Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

Cut My Hair

2004年06月30日 | old diary
 中途半端な時間に起きた日に、『Quadrophenia(四重人格)』を聴く午前11時。外はどんよりと曇り、雷が遠くで鳴っているのが聞こえる。この作品はこういう日に聴くと、やたらリアリティがある。The Whoはイギリスのバンドなんだなぁ、と改めて思ってみたりする。

 ブリティッシュ・ロックが持つどこかジメッとした空気は、イギリスのどんよりした天気と関係があるのかもしれない。特にクリーム以降の、ツェッペリンなどに代表されるあのヘヴィで重たい音。ああいったブルーズの解釈は、イギリス人特有のものだと思う。それにプログレッシヴ・ロックの覚醒した密室性。日本におけるブリティッシュ・ロック人気の高さは、イギリス人のそんな粘着気質やマニア性が、やはり湿度の高い国に済む我々日本人の少しいじけた感覚とうまく符合した結果なのかもしれない。

 でも、『Quadrophenia(四重人格)』は別にジメッとはしてないんだよね。だから、The Whoは日本じゃ受けなかったのかな?と思ってみたり。それでもこんな天気の日に聴くと、いつも以上にしっくりくるところもあったりするわけでね。やっぱりジメッとしてるのかな?どうなんだろ。

   どうして気にしないといけないのか
   髪を切らないといけないなんて
   僕は流行を追いかけている
   そうしないとのけ者になってしまう
   戦うべきなのはわかっている
   でも僕の両親はとてもいい人で 
   だから僕は今も家に住んでいる

 “Cut My Hair”はいい曲だな、聴くといつも思う。少年は毎晩家を出て、仲間たちとつるんでいる。しかし、いくら羽目をはずしても、少年の頭からあやふやな気持ちが消えることはない。

 さて、ここで問題です。もしイギリスが毎日気持ちよーく晴れていて、まるでハワイのような気候だったら、果たして『Quadrophenia(四重人格)』は生まれたでしょうか?答えはメールかBBSへ(冗談です)。

落書き

2004年06月29日 | old diary
 なんつー天気だ。夏だぜ。

 予報によれば今年は猛暑だとか。うー。でも、「今年の冬は極寒です」なんて言われるよりはずっといい。そんなことになったら、僕は日本を捨てる。夏は暑くてなんぼ。楽しくいきましょう。

 …などと、梅雨も明けぬうちから気の早いお話で。

 昨日から手書きでチラシを作っている。ネットからてきとうな題材を拾ってきて、レイアウトを決め、文章を書き、イラストを描く。とりあえず下書き段階でOKはもらえたので、今日はそれをちょっとだけ推敲して、できれば半ペラくらいは仕上げてしまいたいところ。出来あがるのは楽しみだけど、あんなんでいいのか?という不安もある。ま、いいって言うんだから、いいや。

 僕は子供の頃から落書きが好きで、教科書や机はいつも漫画のキャラクターやミュージシャンの絵でいっぱいだった。中学生だった頃、隣の子の国語の教科書に、ビートルズ4人の似顔絵を描いて、すごく怒られたことがある。自分じゃけっこう上手に描けたと思っていただけに傷ついたが、油性マジックで描いたのがいけなかったのかな?さすがに今では机や本に絵を描くことはなくなったけど、手元にメモ用紙などがあれば、かなりの確率で落書きをしてしまう。いい大人があまり誉められたことじゃないけど、そんなクセの集積もたまには役に立ったりするのだ。

 さぁ、さっさと済ませしまおう。で、夜はギターの練習でもしよう。The Whoなどを…。

ランダムに

2004年06月28日 | old diary
 ちょっとじめっとした日がつづいたと思ったら、この2日間で、部屋の中を這いずるゴキブリを2匹目撃した。あいつら気分悪いなぁ。今日はホイホイを買って帰ろうと思う。

 どうでもいいことだが、例えば工事現場とか、たくさんの人がヘルメットをかぶっているのを見ると、僕はもぐら叩きがしたくなる。自分では割と自然な発想だと思っていたのだけど、世間の人はあまりそう思わないようで…。

