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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆竜宮城へ 

2014-04-19 22:54:21 | 旅行

1919 イースター、本日から三連休、久しぶりにパンガンダランにいる。前回は何時だったか覚えていない。知る必要はない。今回はチャガールアラムに一度入ってブンガ バンカイ(ラフレシア パトゥマ)を捜そうと思うが、その他の事では、あまり行動しないで、ゆっくり、浜辺でのんびりしようと思う。

 

5時半に家から出た、チカラン バラットからジャラン トールに入った。いきなり渋滞、ガソリンが少ししか残っていない、このまま渋滞の中にいては持つかどうか心配だし、途中のテンパットゥ イステラハッのガソリンスタンドの大渋滞だろうから、時間の無駄になると思い、デルタマスで下りてしまった。何と此処まで40分掛かった。ガソリンを入れて、直ぐ、ジャラン トールに戻っても、同じ渋滞の中に戻るだけでは、芸がない、何時間か後なら渋滞も解消しているかもしれないと、読んで、一先ず、まだ、仕事をしているはずの会社へ行ってみることにした。昨晩の製品を確認し、来週はシフトなし、などと話をした。

 

8時に会社から出発しなおした。無駄な読みだった。デルタマスからもまだ大渋滞、Sepangjang jalanスパンジャン ジャラン、全行程、芋虫運転、一度も休憩ない、車から降りなかった。何と、パンガンダランに到着したのが17;35でした。西海岸のサンセットもセットした後だった。

 

いつも泊まるホテル、フルだという。こんな事今までなかったのに。ちょっと高いがポンドック ダウンに潜り込んだ。ヘアーサロンへ行って、髪の毛を染め、部屋に落ち着いたのが、19:30Capekdehチャペッデー、疲れた~~、

 

タシクマラヤに入ったというゲートをくぐって、しばらく、行くと、此処に差し掛かる、真っすぐ行くとタシクマラヤの北側を通過して、チアミスに至る、その向こうがバンジャール、パンガンダランだ、真っすぐ行けばジャクジャにも行ける。ここを左に入ると、直ぐに右に曲がり、真っ直ぐの道の下をくぐって、対向車線と一つの道になり、タシクマラヤの中心に至る。右はタシクマラヤの町の方から来た車です。

 

それでもバンジャールからはパンガンダランに向かうバスや車は多かったが、渋滞は無くなっていた。雨季が終わりだが、道の凸凹は、雨季の足跡、チカランの酷いが、バンジャールまでは、予想通り、酷い凸凹続きだった。ところが、バンジャール、バンジャツ サリからパンガンダランまでは、昨年の暮れあたりに舗装しなおしが終わったのでしょう。凸凹なしの完璧な状態だった、それと、舗装幅が広げられていて、大型バスやトラックが片側の車輪を落とさなくても。すれ違えるようになっていた、追い越しも片輪を落とさなくても出来る。なんで、最初からこうしないのだろうか、と、思う。

 

その舗装が、続く両側は、広大な水田地帯である。雨水が引いていない水田が多かったが、収穫をしている田圃もあった。来るたびに普通の風景だが、写真を撮りたくなる懐かしい光景。

 

それにしてもマー君凄いですね。甲子園でハンカチ王子と騒がれた人の引き立て役をしていて、ほとんど、話題にされなかった若者が、今、世界の大舞台で注目を浴びている、片や、ほとんど使い物にならない状態らしい、人間、人生いつどうなるかわからないが、二人の極端な状況を見ると、人の評価などは当てにならないものだと思う。何年後かには、また、別の舞台で、注目度や評価が逆転しているかもしれない。

 

ま、とにかく、普通なら7時間半で着くのに、今回は9時間半掛かった。2時間半はキツイ、右足がつって、アクセルを踏むのに、相当意識をしなければならない、左足、左手は坂道の発進で半クラッチやサイドブレーキ発進を頻繁に使わざるを得ない。半クラッチやサイドブレーキ発進、って、何?と、日本の若者には、いわれるかも知れませんね。インドネシアでは、まだ、マニュアル車が主で、オートマチックは高い。私も安いマニュアル車を使っている。

渋滞 疲れ 人出 

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(^_-)-☆思い以上

2013-07-28 22:41:51 | 旅行

 1654 また、また、パンガンダランです。26日、22時に出発、5時に到着、少しだけ眠って、7時にヌサカンバンガンへ出発、12時に西海岸へ戻り、13時にチャガールアラムに入った。18:00一寸前に出てきて、東海岸を散策し、パサールイカンでブカ プアサのインドネシア人と食事、19:30ホテルに入った。直ぐにマッサージに来てもらい21:00まで、その間に、小さいウダンゴレン(小エビのてんぷら)50袋を届けてもらった。

ヌサカンバンガンでは例によって、到着する前に漁師から船上取引で何匹かのロブスターを仕入れて、クピティン(カニ)と魚をもらい、海岸で火をおこし、焼いて食べた。ナシ レマック(Nasu Lemat)炊いている間に一泳ぎ、ここまでは、いつもの通り、帰りがいつもと違っていた。というのは、今日のボートの持ち主、操縦者は、ロブスターの漁師だとか、大岩に接近するのが、得意らしい、腕の見せ所とでも思ったのでしょうか、半島の周りに、点在している大岩に近付き、迫力を見せようとしてくれた。今まで何十回も同じコースを通ってヌサカンバンガンから西海岸へ戻っているが、いつも遠くを迂回するので、私は不満だった。もっと、岸壁に近いところを通過してほしいと思っていた。今日はそれがかなえられた以上に、近づきすぎじゃないかと思ったくらいだった。おかげで、かなり迫力がある写真が撮れたと思う。操縦者が帰りは東海岸ではなく、西海岸にしょうと提案したのは、この為だったんだ。その腕を見せたかったんだと、納得した。

 

チャガールアラムに入った。客が居ないので、入場券を売る場所に人が居ない、払わずに入れた。それはどうでもいいが、道が悪い、大雨続きだったとか、ここも、ジャカルタ方面と同じで、乾季のはずが、一向に晴れないらしい。昨日も一日中、雨が降っていたとか、今日もヌサカンバンガンへ行く途中、舟の中で大雨に見舞われ、一時はどうなってしまうかと心配したくらいの洋上での大雨だった。ジャングルの道は、土のジュースのよう、ぬかるみもいいところ、非常に滑りやすかったし、足が埋まりそうだったりした。いつもはそう流れていない、沢の水も豊富で、連れの若者二人は、その中を、靴のまま入って歩いてしまっていた。小岩の上を選んで歩くことなど出来ない状態だった。そんな状態で、雨が降り続いていたことと、ガイド連中の情報から、完全にラフレシアに会えることを諦めて、ジャングルに入ったのでした。また、時間を置いて、二組の外国人(ポーランドとチェコ)ツーリストと一緒のガイドとすれ違った時に、やはり、ラフレシアには会えなかったと言われた。

