Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

Modern Times

2006年08月31日 | diary
 今日で8月もおわり。まだ暑い日はしばらくつづくだろうけど、ひとまず夏もおわり。3年前の今日、横浜のでっかい会場で、7万人と一緒にサザンを観た。1年前の今日、茅ヶ崎の小さな店で、50人のお客さんと一緒にエリック・アンダーソンを観た。2年前は…なにやってたんだろ?

 ま、そんなこんなで、毎年夏はやっきて、去っていくのだ。で、今日が誕生日の友人は、今年もまたひとつ歳をとったのだった。36歳だそうな。知り合ったときは19歳だったのにね。

 ボブ・ディランの新作『Modern Times』はいいアルバムだった。前作同様の豊潤なルーツ・サウンドでありながら、現代特有の暗さや重さが全体を包み込んでいる。こうした昔ながらの演奏スタイルをとりつつ、今の時代の感覚に満ちた音を生み出すのはひどく難しいことだと思う。ルーツ・ミュージックの優しさやぬくもりを失わずに、時代の暗部を描き出すなんて。しかも、これほど高い次元で(つまりあまりに自然に)やってのけてしまうなんて、ちょっと信じられないな。休むことなくツアーで世界をまわっているディランだからこそ作り得るのだろう。

 対訳はついてるのに、英詞がついてなかった。そこが残念だったりする。

 どんなときにどんな悲しみが押し寄せてくるのかなんて
 どんな男であれ、どんな女であれ、知りはしない
 暗闇の中で僕は夜の鳥が呼ぶ声を聞く 
 彼女の息づかいが聞こえる
 僕は廊下に足を出して台所で眠った
 眠りはまるで一時的な死のように思えた

ビネガー

2006年08月30日 | diary
 昨日は渋谷のくじら屋さんへ。割といいお値段のお店なんだけど、さすがにどれも美味しかった。で、すっかりご馳走になってしまった。どうもありがとうございました。

 …と、ここまではいい夜だったんだけどね。いやー、久しぶりにやっちまったぜ。終電乗り過ごし。気がついたら二宮というマイナーな駅。家までタクシーで8千円也。最近買ったばかりの帽子もどっかになくしてきてるし。あららん。

 ま、くじら食ったと思ってあきらめよう。で、こういうことが2度とないように気をつけよう。

 そんなわけで、ボブ・ディランの新作『Modern Times』も買ったのにまだ聴いてない。お店で流れてた感じだと、前作『Love and Theft』と同じ路線なのかな。いわゆるアメリカン・ルーツ・ミュージック。今夜じっくり聴きたいと思ってる。

 新橋にお酢のドリンク・バーがあって、けっこう繁盛してるらしい。果汁とまぜたりして、飲みやすくしてる。いろんな味があって、僕はリンゴ酢のを飲んでみたんだけど、まぁ普通かな。健康のためということなのだろう。でなきゃ、お酢なんて飲まない。

 24歳のジョージ・ハリスンは言った。「富や名声なんてなんの意味もない。得るべきものは、愛や健康や心の平穏なんだ」。ふむふむ、そうか。

 どんより曇り空。僕もどんより飲み明け気分。あまりよろしくない。これからはお酒じゃなくてお酢を飲むとしよう。そうしよう。

金曜日になれば

2006年08月29日 | diary
 公開リハなるものに行ってきた。とある人の復帰を目的とした治療費を募るチャリティで、いろんなミュージシャンが入れ代わり立ち代わりステージに出てきては演奏した。最初に細野晴臣とそのバンド(鈴木惣一郎とか高田蓮とか)が3曲、それから順番に、友部正人が2曲、大貫妙子&矢野顕子が2曲、再び細野晴臣&矢野顕子で2曲、最後は矢野顕子が3曲。

 僕は矢野顕子くらいしかまともに聴いたことがないんだけど、どれも雰囲気のいい演奏で、これで3千円はお値打ちだったな。これだけの面子をまとめて観れる機会もそうないだろうし。まずは、病気療養中のエンジニア:吉野金次氏の回復を微力ながらお祈りしたい。

 北沢タウンホールというところでやったんだけど、そのすぐに近くにディスク・ユニオンがあったりするもんだから、ふらふら~っと立ち寄り、気がついたらソウルのレコードを2枚ほど買っていた。レコ買いはクセになりやすいので気をつけよう。しっかり聴き込むまで次を買わない、というくらいの意志の強さがほしいもんだ。

