Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

東から西へ

2004年05月31日 | old diary
 昨日はなんの事前連絡もなく夏がやってきたような天気だった。風も優しく、海でごろごろしていると最高に気持ちがいい。さっそくT シャツとワークパンツを脱いで日光浴。ついつい灼きすぎてしまったのだろう。今朝起きたら顔がむくんでいた。うー。

 今、江ノ島周辺の勢力図が大きく変わろうとしてる。キーワードは「東から西へ」。これまでずっと江ノ島の海岸と言えば東浜がその中心であったのだが、ここにきて西浜が猛烈な巻き返しをかけてきている。水族館のリニューアルに伴い、それに合わせて海岸線はきれいに整備され、今風なお土産物屋さん、お洒落なレストラン、ゲーム・センターなどが立ち並びつつある。今年の春まで西浜周辺はずっと工事中状態だったのだけど、いやいや遂にヴェールにぬいだといったところでしょうか。このままいけば、観光客の東から西への移動は止められそうにない気配だ。

 で、言うまでもなく、僕はこうした変化を心良く思っていない。

 僕は基本的に「再開発!お金いっぱい使っちゃいました」的な雰囲気が好きじゃないのだ。海や山などにわけのわからん施設を作って、それで客を呼ぼうという発想は実にクソである。そりゃぱっと見はきれいだよ。楽しそうだ。しかし、そう感じるのは最初だけ。しばらくすると、味気なさとやりきれない思いだけが残ることになる。きっと。

 で、僕がいつも寝そべっているのは、この西浜再開発ゾーンから少しだけ西に行ったところなのだけど、そこは地元の人くらいしか来ない静かで快適な空間なのだ。そう、とりあえず今のところは。

 あー、やばいかもな。人がいっぱい来ちゃうかもな。

 昨日のような気持ちのいい日に寝そべっていると、そんな自分勝手なことを考えては、自然と眉間に皺をよせてしまうのであった。

 今日は仲間とのお別れの日。昼過ぎに集まって、飯でも食おうと思う。新しい環境でもどうか頑張ってほしい。

えのすいともとはる

2004年05月30日 | old diary
 気持ちのいい週末。いつものように海へ。

 僕の部屋から15分ほど歩いたところに水族館がある。イルカのショー、すっげーおもしれーでやんの。豪快なジャンプに「うぉー!」と思わず声をあげ、達者な芸に拍手をし、観終わった後には心がほのかに癒されている。うーん、まるで良質なロックのライヴみたいじゃないか。これが入場無料というのだから驚いてしまう(他の施設は有料)。っつーと、フリー・コンサートってわけか。ふむふむ。また観に行こう。(後日注:イルカのショーも有料だそうです…)。

 夜、テレビをつけるとちょうどはじまった番組に佐野元春が出ていた。新曲をひとつ、そして懐かしい“Someday”と“Rock'n Roll Night”を歌う姿をしみじみと観る。

 スプリングスティーンの熱心なファンをやってる立場からすると、佐野元春というのはなかなか語りにくい人だ。でも、僕にとっての10代のBGMとして彼の音楽はけっして小さなものではなかった。これは僕が彼のファンだったというよりは、当時の友達がみんな揃って彼の音楽を好きだったということだと思う。

 高校時代、今でも連絡を取り合ってる奴はほんの数人だけど、10年近く会っていない奴らも含め、彼らの存在は今も僕にとって特別な意味をもっている。僕らはいつもつるんでいた。特になにをするわけでもないというのに。でもきっと面白かったのだろう。僕らがお互いに求めていたのは、そうだな、笑いかな?ひたすら馬鹿らしい笑い。そこには多少の照れも含まれていたと思う。

 佐野元春の何枚かのアルバムとヒット・シングルは、そんな僕の10代と切っても切り離せないものだったりする。例えその中のいくつかの曲が、スプリングスティーンやスタイル・カウンシルのあからさまな亜流であったとしても、僕にとってはたいした問題じゃない。当時は少し気にしていたけど…。