 

ところがどうでしょう。思いがけず、咲いていたラフレシアを発見した。歩いていた場所から10mくらい離れた、5mくらい上の方に在った。匂いもなかったし、保護色をしていて見えにくいから、通ったはずの人々の目に入らなかったのでしょう。全く期待していなかっただけに、大満足だった。もうそれでよかった、充分だった。

 

今回は、先ほど、海の沖を通った時に、Curug Pananjung(パナンジュン滝)の水量が雨季の時より豊富だということを確認していたので、滝壺まで降りてみた。流石の迫力だった。ここでも、大満足。そこで一休み、滝の上に出て、ちょっとまた、一休み、後は、チャガールアラムの外に出るだけだった。そのつもりで、ひたすら、滑って転ばないように足元ばかり見て歩いていたら、いきなり、道のすぐわきの目の高さ辺りの斜面に開き始めたばかりのラフレシアが有った。蕾の大きさで垂直に花弁が立っていた。直径15Cm程度。一か所、直ぐ横の木が邪魔で開くことができない状態だった。勿論、花弁の先端は丸まっていない。

 

これは、大ラッキー、開き始めて数時間~10時間だと思う、こんな状態の花に出会えるのは非常に珍しい、私は多分、三度目だと思う。感激して、夢中になって写真を撮っていたが、この時、すってんころりん、足を滑らし、その上、棘がある蔓を掴んでしまったので、ちょっとした怪我をしてしまった。もう、今は、何でもないが。

 

大満足しながら、東海岸側にでて、ブカ プアサまでちょっと時間が有ったので、Goa Panggung (舞台洞穴)に入ってみた。ここの様子も、充分堪能できたと思う。

 

今日の連れは、8月いっぱいで、インドネシアの会社を辞め(日本の会社も退職)オーストラリアの大学院の様な所に留学する男性とその女友達だった。二人とも20歳半ばだ。かなりの強行軍だったが、彼らは勿論、パンガンダランは初めて、私からの紹介や今まで行ったことのある人たちの情報から、是非、インドネシアからさる前に連れて行ってほしいと言われていた。彼の希望をかなえる格好で、連れてきた。本当に良かったと思う。色々な体験ができたとおもう。

 

こんなに人が居ない西海岸も始めてだ。プアサ期間中に来たのは初めてだった。一週間後の連休にはこの海岸は、砂浜が見えなくなるほど、人ひと人で埋め尽くされることでしょう。

エクスペリエンス プンガラマン ケイケン

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(^_-)-☆日本人を観察

2013-07-23 22:18:28 | 旅行

 1649 行きの飛行機に明らかに日本人の男女二人、四人組が乗っていた。彼らは、前の方の席で、最後に乗ってきた、それは当然として、降りる時は、ほとんどの人が降りてから、席を立ったようだった。10の席に座っていた私も早い方ではなかったがそれでも、残っていたのは三分の一程度だったと思う。

帰りの飛行機に私のほかに日本人が色々な形態で載っていた。それぞれ、違った事情の人たちです。一組は日本人男性とインドネシア人の奥さんと女の子の家族連れ、仲がよさそう、幸せそう。二組目は、日本からの恋人、べたべたひっついて、今、神聖なラマダン期間中などということは全く知らないのでしょう。ここは日本じゃないぞ、少しは離れているよ、いい加減にしろよ、と言いたくなるカップルだった。三組目は多分、大学生の友人同士三人組、真面目そう、待っている間、じっとしている、単行本を三人とも呼んでいる。イヤーホーン付けている。

見回せば、お互いに日本人だと直ぐに分かるはずだが、無関係の日本人同士、接触する様子は全くない、私は、ちょっと、話しかけてみたい気もあったが、あまり、意味が無いと思って、話しかけなかった。

日本人、だなと思うこと、インドネシア人の中に紛れ込まないというか、ペースが違う。私もそうだったが、搭乗のアナウンスがあっても、直ぐに立ち上がらない。何故、インドネシア人は直ぐに全員が立ち上がって搭乗口の群がるのでしょうか、どうせ、そこで、しばし、使えるに決まっているのに、である。ほとんどのインドネシア人が居なくなってから、その列の後に着いた。降りる時も同じ、皆さんがほとんど降りた後に席を立った。日本人とインドネシア人だからそうなったのでしょうが、全員が日本人だったら、多分、群がって殺到することなく、皆さんの様子を見ながら、ゆっくり、列に付くだろうと思う、こういう様子を見ると、どんな形態の日本人でも、共通点は在るなともう。私の動きが一番早いので、飛行機から降りた後、皆さん、どこ絵どう散ったのか知らない。

 

何人かの日本人を見かけたが、多分一番年上が家族ずれの男性、40歳くらいか、平均は39歳にもなっていないと思う。私はすこぶるつきの年寄りである。旅行社がツアーを企画するほど、ポピュラーではないので、まだ、日本人は少ない、年寄りが纏まってでも、一人でも来る可能性はほとんどない。バリと大きく違うところで、バリより、魅力的な場所だと私は思う。魅力の質が違うと思う。バリへ行く日本人の若者とブリトゥンに来る若者とは質が違う。服装も違う。ヘアースタイルも違うと思う。

 

もう一つ、この島の産業を紹介しておく、鉛の露天掘りです。島の東西を通っている道の両側は白みがかった灰色の小高い山が不規則に続いている。低い場所に水がたまり、見事な黄緑色をしている。全てが鉛の露天掘りをした鉛を撮り出した残りの土の山です。ガイドいわく、この島は今に傾いて沈んでしまう。TimahとはZinc Leadのことです。バンカ島の錫や亜鉛といい、ビンタン島辺りのボーキサイト(アルミニューム)などインドネシアは鉱物の埋蔵量が非常に多い。

自然 鉱物 展示場

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(^_-)-☆お勧めミニ旅

2013-07-22 22:38:54 | 旅行

 1648 シンガポールは人工的な芸術都市、ブリトゥンは自然が作った芸術村。この対照的な場所は直ぐ近くにある。ジャカルタからシンガポールへ行く飛行機からパラシュートで降りる事が出来るなら、それでも行けそうな場所にある。

 

