Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

じゅうぶんのいち

2004年01月31日 | old diary
 いっこうに届かないDVD『Live in Barcelona』。おーい。

 僕はこの日記を朝つけることが多い。だいたいは朝食を済ませてから、コーヒーをすすりつつ、キーボードをかたかたやっている。で、部屋にはいつも音楽が流れている。今朝はツェッペリン。朝からギュワーンとツェッペリン。

 やっぱりジミー・ペイジはかっこいいなぁ。俺もなごんでばっかじゃいかんね。やるときはやらないとね。(ここでコーヒーをずずっとひとすすり。ほっと一息ついてから、窓の外を眺める)おっ、青空じゃん。いい天気じゃん。よし、シャキッと着替えて、軽く海まで散歩でもしに行くかね。(と窓を開ける。冷たい風がぴゅーっと吹いてくる)うー、さびー。やっぱやめた。もうちょっとあったかくなってからにしよう。

 冬はほぼ毎日、このような朝がくり返される。えっと、ここで言う「あったかくなってから」というのは、もちろん春のことね。花がぱーっと咲いてからね。

 ところが、春になったらなったで別の問題が生じてくるわけで。そう、春は花粉の季節なのだ。僕はとにかく花粉症がひどい。両方の鼻がずがんとつまることも珍しくなく、そうなると口で息をせざるを得ない。すると、空気が乾燥しているから咽も痛めてしまう。このダブルパンチは想像以上につらい。その上、風邪などひいてしまったら…、これはもう地獄ですよ。自殺者がでたっておかしくない状況ですよ。

 とにかく憂鬱な春。苦しみにもがく春。が、今年はちょっと違うかもしれない。というのも、昨年の冷夏の影響で、今年のスギ花粉飛散量は例年の1/10。この10年でもっとも少ないという。

 おー、よいではないか。グッド・ニュースではないか。

 毎年春といえば、マスクをし眼鏡をし帽子を深々とかぶり花粉が付着しづらそうな表面がツルンとした服を着て街を歩いているわけだが、今年は違うかもしんない。眼鏡なんてかけないよ。なんせ1/10だからね。

 今年ほど春を待ち遠しく思ったことなどない…のである。

確定申告に思う

2004年01月30日 | old diary
 昨日は確定申告書を作成した。スプリングスティーンやディランを聴きながら、領収書を整理し、ぱちぱちと電卓を叩き、収支をせっせと用紙に書き込んでいく。調整で多少はお金が戻ってくるので、そこそこ楽しんでやれるのがよい。しかし、同時に直面せざるを得ない切ない現実もあるわけでして…。

 えっと、なんか俺、あんまり稼いでないみたいです。

 前年より少し減ったかな。まぁ、あんまり働かなかったしな。しょうがないよな。そのうち金が必要になったら、しっかり働いて、がっぽり稼げばいいさ。そうさそうさ。そうしよそうしよ。と、のんきに構えてはみたものの、こう改めて数字を見せられると、静かな圧力を感じなくもない。

 まったく数字ってのは、断定的でよろしくない。所謂、遊びというか、ゆとりというか、ほんのちょっとの優しさというか、はぶぁぶれいくというか、ていくいっといーじーというか、そういった人間的な温かさがまったく感じられない。人の事情になど耳もかさず、すっぱり割り切って、あとは涼しい顔をしている。数字ってのは、いつだってそうだ。そうした行為がどれだけ人の心を傷つけているかなんて、あいつは少しもわかっちゃいないんだ。

 あぁ、なんて冷たいのだろう。そんな乾いた世界に愛は育つのだろうか?A World Without Love...。

 とはいえ、もう少し稼いだ方がいいような気もするんだよな。いや、僕の友人で女医さんとつきあってる奴がいるのだけど、年末にそいつを含めた仲間4人で鍋をやった際、僕ら4人の合計年収は女医さんひとりの年収に果たして届くのか?という話になったのだ。で、結論はというと、これがかなりビミョーだなと。