 高校を卒業して、いつも一緒だった仲間たちともあまり会わなくなると、僕はぴたりと佐野元春の音楽を聴かなくなった。まるで立ち去ったことにも気づかない影の薄い友人のように、彼は僕の心から音もたてずにいなくなった。きっと僕にとって佐野元春の音楽は独立したものではなく、他の要素とからみあうことで成立していたのだと思う。そして、そういう音楽だからこそ、ずっと聴きつづけているビートルズやスプリングスティーンよりも、自分が高校生だった頃の想い出と密接に結びついているようにも思える。

素朴な疑問

2004年05月29日 | old diary
 自分と同じ年齢のときに、僕の好きなミュージシャン達はなにをしていたのだろう?と、ふと考えてみた。

 なんでこんなことを思ったのかと言えば、昨日ジョンの『Walls and Bridges』を聴いていて、いつの間にか自分がこのときのジョンの年齢に追いついてしまっていることに気づいたからだった。John and Me、2人とも34歳。ふぅむ…。っつーことは、来年には俺も主夫生活に入らねばならないのか?ふぅむ…。

 こうなると、他の人達がなにをしていたのかも気になってくる。そこでさっそく調査開始(そんな大袈裟なものでもないけど)。以下はその調査結果。

ポール:『Wings Over America』、リンゴ:『Goodnight Vienna』、スプリングスティーン:『Born in the U.S.A.』、ディラン:『Desire』(The Rolling Thunder Revue)、エルヴィス:『From Elvis in Memphis』(“Suspicious Minds”)、ミック&キース(ストーンズ):『Some Girls』、ブライアン・ウィルソン:『15 Big Ones』、ピート・タウンゼント:『Empty Glass』、レイ・デイヴィス(キンクス):『Misfits』。

 ポールはまさに2度目の栄光のど真ん中、リンゴもヒット・チャートを賑わし、スプリングスティーンはやはり2度目となる人生を転機を迎え、ディランは前人未到の偉大なる旅(アメリカ音楽の探求)への第一歩を踏み出し、エルヴィスもこれまた2度目の音楽的全盛期を迎え、ストーンズはドラッグからの脱出を求め、ブライアンはカムバックへのとっかかりにようやく手をかけ、ピートはThe Whoのない人生を模索しはじめ、レイは長いトンネルを抜けて再びアメリカでの成功を勝ち取っていた、と。

 これ、ぜーんぶ彼らが34歳のときのお話。共通するのは、みんな若い頃にあれほどの偉業を成しながらも、そうした時代を過去のものとして乗り越え、新たな人生を勝ち得た、あるいは進もうとしている、という点ではないかと。

 すごいなぁ。僕なんてまだなにも成し遂げてないもんなぁ。少しは追いつけるように頑張らないといけないよなぁ。と、そんなとりとめのない反省をしてみたのでした。

 えっと、ちなみにジョージはその頃オフでした。せいぜいパティと離婚したくらいでね。まぁたいしたことはしてなかったみたい。

『The Kids Are Alright』の逆効果

2004年05月28日 | old diary
 It's a Beautiful Day

 天気がいいと洗濯も楽しい。そろそろ衣替えの時期なのだね。コーヒーをすすりつつ『The Kids Are Alright』を観る平和的かつ暴力的な朝である。

 昨日は今月2度目となるスーツでのお出かけ。用事自体は思いの他楽しかったのだけど、どうも僕はスーツってのが苦手なようである。いや、スーツがいけないわけではなく、スーツを着なさい、着るべきだ、みたいなことが嫌いなのだろう。自分からすすんで着ているのであれば、特に気にならないのかもしれないけど。

 用事の方は夕方前に終わった。当初は、せっかく渋谷まで行くのだし中古レコード屋めぐりでもするかなぁと思っていたのだが、結局、早くスーツを脱ぎたくてとっとと帰ってきてしまった。ふぅ。