近年、ラスカル プランギの影響で、観光的に注目され、それなりの施設も急ピッチで整えられ、外国からの訪問者も受け入れられるようになってきている。私が乗ったスリウイジャヤにも日本人若者が数人のグループで載ってきていた。インドネシアに住んでいる人たちではなく、日本から来ているように見えた。ガイドに聞くと、日本人、韓国人、オーストラリア、カナダなどからの訪問者が増えているという。日本人が一番、やさしいと、言っていた。お世辞とは思えない。私のウェブサイトの影響も一寸あるかもしれない。

とにかく、ジャカルタから近い、一泊二日で充分、もっと滞在ならもっと満足できるでしょう。パンガンダランにはそう簡単に行けないが、プラウスリブへ行くより、ここの方が遥かに、癒しの世界に入ることができると思う。勿論、釣りやダイビングやシュノーケリングのスポットも沢山あり、プラウスリブへの目的ももっと満足できる環境だと思う。ところで、今日の行動だが、午後三時前には空港に着いていなければならないので、取りあえず東海岸へ行ってみて、見どころがあるかを確認しに行く、(前回は東海岸へは行かなかった)しかし、海岸はいくつかあるが、石や岩の幻術がない、三か所の広大な海岸があるが、見るべきものはなかった。海水浴をするのにはいい。10時頃にはラスカル プランギの作者、アンドレア ヒラタの子供のころ住んでいた家、今は、博物館(ムシウム)になっている、ところへ寄った。10カ国以上の言葉に翻訳してその国々で出版されていることを強調していた。残念ながら、日本語訳はないようだ。ヒラタというからには、親や祖父母などが日本人ではないのか、そこにいる人に聞いてみたが、知らないと言われてしまった。

誰が書いて渡したのか「広田」と筆で書いた小掛け軸が直ぐ目につくところに掲げられていた。これは間違いだよ、「平田」が正しいと、書いておいてきたが、多分無視されるでしょうね。確認するつもりもない。

 

Tanjung tinggiの隣の湾。時間が大分余ってしまったので、昨日行ったパンタイ タンジュン ティンギ辺りへもう一度行ってみることにした。昨日、何の撮影か知らないし、有名タレントでもなかったが、近づけなかった海岸へ行ってみた。ここも、海の色が何とも言えない、癒しの色をしている。

 

Tnajung tinngiに掲げられている新しいラスカル プランギの撮影場所だよと書いてある看板。

 

内陸部にある分校、撮影に使われて、その後 そのままの状態で放置されている。かなり、くたびれている。以前、行ったときに訪れた校舎は、実際には使われなかった予備校舎だったそうだ。

平田 小説 癒し

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(^_-)-☆岩の芸術島

2013-07-21 22:40:04 | 旅行

 1647 イミグレで長蛇の列、まいった。シンガポールから着いたのが23:00前、空港の建物から出たのが23:40を過ぎていた。窓口が開いていない場所もある。インドネシア人の為が3とキタスホルダー1が昔からあるカウンターにあるだけで、他は、途中の両側になっている。お金を払うカウンターは一か所しかなく、外国人用のイミグレカウンターが6あるが、先ほどは4しか開いていない。大混雑だった。キタスホルダーのカウンターはガラガラ、そっちでいいじゃないか、といっても、係員はこの行列の後ろにつけの一点張り、係員の手際の悪さ、わざと遅くしているのじゃないかと思いたくなる上に、こんなに混雑していても、開いていないカウンターを開こうともしない。

 

これでは、ガルーダの機内での入国可能は魅力があるはずだ。ただし、私の場合はキタスを入手するのでこの行列に加わらなくてもよい。また、日本からならガルーダしか使わないので短期入国でも問題ない。

 

車の宿泊場所に駐車し、ターミナルの小じんまりしたワルンでパンとポカリの食事をし、車の中で寝たのが、1:15で、目覚ましで起こされたのが、04:30、06;20発のスリウイジャヤでブリトゥンへ。着くなり、外のインフォメーションで、運転手付きのレンタカーを手に入れた。そのまま、ホテルにチェックインした。グランド ハキタ(GRAND HAKITA)一年前にオープンしたばかりで、まだ、十分綺麗で設備は整っている、日本人の団体さんでも、満足できそうだ。ブリトゥン初の4星(ビンタン ウンパッ)だそうだ、一泊7500円でちょっと高いが、バスタブに浸かれるのでここにした。

 

8;00にはホテルから出発、岩の観光に出かけた。以前行ったことがある場所が主体だが、今日のガイド(運転手)とぼけた顔をしていて、頼りなさそう、Pantai Tanjung Kelayangに最初に連れて行かれ、ここから、島めぐりをした方がいい、という。直ぐに、友人だと思うが、舟の所有者が来て、9時から15時くらいまで島めぐりをして50万Rpだという、交渉の結果45万Rpになった。この運転手、ほとんど運転しないで、料金(空港で1日55万Rpと決めてあった)をせしめるつもりか、要領がいいやつだなと思った。ところが、彼、とぼけた顔をして、一緒に船に乗ってきていた。説明を熱心にするし、いくつかの島へ上陸したときに、こっちへ来いと言って私を誘う、行ってみると、見事な岩の芸術やウミガメの保護を保護している施設だった、また、Tanjung Tinggiの後、時間が空いてしまったので、どこか、魅力的な場所に連れとつぶやいたら、往復約2時間半で南の端の

 

Tanjung Kirasまで連れて行ってくれた、ここは前回行っていなかったが、高さというより大きさで、他の海岸にはないものだった。

 

Pantai Tanjung Tinggiはラスカル プランギの撮影で象徴される場所だ、以前いなかった、ここが撮影の場所でしたという、まあたらいい看板が目立っていた。そこで、ガイドが岩を両腕で持ち上げて、というので、私は指で持ち上げて見せた。

 

Pelau Kepayangの上陸地点の島の反対側にある施設。ウミガメ(kura-kuraではなくpenyuといいます)生まれて三日ほどだそうです。この海岸に海残された卵を集めて、無事、孵るようにし、ある程度、育ったら海に離すのだそうだ。

 

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0075.html

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00092.html

1週間以内にはウェブサイトの旅行記や写真集をアップしますが、前回の案内を参考にしていただくと良いと思います。とにかく、一昨日、チカラン昨日はシンガポール、今日はブリトゥン、同じ人間とは信じられない。

 芸術 神の技 海岸

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(^_-)-☆大分気になる

2013-06-29 23:04:53 | 旅行

 1625 今、どこにいるかというと、バリのホテル、レ、メリディアンにいると言いたいが、パン パシピックに変わっていた。空港のタクシー運ちゃんにレ、メリディアンと頼んだら、ジンバランかタナロットかと聞かれた。タナロットと答えたら30万Rpだと言った。着いてみたらパンパシフィックだった。

