Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

いつも通り

2007年03月30日 | diary
 カーテンを開けたら、傘をさした人が通り過ぎていった。雨かぁ…と思った。なんだかひどく眠い。でも、どうにか起きてたりする。パンをかじってたりする。

 昨日はずっと鎌倉の事務所で仕事をした。たくさんの電話をかけて、ちょいと疲れた。買い物をして、マックで夕食をとった。江ノ電に乗っているときに、手違いで他人宛のメールが届いた。とても短いメールだったけど、僕には少し難しい内容だった。いろいろ考えたけどうまくまとまらず、家ではいつも通り、レコードを聴きながら、本を読んだ。時間がぽつぽつと過ぎていった。僕宛のメールが届いたのは、ちょうどかけていたレコードが終わったときだった。返事を送ると、すぐにメールが返ってきた。僕は歯をみがいて、パジャマに着替えて、ベッドに横になった。そして、いくつかメールを送った。でも、今度はなにも返ってこなかった。

 今日もずっと鎌倉の事務所で仕事をすると思う。またたくさんの電話をかけて、ちょいと疲れるのだと思う。で、家に帰ったら、いつも通り、レコードを聴きながら、読みかけの本を開くのだと思う。
 
 この前、小川洋子の『博士の愛した数式』を読んだ。静かだけど確かななにか含んだ、心温まるいい話だった。17年前の不幸な事故により、博士の記憶は80分しかもたない。80分たてば、すべてを忘れる。目の前にいる人が誰なのかさえわからなくなる。まるで振り出しに戻されたすごろくのように、博士の記憶は17年前までリセットされる。それでも、思いやりのある人生には、きっと幸せが隠されているんだろうな、と思った。そんな本だった。

 今朝は雨が降っている。雨が、静かに、優しく、地面を濡らしている。

Local

2007年03月29日 | diary
 昨年くらいから地元の街・藤沢がなんとなく淋しい。マルイがなくなってビックカメラになったのはまぁどっちでもいいとしても、まず東急ハンズが昨年末になくなった。ここはハンズの1号店だったのにな。そんなに利用してたわけじゃないけど、自分の町にあって嬉しい店だった。ハンズの後には、ユニクロがはいることになっている(というか、明日オープン)。うーん、ユニクロかぁ…微妙。あと、今月いっぱいで映画館「藤沢オデヲン」が閉館する。昭和10年の開館以来、71年の歴史に幕を閉じることになる。こちらはちょくちょく利用していたので、やっぱり淋しい。北口と南口に建物があるんだけど、後にはいったいなにがはいるのかな?これで町の映画館は、渋い佇まいのフジサワ中央ひとつになってしまった。CD屋さん「タハラ」にも立ち退き話があったらしいけど、これは家賃交渉でどうにか回避されたらしい。ほっ…。一応、タワーレコードもあるんだけど、これがいまいちでね。タハラの方がずっといい。

 ハンズみたいな店もそうだし、映画館やCD屋さんって、その町のカルチャー指数を決めるようなところあるから、こうもいい話を聞かないと「つまらない町になってほしくないなぁ」と心配になったりする。大きな書店でもできたら嬉しいんだけど(有燐堂はあるんだけど、正直ぱっとしない)。あと、地元の名店ともいうべき居酒屋さん「久昇」の支店も閉めるそうな。ただ、これは経営が立ち行かないからではなくて、単に忙しすぎるからだとかなんとか。本店はそのまま存続するそうだけど、僕はたいてい支店を利用してたので、やっぱり淋しかったりする。

 と、かなりローカルな話題でした(「久昇」とか特に)。ま、新しい店もぽつぽつできてるしな。近々、ライヴハウスもオープンするとのこと。ちょっと期待したい。頑張れ、藤沢!

