Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

Boss Spot

2007年09月30日 | diary
 なんとなく肌寒い朝。PCをたちあげて、アマゾンにいって、検索して、かちかちっと何度かクリックなどすると、メールが届いたりする。タイトルは「Amazon.co.jp ご注文の確認」。これにて、晴れて、めでたく…

 数日後、ブルース・スプリングスティーンの新作が届くことになる。

 えーっと、そんなわけで、結局、国内盤を待てずに買ってしまうのです。で、もちろん、国内盤も買うのです。無駄でしょ?えーえーわかってますよ。でも、ファンなんてそんなもんだから。多分。ちなみに、ジョン・フォガティの新作も同時購入。同じ発売日なんだもん。

 さっき友人から、かつて鵠沼海岸にあったロック・バーの、廃墟と化した写真が送られてきたんだけど、なんとその壁には、スプリングスティーンのイラストがでっかく描かれてたりする。いやー、これまで気がつかなかったなぁ。こんなボス・スポットが身近にあったとは。でも、友人曰く「悲し過ぎます」とのこと。むーん、確かに…。数年前に訊ねたアズベリーパークの風景をふと思い出した。My City of Ruins...。

 あと、鵠沼本町にも、スプリングスティーンの写真を飾っているカフェがあるらしい。「今どきそういう店もないよねー」と、店を教えてくれた人は言っていた。えっと、まぁ、確かに…。行ったことのある友人に店内の様子を訊ねると、「全然スプリングスティーンなんて聴きそうもない、やる気のなーいマスターなんですけどね。でも、僕が行った3回のうち2回はスプリングスティーンがかかってましたよ」とのころ。ふむ、これは行ってみないとね…。

 新作が日本でも大ヒットし、来日公演が決まったら、そのロック・バーも復活したり、そのカフェのマスターもやたら元気なったりしないかな?しないよな。するわけない。

午前8時30分のRock'n Roll

2007年09月29日 | diary
 ブルース・スプリングスティーンのニュー・アルバム『Magic』の発売日も迫ってきた今日この頃(国内盤はもうちょっと先だけど)。新曲のプロモ・ビデオが2曲公開されたのにつづき、昨日は朝のテレビ番組にバンドと出演し、詰めかけた1,000人以上のファンの前で7曲をライヴ演奏した。で、今日は朝からそのときのライヴ映像を観てたりする。上記の新曲以外にあとふたつニュー・アルバムの曲を聴くことができたんだけど、いやー良かった!どちらもいい曲だった!

 一ヶ月ほど前に“Radio Nowhere”をはじめて聴いたときは、最近のスプリングスティーンらしい重みのあるロックン・ロールで相変わらずかっこいいんだけど、僕はE.ストリート・バンドに囲まれたスプリングスティーンの笑顔が見たいと思っていたので、もう少し軽やかでもいいのに…と正直思ったりもした。でも、こうして他の曲をいくつか聴いてみたら、アルバム全体はとてもバランスの取れた作品に仕上がってるんじゃないかという気がしてきて、そうなってくると“Radio Nowhere”の印象もちゃっかり変わり、素直にかっこよく思えたりするのだった。実際、今朝観たライヴ演奏も、まだリハのレベルだけど(テレビだからかも)、本番ではさぞや凄いことになるんだろうなぁと思わせるものがあった。

 こうなってくると、僕もけっこう大変だったりする。えっと、気持ちの問題として。

 数年前まで、僕は彼のファン・サイトをやっていて、この日記はそのときの名残だったりする。もう大分時間もたったし、あのときのサイトを見てくれてたという人も今では少ないと思うけど、きっとみんなそれぞれにそれぞれの場所で、スプリングスティーンとE.ストリート・バンドの新作を楽しみにしてるんじゃないかなぁと思ったりした。

38年目のジョー・ストラマー

2007年09月26日 | diary
 あと少ししたらお出かけ。あちこちふらふらして、そこそこに人と会って、夜は友人と待ち合わせてジョー・ストラマーの映画を観ることになっている。友人は2人とも、クラッシュやジョーの音楽を熱心に聴いたり、聴いていた時期があったりするのだけど、僕は古いカセット・テープで『London Calling』を聴いたことがあるだけ。それでもなんとなく気になるジョーの映画…だったりする。

 昨日はそのカセットを聴こうとしたんだけど、どっかにいってしまって見つからなかった。もし今日の映画がとてもよかったら、僕もそろそろクラッシュなりジョーの作品を買うことになるかな?そんな38年目のジョー・ストラマー…だったりする。