 今朝の僕のかっこうは、大きめのTシャツにオーバーオール。オーバーオールのゆるい感じが気に入っている。その日に好きな服を着れるというのは、自由に生きる上で割と重要なことだと思う。なんて書くとお洒落な人だと思われそうだけど、もちろん違いますので。

 気になっている映画『スクール・オブ・ロック』を観に行こうと上映時間を調べたら、近場の映画館では既に終わっていた。あらら…。横浜でも今日までだとわかり、「おっとー、危なかったねぇ」と小さく焦る。で、行く前にロック的な気持ちを高めようと、『The Kids Are Alright』をビデオデッキにつっこんだと。そういう流れである。

 ところが、これを観たらなんだか満足しちゃって…。もう『スクール・オブ・ロック』なんてどうでもいいじゃん。『The Kids Are Alright』の方がずっといいに決まってるもんな。と、かなり逆効果なことになってしまったのでした。

 結論:『The Kids Are Alright』は素晴らしい。夏の来日公演をお楽しみに。

Runaway American Dreams

2004年05月27日 | old diary
 ポールのツアーがいよいよスタート!日本居残り組の僕ですが、心ではしっかりと追っかけたいと思います。どうぞよろしく。 

 さて、昨日またもや素晴らしいブートCDRが届く。今度はスプリングスティーンの『Runaway American Dreams』。1975年8月14日、『Born to Run』発売直後にNYのボトムラインで行われた伝説のライヴで、まだ小柄でやせっぽちだったブルース・スプリングスティーン、25歳の夏の記録である。(送ってくださった方、どうもありがとうございます)。

 いやー、やっぱりスプリングスティーンだよ。他のアーティストなんか聴いてる場合じゃないよ。と、けっこう本気で思ってしまうほどこれがすごい ! ! !

 ほとばしる熱。溢れ出す情感。躍動する若き肉体。スプリングスティーンという存在が発する抑えのきかないエネルギー。ロックの理想が別のものへと取って変わられ、もはや内省する以外にピュアネスを維持することができなかった時代に、スプリングスティーンがなぜ「ロックン・ロールの未来」と呼ばれたのか?その理由がひしひしと伝わってくるライヴである。

 それにしても、これだけ性急でありながら、一本調子にならず、細やかな心のきびが伝わってくる歌など、ほんとにスプリングスティーン以外で聴けるのだろうか?“10th Ave. Freeze-Out”は放熱の証明だし、“Then She Kissed Me”~“Growin' Up”~“Saint in the City”は10代の夢の再現だ。そして“Born to Run ”と“Thunder Road”では先の見えない未来が大きく手を広げている。ここには目一杯の楽しさと、胸をしめつける切なさと、心の解放がある。

 スプリングスティーンの歌を必要以上に光り輝かせているのは、彼の肉体に宿るひどく美しいロックン・ロールのカケラ達だ。それらがスプリングスティーンの歌から僕らの心に降り注ぐとき、僕らの中でなにかが回帰し、なにかが生まれるのだと思う。

 小さい会場ならではの客席との距離の近さもいい。とにかくなごやかで、スプリングスティーンが囁くように歌うたびにクスクスと笑いが起こる。この気安さ、まるで友達の集まりであるかのようだ。そして、アメリカで最大の観客動員力をもつようになった今でも、ステージから伝わってくるその温かな人柄が変わっていない事実に、僕はただただ溜飲が下がる思いがしたのだった。

 やっぱりスプリングスティーン、なのである。

声のインパクト

2004年05月26日 | old diary
 引き続きいただいたディランのブートCDRを聴く。2002年11月13日、MSGでのライヴ。昨日の日記でゴスペル・ツアーのことをあれだけ誉めといてこんなこと言うのもなんだけど、うーん、僕はこっちの方が好きかもしれない…。さらに滋養を増したディランの歌。バックとのかけあいははまさに阿吽の呼吸。もうやばいよ。特にこの夜はジョージへの追悼として「Something」を演ってるわけでね。あーやばいやばい。