 本当は小さな個人店がいっぱいできたら楽しいんだけどな。やってる人の趣味が伝わってくるようなセレクト・ショップや画廊や音楽バーなどなど。そんな店がこういう小さな町の中にいくつもあったら、きっと楽しいだろうなと思う。

愛しのフィート

2007年03月28日 | diary
 風邪薬を買った。飲んで寝たら、かなり楽になった。でも、鼻はまだつまったままだったりする。起きがけに聴く『Dixie Chicken』。久しぶりのリトル・フィート。なんとも奥深い魅力のあるバンドだと改めて思う。フィートでは『The Last Record Album』が一番好きなんだけど、『Dixie Chicken』もやっぱりいいな。ファーストからずらずらーっと聴きたくなってしまうが、そうもいかないんで、えっと、帰ってからにしよう。はやく帰ってこよう。

 北村薫の『スキップ』を買った。本や音楽やプロレスのことならなんでも知ってる友人が「円紫さんシリーズと同じくらい面白い」と教えてくれたんで、買った。彼は他にもいろんなことを知っている。例えば、映画とか落語とか、えっと、星まわりの話とか…。僕はといえば、音楽のことくらいしかわからない。

 BBSへのレスをつけながら、スプリングスティーンが歌う“Hearts of Stone”を聴いた。そして、これはこれでやっぱりいいなぁと思った。切々とした歌詞や重く沈むようなメロディが、『Darkness on the Edge of Town』の頃の作風だと教えてくれる。で、これを自分のアルバムに入れなかったスプリングスティーンの気持ちもわかる気がした。“ The Promise”とかと一緒で、きっと、感情が出過ぎてると思ったんじゃないかな。このままだと前にすすんでいけない。そんな風に思ったんじゃないかな。そんな気がする。

 今は大声では話せないけど ひとりじゃないんだよ
 だから耳に受話器をしっかりとあてて聞いてほしい
 なぜなら、これが2つの石のような心のための
 最後のダンス、最後のチャンスだから

 今はリトル・フィートの『The Last Record Album』をかけてる。 ローウェル・ジョージが“Long Distance Love”を歌っている。でも、どうやらA面までしか聴けそうもない。つづきは帰ってから。はやく帰ってこよう。そうしよう。

Hearts of Stone

2007年03月27日 | diary
 日曜日から鼻づまり再開。風邪か?それとも…

  ヒ、ヒノキ?ひょっとして反応しちゃった?

 うー、それだけはやめてくれぇ。風邪であってくれぇ。インフルエンザでもなんでもいいから。だって、ヒノキは毎年のことだから。お花見に行けなくなるから(予定ないけど)。

 桜は散り際が美しい。もちろん、桜は桜で、それ自体きれいではあるんだけど、儚く散るからこそ、こんなにも多くの人に愛されるのだと思う。で、散るだけじゃなくて、来年になればまた咲くのがわかってるから、悲壮感ばかりじゃなくていいのだと思う。そこにちゃんと希望があるのが、いいのだと思う。

 サウスサイド・ジョニーの『Hearts of Stone』を聴く。このタイトル・ナンバーと“Talk to Me”は、スプリングスティーンが書いていて、それはそれは彼らしいいい曲に仕上がっている。こういう名曲をさっと友達にあげちゃうあたりが、実にブルース・スプリングスティーンだと思う。で、残りの曲のほとんどを、これまた朋友スティーヴ・ヴァンザンドが書いている。こちらも負けず劣らずいい曲が並んでいる。スプリングスティーンやヴァンザンドは、仲間の成功を自分のことのように喜ぶことができる。それも無条件に。僕はそんな彼らに憧れ、今も憧れている。

 これはサウスサイド・ジョニーの3作目で、スプリングスティーンのような繊細さはないけれど、ソウル・レビューを下敷きにしたロックン・ロールがかっこいい。サウスサイド・ジョニーのヴォーカルも華やかではないが、なんともイナタイ味わいがあって好き。すごくレベルの高いローカル・バンドを聴いてるような、そんな楽しさがある。

 桜は散って、また来年咲く。花粉もまたやって来ては、去って行く。で、僕としては、桜にはまた咲いてほしいけど、花粉にはもう来てほしくない。でも、どちらもやっぱり、来年もまたやってくるわけでね。

 結論:いいこともあれば、悪いこともある。それはしょうがない。

 今日も鼻づまり。どうか風邪でありますように…。

ZAZOU

2007年03月26日 | diary
 そろそろ桜の季節。川沿いとか公園とか並木道とかお堀とか、そんなところに出かけたい。のんびり散歩して、木の下に座ってお弁当を食べたい。顔を上げて、舞い散る桜の花びらを愛でたい。

