Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

ジョナサン

2004年02月29日 | old diary
 昨日は品川で飲み。バイタリティ溢れる人の話に耳を傾け、すっかりご馳走になって、上機嫌で帰途へついた…はずだったのだが、見事に乗り過ごし、気づけば小田原。「もうのぼりはないよ」と僕を起こした駅員が言う。吐き捨てるような、あまり感じのいい言い方じゃなかった。寝過ごした酔っ払いの相手などしたくない気持ちもわかるが、こっちは困ってるんだから、もうちょっと親切にしてくれてもいいと思う。

 どうにか残っていた小田急線のぼりの最終電車に乗り込み、再び熟睡。はっと気づけば、終点のさがみ大野に着いていた(今度の駅員は優しく起こしてくれた)。もし新宿行きだったら、きっと新宿まで行ってたことだろう。時計を見やると午前1時をまわっていた。ひとまず仲間を呼び出し、始発までファミレスであれこれだべる。突然の訪問に嫌な顔ひとつせずにつきあってくれた友よ、ありがとう。

 江ノ島行きの始発は5時。乗ったらすぐまた熟睡。今度は江ノ島のひとつ手前で目がさめたので、起こされずに済んだ。まだ薄暗い道をとぼとぼ歩き、部屋に着いたのは午前6時。長い長い1日だった。

誰よりも偉大なポール・マッカートニー

2004年02月28日 | old diary
 ポールのツアーが発表された。いやーきたよ。きちゃったよ。どうするよ。ねぇ。どうします?

 ツアーは5月25日スペインのヒホンからスタートする。前回のツアーが終了したのが6月1日だから、1年をおかずしてのツアーだ。新作は間に合わないにせよ、レコーディングはしっかり行われているみたいだし、完成すればいよいよ大規模なワールド・ツアーへと発展するかもしれない。

 ポールがツアーに出るというだけで、どうしてこうも胸の鼓動が高まり、頭の中がショートしてしまうのだろう。2002年以来、ポールはほんとに活動的で、ポール・ファンは夢のような時間の中を生きている。前回のツアー・ファイナルだったリバプール凱旋公演が終わっても、ポールはまだツアーをつづけたかったという。しかし、バンド・メンバーに他のスケジュールが入っていて不可能だったとか。まったく…、とんでもない奴らだ。「そんなものはすべてキャンセルしろ」と僕は言いたい。ここでまた時間を置いて、ポールのやる気がなくなったら一体どうしてくれるんだ?どう責任をとる気なんだ?そう思った。

 ポール・ファンは常にある心配事を抱えて生きている。御年を考えれば、いつまでも今のようなツアーをつづけられるはずはない。だから一度ストップしてしまったら、もう2度とステージに戻ってきてくれないのではないか、という不安がそこにはある。現にこの人は10年近くもライヴ活動をやめていた時期があるわけで、またいつなんどきそんなことが起きるとも限らない。いや、御年を思えば、その可能性は日に日に高まっているとさえ言えよう。ポールって働きつづけてないと駄目なとこがあって、そんなとこが庶民的で好きだったりするのだけど、一度やめると腰が重くなってしまうあたりも実に庶民的で、このへんはファンからすれば非常に困った一面だったりするのだ。さらに今回は赤ん坊が生まれたわけで、ポールが可愛さあまって「俺もうどこにも行かないよ」と言い出すのではないかともう内心はらはら。実子の誕生を祝いつつも僕の心はどこか晴れないでいた。

 ところがどうですか。ポールがまたツアーに出るというのだ。なーんだ、そんな心配しなくてよかったのか。あー、俺は馬鹿だなぁ。よかったよかった…。ほんとよかった。誰よりも偉大なポール・マッカートニー。あなたがそこにいる限り、僕はあなたの歌声を聴いていたいと思う。