 それにしてもディランの歌声は、なぜこれほどまでに感動的なのだろう。とても月並みな意見だけど、僕がロックの世界で最も偉大だと思うのは、エルヴィス、ビートルズ、ディランである。もちろん他にも素晴らしいミュージシャンはいるし、その中には彼らよりも才能があった人もいたことだろう。でも、この3組がその他多くのアーティストと一線を画す要因として、声のインパクトというのはやはりあると思うのだ。

 ビートルズはいい曲をたくさん書いたけれど、もしあれらの曲があの声で歌われていなかったなら、果たしてあれほどの大騒ぎになっていたかどうか。それくらいジョンとポールのヴォーカル・パワーはケタはずれだったし、他の同時代のアーティスト達とはまったく比較にならないものだった。とにかく耳に入ってくるときのインパクトがまるで違うのだ。

 ディランもそう。ディランの歌声に詰まっているのは信念と勇気だ。その強靭さ、あまりのまっすぐさは、ときとして人の心を落ち着かなくさせる。だから、彼の声を嫌う人達がいたのも理解できる。でも、例えば最近発売された1964年のライヴ盤を聴いてみてほしい。40年の時が流れた今でも、ディランの歌声に込められた勇気は少しも変質することなく、僕らの胸にダイレクトに響いてくるのがわかるはずだ。

 エルヴィスに関しては言うまでもなし。彼がいなければ、ジョンもポールもディランも、あんな風には歌えなかったはず。 ロック・ヴォーカルの雛形を作ったオリジナルであり、そのスタイルは最初から最高だった。ある意味では、いまだに誰ひとりとして“That's Alright, Mama”を越えることができていないのかもしれない。

 ん?それは好きだからそう思うんだって?まぁ、そうなんだけどね。

 でも、ビートルズもディランもエルヴィスも、すごくかっこいいでしょ。2004年の目で見ても飛び抜けてかっこいい。真似したくなるくらいにかっこいいと思う。

ゴスペル・ツアー

2004年05月25日 | old diary
 5月18日にエルヴィン・ジョーンズが亡くなっていたなんて…。まったく知らなかった。享年76歳。たくさんの素晴らしい音楽をありがとう、エルヴィン。7年前に観たライヴの想い出を胸に。合掌。

 昨日はボブ・ディラン63歳の誕生日。まずはおめでとう、ボブ。元気でいてくれることを心から感謝します。そんな日に合わせたかのように、ディランのブートCDRが家に届いた(くださった方、どうもありがとう)。1981年のゴスペル・ツアーと、一昨年のツアー。で、昨日はまずゴスペル・ツアーの方を聴いた。

 1981年7月8日、ストックホルム公演。いやー、もうやばいです。それまで強い光を放っていたディランが、放射する熱を内側へと向けて、燻されたような魅力を持ち始めたのがこの時期だと僕は思っている。40歳、不惑の ボブ・ディラン。これがものすごくかっこいいのだ。熱心なファンの間では評価の高かったこのときのツアー。僕は初めて聴いたのだけど、確かにディランの全キャリアでも最高の部類に入る歌と演奏だと思う。その滋養は深く、音楽がじわじわと体に染み込んでくるのをはっきりと感じ取ることができる。