 って、どうでもいいですね。

 ラーメンを食べるとき、まずスープを口にして、それから麺をずずっとすする人が結構いる。僕も割とそういう食べ方をしちゃう方なんだけど、あんまり神妙な顔をしてやられるとシラけることがある。さも、「味わってます」みたいな感じがしてね。たかがラーメンだろ、と言いたい。そういう奴には、カレー・ライスを食う時も、まずカレーだけを味わってからライスにからめてほしい。

 はい、どうでもいいですね。わかってますよ。

 あまりに無愛想な女も困るが、笑顔が不自然な女というのもどうかと思う。君が笑っているのは、僕のことを気にかけてくれているからなのか?あるいはただ緊張しているだけなのか?それともなにか別の企みでもあるのか?そんなことを考えてると、こっちまで笑顔が不自然になってしまう。もっとリラックスしようよと言いたいけど、そんなこと言うのも不自然でしょ。やっぱり僕は自然な笑顔の女性が好きですね。

 いったいなんの話だ?

 さて、月曜日になりました。また一週間、頑張りまっしょい。

5:15

2004年06月27日 | old diary
 現在、5時15分。これから寝る。なんでこんな時間まで起きていたかといえば、それはサッカーを観てたからじゃない。

  ハロー、サンダーフィンガー。今年もこの日を迎えたよ。

 今日はジョン・エントウィッスルの命日。もう2年がたつのか。信じられないな。でも、ジョンがこの世を去ってからも確かにいろんなことがあったし、やはりそれだけの時間が過ぎているのだ。The Whoは今も活動をつづけ、新曲を発表し、あと一ヶ月もすればピートとロジャーが初めて日本の地を踏むことになる。なんだか感慨深いよ、ジョン。できることなら、あなたにも一緒に来てほしかったな。あの頃はまさかThe Whoが日本に来るなんて思いもしなかったっけ。

 ほんとに時間だけは過ぎていく。いきやがる。

 そんな気持ちで聴く“5:15”。RAHでのベース・プレイに思いを馳せる。さて、ジョンの曲も聴くとしようか。“Post Card”。

   僕らは楽しんでる 君もここにいたらいいのに
   僕らは楽しんでる 君もここにいたらいいのに

 そりゃこっちのセリフだよ。

   僕らは最高にうまくやったけど
   同時に地獄と天国にも行ってきたよ

 まいったな…。どっちに行けばあなたに会えるのですか?

グッズ売場を憂う

2004年06月26日 | old diary
 ポールのパリ公演にて、ご当地ソング(?)である“Michelle”が演奏された。まだニュース欄にはアップしてないけど、取り急ぎセットリストのページには加えておきました。今ツアー初のセットリスト変更にしては目新しさがないけど、フランスのファンは嬉しかったことでしょう。

 さぁ、ツアーも残すはファイナルのみ。グラストンベリーでっす!今年はポール以外にも、モンティ・パイソンが出たり、オアシスのドラムをザックが叩いたりと、興味をひかれることが多い。ポールが出る→ザックが出る→リンゴが遊びに来る→ポールとリンゴが談笑→すっかり楽しくなる→“Yellow Submarine”の大合唱に合わせてついついステージへ→会場はやんややんやの大盛りあがり。…なんてことになればいいなぁ、と思っている。

 ロック・フェスつながりというわけじゃないんだけど、昨日はロック・オデッセイ参戦が決まった友人のために、The WhoとエアロのCDRを焼いた(ウェラーは後日)。ペア・チケットをヤフオクにて1枚5,000円そこそこで落札したのだとか。むー、随分と叩かれてるんだな。大丈夫なのだろうか?

