Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

ジョージがやって来た朝

2006年09月30日 | diary
 朝からビールを飲んでいる。なぜか?

 スプリングスティーンのとびきり名作なブート=78年ロキシーをかけつつ風呂にはいっていると、玄関のチャイムが鳴った。「誰だろ?でも、誰であろうと風呂に入ってちゃ出れないよね」。そう思って、僕はスプリングスティーンを聴きつづけた(なんせロキシーのライヴはとびきりの名作だから)。すると、そこでもう1回チャイムが鳴った。その瞬間、チャイムの主が誰であるのかがわかった。僕は驚異的な瞬発力で風呂から飛び出し、腰にタオルを巻いて、玄関のドアを開けた。

 そこにはジョージ・ハリスンがいた。

 僕はハンコを押して、ジョージを部屋へと招き入れた。えっと、やって来たのは『Living in the Material World』デラックス・エディションのことね。言い回しがくどくてすんません。

 僕がさっさっと着替えている間も、スプリングスティーンは歌いつづけていた。そして、身支度を整えて準備万端となったとき、最初のクライマックスとも言うべき“Racing in the Street”~“Thunder Road”がはじまった。“Racing~”のダークなリリシズムを受けて、スプリングスティーンが心に直接呼びかけてくるような胸の痛いMC(なに言ってんだかわからないけど)をはさんで、“Thunder Road”の名前が告げられ、イントロのハーモニカが聴こえてくる瞬間は、言葉では到底言い表せないほどの素晴らしさである。作家のニック・ホーンビィも、(彼はロキシーでの夜に限定して言ってるわけじゃないけれど)著作『ソングブック』の中でこんなことを言っている。「前の歌(“Racing in the Street”)から次の歌(“Thunder Road”)へと移るとき吹かれるハーモニカの音は、まるで、長くつらい冬が一瞬にして光り輝く春になったことを教えてくれるかのようだ」と。こうなってはもうどうすることもできない。あとはただただ、

 飲むしかない!…のである。

 そんなわけで、僕は“Thunder Road”のハーモニカに合わせて、ビールのプリングを引っ張りあげた。で、その後に、やってきたばかりのジョージをCDトレイにのせた。“Give Me Love”のイントロが数秒流れるだけで、もうジョージの世界になる。『Living in the Material World』はいつどんなときも僕を裏切らない。そんなアルバムだ。僕はこのアルバムに全幅の信頼を寄せているし、それの隅から隅までを愛している。歌詞が宗教的だいう人もいるけど、そう思って聴けば(例えばジョージがインド思想に傾倒してたことを知っていれば)そう聴こえるかもしれないし、別の気持ちで聴けば(例えばジョージがインド思想に傾倒してたことを知らなければ)また違うように聴こえるかもしれない。そこがこのアルバムの懐の深さでもある。

 それにしても『Living in the Material World』が手元に増えていくな(これで4枚目)。なんでこればっかり増えるんだろ。縁があるのかな。

 ブックレットに、当時のチャート誌がいくつか載ってた。例えば、1位から順にジョージ『Living in the Material World』、ポール・サイモン『There Goes Rhymin' Simon』、 ポール『Red Rose Speedway』、ピンク・フロイド『The Dark Side of the Moon』、カーペンターズ『Now&Then』、キャロル・キング『Fantasy』…。うーん、どれも大好きなアルバムだ。もし僕がこの頃に10代だったら、「MIYAIはヒットしてるものが好きなんだね」とか「ほんとミーハーだよなぁ」とか言われてたのかな?なんか不思議だ。

 さて、ジョージのDVDを観るとするかな。で、もう1本だけビール飲もうかな。もう1本だけね…。

ローカルなアメリカ音楽の良さと…

2006年09月29日 | diary
 昨日のリゼントメンツのライヴはまぁまぁだった。いわゆるアコースティック・ロックになるのかな。ルーツに根ざした演奏はけっして悪くないんだけど、騒ぐほどのものでもなかった。鍵盤でも入れば随分印象も違ったのかもしれないけど、どうなんだろね。

 そもそも、こういう音楽そのものを退屈に感じる人もいるだろう。それはちょうど僕がヒップホップのライヴに行ってもあまり楽しめないだろうと思うのと同じように。でも、僕は彼らのようなタイプの音楽を割と熱心に聴いてる方だと思うし、そんな自分がいたって普通に感じてしまったというのは、「きっとそれくらいの歌と演奏だったんだろうなぁ」と、僕としては、やっぱり思ってしまう。