 当時、ゴスペル・ツアーの評判はあまりよろしくなかったという。しかしねぇ、これを叩いた音楽評論家がたくさんいたってのか?全員クビにしてやるぜ。だって、このときのツアーが今だにオフィシャル化されていないのは、そうした当時の扱われ方と無関係ではないかもしれないのだ。まったくやっかいなことをしてくれたものである。例えば、1974年のジョージのアメリカ・ツアー。あんなにかっこいいのに、ぼこぼこに叩かれたせいで、いまだに「失敗」のレッテルを貼られている。これにいたってはオフィシャル化されないどころか、ジョージがすっかりライヴに嫌気をさしてしまったわけでね。その罪は重い。そのくせ、いざオフィシャル化されれば、「待ってました!」と掌返して騒いだりすんだろうな。恥知らずめ。

 と、朝からちょっと興奮気味ですが、とにかくゴスペル・ツアーは素晴らしい。ボブ・ディランというアーティストの巨大さを伝えてあまりある。ぜひ、オフィシャル化されてたくさんの人に聴いてほしいです。

 夜はThe Who at MSGから帰ってきた友人と、地元の居酒屋で遅くまでビールを飲んだ。あれこれお土産話を聞かせてもらいながら、僕は改めて確信した。7月の日本公演によって、The Whoの日本での評価は決定的なまでに変わるだろう。いやいや、みんなびっくりするよ。まじだよ。楽しみだぜ。

焼そばパンと牛乳

2004年05月24日 | old diary
 うーん、良き日なり。ゴミ出しに外へ出たら、あまりに気持ちがいいんで、そのまま近所を散歩。見知らぬじいさんと立ち話。

  「おにいちゃん、今日は休みかい?」
  「俺、毎日が休みみたいなもんだから」
  「そうかい、けっこうだねぇ」

 こんな感じかな。で、さっき帰ってきたところ。今はハングリー・チャックをかけながら、窓を開けて、買ってきた焼きそばパンと牛乳を食っている。焼きそばパンと牛乳。ナイス・コンビネーション。胸に広がるこの懐かしさはいったいなんなのか?ビートリィな言い方をすれば「Your Mother Should Know」と「Junk」を足して2で割ったような…。って、ちょっと褒め過ぎかな?じいさんの顔を見ていたら、どういうわけか食いたくなったんだよね。「焼きそばパンと牛乳を誘う顔」。少なくとも不健康ではなさそうである。

 中学生だった頃、弁当を忘れたりすると、僕は学校の前のぱっとしない売店で、ときどき焼きそばパンを買った。ホットドッグ用のパンに無造作に詰め込まれた焼きそば。売店のおばちゃんの手作りである。たいしてうまくもないのに、どういうわけかクセになる魅力があった。僕はそれをホットドッグになぞらえて、よくダーティ・ハリーの真似事をしたものだった。焼そばパンをひとかじり口に含んだまま「動くな!」と言って、拳銃をかまえるフリをするのだ。アホである。ハリーはホットドッグにブラック・コーヒーという組み合わせを好んだけど、13歳のMIYAI少年は焼きそばパンと牛乳であったと。まぁ、そういうことだ。

 僕には懐かしい味である焼きそばパン。たまに食べるのも悪くない。もちろん牛乳と一緒に。他の組み合わせなんて考えられないね。

BBQとは?

2004年05月23日 | old diary
 昨日は久しぶりに仲間が集まり、海でBBQをやった。あいにくの曇り空の下、せっせと肉を焼き、ビールを飲む。2時間ほどしたところで雨がぱらぱら。うーしょうがねーなぁ、と僕の部屋へ。モータウンを聴かせ、The Whoとツェッペリンとザ・バンドとスプリングスティーンの映像を観る…というか観せる。頃合いをみはからって地元の飲み屋さんへ。あれこれくっちゃべるが、けっこう飲んでたので、もうなにを話たんだかよく覚えていない。で、そこを出てからは残ったひとりと部屋に戻ってお茶。ロザリー・ソレルズ、ハッピー&アーティ・トラウム、ザ・バンドなどをかけながら、僕の話を延々と聞いてもらう。気がつけば日付けが変わっていた。友よ、つきあってくれてありがとう。

