Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

Something Else

2008年04月30日 | diary
 朝からあったかい。大変よろしいかと。男の一人暮らしで、けっこう日々ばたばた生きてると、つい手が回らないというか、後回しになるというか、男なんだしまぁいいじゃんという甘えが生じるというか、そういうことって、けっこうあったりする。それでも僕は、部屋をきれいに片づけている方だとは思うのだけど、掃除機なんてそうそうかけないし、資源ゴミはたまりまくるし、プラゴミはいつもぱんぱんだし、冷蔵庫がからっぽなことなんて日常茶飯事だし、ベッドのシートなんて軽く1年くらい洗ってない気がするし、そういうことって慣れてしまうと案外気にならないもの…だと思う。でも、掃除機かけたり資源ゴミやプラゴミを出したり冷蔵庫にちゃんと食材があったりベッドのシートに太陽の匂いがしたりすると、それはそれで、やっぱり気持ちよかったりする。

 で、今朝は資源ゴミを出したと。ビールの空き缶80本(推定)、ダンポールどっさり、その他(ペットボトルとか空き瓶)を出したと。そしたら、気持ちがとてもすっきりした。これからはあまりためこまないようにしよう。そうしよう。

 そんなこんなで、清々しい気持ちで朝食を食べて、コーヒーをすすりつつ、キンクスの『Something Else』などを聴いてたりする。数日後に、地元の内輪な“Swingin' London Night”なるイベントで、ちょっぴりDJのまねごとをするので、選曲も兼ねつつ。で、これはやっぱりとてもいいアルバムだと思う。前にも書いたけど、やっぱり僕は、曲ごとにあれこれレコードを変えていくよりも、アルバム1枚を通して聴いてる方が好きだったりする。多分、その方が自分のペースに合うのだろう。だから、本当はDJとかってあまり向いてないんだと思う。あくまでまねごと程度でも迷惑をかけずに済むときだけ。そんで、声をかけてもらえたときにだけ、お言葉に甘えて、遊ばせてもらっている。友達みんなでレコードを持ち寄って、あれこれターンテーブルにのっけてるのは、楽しいから。

 今日は都内へ。いくつかお店めぐりをして、夜になったらグッド・ロッキンなお酒を飲む予定。楽しみなり。

満月の夕

2008年04月29日 | diary
 昨日はせっせせっせと仕事をした後、カワムラくんという広島県出身の沖縄系シンガー・ソングライターのライヴを観に、21時30分頃に自転車こいで、ときどき顔を出す地元のデリ…というかバーへ。僕が着いたときには、ライヴは半分ほど終わっていた。僕は初めて彼のライヴを観たのだけど、他のお客さんはみんなカワムラくんとは既に知り合いらしく、店内はなごやかな雰囲気。ビールと美味しいカレーライスを食べつつ、居合わせた友人たちと乾杯。ゆるゆるな空気が心地よかった。

 「次の曲は阪神淡路大震災のときに書かれた歌なんだけど、僕は自分の故郷の広島で起きた悲劇を思い出したりもします」と言って、カワムラくんが、「満月の夕」という曲を歌った。これがとてもいい曲で、しみじみと聴き入ってしまった。言葉のひとつひとつが、心に沁み込んでくるようだった。

 ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
 ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
 解き放て 命で笑え 満月の夕

 きっと生まれるべくして生まれた歌なのだろう。「すごくいい曲ですね」と友人に言うと、ソウル・フラワー・ユニオンの曲なんだと教えてくれた。

 お昼過ぎに電話が鳴り、「昨日はとても悲しい夜だった」と彼女は言った。楽しい夜もあれば、悲しい夜もある。生きている限り、これからもいろんな夜があることだろう。そんなときは、心を解き放ち、命で笑えたらいいなと思う。そして、見上げた夜空に、もし満月がぽっかりと浮かんでいたらいいなと思う。

 ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
 ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
 解き放て 命で笑え 満月の夕

ディランの日

2008年04月27日 | diary
 今日はディランを観たり聴いたりする日。これから友人が3人来るんだけど、そのうち2人はそのことを知らない。きっと喜ぶだろうなぁ。なんてったって、ディランを観たり聴いたりできるんだから。