 つまり、すっかりあったかくなったなぁと思ったりする。春だね。

 土曜日は千葉県市川にあるカフェ・レストラン「ZAZOU」にて、湘南のアコースティック・ユニット=Yole Yoleのライヴがあった。友人2人の主催ということで、なんとなく察しはついていたんだけど、約束の時間に行ってみると、店内はすっかりデッドヘッズが集まりそうなヒッピー・スタイルに飾られていた(普段はそういう店じゃないらしい)。Yole Yoleは力のあるバンドで、初めてのお客さんを前にして、堂々たるいい演奏をした。前座のCASSも良かった。バンドもお客さんもみんなすごく楽しんでいたし、雰囲気のいい夜だった。まずはお疲れさまでした。

 で、僕もちょっとだけお手伝いをした。これまでの日記にも書いてきた通り、初めてDJなるものをやらせてもらった。その前に地元のバーで1回練習してるので、厳密に言えば初めてじゃないんだけど、チラシに自分の名前がのって、ひとりで2時間以上もレコードをまわしたのは、さすがに初めて。とはいえ、あくまでライヴが主役のBGM係なので、その辺は気楽に楽しめた。「何曲かけたのかな?」とさっき数えてみたら、35曲だった。ビートルズもスプリングスティーンもディランもストーンズもなく、ウッドストック・マウンテンズ・レビューやアズテック・トゥー・ステップやロザリー・ソレルズやローリー・スタイバースなど、誰も聴いたことがないかもしれないけど、誰が聴いても悪い気はしない。そんな「いい曲」を選んでかけた。ライヴの前や合間や終わった後に、仲間とおしゃべりをしながら、ビールを飲みながら、カレーやサモサを食べながら、なんとなく、そんな曲達が誰かの耳をとらえ、気持ちいいなぁと思ってもらえてたら嬉しい。

 居酒屋で軽い打ち上げをし、友人宅で2次会をした。居間には、ザ・バンドの『地下室』や『ライ・クーダー・クラシックス』が流れていた。寝たのは午前5時を過ぎた頃だった。翌朝、目が覚めると、外は雨が降っていた。友人夫妻と トーストとコーヒーの遅い朝食を食べた。居間には、ハース・マルティネスの『ハース・フロム・アース』が流れていた。

古い本と古い音楽と…

2007年03月24日 | diary
 今日は千葉県市川市までお出かけ。レコードをどっさり持ってお出かけ。で、1泊して帰ってくるつもり。そこではYole Yoleという湘南のバンドのライヴがあって、僕は彼らの演奏の前とか間とか終わった後とか、多分その辺で、持っていったレコードをまったりかけるのだと思う(よくわかってない)。

 昨日はお茶の水のバーで飲んだ。マスターがスプリングスティーンをかけてくれた。セカンドから“Sandy”、“Incident on 57th Street”、“Rosalita”、“New York City Serenade”。ライヴ盤から“Jersey Girl”と“Thunder Road”。大きな音で聴くスプリングスティーンは、セレナーデもロックン・ロールも、とても美しかった。スティーライ・スパンがかかり、フリー・デザインのメンバーのソロがかかり、フェアポート・コンベンションがかかり、サイモン&ガーファンクルがかかり、MJQがかかり、ニール・ヤングがかかり、キャロル・キングがかかった。話の流れで中島みゆきもかかった。ギターの上手な青年が、ジェイムス・テイラーやピーター・ポール&マリーを歌ってくれた。一時はお客さんでいっぱいだったお店も、最後には僕らだけになった。マスターの歌が流れてきた。連れが古い歌を歌い、僕はそれにギターをつけた。それから僕もちょっとだけ歌った。マスターがウイスキーを1杯おごってくれた。カーレン・ダルトンが“In a Station”を歌っていた。そんな夜だった。

 そういえば、バーに行く道すがら、古本市をやっていて、そこではキンクスが流れていた。まるで当たり前のように、流れていた。

ポールのニュー・アルバム

2007年03月23日 | diary
 いつもよりちょっとだけ早起きして、明日のDJの準備をする。つまり、昨晩選曲した順番で1回通して聴いてみたんだけど、「ふぅむ…」といったところか。ちょうど1時間くらいなんだけど、俺ってまったりしてんだなぁと、改めて思ったりした。ま、主役はあくまでライヴなんだし、目立たないくらいがちょうどいいのかもしれない。…と、自分に言い訳をしてみる朝だったりする。とりあえず、少し多めにレコードは持っていこう。

