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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆現実に戻って

2011-03-08 22:13:45 | 体験

シンガポールでビザを受け取って、お決まりのコース、カラワンのイミグレーションへ行ってサインと写真撮りと指紋取りをしてきた。もう、数回になるのでイムグレの人は私を知っていて、今度はどこの何というPTかと聞いてくる。今日は、指紋の話から、指の名前を教えてきた。意味もついでに教えてきた。余計なことだが、日本の親指、小指は、インドネシアでは男指女指という。だから、親指と小指を繋げることは、なにを表す。ご注意。

結局、高速で東へ向かったのは2日以来では今日が初めてでした。結局、ポンドックグデティムールからチカランウタマに移動されただけで、それ以東は料金もシステムも変わっていない。ジャカルタ環状をとチカランバラット間がどこから入っても出ても3500Rp均一になったということだけです。大幅値上げになった人、大幅値下げになった人、それぞれ、いるでしょうが、高速会社としては+-ゼロの近いのではないでしょうか。便乗値上げでは無いようです。インドネシアにしては珍しい話である。

運転手を使っている殆ど100%はこういうクレームは知らない、もし、こういうことがあれば運転手が悪いことになるでしょう。使う前の点検は作業標準で決められている。それを怠れば、怒鳴りつける御主人さまは多いはずである。

 

私のように感じる日本人は他にいないと思う。車の調子が良くないというか、日本でこんな車を売っていたら、会社は直ぐ潰れるよ。某D社のXです。メーカーが悪いのか、レンタル会社が悪いのか、大きな問題が二つ、一つは、運転席側の窓が完全には閉まらない。ボタンを上げれば、普通、当り前に、途中で止めない限りは完全にガラスが上がって隙間が無くなる。処が、借りて直ぐ、窓が途中で止まってしまうことが分かった。ボタンを上げると少しずつ上がっていって一見完全に閉じたように見えるが前の方に5mmほどの隙間が出来る。走っていると、風の音がビュービュー煩い。一回、レンタル業者にクレームを付けて車をとり変えてもらうはずだったが、車を直すと言って、滑り剤スプレーを買ってきて、治るまで大量に吹き込んでいた。結局、その時は治ってしまって、交換はしなかった。それから三日後には、直す前と同じ状態になってしまった。

もう一つは、当り前にできるはずのドアーロックがリモコンで出来ない。借りた当初は、それを知らなくて、ロックしたつもりで車を離れた時が何度も有ったはず、若干遠くから、オープンボタンを押すので、それで、ロックが解除されていたと思い込んでいた。有る店から出てきた時、荷物が有ったので、そこのセキュリチィーがドアを開けようとしてくれた。まだ、解除していないからちょっと待っていと行った時、取っ手に手を掛けて、ロックしてないよ、と言われた。私は、歳のせいかな、と、自分を疑った。

朝、出る時も、車がロックしてない、昨日ロックしたはずなのに、お化けがいるのかな?と思ったりした。

結局、車の故障でした。有る時は閉めたはずの窓が半開きになっているし、ロックしたはずのドア全部がロックされていない状態で、車を離れていたのです。

 

ハンドブレーキの根本に中途半端な隙間が有って、そこへ、色々な薄いものが入り込んでしまう。指が入らないので、それを取るのに、ボックスの全部を外さなければならない。住宅地へ入る時セキュリティからカードを貰う。出るときに返さなければならない。無いことに気が付かずに出ようつぃた時、無いことが分かる。昨日、受け取ったのは間違いない。しかし、車のなかに無い。家に戻って探しても無い。分けが分からない状態でセキュリティに謝って、通過させてもらった。有る時、出口に近付いたのでカードを手にしようとしたら、無い。たまたま助手席に人がのっていて、措置から見た人が、そこに落ちているよと、教えてくれた。出そうとしたが指が入らない。結局、ここも、有ることはあるが、出せないと言って、通してもらった。何枚か落ち込んでいると思う。

今はそこに入らないようにテープで隙間を閉じてある。

ラジオも壊れている。音が出ない。

あ、もう一つ、スピードメーターが実際と違うと思う。どれほど違うのか断言できない。マチック(インドネシアではオートマ車とは言わない)車を運転していた私にとっては、スピード感覚が変になったかと思わされる。今のマニュアル車のギヤートップに入れて、4000回転以上にしても100Km/H以下しか示さない。だから、110Km/Hを示させること出来ない。多分、5000回転以上にしなければそうならないと思う。処で、感覚として、メーターが80Km/Hで100Km/H、100Km/Hで、既に120Km/H以上は出ている。

全てが私の感覚が狂ってきていることを最初は疑わせられる。どうなっているの?

今まで乗っていたキジャンとは半値くらいだが、品質は半分以下である。私が、運が悪いだけなのでしょうか。生産量を増やすと聞いているが大丈夫でしょうか。

ディラーやレンタル会社の人は、この車はこういう故障が当り前だよ、と、こともなげに言ってのける。インドネシア~~インドネシア、だと、思う。

昨日までの旅関連のウェブサイトです。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage104.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage106.html

 

Soloのメイン通りにあるソログランアンモールというショッピンモールのセール風景。日本でこの種の物の国産品を探すのは難しいし、有っても高価。インドネシアは国産品ばかり、そして安い。しかし、日本へ輸出規格である。車は日本規格ではないようだ。

 

欠陥 いい加減 クレーム

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(^_-)-☆悔しいと寺梯子

2011-02-14 23:29:31 | 体験

   今朝、1000地点を02:00に出発し、いきなり急な狭い、片側が崖の草ぼうぼうの道を登り始めた。真暗な中、薄暗い懐中電灯の光が頼りです。今回もリンジャニと同じようにガイドとポーターで三人でした。1300mを通過したころから、雨が降り始め、風も横殴りになってきた。既に1500M位に来ていた。標高は約3000mなので、順調に登って三時間だという。今まで一時間半以上登ってきたが、道は急になるし、つるつる滑るし、何が在るか分からない道の両側にも足を滑らすし、雨具は被っているが、殆ど意味が無いくらい体中が水浸しになってしまった。ガイドも心配して、どうしますか、行きますか、太田さん次第ですという。既に1800M地点だったが、断念することにした。悔しいが、二人に迷惑をかけることになりそうなので止めた。