 で、待ちきれなくて、DVD『No Direction Home』を流してるんだけど、ディランは細いなぁと思ったりした。最近の僕はといえば、夜な夜な飲んだくれて、午前2時とか3時とかにラーメンやらカツ丼やらを食ってたりして、こんなことをつづけてたら、きっと大変なことになるんだろうなぁ、服のサイズとか大きくしなくちゃいけないんだろうなぁ、と思ったりする。

 だめだ。いろんな意味で。気をつけよう。ディランを見習おう。

 というわけで、今日はディランの日。仕事が終われば、ディランの日。

The Last Shadow Puppets

2008年04月26日 | diary
 今朝は早起き。朝飯食って、洗濯済ませて、それでもまだ7時30分。よしよし。今日からGWとのこと。僕としては、普通にせっせと仕事して、その合間合間(あいまあいま)、地元で遊んでようと思ってたりする。

 先日、CD屋さんをあちこちまわってたら、なにやらかっちょいいジャケがそこかしこの店で目についた。ザ・ラスト・シャドウ・パペッツというグループで、なんでもアークティック・モンキーズのひとりが関わってるユニットなんだとか。「ふぅん…」と思って、それで今朝はアークティックのファーストを久しぶりに引っ張り出して聴いてたりする。やっぱり、かっちょいいんだよな。微妙にメロディに頼ってなかったり、大袈裟になりすぎてないところが、エッジがたってて気持ちいいんだと思う。それにしても、こういうインディ然としたバンドがあれだけ売れてんだよなぁ。なるほどねぇ。セカンドはどうだったんだろ?こういう感じの音なのかな?ちょっと聴いてみたくなった。

 なんであれ、ジャケを見て、それに関わりのあるCDをひっぱり出して聴いたわけだから、やっぱりジャケってけっこう重要なのかもなぁと思ったりした。もちろん、音の良さがあってこそだけど。あと、このザ・ラスト・シャドウ・パペッツもそうだけど、最近見かける女の子ジャケって(ダフィとかアデルとか)、どっかおフレンチというかスウィンギン・ロンドンというかシックスティーズの薫りがするものが多い気がする。それもひとつのトレンドなんだろうけど、いつの時代にもかっこいいよね。というわけで…、

 結論:60年代は偉大だ(きっぱり)。

 アークティックが終わったら、ザ・フーでも聴くとしよう。そうしよう。ザ・フーのジャケも、かっこいいのが多いよね。

 今日からGWとのこと。僕としては、普通にせっせと仕事して、その合間合間(あいまあいま)、地元で遊んでようと思ってたりする。…と、2度も同じことを書いてるのは、ほんとはどっかに行きたいんだけど、行けないから、「でもま、それでもいいよね」と自分に言い聞かせているのかもしれない。

 そんなこんなのGW、藤沢駅周辺では「Swing Swang Swingin'」という地元のバーやカフェが同時にライヴやらDJやらをやるイベントを開催しているので、僕もいくつか足を運んでみるつもり。で、一晩だけほんのちょっぴりレコードをまわしたりもする予定。

 ちなみに、今宵は友人がやるソウル系まったりDJイベントへ。楽しみなり。それまでは…お仕事っす。押忍。

ティミ・ユーロが教えてくれた

2008年04月25日 | diary
 深酒がつづいてたりする。理由は、特にない。僕の交友関係は、いつしか酒場を中心に形成されるようになっているので、飲みに出かけることは、僕にとって、僕なりに意味があったりする。だから、それはそれでいいんだけど、飲み過ぎはやっぱりよくないなぁと思ったりもする。えっと、肉体的にも金銭的にも。

 藤沢界隈の音楽シーンについて語らい、ロック・バンドのありかたについて語らい、ソウル好きのおじさんとソウルについて語らっていると、時間はどんどんと過ぎていく。ここ4日間はそんな感じだった。昨日は、テリー・ハフのレコードを聴きながら、ティミ・ユーロというブルー・アイド・ソウルの女性シンガーを教えてもらって、CDRをいただいたりした。で、今はそれを聴いてるんだけど…、