 かねてから噂になっていたポールの移籍話が正式に発表された。長年所属したキャピトルを離れ、移った先はスターバックスが立ち上げた「Here Music」なるレーベル。 ポールがその第一弾アーティストとなったそうな。「ふぅむ…」といった感じか。

 しかし、「ふぅむ…」なんて言ってられないこともあったわけでね。というのも、これまた噂されていたニュー・アルバムが、なんと6月に発売予定だということまで発表されたわけでね。

 6月なんてすぐだ…。

 と、僕は思ったのだった。さぁ、これは大変なことになったぞ。また発売日を指折り数える日々がやってくるぞ。というわけで、スターバックスのことなんて、もうどうでもいい。ポールのニュー・アルバムが出るのなら、僕はそれだけでいい。そうかいそうかい、離婚のことばっかり報道されてたけど、その間もポールはちゃんと頑張ってたんだね。そうなんだよね。ポール、えらい!

 ところで、「Here Music」ってインディペンデント・レーベルなんだそうな。うーんと、まぁそれそうなんだろうけど、日本のちっぽけなインディーズで働く僕などからすると、「ふぅむ…」といったところか。スターバックスほどではないにせよ、海外には、巨万の富をもったインディーズがたくさんある。彼らはメジャーでも払えない契約金をアーティストに支払うことができる。別にいくら金をもっててもいいんだけど、なんていうのかな、多くのインディペンデントが持ちつづけた、音楽への愛情は、失われないでいてほしいなぁと思ったりはする。スタバはどうなんだろね。

Casey Jones

2007年03月22日 | diary
 朝起きて、いきなり腹が減っていた。そこでどうにか残っていた、ふやけたみかんを食べた。コンタクトレンズを入れてみる。少し違和感があるがつけていられそう。ふぅー。一ヶ月半にわたる完全防備が少しづつ解除され、遂にここまできたという感慨がある。

 というわけで、さらばメガネ。さらば花粉。世界が明るくなっていく。

 今朝はまずマッド・エイカーズを聴いて、それからグレイトフル・デッドをターン・テーブルへ。僕は、たいていの場合、出勤前にアナログ・レコードを2枚かける。で、朝すべき諸々事を済ませ、この日記をつけている。

 思えば、僕は通勤に労力をかけたことがない。最初に勤めた会社は、部屋から自転車で10分ほどだった(そういう場所に部屋を借りたんだけど)。フリーで働いてた頃は、仕事が入るのがだいたい夕方以降だったので、朝はやく出かける必要はなかった。その後、腰掛け程度に通った会社も、今のところも、出勤時間は世間的にはけっしてはやくない。江ノ電は必ず座れるし、海をぼんやり眺めてればいいのだから、まったく苦にはならない。

 だから、普通の時間に起きさえすれば、レコードを2枚くらい聴く時間はとれる。今さら朝ばたばたするのは嫌だし、夜は割と世間一般的な時間に寝てるので、自然と世間一般的な時間に目が覚める。だから、こんな生活パターンになってたりする。

 なんであれ、朝にゆっくりした気持ちになれるのは、いいことだと思っている。

 でも、たまに困ることもあるわけで。例えば、ちょうど今朝がそうなんだけど、いつもよりいくらか遅く起きた場合、当然いつもより時間が少ない。すると、2枚目のB面を最後まで聴き切れるかか微妙になってくる。つまり、あと2分あれば“Casey Jones”を最後まで聴いて、すっきりした気持ちで出て行けるのに…ということになるわけだ。ここで僕はひとつの決断を迫られることになる。

 途中で針をあげるか。それとも、最後まで聴いて、駅までの道のりを走るか。

 うーんとね、多分、前者かなぁと。最近、随分とあきらめがよくなってきてたりする。えっと、いろんなことにおいて。ま、遅刻しないだけ、まだえらいと思ってるけど(たまにするけど)。

Summer's Day Song

2007年03月21日 | diary
 昼過ぎまで寝て、『McCartney 2』をかけて、辛口カレーを食べて、汗をかいた。で、風呂に入って、それからもう1度『McCartney 2』をかけた。部屋にポールの“Summer's Day Song”が流れる日。悪い夢を見てしまうかもしれないけれど、明日になればそれも終わるよ。ある夏の日に、世界は美しく目覚めるはず。そんな歌だったりする。ポールの歌声は、まどろみの中に射し込む希望の光のようにやさしい。