 下りがまた大変、登って来た時より水浸しになっているので、つるつる滑る、何回、尻もちをついたことでしょう。暗くてその時は見えなかったが、体中が泥んこである。靴の中まで泥水が入り込んで靴の中で足の爪先が前に押し付けられて痛み出した。登って来た時は濡れていなかった下の方も雨が降っていて、寒さが身にしみるようになってきた。頭も、足もふらふらの状態で駐車場まで戻った。ところが、登山を終えて戻る時間10:00頃車が迎えに来ることになっていて、車が無い。寒いし、ガイドと一緒にどうしようか、ということになる、この近くに交番があるから、そこで休ませてもらおうという事になった。その間、運転手やホテルに何回も電話して迎えに来るように頼もうとしたが、運転手が電話を切っていたので、ホテルでも手の打ちようが無いという。

 交番の警察官曰く、直ぐ近くにプンギナパン、泊る場所が在るから、そっちへ行ったほうが良いと。そこを出て、ホテルを捜している内に、迎えの車が来た。迎えにむかているなら、そう言ってくれればいいのに、こちらは、完全に焦っているのだから。

 とにかく、あまり、無事ではないが、ホテルに戻った。05:00だった。バタン休である。目が覚めたのが08:30

 

 そのままでは、気にいらないので、09:00出発で、ヒンドゥー寺院の梯子をすることにした。有名なところでは、グヌン カウィ、タマン アユン、ティルタ エンプルなどですが、殆ど人がいない。チャンディにも数か所寄った。それぞれ特徴があるが、グヌンカウィの下りと上りには、この前のカンプンナガといい勝負の階段だった。いい運動を今日は夜中から何回もした。しかし、その岩に浮彫りにした彫刻は一見の価値が在ると思う。私も、年寄ですが、年寄りには大変です。階段の途中で座り込んで動かないブレが何人もいた。

 これは、後でまとめる写真集で確認してください。

 

 クタのホテルへ帰る途中、テガラランという村を通った、車が道沿いに沢山駐車しているので、何が在るのかと聞いたら、棚田が綺麗で、国が資金を補助してこの景観を保護しているのだという。申し訳ないが、これくらいの棚田はジャワ島では普通だし、十倍以上の規模のものも珍しくない。何故、ここが名所になっているのか、宣伝効果でしょね。

 ということで、また途中、木の彫刻店によって、私が言っているオランマルを五個仕入れた、一個、二万五千Rp(二百三十円位)でした。安い!!と、運転手がびっくりしていた。クタ辺りの土産物屋で買えば、五百円以上はするし、ジャカルタのパサラヤ辺りで買えば、千円はするシロモノ。ところで、この彫刻の正式な名前はYOGI(ヨギ)といいます。ヨガをしている人という意味だそうです。Orang Maru(恥ずかしがっている人)といって売った方が良いじゃないの、と、言うと、殆どのバリ人はその方が売れるかもしれないと言っていた。

 アグン登山途中、真っ暗な中のたった一枚の写真。チャンディ グヌン カウィ。

 疲労 無駄 挑戦
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(^_-)-☆道がよくなっていた

2010-11-19 23:34:22 | 体験

 斜めからインドネシアを眺める 792

 犠牲祭の日の道端のあちこちで、小動物の処理風景を見てしまった。子供や女性が着飾って、モスジッドでお祈りの後、ヤギなどを引っ張り出して、処分するのです。至近距離から回りを取り囲んで見ている場合がおおく、ちょっと離れた処からは、それらが邪魔をしていて見ることはできない。

 最期は、5センチ角に切り刻んで、綺麗に並べて、皆さんに分け与える。皮を集めるところがあって、そこへ持って行くと幾らかの小遣になるらしい。この場に来れない人には、家まで届けるそうです。

 

声を開けておくと、色々な方から、心当たりを紹介してもらえるもので、大変ありがたいと思う。今日も、ある商社の方の紹介で、二年半前に一度誘いがあったローカルの会社から、再び声がかかった。私としては日系企業より、ローカル企業の方が、興味があるので、気持ちが動いている。しかし、どこで仕事をしようと、押出成形コンサルタントの仕事をするという意思には変更はない。また、今も出来ないで輸入している製品の一部でもいから内製したいという会社が早速、名乗り出てくれた。

もう一つ、大変興味があるのは、ローカル企業が売る価格がびっくりするほど安い。このからくりを知りたいと思う。それには、中に入りこまなければ分からないと思う。日系企業が本当に不思議に思うことです。大いに興味はある。

 それと、もう一つの目的を達成しやすい。

 雨季で、ますます、道の状態は悪くなっている。高速道路も例外ではない、昨日まで無かった穴が突然あることがある。油断ならない。

 

 私の道は、開けつつある、状態がよくなっていることを感じる。

  インドネシアの田舎の風景。

  ローカル、  興味、  不自由

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(^_-)-☆犠牲祭

2010-11-18 23:42:32 | 体験

 Idul  Adha犠牲祭がまたやってきた。年々、犠牲にされる動物の数が増えていると思う。それだけ、インドネシアが裕福になっている証だと思う。道端で売られていた動物の数も増えていたし、生育の状態が良くなっていて大型の動物が増えていると思う。貧しい人々に肉を振る舞うというイスラムの教えから、来ている催しだと思うが、最近は、そういうことより、皆さんがこの行事を通して仲間意識を高めるという目的が主になっているように感じる。