 映画が終わったら、みんなでジョーについて語らえたらいいなと思う。それくらい面白ければいいなと思う。

お昼にビールを飲んでみたりする

2007年09月25日 | diary
 昼過ぎにのっそりと起きあがり、魚肉ソーセージをかじって、ビールをぐびりと飲んだ。朝飯として。昼飯として。

 昨日は、キンクスやダグ・サームやグレン・フライをかけつつ、せっせと作業をする。ひとりでやったら12時間くらいかかるところを、友人の協力を得て、3人でやったことで4時間で終わった。ありがたい。ビールで乾杯し、ルー・リードをかけつつ、ピザを食う。腹が満たされ眠くなったひとりがくぅーくぅーと寝出す。枕を渡すと、さらに気持ち良さそうな寝息をたてたりする。もうひとりが持ってきたシングル盤をいろいろ聴かせてくれた。この日は「胸きゅん女性ヴォーカル特集」とのことだったけど、いわゆる世間一般で言うところのキュート系とはちょっと違っていた。声が低いというか、落ち着いてるというか。でも、どれもいい曲だった。「女性ヴォーカルだと誰が一番好きなの?」と訊ねると、「カースティ・マッコールとバーバラ・リンですかね」という答えが返ってきた。なるほどね。

 友人達が帰ってから、しばらくスプリングスティーンのライヴを聴いていた。もう十分飲んでたし、お腹もいっぱいだったけど、なんとなく自転車に乗っていつものアナログ・バーへ。カウンターに珍しくフランスの人達が座っていたので、「昨日、Teteのライヴを観たよ」と言ったら、フランスでは有名らしく、「いいわねー。彼はずっとにこにこしてたでしょ?」と言ってきた。確かにTeteはライヴの間中、ずっとにこにこしていた。「あなたがいなくてさびしい」というフランス語を教えてくれたんだけど、もうすっかり忘れてたりする。また、別のお客さんからは、トミー・ゲレロが近所のサーフ・ショップでライヴをやったと聞いて驚いたり、パティ・オースティンのライヴ帰りというお客さんもいたりと、なかなかバラエティにとんだ夜だった。

 カウンターに「読書案内」という4つ折のブックレビューがあったので、もらって帰り、部屋のベッドでごろごろしながら読んだ。久しぶりに小説を読みたくなったりした。

I reborn

2007年09月24日 | diary
 ひきつづきスプリングスティーンの誕生日(時差を考えると)。というわけで、今朝もスプリングスティーンを聴いてたりする。“Where the Bands Are”とか“Mary Lou”とか。ちなみに、レイ・チャールズとジョン・コルトレーンも同じ誕生日だったりする。あとでかけるとしよう。

 昨日は、昼過ぎに友人と落ち合い、相模大野のファミレスへ。僕の頭では解決しきれないことに手を(というか頭を)貸してもらう。これが思っていたよりも手強くて、終わったときには2人とも普通に疲れていた。途中で大学時代の先輩から電話が入り、夜は急遽、Teteのライヴを観に行くことに。渋谷までの道中、携帯からとあるブログをチェックすると、更新されており、救急車に乗った話が書かれていた。僕も救急車に乗ったことがある。大きな火傷をしたときで、病院に搬送されるまでの間、太ももが燃えるように熱かったのを覚えている。そんなことをふと思い出したりした。Teteのライヴは、女性コーラスがひとり横にいるだけの完全な弾き語りで、多くの歌はフランス語で歌われた。憂いを帯びたメロディの曲は、どことなく歌謡曲みたいに聞こえた。クアトロはほぼ満員で、Teteの歌もギターも演奏もそれなりに良かったけど、それ以上のものではなかったと思う。終演後は、中華屋で軽く腹ごなしをしてから、飲んべえ横町にある7席だけのバーへ。持ってたCDをかけてもらい、たまたま居合わせた人達とわいわい語らう。とてもいい雰囲気で、みんないつまでも居座ってそうだったけど、家が遠い僕は早めに帰ることにした。その場の流れで引き止められたけど、「僕はもうそういう甘い言葉にはのらないようにしたのです」ときっぱり言って店を出たのだった。鋼の意志と言っていいだろう。かっちょいい。

 えっと、かつてなら、確実に飲みつづけていたと思う。で、終電を逃していたと思う。でも、もうそんな僕じゃないのだ。but now I reborn♪とジョン・レノンのように歌ってみたりしつつ、駅まで歩いた。

 帰りの電車では、ずっと救急車のことを考えていた。自分のつたない経験から、どんな気持ちだったんだろうと想像してみたりした。

 地元の駅に着いてから、もう1杯飲んでいきたいなぁと思ったけど、そこはぐっとこらえて、自転車の置いてある図書館前へと向かう(I reborn♪)。 口ずさむ僕の前を、若いカップルが歩いていた。女の子が「この道をまっすぐ行くとセブン・イレブンがあるのよ。思い出したー」と言って、「まじでー。全然覚えてねーよー」と男の子が答えた。確かにまっすぐ行けばセブン・イレブンはある。彼女は間違っていない。でも、歩いたら30分ほどかかる。果たしてそれをわかって言ってたのか?どうなんだろね。

 今日は仲間がふたり昼過ぎにやって来る。僕がお願いしたことを手伝いにきてくれる。で、夜はさくっとお酒を飲むのだと思う。さくっと…。

Happy Birthday, Bruce!