 ふと、僕らと女医さんで綱引きをしている図が目に浮かんだ。4対1でいい勝負かよ。なんだか切ないなぁ。It's a Tug of War...。

貧乏生活

2004年01月29日 | old diary
 昨晩のBS2で放送されたスプリングスティーン特番。僕は実家に録画を頼んだのでまだ観れてないのだけど、いかがでしたでしょうか?彼のライヴの素晴らしさがほんの少しでも伝わってくれたらいいなと思います。おそらく今日か明日にはDVD『Live in Barcelona』が我が家にも届くはず。いやー、楽しみだ。観たら感想をアップするつもりではいるけれど、さて?

 今現在、僕の家の冷蔵庫はからっぽである。買い物に行けばよかったのだけど、なんとなーく億劫でうだうだしていたら、こんなことになってしまった。昨日の昼は、棚の隅にかろうじて残っていたカップ麺をいただくことに。やかんに火をかけながら、「なんかこういうのも侘びしいよなぁ。せめてビールでもあればなぁ」と思っていたところへ「ピンポーン!」。玄関のベルが景気良く鳴った。「お届けものでぇーす。ハンコお願いしまぁーす」とは疲れ気味なおっさんの声。なんじゃ?と思いつつ、荷物を受け取ってみれば…。

 おー!ビールじゃないかー!

 以前、景品で応募しておいたのが当たったらしい。350cc缶2本というささやかな当選だが、これは嬉しいぞ。なにやら配達のおっさんのくすんだ顔までが輝いて見える。おっさん、でかした!(もちろん、おっさんがでかしたわけではない)
 もしこのとき、冷蔵庫が食料でいっぱいだったら、ビールをケース買いしたばかりだったら、きっとこんなに嬉しくはなかっただろう。ささやかなことに感動できる幸せ。貧乏生活も悪いことばかりじゃないのだ。そんなわけで昨日は、『Tommy』を聴きつつ、カップ麺とビールのおいしい昼食をいただいたのであった。

 うーん、やっぱり侘びしいか?

It's a Boy

2004年01月28日 | old diary
14時34分、妹が男の子を産んだ。

 産まれたばかりの子を見たのは初めてのこと。ほんと小さくて、無垢で、びっくりしてしまう。それでも目を大きく見開いて、僕らの顔を見ていたりする。しばらくして妹がベッドにのせられたまま戻ってきた。痛々しいのに、それだけじゃなかった。

 この小さな生命も、この子を産んでベッドに横たわっている妹も、海のように神秘的だった。

 うりゃ!よかったぜ!ちくしょー!やった!

 Congratulations, Sister. It's a Boy...

スプリングスティーンのライヴを観てくれ

2004年01月27日 | old diary
 え~っと、今日はお願い事です。場合によっては準備を必要とすることなので、1日はやいですが書かせていただきます。

 明日、NHK-BS2で放送されるスプリングスティーンの特番、どうかどうかぜひともご覧になってみてください(なんて書くと、局のまわし者みたいだが、そうじゃないですよ)。

 数日前のSpringsteen Newsにも書きましたが、明日の夜11時、「夜更かしライヴ缶」という60分の番組です。内容は同日に発売されるDVD『Live in Barcelona』からの映像を中心に、昔の映像などを使ったドキュメンタリー・タッチの番組になるとのこと。きっとスプリングスティーンを聴いたことのない方でも楽しめると思います。

 「スプリングスティーン?興味あるけど、CDやDVDを買うほどじゃないなぁ」というそこのあなた。ちょいと時間を作ってやってくれませんかね?このときの「Dancing in the Dark」をぜひ観てやってください。僕は一昨年の「Boss Night」というイベントで観たのだけど、すっげーかっちょよかったです。ものすごくソリッドな曲に生まれ変わっているし、なによりブルース・スプリングスティーンの人間的魅力に溢れています。

