Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

夏よ来い

2006年06月30日 | diary
 今日は直行。さいたま県まで行ってくる。電車で2時間ってとこ。駅ビルで本でも買って、のんびりとことこ目指そうと思っている。そんな日も悪くない。

 夏の匂いがそこかしこに感じられる。あー夏だよーとか思ったりする。で、ビーチ・ボーイズを聴いてみたりする。別に夏にしか聴かないわけじゃないんだけど、夏が近づくとやっぱり聴きたくなるビーチ・ボーイズ。『All Summer Long』とか。気持ちが明るくなる。

 僕は夏が好きで、夏じゃない季節はいつも「はやく夏にならないかなぁ」と思って過ごしてきた。そこには僕なりのいろんな理由があった。まず夏休み(大手を振って学校に行かなくていい)、ギラギラ太陽(なーんも考えなくなる)、服装(ひたすらだらしなくしてても怒られない)、海や川やプール(泳ぎは得意だった)、ビール(やたらとおいしい)などなど。他にも風鈴とか夕立ちとか冷やし中華とか、さがせばいくらでもでてくる気がする。

 でも、こんな僕も大人になり、一応まともに働くようになって、いろんな事情が変わった。今じゃ夏休みなんてあってないようなものだし、仕事に時間をとられギラギラ太陽の下にいることは減ったし、さすがにあんまりみすぼらしいかっこうはしなくなったし、泳ぎにもそれほど自信がもてなくなった。で、そうしたことへの僕の興味は、まるで雪崩をうったかように「ビールを飲むこと」へと集約された感がある。ビールなんて1年中飲んでるのにね。

 それでも、そんな風になった今も、夏は楽しい。夏になれば、僕は自転車に乗って海へ出かけ、かげろうに揺れる水平線を眺めながらビールを飲んで、部屋ではビーチ・ボーイズのレコードをかけて、うちわ片手にビールを飲む。例えば、夕立ちが降ったとする。やんだら僕は窓を開けることだろう。涼しい風が風鈴を揺らす。軽やかな音色が耳にやさしい。そんな夜には鰻を食べに行きたい。鰻はほんとうに美味しいと思う。

 今では週末にしかできないことも多くなった。それでも夏は楽しいことに溢れている。いつかまたそんな自由で気ままな夏を取り戻せたらと思う。

映画を観てみた

2006年06月29日 | diary
 いろんなとこでもう十分過ぎるくらい話題になってることだけど、ここでも一応。えっと、40年前の今日、ビートルズが日本にやって来た。僕が生まれる3年半前のこと。つまり、あと3年半もすれば、僕も40歳になるというわけか。うーんまんだむ…。

 昨日は職場の同僚と無事『ダ・ヴィンチ・コード』を観てきた。まぁまぁだった。なんていうか、本を読んでたから内容を理解できた。そんな気がした。

 この作品、宗教的視点が過激だったこともあり、本も映画も大変な話題作だったわけだけど、でも実際に怒ってる人もいるんだと耳にすると、なんだかおさまりの悪いものを感じる。キリスト教徒でもない僕がこんなこと言うと怒られるかもしれないけど…

 たかが小説でしょ?映画でしょ?

 所詮、作り話だぜ。そんなものにどうしてそこまでムキにならにゃいかんのだろ。こうしたことで思い出すのが、ジョンのキリスト発言。ジョンが「今じゃビートルズの方がキリストよりビッグだ」と言ったとか言わないとかで、それがアメリカのバイブル・ベルトを中心にビートルズ排斥運動に広がったお話。実際、たくさんの人たちが集まってビートルズのレコードや本を燃やしてる映像を僕も観たことがある。で、中学生の頃に読んだものの本には「それくらいビートルズの影響力は増大していた」みたいなことが書かれてたりして、子供だった僕は「へぇー、ビートルズってやっぱりすごいなぁ」と素直に思ったりもしてたんだけど、でもさぁ…

 普通怒りますか?そんなことで。たかがロック・バンドの発言でしょ?

