Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

上巻から下巻へ

2006年10月31日 | diary
 知り合いが店長をやっている関内のバーへ。なんでも店をやめて家族でオーストラリアに行くというので、その前に挨拶をと思って行って来た。人気者の彼らしく、僕のような輩が連日遊びに来てるみたいだった。「とりあえず(オーストラリアに)行ってみて、面白かったらそのままいるし、合わないようなら帰って来るよ」と言って彼は笑った。僕が1杯おごると、そのお返しなのか、何杯もおごってくれた。なくなるとすぐに新しいビールが前に置かれるので、いい感じに酔っぱらい、どうにか終電で帰ってきたサンデイ・ナイト。

 一緒に行った10歳下の友達は、おしゃれでマスクもかなりかっこいい。…が、根が真面目なのか単に暗いのか、「俺、女の子と話すのが苦手なんです」と言う。「いつも自分より歳上の人達に囲まれてるからかな。同年代の女の子とはなに話したらいいかわからないんですよ」とのこと。「じゃ、歳上の人とつきあえば」と言うと、「そうなんですけどねぇ。でも、最近は歳下の方がいいなぁって」とのこと。なかなか難しいもんだ。そんな友人は、最近ジョージ・ハリスンを聴いているという。彼ならきっとジョージの良さがわかるんだろうなと、なんとなく思ったりした。

 昨日は割とばたばた働いた。家に帰ってから山田宗樹の『嫌われ松子の一生(上巻)』を読みはじめて、読み終えた。で、きっと今日も割とばたばた働いて、帰ってから下巻を読むんだと思う。

北のおにぎり屋さん

2006年10月29日 | diary
 昨日は、自転車に乗って、茅ヶ崎のカフェまでキーマ・カレーを食べに行った。いいタイミングでメールをくれた友人を誘い、海沿いにあるカフェまで2人でサイクリング・ロードをぷらぷらと走る。海も穏やかで、陽射しもあたたかくて、とても気持ちよかった。予定通りカレーとランチ・ビールをいただき、来たときと同じ道を戻って、いつものボードウォークでごろんちょする。友人の些細な悩み事(と呼べるほどのものでもない)を聞いたりする。

 いったん友人とは別れ、部屋に戻ってから、お薦めいただいた本を読む。ところが、報われない介護生活や、犯人がなにかを注入したヤクルトを小さな子供に飲ませるなど、僕にはつらい場面が多く、前半で挫折しかける。気分転換にクイーンの『A Day at the Races』を聴く。そういや、ちょうど昨年の今頃、僕はせっせとクイーンを聴いてたんだっけ。あれからもう1年がたったなんて早いなぁと思ったりする。

 夜になって、友人が『かもめ食堂』のDVDとチョコアイスを持ってやって来た。 2人でアイスを食いつつ『かもめ食堂』を観る。なんてことないんだけど、なんとなくいい。控えめなんだけど心があったまる。そんな映画だった。友人は途中からストレッチをしながら観ていた(彼は根本的に落ち着きというものがない)。そして、映画が終わると帰って行った。

 僕がおにぎりを買いに行こうかと思ったときには、もう雨が降り出していた。僕は夕飯もとらず、ベッドに寝っころがって、本のつづきを読んだ。で、そのまま読みすすめて、最後のページを閉じたときには、朝の5時になっていた。

 なんとなく寝て、目が覚めたのが午前11時。さすがに腹が減っていたので、即席のカニ玉を作って食べた。で、今はJ.D.サウザーのファーストを聴きながら、この日記をつけている。あと、明日のブライアン・セッツァーを観に行くか、ちょっと悩んでたりする。

江ノ島の空の下から

2006年10月28日 | diary
 寝坊した朝、カーテンを開けると、いい天気だった。「晴れててよかったー」と嬉しくなって、『Abbey Road』をターンテーブルにのっけた。まず“Here Comes the Sun”を1回かけて、それから最初から通して聴いた。そういえば、小説『ラッシュライフ』の中で、ある男がウォークマンで“Here Comes the Sun”を聴くシーンが何度か出てくるんだけど、これって『Abbey Road』を聴いてたのかな?それとも青盤?もしくは、駅とかで売ってるバッタモンとか?そんなどうでもいいことを考えてみたりする。