何故、ここかというと、日本からの人生の先輩の方が、バリへ観光で来ていて、この機会に一緒にゴルフをしようということと、気分転換である。バリは何回目だろうか、何年振りだろうか、あまり興味が無いが、お付き合いで来ることが多い。

16:00に会社から出発、大渋滞、ハラハラ、ドキドキ、3時間掛かって空港へ着いた。余裕を見て出発して正解だった。ジャカルタ発、20:10、ガルーダでバリタイム23:20ウングラライ着、ニルアナゴルフとセットになっているこのホテルに到着したのは、29日01:00前でした。往復航空券、二泊費、ゴルフ一回、パケットで6万7千円くらいです。高いのか安いのか分からない。日曜の夜にはチカランへ戻る。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0302.html

10年くらい前に来た時の写真です。

 

お話しは、飛ぶ。また、引っかかった。新しい仕事では、あることで、図面通りの製品を納めて、受け入れ検査でOK、しかし、現場でセッティングの時の寸法的不具合で、セットができない。クレームではないが、形状を変更してほしい、と言われた。今回は客先のインドネシア人スタッフの勘違いから起きたことははっきりしている、本人も平謝り、金型費用が新たに発生しますよ。そこを何とかしてほしい、日本人上司に報告できない。

 

そのことで、客先を訪問した。組み立て現場に行くと、中国から輸入した製品が雑な梱包の隙間から見える。その製品なら、セットできるので、これと同じ寸法にしてほしいという。そこで、本当にこの製品の寸法でいいのか、セットして、確認してみた。この寸法のままでは、セットをできることはできるが、セットの作業が大変。かなり力が強い人でないとセットできない、女性では絶対できない事が分かった。また、二種類にセット側形状があって、押出し品の共通で使えるので、一種類でいいといっていた。これも、確認した。すると、やはり、一方にだけしか、フィットしない。

 

結局、作業がしやすい形状で二種類二種類作らなければならないことがはっきりした。確認しに行って良かったと思う。送られてくる図面でそのまま作ったら、また、使いにくいとか、使えないなどと、泣きつかれるところだった。

このプロジェクト、インドネシア人スタッフほとんど丸投げで、日本人が出てこない。しっかり、日本人が支えているのでしょうか、このことも心配、インドネシア人が完成させた製品を最後にチェックするのは日本人だと思う。途中、まったく、開発に関わっていなくて、最後に、これじゃあだめだよ、と、言われる可能性がある話だ。

はらはら 安堵 リラックス

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(^_-)-☆大井川鉄道SL

2013-03-31 23:14:48 | 旅行

 1535 ギリギリ、最終日、孫二人と妻の四人で、SLの旅に出かけた。何十年ぶりでしょうか、この石炭を炊く匂い。レールの継ぎ目のがたごとという音と振動、なつかしさが込み上げてきた。私がSLに引っ張られる列車に乗ったのは、大学4年の時、そして札幌、北大へ行ったからの帰り、青森から上野までの間、常磐本線で蒸気機関車だった。それも、久しぶりだった、東海道本線では、私が中学二年生の時に客車は全線、電化になっていた。常磐本線にだけSLが使われていたが、東北本線で札幌に向かったときには既に電気機関車だった。日本でほとんど最後に近いSLに乗ったのでした。新幹線はその一年前に開通していた。

 

 三日前にメールで予約しておいてよかった。桜の季節、川根町の家山という途中駅に桜のトンネル名所があり、それを目指して多くの人が押し掛けていた。車で新金谷駅に来ている人も多く、関西ナンバーも多かった。団体さんも押し掛けていて、田舎の古典的駅舎の周囲は、大にぎわい、満席で、折角、遠くから来たのにSLに乗れなかった人もかなり多かった様子だった。打席指定で立ち席なし、ということを知らないで来ていたのでした。

 

 大井川鉄道を利用するのは初めてだった。井川や千頭には何度も車で入ったことがあり、SLも車から眺めたことがあった。客車もかなり古いもので、窓を開けるのにも懐かしい思いをした。

 千頭からアプト式(ラックレール)列車で長島ダム、井川ダムまで行けることは分かっていたが、井川まで二時間弱かかり、往復では5時間以上、相当、朝早い時間に千頭へ付いていなければ日帰りは無理なので、今回はあきらめて、千頭付近の散策をした。それでも、十分、満足である。

 

 車窓からの景色、大井川と茶畑と満開の桜、そして、蒸気機関車からの煙と匂いと汽笛、孫たちのはしゃぎよう、妻も満足した様子、日本、最終日にちょっと、いいことをしたと思う。

 ミニ旅 汽車 大井川

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(^_-)-☆Surgaへ再び

2013-03-10 22:54:25 | 旅行

 1514 台湾線は激戦でしたね。私は日本が負けてもいいかなと思っていた。オランダとキューバに勝てばいいのだから、台湾に勝っても、オランダとキューバに負けてしまえば、先に進めないのだから。キューバが勝ちましたね、台湾は残念。

 

もはや、旅でも力でもない。ちょっとそこまで、です。

今朝、4時頃出発、ここ二年ほどは一人で来ている。パンガンダランだけでなく、どこへ行きにも一人がいい。連れにたよる必要が全くなくなったので、連れが居るのもいいが、一人の方がもっといい。とにかく、自分が思うようにやればいいのだから、これ以上の自由は無い、それに、責任もない。と言いたいが、明日、連れが来る。そのためのお膳立てをしなければならなかった。せっかく来てもらうのだから、出来るだけ満足してもらえるように、一応、気を使う。 

 

久しぶり、半年ぶりになるだろうか、今日、会った人たちは、皆さん、同じことを言う。シブックかと。シブックではなかったが、適当な連休がなかっただけ、土日の二日だけでは、来ても、何もすることができない、最低三日は必要だ。

 

途中の水田地帯の風景、水浸しになっている

 

チンベダックとランブータンの小さい物を買った。

 

泊っているホテルの前の様子、東海岸通りです。

 

金曜日に人の紹介で、ブカシバラットのなお西側のヒュンダイ モートルを訪問した。モートルと言っても、バイクではなく、車の方でした。フルエルチューブ12ナイロンチューブの両側ワンタッチジョイントセット込みの見積もりの依頼を受けた。しかし、量が少ない。供給台数が少ないので仕方がない。今は本国、韓国から輸入しているそうだ。とにかく、見積もりを出すことにしたが、かなり高い物なってしまうことを言っておいた。

その他に、押出製品で車に使われているもののサンプルを見せながら、こういう用途に物をインドネシアの日系車メーカーと部品のサプライヤーに提供していることを説明したら、インドネシアにグ品サプライヤーがないようで、本国から主に、タイや台湾や中国から、セットで送られてくるものをラインに乗せて組み立てるだけだという。例えば、車のイス、全部、本国からの乳品を使っているとか、コントロールケーブルシステムも同じだと言っていた。原料率が30%に満たないと言っていた。