2007年09月23日 | diary
 トタン屋根の上から
 小さな男の子は町を練り歩く行進を見ていた
 ダニエルが地下の男たちと一緒に
 悪魔退治をした博物館の前を通り過ぎるのを
 ニューメキシコの荒れ地をめぐって
 かつて科学の巨人達が支配権を争った場所では
 テキサス共和国大統領だったサム・ヒューストンが
 魂を取り戻そうと戦っている
 そして、町の住人達はキッド・コルトの銃におびえて暮らしている
 キッドは言った。「ヘイ、サンタ・アナはどこだ?」 
 彼こそロマンスの力で口のきけぬ者をしゃべらせた男

 大好きな“Santa Ana”。4年前の今頃、はじめてスプリングスティーンの故郷を訪れたときのこと。フリーホールドを、アズベリー・パークを歩きながら、僕は何度もこの曲を聴いた。これや、“Sea Side Bar Song"や“Zero and Blind Terry”や“Linda Let Me be the One”を。“Thundercrack”を。それはとてもロマンティックで、センチメンタルな体験だった。

 スプリングスティーンが育った町は、時代から取り残されてしまっていて、昔の想い出だけが色濃く残っていた。そのことを鮮やかなまでに感じ取れたのは、彼の歌があるからであって、それらは僕の心のもっとも鮮やかな風景と、きれいに重なる。あのときの深い感情を言葉に表すのはとても難しい。それは、非常に個人的な、僕だけのための感情だったからかもしれない。

 あのとき、スプリングスティーンはここからすべてを始めたんだなぁと思った。きっと、誰にでもそういう場所はある。たいていの場合は、取りに足らなさすぎて気がつかないけど、僕らにもそんな場所は、きっと存在する。照れずに目をこらせば、見つけることができるのだろう。

 スプリングスティーンが“Santa Ana”を歌った日から、随分と長い時間がたった。その間、彼は歩きつづけて、やはり随分と遠くまで足をのばした気がする。でも歌は残り、今でもあの頃のことは、変わらずスプリングスティーン自身と繋がっている気がするし、その歌を通して、僕の心とも繋がっている。

 スプリングスティーンは、もうすぐ新作を発表し、ツアーに出る。バンドの中には、あの頃一緒に“Santa Ana”を演奏していた仲間もいる。彼がもう58歳だなんて信じられない。でも、僕もその分だけ歳を重ねた。歳を重ねるほどに、彼の歌は、それまで気がつかなかったことを語りかけてくる。それだけの深みが、スプリングスティーンの歌には、ずっと前からあったのだと思う。けっして大袈裟に言うのではなく、スプリングスティーンの歌を聴いて、僕は、音楽から人生を学べることを知った。真剣に耳を傾ければ、それはどんな書物よりも雄弁に、僕が求めるものを語りかけてくれた。

 だから今日は、たくさんの感謝と尊敬を込めて、あなたに伝えたい。

 Happy Birthday, Bruce!

( Is Anybody Going to ) San Antone

2007年09月22日 | diary
 たくさんのシングル・レコードを聴いた夜。ピザを食べつつ、ポール・サイモンを聴いた夜。アート・ガーファンクルのリクエストが電波に乗ってやってきた夜。そして、デラニー&ボニーのDVDを観た夜。あと、『エルヴィス・オン・ステージ』をはしょって観て、気の迷いでライヴ・エイドを観たりもした。友人は14時30分頃やってきて、23時30分頃に帰っていった。帰りは藤沢駅まで2人で歩いて、僕がジョン・レノンの話をした。

 で、今は余ったビールとかっぱえびせんをいただいている真っ昼間だったりする。

 なぜビールが余ったのか?それは友人が飲むのセーブしたからに他ならない。「最近どうも二日酔いになることが増えて…」との理由らしい。僕も大いにうなずき、「そうそう、次の日が無駄になるような飲み方はしない方がいいよ」という結論に落ち着く。僕らもうバカ飲みはしない。きっと。

