因を言わないのだから、方法も言えない。原因は何か、インドネシア人だからです。それをわかっていない。だから、この三悪は悪化する一方です。

笑ってしまうのは、バスレーンを作った時もそうだったが、その効果がないのに、バスレーンを増やしたことです。死亡事故は増やしたし、渋滞の解消どころか、渋滞を増している。そして、モノレールは遺跡のように足だけ残して邪魔だけをしている。また。モノレール作りを始めたのかと思ったら、今道の上に道を作っている。カサブランカとパサラヤブロックMの付近である。現在工事中は勿論、渋滞を増やしている。そして、完成して使えるようになっても、下道の渋滞は以前よりひどくなるでしょう。そして、下道に用事は無い、上道を走った車は上道から降りる手前から大渋滞になってしまうでしょう。要するに、渋滞の場所を移動する効果しかないことは明白です。何かもこの調子、根本的解決なならないことは、明白なのに、工事をする。面白いですね。原因は、インドネシア人がすることだからです。

 外国人に知恵を借りて、予算の使用も任せなければ、解決することは多いと思うが、それでは、インドネシア人ならではのコルプシが出来なくなるので、外国人に任せることはしない。

 

 話は、変わって、私が生活していて一番危険を感じていて、一番注意していることがある。それは、タイルです。たいへん危険です。日本人が住む高級住宅もインドネシア人が住む中の下クラスの家屋でも、床と壁は総タイル張りです。カマールマンディー(トイレ、風呂)もダプール(台所)も例外ではない。滑りやすい。濡れているのが見えない。固いから、ひっくり返ったら一大事になる。風呂場が最も危険、酔ってシャワーを使って、ひっくり返ったという話は、何十人から聞いたかわからない。蛇口やバスタブや洗顔シンクにどこかをぶっつけたり、つま先を、いやといほど何かにぶっつけたりした話もよく聞く。ゴルフのドタキャンの理由では一番多い。私も何度も転びそうになったことがある。絶対、急いで歩かない、足を上げないですり足で歩くようにしている。万が一、ひっくり返って、後頭部も打ってしまっては、シャレにならないからである。

 何故、森林大国が、田舎や貧乏な人は竹やバナナの葉などで家を作っているのに、都市部や中流階級になると。自分の家に材木を使わないでしょうか。明らかに、モスレムの影響です。中近東のマスレムのタイル建築文化に影響されているのです。住みご心地がいいはずがない。木造建築の方が遥かに住み心地はいいはずだし、暑さ凌ぎにも植物材料を使った方が効果的なことは明らかです。しかし、危険で汚れが付着しやすくて、割れやすいいし、落としたものが壊れやすい床にするのです。宗教の影響を考えなければ、理解が出来ない。ハンドホーンを落としてばらばらになったことは何度もある。輪ゴムで縛って落ちた時のクッションになるようにと、蓋やバッテリーが飛び散らないための対策です。

直接、タイルに寝転べば冷たくていいなどという話はとんでもない。汗が床にくっついて気持ちが悪いし、そこが滑りやすくなるし、固いから、寝心地が良いはずがない。日本の私の家の住み心地より良いことは一つもないのに、何故、当たり前のようにタイルばかりの家に住むのでしょうか。

 この花、どこの?何の花?

タイル 危険 インドネシア人

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(^_-)-☆ターニングポイント

2012-01-20 23:21:09 | 人間

1100 02:00頃 無言で病院からでた母親は、私に人生の三分の二以上に大きな影響を与えた人です。私はこの母親から生まれて良かったと、小学校のころから思っていた。勉強も運動も自分では余り努力をしたことはないが、ずっとどちらも平均点より上をいっているなという、自覚というか,自信というか、そういうものを持つことが出来た。  

こんな思い出がある。二つ年上の姉が小学校卒業の時に式で卒業生300人くらいの代表として答辞を読んだ。次の年の卒業式では在校生代表として私が送辞を読んだ。私が四年生の時、学校の先生が私の母親にお姉の送辞の原稿について頼みに来ていた。母親は文章というか、文句というか、そういうものを考えて作って、自分で巻き紙に筆で書いた。それを姉が呼んだのでした。次の年私が5年生の終り前にやはり、教頭が家へ来て母親に私が送辞を読むための準備を頼みに来た。それを私が読んだのでした。

