Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

Records

2006年01月31日 | diary
 おびただしい数のレコードにおののいている。数カ所にばらけて置いてたときはそれほど感じなかったんだけど、いざまとめてみるとそれなりに威圧感があるというか。これからも増えていくんだろうしな。なんだか複雑…。

 こんなに買っといてなんだけど、実を言うと僕はあまり物欲が強い方ではない。できれば、あまり物は持ちたくないとさえ思うし、今この部屋にあるものが一瞬のうちにすべて消えたとしても、そりゃそのときは愕然とするだろうけど、割とはやく立ち直れる自信もあったりする。

 例えばパソコンを盗まれたとしよう。今の生活をつづける限り、それなりに不便を強いられるだろうが、きっと僕の気持ちはいくらか軽くなると思う。毎日パソコンに向かっていた時間がぽっかりと空いて、ほっとするような気がする。まぁ、すぐに新しいのを買いに行くとは思うけど。

 ではもし、ここにあるレコードが、今夜、忽然と消えてしまったら?僕は大きなショックを受けるだろう。でも、やっぱり心のどこかでほっとするような気が…しないでもない。

 物を所有したり、なにかに対して責任をもつことは、ある種の安定感が生む。しかし、同時に動きづらくもなるし、気のむくままに生きるのが難しくなる。きっと僕はそうしたことを、心のどこかで不自由に感じているのだろう。

 でも、ここにあるレコードが棚に入って、壁にずらーっと並んだら、それはそれで壮観だろうなぁ。ずっとやってみたかったことだから。きっと僕は満足するだろうし、安心もすると思う。「俺も立派になったなぁ」って(なってないんだけど)。

 うーんと、やっぱりレコードはなくなってほしくないな。ずっと大切にしよう。

そして僕は月曜日の朝を迎えた

2006年01月30日 | diary
 僕にはひとつとても大切に思っていることがあって、少なくともこの1年と半分くらいは、そのことが僕の心の中心にあったのは間違いない。で、今もそのままあるんだけど、いくら求めたところで、報われないであろうこともよくわかっている。そうしたしんどさはいつもあるのだけど、しんどいのはしょうがないことだし、きっとやり過ごすしかないのだと思う。ただ、ずっとこのままでいるのは、川の流れが淀むみたいな感覚があって、あまりよろしくないかなと思ってたりもする。

 引越しでいろんなものを整理していると、いらないものを捨てていると、どこかすっきりした気持ちになるし、ひとつ自由に近づいたような気になる。まぁ、錯覚なんだけど。でも、そんな風通しの良さみたいのが、今の僕には必要なのかもしれない。だから少しだけ気持ちを切り替えて、心を軽くするのは、多分、悪いことじゃないのだろう。

 …なんてこと考えてたら、すっかり朝になってしまった。眠いが、今日1日がんばりましょう。

引越しウィーク突入

2006年01月29日 | diary
 今度の土曜日、 僕は8年間住んだ今の部屋を引き払って、新しい部屋へと引越す。さらばマイ・ルーム。さらば友よ。君と一緒に過ごした日々を、僕はけっして忘れないよ。どうもありがとう。いつまでも元気で。

 なんつってね。まぁ、歩いて5分なんすけどね。

 今度の土曜日、 僕は8年間住んだ今の部屋を引き払って、新しい部屋へと引越す。さらばマイ・ルーム。さらば愛しき人よ。どうかわかってほしい。けっして君を嫌いになったわけじゃないんだよ。ただ、あまりにいろんなことが変わってしまったと思うんだ。僕はもう君とは一緒にいられないし、君も僕みたいな男にいつまでも関わってるべきじゃない。だから、そんな悲しい顔をしないで。いつでもどこにいても、僕が君を大切に想っていることに何ひとつ変わりはないのだから。

 なーんつってね。まぁ、ぜんぜん歩いて5分なんすけどね。

 レコード・ラック、CDラック、ベッド、洗濯機、照明、カーテンなどなど。ひとまずこうした「大物」の購入は無事終了。引越し当日、新居に届くよう手配した。ただ、ベッドだけは間に合わないので、届くまでは床で寝ることになる。まぁ、しょうがないよな。あとは、つい後回しになっている手続き関係を済ませないといけない。転居届け、保険証の返却、水道、電気、ガス、電話、エアコンの取り外し、粗大ゴミの処理…。あれやこれや。あらほれさっさ。