 今日は天気がいい。都内を1日まわったら、きっとたくさんの汗をかくと思う。でも、それもいいのかもしんない。

 金曜日にはもう9月なんだね。

ここぞというとき

2006年08月28日 | diary
 ジョンから元気をもらってる朝。これから先にあるだろうことをがんばっていける勇気をもらっている朝。つまり、昨日は僕にとって、僕なりに、意味のある1日だった。

 また、昨日もらったメールにもたくさんの勇気が詰まっていた。しっかりと伝わってくるものがあり、それは否応なく僕の胸を打った。僕にも力になれることがあればいいのだけど。それが無理なら、せめてジョンの歌にのせて、少しでものりこえていく勇気を与えることができればいいのだけど。

 昨日は実家へ。数カ月ぶりに会った2歳の甥っ子は反抗期にはいっていた。徹底的に謝らないし、もちろん言うことなんかきかない。注意されると挑戦的な目で見返してくる。いいぞ!と誉めてあげたくなったので、こっそり誉めたら、愛らしい顔でにっこりと笑った。しかし、子育ては大変だ。僕にはとてもできない。甥っ子や姪っ子にときどき会って、甘やかしてるくらいがちょうどいい。

 家に帰ってからは『Born to Run』とポールの『Chaos and Creation in the Backyard』を聴いた。で、今は『John Lennon Anthology』のNYC編(Disc.2)を聴いている。ここぞという気分のときは、やっぱりスプリングスティーンとビートルズなのかな?ま、それはそれで僕らしいかと。

片瀬餅つき唄

2006年08月27日 | diary
 今日はちょっくら実家まで。昼飯を食って、軽やかに用事を済ませて(多分)、夕方には妹一家が合流して、飲んで食って飲んで食って、あまり遅くならないうちに帰ってこよう。

 昨夜、ベッドで本を読んでいたら、携帯のメールが鳴った。僕もすぐに返信をした。いつだっていろんなことが同時進行ですすんでいく。それらをとめることができないならば、せめて自分らしくいようと思う。

 お祭りに行ってきた。神社に着いたとき、ちょうど餅つきがはじまっていた。「片瀬餅つき唄の会」のおばちゃん達が歌う「片瀬餅つき唄」という地元の民謡に合わせて、大人と子供が一緒になってお餅をついていた。神主さんが出てきて「えー、片瀬餅つき唄の会も、今年で30年目だそうでございます」と言った。その後、お餅がふるまわれ、僕もいただいくことができた。けっして広くない境内は人でいっぱいで、どの屋台にも行列ができていた。僕もたこ焼きを楽しみにして来たのだけど、なんだかめんどくさくなったので、お餅を食べながら部屋に戻ることにした。途中で山車とすれ違った。ぼんぼりの灯りとお囃子の音色が心地良かった。今夜はお神輿も出て、神社の前の道は通行止めになる。夏の終りの、ささやかな夏祭りである。

 ギターでブライアン・ウィルソンの“Melt Away”をコピーしてみた。いくつかコードが見つからなかったけど、無理矢理歌ってみた。僕のギターは高いポジションのコードが押さえにくい。E♭maj7とか。もう少し小さくて弾きやすいギターがほしい。

 先日、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』を観てきた。既に続編が作られているとは聞いていたけど、まさかあんな途中で終わってしまうとは思わなかった。僕の隣にいた青年がエンド・ロールを観ながら、「つーか、終わってねーじゃん」と言ってたけど、その通り。君は正しい。

 で、今はビートルズの『Anthology 2』を聴いている。“Yesterday”でのポールの声は、反則的にかっこいいと思う。

Melt Away

2006年08月26日 | diary
 今日は近所の神社のお祭り。小さな町が大切につづけてきた、こじんまりとしてるけど由緒正しいお祭り。夜になったら、ぶらりと見物にいこうと思っている。まだこの町に引越してきたばかりの頃、ここで仲間達と競って金魚すくいをしたことがある。その成果もあって、金魚すくいにかけては秘かに自信があったりする。以前にも、麻布十番のお祭りで、水槽の中の一番大きな金魚を見事すくいあげて、ギャラリーの喝采を浴びたことがあるのだ。でも、今日はやらない。なんとなく腕がにぶってそうだし、金魚すくいはひとりでやってもつまんないから。