Hari ini, kamis, 19 januari 2012. Terjadi demo buruh, sekarang jam 13.30 WIB sedang menuju kawasan MM2100.
Kawasan Jababeka sudah ramai, dan terjadi aksi sweeping ke perusahaan-perusahaan.
Kawasan EJIP sudah lumpuh tidak bisa beraktifitas.
Demo buruh kemungkinan akan besar pada hari jumat. 20 januari 2012.
工業団地MM2100を目指している。ジャバベカやイジップには既に入っている。20日はもっと大きくなるでしょう。先日書いた、最低賃金のアップ要求です。
軟硬質PVCプロファイルの金型が明日の10:00ごろ出来るので、受け取りに行き、セットして、試作をする準備をするが、事情があって、午後から会社を出て、私用をしなければならない、それが、火曜日24日まで続く。27日に出発なので25,26の両日で何とか物にしなければならない。完全に袋小路に追い詰められたような状態になってしまった。
困難の後には必ず解放感が待っている。人の世の常である。私が高校まで住んでいた家のトイレ(便所)にしゃがみ込むと壁の目の前に達筆な鉛筆書で“この世の中”と書いてあった。小学校の低学年の時からずっとトイレで大をする度に読まされていた。誰が書いたの?と何度も母に尋ねたが、私じゃないと、答えた。しかし、それは紛れもなく母が書いたものだったと確信している。

大往生 付き合い 家族

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(^_-)-☆機内描写

2011-12-20 22:21:42 | 人間

1069           寒い、夕方になって急激に冷え込んだ。寒さと戦う日々が始まった。静岡の家に昼過ぎに到着した。例によって、ガルーダの機内はガラガラ、私はいつものように32で一番後ろから二番目の座席に座った。前を見渡すと、20番辺りからこちら側に乗客は十人もいない。そこで、少し前の四人がけの方に移って肘掛を全部上げて、成田到着一時間半前に食事のために起こされるまで、熟睡することが出来た。

 そこで知ったことは、四人がけの一番後ろ30番の列は肘掛が上がらないことでした。慌てて、その席に座って、これで眠れると思って安心しても、いざ、寝ようと思ったら、肘かけが固定されていた。

 機内寸描、ブラケットというか毛布を綺麗にたたんで置くのは日本人、自分の機内持ち込みバッグに余裕が有れば、バッグに詰め込んで持って行ってしまうのはインドネシア人、ヘッドセットのコードを元通りに綺麗に巻いておこうとして、機内アナウスでコードは巻かないようにと言われてまた解くのは日本人、差し込みから抜きもせず、アテンダントに云われて始めて抜いて、そのまま渡すのがインドンネシア人、富士山が見えますとのアナウスで左の座席に移動して写真を取っているのはインドネシア人、私も、それに参加した。日本人は移動しない。私も、インドネシア人に近い。

 10番から15番の席には20人ほどの若い女性がいた。明らかにカラオケで働く目的で集団で斡旋されて来た子たちだ。彼女達の行き先は北関東方面だと聞いている。昔、バリの空港であった女性は日本から逃げてきてパスポートを待っていなかった。雇い主に取り上げられたのです。イミグレに駆けこんで強制帰国という手段を選んだのでした。お金を全く持っていなくて、彼女の友人の家まで空港から起こって行ったことがあった。

 

キャビンアテンダントの中に日本人が二人混じっている。一般的には日本人が彼女たちを頼りにするのは分かるが、私にとっては奇妙な感じがする。日本人は日本語で話しかけてくる、インドネシア人は英語で話しかけてくる。どちらに答えるにも私は何も考えないでインドネシア語で答えようとする。云いかけて、考えて、日本語と英語で答える。どちらも、インドネシア語で話しかけてくれよと思う。インドネシア人にインドネシア語で答えれば、その後同じインドネシア人ならインドネシア語で話しけてくる。そして、彼女が暇なときには話がはずむ場合もある。