 私は好きになれない。また、この日が来たかと思うだけである。小さな子供も大勢見ている中で、当り前のように、牛やヤギやヒツジの首に切りつけて、大量の血を噴き出させて、殺し、血だらけの中で、切り刻み、皆さんで分ける。残酷極まりない。こういうことを平気で見ていられる一般の人々。良いわけが無いと思う。

 

 皆さん、時間がかかったが、やっと、今の金型での押出成形に慣れてきて、不具合の直し方、傾向と対策が分かってきた。生産は順調に推移している。ただし、まだ問題がある。デリバリーの遅れが気に入らない。私の手から離れた部門の問題で、私が、後始末というか、段取りをしなければ、スムーズに製品が客先へ移動しない。

 はっきり言って、PT.MAKUTAでやっていればよかったと思う。なにもかも余計な負担を強いられている。ここに入って、いいことは何もない。メリットは何もない。

 

 ゴルフのメンバーが5人になってしまったので、私が、抜けた。おかげさまで、ちょっとドライブということにした。何度も言っているが7~8年ぶりになると思う。プラブハンラトゥへ、行ってきた。

 昔と大きく変わったことは、道中の道路の状況でした。ずいぶん道がよくなっている。以前は凸凹がひどく、それを直す地元の人が、網を持って、お金を頂戴と言っている姿が多かった。インドネシアの風物詩というか、今でも、モスジッドを立てるためとか、道を直すためだとか、あちこちで、その風景に当たる。それがプラブハンラトゥまでの道からは消えていた。この雨季でも、穴ぼこは殆ど無かった。自宅を05:30に出て、09:00には、パサールイカンに着いていた。

 

雨季にもかかわらず、天気に恵まれた。雨に降られたのは、もう、どうでもいい、帰宅途中からでした。ただ、ボゴールからポンドックインダーとチカンペックへ分かれる地点まで、大渋滞、2時間余り、帰りの方が、余計に時間がかかってしまった。

 

今回は、港の西海岸よりも東の海岸巡ってみた。サンガラワヤンとロジという名前の海岸です。こちらの方面の海岸にウミガメの産卵場所があると聞いている。

プラブハンラトゥの風景だが、同じ場所です。田んぼの手前の道からと、向こうの海岸の砂浜からです。

後始末  不利益  遠回り

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(^_-)-☆自分たちでやりたい

2010-11-05 23:21:27 | 体験

67歳になったばかりの日に夜中の一時まで仕事、新しい仕事のためのトライでした。流石に今日は朝からつらい。それでも、結果が出たので、気分はいい。

  高がヒーターされどヒーター。昨日の続き、私たちは金型の温度を上げるヒーターは必需品です。現場から、ヒーターが切れてしまった、予備を使いから、今は大丈夫だが、できるだけ早く、予備を購入する必要がある。インドネシアのヒーター日本のヒーターに比べると寿命は三分の一くらいです。納期は一週間が普通です。

 今回起きたことは、予備の購入依頼を購買へした。その時、従来から買っている処の見積もりを添えた。ところが、購買曰く、これは高すぎる。購買でもっと安いところを探して注文するので一週間前得ほしいと言われた。

 一週間待ったが何の情報も入ってこない。問いただしたら、一社あったが高かったのでやめて、まだ探している、もう一週間待ってほしい、と言われた。そして一週間後やっとある買いしへ注文してくれた。頼んでから約三週間過ぎていた。一か月過ぎて物がはいいてきた。図面とは掛けはなれた寸法の間ものだった。図面通りの物を持って来いと頼んで、また、一週間後に持ってきた。これが、すごい。電気を通した瞬間にショートしてしまい、中の線が切れてしまった。今度はいつもってくると聞いたら、今度は二週間後だと言ってくれた。

 もう、このメーカーに付き合っていられない。購買担当を抜きにして、以前から、納入してもらっていた、ヒーター屋を呼んで、いつできるか聞いたら、二日後だという。早速注文をした。

 

 こういう話は、次から次へとある、どう考えても、足手まといの上に客先に大きな迷惑を掛ける可能性が高い。5Sもいいが、事情を知った人が、その仕事に就かなければ適材適所とは言えない。

 

 ジャバベカ2のカリマラン川に近い、エッチングの会社を訪問した。エッチングとは表面をあらすという意味?シボ加工もこの一つだとか。砂やガラスビーズを吹き付けたり、腐食させたりして、金属表面を細かく荒らす仕事です。一番気を使うし面倒な仕事はマスキングと言って、エッチング加工をしてはならない場所に何かを張り付けて、保護をする。サンドブラストは一つの方法です。

  思ったことは、この加工は、機能的に必要としない物が多く、こういう色々な模様に製品を見ると外観の高級感といった、見た目の好印象を目的とした物が多い。なぜこんなに複雑な模様を付ける必要があるのと、首をかしげる。機械に中に入ってしまい、人の目に触れないところの部品にまで、シボ化工をするのはなぜでしょうか。

シボ  ジャバベカ  手仕事 

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(^_-)-☆ネジ屋さん

2010-11-03 23:30:51 | 体験

私の誕生日でした。曾祖母,曾孫、爺さんと続いた誕生日は一旦ここで終わる。インドネシアでは、誕生日を迎えた本人が、関係の皆さんに何らかの振る舞いをするのが習慣になっている。今回私の場合は、一人二万Rp(二百円弱)で100人にお菓子と飲み物を配りました。イスラムの習慣で、お金を持っている人が持っていない人に振る舞うことになっていることもあって、日本人は誕生日を知られれば、皆さんから、要求をされます。答えるかどうかは本人次第で、何も振る舞わなくても問題はありません。気持ちの問題です。 

 デルタシリコンのPT.ISOGAIという会社を訪問してきた。私の仕事ではなく、射出の人からインサートに使うネジを国内調達したいので、紹介してほしいと言われていた。ボルトというより小さいネジが得意な会社です。