 このように引越しというやつは、とかくめんどくさいもの。でも、なにかの区切りをつけるのに、そのひとつの手段として、引越しはなかなか悪くないと思う。実際の生活環境を変えることで、今ある強い気持ちをいくらかフラットな状態に戻せるかもしれないし、やりたいことの仕切り直しや、なにか新しいことが始まるような、そんな根拠のない期待感なども、なんとなくだけど、もてたりする。そしてなにより新しい部屋では、レコードを壁にずらりと並べることができるのだ。もうヴァン・モリソンを聴くのに、ベッドの下にもぐりこんで引っ張り出す必要がなくなるのだ。これはもうね、本当に素晴らしいことだよ。

 というわけで、引越し楽しみでっす。アルファベット順にレコードを並べるのだ。頑張る!

同姓同名

2006年01月28日 | diary
 僕の会社にもHPというものがあって、そこで自分のとこが出してるCDとかDVDを通販で買えるようになっている。…と言っても、amazonのようなものを想像してはいけません。その仕組みは、ひたすら原始的で、人力的で、記憶だけが頼りで、間違いが起きる可能性なんてそれはもう腐るほどあったりする。

 で、最近つづけざまに起きたのが、同姓同名の違うお客さんに商品を送ってしまったというもの。当然、「頼んでもいないCDが送られてきましたけど、これってなに?」という電話がかかってくる。時を同じくして別のところでは、「あれ?今日荷物が届くはずなのにな。なんかあったのかな?」といぶかしんでる人がきっといると思う。えっと、どうもすみません(と、ここで謝ってもしょうがないんだけど)。

 そんなわけで、「世の中には同じ名前の人ってけっこういるんだなぁ」と思ったのだった。ちなみに僕の場合、香川県仲南町に同じ名前の方がひとりいらっしゃることが判明している。なんかね、モニュメントを作ったりする人みたい。

 あと、これは漢字が違ってたから同姓同名とは言わないのかもしれないけど、ミクシィ(まったくやってない…)の僕のページに足跡を残していった人のハンドルネームが友達と一緒だったので、なんとなくクリックしてみたら、なんと本名まで一緒だったんでびっくりしたことがある。もしこれで漢字まで同じだったら、きっと僕は混乱してたと思うのね。だって、そこには僕のまったく知らない、いくらなんでもあまりに聞いたことのない事実や出来事が、明快な言葉で綴られているわけだから。「あのーあなたいつからイラストレーターになったんですか?」と問いただしたくなったかもしれないし、「ひょっとして、俺ってずっとだまされてたのかしらん?」と首をかしげて、そのまま元に戻らなくなっていたかもしれない。んで、挙げ句の果てには、「いいんだぜ。だまされたって。でも、せめて俺には本当だと信じさせてくれないか」とキース・リチャーズみたいなことを、誰もいない空に向かってつぶやいていたかもしれない。

 うーん、やっぱり紛らわしいな、同姓同名。なんとかしろ!と言いたいけど、こういうのって、誰に言えばいいんだろ?

S&G

2006年01月27日 | diary
 このブログのカテゴリに「favorite artists」というのがある。自分の好きなアーティストの中から、とりわけ思い入れのある人達を20組選んで、あれこれと書いたもの。自分では、苦手な自己紹介の代わりのつもりで置いている。

 先日、とある音楽好きの先輩と下北沢の居酒屋で飲んだ。この人とはけっこう長いつきあいなんだけど、どうも僕は彼と音楽以外の話をした覚えというのがない。いや、きっとそんなことないんだろうけど、落ち着いて考えれば多分いろいろ思い出せるんだろうけど。でも、そう思えちゃうくらい、僕らは顔を合わせれば音楽の話ばかりしている。そのせいもあってか、この人は僕の趣味をけっこうしっかりと把握しており、僕が選んだ20組のアーティストも大方言い当てられてしまった。まぁ、一文の得にもならないけどね。