 

 たまたま、残っていた18日の朝の新聞を見たら、鞠子(丸子)の宿のことが紹介されていた。

 ガラガラの機内。

 変換 特徴 人間性

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(^_-)-☆エゴ人には良薬なし

2011-09-05 12:09:58 | 人間

送り迎えは、終わった。9連休のうち、ゴルフは8日間、無事にプレーし続けることができた。大願成就のための苦行のようなものでした。04:00起きで、迎えに行き、帰りも、疲れているのに送った。流石に疲れた。筋肉痛も、しばらく、治らないだろう。まだまだ、元気に頑張れるということを確認しただけである。

 今回の送迎で、多くの時間と体力を使った。それは、自分から望んでやったことで、その人達に感謝してもらおうとも、恩を売るという意識も無い。自然に、やっていた事でした。こういう時、私が待つことが多いが、今回の人達は、待つことは無かった。約束の時間に約束の場所へ到着した時に、既に、その場所に来ていてくれた。私は待たせないために、約束よりすくなくとも、5分は早く到着していた。しかし、私が待つことは無かった。皆さんは、10分くらい早く、その場所に来ていてくれたのです。その人達の日本の自宅住所が、これが、不思議、静岡の柳町と服織?(ハトリ)、私の小学生時代の勢力範囲なのです。びっくりした。

ま、以上のことは、それでいいのですが、ちょっと古い話で、キタガワを手伝っていたとき、日本人の若者の技術指導をしていた。その若者、技術的な成長は平均より早かったのですが、自分は間違いをしないという自信が強すぎ、他人に、自分の主張を強く押し付ける傾向があった。日本人の集団の中で、競争相手や難しい上司がいない世界で、もまれることは無いので、我儘がドンドン、激しくなった。インドネシア人にドンドンきつく当たるようにあったし、客先や仕入れ先の日本人とも、もめることが多くなってきた。これは、この若者の将来にとって、このまま、インドネシアに居続けさせることはよくないと判断し、日本へ帰るように自分で希望を出すようにアドバイスした。それが、彼の怒りを買ってしまった。口には出さないが、その後、何かと、私の存在が胡散臭くなったのでしょう。私が何かを一緒にやろうと提案しても、拒否するようになった。

 

彼が技術も様々な知識も何もなかった時から三年間、ほとんど、無償で彼と一緒に行動し、私生活の補助もした。ゴルフやちょっとした旅や日本ではめったにできない大会社の工場見学など、彼が希望する場所に案内した。その間中、私が運転手も兼ねて、彼が待っている場所へ迎えに行き、送り届けもした。数など数え切れない。彼のために、必ず彼が待っているだろう場所に10分前には行っていた。待たせては悪いと思って、遅れるときには必ず電話をしていた。

ところが、彼は、先に書いたように、時間前にその場所にいてまっていることは無かった。必ず私がそこで待たされた。それも、なかなか来ないので、こちらから電話をすると、今行きますから、という、何分後とは言わない。それから、また暫く待つ、出てきて、お待たせしましたとか、御免なさいという、言葉はない、ただ、こんにちはとか、お早うという挨拶だけである。全く、私の気持ちを考えていない。只、自分のことを考えて行動する人間だ、と、評価するようになった。

彼のために、幾ら、時間とお金を使ったか、想像できないほどである。それでも、彼は私に対して、他の人間に行っているのと同じように、何か不満をもっていて、私には言いにくいので云わないで、他人に行っているなと、感じるようになった。人間はそういうものです。他人のことを、ああだ、こうだと、本人以外に言う人は、必ず、その言った人間に関しても、その他の人に悪口を言っているものです。

 

