Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

Don't Let Me Wait Too Long

2004年11月30日 | old diary
 ひきつづきジョージの命日(時差の関係)。今日も1日ジョージを偲ぶのである。というわけで、ソロ時代の曲を。

 “Don't Let Me Wait Too Long”は、僕が一番好きなジョージのソロ・ナンバー。対外的にそういうことにしている。ほんとは“Give Me Love”ではないか?という気もするのだけど、「うーん」と考えて、やっぱりこっち。ちなみに2位は“Sat Singing”、3位は“Someplace Else”。

 アコースティック・ギターのカッティング、切ないながらも爽やかなメロディ、心にまっすぐ届く歌詞。“Don't Let Me Wait Too Long”は、僕のツボというツボを完璧に押さえている。だから、初めて聴いたときから大好きだった。待つのは仕方がないにしても、できることならあんまり待たされたくないもんな。まぁ、問題は来てくれるかなんだけど。『Living in the Material World』はアコースティックな響きのほんとにいいアルバムだと思う。で、僕はこのレコードをどういうわけか3枚持っている。一番好きなジョージのアルバムは『Somewhere in England』なのに、こちらは1枚だけ。所有するすべてのレコードを見渡してみても、同じものを3枚も持っているのなんてこれだけだ。僕の中ではそんな特別なポジションにあるアルバムなのだろう。

 昨日はジョージの歌をたくさん聴いた。ギターでも弾いてみた。すると、やっぱりあの日のことを思い出して、悲しくなった。でも、痛みはそれほど感じなかった。去年までのつらかった気持ちは、そこはかとない淋しさへと姿を変えていた。

 2001年11月30日、悲しみがいかに暴力的なものであるかを知った日。あれからもう3年がたったのか。

 ようやく穏やかな気持ちでジョージを偲ぶことができるようになってよかったと思う。時間とはそういうものなのですね。えっと、明日は忘れじの日本公演初日から13年。ジョージ話はつづく…かも。

I Want to Tell You

2004年11月29日 | old diary
 今日はジョージの命日。だから1日、ジョージのことを考えて過ごそうと思う。

 “I Want to Tell You”は、“Here Comes the Sun”と並んで、僕がもっとも好きなビートル・ジョージの曲だ。メロディも歌詞もバンドの演奏もジョージのヴォーカルも曲の佇まいもすべてひっくるめてまるごとこの曲を愛している。

 君の前だと僕はうまく振る舞うことができない。言いたいことはいっぱいあるはずなのに、言葉はどこかへと消えてしまう。まぁ、いいさ。今度はうまくいくかもしれないし。時間はたっぷりあるから、そのときが来るまで待てばいい。でも、ときどき君のことをもっと知っていたらいいのにと思うこともあるよ。そうしたら、僕の気持ちをちゃんとわかってもらえるような、上手な話し方ができるかもしれないから。

 すごくジョージらしい思う。こんな歌、ジョンやポールには書けない。絶対に。

 ビートルズのファンになったばかりの頃、僕はジョージが一番好きだった。理由はいろいろ。リード・ギタリストだったし、ハンサムだったし…。でも、僕がジョージに惹かれた本当の理由は、また別にあったような気がする。それを言葉にするのはとても難しい。ただ、なにかがうまくいかないとき、ジョージの歌を聴くと僕はほっとすることができた。これまでだってどうにかやってこれたのだし、きっとこれからもやっていけるだろうという気持ちになれた。そんな歌がいくつもある。

 僕が今もジョージの歌に自分の気持ちを重ねあわせてしまうのは、もしかしたら、僕にとって一番近しいビートルがジョージだからなのかもしれない。もしかしたらだけど。

 時間はある。いつかうまくいくかもしれない。イッツ・オーライ。でも、ときどき君のことをもっと知っていたらと思う。

地球温暖化に思う

2004年11月28日 | old diary
 あれれ、という間にお昼になってしまった。パスタでも茹でましょ。そうしましょ。

 それにしても、今日もいいお日和で。とても11月下旬とは思えない。何年か前、地球温暖化に関する特番をテレビで見たことがある。温暖化がすすむと南極の氷がとけて海面水位が上がり、モルジブ(だっけな?)などでは砂浜がなくなってしまうとか、そんなことをどっかの知識人たちが話していた。とりあえず、両手を広げて「トリビアーン」と言ってみたのを覚えている(しょーもない)。でも、そうした地球規模で語られる言葉よりも、今日みたいな1日の方が実感としてよく伝わってくる。