 寝たり起きたりをくり返して、ベッドに10時間ほどいた。寝てる間はなにも考えないで済むのがいい。いいことも悪いことも平等になにも考えない。でも、夢を見てるときは多少事情も変わったりするわけで、昨日はちょっとばかし微妙な夢を見たのだった。

 寝着をぬいで、体重をはかってから、僕は風呂に入った。ブライアン・ウィルソンの『I Just Wasn't Made for These Time』を聴きながら、“Meant for You”から“Till I Die”までの30分間、ゆっくりと湯船につかった。ブライアンは、大切なものを失った人の心を慈しむ。あまりに頼りなさ過ぎた心の繋がりの儚さを歌う。この中途半端なセルフ・カヴァーのアルバムが、僕はブライアンのソロで一番好きだったりする。“Love and Mercy”も“Melt Away”も、オリジナル・ヴァージョンよりずっと好きだったりする。

 なんでなにひとつ思いどおりにいかないのだろう
 だけど君に会うたびに
 そんな気持ちは消えてしまう
 憂鬱な気分は溶けて消えてしまう

 だから僕は苦しんでいるところを絶対君には見せない
 僕が泣いてるところを絶対君には聞かせない 
 僕が溜息をついているところを絶対君には見せない

 時々、僕は世界に対して心を閉ざしてしまう
 君に対して心を閉ざしてしまうこともあるよ
 でも、君の話す声を聞くと
 僕の心が開いていくのがわかる
 すると暗い気持ちは消えてしまうんだ
 溶けてなくなってしまうんだ

 それから僕は、冷蔵庫に残っていた食材の一切を使って昼飯を作った。少し頭を使って、あとはかなりてきとうに。出来上がった料理を皿に移すと、見栄えは悪かったけど、食べてみると、幸いなことになかなかいい味だった。ほっとしたなぁ。気持ち悪い思いをせずに済んだのは、本当によかったと思う。なので、今、僕の家の冷蔵庫はからっぽだったりする。せいぜいレモンが1個、ころがってるくらい。

 これから明日の準備に入る。ちょっと真剣に考え事をする。うまく楽しめればいいのだけど。

 そして、夜は近所の神社のお祭りへ。小さな町が大切につづけてきた、こじんまりとしてるけど由緒正しいお祭り。ぶらりと見物しにいけたらいいなと思っている。

Last Night

2006年08月25日 | diary
 昨日は楽しい夜だった。あんまし考えるとややこしくなるんで、今回はそれでいいことにする。楽しい夜だった。

 今朝はローラ・ニーロ。朝からローラ・ニーロ。とかく夜のイメージが強いローラだけど、朝から聴いても違和感のないアルバムもある。

 サンフォード&タウンゼンド(以下S&T)。ギャラガー&ライル(以下G&L)。昨日教えてもらったアーティスト2組。S&Tの方は、都会的で洗練されたブルー・アイド・ソウル…になるのかな?初期のホール&オーツっぽい感じがしたもんで。音づくりもぎりぎりAORまでいってないのがいい。「いいですね。俺この辺ど真ん中」と言うと、クジラのようなマスターはクジラのように笑った。そろそろ帰ろうとしたときに「これも聴いて行きなよ」とかけてくれたのがG&L。なんでもオーストラリアのバンドなんだとか(後日注:イギリスのバンドでした)。冗談みたいなジャケだし、たいして興味もわかなかったんだけど、いきなり名曲がかかってびっくりした。“Break Away”じゃん!アート・ガーファンクルも歌ってるじゃん!「こっちがオリジナルだから」とマスター。へぇーそうなんだぁと感心していると、またもや名曲登場。“Heart on My Sleeve”。こ、こ、これはリンゴも歌ってるじゃないか!「あの、ひょっとしてこれも彼らがオリジナルですか?」と訊ねると、「え、これリンゴ・スターが歌ってるの?」とマスターはそっち方面でびっくりしてた。そのときの結論としては、きっとリンゴのオリジナルではないだろうけど、リンゴが名も知れないオーストラリアのバンドの歌をカヴァーしてるとも思えない(後日注:しつこいようですがイギリスのバンドです)。きっとどこか名のあるお方の作品に違いない、という曖昧なものだった。ところが、家に帰ってリンゴのレコードでクレジットを確かめてみると、そこには「ギャラガー&ライル」とあったりするわけでね。恐るべしG&L。あっぱれオーストラリア(後日注:あっぱれイギリス)。