 でもそんな彼にして、僕がサイモン&ガーファンクル(というかポール・サイモン)を選ばなかったことに関しては、とても驚いていた。

 先輩:「S&Gがいないよ。なんで?いいの?ほんとに?」
 MIYAI:「い、いや、それは、つまり、なんというか、ふがふがふが……」

 こういう人にそんなことを言われると、S&Gをはずしたことが、実は大変な間違いだったのではないか?と思えてきて困る。えっと、けっこう流されやすいのだ。

 そんな懺悔も込めて聴く今宵のS&G。『Bookends』。沁みる。

 彼らの曲で一番好きなのは、前にも書いたけど、“America”。この曲での、非常にポール・サイモンらしい深みのある歌詞は、ほんとにほんとに素晴らしいと思う。

Rosalita (Come Out Tonight)

2006年01月22日 | diary
 ♪Tonight was young
  Moon was yellow...♪
  Rosie ! I'm home !

 2003年10月、ニューヨーク・シェア・スタジアムでのこと。スプリングスティーンはそう言うと、あの胸躍るイントロのフレーズを弾きはじめた…。

 スプリングスティーンのファンになってすぐ、彼のライヴが気になるようになった。僕の友達のみんながスプリングスティーンの歌を好きだったわけじゃないけど、彼のライヴを悪く言う人は誰もいなかった。「大きな会場でのライヴはコミュニケーションが難しい。いったどうやればブルースのようにできるのだろう?まいっちゃうよ。彼はスタジアムの一番後ろの席のファンとも、しっかりとコミュニケーションをとれるんだから」。U2のボノがインタビューでそんなことを言っていたのを読んだことがある。

 最初の頃は、“Dancing in the Dark”のプロモ・ビデオに興奮していた。でも、(あれはあれでいいのだけど)そのうち微かな違和感を感じるようになった。それはどこか作り物的であり、見せ物的だった。「本物のライヴはきっとこんなもんじゃないはずだ」。そのことは、割とはやい時期にわかっていた気がする。でも、僕がスプリングスティーンのライヴを観る機会は、なかなか巡ってこなかった。

 そんなときに決まった初来日公演。今になってみれば、あれはちょっとしたスプリングスティーン・バブルだったと思う。テレビやラジオの音楽番組では、軒並みスプリングスティーンの特集が組まれ、毎日のように彼の歌やミュージック・ビデオが流れていた。
 
 そんなある日、僕は“Rosalita”のライヴ映像を観ることになる。この曲を聴くのも、体の細いスプリングスティーンを観るのも、そのときが初めてだった。

 曲が良かったのはもちろんだけど、素に近いスプリングスティーンのライヴ映像を観れたことが、当時の僕にとっては、なにものにも変えがたい出来事だった。スプリングスティーンはステージを走り回り、クラレンス・クレモンズとは芝居がかったかけあいを披露。これでもかと客席を煽っては、たくさんの笑顔をふりまいていた。そして、曲の最後には何人もの女性ファンがスプリングスティーンに猛然と飛びかかってキスの嵐。

 あれはほんとにすごかった。そこには“Dancing in the Dark”のビデオとは比べようもないほどの熱っぽさがあり、僕はただ茫然と眺めるしかなかった。すごくショックを受けたとか、多分そういうのじゃなかったと思う。ただ、ブルース・スプリングスティーンという稀代のライヴ・パフォーマーの真髄の一端に触れることができたような、そんな満足感があった。

 正直、今になってみると、これはこれでちょっと違和感があったりもする。やっぱり撮影を意識していたのか、振る舞いがもうひとつナチュラルじゃないのだ。でも、だからと言って、この映像の価値が僕の中で下がることはない。初来日のチケットが取れずに気落ちしていた僕を、あの“Rosalita”がどれだけ慰めてくれたことか。当時、僕は飽きることなくこのライヴ映像を繰り返し観たものだった。そんなことも影響してるのだろう。僕にとって“Rosalita”は、スプリングスティーンのライヴを象徴する曲として、今も心に刻まれている。