 今年、遂に一年の周期が一ヶ月ずれてしまったように感じている。つまり、今は11月でありながら実際は10月であると。先月のぐずついた天気は、9月の長雨といったところか。この際、カレンダーも一ヶ月ずらした方がいいのではないかな。そっちの方がわかりやすいよ。

 でもそうなると、例えば僕やあなたの誕生日とかも、一ヶ月ずれることになるのかな?1月生まれの僕は12月に生まれたことになり、ジョンは11月8日に亡くなったことになるとか。ふむ、やっぱりめんどくさいな。

 明日はジョージの命日。日付けが変わる頃にはトップの写真をジョージにしよう。

When Something Is Wrong with My Baby

2004年11月27日 | old diary
 ♪When something is wrong with my baby
  Something is wrong with me ♪

 スウィート・ミュージックの象徴のような歌だと思う。

 僕がこの歌を知ったのは、ホール&オーツの名作ライヴ『Live at the Apollo』。ただひたすらに気持ちだけで歌いあげる2人が素敵だった。無垢な恋心を綴った歌詞と、彼らのソウル・ミュージックへの愛情が、自然と重なりあうのがわかる。ひょっとしたら僕は、サム&デイヴのオリジナルよりも、このホール&オーツのヴァージョンの方が好きかもしれない。ある人に恋をしたり、ひとつの音楽を愛するということは、すべからく純粋なものであると信じたい。だから深く傷つきもするし、光り輝くときもあるのだと。

 少しだけ疲れていたのか、今日はいつもよりも遅めの時間に目が覚めた。だから、朝食は抜いて、コーヒーだけを入れた。そして、洗濯を済ませてから、1年ぶりにギターの弦を張り替えた。じゃらんと鳴らすと、今日の空のように抜けのいい音がした。周囲の空気だけが真新しいものに変わったような気がした。なんとなくセッションしたくなるな。誰か遊びに来ないかな。

 とりあえず、この曲を練習してみようかと。いつものようにコードをさがして、歌詞をつぶやいてみようかと。どうせ上手には歌えないだろうけど、気持ちを込めて歌うことくらいはできるかもしれない。そんな土曜日の昼下がりも、それはそれで悪くない。

だるだるな朝に

2004年11月26日 | old diary
 ふーっ、ちょっと飲み過ぎた。帰りの記憶が途切れ途切れ。お酒が残っただるだるな朝には、ビートルズしか聴けない。やっぱり一番血肉になっているからだろうか。他だとうるさいのに、ビートルズだけはすんなり耳に入ってくる。“Thank You Girl”とか“I'll Get You”とか。

 ま、あんまりひどい状態だと駄目だけど。でも、最近はさすがにそういうことも減ったかな。

 春まで一緒に働いていた女の子が誕生日を迎え、久しぶりにメールをくれた。「もう28歳だよ」と書かれていて驚く。最初に会ったとき、彼女は22歳だったはずだ。で、僕が28歳だった。それなのに…。

 江ノ島に引っ越してきてからの6年間、僕は時の流れからぽっかり抜け落ちたような世界にいたよう感覚がある。ぴったりと成長が止まり、僕も周りの人達も歳をとらない。いつまでも彼女は22歳で、僕は28歳のまま。

 でも、実際はそうじゃない。彼女はちゃんと28歳になったし、僕も来年の1月できっと35歳になるのだと思う。おそらく。

 別になにを言いたいわけではなく、歳をとるのが嫌というわけでもない。ただ、ひそかに信じられないというか、微妙に不思議な感覚はある。

 僕らはみんな歳を重ねているのですね。

仕事雑感

2004年11月25日 | old diary
 洪水のように新しい音を聴いている。とはいえ、ほんとに今っぽいのは一部のジャム系だけで、多くはアメリカーナやらニュー・オリンズといったルーツ系だから、無理なく楽しめている。そうは言っても、情報量はさすがに多く目がまわるような、刺激そのものの中にいるような、そんな感覚はある。