 昨日は、新しくレーベルをはじめた友人夫婦と食事をし、いろいろと話をした。さすがに今は大変そうだったけど、レーベル第一弾としてかなりかっこいい音を見つけてきてるので、なんとかうまく軌道にのせてほしいもの。僕もなんか協力できることがあればいいなと思う。

 土曜日のDJのために、レコード箱を借りに馴染みのアナログ・バーへ。居合わせた友達とポールの話をする。彼女は、以前はポールが嫌いだったらしいのだけど、どういうわけかレコードはいっぱい持っていて、この前久しぶりに聴いてみたらすごくかっこいいんでびっくりして、「あたし、もうポールを嫌いだなんて言わないよ」と誓ってくれた。そうでしょそうでしょ。やっぱりそうじゃないとね。いいことだ。

 借りたレコード箱とキャリアを持って、ひとりタクシーに乗って帰宅。少し反省することがあって、メールをひとつして、ベッドに横になったら、こてっと寝入り、目が覚めたら朝になっていて、うだうだしてるうちに昼になっていたと。そんな感じ。

 DJは千葉県の市川にある店でやる。「今度、初めてDJやるんだよ」と言うと、たいてい「へぇー、どこで?」と訊かれ、「市川」と答えると、これまたたいてい「なんで?」と訊かれる。つまり、江ノ島と市川はそれくらい離れている、ということなのだろう。

卒業式

2007年03月20日 | diary
 今日働いたら、明日はお休み。そのあと2日働けば、週末。ほらね、楽じゃん。気持ちが前向きになるじゃん。水曜日の祝日、ばんざい。

 こんな駄文を書き連ねてそろそろ4年。なんだかんだいったところで、時間のゆとりがあるんだと思う。今朝もお茶飲みながら、キーボードをぱちぱちたたいてたりする。たいてい8時に書きはじめて、だいたい8時40分に終わる。で、8時43分に家を出ていく。部屋ではポールがかかってたりする。

 僕の家の前の小学校は、今日が卒業式らしい。そんな看板が校門の前にたっている。僕は小学校の卒業式の日に、担任教師になぐられている。なにをしたわけでもなく、友人たちも「ねぇ?なにしたの?」と不思議がっていたが、誰よりも僕自身がわけわかんなかった。

 あれ以来、僕は無条件には大人を信じなくなった。

 それまでは「先生の言ってることなんだから」と、たいていのことは素直に受け入れていた。その先生にはよくなぐられたけど、まぁ僕の場合、なんかしらいらんことはやってたし、それが殴られるほどのじゃないことにせよ、「ま、しょうがないかなぁ」と特に気にしていなかった。もしかすると、そういう「響いてない」感じが、その先生には生意気に映ったのかもしれない。

 でも、あの日はちょっと違った。卒業式だったし、あまり殴られるにふさわしい日だとも思えなかった。だから、あのときを境に、「これまでのことだって、そもそも殴るほどのことだったか?」と疑問をもつようになった。そうなると、おかしなことがいっぱい思い当たった。そして、非常に強い嫌悪感が襲ってきた。それはその先生に対してというよりは、これまで殴られても当たり前のようにしていた自分に対してだった。考えてみると、あれが権力や権威というものを意識した最初だった気がする。

 あれ以来、僕は意志なく頭を下げるのをやめた。権威的なものに対して強い懐疑心をもつようになったし、仲間や家族といった信用できる人の言葉しか信じなくなった。そうした感覚は今も心の奥底でずっと変わらず持ち続けている。今ではすすんで対峙することはあまりなくなったけど、なるべく権威的なことから遠くにいたいと思うようになった。新聞を読まないのも、あまりテレビを観ないのも、きっとその辺の気持ちと関係しているのだろう。

 そんなわけで、小学校の卒業式の出来事は、後の僕に大きな影響を与えた。あの日からずっと、僕は静かな反体制であり反権力でありつづけている。そう考えると、あのとき殴られたのも、そう悪いことじゃなかったのかもしれないね。

 …と、ここまでで8時35分。読み返して、アップしたら8時40分くらいになるだろう。だいたいいつもそんな感じだったりする。