 いつもお世話になってる人が新しい本を出したので、昨日は超内輪な出版記念パーティーを池袋にあるボブ・ディランな店でやった。店内には、ディランがDJをやっている番組が流れ、壁にはディランのレコードやポスターが飾られ、メニューなんかにもしっかりディランがいたりする。その徹底ぶりが気持ちいい。ディランのDJ番組は、今もほぼ毎週放送されているもので(ツアー中だからお休みしてるかもしれないけど)、そのつどなんかのテーマにちなんだ曲をかけたりすることもあるらしい。昨日かかってたのは「野球」をテーマにした回だった。「結婚をテーマにした次の週が離婚だったりしてさ、けっこうすごいんだよ」とのこと。ディランがあのとぼけた声でしらっとそんなことを言うのを想像すると、なんだか可笑しい。

 上手なギターの演奏もあったりして、プレゼントの贈呈などもあったりして、楽しい夜はつつがなく過ぎていった。

 帰りの電車では、出たばかりの本を広げながら、あれこれと雑談。僕の知らないレコードがいっぱい載っていて、てきとうに相づちを入れてたら、「お前はほんとになんにも知らねーんだな」と怒られる。ひとりが見知らぬ人に挨拶したので「誰ですか?」と訊くと、「音楽仲間。彼女は俺より歳上なんだけど、すごいジャクソン・ブラウンのファンなんだよ」と49歳のその人は言った。なんでもデビューからずっと好きで、来日公演も最初から欠かさず通ってるとのこと。そんなジャクソンも今では50歳を過ぎ、彼女もまた50歳を過ぎた。「なんかえらいですねー」と一同感嘆し、それからはしばしジャクソン・ブラウン談義へ。ようやく知ってる話になってくれてよかった。

 藤沢駅に着いたのは、ちょうど日付けが変わった頃だった。せっせと家まで歩いて帰って、友達にメールをひとつして、どうか明日が晴れますようにと願いつつ、寝た。

 だから、晴れてて嬉しかった。どうか今日がいい1日でありますように。

I have no answer

2006年10月27日 | diary
 せっせと本を読み続けている。昨日は三浦しをんの『格闘する者に○』を読了。今日から雫井修介の『火の粉』を読みはじめる。

 1週間で5冊のペース。かなり暇人っぽい。

 『格闘する者に○』の最後は、ポールを聴きながら読んだ。別に物語にポールが出てきたとかそういうんじゃないのだけど、なんとなく。『Red Rose Speedway』。ポールはいつだってなにかに立ち向かっている。“When the Night”の最後のシャウトを聴けば、きっとそれがわかると思う。

 “Little Lamb Dragonfly”は、思いやりに溢れた胸に痛い曲。歌いだしの歌詞が、とても好きだったりする。

 僕が君に言うべきことはなにもないよ
 なにか手助けはできても
 最後の判断はやっぱり君のもの
 生きることがつらいと君はときどき思う
 でも、このことだってそのうちのひとつなんだ
 僕も君のために胸を痛めてる
 きっと助けてあげられるよ
 でも、もう、僕らが会うことはないんだろうね

 歌は心の中をぐるっと巡って、最後にまた同じフレーズへと戻っていく。「僕が君に言うべきことはなにもないよ。なにか手助けはできても、最後の判断はやっぱり君のもの」。結局、こんな風にしか言えないというか、あれこれ考えてても、実際はたいしたこと言えないんだよね。わかるわかる。

 本を読み終えると、ポールのレコードをかけたまま、ベッドにもぐりこんだ。携帯からメールをひとつして、目を閉じたら、次の瞬間には朝になっていた。こんなにたやすく眠れるのは幸せなことだと思う。

 今日は池袋でささやかな飲み会。ちょっと遠いけど、日付が変わらないうちに江ノ島まで帰ってこよう。 

Stairs

2006年10月26日 | diary
 昨日、階段で転んだ。10段くらい落ちた。隣にいた友人はびっくりしてた。もちろん僕もびっくりした。たくさんの人がいる場所だったので恥ずかしかった。

 そういえば、前にも階段で転んだことがある。場所は松山の道後温泉。このときは細い階段を上から下まで20段くらい、お尻を「とんとんとんっ」とうちながら、僕はリズミカルに落下していった。もちろん素っ裸で。幸い誰にも見られなかったけど、あれは間抜けだったな。

 あと僕が転んだんじゃないけど、駅の階段からおじさんが降ってきたのを受け止めたこともある。もし僕がいなかったら、きっとそのおじさんは下まで転げ落ちてたと思う。で、そこそこの怪我をしてたかもしれない。そう考えると、僕は人助けをしたことになるのかな?