 この日のスプリングスティーン、テレビの収録ということもあってか、ちょっとお洒落してます。服装とか髪型とか…、これがあんまり似合ってないのがちと残念か。でも、気になることなんてせいぜいその程度。ライヴが始まってしまえば、まったく問題にならず。素晴らしいパフォーマンスです。

 こんなこと言うと怒られそうだけど、スプリングスティーンが今後日本に来てくれる可能性は極めて低いと思う。だって、リユニオン&ライジング、この2つの大規模なワールド・ツアーで日本はつづけざまに無視をくらったのだから。欧米との人気の落差はどうにも埋めがたく、ここまでくるともうどうすりゃいいのか皆目検討もつかないのが現状。だから、例え限られた映像であれ、こうした番組でたくさんの人が彼のライヴを疑似体験できるのは、とても貴重なことだと思うのです。

 ちなみに本日の同じ時間・チャンネルにて、デヴィッド・ボウイのライヴも放送されるから、合わせて録画しておくのもよろしいかと(こちらは90分番組)。BSが入らない方は、お友達にお願いしてみるのも一考かと…。僕は実家に頼みます。

 さぁ、みんな観てくれ。頼む。お願い。ぷりーず。ロック・オン。

割り食う『Tommy』

2004年01月26日 | old diary
 ビートルズやスプリングスティーンほどではないにせよ、The Whoはとても好きなバンドである。

 The Whoのアルバムで一番好きなのは、『Quadrophenia(四重人格)』か『Who's Next』。その次を問われれば、オリジナル・アルバムではないが、初期の素晴らしいシングルを集めた編集盤を選びたい。その次が『Sell Out』で、その次が…、うーん、大穴で『Who Are You』かな。

 つまり、ここにかの名作『Tommy』は入ってこない。えっと、『Live at Leeds』もだが。

 僕はライヴ盤よりスタジオ盤が好きな方なので、『Live at Leeds』が入らないのは、まぁ、納得なのだけど、『Tommy』のランクが自分の中で低いことをずっと不思議に思っていた。

 で、考えられる理由…。

(1)アルバムを聴くより先に、ケン・ラッセル監督の映画を観てしまった。→理解不能。かなり心証が悪くなった。あの映画はアルバムを聴いたことのある人を前提にして作られているような気がする。
(2)買ったレコードに訳詞がついてなかった。→「ロック・オペラは歌詞の意味がわからないといけない!」と思い込んでいたので、気分が削げた。
(3)『Quadrophenia(四重人格)』が好きだと言うと「あ、『Tommy』じゃない方ね」と言われたことが何度もある。→「俺は『Quadrophenia(四重人格)』派なんだよ」と意固地になり、『Tommy』への対抗心を生んだ。
(4)The Whoを熱心に聴いてる人間がまわりにひとりもいなかった。→誰もこんな僕に、「ばーか、『Tommy』は最高に決まってんだろ」とは言ってくれなかった。

 ふむ…、どれも作品そのものとは関係のないことばかりだな。なにかにつけ、割りを食っていた『Tommy』なのだ。

 ところが、そんな僕にもいつしか『Tommy』を熱烈に支持する友人ができた。彼女の話を聞いていると、「そうだよなぁ、天下の『Tommy』だもんな。もちっとしっかり聴いた方がいいのかもな」と、影響を受けやすい僕は思うようになる。で、昨晩、できるだけ先入観を排して聴いてみたら、これがなかなかどうして…。積年のわだかまりがきれいさっぱり消えたわけではないけれど、いやはや、唸ってしまったね。すごいや。

 というわけで、もし今後『Tommy』に関してなにか訊ねられたら、「すみません。若輩者につき、まだ語る言葉を有しておりません」と頭を下げようと思う。

 もう割りを食わせたりはしないつもりだぜ、『Tommy』。

冬の朝

2004年01月25日 | old diary
 寒い…。どうにかならんのか、冬。

 クリスマス・プレゼント、お年玉、誕生日プレゼント。この3つが1ヶ月もしない間にどどどっとやってきた子供の頃、冬もいいもんだと思っていた。しかし、いつしかそんなものは誰もくれなくなり(いただくこともあるけど)、むしろ甥っこや姪っこにこっちがあげねばならない圧力を感じるようになった今(きちんとはあげてないけど)、冬の魅力も半減した。