こんな場所に車の組み立て工場があるとは知らなかった。三菱自動車の組み立てラインも隣り合わせにあった。近くにスズキ自動車の工場もある。工業団地という雰囲気は薄いが、多分、25年くらい前、まだ、MM2100など、高速道路の沿線に工業団地が出来るちょっと前に進出したのでしょう。ここからそう遠くないところに、ブリジストンタイヤも確かあったと思う。

 

ともあれ、少しずつだが、色々な会社を訪問して、知名度を高めようと思っている。紹介をしてくれる人たちがいるのです。私の教え子たちです。特に日本人がソンボンの会社の教え子たちは、自分の耳にはいった仕事を、自分の会社の社長やマーケティング担当に紹介をしたくないと思っている。だから、頼まれれば、私を紹介する、という、筋書きである。

天国 階段 入口

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(^_-)-☆竜宮城はここ

2013-02-22 22:17:17 | 旅行

 1498 私のウェブサイト(ホームページ)は、次の二つあるが、

http://otaenplaext.net/newpage0.html新ウェブサイトから

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/旧ウェブサイトに行けますが、その逆はできません。旧の方は更新ができなくなっているので、そう沢山あるわけではありませんが、間違を発見しても、改善することができません。悪しからず。新の方は、これからもできる限り増やしてゆきたいと思っています。しかし、今年は、あまりでかけないので、旅行記の追加は少なくなるでしょう。行くところが無くなってしまった、に近い。

 

 その、行きつくした場所の中で、私が一番気に入っている島はブリトゥンです。スマトラ島の南東に位置する、バンカ、ブリトゥン県一つの島です。ジャカルタの北西、シンガポールへ向かう航空路の途中です。三十分くらいしか飛んでいません。この島の景色は本当に天国のようです。ジャカルタの近くにこんな素晴らしい島があるのを知らないインドネシア人も多い、ましてや、日本人をや、である。近いから、一泊二日で十分です。小さい島ですから、車で一周しても数時間です。小舟をチャーターして、沖ノ島の灯台までいっても往復3時間もかからない。その一周の景色も灯台の島までの景色も、いままで、出会ったことがない、自然の芸術の連続です。色彩がいい。南国特有の原色のケバケバしさは、ない。たまたま、中国正月だったのでバロンサイのケバケバしさはあったが。自然に関しては、天気に恵まれることが前提ですが、岩の薄灰色、絶妙な配置、海の白を混ぜた黄緑色と青、これに、青い空、白い雲、コントラストが絶妙です。インドネシアを去ることになれば、その前にもう一度行っておきたい。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0075.html

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00092.html

 写真では限定の範囲しか見ることができないが、実際、現地で眺めれば、そのパノラマ、Pemadanganは、癒しの景色だと思うでしょう。BALIなどと比較にならない、素朴な人情と相まって、俗化されていないところがなおいい。リゾート地になっていないのがいい。観光客がわんさとおしかけていないのがいい。ラスカル プランギの世界がいい。

 

 何度訪れても満足するのが、パンガンダラン。これからも、何度も何度も行くことでしょう。何が、好いって、とにかく、いろいろあることです。回数を重ねるごとに、新しい場所を発見するし、今まで行ったことがある場所でも、状況が少しずつ変化している。雨季や乾季での状態も違う。観光地としては何でもアリ、観光地ではないエリアは、もっといい。老若男女、それぞれに楽しめる場所である。泳ぐこと、山歩き、自然と楽しむのが好きな人、アウトドアー系、アクティブ系の人にとっては何日いても飽きないでしょう。  欧米人で現地の女性と結婚して、ここに住み着いている人は十人以上いる。その点、日本人は、ほとんど来ていない、ジャカルタ付近、バンドゥン辺りに住んでいる人は、偶には、こういう場所へ行ってみたらいいと思うが、もし、日本人が訪れれば、現地の友達から、何という人が来たよと、報告があるくらいのわずかな人数です。

 ジャカルタ付近に旅の同好会が、いくつかあると聞いている。しかし、その人たち、ブリトゥンやパンガンダランへ行ったという話は聞いていない、なぜ、行ってみないのでしょうか、不思議に思う。こんな素晴らしい場所があるのに,まだ、知らないのは、もったいないと思う。ブリトゥンが竜宮城なら、パンガンダランは天国です。

 

 鉄工場で作ってもらった、丸鋸式自動カッター、チビトゥンのジャラン ラヤ沿いにある。

 

 そこからの帰り、高速道路が渋滞中なのは分かっていたので、久しぶりにジャラン カリマランを通ってみた。この道も大型が通れるようになっているので、渋滞がひどかった。一時期、原因不明のガラガラ状態だったが、今は、バンジールも酷くなって、なお一層、どの道を選択しようと大渋滞である。

 絶景 癒しの風景 珍しい風景

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(^_-)-☆ムラウケから

2012-06-13 23:01:24 | 旅行

  1245 この地もいつもの旅と同じで、何がるのか、まずどうしたらいいのか分からない。ジャカルタからの機内の人の様子が、はっきりいつもと違う、勿論、日本人は、私一人、欧米人や東洋人の顔をした人は他にいない。イリアンの顔をした人が7~80%、その他雑多なインドネシア人でした。途中、マッカサールへ寄った時にかなりの人数が乗ってきて、ほぼ満席になった。その時のってきた人たちはイリアンの顔をした人は見なかった。そのころはもう完全に、夢の中にいた私は、その後、どこかに着陸したらしいが、覚えていない。3:30(ジャカルタタイム)目が覚めたときにはマッカサールからのってきた人たちのほとんどがいなくなっていて、ジャカルタからの人たちだけが残っているような気がした。キツネにつままれたよう。そして、今、どこから飛び立って、どこへ向かっているのか、わかっていない。というのも、08:55(これからはパプアタイムで書く、二時間、ジャカルタタイムより進んでいて、日本と同じ)にムラウケに着くのだが、それまで、3時間以上、飛び続けることになる。ということは、今はムラウケに向かっていないで、ジャヤプラへ向かっているのかもしれない。それにしても、何か所経由で、いったいどこへ下りたのでしょうか、16日の帰りの便ではっきりすると思う。空いている機内は、両側3列の座席があるが、どこもその三席を使って寝ている。

 

ダナウ スンタニの夜明け。ジャヤプラの飛行場はダナウ スンタニのほとりです。やはり、ジャヤプラへ降りた。30分ほどで掃除をするから、外へ出ていろと言われて、出発ロビーでまった、その時に懐かしい張り紙を見つけた。ピナンを食べるなというものでした。禁煙のステッカーと並んで貼られていた。