これを、前提にして、彼がインドネシアから日本へ引き揚げる数日前、従業員とともに送別会をやってやろうということになり、私が、彼を会場まで送ることになっていた。いつまで、経っても、彼は出てこない、そこで、人を待たせるなよ、失礼でしょ、電話で云ってやった。彼は、私が思ってもいないことで云い返した。「太田さんだって、私の家に食事を招待した時、来ないから電話したら、『御免、忘れてしまって、寝てしまった』と、云っていたでしょ、その言い方が、本当に謝っているという方ではなく、簡単に謝っていただけでしょ」と言われてしまった。私には心当たりが無い。いつのこと?「三年前だ、忘れたの?」と言われてしまった。謝り方が気に入らなかったというのです。全然覚えていない、本当だとしても、そんな深い恨みを持っているとは知らずに、その後でも、私は、彼をアチコチへ連れて行ったし、色々なことで、お金も私が出していた。技術も教えつづけた。彼は、私から大きな恩恵を受けているはずが、その間、ずーっと、そのことで私を悪く評価していないのです。そして、送別会の日に、私が、待っていることを知っていて、わざと、出てくるのを遅くして、私に仕返しをしたのです。

 

その何年間に何時間彼に待たされたか分からないのに、それを、恨み等とは全く、思っていないで、待ち続けたのに、最期の送別会まで、待ったのに、彼は私を恨んだのです。

 

小学校の時から、ずっと、私は多くの人を待ち続けた、遠足や修学旅行やその他の催しがあれば、私が旗をもって集合するたびにその場所へ早く行って、待っていた。何かと幹事をやること多くて、準備をし、皆さんを待つことが多かった。会社の経営でも、私が先頭になって引っ張っていたので、従業員を何かと、待った。技術指導においても、手本を見せて、やらせて、覚えてもらうのを待った。待たせるということ決してしなかったと意識していた。待たせることは記憶のある限り、しなかったし、待たせそうな時には必ず前もって連絡するようにしていた。それを感謝しろとは思ったことはないし、見返りを求めたことも無い。ただ、私はそういうことができる自分に自己満足しているのです。

 

私としては、かなりのショックでした。記憶にないことなので、なお、ショックでした。今でも、彼の妄想ではなかったのかと思っている。

多くのことを私から学び、多くの場所を訪問して見聞を広げたはずの彼が、私に“イタチの最後っ屁”のようなことをして、去って行ったのです。彼との数年間はいったいなんだったのしょうか。

その後は、エゴが平均以上だと感じた人には手伝いをすることはしなくなったと共に、エゴの人には、人間を改造するように勧めている。他人の手伝いができるような人になってほしいとアドバイスをしている。しかし、手伝いができるようになった人はいない。

こういう彼も、今、40才を超えているはず、今どこで、何をしているか知らないが、こういう人は、奥さんや子供と上手くいっていないはずです。奥さんや子供が可哀そうです。会社の同僚とも上手くいかないし、後輩連中からも、敬遠されたでしょう。最悪の場合、会社も止めてしまっていて、奥さんは子供を連れて、実家に帰ってしまっているはずです。当たっていないと良いですね。多分、当たっているでしょう。

 

こういう人は彼だけでなく、世界中に大勢いる。

ランの一種とキノコの一種

Domestic Violence 我儘 Power Harassment

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(^_-)-☆元気で長生きの秘訣

2011-08-25 22:41:32 | 人間

出国時にイミグレでなんだかんだとTHRを要求される頻度が多いのはこの時期です。注意をしようが無い、思いがけない、心当たりのないことで、なんだかんだと言われて、一万円と言われて払った例はよく聞く。とにかく払って、その場から離れたいという心理が働くのです。運が悪いと思うしかない。入国時も他の時よりお金を要求されたり、アルコール類を没収されたりする確率が高くなるのはやむ負えない。その点、ガルーダなら機内で女性職員が入国の印を押してくれるので、若干、手間やリスクが少なくなる。

 

昨日は、私が同席すると、私に気を使うだろうとを感じたので、私は、皆さんが食事を取る時、同席しない。ということで、昨日はビップと会うことは無かった。それでいいと思う。日本人の皆さんは、大変だと思う。着任早々の人ほど、その雰囲気を掴んでいないので、突然起こる出来事に戸惑うことでしょう。

 