♪in the jingle jangle morning♪

2004年02月27日 | old diary
 花粉の季節。数日前、仕事で山あいの町に行ったら、くしゃみが10回くらいつづけて出たので、その場でマスクを買った。その後はとくに症状は出ていないけれど、念には念をと、普段はできるだけ部屋の窓は開けないようにしているし、むやみに外出しないよう心がけている。いささか不自由だが、毎年のことだ。しばしの辛抱と諦めている。とはいえ、部屋ですることといったら、レコードを聴く、ギターを弾く、本を読む、DVDを観る、…それくらいか。あとは炊事・洗濯・掃除といった日常のこと。平凡きわまりないが、これはこれで幸せな時間だと思っている。

 ギターは割とよく弾く。ただし、一生懸命練習しているという風情ではない。ただコードを鳴らしたりつま弾いたりしながら、歌を口ずさんでいる。それだけでも少しは上達するもの。いや、ほんの少しですが。エレクトリックを手にすることはほとんどなく、弾くのはアコースティックばかり。最近は、「ミスター・タンブリン・マン」をよく弾く。ディランの曲はコードが簡単でも、言葉の響きやイントネーションが曲の表情を決めることが多いので、でたらめ英語で歌うにしても、ある程度は歌詞を覚えていないと形にならない。何度も歌って少しづつ覚えていく。だんだんスムーズに歌えるようになり、曲らしくなっていくのが嬉しいし楽しい。ただ、こらえ性がないので、まとも弾けるようになることは少ない。僕の駄目なところである。

 さて、今日は仕事がない。さっき天気予報を見たら、花粉が飛ぶ量も少ないとか。うーん、そう言われちゃうと、どっか出かけたくなるんだよな。どうすっかな…。

モーニング・ピザ

2004年02月26日 | old diary
 親父がスライド・スキャナーを購入したとかで、さっそくスキャン&プリントした葉書を送ってきた。誰かのバースデイ・パーティの写真で、友達3人と一緒に兄貴と僕が写っている。僕は3歳くらいだろうか。自分で言うのもなんだが、とても可愛らしい子供である。今とはまったくの別人と言っていい。もちろん面影はあるけれど、なんというかつまり、悪い方向に育ってしまったような気がしないでもない。「すまないことしちゃったなぁ」と、とりあえず思ってみた。誰に対して思ったのかは自分でもよくわからん。親か?自分自身か?

 朝からピザを食べる。昨日、調子にのって頼んでLサイズピザはしっかりと半分残り、もったいないのでラップにくるんで冷凍しておいたのだ。僕は割と朝からなんでも食べれる方で、カレーでもピザでもまったく問題はない。おいしくいただく。

 しかし、幼い頃は違った。朝はいつも食欲がなかった。しかし、しっかり者のお袋は、僕の健康に気をくばり、毎朝きちんと食事をとらせた。おかげで元気に育ったわけだけど、2~3度ほど、学校の前の電柱に吐いたことがある。特に気持ち悪かったとか、つらかったわけではないので、自分でも驚いた。幸い誰にも見つからなかったから馬鹿にされずに済んだけど、まったくヒヤヒヤものだった。もちろんそのことはお袋には話さなかった。恥ずかしかったのと、なんだか申し訳ないという気持ちがない交ぜになっていたのだと思う。そして翌日もいつものように朝食を食べた。子供は子供なりに気をつかっていたのだろう。

 あまり食がすすまない僕を見てか、そのうち、前の晩の残りで僕が好きそうなものがあると、お袋はそれらを僕に食べさせた。カレーとかハンバーグとか。で、そうしたものは、どういうわけか朝からでもしっかり食べられた。そういえば、なにもないときは冷凍ピザをあたためることもあったような。その頃からか、なるほど…。

 まだピザが残っているので、昼にでも食べるとしよう。

早春スケッチブック

2004年02月25日 | old diary
 毎週水曜日は地元の映画館がメンズ・デイで1000円の日。そうなるとせっかくなんで、水曜日に合わせて映画を観ることが多くなる。ところが今日行ってみると、観たいと思っていた映画が昨日で終わっていた。うー、せこい男のみみっちぃ結末。反省しよう…。