 どちらかというと、僕はよく転ぶ方だと思う。きっと気をぬいて歩いてるからだろう。でも、階段で転ぶのは危ないので、これからは気をつけたい。

夜のピクニック

2006年10月25日 | diary
 今日は鎌倉の事務所に寄らず渋谷へ。打ち合わせを済ませて、そのままあちこちお店をまわって、てきとうに時間をつぶして、21時から新宿にて飲み。で、終電で帰宅の予定。

 本というのは読み出すと止まらないもので、この4日間で3冊読んだ。で、多分、今日も1冊買うと思う。読まないときは全然読まないのに、なんだろね。昨日は昼過ぎに事務所を出て、電車に乗る前に恩田陸の『夜のピクニック』を買った。で、日付けが変わって2時間がたったくらいに読み終えた。

 ちょっとした青春小説。読みはじめてすぐに、この本を書いたのが女性だと気づく(名前だけじゃ判別できなかったもんで)。で、やっぱり男と女では、出来上がってくるものの雰囲気って違うもんだなぁと改めて思ったりする。感情の力点が違うというか。それはこの作者に限った印象と言うよりも、僕が日頃女の人から感じている感覚にむしろ近かった。そこには、女性ならでは聡明さ(畏敬の念をもって言っている)と、女性特有の子供っぽさ(あまりいい意味では言っていない)があった気がする。

 で、今日も本を買うつもり。もう1冊、女の人が書いた本を買うと思う。

It's All Right

2006年10月24日 | diary
 どうにか元気になった気がする朝。“Here Comes the Sun”とボブ・ディランの『Bringing It All Back Home』を聴いてたりする。

 伊坂幸太郎の『ラッシュライフ』を読み終えた。数ヶ月前に読んだ『重力ピエロ』とはまた違うタイプの小説だったけど、とても面白く、かつ見事だった。いくつかの話が、多少の時間軸のずれはあるものの、ほぼ同時に進んでいく。それぞれのディテールが、まるで帳尻を合わせるかのように、最後には繋がっていく。でも、けっして大きく重なったりはしない。あくまでもひとつひとつの話は独立している。ただ「繋がってはいる」。ちょうど、僕とあなたの1日がまったく別のものでありながら、例えばこんなささいな日記によって(あるいはもっと別のものによって)、人知れず繋がることがあるように。でも、僕らがその繋がりに気づくことはない。きっとそんなものなのだと思う。

 ところどころ無理を感じる部分はあったけど、そんなのはささいなことだ(フィクションなんて、いくらかの無理があった方が、むしろリアルだったりすると思う)。まだ2作品しか読んでないけど、伊坂氏の才能はちょっと並じゃないと思う。

 『重力ピエロ』にちょい役で出てきた探偵が、ここではまた別の役で登場したりして、そんなところも楽しかったな。この人が出てくると、話が明るくなっていい。

 話の中で、ボブ・ディランのアルバムをかけるシーンがある。でも、それがどの作品なのかは書かれていない。「なにを聴いてたんだろうなぁ」と思ってると、友達から携帯にメールがはいって「MIYAIくん、ケニー・ランキンは好き?」と訊ねられた。ほとんど聴いたことないよと返信すると、「ディランの『Bringing It All Back Home』にも参加してるし、興味あるかなぁと思って」とのこと。へぇー。

 そんなわけで、きっと『Bringing It All Back Home』を聴いてたんだろうということに、僕の中ではなった。ま、いい加減なもんだ。

 “Here Comes the Sun”も出てくる。希望の歌として。イッツオールライト。大切な人を元気づけるとき、この歌のようにできたらいいなと、いつも思う。

a cold

2006年10月23日 | diary
 風邪で寝込んだ日曜日。ベッドにもぐりこんで本を読むも、気分がのらず。ぼんやりと考え事をして過ごした。考えなきゃいけないことから、考えないようにしてることまで、いろいろ。

 で、今朝を迎える。まだなんとなーく足が地についてない感覚。やたらさみーし。体温計を脇にはさんだけど、気が滅入りそうなんで、やめた。このままふわふわと事務所に向かうとしよう。よし、そうしよう。

 でも、まだ少し時間があるので、もうちょっと寝てます。しばしおやすみなさい。

Northern Lights - Southern Cross

2006年10月22日 | diary
 陽射しが差し込む明るい部屋で、ジャクソン・ブラウンのレコードをかけながら、簡単だけどいつも通りの朝食を作り、静かにそれらを口に運んでいると、ひとり暮らしの静謐さみたいなものがけっこう身にしみてきて、気持ちいい。心に淋しさの影を感じてはいても、この慎ましやかな生活にも守っていくだけの価値があるのかもなぁ、と思ってみたりする。