  元気印の78才のある会社の社長さんが、インドネシアで精力的に活動している。そんなに親しくないが、たまにゴルフで一緒になる。

自分で興した会社の社長を息子さんに任せ、自身はインドネシアの子会社の社長になって、こちらの生活もエンジョイしながら仕事もしている状態です。私は、ゴルフの付き合いしかないが、体の具合が悪いとかどこが痛いなどと言うことは本人から聞いたことが無い。聞くことは、ゴルフが上手にならない、ということだけだ。まだまだ、腕を上げたいと思っている。私なんか、とっくに、あきらめているのに。

 その人、大変我儘、他人に対して遠慮をしない。そうしたいと思ったことは、周りの人がどう思うかなどとは気にしない。自分のタバコが、切れてしまうと、その場の他の人のタバコを、頂戴と言って、ドンドン吸う、そして、このタバコ、ちょっと、好みじゃないねと言う。それでも、何本も吸う。ウェートレスに頼めば売ってくれるのに、買わない。

 この間は、何日にゴルフをしたいから入れてよ、と、私に頼む、今、四人で一杯だから、入らないよ、ト、言っても、「やりたいから、入れてよ、何とかなるでしょ」という。答えに渋っていると、「とにかく、その日は行くからね、何とかしてよ」という。しょうがないから、「二三日待ってください、誰かもう一人探しますから、」と答えた。しかし、それも聞かないで。「とにかく、行くからね」の一点張り。

 「そう、四人なの?それなら、自分が参加じゃ、迷惑だね、でも、もう一人、私が探して、6人になるようにすれば、問題なくできるね」とは言わない。私に、もう一人を何とかしろと言っているのです。「探すことができなければ、キャデマスターにはいってもらって、6人にすることも出来ますが」と言うと、「その人にチップを渡すの?渡すなら、割り勘にしようよ」という。開いた口がふさがらない。「割り込むあなたが払いなさいよ、社長さんなんでしょ、そんなことでけちってどうするのよ」と、言いたかったが、言えない。

 結果は、どうだったかと言うと、参加していただける方を見つけることが出来て、6人2フライトで出来ることになった。その話は、この間の日曜日のことで、その人が「入るぞ、」という日は27日のことです。直前でも我儘を云うのだから、元気で長生きの秘訣かなと思う。「この我儘爺」と、私だけでなく、周囲の人は言うが、付き合いは深くないが続いている。

 私には、その人のような生き方はできない。

長生き 元気 気使い

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(^_-)-☆臆病とパニック

2011-07-19 22:15:35 | 人間

早速、PT.NANBUへ出社、一か月足らずのご無沙汰なので、あまり、違和感がないし、自然でした。こちらが知らない事務所の従業員が何人かいて、この人、変になれなれしいが、どこの誰だ、という顔をしていた。面白い。
なんとか、装置の増強をしてやりたいと思っているので、その根回しをしようとしている。
女性用のトイレは覗いたことが無いからしらないが、男用のトイレを借りた時に、何?これと思ったら、CCTV(監視カメラ)がセットしてあった。200人くらいのインドネシア人を使っている会社ですが、工場内のアチコチにセットされていて、ざっと数えただけで30以上、工場の外側に10台以上、事務所内に3台、ミーティングルームにも最低1台ずつ、自分がいる部屋には個室になっていて、そこにはない。その代わり監視カメラのモニターが三台並んでいて、昼間三人の女性がそのモニターと睨めっこで早回しを、全部のカメラの24時間分をチェックしている。ちょっとでも、気になったことは、時間とカメラ番をメモしている。それを毎日家に持って行ってみる。そういう会社が現実にある。
その会社の経営者は、話し方は、超丁寧、腰が低い。本社の上司と話をするときには、従業員、部下を、褒めまくる、こんなによくやってくれていると。
ことろが、彼の運転手は3カ月と続かない。彼が首にしてしまうか、運転所の方から逃げてしまうかの両方です。三年で、15人だそうです。
ある日、朝、工場の前を、窓を開けて通っていた時、通路を隔てた工場の中から大声で怒鳴っている声が聞こえてきた。何かの置き方が悪いと怒鳴っていた。完全にプッツンしている怒鳴り方。そういう人だったのかと知った。
相手によって、態度が全くの逆。従業員は全員が恐れおののいているが、いられない人は辞めるしかない。
昔、組合が出来て、色々要求をしたが、認められず、上部団体へ加入し、応援を求めたが、その経営者、その上部団体に資金を渡し、逆に、誰が応援を求めたか聞きだし、彼らを日本の本社へ研修名目で送りだしてしまった。送りだされた従業員は、逆に大喜びで日本へ行ったという。二年後帰ってきて一週間もしない内に会社を辞めてしまったとか。ある程度の金が溜まって、満足、こんな会社にいても仕方がないというわけだった。インドネシア人公務員も顔負けなやり方で不満分子を追い払った。
いま、また、不満分子が台頭してきていて、上部団体も彼らの応援にきているらしい。親会社は今は無いと同然な状態になっているので、研修生受け入れる状態ではない。さて、どうするのでしょうか。