 聞き流せばいいのに。なんの他意も悪意もなくそう思うよ。僕はイエスよりもジョン・レノンの方がずっと好きだけど、もしイエスが「俺はビートルズよりもずっとビッグだ」と言ったところで(言うわけないけど)、これっぽちも腹なんて立たないけどね。

 きっと僕は信仰というものを根本的にわかってないんだろうな。でもさ、もっと仲良くすればいいのにね。小説や映画やロックン・ロールに大きな力があるのはよくわかるけど、考え方が違ったって、お互いの存在くらいは認め合っていかないと、いろんなことがけっこう大変だと思う。

Spirit in the Dark

2006年06月28日 | diary
 昨日はジョン・エントウィッスルの命日だった。「もう4年になるんだなぁ」と思いつつ、仕事から帰ったらThe Whoを聴こうと思っていた。ところが、そんなときに入ってきたアリフ・マーディンの訃報。6月25日、死因は膵臓がん。享年74歳。またひとり偉大な音楽人がこの世を去ってしまったことに、僕は静かなショックを受けた。

 だから、昨日はアリフの手掛けたレコードを聴いた。リンゴ、ダニー・ハザウェイ、アレサ・フランクリン、ホール&オーツ、ノラ・ジョーンズ。すべてが素晴らしいと思った。

 トム・ダウド、ジェリー・ウェクスラー、アリフ・マーディン。この3人が作り出したアトランティック・レコード独特のサウンドが、どれだけ僕の心をときめかせてきたことか。もうあの魔法のような音を聴くことができないと思うととても悲しいけど、今はたくさんの素晴らしい録音を残してくれたことに、ただ感謝したい。

 昨日は地元のバーへ。アリフが亡くなったことを言うと、マスターはダニー・ハザウェイとアレサ・フラクンリンをかけてくれた。僕は待ち合わせた友達と少しばかりお酒を飲んだ。ビールとワインを。そしてアリフのために小さな祈りを心の中で捧げた。

 今日は仕事が終わったら地元の映画館で『ダ・ヴィンチ・コード』を観る予定。なんだかもうタイミングを逸してる気もするのだけど、せっかく本を読んだわけだし、やっぱり観とこうと思って。今の気分としては『かもめ食堂』の方をはやく観たいんだけど、まぁ順番ということで。こちらも近々。

さて

2006年06月27日 | diary
現在、午前4時。ただいまきたく。

飲み過ぎたわけじゃないけど、飲んでたことに変わりはない。

ちょっと反省。もう寝ます、

つーか、すげーねみー。

おやすみなさい…。

Just Because

2006年06月26日 | diary
 雨なり。梅雨なり。ジョンの『Rock'n Roll』を聴くなり。ジョンのきっぱりとした歌声を聴くと、気持ちがシャキッとする。一瞬にして胸をつかまれる。雨であろうとなんだろうと。ジョンはなにものにも左右されない。

 昨日は友達が遊びに来た。近所を散歩した以外は、部屋でレコードをかけながら、いろんな話をした。どんなレコードをかけたかというと、エディ・モトーにはじまり、ジョン・ミラー、カーレン・ダルトン、ジョニ・ミッチェル、サミー・ジョーンズ、デニス・ランバート…うーんと、そんなもんかな?かなり渋いラインナップだな。

 いつしか僕もそれなりの年齢になったわけだけど、30も過ぎれば、誰にしたって大小それなりの傷みたいなものを、体や心のどこかしらにもってたりする。僕らはそうした出来事を乗り越えたり、やり過ごしたり、抱えたりしながら、どうにか生きてたりする。きっとこれから先もいろんなことがあるのだろう。すんなりとばかりはいかない。でも、きっと生きるってそういうものなんだろうし、それならそれで構わない。大切なのは、ジョージが言うように、「学ぶこと」だと思う。学ぶことができれば、きっと、悪いことばかりじゃない。