 これいいじゃんー。ほんと極初期のブルー・アイド・ソウルなんだろね。沁みます。

 もし僕が酒飲みじゃなかったとして、ティミ・ユーロの歌を聴く機会が、果たして僕に訪れたかどうか?うーんと、多分、訪れなかったと思う。つまり、

 結論:やっぱり飲んでてよかった。
 
 ということになるね。当然。

 でも、飲み過ぎはよくないなぁと思ったりもする。えっと、肉体的にも金銭的にも。

Sandy

2008年04月24日 | diary
 ダニー・フェデリシが亡くなって最初のライヴ、ダニーの代わりにアコーディオンをもったロイ・ビタンの演奏に合わせて歌った“Sandy”で、スプリングスティーンは、ステージの上で涙を流した。

 別に泣いたから言うんじゃないけど、やっぱり、この日の公演を、スプリングスティーンは、亡き友に捧げていたのだと思う。開演前、ダニーを偲ぶビデオが流され、静まり返った会場に“Backstreets”のイントロが聴こえてくると、無人のハモンド・オルガンとアコーディオンにスポットが当てられたという。

 そんな中での“Backstreets”。想像しただけで震えがくる。

 ライヴ中盤に、ダニーへの哀悼を語った後、スプリングスティーンは、「ダニーが見てるから、しゃんとしようぜ」とバンドに声をかけた。でも、彼が涙を流したのは、その後のことだ。“Sandy”のアコーディオンの調べが、彼の感情を揺さぶったのかもしれない。もうダニーが弾くことのない“Sandy”の調べが。

 アンコールは、ゴスペル・ナンバーからはじまり、“Rosalita”、“Born to Run”、“10th Avenue Freeze-out”とつづいた。さぞや会場がひとつになったことだろう。この夜、スプリンスティーンとE.ストリート・バンドが、会場に集まったみんなと悲しみを共有できたのなら嬉しい。そこになにかの救いがあったのなら嬉しい。

SOUTHERLY

2008年04月20日 | diary
 今日は、午後からレコードとTシャツをたくさん持って、茅ヶ崎にあるカフェ「SOUTHERLY」へ。シンガーソングライター系のレコードをゆっくりまわしながら、自分とこのCDとTシャツを売りながら(売れるかは別として)、ビールをぐびぐびっと飲むんだと思う。

 このイベント、なんでも毎月やってるそうで、いつもはメインDJである友人が、15時から22時までの長丁場を、ひとりでせっせとレコードまわしてるんだとか。で、今回は僕がちょっくらお手伝いをすることになったんだけど、通常営業中のBGM的なDJイベントらしいから、やって来るお客さんもイベントとは知らずに、普通にお茶とかご飯を食べに来る人が多いみたい。だから、こっちも特に構えることなく、無理に盛り上げる必要もなく、のんびりと酔っぱらってもいいみたいなんで、けっこう楽しみだったりする。

 そんなわけで、よかったら遊びきてくださいませ。僕はレコードまわしてない時間の方が圧倒的に多いから(40分のセット×3回)、基本的にCD&Tシャツ売場んとこでビール三昧してると思うので、一緒に酔っぱらいましょう。お店の場所はこちらとかこちらで。

 できれば、ひっそりとダニーの追悼をしたいと思っている。静かに、そっと、“Sandy”をかけられたらいいなと思っている。

Danny Federici, 1.23, 1950 - 4.17, 2008

2008年04月19日 | diary
 E.ストリート・バンドのキーボード奏者であり、B3オルガン奏者であり、アコーディオン奏者であり、なにより、スプリングスティーンと彼の仲間達と彼らの音楽を愛する多くの人達にとって、かけがえのない友人であったダニー・フェデリシが、メラノーマ(悪性黒色腫。皮膚ガンの一種)のため、3年間の闘病の末、昨日の午後、NYの病院で息を引き取った。享年58歳。