 社長の磯貝さんとは10年前くらいからの知り合いで、ゴルフをアクラブ会で一緒にさせていただいていた。仕事上全く関係が無かったので、今まで、お互いに会社を訪問することは無かった。今回初めてでした。ネジを作っている工場を見るのも初めてでした。大変精力的なかたで、10年間常に上昇し続けていました、今も成長中の様子で、順調に行っておるようです。

 

日系のネジ屋さんはそう沢山あるわけではないので、責任が重い仕事だと思う。工程を見せていただきましたが、針金のように巻かれた束から引き出しながら直線にして、その後は、切ったり、ネジの頭(プラスやマオナスなど)を作ったり、勿論ネジを作ったり、ワッシャーをはめたり、一つのまとまった装置で全部やってしまって、完全な製品の状態で受け皿へ落ちてくる。色々な加工する行程を連続させているに過ぎないが、かなり高度な精密工程だと思う。NG品のチュックもこの工程の中で自動的にしているようで、たまに装置が自動的にストップしていた。その時、作業員がその品を取り除いて、装置を再稼働していた。

出荷前の検査は女性が全品検査をしていた。NG品の箱のものを手にとって見て見たが、私の目では何が原因なのか分からなかった。原因を聞いても、それを確認できなかった。私では検査員を務めることはできない。彼女達の視力はすごいと思う。

 

5mmφが大きい方だが、これからは8mmφ位までの物までできるようなちょっと大型の機械も導入して手掛け始めているようです。

 

環境的にも模範的な会社だと思う。うらやましい。

 

ネジ  デルタシリコン  チカラン

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(^_-)-☆インドネシアの金型

2010-11-02 20:43:33 | 体験

 ドイツの孫のマユミ アンジェリーナ4才の誕生日 保育園の年少組へ通っているがなかなか年長組のお姉さんと遊べなくて問題が有るらしいが、親が見聞きすることが壺を得ているかどうかは分からないと思う。

ハスタプリマ、以前はモデルン トゥールシンドという名前の会社でした。ブカシのジャカルタに近い場所にある、モデルングループの一つの会社で射出の金型製作が主な会社です。私がインドネシアへ初めてきた時、十数年前からの付き合いです。当時は押出の金型もお願いしていたが、今は、もっと近くて安いローカル企業に頼んでいるので、お付き合いは薄くなっている。

射出の金型製作は、ずっと、忙しくやっているようです。社長のFさん、(何年か前にパンガンダランやヌサカンバンガンへ一緒に行ったことがあって、彼は非常にラッキーだった。ジャングルでラフレシアの開花途中と開花したばかりの状態に出会うことが出来た。また、ヌサカンバンガンでは1Kgもあろうかというロブスターを海岸で焼いてかじりついたことも出来た、楽しい思い出を共有している)ソニーマニュファクチャリングで技能オリンピックへ出場する技術者の指導をしていたという、ベテラン技術者で、精密金型に関しては、この会社でできなければ、インドネシアでは出来ないと言われているくらいの地位にある。

久しぶりに内の新任の射出担当の技術者と一緒に訪問してきた。内でも金型製作部門をつくるという計画が有るらしいが、いつのことになるやら分からないし、消えてしまうかもしれないので、とにかく、射出の担当者はインドネシアの金型事情を知っておく必要があるからである。

Fさんとは5年ぶりくらいでしょうか。60を過ぎてなお盛ん。65歳まではインドネシアで頑張りたいと言っていたが、忙しい様子で、後継者がいないので、自らが先頭に立ってやらなければならない。後継者を育てることが先決だということも承知しているようですが、同じようにできる人はいないと私は思う。私と同じ状況でその心境はよく理解できる。7~8年前のご本人とは別人のようにまじめ一方で仕事に打ち込んでいるようです。

   

 広い敷地内の一角にあるハスタプリマの工場だけを残して、セブンイレブンの配送センターになるそうです。モデルン財閥グループがセブンイレブンのインドネシアの経営ライセンスを引受けて、まず、ジャカルタと近郊に10店舗開くそうで、その準備が今年中に始まるのだそうです。

 

 モデルン  金型  最前線

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(^_-)-☆従業員の結婚式

2010-10-31 22:40:28 | 体験

ゴルフの後、久しぶりに結婚式に出かけて行った。場所は、MM2100からLOTTE MARTの脇の出口から出て、カリマラン川を渡った場所から、100mくらい北にいった住宅地内でした。いつもベンケルサンジャラヤという金型屋へ行く道の途中で、迷うことは全くなかった。

 こちらの結婚式や披露パーティーの招待状は一週間前くらいに来る。日本のように二三か月前に案内をして、出欠席の確認をするということは無い。とにかく、大勢の知る限りの人に出す。百人とか二百人は普通だと思う。時間は当日の朝10時頃開始で、人が来なくなるまで、という、時間の案内になっている。場所は新婦の実家が多い。結婚式場やホテルで、ということはごく例外的な金持ちがすることで、一般的には、家の庭や家の前の道を使う。通行止めにする場合が多い。ちょっと金持ちだと、バンドが入る。これが、マタ、うるさい。

 皆さんが三々五々集まってきて、受付の女の子が座っている前の段ボールの箱に封筒が入るくらいに隙間を作ってあるので、祝儀を渡し、本人たちや両親などにおめでとうと言って、準備してある食事を頂いて終り。二三十分もいれば十分です。入れ替わり立ち替わりお祝いの人がやってくる。祝儀は、私は約3千円、飛びぬけて多い金額だと思う。本人の友達からはおそらく一人300~500円位のものだと思う。その場の食事代を払うようなものです。

 

 新郎新婦は一日中、準備された長椅子に座っていて客がきた時に立ちあがって手を握って挨拶をする。勿論、時々は、何かの用事でいなくなることもある。Selamat Menempuh Hidup Baru(スラマッムネンプーヒドゥップバル)新生活突入オメデトウ、という意味です。決まり文句です。