 友人から『早春スケッチブック』という山田太一の古いドラマのDVDを借りたので観た。1983年のドラマで舞台は横浜。その頃に中学生だった僕には、馴染みのある風景であり時代である。死期の近い元カメラマン役の山崎努が、いちいち心にひっかかるようなセリフを吐く。それらの言葉には深みがあり、人を立ち止まらせ考えさせる力がある。しかし、同時にそれらは、現実味のない空虚なものであったりもする。

 夢や理想を実生活に落とし込むことは、どんな場合でも難しい。僕らはいろんな場面でいろんな選択を迫られる。ときには、ひとつの選択がものすごく大きな意味をもつような錯覚をしてしまう。しかし、そんなことは時間がたってみないとわからない。わからないのにそう決めつけてしまう。大きな流れでみたとき、僕らが歩んできた道は案外シンプルなものかもしれない。諦めたのか、そうじゃないのか。めげたのか、そうじゃないのか。戦ったのか、そうじゃないのか。勝った負けたはしょうがない。それは結果でしかない。しかし、結果を怖れるような生き方をしてしまう。そんな自分を恥ずかしいと思う。情けないと思う。でもそんなことを繰り返すうちに、だんだん感じなくなる。鈍くなっていく。ありきたりの人生を生きるようになる。

 では、ありきたりの人生が悪いのかといえば、そんなこともない。自分のできる範囲を知り、納得をし、時間を積み重ねていくことは、それだけで大きな意味がある。そのためなら夢を諦めてもいいのではないか?戦わず逃げることがそんなに卑怯なのか?毎日を生きて行くために少しくらい自分をごまかしたっていいのではないか?結果を怖れ安全に生きてきたおかげで得られたものに胸をはってなにが悪いのか。

 どっちがどうと言うんじゃない。ただ、そんなことを考えながら観たドラマだった。

ジョージ・ハリスンを愛す

2004年02月24日 | old diary
 うーんと、ジョージの誕生日って2月24日でしょうか?それとも25日でしょうか?ずっと25日だと思っていたのだけど、いつしか「戸籍上では25日だけど、本当は24日に生まれた」という話を耳にするようになり、「ふぅん、そうなんだ」と納得していたら、最近になって「やっぱり25日らしいぞ」という記述を目にしてしまい、いったいぜんたいどうなってることやら…。ひとまず今日から26日まで(時差を含めた3日間)、トップの写真はジョージにしておこうと思う。

 今年はダーク・ホース時代の諸作もようやく発売されての、おめでたい誕生日。というわけで、朝からジョージをかけている。自分の年齢に一番近いアルバムということで『33&1/3』をターン・テーブルにのせた。この頃はダーク・ホース・レコードをたちあげたばかりで、ジョージもなにげにやる気だったというか、「いっちょ売ってやろうかな?」くらいの気合いを聴いていて感じなくもない。曲はバラエティに富んでいるし、サウンドも多彩だ。リズム隊が引き締まっていることもあって、「True Love」みたいなスタンダート・ナンバーでもしっかりロックの匂いがする。目が外に向いていて、そこがこれ以降の唯我独尊な諸作との違いだと思っている。

 ジョージのソロ作品は、1作ごとに音が大きく違う。それでいてどの作品もしっかりと「ジョージ・ハリスン」になっているのはさすがだと思う。1曲1曲がとても丁寧に作られており、聴き込むほどに心にしみこんでくる。それはジョージの人柄そのものであるかのようだ。たくさんの時間と労力をかけて時代の経過に耐えうる音楽を作りながらも、その音はけっしてひけらかしたものにはならない。僕はそんなジョージ・ハリスンが本当に大好きだし、深く尊敬している。

ロール・キャベツと赤ワイン

2004年02月24日 | old diary
 昔むかしのこと、彼女がロール・キャベツを作ってくれたことがあった。しかし、柔らかい春キャベツを使ったため、出来上がったものはとてもロール・キャベツとは呼べない代物だった。僕はとてもがっかりして、よせばいいのに、つい小言を言ってしまった。すると、彼女は悲しそうな顔をし、ロール・キャベツをゴミ箱に捨ててしまった。僕らの間にはよく冷えた赤ワインだけがぽつんと置かれ、気まずい空気が逃げ場もなくただよっていた。