 ダニーは、スプリングスティーンの一番古いバンドメイトで、スプリングスティーンが19歳のときに、ダニーのバンド=チャイルドに加わって以来、80年代終わりにいったんE.ストリート・バンドを解散するまで、2人はずっと一緒に演奏をした。そして、もちろんリユニオンしてからもずっと。だから、2人の間にどれだけたくさんの想い出があるかは、想像に難くない。僕が好きなのは、デビュー前のスティール・ミル時代に、ライヴを阻止しようとアンプの電源を抜いた警察官をダニーがぶん殴ってそのまま逃走したという話。そのことが引き金となって、ファンは暴れるは警察は制圧にかかるはで大変なことになったという。その夜以来、ダニーには「ファントム」というニック・ネームがつけられたのだとか(殴ったことと逃げ足のはやさをかけているんだと思う)。

 そんなことをあれこれ思いながら、昨日も今日も『The Wild, The Innocent & The E.Street Shuffle』と、『Tracks』のDisc.1を聴いている。ダニーは、E.ストリート・バンドのメンバーの中でも、もっともニュージャージーを感じる人だった。ダニーのオルガンやアコーディオンからは、アズベリー・パークの香りがいつだって漂ってくる。“Sandy”や“Kitty's Back”や“Seaside Bar Song”や“Zero and Blind Terry”や“Thundercrack”を聴けば、猥雑で荒っぽいけれどロマンティックだった海沿いの町のローカル・シーンが、色鮮やかに目に浮かんでくる。そして、どんなにビッグになっても、スプリングスティーンとE.ストリート・バンドが、どこかローカル・バンド的な風情をもちつづけることができたのには、ダニーの存在がとても大きかったと思い知らされる。

 でも、今はすべてがレクイエムに聴こえる。すべての歌が胸に痛く、悲しい。E.ストリーターが天に召されるなんて。そんな日がくるなんて…。

 いつか、彼らのひとりひとりを、僕はこうして見送っていくことになるのだろう。そんなことをふと思ったりもした。それでも、やっぱり僕は思う。ダニーが仲間達と一緒に奏でた音楽はけっして消えるものじゃないし、みんなが彼のことを忘れない限り、彼は死んではいないのだと。ミュージシャンに死はないのだと。

 ありがとう、ダニー。僕はあなたのことをけっして忘れたりしないよ。

"Danny and I worked together for 40 years - he was the most wonderfully fluid keyboard player and a pure natural musician.
I loved him very much...we grew up together." Bruce Springsteen

Family

2008年04月18日 | diary
 朝っぱらから散髪などしてみる。バリカンでがりがりっと。でも、なんとなくもったいなくて、襟首んとこだけ残してみたりする。変なような変じゃないような、変じゃないような変なような…。ま、いいや。街に出れば、変なかっこうの人はいっぱいいるんだし、別にどっちでも。

 お袋が自治会の役員の仕事をようやく終えたということで、それがまたけっこう大変だったということで、慰労会をやろうよということになり、昨日は、親父とお袋と昼飯を食べに葉山まで出かけた。親父は、最近、かつて撮りためた家族の写真を整理していて、そのうちの何枚かを僕にくれた。そこには、0歳から6歳までの僕がいて、31歳から38歳までの親父と、26歳から33歳までのお袋と、1歳から8歳までの兄貴と、生まれたばかりの妹と、じいちゃん、ばあちゃん、若くして亡くなった親戚のお姉さんが写っていた。

 昨日は、いろいろと思うところがあり、自分がいかに恵まれているのか、いかに大切に育てられたのかを、つくづく感じることとなった。それは、僕にとって、とても嬉しく、とても申し訳なく、なによりありがたいことだった。

 いつ頃までだろう?自分が子供だった頃の話を聞くのが好きじゃなかった。親父やお袋が、僕ら兄弟の子供時代を、そしてまだ若かった頃の自分達の生活を懐かしんで話しても、僕は一緒にそれを懐かしむことができなかったし、あまり興味がもてなかった。でも、いつしか、兄貴が結婚し、妹が結婚し、僕にも甥っ子や姪っ子ができた。そんな新しい家族が育っていく様子を見ていると、ときどき、かつての自分たちの姿がダブることがあって、そこには血のつながりが否応なく存在していて、強い絆があって、そうしたことが、かつて僕のためにも捧げられたであろうたくさんの時間や、笑顔や、無償の愛情を、思い出させるのか、それとも、ただ僕が歳をとっただけなのか、よくわからないんだけど、とにかく、昨日は、もらった写真を、仕事の手を休めては、何度も眺めていた。写真の中での僕らは若く、親父もお袋もまた若かった。で、あれから40年近い時間が流れたのだなぁと思った。