 例えば、たまたま入ったバーでこのバンドが演奏してたらすごくいいなと思っただろう。「あれ、なんだよ、かっこいいじゃん」とか盛り上がって、ビールがすすんだと思う。わいわい騒ぎながら、「おーい、C.C.R.やってくれよー」とか、そんな声が飛んだりしてね。そしたら、すごくいいものを観たような気分になれたと思う。でも、昨日はそうじゃなかったということだ。僕は5,000円を払って、彼らのライヴを観に行った。そこにはもっと音楽そのものへの期待がある。そんな僕の気持ちを満たしてくれるような演奏では、残念ながらなかった。

 豊潤な音楽だった。でも、それはアメリカ音楽が豊潤なのであって、彼らの歌と演奏が豊潤だったわけじゃない。一部の知り合いの間で、とても前評判が高かった彼らだけど、僕にとっては、ローカルなアメリカン・ミュージックの良さと、音楽を演奏することの難しさを感じた夜だった。

LEON

2006年09月28日 | diary
 『レオン』、素晴らしすぎ。ストーリーも役者もカメラも、なにからなにまでが素晴らしい。

 まだ埼玉に住んでいた頃、僕は所沢にある満員の映画館で『レオン』を観た。映画館に着いたときにはもう席はいっぱいで、僕は壁にそって並べられていたパイプ椅子に座ってこの映画を観た。立ち見のお客さんもいっぱいいた。僕が観たのは「完全版」の方で、確かこの1~2年前に映画自体は既に封切られていて、大ヒットを記録していた(と思った)。友達の家に遊びにいったとき、サングラスをかけたジャン・レノのかっこいいポスターが貼ってあったのを覚えている。「最高だよ」と彼女は僕に『レオン』を観るように薦めた。結局、そのときはすぐには観に行かなかったけれど、数年後に観た『レオン』は、彼女の言う通り、確かに最高だった。

 で、昨日ビデオで観て、やっぱり同じように、最高だと思った。ほぼ完璧な映画だと思った。観終わってから、当時買ったパンフレットを押入れの奥からひっぱりだしてみた。すると、1枚の紙切れがはさんであって、そこには明らかに僕の字で「完璧な作品」と書かれていた。あーそのときもやっぱりそう思ったんだ。パンフレットを眺めていると、あのとき感じた新鮮な驚きが蘇ってくる。例えば、大画面にアップで映し出されたコップに注がれるミルク。まるで生き物みたいだった。 

 ジャン・レノ、ナタリー・ポートマン、ゲイリー・オールドマン、リュック・ベッソン、エリック・セラ。みんないい仕事をしたと思う。スティングもよかったよ。“Shape of My Heart”は印象的なエンディングにぴったりの歌だった。

 というわけで、このビデオは押入れには戻さないことにした。もっと手に取りやすい場所に置いておくとしよう。思い出したときにいつでも観れるように。

 昨日、ジョージの『Living in the Material World』デラックス・エディションが、うちの玄関までやってきたらしい(不在通知が入っていた)。なんとなくジョージを門前払いしたみたいで胸が痛いので、今夜観に行くリゼントメンツのライヴには、無関係にジョージTシャツを着ていこうと思っている。

キーハンター

2006年09月27日 | diary
 昨日は割と遠くまであちこち外まわりをした。その道すがらで、先日の日記に書いたギャラガー&ライルのレコードが売ってたので買った。『Breakaway』というアルバムで、アート・ガーファンクルやリンゴ・スターがカヴァーした曲が入っている。

 仕事を終えて藤沢に着いたのは21時過ぎ。馴染みのアナログ・バーに寄って、買ったばかりのギャラガー&ライルをかけてもらった。「あ、この曲知ってるよ。『フリーライド』っていう大好きな波乗りの映画に使われててさぁ」と、すかさずいい反応が返ってくる。で、2曲目。「え、これも入ってるの?この曲も映画に使われてたんだよねー」ともうひと反応。「よし、俺も買おう!」と最後は力強い言葉で締めくくられたのだった。寄ってよかったと思った。

 僕は僕でピーター・アレンというシンガー・ソングライターを教えてもらった。こちらもけっこう良かったんで、今度さがしてみよう。

 居合わせたお客さん達とあれこれ談笑。先頃亡くなった丹波哲郎の話題になる。みんな僕より10歳くらい上の人達で、「キーハンター」というテレビ・ドラマのことで盛り上がってた。なんでも、このドラマがきっかけで、千葉真一と野際陽子が、谷隼人と松岡きっこが結婚したらしい(松岡きっこなんて知らないけど)。監督が深作欣二だったりとか、全250話以上あったりとか、ちょっとすごいドラマなんだそうな。そのとき、居合わせたひとりが言ってた面白い話。「子供の頃に男だけで『キーハンター』ごっこをやったんだよ。そのとき、俺、野際陽子をやらされたんだよね。ほんとは千葉真一をやりたかったのに。でも、あれは一番運動神経のいい奴がやるからしょうがないよね。でも、せめて谷隼人にしてほしかったなぁ。あのとき「あー俺って平均以下なんだ」って自覚した」とのこと。面白かったけど、これってちょっと悲しい話かもしんない。ゴレンジャーごっこやって、モモレンジャーにされるようなもんだもんな。