 大きな怪我をしたとき、僕はたくさんの人の優しさや思いやりに触れた。そのことは僕の中にあるなにかを、根本的な意味で変えたような気がする。怪我の傷跡は今も体中にあって消えることはないけれど、それと同じくらい、あのとき感じた気持ちは胸に残っている。うまく言えないけど、少なくとも僕の場合は、そんな風だった。

 ジョンの歌声にもたくさんの傷跡が聴き取れる。乗り越えたこと。やり過ごしたこと。抱えてしまったこと。それらは切実な響きをもって僕の心を動かす。雨であろうとなんだろうと。いつだって。

Spilt Milk

2006年06月25日 | diary
 ずっと欲しいと思っていたジャッキー・デ・シャノンのレコードを買った。『What the World Needs Now Is Love』。タイトル・ソングはバカラックの名曲で、先日のジョン・ミラーのライヴでも聴けた。あのときは嬉しかったな。で、帰宅したらディランのDVD『No Direction Home』が届いていた。もう待ちに待った!と言っていいでしょう。よって、今週末はこれらと一緒に過ごしたいと思う。

 …と、ここまで書いたのが昨日の昼下がり。実際は、微妙な疲れを感じつつ16時頃までベッドでごろごろし、これではいかんと起き上がるも自発的な気分になれず、誘われるがままに実家へ晩飯を食いに行った。一応、ジャッキー・デ・シャノンは聴いたけど、ディランには手がつかず。

 今日はこれから友達がやって来る。はじめてやって来る。多分、やって来る。だから僕は「マイ定番おそうじソング」であるチープ・トリックの“Surrender”をかけながら鼻歌まじりに部屋の片付けをして、今はジェリーフィッシュの佳作『Spilt Milk』を聴いてたりする。うーんと、今夜もディランまで手がまわらないかもな。まぁいいかな。

 『Spilt Milk』と言えば、ローリー・スタイバースも同じタイトルのアルバムを出している。これも最近ようやっと手に入れた1枚。キャロル・キングに近い感じの女性シンガーソングライターでとてもお薦め。そういや、昨日は実家で甥っ子が牛乳こぼしてたな。

 みんなミルクこぼして大きくなっていくんですね。

Place in My Past

2006年06月23日 | diary
 久しぶりに部屋で朝食を食べた。やっぱりこの方が落ち着く。コンビニでパン買って事務所で食うより、ずっといい。で、そんなときにジェイムス・テイラーの歌が流れていれば、尚いいと思う。

 “Place in My Past”は、とりわけ好きな歌。僕の「ごめんなさいソング」ランキングでもかなり上位だったりする。この歌でJTは、かつて自分が人生の中で通り過ぎていった何人かの女性たちのことを歌っている。

 これまで僕の人生に登場してくれた女性たち
 あの物憂げだった日々の中にいる愛すべき人たち
 結局、妻にすることはなかったけれど
 1人か2人は愛してくれてたと言っても構わないかな?

 とてもJTらしい優しい歌い出しだと思う。そんな彼女たちにJTは夢や想い出の中で話しかける。中にはうまく顔を思い出せない人もいるけど、昔のある場所に戻って、彼女たちに照れたような作り笑いを浮かべる。笑ったり、泣いたりする。

 僕は今でも楽しかったあの頃が好きだよ
 まだ身近な出来事も 遠く離れてしまったことも
 よくわからないんだけど
 僕はこれらの歌をまた歌ってみたいと思うんだ
 そして彼女たちに言うんだ
 ごめんなさい…って