 そんなこんなで今はエアロスミスのライヴ盤を聴いている。さすがにかっこいい。貫禄さえ感じる。でもね、とにかくこの日はThe Whoだよ。それっきゃないのだよ。

 フェスの公式ページで当日販売されるグッズを見ることができるのだけど、あれはどうなんでしょうねぇ。まずTシャツは買わないことが決定。プログラムはどうするかなぁ。The Whoの初来日だし、なにか記念になるものは欲しい気もするのだが…。

 それにしても、あの品揃えはまずいと思う。だって、考えてもみよう。The Whoのライヴが終わったら、会場は大変なことになっているわけだ。巨大な感動に打ち震えた6万人の観客がThe Whoグッズを求めて売場に殺到することは想像に難くない。ところが、行ってみるとそこにはやれ「神風ロック魂」だとかやれ「Life is Rock」などといったTシャツしか置いていない。無難なデザインのを選ぼうにも、YAZAWAとかラルクのロゴが普通に入っている(悪いけどいらない…)。これはやばいですよ。もう暴動ですよ。

 あー、The WhoのTシャツが揃ってればなぁ。帰りのプラットホームはそれを着た奴らでいっぱいになるんだけどなぁ。残念だなぁ。

 どうか平和なフェスになることを…。

Real Good Looking Boy

2004年06月25日 | old diary
 男がひとり、昔のことを思い出している。初めてテレビでエルヴィス・プレスリーを観た日のことを。あの日、まだ少年だった男の目は、腰を振って歌い踊るひとりの若者に釘付けになった。わぁお!なんてかっこいい奴なんだ。全身に電気のようなものが走るのを感じた。

 放送が終わりテレビのスイッチを切ったとき、少年の中でなにかが変わっていた。世界がこれまでとは違ったものに思えた。彼は鏡を覗き込んでみた。じっくりと自分の顔を観察したのは、そのときが初めてだった。そこに少年が見たのは、夢と希望に目を輝かせたもう一人の自分だった。いいじゃないか。悪くないぜ。僕もエルヴィスみたいになるんだ。そう心に誓った。

 少年はすぐに母親のもとへ走った。さぁ、僕の顔を見てくれよ。ハンサムだと思わないか?こんなにイカしたティーンを見たことあるかい?しかし、母親は首を横に振ると、憐れんだ目で少年を見つめこう言った。「坊や、あなたはちっともハンサムじゃないわ。エルヴィスには少しも似ていない。うちの家系はどこかで遺伝子がおかしくなってしまったのね。あなたはそんないびつな特徴を全て受け継いじゃったみたいだわ」。

 それでも少年はエルヴィスを追いつづけた。あのダイナミックな動き、震えるような絶叫、額に垂れる前髪…。彼を好きにならずにはいられなかった。

 再び男は思う。エルヴィス、神はあなたにその美しい顔立ちを授けた。でも、あなたは僕にそれ以上のものを与えてくれた。あなたが与えてくれたのは、抱えきれないほどの優しい愛だった。

 あなたが自信をくれたから、僕は今も輝いていられるんだ。

 素晴らしきThe Who、その久しぶりの新曲となった“Real Good Looking Boy”。この感動的な歌は、ロックン・ロールに恋焦がれるすべての人達への讃歌だ。誤解のないように書いておくと、実際の歌詞にエルヴィスの名前は出てこない。彼の存在は曲全体を通して語られる。ただ、ここでの彼はロックン・ロールの象徴としての意味が強く、厳密に彼ひとりに限定されるものではないだろう。そして、男=少年とはロックン・ロールを愛する僕ら自身のことに他ならない。

 60歳に手が届こうとしているピートが、こんなピュアな歌を書いたことに僕の胸は震える。そう、あなたは今も輝いている。キースとジョンを失い、尚も前に進んで行こうとするThe Who。そのリスタートにこの曲はあまりにふさわしい。

そして、いつになったら…

2004年06月24日 | old diary
 確かに彼はまた来ると言っていた。しかし…。

「有言実行」という言葉が世界一似合わない男、ジョアン・ジルベルトの再来日が10月に決まった。ひぇ~。昨年の初来日公演も奇跡だったが、わずか1年のインターバルでまたジョアンを観れるなんて、これはこれで奇跡である。「あーあ、奇跡だなんて大袈裟だなぁ」と思われるかもしれないが、ジョアンの場合、これがちっとも大袈裟じゃないのだよ。ほんとに宇宙が人間の姿をして歩いてるような人なのだ。もうね、観といた方がいいですよ。びっくりするから。