その人、いろいろあって、前妻に子供二人と共に逃げ出され、その上、生活費と養育費を請求され、現妻と二重結婚で訴えられた。5年くらい前の事らしい。今、決着がついているのでしょうか。そこまでは知らない。裁判中、かなりの金額を裁判員に支払ったと本人が他の人に漏らしていたと、私に伝わってきている。そんなに払うなら、訴えられる前に、前妻側に払った方が良かったと思うのに。その金の効果があったのかどうかも知らない。
監視カメラも、彼が従業員を信じていない表れだが、彼の態度に対して、従業員の反応を心配しているのです。だから、本人が一番、自分がヒドイことを云っているし、威圧的な態度をしているということを承知しているのです。臆病者でパニックになるのです。

この人に似たような人は、知っている経営者や夫の中に何人かいます。エゴイストで臆病者です。しかし、外部にはなかなか知られない。ドメスティックバイオレンスの会社版と家庭版です。会社版の人は家庭版も併発している。
日本とインドネシアの道路事情の違い。
DV 臆病 エゴイスト

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(^_-)-☆投げだせない責任感

2011-06-10 22:54:00 | 人間

誰の責任かって?少なくとも現地のこの社長さんの責任ではない。しかし、現地の社長さんが皆さんの尻を拭いてまわらなければ、事は収まらない。人によって事情を知らない人はその社長さんの無知が原因だというかもしれない。それにも、ひたすら、耐えなければならない。

この社長さん物作りに関しては全くの素人、経理や総務の専門家でもない。要するに経営者なのです。そういう専門家の人達を総合判断によりながら、うまく使って行くのです。全てのことに関して知っている人ということも出来るかもしれない。様々な業界の経営者の仕事を海外で20年以上やっている人です。会社の立ち上げも色々な外国で経験がある人です。こんな人も世に中には居るんだと思わされた人です。

それに比べ、私は、会社の社長をやったことはあるが、経営者をしたことが無い。技術者としてひたすら物作りをしただけです。人やお金のことを考える必要が無かった。給料はばら撒いたし、儲かる仕事は製品を作っていれば、評判だけで注文が来た。やりくりはしなかったし、営業もしなかった。社長をやめて、技術者として、日系企業に技術を提供したり、インドネシア人に技術を教えているだけなので、経営の苦労は知らない。

この方はサラリーマン経営者ではなく、経営請負人です。財産はある程度蓄えたし、年齢も60半ばを過ぎたし、仕事にへばりついて何とか問題が無いように余計なことをしないで、期間を過ぎることだけを考える、そういう必要もない。ですから、気にくわないことが頂点に達すればいつでも放り出すことはできるのです。その会社の社員が人数だけは幾らでも居るのですから、投げ出せば当然直ぐ誰かが取って代わるのですから、自分が放り出した後のことを心配する必要など何もないのです。それでも、義務感の強い社長さん、契約がまだ残っているので、途中で放り出すことはできない。満期まで勤めるつもりでいるが、日本での会議のメンバーになっていても、体調が悪いからと言って、出席を拒否すると、ささやかな、抵抗姿勢を見せていた。

 

社内で、その人の気持ちの話を出来る人がいないし、社外の人に軽々に話してしまうわけにもいかない。他に発散する人がいないので、私に話をするしかないのです。

 