 職場にはどういうわけか、その筋では有名な音楽評論家さんがいる。音楽の楽しみ方はきっと僕とは違うのだろうけど、ほんとにいろんなことを知っているから、話していてとても面白い。どんな分野であれ、頭角をあらわす人というのは、押し並べてあれくらい貪欲な吸収欲をもっているものなのだろうか。すごいよなぁ。僕にはないよなぁ、と思う。

 必ずノートは持ち歩くこと。思いついたことはどんどん書きつけなさい。できれば自分宛の葉書もあるといい。書いたらすぐにポストに投函できるから。昨日はそうアドバイスされた。その人の自宅には、そんなノートが1,000冊くらいあるそうな。ノートが1,000冊…。想像がつかない。

 ここでの僕の主な仕事は営業なので、昨日は人について都内や横浜のお店をあちこちまわった。当然いろんなお店があるわけだけど、そのなかでも新宿のタワーやディスク・ユニオンはさすがディープで、担当者さんの知識が尋常じゃない。彼らの口から語られるアーティストは知らない名前のオン・パレード。内容の9割はチンプンカンプンだった。むーん。

 よって、仕事が終わると「さぁ、帰って音楽を聴くぞ」ということになる。これが他のことだったり、あるいは興味のない音楽ならうんざりなのだろうけど、幸い好きな音楽だし、こういう形で自分の音世界が広がっていくのも悪くない。あまりマニアックにならないスタンスでやっていきたい。

グランベリー・モール

2004年11月24日 | old diary
 おいしい食パンを4枚切りにして食べる。普段は劇的に安い6枚切りを食べていることもあり、あまりの差にアドレナリンが分泌。朝からハイテンションになってしまった。いやー、うまいなぁ。200~300円程度のお金をプラスするだけで、1日のはじまりがこれだけ豊かなものになるだな。友達にホームベーカリーを持ってる奴がいるのだけど、毎朝部屋に焼き立てパンの匂いがするというのは、ちょっとした贅沢だと思う。

 昨日行ってきた南町田のグランベリー・モール。やはり毛並みのいいきれいな犬がいっぱいいた。半分以上は服を着ていたような気がする。飼い主たちの愛情というか情熱というか…、そういうものがひしひしと伝わってきた。なんとなく心が落ち着かないのは、僕がペットを飼ったことがないからだろうか。子供服売り場にも似たようなものを感じる。母親たちの真剣な目と、その後ろを関心なさそうについて歩くお洒落な服を着た子供たち。そんな風に感じるのも、僕に子供がいないからだろうか。まぁ、いつか気持ちがわかる日がくるのかもしれないけど。

 買い物自体は、妹の献身的なアドバイスと、両親の気持ちのいい支払いっぷりにより、満足のいく結果となった。「ひとりで行かせなくてよかったよ」とは妹の弁。僕も心からそう思っている。何度ダメ出しされたっけな。数えときゃよかったよ。

 ところで、昨日って勤労感謝の日だったのですね。あまり勤労していない僕が休んでいいものなのか、とちょっと思ったりもした。ま、これからはしっかりと…。

ショップ・アラウンド

2004年11月23日 | old diary
 今日は家族揃って買い物の日。僕は自分の家庭をもっていないから、今でも家族といえば両親と兄妹ということになる。かなり明確に。

 待ち合わせをどうするのかと電話してみると、なにやら御殿場は遠いということに気づいたらしい。「絶対、混むと思うのよ。御殿場まで行くと1日つぶれちゃうし、それに悠希(10ヶ月の甥っ子)もいるでしょ。ねぇ?」。この時点で、御殿場行きは消えていた。「俺はどこでもいいよ。他にいいとこあるのか?」と訊くと、「そうね、藤沢にいい店ないの?マルイとかでいいじゃん」との答え。御殿場のアウトレット・モールから駅前のマルイへ。この落差はなんなのだ。「マルイかよ。なんか高いってイメージだな」としぶり、こればかりはどうにか回避。あれこれ話して、結局、南町田のモールへ行くことで落ち着いた。「たいしたとこじゃないけどね。でも、ペット用品が充実してるのよ」と妹。俺はペットか(ちなみに我が家にペットはいない)。「そういえば、近くに公園があったな。買い物はさっさと済ませて、そこで悠希を遊ばせてやろうじゃないか」と親父。「いいね、いいね」とお袋&妹。当初の目的が薄らいでいくのを感じる。まぁ、いいんだけど。