 というわけで、欲しいレコードが2枚増えた夜でもあった。

 藤沢のレコード・バーでは、エリス・レジーナがかかっていた。僕はレッドアイを飲み、石川淳の文庫本を見せてもらった。前の持ち主が引いたであろう線が何か所かあったので、声を出して読んでみたんだけど、それだけではよくわからなかった。レッドアイを飲み終えて店を出るとき、ローラ・ニーロのファーストがかかっていた。僕は南口から北口へ寄り道して、また南口にもどって、そのまま家まで歩いて帰った。

 昨日は楽しい夜だった。あんまし考えるとややこしくなるんで、今回はそれでいいことにする。楽しい夜だったと。

『Let It Be...Naked』再び

2006年08月24日 | diary
 BBSにも書きましたが、僕はとんだ勘違いをしていたようで。クラプトンのバンド・メンバーとして、スライドの天才=デレク・トラックスも一緒に来日するんですね。いやいや、ヨーロッパだかアメリカだけと聞いてたもんで。最近のツアーがどうなってるんだか僕は知らないのだけど(知らないようにしている)、デレクをはじめとする屈強のバックが、エリックのプレイに火をつけているのかな?そうであってほしい。これまでのクラプトン・バンドも上手な人達だったけど、なんていうか、予定調和な匂いがずっとしてたもんで。

 そんなわけで、昨日はデュアン・オールマンとのバトルの再現を夢見て、あれこれとレコードをひっぱり出してた。でも、いつしかフリートウッド・マックの『Rumours』に流れ、最後は『Sgt. Pepper's~』と『Let It Be...Naked』を聴きながら「ビートルズ大学」を読んでいた。

 「ビートルズ大学」、第2章の『Let It Be...Naked』はとても面白かった。「中央にジョンとポールのヴォーカル、リンゴのドラム、ジョージがエレクトリック・ギターを使って低音部のベース・ラインを弾いている。左右に分かれたアコースティック・ギターは、左がポールで、右がジョン」なんてことが1曲ごとに書かれていて、これを読みながらアルバムを聴いていると、まるでそのときの情景が浮かんでくるようだった。それは、ちょっと倒錯しているかもしれないけど、しみじみと感動的な体験だったりもした。この本を僕にくださった方は、この部分のテープおこしをお手伝いしたのだそうで、えっと、お疲れさまでした。おかげでさまで楽しませていただきました。

 それにしても、『Let It Be...Naked』は改めていいアルバムだと思った。出た当時は賛否両論というか、むしろ「いろんなテイクのツギハギだらけ」だの「こんなのちっともネイキッドじゃない」だの、僕にはどうでもいいとしか思えない理由による批判をよく耳にした。こういうことを言う輩は、それこそほんとにそのまんまの状態(つまりまったく手を加えない状態で)で出てたって「やっぱり散漫だ」とか文句を言うに決まってる(と思う)。100歩ゆずって「これこそネイキッドだ」と褒めたところで、けっしてその「散漫」な作品をくり返し聴いたりはしないだろう。そう思ったから、僕はそういう意見は徹底的に無視した。別に聴かなくていいよ。この“The Long and Winding Road”の美しさがわからないようなら、別に無理して聴くことはない。そんな気分だった。

 で、今でもそう思ってる。ここに収められた生々しい空気を愛せないなら、それはそれでいい。その分、僕が聴くから。ずっと聴き続けるから。

Still No Name

2006年08月23日 | diary
 自分でレコード・レーベルをやってみようかなと思ってて、どんな名前がいいだろうと、先週末は腹が痛いのをいいことに、ベッドでごろごろしながらあれこれと考えてた。ジョージにちなんでWonderwall Recordsなんてどうかな?そう思って友人にメールしたところ、ぐぐってくれたらしく「もう既にあるみたいだよ」と言われた。あ、やっぱり…。でも、それってオアシスからとってない?僕のはジョージだから。

 名前を決めるのって難しい。レコード・レーベルに限らず、この世には星の数ほどの名前が存在するわけだけど、なんかすごいもんだなぁと意味もなく思ってみたりした。

 さてと、ほんとにできるのかな?それにはいくつかのハードルを超えないといけないんだけど。

 いつも良くしていただいてる方から冊子小包が届いた。なんだろうと開けてみると、「ビートルズ大学」という本が入っていた。ビートリィな一部の巷では話題の著作。なんでもご協力をされたとのことで、一冊わけてくださったのだ(さっそく名前を確認。あった!)。どうもありがとうございます。ちょうどこれ気になってたんですよ。