 ちなみに、僕はキーハンターごっこはやったことないけど、ゴレンジャーごっこならやったことがある。僕はいつも一番好きなミドレンジャーだった。もしかすると、それは幸せなことだったのかもしれない。

Can you speak English?

2006年09月26日 | diary
 これから天気が崩れるそうで。傘を買っていこう。今日は1日外をうろつく予定。

 仕事で久しぶりに英和辞書を開いてみた。これは僕が高校~浪人時代にかけて使っていたもの。わからない単語があって調べてみると、たいていアンダーラインが引いてあった。

 おー、勉強してんじゃん。

 えっと、正確に言うと、勉強してた…と過去形なわけだが。こんなに頑張ってたのに(線が引かれているのだから、きっと頑張ってたんだと思う)、どうして英語の成績が伸びなかったんだろ?僕はいたって私立文系なコースを歩んできたため、あるときを境に数学と理科には別れを告げ、英語と国語と社会に的をしぼってきた。国語はちょっと得意だったかな。社会は世界史を選択したんだけど、こちらもそれなりだった気がする。でも、英語はいけなかったね。こいつのせいで2浪したんだと、今でも思っている。

 おそらく語学そのものにセンスがないのだろう。だって、別に英語に恨みがあったわけじゃないのに、一生懸命辞書だってひいてたのに、このザマだからね。「意味なんてなんとなくわかればいい」と思いがちな性格もいくらか災いしたかもしれない。添削されて戻ってくる答案を見ては、「なにがいけないの?意味通じてんじゃん。どっちでもいいじゃん」とよく思ったりした。

 ま、いいよ。別に英語なんかしゃべれなくて。そのせいで困ったこともないし。

 ただ、たまに仕事で外人さんのアーティストと接する機会があると、少しは相手が言ってることを理解できたり、自分の言いたいことを伝えられたりできればいいなぁとは思う。そしたら、ビール片手に楽しく音楽談義ができるのにね。

マッチョじゃなくても

2006年09月25日 | diary
 なんとなく映画が観たくなって、押入れの奥にあるダンボールを引きずり出す。音楽ものばかりのビデオ・テープの山。その中からなんとか見つけたのが、『ダイ・ハード』と『レオン』。なんで持ってるのか思い出せないけど、どちらも映画館で観て、とても面白かった記憶がある。さて、どっちを観ようかなと考える。少し疲れてもいたんで、短い方にしようとパッケージを見比べると、どちらも133分だった。うーん。しばし悩み、結局、深みがなさそうな方というか、単純で気楽に楽しめそうな『ダイ・ハード』を観ることにした。

 タンクトップ姿のマッチョなブルース・ウィルスに「うっ…」とくる。再びパッケージに目をやると1988年の作品とあるんで、「なるほどねー」と思う。80年代ってそういう10年だった。オリビア・ニュートン・ジョンの“Physical”からはじまった(のかどうかは知らないけど)健康ブームというか、シェイプアップ運動というか。とにかく、マッチョな男がもてはやされた。スタローンとかシュワルツェネッガーとか、えっと、スプリングスティーンとか…。

 今みるときついもんがあるけど、確かにあの頃はかっこ良く思えたんだよな。時代とぴったり合ってたんだと思う。だから、スプリングスティーンも異常な人気を呼んで、大きな誤解を生んで、その後大変な苦労をすることになるんだよな。ま、僕もこのときにファンになったわけだし、「すごい腕だねぇ。かっこいいなぁ」とか思ってたんで、えらそうなこと言えないんだけど。でも、今になってみれば、スプリングスティーンがマッチョになる必要なんてなかったと思うんだよな。だから、もしタイムマシーンがあったら、僕は80年代初頭に飛んで、スプリングスティーンに忠告すると思う。