 友人がギターで練習中の曲をいくつか弾いた。ダグ・サームとかを。僕が彼の大好きなカースティ・マッコールの”They Don't Know”を弾き、2人で歌った。友人が12小節のブルースを弾き、僕はブルース・スプリングスティーンの切ない片思いの歌を歌った。「今のスプリングスティーンだよ」と言うと、「そんな気がしました。MIYAIさんの歌とかにもスプリングスティーンの影響が感じられますよ」と言われ、そんなことは初めていわれたんだけど、ちょいと微妙な気分になる。だってほら、日本人がスプリングスティーンに影響を受けると、たいていやばい方向にいきがちなんで。僕がそう言うと、「それは大丈夫ですよ。長渕みたいになってるわけじゃないから」と言ってくれたので、ちょっとほっとした。

 明日はそんなブルース・スプリングスティーンの誕生日。58才になる。まったくいつの間にやら…。58才というと、ジョージが亡くなったときと同じ年齢。スプリングスティーンには、いつまでに元気な歌声を聴かせてほしい。

青空とスワンプ・サウンドの関係

2007年09月21日 | diary
 なにやら良いお天気で。さりげなくドン・ニックスなどをかけてみたりする。窓を開けて、空を見上げて聴く、ドン・ニックス。抜けるような青空にはスワンプ・サウンドがよく似合う。おーいぇー。

 昨日は部屋ですごすごと作業をし、夜は22時を過ぎたくらいに自転車で、やっぱりCD&その他を持って地元の店を3軒ほどめぐる。まずは、手頃で美味しいワイン・バーへ。お通し(こういう店でもそう呼ぶのかよくわからんけど)でカツオのたたきにちょっと手を加えました的な一品を出してくれたんだけど、赤ワインとあまりによく合ったもんだから、1杯のつもりが2杯になった。それから、ときおり行くジャズ系バーへ。こちらは常連さんの蜂退治のお話を横で聞きながらビール1杯で退散。最後はいつものアナログ・バーにてカナディアン・クラブを2杯と、小腹が空いたのでフレンチ・トーストをいただく。ビートルズ・ファンの常連さんと、当たり前のようにビートリィな話などをしていたら、気づけば午前2時を過ぎていた。

 最後の店に入ったとき、友人がカウンターで飲んでいた。そいつの親父さんが、一昨日かなり大きな手術をしたばかりで、とりあえず手術が成功したのは聞いてて、あとは後遺症がなければということだったので、「どうだった?」と訊ねると、「大丈夫でした。もしダメだったらここで飲んでませんよー」との答えが返ってきてほっとする。「でも、ほんとはもうダメかと思ってました。なのにその日の空はすごく青くて、ほんとにいい天気で、遠くの山までくっきり見えちゃってて」と、さすがに友人もいろいろ感じる部分があったようで、いつになく真面目な話をし、「いざとなると、本当に言いたいことって言えないもんですね。みんなくだらない話ばっかりしてて…」とか。確かにそういうもんかもしれない。

 今日は別の友人が、コースターズのシングル盤とデラニー&ボニーのDVDを持って遊びに来る。デラボニには、ジョージとエリックも映ってるそうで、かなり楽しみ。

 外はいい天気。抜けるような青空には、デラボニのスワンプ・サウンドが、きっとよく似合うと思う。

貨物車

2007年09月20日 | diary
 昨日は夕方から、久しぶりに自転車で茅ヶ崎へ。まずは、アナログ・レコードが1万枚揃っているミュージック・ライブラリー&カフェへ。どーもこんちはぁーと挨拶し、ミルクティーを頼んで、ずるずる飲みながら、あれこれとおしゃべりをする。持ってったCDをかけてもらい、感想を聞く。優しい人なので、絶対悪く言わないのはわかってるんだけど。1時間ほどのんびりさせてもらって、次はクジラのようなマスターがいるロック・バーへ。ビールを注文し、持っていったCDをかけてもらうと、「いいね。でも、今のコーラスは2回いらないな。あー、ここは歌い方を変えた方がいいね。こいつボブ・マーリィとか好きじゃない?ほらな、そうだろ?」など、忌憚のない意見(というか、思いついたこと)が返ってきたりする。それからマスターが聴かせたいCDがあるというので聴き、今度は僕が忌憚のない意見(というか、思いついたこと)を言ったりする。で、最後はウエスト・コースト・ロックを聴きながら、イーグルスの新曲の話などをした。2時間ほどのんびりさせてもらって、そん次は海の近くにあるアナログ・バーへ。ここはかなり久しぶりに顔を出した。ビールを注文し、持っていったCDを渡すと、若いマスターはすぐにかけてくれ、居合わせたお客さんからも感想を聞くことができた。途中で南佳孝氏が入ってきたので、軽く挨拶をし、トイレに行って戻ってきたら、もういなかった。そろそろ帰ろうかなぁと思うと、アル・グリーンやリンダ・ルイスがかかるもんだから、なかなか席を立てず、結局、店を出たのは午前0時を過ぎていた。3時間ほどのんびりしたことになる。