 ロザリータ、もっと軽やかに飛んでよ
 セニョリータ、俺の情熱の横に座ってくれよ
 お前の恋人になりたいんだ、嘘じゃない
 ロザリータ、お前こそ俺の求める女なんだ

 シェア・スタジアムで、スプリングスティーンが“Rosalita”を歌った夜。僕が初めてこの曲を聴いてから18年がたっていた。ほんとに嬉しかった。あれは間違いなく、遠くから会いに行って良かったと思えた瞬間のひとつだった。

It's Hard to be a Saint in the City

2006年01月21日 | diary
 俺はレザーの肌をもっている
 まるでコブラのように精悍で硬質だ
 生まれたときの俺は青く老け込んでいたが
 超新星のように爆発したんだ
 俺はマーロン・ブランドのように太陽の中を歩き
 カサノバのように踊る
 ブラックジャックとジャケットを身につけ
 髪にはグリースを塗りつけて
 まるでさかりのついたハーレーダビッドソンのようだ
 通りを踊るように歩いていくと
 街の鼓動が聞こえてくる
 女達が一瞬ひるみながら、ささやく声が聞こえてくる
 「ねぇ、あの人素敵じゃない」
 街角に立つ足の悪い男が叫ぶ
 「ダンナ、5セントお恵みを」
 ダウンタウンのガソリン・スタンドで働く奴らは口さがない
 都会で聖者になるのはたいへんだ

 今も輝きを失わないストリートのファンタジー。ロマンティックな妄想が、鮮やかなイメージを伴い、言葉が次から次へと溢れ出す。ブルース・スプリングスティーン、22歳。まだ時間以外になにも持っていなかった頃の、心の記録でもある。

 スプリングスティーンの才能を認め、契約を交わしたのは、同じくボブ・ディランを発掘したことで知られるジョン・ハモンドだった。コロンビア・レコードにある1室でのこと。大袈裟な言葉で売り込みをするマネージャーのマイク・アペルにスプリングスティーンは言った。「マイク、もうやめてくれ。それより、俺にギターを弾かせてくれよ。俺に歌わせてくれないかな」。そして、スプリングスティーンは、この曲=“It's Hard to be a Saint in the City”を歌った。つまりはそういう事だし、そういう曲なのだと思う。

 「自分になにかできる力があるのはわかっていた」と、スプリングスティーンは言う。「音楽で伝えたいことがいっぱいあったし、ものすごく野心をもっていた」と。この曲には、そんな若きスプリングスティーン特有の吹き出すような熱がある。同時に、放射される無邪気なイマジネーションには、その裏返しとしての、自分の思い通りにいかないことに対するフラストレーションが見え隠れする。周囲で起きていたありとあらゆる出来事が、このとんでもない才能をもった若者の感覚を刺激し、彼の体温を上げていったであろうことが、この3分ちょっとの歌から強烈に伝わってくる。

 時間はくさるほどあった。でも、暇だったわけじゃない。22歳のブルース・スプリングスティーンには、やりたいことも、やるべきことも、十分すぎるほどあったんだと思う。

The River

2006年01月20日 | diary
 スプリングスティーンの歌の中に出てくる女性で、メアリーさんはもっとも印象的なひとりだろう。それは“Thunder Road”と“The River”というふたつの名曲に、メアリーさんが登場するため、特にそう感じるのかもしれない。僕は、メアリーさんが実在するのかなんて知らないし、この2曲の中に登場するメアリーさんが同一人物であるかどうかも知らない。でも、“Thunder Road”で希望を胸に町を飛び出した主人公とメアリーさんが、再び故郷の町へ戻って来た物語として、“The River”を聴くことはできるような気がする。

 若者は父親の仕事を継ぐようにして育てられる谷間の小さな町。主人公とメアリーは、そこで高校生のときに知り合った。2人はよく町を抜け出しては、車で川へ泳ぎに行った。そのうちメアリーは身ごもり、主人公は就職をし、 2人は結婚する。その夜、2人は川へと向かい、泳いだ。

 ジョンズタウン建設会社に職を得たが
 近頃は不況であまり仕事がない
 ずっと大切に思ってきたすべてのものが
 みんな虚しく消えていくような気がする
 今、俺は何も覚えてないという振りをし
 メアリーは少しも気にしてないという振りをする