 MIYAI:「悪いことは言わないから、体は鍛えない方がいいですよ」
 スプリングスティーン:「どうしてだい?」
 MIYAI:「すごい人気者になっちゃいます」
 スプリングスティーン:「けっこうじゃないか」
 MIYAI:「度を越えた人気者になっちゃうんです。いろいろ厄介なことが起こります」
 スプリングスティーン:「どんなことが起こるんだい?」
 MIYAI:「“Born in the U.S.A.”がアメリカ讃歌だと勘違いされます」
 スプリングスティーン:「そんな馬鹿な?あれはそういう歌じゃない」
 MIYAI:「でも、ほんとなんですよ。大統領選でも悪用されて」
 スプリングスティーン:「まじで?」
 MIYAI:「まじで。それだけ大変なスプリングスティーン・フィーバーが巻き起こるんです」
 スプリングスティーン:「そんなことになるのかぁ。他には?」
 MIYAI:「あなたはきれいなモデルさんと結婚します」
 スプリングスティーン:「いいねー」
 MIYAI:「でも、すぐにつらい離婚を経験します」
 スプリングスティーン:「嫌だな…」
 MIYAI:「でも、体を鍛えなければ大丈夫!幸せな人生ですよ!」
 スプリングスティーン:「わかった!俺、このままでいるよ」

 なんつってね。えっと、話を『ダイ・ハード』に戻すけど、左上に「SAMPLE」の文字がずっとあったのが気になった以外は、予定通り、単純に気楽に楽しめた。当時のハイテク技術はさすがに古くさくなってたけど(この映画の舞台が超ハイテク・ビルなので)、18年も前の映画だからそれはしょうがないもんな。あと、字幕では「目が見えないのか!」になっていたけど、実際には「スティービー・ワンダーなんたらかんたら」とブルース・ウィルスが言っていて、ちょっぴりびっくりした。いいのかな?

 もしはやく帰ったら、今夜は『レオン』を観ようかな。でも、ジャン・レノもけっこうマッチョなんだよな。どうしようかな。

フリマ

2006年09月24日 | diary
 昨日はあれから『Born to Run』のメイキングDVD『Wings for Wheels』を観て、もう1回『Born to Run』を聴いた。で、今朝は風呂で『Darkness on the Edge of Town』を聴いて、今は『The River』を聴いている。今日のような天気のいい日には、“Sherry Darling”や”Out in the Street”がとてもよく似合うと思う。

 こんな風に心おきなく、朝昼晩とスプリングスティーンを聴いていられるのは、ひとり暮らしのいいところだ。「あつくるしー!」と怒鳴られることも、「うるへー!」と叫ぶこともない。

 知り合いがフリーマーケットに出店しているというので、行ってきた。江の電に揺られて10分くらい。海辺の駐車場のフリマ。「どもども」とビール片手に挨拶し、「あーどうも。いらっしゃい」と挨拶される。で、せっかく来たんだしと、フリマのビデオを買った。えっと、この場合のフリマはフリートウッド・マックのことね。『Rumors』のメイキング・ビデオ。

 こういうメイキングものって、音楽的なことはもちろん、レコーディング中のアーティストの様子などが窺えて面白い。ただ、このビデオは、僕がこれまで観てきたメイキングものとは、ちょっと事情が違っていた。というのも、男3人女2人のバンド内に、夫婦が一組と、夫婦同然に暮らしているのが一組いたのだけど、夫婦は離婚し、夫婦同然の2人も別れてしまう。で、ひとり残った男も、奥さんが親友と浮気してたことが発覚して離婚。とにかく、そんなひどい状況でのレコーディングだったらしい。必要なときしかお互いの顔を見ないようにしてたとか、まぁすごい発言がいっぱい出てくるんで、思わずのけぞってしまった。よくもまぁそんなんで音楽が作れたなぁと思うけど、結果的には、それが今も多くの人に愛される名作となったわけでね。

 でも、なんとなくだけど、わからなくもない。音楽ってそういうところあるから。いろんな感情をのみこんで、まるでなにかに導かれるようにしてまとまり、昇華されていく。そのためには、たくさんの心が傷ついても、止めることができない。そんな業の深さって確かに存在する気はする。

 フリマでは(この場合はフリーマーケット)、ストーンズの『Video Rewind』も買った。ビル・ワイマンとミック・ジャガーがホスト役をつとめるコミカルなプロモ集。プロモ自体は観たことあるものばかりだったけど、ビルとミックのアホらしい演技のおかげで、思った以上に楽しめた。それからサリー・オールドフィールドの『Water Bearer』。ケニー・ロギンスの“Whenever I Call You, Friend”というシングル盤も買った。これにはスティーヴィー・ニックスが参加してるから、一応フリマつながりということになるのかな。えっと、この場合のフリマはね、フリートウッド……(以下省略)。

Happy Birthday , Bruce!