 まだ一章しか読んでないけど、いやいや、さすがにビートルズにどっぷりな印象(当たり前か)。僕にはあまりこういう本を読む習慣がないので、きっと新鮮な気持ちで読めると思う。これから電車の中でぽつぽつ読みすすめていこう。

 大学時代の先輩からは1本のカセット・テープが届いた。これには先輩夫婦の妹さんが作ったデモが入っていた。ピアノの弾き語りで7曲。どれも悪くなかったけど、それ以上のことは僕にはわからなかった。彼らにしてみると、僕は音楽関係の仕事をしてる唯一の知り合いらしいので、なんとなく(でもちょっとは期待して)送ってきたのだろう。でも、当然のことながら、音楽といってもいろいろあるわけで、それによって関わっている人が違う。つまり、なんというか、そう簡単にはうまくいかないのだ。特にアーティストになりたいのなら尚更なわけで、残念だけど力にはなれそうもない。

 今日は昼過ぎに出かけよう。で、帰りに地元で映画でも観ようと思っている(水曜日はメンズ・デイで千円なのだ)。さて、なにをやっているかな?

音楽が聴こえる

2006年08月22日 | diary
 三島由起夫の「音楽」を読み終えた。これはますます不思議な小説だった。なにが不思議かと言えば、題材から話の展開から主人公である精神科医が出す結論のいちいちまで、すべてが僕をどこか不思議な気持ちにさせた。ここに書かれたことを、いったいどこまで納得していいものやら、僕にはよくわからないところがある。それは正論のようであり、突飛にも思えた。でも、こうして読み終えてみると、なんだか気持ちよかったりするわけでね。うーんと、なんなんだろね。

 この作品は、多分だけど、三島自身が、このある意味で奇妙な作品の内容を、割と本気でそう思って書いているところにリアリティの根本がある気がする。自分の考えを、そのまま(彼なりの方法で)ストレートに綴った印象を僕は受けた。だから、どうやったらこんな小説を書けるのだろうと最初は思ったけど、そうじゃなくて、単純に三島だから書けたのだと思う。ま、そこがすごいところなんだけど。

 なんであれ、最後にちゃんと救いがあってよかった。ほっとしたし、嬉しかった。凄まじいとかたまらないとか、そういうんじゃないかもしれないけど、とても面白かったし興味深い作品だった。もう1度読み返してもいいなと思うくらい。

 本を読み終えてから、ビートルズの来日に関するテレビ番組がやるというので観た。そしたら、そこにも三島由起夫が出てきたんでびっくりした。なんでも彼は、ステージを斜め向かいにみる一番前の席で、ビートルズの日本公演を観たらしい。そしてそのときの感想を、どこかの雑誌に綴っている。三島由起夫の作品を「音楽」しか読んだことのない僕が言うのもなんだけど、とても彼らしい感想だと思った。冷静沈着な視点と本質を見据えようとする意志が感じられる。あえてビートルズに好意的な感想を書いた遠藤周作のありきたりさよりも、ずっと魅力的な文章だと思う。しかし、残念ながら、それは的を得た感想ではなかった。「私は後ろを向いて客席を観ているほうがよほど興味深かった」と三島は言った。結局、三島にはビートルズがわからなかったのだ。そして、言うまでもないことだけど、あのとき高校1年生だった仲井戸麗市が、当時ノートに綴った言葉の方がはるかにビートルズのことを的確にとらえている。「俺は武道館の北西側、斜め後ろの席からビートルズを観た。でも、“I Feel Fine”でのリンゴのバスドラの踏み方ははっきり覚えてる。バツグンだった」。きっとそれだけ時代が激しく動いていたのだろう。で、やっぱり大人にはわからなかったのだと思う。

 風呂につかりながら『Beatles For Sale』を聴いた。“Rock' n Roll Music”が流れ、“Mr.Moonlight”が流れた。で、僕はいつものように、“Every Little Thing”と“I Don't Want to Spoil the Party”の登場を待っていた。

 「オンガクオコル。オンガクタユルコトナシ」。