 

 案内状には、必ず、地図が付いている。この地図がいつも出鱈目で、道の広さ、距離が現実とかけ離れた状態に書いてある。大通りからそれる道の幅が大通りと同じに書いてある。その場へ行って書いてある距離のところにそういう道路は見つからない、そこで在るまで、距離を無視してずっと行ってしまう。見つけてその道へ入っても、一向に結婚式らいい場所が見つからない。聞いても、知らない。戻って、捜すしかない、すると、実際はバイクがやっと通れるくらいで、車は入れない。今度は駐車場を探す、また、遠く離れたところまで行かなければ駐車場が無い。なんども、その付近を往復させられたり、グルグル回されたりする。

 

間違い  道路閉鎖  終日

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(^_-)-☆技術専門学校

2010-10-21 23:26:21 | 体験

 斜めからインドネシアを眺める 764

  JABABEKAのプレジデント大学のすぐ裏にある金属加工技術専門学校を見学してきた。あるその学校の卒業生から、ぜひ、見に来てほしい、そして、こういう学校があることを知ってほしいと前々から言われていた。

 場所は、ジャバベカゴルフの直ぐ近く、しかし、まだ舗装されていない路地を通って行くし、その両側が竹やぶになっているので、メイン道路からは見えないし、知らない人はちょっと怖くて入り込めないようなところでした。

 AKADEMI TEHNIK MESIN INDUSTRI(ATMI)

Jl.Kampus Hijau No.3 Jababeka Education Park Cikarang Baru.Bekasi

まだ、全施設が完成していないが、近代的な各種工作機械が何十台も置かれていて、実際に注文を受けて物作りをしていた。会社形式になっていて、そこにいる人の10%ほどは卒業生で、従業員で指導員になっている。実習生も二交代勤務(6~15時と14~23時)の形式になっていて、休めば欠勤扱いで成績に響くようになっていて、タイムカードで管理している。一学年80人で全校生徒240人、過去5回の卒業生を出しているが、就職率100%だそうです。日系企業に就職は60%だそうです。二年後には射出成型機を入れてそちらの方の学科も増やすそうだ。

  雰囲気は大変活気が当て訓練に皆さん燃えているように見えて、町中にある工業専門学校に比べれば、即戦力になる雰囲気は十分だと思う。

 

 インドネシアでは高校卒の子が通う専門学校が各種、沢山ある。語学校、経理学校、コンピューター学校、秘書学校、金属や木工加工学校などなど、高卒の男の子の就職率はおそらく、50%くらいだと思う。その点女性の就職率は90%を超える。そこで、就職できなかった男の子が手に職を付けるために、専門学校へ通うのです。これ等の、多くの学校は、月曜日から金曜日まで一日二時間程度の授業があるだけそして、朝から夜10時くらいまで、入れかわり立ち替わり学生がやってくるのです。専門学校の前にはいつもバイクが所狭しと並んでいる。勉強意欲は旺盛だと思うが、とにかく、基礎学力が低いので、意欲ほどにはレベルが高くないようだ。一部の優秀な子を除いては、大体、出来る、出来るということを信じて期待すると想定したより能力が低く、落胆させられることが多い。それも、かなり、落胆させられる。

  

MM2100の中のCafé Alfaというフードコートでメニューの一例、ソプブントゥットゥの値段が15000Rp(150円)です。私が食事をしていたら、人懐こく、近づいてきた女の子、ピサンゴレン(バナナの天麩羅)をくわえている。

  

学び  専門知識  意欲
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(^_-)-☆公共サービスの例

2010-10-02 15:14:24 | 体験

Pelayanan SIM keliling 何だと思いますか。シムは運転免許証です。プラヤナンはサービスです。クリリンは“回る“です。運転免許の出張交付サービス車です。日本の移動図書館のように車で地方を巡回して、車やバイクの運転免許証を欲しい人に交付するのです。システムは全く、一般の免許証交付所と同じで、顔写真、指紋採取、サインそれだけで30分待てば交付されます。運転の実地や法規のテストはありません。約千五百円払えば直ぐもらえます。日本に比べて比較にならないほど大変便利ですね。

 

便利といえば、国際線ガルーダの機内での入国手続きサービス、到着後長蛇の列に並ぶ必要がなく、それらを横目で見ながら、すっと出てくることが出来ます。インドネシアにしては気が効いていると思う。しかし、イミグレの職員さん、そのためだけに外国へ行って帰りの便で一時間ほど仕事をする。かなりの無駄使いだと思うが、それでも便宜を図るメリットがあるのでしょう。確かに、乗客は助かります。

 

 先日、出国に際し、ブラックリストに私の名前が載っていて、ちょっとした、面倒に巻き込まれましたが、その後、イミグレにクレームを付け、申請書を出したところ、イムグレから、この人は何もしていません、という、証明書が届けられた。ブラックリストから消しましたという話ではないのが変だと思うが、この証明書をパスポートと一緒にしておいてくださいと言われた。これも、サービスの一つでしょうか。首をかしげますが、何もないよりはいい。全く予想外の事態でした。

 

 NHKでインスブルックの街歩きをやっていた。つい先日歩いた場所も写しだされて懐かしいかった。タイミング良し。

高速道路ジャカルタ-チカンペックのチビトゥンとチカランバラッの間に料金徴収ゲートを作っている。現在、ジャカルタへ入る前にポンドック グデ ティムールという場所で、料金を支払う。その支払場所をここに移すらしい。どうも分かりにくい、20km以上も東に移動するのです。料金はどうなるのでしょうか、いつから、使い始めるのでしょうか、確認していません。現在の進捗状況を見ていて、年内に変わることはないでしょう。支払いの方法がどうなるのか、例えばブカシはどうなるのでしょうか。思い浮かびません。良い方法があるのでしょう。

サービス  公共  進歩

 