07:00ニジャヤプラ発、ムラウケへ着いたのが09:00でした。直ぐに観光案内所らしいところへ行って、地図をもらった。

それに従って、タクシー運ちゃんのイワン君に頼んだら、先ずホテルを探しましょうという。何故だと聞いたら、空港からホテルへ送るのが10万Rp、だという。それなら、タクシー1時間使ったら、いくらだと聞いたら、6万Rpだという。ホテルまで、何分掛るのか聞いたら、10分だという。それじゃ変だろ、といったか、決まっているという。他のタクシーに乗っても同じだという。それじゃ、ホテルへ行かなくていいから、1時間市内見物をしている間にホテルを探すならどういだ、ときいたら。6万Rpは最低3時間だという。それなら、3時間18万Rp行けるだけの観光地を回っているうちにホテルを見つけるなら、いいだろうと言ったら、3時間は市内だけで観光地のほとんどはしないからでなければならないから、また別料金になるという。市内だけ3時間をどうして使うのか聞いたら、土産物屋やレストランやマッサージへ案内して、タクシーは待っているのだという。

それなら、市内から出て観光地へ行くなら、時間いくらだと聞いたら、10万Rpだという。そうか、それならと言って、先ほどもらった観光案内パンフレットを見せて、ここに乗っている写真のところを全部回るには何時間掛るかと聞いたら、5時間だという。そうか、それなら、50万Rpで5時間回ってくれ、その途中でホテルを予約しよう。といったら、それなら、やはり、60万Rpだという。どうしても、空港からホテルへ送るのは10万Rp取らなければならないらしい。じゃ、観光の後、街で下してくれたらいい。自分でホテルは探すから、といってやったら、それもだめだ、一旦ホテルへ行くと頼んだのだから、それを、取り消すなら、ほかのタクシー後変えてくれという。そして、ホテルへ送らなくても、キャンセル料を5万Rp払ってくださいという。

もう、ああ言えばこういうで、仕方がないので、60万Rpで5時間コースの観光をすることにした。

そして、最終的に到着したのがパプアニューギニアとパプアの国境でした。SOTAというでした。どんどん、西に向かって100kmほど走った先にあった。途中が蟻塚街道と私が道の名前を着けました。道はほとんど一直線、たま~~に、曲がるだけ、その道の両側は、湿地帯になっていて、ハスの葉が広がっていた。

その向こう側はジャングル、その湿地帯と道の間の狭いところに蟻塚が立っている。不思議である。なぜ、この道の両側だけなのでしょうか、道から離れた場所にも数少ないが、あることはある、しかし、小さいし、本当に目立たない。目立って大きく、高いのは路のわきである。3m以上あるでしょう。壊れたら新しい小さいものがあったりで、不思議ですね。でも、一番不思議なのは、何故、道の両側にだけなのでしょうか。蟻がその他の場所に移動できない理由があるのでしょうね。

 

バンダアテェの西に島WEHのSabangでインドネシアの西の端に立った。今日は、インドネシアの東の端へ行って、国境を跨いで、パプアニューギニアへ!mほど入った。このSOTAというへ入る前に、サバンからムラウケ、という端から端までのここが、ムラウケという碑があった。どうでもいいことだが、インドネシアの旅の一つの目的を達成した満足感があった。

蟻塚 国境 サバン

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(^_-)-☆またの旅立ち

2012-06-12 22:14:30 | 旅行

  1244 好い日かどうかは知りませんが、旅立ちです。ジャカルタの交通渋滞は、ますます、ひどいと聞いているので、早めに家を出て、間もなく、22:45、スカルノハッタ空港のドメスティックから出発である。どこへ向かうかというと、ムラウケ(メラウケではない)だ。ムラウケってどこ?インドネシアの東の端です。ジャヤプラは、北にあるがムラウケは南にある。今回は、そこからもっと東の端、パプアニューギニアとの国境線に一番近い村へも行ってみようと思う。現地の時間は日本と同じです。約、8時間かかります。朝、現地時間8:50に到着予定、日本へ行くのと同じですね。ただし、二回着陸、離陸をするので、眠っていれば、到着するというわけにないかないでしょう。航空費は4万円、日本への半額以下ですね。
 
今後の予定の打ち合わせをさせてもらった。ビザは来週末に取れるとして、問題は定款の改定です。今までは販売の仲介業で、製造会社ではなかった。それを、製造会社に変えたいのです。申請を始めてから、約3カ月過ぎている。一説によれば、もう、全ての書類が整っていて、受理をしてくれたが、承認のサインがいつになるかは。サインする人の動向にもよるので、いつと、確約はできない。インドネシアですから、偉い人がどこかへ出張で行ってしまっているかもしれないし。間もなくラマダン(プアサ)突入なので、その前の家族へのプレゼントや帰省資金の捻出を狙って、何らかのアンダーテーブルをあからさまに要求してくるかもしれないので、なお、承認が延ばされるかもしれない。何を申請するにも、難しい時期になってきた。
 ということで、はっきりしないことがまだ多いので、結局、レバラン明けからの仕事始めになってしまう確率が高い。それまで、まだまだ、自由を謳歌できる。

 退勤時間にちょうど重なったので、予想通り、ブカシバラットを過ぎた辺りから渋滞の中へ入ってしまった。いつも、一番いやなのは、ハリムでジャカルタへ入る七千RP払ってから、タンジュウプリオクとグロゴール方面の分かれ道を過ぎるまでの区間、約1Kmでしょうか、とにかく、競り合い連続である、一瞬の油断もできない。緊張が三十分くらい続く。というのが、いつもですが、今日は、拍子抜け、順調過ぎて、タンゲランへ向かう車の渋滞もなし、空港へは19:30前に着いてしまった。速く着くに越したことは無い。
 バタビアの1Cの出発ロビーへ入る前のフロアーが見違えるほど新しくなった。トイレは完成して一カ月だという。デザインもインドネシアで初めてお目にかかるものだ。ぜひ、いつまでも、汚さないようにしてほしい。例の充電用にコンセントも充分、目の津行くところに会って、その傍にはソファーがあった。完成はしていないが、全体が完成したら、1A(ライオン)や1B(スリウイジャヤ)も追随するのでと思う。
 旅立ち 安心 順調