 と、JTは最後に謝ってくれるのだな。僕らの代わりに。ありがたいよね。

 先日、バーでこの曲が流れてきたときのこと。「これってごめんなさいソングだよね」と僕が言うと、「そうだよねー。ジェイムス・テイラーやキャロル・キングってさぁ、代わりに謝ってくれるんだよね」と友達は言った。おそらく彼女はこの歌の歌詞を知ってて言ったわけじゃないと思うのだけど、きっとJTやキャロルの歌には、聴く人をそんな気持ちにさせるものがあるのだなぁ、と思ったりした。

お昼を食べたら出かけよう

2006年06月22日 | diary
 昨日はおめでたいことがあった。えっと、僕にあったわけじゃないけど。でも、おめでたいことには変わりないので、集まったみんなでお祝いをした。

 つまり、よく飲んだと。そういうこと。

 今日は都内のお店をあちゃこちゃとまわると思う。ついでに中古レコ屋にも寄ったりすると思う。疲れたらカフェオレを飲んだりもすると思う。で、ほっと一息ついたりするんだと思う。

 けっこうそんな毎日を送ってたりする。平凡だけど、まぁそんなもんなんだろうな。

今宵は横浜

2006年06月21日 | diary
 飲んで飲んで飲んで…今日も飲む。

 昨夜は、ときたま行く地元のバーへ。誰もお客さんのいない店内ではジョアン・ジルベルトが流れていた。久しぶりに聴くジョアンは、やはりいつも通りに宇宙的で、素晴らしい奇跡を聴くようだった。

 そんなわけでひとしきりジョアン談義をする。2度の来日公演のこと、スタン・ゲッツとのこと、個人的なこと。ジョアンの話からジャズの話になりいろんな話になり、最後にまたジョアンの話に戻った。ゲッツ/ジルベルトのライヴがあるというので聴かせてもらった。悪いはずがなかった。

 もう1杯飲んで帰ろうと、今度はよく行くバーへ。すると、そこに友人が2人登場。僕らは突撃的なくらいに音楽の話をし、収拾のつかない状態のままサッカーの話をした(友人のひとりは明日ドイツへ旅立つ)。で、当たり前のように閉店の時間を迎えた。午前2時のクロージング・タイム。

 タクシーに乗ったのまでは覚えてる。その後のことはよく覚えてない。気がついたら、いつものように朝がやって来てた。

 今宵は横浜で飲む。

夏の終り

2006年06月20日 | diary
 どういうわけか予定通りにことが運ばなかった週末。雨がよかったのか悪かったのか。それとも僕のせいなのか。それでもポールはたくさん聴いたし、瀬戸内寂聴の『夏の終り』もなんとか読み終えることができた。

 『夏の終り』は、友人からもらったもの。その代わりに、僕は重松清の『きよしこ』をあげた。といっても、僕が瀬戸内寂聴に興味があったわけではなく、友人もまた重松清を前々から読みたいと思っていたわけじゃない。たまたまお互いが最近読んで面白かった本の話になった流れであって、そこに目的があったとすれば、その本が誰によるどんなものであるかよりも、むしろ交換すること自体に意味なり理由なりがあったような気がする。まぁとにかく、そんなやりとりがあって、僕の『きよしこ』は彼女のところへいき、彼女の『夏の終り』は僕の元へとやってきたと。そういうことなのだろう。

 というわけで、雨の週末、僕ははじめて瀬戸内寂聴という作家の本を読んだ。

 これがひきこまれるようにして一気に読んでしまった。なかなか普通じゃない4人の男女のお話なんだけど、語り口がいいのか、少しも陰湿なものにならない。とても女性らしい感性で描かれる世界は、意外なほどすがすがしく、拍子抜けするくらいケロッとしていた。後で知ったんだけど、どうもこれは作者の実体験を元にした私小説らしい。そう思うと、こうした風通しの良い文体で書かれていること自体、それはそれで業が深いような気もする。

 こういう小説は男には書けないなぁ。ジョニ・ミッチェルやローラ・ニーロやリッキー・リー・ジョーンズの歌のように、そういう女性特有のものってあると思う。