 ところで、「BBQをやった」と僕は書いたが、これはかなり語弊がある。BBQといえば、それらしいBBQセットを持っていって、 肉や野菜やシーフード、それに焼そばなんてのを、みんなでわきゃわきゃ言いながら飲み食いするもの、というのが思い浮かべるイメージだろう。テーブルと椅子が置かれ、日よけのタープなんてのも張ってあったりとかね。で、僕らのBBQはそうじゃない。

  七輪を囲んで肉を食う。ザッツオール。

 いってみれば、単なる野外焼肉である。野菜?ノー。シーフード?ノー。焼そば?オーノー。徹底して肉しか食わない。以前はいろいろやっていたのだが、めんどくさくなってね。いい歳した男達が小さな七輪を囲み、ビールを飲みながら焼肉を食らう図。そこにはBBQという言葉がもつ、明るく開放的なイメージは皆無である。特に僕らは長いつきあいだから、集まると独特の空気が生まれる。きっと外部の人には入り込みにくいことと思う。

 「どうも僕らのやってることはBBQじゃないらしいですよ」と、仲間のひとりが言った。会社の同僚にそう指摘されたというのである。「なんて呼べばいいのかわからないけど、とにかく違うって言われました」と。うーむ、確かにそんな気がする。そこで国語辞典をひいてみると、「バーベキュー:野外に炉を作り、肉や野菜を串に刺して焼く料理」と書いてあった。そうかぁ、てっきり外で肉を焼けば、それでBBQなのかと思っていたよ。串に刺せばいいわけね。なるほどなるほど…(違うような気もする)。

The Whoを知ってるかい?

2004年05月22日 | old diary
 朝っぱらからThe Whoのライヴ・ブートを聴く。1970年のタングルウッド。すっかり大好きになってしまった名作『Tommy』からの楽曲群をほぼフルで聴くことができる。素晴らしい。

 現在、散発的に行われているThe Whoのライヴ。3月にイギリスで数回。今月はアメリカで数回(MSG含む)。来月はイギリスで数回(ワイト島含む)。そして7月には日本とオーストラリア。本格的なツアーになるのは、その後に予定されているアメリカ公演からかな。

 The Whoの場合、ライヴが行われるとピートの公式サイトでその模様が逐一アップされていく。セットリストはもちろんのこと、フォトや一部映像までが観れてしまう。こういうことされると、すぐのせられちゃうんだよなぁ。先日行われたマンスフィールド公演では、遂にあの泣かすナンバーが登場してるし…。あー、どきどきするぜ。あと、The Whoって前回のツアーから、やったライヴをすべてCD化してってるんだよね(通販のみ)。日本公演も出るかな?そしたら買わないとな。

 今、友人がNYまでThe Whoを観に行っている。「会社早退+休み1日」2泊4日での渡米という強行日程だ。言うまでもないことだが、ライヴを観るために海外まで出かけて行くというのは、世間の目からすればけっして普通のことではない。彼の行動もまた、周囲の人達にそうとうインパクトがあったようだ。しかし、そこは誇りをもって「おぅ!The Whoを観にいくのさ」と言ってやったそうなのだが…。

 「フー? フーファイターズのことか?」(うっ…、でもこれはまだいい)
 「え? ヤフー?」と言われること数回。(Yahoo!じゃねっつーの)

 「い、いや、ビートルズとかストーンズと同時期のバンドでね...」と説明してみたが、まったく通じなかったらしい。改めてThe Whoの日本での認知度の低さがわかろうというものである。もうこういうのには慣れたよ。はぁ。

 その友人とは帰国した夜に飲むことになっている。きっと熱い話を聞かせてくれることとでしょう。楽しみだ。

 とまぁ、ポールのツアーが始まればわからないけど、初来日公演に向けて、しばらく僕の音楽ライフはThe Whoを中心にしてまわっていくような気がしている。だって、せめてファンである僕らが盛り上ってないとさぁ…。ねぇ?