 つくづくLiving in the Material World。なんだか嫌ですね、こういうせこい発想は。だせぇ。

 とにかく朝が寒い。1日のはじまりに顔がこわばっているのというのは、あまり幸せな図とはいえない。起きた直後はじっとしてられず「上がれ~上がれ~」と気温上昇祈祷などしてみるが、効果などあるはずもなし。僕にできることは、熱いシャワーを浴びて、ホット・コーヒーを飲むくらいか。無力だ。

 しんしんと冷えた冬の朝、のそっと布団から這い出て台所のドアをあける。すると朝食の味噌汁の湯気が漂ってくる。おはようの声に「おふぁよぉ」と応えて椅子に座る。まだ頭がぼんやりしている僕の前に、朝食が並べられていく。白いご飯、暖かい味噌汁、シャケの切り身、タラコひと腹、白菜の漬け物。向き合って静かに食事をいただき、お互いの今日1日の予定などをぽつぽつと話す。そして熱いお茶をすする。いつの間にか、体も心も芯からあったまっている。

 こういう朝なら、僕だってなにも文句は言わないさ。しかし、残念ながらなかなかこうはいかない。そもそも、これってなにからなにまでやってもらってるわけで、もし自分が朝食を用意する立場だとしたら、これは最悪ですよ。まだ空が薄暗い時間に起きて、冷えきった台所に立ち、冷たい水に手をひたして米をとぐ…。あー嫌だ嫌だ。そんなことするくらいなら朝飯いらない。我慢する。
 
 今日はまたまた遠くまでお仕事。少しめんどくさいけど、昼の仕事で夕方には戻ってこれるのは嬉しい。ボブ・ディランでも聴きながらとことこ電車に揺られましょう。

呼び方・呼ばれ方

2004年01月24日 | old diary
 人から呼ばれるとき、僕は名字で呼ばれることが多い。男の先輩や同輩からは呼び捨てで「MIYAI」、後輩からは「MIYAIさん」。女の先輩・同輩は「MIYAIくん」と呼び、後輩はやはり「MIYAIさん」と言う。

 家族以外から名前で呼ばれることはまずないし、あだ名など1度だってついたためしがない。外での僕はいつでもどこでもずっと「MIYAI」である。

 ただし、社会人になったあたりから、ときどき名字の最後に「ちゃん」がつくようになった。大人になってからいきなりの「ちゃん」付けだ。「MIYAIちゃん、飯食い行こうよ」、「頼むよ~、MIYAIちゃん」といった具合。はて?これはいったいどういうことだろう?なんか業界人みたいだな。おかしいな。で、今の職場では、ついに「I」が抜けて「MIYAちゃん」と呼ばれている。これってひょっとしてあだ名ですか?わー、はじめてついたよ。

 ちなみに、僕が同輩や後輩の女の子を呼ぶときは、ほとんどが名字の呼び捨て。その子が普段「ちゃん」付けで呼ばれていたり、可愛いらしいあだ名があったとしても、よほど親しくない限り、極力名字の呼び捨てを押し通させていただいている。理由はひとつ。どうにも照れくさいのだ。なので、酔っぱらったときについはずみで「~ちゃんさぁ」とか言ってる自分に気づくと、すげぇ恥ずかしい。冷たい水で火照った顔をじゃぶじゃぶと洗いたくなる。

 あと、社会人になってからは、年令に関係なく「さん」付けで呼びあう機会も多くなった。まぁ、お互いもう大人ですからね。楽と言えば楽だし、特に問題はない。ただ、これが親しくなってからもそのまんまだと、けっこうまどろっこしい。しかし、違和感があってもなおすになおせない。同じ理由で、親しくしてる目上の人からずっと敬語を使われているのも、それはそれで申し訳ない。「どうかMIYAIと呼んでやってください」と、頭のひとつでも下げたくなる。