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(^_-)-☆まったく!もう

2010-09-19 22:15:25 | 体験

出勤、土曜日だが、振替出勤日になっている。16日から会社は再開している。しかし、インドネシアはまだ仕事が本格的になっていない。月曜日からそろそろ公務員の仕事が始まるでしょう。今朝のジャカルタ方向は故郷からUターンの車で込んでいた。明日まで続くでしょう。この機会に、ムディックで故郷へ帰った人達が都会の仕事場に戻る、それと一緒に、都会で仕事を探したい家族や親族、知り合いも連れてきてしまう。また、一挙に都会や近郊の人口が増える。

実は今回出国の時にイミグレでちょっとしたトラブルがあった。私のモニターを開いて、

「あなたは出国できない状態になっている」と言いながら、画面の上から二番目の欄を指し、「ここが赤くなっている、ブラックリストにあなたは乗っている」と言うのです。「そんなわけはない、何かの間違いだろうから、理由の知りたい」と言ったら、あっちの方へ行って話を聞くが、時間がかかるし、複雑になって出国できなくなるかもしれないから、ここで幾らか払えば通してやる」という。「しょうがないな、THRと思って払うよ、50万Rp(5千円)」そこで払って通してもらった。

 入国するときには、担当者は黙っていたが、明らかに、私のモニターを見ながら、メモを書いていた。多分、ブラックリストの人間が入国したということを報告するためだと思う。「その、赤くなっているのは、何か問題があることを示しているのか」と、私から聞いた。「なにか、分からないが、あなたには問題があることを示している」と言いながら、入国スタンプを押した。問題があるなら、直ぐに、警察なり、ベアチュカイなりイミグレの人間が来て私を拘束すればいいと思うのだが、何事もなく、外へ出た。どうも、腑に落ちない。

 会社へ戻って、総務の担当者に、一部始終を話し、なぜ、ブラックリストに乗っているか確認を頼んだ。直ぐ、 会社へ戻って、総務の担当者に、一部始終を話し、なぜ、ブラックリストに乗っているか確認を頼んだ。直ぐ、返事がきた。同じ名前の人がいて、その人と間違えたと言う。どこの誰が間違えたのか、どんな理由なのか、詳しく効いてはいないがとんだとばっちりだった。直ぐにブラックリストから消すと言っていたが、次に出国する時に同じことにならないように願いたい。

 

 私だから、何事もなかったように、済ますことができたが、他の日本人だったら、かなり、面倒なことになったと思う。

 

 仕事が忙しいので明日も出勤してもらう。私も午後から出勤になる。

 

Corvatsch Station Sils1797からFurtschellas la Chudera2312へ、そこから二つの湖    Lej da Segl 下にSegl Mariaの街。  Lej da Silvaplana 真ん中にSilvaplanaの街が見える。 

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page227.html 旅行記

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page228.html 写真アルバム

http://www.flipclip.net/users/enplaind/      ビデオ

 

トラブル  ブラックリスト  出入国

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(^_-)-☆海外指導始め記念日

2010-08-21 22:47:53 | 体験

何の記念日でしょうか。私の記念日です。子供のころから、夢だった、海外で仕事を教えることが実現した日でした。太平洋戦争で父親の世代が大変迷惑をかけたことは子供のころから知っていた。その償いを少しでも肩代わりしなければならないと思っていた。1996年の今日、インドネシアへ赴任してきました。もう、14年になります。昨日の写真のPT.KITAGAWAでした。以来、インドネシアから出たり入ったりしましたが、インドネシア滞在は正味でも10年は超えているでしょう。

 名古屋空港、当時は小牧からバリ経由でジャカルタ入りをした。ジャカルタへ着いて町を通り抜ける時、タマンアングレックの手前の高架を通過中、ジャカルタの夜景が素晴らしかったことを感じた。既に大都会だった。しかし、何日か後に、汚い、臭い町だと感じ直すことになった。何カ月か後には、住みたいと思わなくなった。

 ジャカルタを通り越し、ブカシを通り越し、三人(射出、経理、押出)が、リッポチカランのクラウンコートへ案内された。その他の四人はチトライン(当時のロータリーを左折すればEJIPですが、そこを真っ直ぐ行った右側のホテル)どちらも、今でも健在。いきなり、地方でした。一台のキジャンに七人乗って会社へ行き、今の月山の辺りにあった飯場でミーティングをした。トイレは簡易でした。

 工事が始まったばかりで、荒涼たる風景の中、乾季だったので、砂塵が舞い、その向こうにヤギや牛や羊が草を食む姿が見えていた。すごいところへ連れてこられたな、もう少し(二三カ月)後の方が良かったのではないかと感じた。初代の現地社長さん、私より5才年上でした。その他の6人は30~40歳と若かった。私は52歳でした。社長さんの張り切りようは異常と思えた。トヨタのフィリピン工場を立ち上げたという経験の持ち主で、英語がペラペラ、現地の人にいきなり英語で怒鳴りつけているところに出会った。そのごも、一緒に赴任した若い日本人に怒鳴り声が飛んだ。そして、私にも、飛んできた。すごい人が世の中にいるものだと、インドネシアへ来て初めて知った。

 

 その後も、インドネシアで、“ジキルとハイド“そっくりな人と多く接することになる。PT.AFのN、PT.KIのHとI、PT.TAのKなど、すごい人たちに接することになってしまった。社長をしていた時にはこういう人種が世の中にいることを全く知らなかった。プッツン病を抱えた可哀そうな人たちが多いことを知った。外の顔と内の顔が極端に違う人、あの人が?と思うくらい丁寧な人が、自分のほうが地位が上だと思えば、ヒドイ、乱暴な言葉で怒鳴る。逆らったら、相手を震え上がらせる。殺されるのではないかという恐怖を感じさせる。