2006年09月23日 | diary
 昨夜、家に帰って時計を見たら0時をちょうど過ぎたところだった。「あ、日付けが変わった」ということで、ブルース・スプリングスティーンの『The Seegaer Sessions』を聴いた。で、今朝は、風呂につかりながらブルース・スプリングスティーンの『Greetings from Asbury Park,N.J.』を聴いた。それから小1時間ほど出かけて、部屋に戻ってからはブルース・スプリングスティーンの『The Wild, The Innocent & The E.Street Shuffle』を聴き、今は『Born to Run』を聴いている。つまりですね…

 今日はブルース・スプリングスティーンの誕生日なのです。おめでとう!

 57歳になりました。すごいなぁ。僕がファンになったとき、スプリングスティーンは35歳で、世界一の人気者のひとりだった。僕はというと15歳で…、えっと、今よりもずっとたくさんのことを知らないで生きていた。

 スプリングスティーンを聴いて、僕は、ロック・ミュージックからでも、人生のなにか大切な部分を学ぶことができることを知った。スプリングスティーンの作品を時代順に聴いていくと、僕らはスプリングスティーンの人生を追体験することができる。スプリングスティーンが歳を重ねるにつれ、歌の主人公もまた歳を重ねていった。それは強烈なリアリズムをもった表現だった。スプリングスティーンの歌はフィクションでありながら、そうとは思えないほどの明確なヴィジョンをもっていて、そこには真実の物語としての深みが隠されているように思えた。

 そういう意味で言えば、スプリングスティーンのキャリアは、どこか自伝めいている。彼が生きている限り、彼の歌もまた生きていて、僕らの人生と同じように、未来をはらんでいる。

 僕がずっと追っかけてきたのは、そういう人だ。そういう人の人生を、僕は追っかけてきたんだと思う。

いってきます

2006年09月20日 | diary
 ベッドから出て、しばしぼけっとして、顔を洗って、歯を磨いて、レコードをかけて、ハムとチーズをのっけたトーストを食べた。で、またぼけっとしたりする。

 さてと、そろそろお出かけの時間。江の電にとことこ揺られ、海や街並を眺めて、いつもの駅で降りて、徒歩数分で事務所に到着…するんだと思う。今日の予定としては、なるべくはやめに出かけようと思っている。お昼は都内で食べようと思っている。

 いい天気だし、その方が気分がいい。

 僕がこんなことしてる間にも、いろんな人がそれぞれにそれぞれのことをしてるわけで、そこにはそれぞれの1日があったりするのだろう。僕の知らないところで、いろんなことが起きている。あの人にとっても、この人にとっても、その人にとっても。どうしてるのかなぁと思ったりする。

 では、いってきます。どうか今日があなたにとって良き1日でありますように。

Madonna

2006年09月19日 | diary
 マドンナが来日中。ちょっと観たいなぁと思って、ヤフオクを覗いてみた。定価が「ちょっと観たいなぁ」くらいの気持ちで出せるお値段じゃないもんで。それでも、僕のお財布との折り合いはつかなかったわけだけど。

 1970年1月生まれの僕にとって、80年代はまるまる10代だった。それなのに…なのか、それだから…なのか、マドンナのアルバムって『Like a Virgin』しか聴いたことがない。きっと、僕の周囲ではそんなに人気がなかったからだと思う。“Border Line”とか“Crazy for You”とか好きなヒット曲もあったけど、でもその程度だった。で、今もその程度だったりする。

 マドンナにはマドンナの道があって、僕には僕の道があった。その2つの道はあまり似ているようには思えなかった。少なくとも、僕があの頃熱心に聴いていた音楽と、マドンナの音楽には、たくさんの意味において、大きな違いがあった。

 あれから20年以上がたってみて、高校生だった僕は36歳になり、マドンナも48歳になった。詳しいことは知らないけれど、その間、マドンナが彼女なりの方法で果敢なチャレンジをつづけてきたことは、僕も耳にしている。で、僕はといえば、えっと、僕なりの方法で・・・って、まぁいいや。

 それにしても、なんでまた今になってマドンナのライヴを観たいと思ったんだろ?我ながら不思議だ。結局、10代の頃に知ったものごとは、好き嫌いを超えたところで、なんとなく特別な空気をまとっているのかもしれない。もちろん今のマドンナが、あの頃とはまっ たく別の場所で生きているのはわかっているし、僕もまたまったく別の場所にいるわけだけど、でも、そこにささやかなつながりを見つけようと思えば、できないことはない。うまく言えないのだけど、きっとそれだけの時間がたったということなのだと思う。