 音楽を聴いていると…、例えば昨年観たキャロル・キングのライヴもそうだったけど、ステージで歌うキャロルから、彼女がこれまで積み重ねてきたたくさんの心が伝わってきた。また、ブライアン・ウィルソンを観に行ったときも、ファルセットを失った歌声から滲み出てくる深い感情に、彼が生きてきた長い長い時間の重みを感じた。そこにはたくさんの苦難や涙があったはずなのに、今の彼らの歌から伝わってきたのは、いたわりと優しさだった。

 ひとりで生きるために、自由であるために、いつも自分を奮い立たせていなければならない毎日の中で、過去を懐かしんでる時間はあまりないけれど、それでもやはり、心の通った想い出は、なにものにも代え難い。本当は自分はひとりじゃないんだと思えて、それでどうにか前にすすんでいけるのだから。

 今度、実家に帰ったら、親父やお袋といろんな話をしたい。そして、一緒に昔のことを懐かしめたらいいなと思う。

Coming Up

2008年04月17日 | diary
 なんだか日記も数日分ぽっかりあいてしまった。なにをしてたかといえば、仕事して、飲んで、仕事して、飲んで、サイクリングして、飲んで、仕事して…といったところ。で、今はポールの『McCartney 2』を聴いてたりする。38歳のときのポールの歌を聴く、38歳の自分…だったりする。かみんなっぷ♪

 そういや以前、いつものアナログ・バーで“Temporary Secretary”をかけてもらったら、えらい不評をかったことがある。イントロが鳴った瞬間、マスターが「あ、ごめん。間違えた。何曲目だっけ?」と聞き返してきた。この曲で当ってますよと言うと、「嘘だろ?なんなの?このいい具合の気持ち悪さは?」と居合わせた友人に言われた。うーんと、確かにあの店にこの音は合ってなかったけどさ。すげー好きなんだけどなぁ、“Temporary Secretary”。キレキレ&ユーモアたっぷりなポールのヴォーカルが、たまらないっす。えっと、みんなも好きですよね?

 さて、土曜日に新しい友達ができて、日曜日に仲間が作業を手伝いに来てくれて、月曜日にちょっとがっくりくることがあって、火曜日に友人と横須賀までサイクリングして、水曜日にぐったりして…、そんな風にして時間は過ぎていった。

 火曜日のサイクリングは、天気も良くて、嬉しいこともあったりして、いい1日だった。だから、つい深酒をしてしまったんだと思う。前日にちょっとがっくりきてたから、どうにかすっきりしたいなぁと思ってて、そしたら朝起きたら空がとても青かったもんだから、朝はまだまだはやかったんだけど、友人にサイクリング行こうぜメールを送ったところ、すぐに返信がきたので驚いた。「起きてたの?」と訊ねると、「7時からギター弾いてましたからね」とのこと。こうして僕らは横須賀を目指して、せっせとペダルをこいだのだった。コミュニティFM局に顔を出してから、お昼はドムドム・バーガーを買って、ヴェルニー公園で食べた。夜は友人の家で、仕事を終えたもうひとりの友人も呼んで、魚や肉を食べて、ビールや日本酒を飲んだ。で、深夜は、ひとりでいつものアナログ・バーへ。帰宅したのは午前4時過ぎ。

 飲み過ぎちゃったけど、いい1日だったな。やっぱりサイクリングはいいな。

 で、38歳のポール・マッカートニー。日本で逮捕されてそれほど時間もたってなくて、ウイングスが終焉を迎えようとしていた頃。そんなときに、ポールは、“Coming Up”を書いている。

 みんなが自由になれるための
 いくらかの平和と理解がほしいんだね
 僕にはわかっているよ 
 きっとうまくやっていける
 きっとうまくいく 
 だからそばにおいで

 やがて芽が出る やがて花開く

 体中の骨がそう感じている

 なんであれ、ポジティヴであることは大切だと思う。さんきゅー、ポール。