 毎日の生活の中で、きっとこんな風にして、僕は音楽に救われているのだと思う。

 エリック・クラプトンの追加公演が発表された。12月8日と9日、ジョンの日に。ふむ…。僕はジョージの日である11月29日と、つい先日まで最終公演のはずだった12月6日に行く。最終公演だから選んだんだけどなぁ。ま、しょうがないけど。ジョージの日は友達と、もう1日はひとりでエリックに会いに行く(後注:と思ったら勘違い。12月6日もチケット2枚とっていた。さて、どうしよ…)。

 昨日は、本を2冊買って、そのうちのひとつを読んだ。トロンボーンを吹く青年が出てきたので、カーティス・フラーのことを思い出すと、偶然にも彼はカーティス・フラーを聴いてトロンボーンを始めたと言った(本の中で)。「それって、トロンボーン?」と彼女に訊かれたとき、彼女がケースに入った状態のそれがトロンボーンであるとわかったことに彼は驚く。なぜなら、ミック・ジャガーもエリック・クラプトンもトロンボーンを吹かなかったし、ジミ・ヘンドリックスもピート・タウンゼントもトロンボーンをステージで壊さなかったから、今ではトロンボーンという楽器の存在すら知らない女の子も少なくない、というのが彼の言い分だった。

 その是非はともかくとして、おかげさまで、素直な僕はカーティス・フラーのレコードを久しぶりに引っぱり出すことになった。で、その本を読み終わるまで、僕は何枚かのジャズのレコードをターン・テーブルにのせた。ジョン・コルトレーンとかハービー・ハンコックとか。

 いつの間にか、僕のレコード・コレクションもそれなりの数になり、そのときどきの気分に合わせて音楽を聴くことが、それなりにできるようになった。でも、それはいいことばかりのようで、案外そうでもなかったりもする。なんでだろね?

 まぁ、いいや。それはそれとして、久しぶりに聴いたカーティス・フラーはとても良かった。アート・ファーマーのトランペットも、ソニー・クラークのピアノも、夜の部屋の空気とうまく共鳴して、気持ち良かった。

 本を読み終えたのが午前1時くらい。とりあえず、大きな溜息をひとつついてから、ザ・バンドの『Northern Lights - Southern Cross』を聴いた。どこかひんやりと諦観したようなサウンドが、長かったの旅の終わりを感じさせる。それは、豊かな大地を旅してきた彼らが最後に辿り着いた場所で、そこにはなにもなく、ただ頭上に満天の星空が輝いているだけだった…のかもしれない。でも、本当の旅とはきっとそういうものだ。誰もが旅をしながら無駄なものを削ぎ落としていって、いつか、身も心も、そういう場所へと到達するのだと思う。

Our Lady on the Well

2006年10月21日 | diary
 すげー寝た。こんなに寝たの、近年そうないくらい、寝た。つまり、午後8時30分から翌日の午前11時30分まで、えっと、15時間ですか。途中で2度ほど起きかけた。一度は更新されたてな友達の日記を読んで、もう一度はメールの返信をひとつして、どっちもすぐベッドに戻ったわけでね。

 で、起きてみて、こういうのが必要だったんだと、なんとなく思った。ジャクソン・ブラウンのセカンドを聴いた。こんこんと湧く泉のようなみずみずしさに胸が痛んだ。

 洗濯機をまわして、風呂に入った。お湯につかりながら、以前にいただいたジャクソン・ブラウン2004年4月の来日公演のブートCDを聴いた。ソロ・アコースティックで歌われる初期のナンバー達。ずっと聴いてたくて、いつもより長く風呂に入ってたら、いささかのぼせかけた。途中で洗濯機がピーピーと鳴って、洗濯が終わったことを告げた。

 洗濯物を干して、簡単なお昼を食べた。それからギターで“Take It Easy”を弾いた。“Our Lady on the Well”のコードをさがしてみたけど、見つからなかった。 朝日がさしこむ、山奥の静けさの中にある井戸での物語。歌には、どこか遠くからやって来た男と、井戸の水を汲みにきた女が出てくる。ジャクソンの紡ぐ言葉はとてもシンプルで、きれいだと思う。そして日本語にするのはとても難しい。

 僕の家の前の小学校では、さっきまで秋の大運動会をやっていたが、もう終わったみたい。気づけばもう午後4時か。あれま…。自転車こいで本でも買ってこよう。伊坂幸太郎の『ラッシュライフ』が面白いそうなので、それを。

 で、晩飯はなにを食べようかな。寝てても腹だけは減るんだよな。やれやれ。