 でも、兄貴の車を借りてドライヴした頃のことはよく覚えている
 貯水池でのメアリーの濡れた日焼けした体は素敵だった
 夜、堤防で俺は目を覚ますと
 彼女の息を感じたくて彼女を抱きよせた
 今になってこんな想い出が蘇っては、俺を苦しめる
 呪いのように俺を苦しめる
 叶えられなかった夢は偽りだったのか?
 あるいはもっと悪いものだったのか?
 俺を川に向かわせてしまうほどに
 川はもう干上がっていると知っているのに
 そこへと向かわせてしまうほどに
 俺と彼女を今も川へと向かわせてしまうほどに

 “The River”を、スプリングスティーンは30歳を目前にして書いた(と思った)。確かにそんな切実さがこの歌にはあると思う。現実を受け入れることができずに、将来への不安と焦燥にかられた「もう若くはない」男の心情が、非常にリアルに描かれている。言ってみれば、突き抜けた先に自由なんてなかったと、スプリングスティーンは歌っているのだ。

 もし夢が叶わなかったら?信じていたものがある日、泡のように消えてしまったら?そのとき僕らはどうしたらいいのだろう?そんな問いかけをスプリングスティーンの歌はよくしてくる。

 この歌のような気持ちになる瞬間って、例えどんな生き方をしていても、誰にでもありうるような気がする。少なくとも僕にはあったし、そのとき、改めてすごい歌だなぁと感じたものだった。

冬の散歩道

2006年01月19日 | diary
 冷えてます。もうきんきんです。寝るときも寒かったけど、今朝もやっぱり寒い。せめてなんかこう、心温まるようなことでもないものか。内側からぽかぽかしちゃって、「寒いの?そう?俺は全然平気だけどなぁ」と言えちゃうくらいのさ。なんかないかな(ない)。

 というわけで、ふとん乾燥機がほしい今日この頃。

 4月に来日するU2。そのライヴ会場となるは、野外のスタジアム。4月とはいえ、きっと夜はまだ寒いと僕は思う。でも、アイルランド出身の彼らは、きっと平気なのだろう。

 U2にふとん乾燥機は必要ないと思う。

 今はホワイト・アルバムをかけながら、ホットミルクをすすっている。“Back in the U.S.S.R.”を聴く気満々でいたら、いきなり“Birthday "から始まったので、普通にびっくりした。単に間違ってディスク2をかけちゃったわけだけど。まぁ、大雑把にタイムリーではあるか。でも、その後の“Yer Blues”での「死にたい、死にたい」シャウトは、えっと、あまりおめでたくないですね…。

 少なくとも、僕はまだ死にたくない。

 というか、長生きしたいと思っている。そのためには、これからもたくさんの冬を越すことになるのだろう。ビートルズを聴きながら、スプリングスティーンやディランを聴きながら、いつかいい事がないかと願いながら。

 で、今は“Revolution 9”が流れている。どうやら僕の朝も混沌としてきたみたい。でも、最後はリンゴが優しく“Good Night”を歌ってくれるはず。するときっと僕は思うのだ。

 やっぱりふとん乾燥機がほしい、と。

2006年1月17日という日

2006年01月18日 | diary
 昨日の行動記録。仕事で寄った横浜のHMVで、スプリングスティーンが表紙の雑誌『Tone』(ディランも特集されている)を買った。地元のマルイが閉店セールをしていたので、新しいジーンズを1本買った。普通の店で普通のパスタを食べて、フジサワ中央という古くからある映画館で『Always-三丁目の夕日』を観た。最後は時々行くアナログ・レコードしかかからない(かけられない)バーへ。ビールを3杯飲んで、レコードを2枚買った。で、江ノ電に乗って家に帰った。

 三丁目の夕日は、評判通りのいい映画で、36歳最初のひと泣きふた泣き…いや、み泣きよ泣きだっけな?まぁ、いいや。ああいう心の豊かさを失わずにいたいものです。で、「俺って、ひょっとすると、たくさんの忘れ物をしてきてるのかもなぁ」と、思ったりもした。がんばろ…。

 バーで「あの映画、泣けたよ」と言うと、「じゃ、大和も観れば?みんな泣くらしいよ」と言われる。あの、涙の意味が違うと思うんですけど。

 そんなこんなで、僕の新しい1年は始まったのだった。