 会場は東京国際フォーラムA。ジョアンは4daysやる予定なのだけど、これをはさむようにして、その前後に同会場で演奏するのが、ジャズ・ピアノの巨人、オスカー・ピーターソン。これはすごいことだよね。行く日を選べば、「今日はジョアン、明日はオスカー」なんてことも可能なのだから、ほんと僕ら日本人は恵まれていると思う。

 んで、なんですか?イーグルス来日の噂もあるんですか?こちらも10月なんですか?まいったね。イーグルスを前に観たのは、えっと、9年前の東京ドームか。あのときは名曲の数々に歓喜しつつも、どういうわけかさほど感動しなかった。本人達のやる気に問題があったのか、それとも僕のコンディションが悪かったのか…。そんな印象があって、今回の来日話にも今ひとつ気持ちが盛り上がらないのだけど、そうは言ってもやっぱりイーグルス。行かないわけにはいくまい。あー大変だ。

 それにしても、夏には遂にあのThe Whoがやって来て、2月にはポールの来日も噂されているというのに…。はぁ~(深いため息)。そろそろ来いよな、スプリングスティーン。

Meet Me in My Dreams Tonight

2004年06月23日 | old diary
 Euro 2004、数日前の日記で「優勝はイタリアかスペイン」と書いたら、どちらもグループ・リーグ敗退。うー、僕はなにもわかっちゃいないみたいだな。ま、イングランドが勝ちあがったからいいけどさ。次はポルトガル戦。頼んだぞ、ルーニー。

 さて、例えば僕が好きな女の子の夢を見たとして、今が平安時代ならば、これはその子が僕のことを好きだということになる。つまり、あまりに僕のことを好き過ぎて、現(うつつ)の世界にとどまらず夢の中にまで出向いてしまったという理屈らしい。で、告白を受けた僕は、その子に手紙をしたためることになる。「昨夜、あなたが私の夢に現れました。お気持ち大変嬉しく思ってます。えとせとらえとせとら…」。当然、向こうはびっくりするが、夢に出向いてしまった以上は言い訳もできない。しばらくして、彼女から返事が届く。「どうやら日頃の雑事に追われ、自分の気持ちさえつかめていない毎日だったようです。まさか私の中であなた様の存在がそれほど大きなものであったとは。今や私の心はあなた様への想いに揺れております」。

 おー、なんて都合がいいんだ。これを考え出した奴はえらいと思う。

 しかし、ちょっと待てよ。どうしても好きになれない女の子の夢に、自分が出てしまったらどうなるのか?「ちょっと、あんた昨日あたしの夢に出てきたわよ。あたしのことが好きだったの?まったくいい迷惑だわ。ふんっ」。おいおい、そりゃこっちのセリフだぜ。しかし、彼女の夢に出向いてしまった以上、僕の立場は弱い。「あ、あれぇ?出る夢を間違えちゃったのかな。僕が好きなのは君のお隣に住む○○ちゃんであって、それはもう大好きなわけで…」といらんことまでしゃべってしまうかもしれない。まいったなぁ。

 ……なにをどうでもいいことを考えているんだ、俺は。

 ブライアン・ウィルソンの“Meet Me in My Dreams Tonight”。タイトルだけを読むと、どこか平安の世が偲ばれそうだが、もちろん無関係(当たり前だ)。お互いわかり合うには時間が必要だから、会えないときは夢の中でも会おうよという歌。会わなきゃわかりあえないというのは、確かにある…かな?

 ブライアンの新作、日本盤発売は一ヶ月遅れなんですね。全然知らなかった。昨日は輸入盤を手に散々悩んで、結局、買わないで帰ってきたのだった。

Good Bye Free Life

2004年06月22日 | old diary
 台風一過。なにやら暑くなりそうな予感。よしよし。

 健康的な朝食をとり、なにげにたまっていた洗濯を済ませ、ブライアン・ウィルソンの『Imagination』を聴く。そう、今日はブライアンの新作『Gettin' in Over My Head』の発売日なのだ。