私はなぜか、そういう対象になりやすい人らしい。経験は豊富で色々な事情を知っている、冷静さを失って、頭に来てしまうことも無い。女性、酒、タバコはやらない。ブログを毎日書いているが、そういうたぐいの人が私に話をしたことを、批判的に特定して書いたことはない。女性から見ても、そうだが、男性の友人たちからも、人畜無害人間と見られていることも確かだと思う。もっとも、話をする前に、ブログにまともに書かないでくださいと、念を押されることが多い。それほど、公にはできない、封印してあって、どうしても誰かにぶちまけたい悩みや墳慨があるのです。一代で急成長させた会社の商品で手伝いをしていましたが、それらの創業者社長さんからも、悩み事を打ち明ける対象人物にされています。日本に帰った時、訪問すると、必ず昼食を挟んで数時間以上話しこみます。実をいうと私は嫌ないのです。だから、なるほど、そうですかと、聞いているだけで、私の方から、ああしたらいいとか、こうしたらいいじゃないですか、というよなことは一切言わない。求められれば、言いますが。

それらの社員曰く、太田さんの様に長く時間を取る客はいないと。一体何を話すことがあるのですかと。普通は、長くて30分、サッサと次の客と交代だそうです。そりゃそうだ、忙しい人だから、一般的には分刻みのスケジュールになっているはずである。

だから、多くの経営者の方々から、私は書いてはいけない内容の話を沢山聞いています。これ等のことは、公開しない文章として保存をしてある。

非公開 容量 はけ口

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(^_-)-☆特異な?日本人

2011-05-23 23:40:42 | 人間

今どき海外で仕事をしている人は特別ではないし、これからも、どんどん増えるでしょう。しかし、自分から望んで、となると、ちょっと特殊になる。おそらく、海外で仕事をしている日本人の大部分は辞令によって日本から出た人たちでしょう。私のように望んで、海外で仕事をしているのは、特殊な日本人の一人に入るかもしれない。ただし、こういう人もそう珍しくない。

その私が、考えさせられた人がいた。その風テンの寅さん、といっても、かなり紳士に見えるし、どうみても、どこかの会社のトップに近く見える。その人と、最期のゴルフを一緒にさせてもらった。間もなくタイへ行ってしまう。バンコクかチェンマイに三カ月ほど滞在して、その後のことはまだ、決めていない。滞在ビザの期間のことで分からないところがあるので、どのくらいの期間滞在するかは、入国してみないと分からないらしい。彼は、早稲田の理工を出身、団塊の世代の真っただ中の人、その時代にこの学歴は相当の秀才である。国立では東大の理一、私立では早稲田の理工と云われていた時代です。学園紛争のピーク時でもあった。卒業後大手ゼネコンに入社、海外の建設現場の監督を長期でやっていた。日本の援助資金で学校や病院の建設に係わることが多かったという。

それが、50才を過ぎたころ、15年ほど前から、退社して、しがらみから離れて、海外のあちこちに移動しはじめた。日本へ寄ることはないそうです。海外から海外へといどうしている。資金は、海外勤務の時の給料と今は年金も追加されているので、悠々たるものらしい。シティーバンクに預金をしてあるので、世界中どこでも自由に引き出せる状態になっている。航空券も賢く格安を手に入れることが出来るし、宿も安宿で十分、順応できるので、困ることは何もないそうで、ネットも今は日本より遥かにWiFi、ワイヤレスランが発達しているので、どこでも只でアクセスできるという。各地の情報を収集したり、何かを予約したりするのももっぱらネットで済ましてしまうそうです。この順応性というか、融通性というか、余裕たっぷりである。

インドネシアの旅をしていて旅先でこういう日本人に会ったことはないし、こういう日本人がいたという話も聞いたことが無い。しかし、いることはいる、と、分かった。

こういうことが出来るということがすごいと思う。色々な原因、理由があって、私には同じ様にはできない。出来てもしない。そして、こうしたいとも思わないし、羨ましいとも思わない。人それぞれに生き方の状態に思いがある。生き方の問題です。だから、「できる」と「する」は次元が違う。

アラックを作る原料になる椰子の木のような実、と、椰子の木の二種類

風テン できる 別れ

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