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(^_-)-☆クンダリくんだり

2012-05-23 22:31:44 | 旅行

1224 南東スラウェジのモラワ(Molawa)という東海岸のプンギナパンにいる。地図は間違えている。

ここで何をしているかというとまだ何もしていない。18:00(バリと同じでジャカルタタイムより1時間早い)頃、この町へ着いた。何故ここへ来たかというと、クンダリという名前の町があるのをインドネシア人から聞いていて、海がきれいだと言っていたので、来てみた。クンダリは最後の日に見て回るとして、二日を海のそばで過ごそうと思って、空港のインフメーションで聞いたら、北の方に海岸の奇麗なところがあって、ホテルはないがプンギナパンはあるというので、タクシーの運ちゃんに行くように言ったら、45万Rpだという、約100Km、3時間かかるという。それで、OKしてここにきている。

 

 実は大変だった。4:00に家を出て、空港へ向かった05:30には空港へ到着した。ライオンのカウンターへ行ったら、予約されていないという。しばらく待ってほしいと言い残して、担当者がどこ変え行ってしまった。そのカウンターで10分ほど待った。後ろについていた人が、ぶつぶつ言いながらいなくなっていった。担当者が戻ってきて、お助けカウンターの方へ行ってくれという。其方へ移動して、また、10分ほど待っていたら、別の男の担当者が来て、手違いで、8:15のフライトには乗れないので、06;00がまだ、出発していないから、06:00でいいかと聞いてきた。間に合うならいいよと、答えた。もう、06;00を過ぎていた。それから、また、10分ほど待った。その間に、私の他にもう一人同じ事情の人が私の隣へやってきた。あなたもクンダリか、という話なった。それから10分待った。今度は同じ担当者が、06:00のは出発してしまったから、8:15発でバリクパパン経由の便か、直行便があるので、どちらかにしますという。私はどちらでも、とにかく、目的地へ着けばいいのだから、承知した。それから、また20分ほど待った。その間に同じ事情の人が10人ほどになった。その人たちにも同じ説明をしている。私は、この、込んでいる時期にこんなに大勢の人をミスブッキングにしてしまったのも変だし、代替えのフライトに空きがあるとは思えないので、言っていることが変だと思いだした。それから、また、20分ほど過ぎた時には、20人以上になっていた。問題のE-チケットがカウンターにどんどん増えてゆく。そのうち、一人の男性が切れだした、もう一人の女性も切れだした。もっと上の人間を呼んで来い、と言い出した。こんなところで、1時間も待たせておいて、まだ、搭乗券をいつ受け取れるかの返事もない。何とかしろ、という感じ。

 8:15のフライトなのに7:15を過ぎていた。やっと、別の女性が現れて、PCの故障で、皆さんのボーディングパスを発行できない状態になっていたのが原因でした。今から、至急、手書きで、作りますから、その間、ラウンジでお待ちくださいということになった。ラウンジへぞろぞろと皆さんと移動した。それから、20分後にやっと、手書きのボーディングパスを渡された。一番、最初にE-チケットを私が呼ばれたのは一番、最後でした。チケットが一番下だったのです。そんなことにも気を使っていない。

 それからおまけがあって、皆さんはワンウェーなのでしょうか、E-チケットを受け取っていない。私は往復なのでE-チケットを返しと貰わなければ困る。それを、言ったら、あわてて,とりに戻った。やっと機内の人になったのは08:00でした。

 

 マッカサールでトランジット、機体も変わる。トランジットデスクでボーディングパスの新しいものを受け取った。ピントゥ3ですと、念を押されるように言われた。新築ターミナルの一方の端でした。搭乗のアナウンスがあった。ところが、ピントゥ6からと言っている。変だと思った他の人が確認した。6が正解。また、一方の端まで移動した。それも、皆さん急いで移動した。搭乗のアナウンスだったからです。ところが、6番ゲートの部屋にはいいたら、まだ、搭乗の段取りにはなっていなかった。皆さん、立ったまま。また、10分以上待たされた。

 ジャカルタからクンダリ行きの皆さんはライオンエアーに好いように、遊ばれた感じでした。そりゃ、怒る人もいて当然だよ。

 ジャカルタの中心の上空を通過した。このルートも珍しいが、スリッピ、グロゴール付近、JLスディルマンやタムリンやモナスをこんなにはっきり上空から眺めたのは初めてです。

とにかく、クンダリくんだりまでなんとか着いた。

遊び 怒り 忍耐

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(^_-)-☆タンジュン ピナン

2012-05-08 23:36:48 | 旅行

 

1209 グロドックの話から一転して、今朝 04:30に家を出て空港へ向かい、08:00発のタンジュン ピナン行きに搭乗した。それで、現在、プラウ ビンタン(P,Bintan)のタンジュン ピナン(Tanjung Pinang)という町にいる。どこら辺りかご存知ですか。シンガポールの真南にバタム島があります。その東隣の島で、面積はシンガポールの約2倍だそうです。Kapbaten Kepurauan Riauの首都。

 空から見た印象と空港からホテルまでの景色の印象は赤土の島という感じ、至る所でブルドーザーが土地を掘り返して均している。その音が街のあちこちから聞こえてくる。だどんどん、開発が進んでいる様子。そして、もう一つの印象は、中華系の人が多いこと、シンガポールやバタムに親戚がある、兄弟がいるという話を会う人ごとに聞きもしないのにしてくる。ということは、ここらあたりの人は、インドネシアの南のほうから移ってきた人より、はるかに北の方から移り住んで来た人の方が多いようだ。だから、シンガポール化していっているように感じる。おそらく、そう遠くない間に、シンガポール化すると思う。マンダリンの次は英語である。インドネシア語は既に三番目になっているようだ。そして、どんどん、造成、開発が進んでいるようだ。

 モスジッドは目立たない、スピーカーからのコーランの声も聞こえてこない。共同墓地はイスラムもクリスチャンもブッディストもごちゃ混ぜである。いいことだと思う。街を歩いていると、マンダリンしか聞こえてこない。店へはいっても人は中華系である。当然、しゃべっていることが分からない。ホテルの従業員にインドネシア語で、話しかけてもキョトンとしている人が多い。

 

 面白いというか、困っているのでしょうと思う。インドネシアらしいと思う。機内のシートの真ん前に書かれていたことと、ホテルの部屋の扉の内側に書かれていたことです。何となくわかるでしょうが、盗まれたり壊されたりすることが多いのでしょうね。ハンドホーンを切っていなかったり、ライフジャケットを移動したり、そのほかも書いてあるが、200万円の罰金か懲役2年が科せられる。ホテルの方は、壊したり持って行ってしまったりしたものの値段が書いてある。報告がなければ払ってもらうよと書いてある。