 昨日は会社からCDを30枚ほどもらってきたので、それを少しづつ聴いている。どれも良質な音楽ばかりで感心した。シム・レッドモンドのソロ・アルバムをかけているのだけど、とても気持ちがいい。今も世界のどこかでいい音楽は生まれているんだな。さがせばあるんだな。

この空もLAに繋がっている

2004年11月22日 | old diary
 名プロデューサーであるテリー・メルチャーが、19日の夜、悪性黒腫(皮膚癌の一種)によりビバリー・ヒルズの自宅で亡くなった。享年62歳。あのコロンビア・レコードをイージー・リスニングの世界から巨大なポップ・フィールドへと導き、ビーチ・ボーイズとの親交も厚く、バーズを発掘しフォーク・ロックの誕生に深く関与した男。西海岸の音楽を愛する者として、彼の人生に多大なる感謝と哀悼の意を捧げます。

 いい音楽は残りつづける。そのことだけはいつまでも変わらない。

 今朝、冷蔵庫を開けると、朝食になりそうなものが何もなかったので、すぐそこのコンビニヘ。この部屋を借りるときに案内してくれた不動産屋の女性が、まるでいいものを見つけたかのような声で「ほら、コンビニが近いですよ」と言っていたのを思い出す。

 不動産屋さん:「男の人のひとり暮らしだと、コンビニが近くにあるかは大変重要ですわ」
 MIYAI:「ふぅん。そういうもんですか」
 不動産屋さん:「はい、そうです」

 彼女はきっぱりとそう言い切った。でも、ここの前に僕が住んでいた埼玉の部屋からだとコンビニはやや遠く、その代わりにと言ってはなんだが、大きめの酒屋が隣にあった。「ほんとはその方が都合がいいんだけどな」と思いながら、僕は彼女の話を聞いていた。でも、実際は彼女の言う通りだった。僕は冷蔵庫を空にするたび、こうしてコンビニのお世話になっている。無事朝食にありつくことができている。それにビールはコンビニでも売っているわけだし、酒屋が隣になくても不便したことはない。しかし、だからと言って、僕はコンビニが好きなわけじゃない。便利だし生活の中に入り込んでいるけれど、けっして好感をもってはいない。なんでだろな?世の中にはそういうものも存在するということだろうか。

 さ、今日から新しいことがはじまる。できることをひとつづつ。いつも通りにやっていこう。

家族の絆

2004年11月21日 | old diary
 うー、いい天気。自転車に乗って海へ行こう。おー。

 服の一掃作業も無事終了。もう着ないと思ったものは、高かろうが安かろうが、容赦なく紐で縛り上げていく。思ったよりもラルフ・ローレンが多かったのが意外。とりたてて好きなわけでもないのだが。きっと贈り物のたぐいなんだろうな(よく覚えていない)。唯一持っていたポール・スミスのシャツも縛る。気に入っていただけに少し躊躇したけど、こいつを縛ったことで勢いがついた。で、気づいてみれば、タンスの中はガッラガラ。ありがとう、ポール(いい響きだ)。

 しかし、ここまで気持ち良く捨ててしまうと、明日からの1週間をうまくやり過ごせるのか?という疑問がわいてくる。着るもんあるかな?

 そこにタイミング良く妹からメールが入る。「23日、買い物つき合ってあげようか?」とのこと。昨日の日記にも書いたように、自分ではなにを買ったらいいかがよくわかっていないので、「ここはひとつよろしくお願いしまっす」と頭を下げてみる。すると、まだ10ヶ月の甥っ子の世話は誰がするの?ということになり、「それなら、あたし達も行こうかしら」と、どういうわけか親父とお袋までが付いてくることになった。「たまには買ってあげるわよ」というお袋のありがたいお言葉に、「ここはひとつよろしくお願いしまっす」と頭を下げてみる。どうやら、御殿場にあるアウトレット・モールまで行くことで、妹と両親の間では話がついているらしい(よくわかっていない)。

 こんな風に親兄妹揃って買い物に出掛けるなんて、これまであったっけな?微妙に違和感がある。しかし、この歳になって服もひとりで買いに行けないのか、俺は…。

 えっと、昨日は地元にあるGAPで、チノパンとシャツと薄手のセーターを買った。セールじゃないと高いなぁと思ったのと、チノの裾上げをしないで済んだことに軽い驚きを覚えたのだった。