 携帯にメールをもらう。やりとりをしているうちに、昨日僕が書いた日記が発端で、話題はヨーコのことに。彼女はヨーコの芸術についての話をした。とても感銘を受けたという。でも、僕の話は最初からヨーコの芸術とはかけ離れたところにあった。そう伝えるのだけど、僕の伝え方がよくなかったのか、話はいつまでも噛み合わなかった。で、気がついたら午前3時を過ぎていた。少し疲れた。

 今朝起きて、彼女が実際に観たというヨーコの作品を検索した。僕もそれをすぐに思い出すことができた。当時、僕はテレビのニュースで観ただけだったけれど。きっと、実物を観たのとテレビとでは、受ける印象も違うのだろうなと思ったりした。彼女が感銘を受けたのがこの作品だったのかは、わからないのだけど。

 なんであれ、それは2001年のヨーコの作品だった。すっかり忘れてたよ。もうあれから6年がたつんだね。

John

2007年09月19日 | diary
 シンシアの『John』を読了。原題はこんなにシンプルなのに、邦題は『ジョン・レノンに恋して』という陳腐なものだったりする。どういうわけか、こういうことになるんだよな。

 ま、いいや。で、内容の方なんだけど、とても血のかよった本だと思った。僕自身が元々ヨーコに対してあまり好意的じゃない(というか、かなり懐疑的)というのもあるけど、正直、ヨーコがやってきたことや言ってることより、何倍も説得力があったし、心に響いてくるものがあった。本の前半は、ジョンとの出逢いとビートルズの成功が綴られ、読んでいてとても楽しい。後半はジョンのそれはそれはひどい仕打ちと離婚、そして、その後の長い長い時間のこと。読んでいてこちらの胸も痛くなってくる。でも、ジョンのことを嫌いになるかというと、そういうことはないわけで。ほんとにひどい奴なんだけどね。なのになんでだろう。その理由は、結局のところ、こういうことだと思う。シンシアの言葉からちょいと抜粋。

「ジョン・レノンのという人は、やはりかなり特別な存在だった。才能にあふれ、心に深い傷を負った、創造の天才。愛についての歌を、聴く者が心を焦がすほど情熱的に歌い、でもその一方で、愛すべき自分のいちばん身近な者たちの心を、まるで鋭利な刃物でえぐるように傷つける。わたしはジョンを愛してやまなかった。けれども、その愛のために支払った代償は、途方もなく大きい」

 つまり、ジョンは特別な人なんだと思う。ずるいっちゃーずるいが、もしそうなら、しょうがないっちゃーしょうがない。リンゴの言うように「ジョンはほんとにおかしな奴だよ。でも結局、僕らジョンのことが大好きだからね」ということになってしまうのだと思う。その点、ヨーコに対しては、「あーあーやっぱりねー。そういう女だよねー」と、僕なんかはすぐに思ったりするわけでね。
 
 結論:ジョンは特別だけど、ヨーコはそうじゃない。

 ジョンの死後、 ヨーコが作り上げていったジョン・レノン像に、僕はどうしても馴染めない。いつしかジョンのイメージ・カラーはきれいな白になっていた。でも、ジョンって白か?亡くなったばかりの頃は、黒とかそんな感じだった気がする(そういうアンケート結果を何度か目にしたこともある)。ジョン・レノン・ミュージアムの最後の白い部屋も、僕は好きになれない。ヨーコの匂いが強すぎて、あまりジョンらしくないと感じるからだと思う。だから、もしかすると、僕はこの本を読んで、少しほっとしたのかもしれない。

 こういう本が出るとよく、「これはあくまでもシンシア側から見たジョンだから」というまっとうな意見がどっかから聞こえてくるけれど、ここに書かれた内容には、それだけで済ますのはどうかと思うくらいのものがあると、僕は感じている。少なくとも、シンシアは正直になにかを伝えようとしている。なにが正しいとか、そういうんじゃなくて。そんな彼女の話が聞けてよかったと思っている。

 当然のことながら、ジュリアンの話もたくさん出てきた。この本を読み終わったとき、僕が聴きたいと思ったのは、ジョンの歌ではなく、彼の歌だった。『Valotte』しか持ってないんだけどね。