その間にも、インドネシア人や取引先の人々に押出のことを伝えてきたし、実際、多くの人や会社の手助けをしてきたと思っている。

ただし、その会社の運営者としては私の存在は邪魔だったのでしょう。オーバーにいうと、支配者は、支配する対象の人たちが、他の人のことを信じてしまい、付いていってしまうことを恐れる。キリストが迫害され、日本でも、信長がキリシタンを弾圧したり、比叡山を焼き払ったりしたのと同じ理屈と心理だと思う。

 そんなこんなで、今も、インドネシアにいて、追い出された会社に堂々と戻っているわけで、巡り合わせというか、運命というか、人生いろいろだと思う。もうしばらく、インドネシアにいるでしょうが、年も年だから、今後は、肩の荷を軽くして、張り切らないで、あまり、出る釘にならないで、経営の人から疎外されないようにおとなしくしようと思うが、インドネシア人の私への親しみは他の日本人がどんなに色々な方法を使おうとしても、私に並ぶことはできないでしょうから、そう長くいない方がいいと思う。

 

 主がいないKURSI SOMBONGです。この机の前に立たされて、ふんぞり返った十歳年下のおバカさんから「無責任でしょ、」と、怒鳴られた場所です。原因は、手前の机に席にいた秘書兼通訳の根も葉もないゴシップの告げ口でした。自分で確認する能力を持ち合わせていないので、変な通訳のいうことを信じてしまって人を恨んだり、阻害したり、評価をしたりする人でしたから、インドネシア人は気の毒でした。それらのインドネシア人の殆どを呼び寄せて、今、一緒に仕事をしている。全員が、私がインドネシアならどこでも行く処へ付いてくるのです。最期(7月末)まで、PT.KITAGAWAいた、通訳以外の人たちも今月末から、私の元へ来てもらうことにした。

 

PT.NANBU2(旧PT.KITAGAWA)から、PT.NANBU1を望む。背丈ほどの雑草はつい一週間ほど前に刈られた。

記念  転機  人種

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(^_-)-☆アヒル-アヒル イニ

2010-07-19 21:23:21 | 体験

今日はやるつもりはなかったが、朝五時起きでジャバベカゴルフへ、06:00過ぎにティーオフでゴルフをやった。一緒の仲間には失礼ですが、全然、楽しくない。気持ちはゴルフ場になかった。それでは、なぜ行ったかというと、朝食と昼食を食べに行ったのです。マリアさんがいないので、野菜を食べる機会がめっきり減ってしまった。そこで、野菜、特に生野菜の補給に行ったのです。お陰さまで、いつのもサラダとオニオンスライスを頂いた。面倒見のよいKさんスペシャルのドレッシングはいつもキープしていただいているので、楽しみにしている。Kさんが一緒でない時でもそのドレッシングを使わせていただいている。今日も、もう、無くなったでしょうといいながら、新しい一本を持って来てくれた。

12:00には会社へ向かい、12:30には仕事開始だった。三交代の連中がオーバータイムで仕事を繋いでいた。

つい先月オーディットに来たばかりで、なんだかんだと、注文を付けて、改善勧告をしてかえっていったばかりでした。その改善を私の方では急いでいなかった。その仕事も先方の人間の態度もこちらからすれば評価が低かった。

例の全く初めての取引開始でいきなり、急ぎ急ぎで催促され、今朝も届けたが、先ほど、19:00過ぎにも、先方から引き取りに来た。三交代の連中は17:00まで延長してもらって、生産を続行していたが、その後は私が一人で、行程をチェックしている。これから、何時までになるか、終わりが無いので、私自身の仕事が終わるまで、その製品の生産も続ける。製品をためておいて、明日の朝、梱包をすればよい。

私の試作は案外早く終わって、19:30には会社を出た。明日、午前中にサンプルを作って、午後一で持って行くつもりだが、その足で、もう一型、新しい金型を受け取りに行き、夕方、別のトライをする。

 

日本の災害もかなり厳しいものがありますね。全国、崖崩れの可能性のある場所は無数だと聞いている。そりゃそうですよね、山の中ならどこだって可能性はある。

インドネシアの至る所で災害は発生します。日本より遥かに広範囲で深刻です。しかし、余りにも多いので、あまりニュースにならないようだし、余り深刻にも思っていないようです。だいたい、手抜き工事ばかりだと思うが、それも、あまり、問題にならないようです。

先ほど、帰宅途中の高速道路もひどい豪雨だった。今年のインドネシアは乾季が来ないのではないかと思うくらい、まだ、雨が降り続いている、作物の収穫状況はかなり悪いようです。昨日も書きましたが、間もなくプアサになります。それでなくても、この時期、物価が高騰します。スンバコの価格も上昇し始めています。そこへ、野菜や穀物の不作が重なっては、庶民の性格は苦しくなるばかり、その点、公務員は恵まれていますね。どこの国も同じことでしょうか。

 

Akhir-akhir ini(アヒルアヒルイニ)“この頃、最近“という意味です。Akhir(アヒル)は”最期、終わり“という意味ですから、なんとなく、納得できます。

豪雨  残業  サクセス

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(^_-)-☆なんとかなりそう

2010-07-15 22:29:16 | 体験

10:00過ぎに新金型を受け取った。心配なので、今までトライしていた金型の修正を頼んだ。その金型の欠点は、唯一つ、今、明かせないが、それが無くなれば使えるのです。11:00過ぎにトライが始まった。しかし、すぐ、不具合が発見された、修正に出す。16:00に修正完了、17:00トライ再開。前の金型の欠点は、必ず無くなることは分かっていたが、他のことで心配があった。それさえクリアー出来れば、外観は良くなるし、寸法公差も狭くて済むことは分かっていた。それなら、なぜ、最初からこの方法でやらなかったのか、と言うことになるが、それは、それで、理由がある。これも、今は書かない。

明日夕方までに、違う方法のもう一つの金型ができてくるので、そのトライの結果を出してから、どちらの製品をサンプルとして出すか決める。

 