 11日朝までプラウ ビンタンをベースにして、気まぐれな旅を楽しもうと思う。

 茶色 開拓 マンダリン

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(^_-)-☆もっと厳しい

2012-04-12 08:41:54 | 旅行

1183 三日目、9時にデラワン島を出発し、9時半にタンジュン バトゥに上陸、直ちにグラウへ向かう。グラウからビドゥックビドゥックのダナウ ラブハン チュルミンへ出発、到着したのが夕方6時を回っていた。スピ-ドボートが30分、車が8時間以上の旅でした。

其の厳しさは、きのうのボートのとび跳ね方以上で、尾てい骨の皮膚が完全に一皮剥けてしまってヒリヒリしている。それというのも、目的地へ向かう道の悪い事、半端じゃない。アスファルト舗装は行程の三分の一程度、それも、ジェットコースター並みの急な登りと急な下り、エレベーターの上り下りを繰り返しているような、浮き上がりと抑え込みの繰り返し、それも、上りの頂点の先が見えないので、ハラハラする。三分の二はホそうが無い凸凹道、洗濯板のような飛びはね道は続く、ヒドイのは雨水が溜まってしまった低い場所、ジュルジュルの上に深さがわからない。それも、左右の深さが当然違う。車はダッチロールの繰り返し、シートベルトをしていても座席から浮き上がるし、左右に体が大きく揺れる。そんな道が延々と続く、時速は20km以下である。四時間ほどそんな山道を進んで、下りにさしかかると、再びアスファルトの道になる。海岸まで近い、それまで、パームヤシのプランテーションだったのが、普通の椰子の実がなる、背の高い椰子の木のプランテーション地帯になった。東の海岸に出れば、今迄の辛さを吹き飛ばす、風光明媚な海岸にであう。海岸道路を南下すると綺麗な透明な川に何度も出会う。インドネシアの平地の川でこんな透明のはここだけかもしれない。明日のダナウ チュルミン(鏡のような湖という意味)が楽しみになって来た。

 

良くこんな道を作ったものだというくらいに、只、ひたすらジャングルの中を通る。道が悪い上に、景色など何もない。見えるのは、これでもかこれでもかというくらいのうっそうとした木々だけです。途中に小さな集落が在るが、電線が見当たらない。道路の脇にも電柱は立っていない。普通、道の沿って電線が張られているが、この道にはそれが無い、だから、その道の両側に僅かにある家々には電気が通っていない。何をして生計を立てているのでしょうか、時々、どこから湧き出てきたのでしょうか、子供が道で遊んでいる。不思議な情景だ。

とにかく試練の一日が終わり、プンギナパンに落ち着いている。

 

ガソリンがかなり不足している。どのガソリンスタンドも長蛇の列、バイクは一列では無く5列ぐらいの面で並んでいる。車の最高後尾は3時間待つという。面白いというか、ひどいというか、其のガソリンスタンドの真向かいでポリタンク20リットル、20万Rpで、堂々と当り前に売っている。ガソリンは4500Rpだから20リットルでは9万Rpが正規価格だ。警察が元締めをしていると言っていた。私が、写真を取っていたら、運転手が、制止しながら、そういっていた。

ヒドイ きつい 試練

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(^_-)-☆今は昔、徒然なる・・

2011-07-24 22:26:33 | 旅行

なぜかは知らないが子供の日(Hari anak)です。学校は学年変わりの休みだと思うが、今日は何か催しがあるのでしょう。道沿いの学校の付近は賑やかで渋滞の原因になっていた。テレビも子供の日特別番組をやっていた。

 

09:30西海岸のウミさんのワルン(ここはテント張りのミニレストランです)から出発、16:00頃チカランの家に戻った。この四日間で6時間以上の運転を4回した。昔と比べれば、ずいぶん楽になった。片道平均13時間掛っていた頃には、三連休で一日めて三日目は終日運転、二日目だけが現地で活動できた。例えば、午前中、朝早くヌサカンバンガンへ行って、昼ごろ東海岸へ戻って、そのまま、ジャングルの中へ入って18:00頃西海岸へ出てきた。そういうスケジュールだった。これはこれで、きつい行程だったが結構楽しんだ。往復の道は今と比べ物にならない。急上昇、急降下、急カーブ、上った先がどうなっているか最初は分からなくてかなり緊張した。慣れてくると、その先は真っ直ぐか、右か左のカーブしているか分かるようになりかなり余裕ができた。やっとのろのろ上っているトラックやバスを次々と追い越さなければ、後ろの車からクラクションで追い越せと催促されるので、前が見えないカーブでも一か八か、エイ、とばかり追い越したことは数え切れない。対向車が急に目の前に現れたことも数え切れない。しかし、同情者はどう思ったか知らないが、私としては、割合、余裕だった。数回、往復した後は、追い越しを掛けた車は、私の車の直前に対向車が来た時は殆ど止まって私の車が左へ入れるようにしてくれるし、対向車はブレーキを掛けて私が追い越すタイミングにスピードを落としてくれる。そういう、事が分かってからは、全く、安心して追い越しを掛ける。現在は、そのころに比べれば時間は半分以下、道は広くなっているし、曲がりくねりも少なくなっている。だから、緊張は全くしない。半分眠っている状態でも、どんどん追い越しをする。現在は、バンドゥンからタシクマラヤ県に入って暫く行ったところのウビ売りの店が道の両側に二三百メートル並んでいるその先から急下降になる。ちょっと平らになってまた、急下降する場所が一番の難所、帰りはそこが二段に急上昇になる。そこを過ぎると、タシクの町へ入る手前で、もう一度急下降急上昇がある。その他は全く、意識をしていない。回りの景色を見ながら、自然に走っている。棚田などの風景が魅力的に感じた時には車を道脇に止めて写真を撮る。先ほど追い越した車が取り過ぎて行く。その車たちを、その後、また追い越す。

昔、チカンペックからパジャジャランまで、最低四時間かかった。渋滞にはまったときには6時間以上掛った、そても、先ほどのタシク付近の山道より遥かにきつい道の連続だった。チカンペックからバンドゥンを通り過ぎるまで高速で繋がって、チカランからタシクマラヤのSELAMAT DATANGと書かれたゲートまで二時間掛らないくらいだ。

今朝出発する前に現地の若者たちがワルンに集まっていた。その時、たまたま、太田さん、何回、来ている?という話になって、1997年から通い始め、40回目くらいまでは数えた記憶があるが、その後は数えていない。おそらく、60回以上は来ているよ。ということにした。皆さん、納得でした。彼らの中の何人かは小学生の頃、恐がって、頭が痛いから、お腹が痛いから行かないと言っていたのを、ヌサカンバンガンへ無理やり連れて行った事がある、と話をする。ジャングルの中へも連れて行ったことがある、始めてラフレシアを見た、と、話をしてくれる。

 

米の収穫、タフスメダン

余裕 一人旅 大勢旅

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