 さて、さっそくブライアン・ウィルソンの新作を買うか?それともアンディ・ヴァン・ダイクのライヴを横浜へ観に行くか?「もちろん両方!」といきたいところだが、今の僕にはその程度の余裕もない。情けないなぁ。でもそうとなれば、考えるまでもなし。ブライアンを買う。

 6年前にここに引っ越してきたとき、僕はとにかく楽しくてしょうがなかった。自由になれたことの開放感はあまりに大きく、意味があって、未来は光り輝いていた。この部屋で最初にかけたレコードは、ビーチ・ボーイズの“Don't Worry Baby”。センチメンタルなメロディと美しいコーラスに自然と笑みがこぼれた。で、6年がたってみて、まぁさすがに同じ気持ちのままではいられないけど、やはり自由でいることは心地よいし、ビーチ・ボーイズを聴くと楽しい気持ちになれる。海では波の音が聞こえ、見上げれば青い空が広がっている。

 ただ、そんな毎日もそろそろ終わりにしようかと思っている。美しい川の流れもいつしか淀むものだ。ずっと同じ状況の中に自分を置いておくのはあまりいいことではない。今はもっと違うことを僕自身が求めているというのもあるし、それもまた自然なことだと思う。

 ビーチ・ボーイズの音楽は、僕の自由な日々の象徴だ。それはこれからもずっと変わらないだろう。そういう音楽を持てたのは幸せなことだ。

 それにしても、この6年の間にブライアン・ウィルソンが2回も来日公演をやったなんて信じられないな。なんでも今年また来てくれるという噂もあるとかないとか…。それが実現したときは、例えどんなに忙しくとも時間を作って会場に足を運ぼうと思う。

Paul in Red Square

2004年06月21日 | old diary
 NHK-BS2で放映された、昨年のポールのロシア公演のドキュメントはとても感動的だった。この日のポール達の演奏はこの上ないほど素晴らしく、世界中のほんとにたくさんの人達の夢や希望を象徴しているかのようだった。

 僕は昨年のツアーを観ていないので、日本公演では聴けなかった“Two of Us”や“I've Just Seen a Face”、そして“Birthday”などが観れたのは嬉しかった。しかし、そうしたこと以上に、あの赤の広場を埋め尽くし熱狂するロシアの人達こそが、この日の主役だったのかもしれない。

 「僕らにとってのビートルズは、他の人達とは違う」。あるロシア人は言う。「他の国の人達にしてみれば、彼らのライヴに出かけることもできただろうし、店には彼らのレコードが並んでいた。しかし、僕らは別世界に住んでいて、彼らがこの国に来ることなどあり得ず、店にレコードが並ぶこともなかった」。またある人はこんなことを言っていた。「ビートルズがかかる外国のラジオを聴くと、学校を辞めさせられたり、会社をクビになるおそれがあった。ビートルズの曲を聴ける場所に行けば、そこには想像を越えた社会的制裁が待っていた。そうした状況が、私たちと音楽の関係を一層強いものにしたのだ」。ひとりのバンド・マンが「当時の宝物だよ」と見せてくれたのが、古ぼけた白黒の小さな切り抜きだった。「これがバンドが持っていた唯一のビートルズの写真だよ」と。

 ポールとバンドの演奏は熱のこもった素晴らしいものだった。それは激しく揺れ動いた時代を生きた観客達の強い思いが、ポールに伝わったからだと思う。「ポールがこの国に来るなんて夢にも思わなかった」。彼らは口を揃えてそう言うのだ。

 それに比べたら全然重みが違うけど、80年代、日本でもポールの来日は不可能だと思われていた。大麻不法所持、現行犯逮捕の経歴はやはり重かったのだ。だから、ポールの初来日が決まったときの興奮はものすごいものだった。その日の朝、新聞を片手に大声をあげながら部屋中を駆け回ったっけ。あのときの心の高揚は一生忘れられない。

 あれから14年。僕は数えて16回もポールのライヴを観たことになる。どのステージも素晴らしく、それは感動的な体験だった。ポールのライヴはいつも新鮮だ。もしまたポールが日本に来てくれるなら、それがどれだけ幸せなことなのかを改めて噛み締めたいと思う。僕らは贅沢になっちゃいけないのだ。