MM2100のルコの向かい側にあるロッテマレッで金型屋から帰る途中によって買い物をした。そのついでに、ちょっと早い夕食をとった。オープンテラスのフードコートがモールの前にある。ここもインドネシア人しかいない。この店はもとマクロで、小売商売の人たちがここで安く仕入れて商売をする。だから、一二個買うのではなく、カートンで買って行く人が大部分である。私は米や肉類はここで買うことにしている、実際はマリアさんが買いに行っていた。

彼女がいるといないとでは経費がだいぶ違う。食料品やお菓子類、果物、洗剤や洗面所で使うもの、その他日用品は彼女がいなければ殆ど必要無いから買うことはない。

 

三カ月、時が止まったようでした。一歩も前に進めなかった。でも、間もなく時は動き出す。45年間この仕事をしていて、今回のようなことは初めてだった。他のことに移れない、新しい仕事の獲得も自粛せざるを得なかった。自覚したくないが、脳みその弾力性が無くなっているのかもしれない。

それでも、細いチューブ(バイクや車のケーブルシステム用)の注文を、どうしても、やって欲しいということで断れずに引受けた。月産40万Mくらいになる。押出機2台を使うことになる。この種のチューブについては日系の他社からも依頼されているが、待ってもらっている。内外径同時自動検査装置とNG発生時にラインストップ装置(両方ともメイドバイオオタナンブインドネシア)の手配が間に合わないためである。

 

他人に聞いても仕方がない、インターネットで検索しても仕方がない、文献を探しても仕方がない。45年間、仕事の仕方や、勉強の仕方で、この人のやりかたは見習った方が良いということは在ったが、技術について、真似したことも、教えられたことも一つもない。これからもないでしょう。本当に独自の孤独の世界です。そのことを話しても分かる人はいない。

ロンボク島に属する島の一つ ギリ トゥラワンガンからロンボク島方面を望む。サンライズの右はリンジャニ山(3770m)。去年、一人で、車で行って登った。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/pageo407.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0408.html

photo albumもどうぞ!!!

しばらく、ご無沙汰のPianoさんが戻ってきてくれたようで、安心しましたが、何か事情があったのでしょうか。気にしても、意味はないと思いますが、気になっていました。

もう一人気になっている人がいますが、全く、掴みどころが無い、私の事を気にしてくれている人と勝手に思い込んでいます。

孤独  自分が頼り  悩み

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(^_-)-☆切実な願い

2010-07-09 22:12:37 | 体験

斜めからインドネシアを眺めよう 660

ワールドカップ、ドイツが負けた。婿殿が悔しがっているのが目に見えるようである。日本もとっくに負けたのだから、優勝でもされたら、でかい高い鼻がもっと目立つようになってしまう。

金型の最終チェックに行ってきた。あす朝、金型を受けとり、昼前には試作が始まる。

客先にはこの部品を使う製品の注文が日本から大量に来ているとの知らせ、責任を感じる、早いところ製品化したいと思っている。

インドネシアでやりたいようにやっている私が言うのも変ですが、苦痛があるから病院へ行って、色々な検査をしてあなたには何の異常もありませんと言われるほど、なんとかしてくれよ、異常がないわけがないのだから、なんとか病名を見つけてよ、と思う事は無い。

 先日、家を出る前に、NHKのASAIDHIで頭痛について特集していた。色々な頭痛があるもので、その原因を医者は問診だけである程度は特定しなければならないとは大変な仕事だなと思う。その時に総合診療科の医者が招かれて、原因の特定の仕方を解説していた。なるほどなと思う。私のパニック障害を特定したのも総合診療科の医者でした。なんでも、分けの分からない症状で、あちこちの検査の結果に異常がない時に、駆け込む場所です。そういう科があることさえ知らなかった。多くの人も、そういう科があることを知らないと思う。呼び名が良くないと思う。原因不明病気科とでもすれば分かりやすいと思う。大きな総合病院にしかない科だからなお知られていないし、総合病院の中でも、あまり、中央の目立った場所になく、奥の隅の方にあるので、普段用事のない人はその前を通ることは無いのでそういう科の名前を見ることもない。私が行き当てた静岡県立総合病院の総合診療科も患者は非常に少ないし、やはり、ポツンと、色々な科から離れた場所にあった。案内の地図を見ても、なかなか、見つけられなかったし、近くまで行っても、人がほとんどいないので、ここでいいのかなと心配するくらいだった。

 他の科は、非常に賑わっていた、坐る場所もないくらいで、付き添いの人は殆ど立っているくらいだが、総合診療科はガラガラで、長椅子に寝ころんで待っている人もいたし、他の科の患者もこちらに座っていた。

もっとも、一人あたりの診療時間が長い、微に入り、細に入り、確認する必要があるからでしょう。それは、仕方がないと思う。患者はそれで安心を得られるのですから。他の科もそうだが、担当医が少ないこと、完全予約制なので、一人に長くかかる分、予約を搾っていることも空いている原因の一つである。

 頭痛に限らず、原因が分からなくて、あちこちの痛みを長期で耐えている人は多いはずです。総合診療科の存在を大々的に宣伝したらいいと思う。

私が、沢山の病院へ行った限りでは、インドネシアには原因不明病を追求する科は無い。それだけ、日本は医療が進んでいるということでしょうが、やはり、宣伝不足だと思う。

 

インドネシアでブンガバンカイと言われている花です。蕾から開く時に動物の死体が腐る臭いがするからそう呼ばれているのです。何種類もありますが、その総称と言うことでしょう。形は得意なものが多い、作り物のような姿が多い。

 

また、全然話が違うけど、4トラベルに頻繁にアクセスしていただいていたPianoさんがしばらくの間、アクセスしていただけなくなり、気になっていましたが、また、現れてくれました。ほっとしています。

 

パニック障害  異常がある  何とかして

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