 呼び方・呼ばれ方ひとつとっても、それぞれに事情ってものがあるのだと思う。

いい男・いい女の条件

2004年01月23日 | old diary
 先日、髪を切りに行った際、待ち時間の暇つぶしに眺めていた雑誌に「いい男・いい女の条件」という特集記事があった。ファッション誌らしい華やいだ視点から、人気のあるタレントをあれこれ引き合いに出して論じるというもので、「あなたがかっこいいと思う芸能人は?」というお決まりの読者投票などもあった。おそらくそのときやっていたドラマやらバラエティの影響が色濃くでているのだろう。テレビをあまり観ない僕には、今ひとつピンとこなかった。

 そこで思いつくままに「MIYAI的いい男の条件」を。

  (1)自由である。
  (2)勇気がある。
  (3)己をわきまえている。
  (4)仕事ができる。
  (5)自分を笑える。

 これだけ揃えばちょっとかっこいいぞ。どんな状況であれ、自分を笑えるのは大切かと。

 つづけて考えてみた「MIYAI的いい女の条件」。

  (1)思いやりがある。
  (2)騒々しくない。
  (3)さっぱりしている。
  (4)えーっと、料理上手。
  (5)酒をたしなむ。

 なんか「いい女の条件」というよりは、「こんな人と一緒にいたい願望」みたくなってしまったな。ま、思いやりは優しさ以上に大切かと。

 あと共通して言えるところとして、金や周囲に踊らされないとか、正直であるとか、歌が上手とか、ギターが上手とか…。言うは易く行うは難し。頑張っていこう。

編集テープ

2004年01月22日 | old diary
 先頃一緒に酒を飲んだ先輩から、「MIYAIが聴いて気に入っていたスワンプ・ロックの編集テープを送るから住所を教えてくれ」との電話をもらう。僕の部屋ではまだラジカセでカセット・テープを聴くことができる。「それはそれは…。わざわざすみませんね」とお礼を言ってから、しばしの編集テープ談義に。「それじゃ、これからは1ヶ月に1本くらい、テーマ別でテープを送ってやるよ」とのこと。おー、素晴らしい。この2004年に、MDでもなく、CDRでもなく、ましてやMP3でもなく、カセット・テープってところが、なにやら味わい深いようなそんなことないような…(もちろん音源はアナログ盤からです)。

 コンポの方のカセット・デッキが壊れて久しいが、かつては僕もよく編集テープを作っていた。音楽好きの仲間にあげることも多かったけど、やっぱりそのときつきあっていた女の子にせっせと手渡していたように思う。たいていの場合は、長過ぎず短すぎずということで、60分テープを使うことが多かった。レコードをあれこれとひっぱり出し、がちゃがちゃ録音していく作業はとても楽しかった。相手も僕のそんな趣味を知っているから、「また新しいテープ作ってよ」なんて言ってくる。そうなると「またかよぉ」とか言いつつ、すげぇ頑張っちゃうわけで。思えば見事なまでに手のひらで踊らされていたものである。あーだせぇ…。

 そんな彼女たちとも、いつしか別れの時がやってくる。あるときは自然と心が離れていき、またあるときは手痛くふられたこともあった…ような。僕がふったことは…あったかな?まぁ、いいや。

 あれから時が流れ、彼女たちとの時間は淡い記憶の中で薄らいでいったけれど、ここにきてどうにも気になるのが、あの頃せっせと作っては手渡していた編集テープの数々。おーい、君たち(=編集テープ)は今どうしているんだい?もうこの世には存在しないのかい?それともまだ可愛がってもらってるかい?引出しの奥に居場所を見つけてしまったかい?つらかったら、いつでも僕のところへ帰ってきていいんだよ。

 ま、突然そんなテープがどかどかっと送り返されてきたら、それはそれで怖いけど。でも、もう1度聴きなおしてみたい気はする。けっこう楽しめるんじゃないかな。