 それから随分たった春、僕は埼玉のアパートでロール・キャベツを作り、あのときの彼女と同じ失敗をした。テーブルにはやはり赤ワインが置かれていたが、そこに彼女の姿はなかった。僕は、そのどろどろで形をなさない「ロール・キャベツ類型品」をひとりでせっせと口にはこび、ワインをのどに流し込んだ。ちょっと悲しい気持ちがした。

 最近は暖かくなって、春が確実に近づいているのがわかる。この季節、僕は、上手にできなかったロール・キャベツとテーブルに置かれた赤ワインのことを思い出す。そして、ちゃんとしたロール・キャベツが食いたいなと、なんとなく思うのである。

 結論:ロール・キャベツを赤ワインと一緒にいただくのは優雅だと思う(未経験)。

ロール・キャベツと赤ワイン

2004年02月23日 | old diary
 昔むかしのこと、彼女がロール・キャベツを作ってくれたことがあった。しかし、柔らかい春キャベツを使ったため、出来上がったものはとてもロール・キャベツとは呼べない代物だった。僕はとてもがっかりして、よせばいいのに、つい小言を言ってしまった。すると、彼女は悲しそうな顔をし、ロール・キャベツをゴミ箱に捨ててしまった。僕らの間にはよく冷えた赤ワインだけがぽつんと置かれ、気まずい空気が逃げ場もなくただよっていた。

 それから随分たった春、僕は埼玉のアパートでロール・キャベツを作り、あのときの彼女と同じ失敗をした。テーブルにはやはり赤ワインが置かれていたが、そこに彼女の姿はなかった。僕は、そのどろどろで形をなさない「ロール・キャベツ類型品」をひとりでせっせと口にはこび、ワインをのどに流し込んだ。ちょっと悲しい気持ちがした。

 最近は暖かくなって、春が確実に近づいているのがわかる。この季節、僕は、上手にできなかったロール・キャベツとテーブルに置かれた赤ワインのことを思い出す。そして、ちゃんとしたロール・キャベツが食いたいなと、なんとなく思うのである。

 結論:ロール・キャベツを赤ワインと一緒にいただくのは優雅だと思う(未経験)。

計画的な1日

2004年02月22日 | old diary
 現在、朝の7時21分。これから仕事に出かけます。夕方前には終わるので、夜に雨が降り出す前には帰ってこれそう。

 なにやら連日の仕事に疲れ気味。いや、連日の仕事って、世間様にしたら当たり前のことなんだろうけど、日頃のんびりした生活を送っているとですね、こういきなり忙しくなると調子狂うのです。もちろんありがたいことだとは思ってますが、はい。

 さてと、朝飯どうすっかな?作るのはめんどうだから、抜くか、それとも松屋の朝定でも食うか。昼飯はなに食うかな?がつんとビフカツでも食いたいけど、そんなもんこれから行く田舎町にはなさそうだな。ラーメンで我慢するか。夜はきっと疲れてるだろうから、コンビニでビールとおつまみを買って、録画してある寅さんでも観るとしましょう。それから風呂はいって、あとは寝ると。いい夢をみると。

 今日1日の綿密な計画でした。

flow river flow...

2004年02月21日 | old diary
 3月15日にNYで催されるロックン・ロール・ホール・オブ・フェイムの式典。今回はジョージが受賞ということで例年以上に楽しみなわけだけど、同じく受賞組のジャクソン・ブラウンのプレゼンターをスプリングスティーンが務めることになり、その上パフォーマンスも行うというのだから、これはちょっと大変なことになってきてるわけです。ちなみにジョージのプレゼンターにはトム・ペティ&ジェフ・リンのウィルベリーズ・コンビ、そしてZZ TOPのプレゼンターにはキース・リチャーズ。いやいや、これは大変です。

 各人のスピーチは楽しみのひとつ。特にスプリングスティーンがなにを言うかが気になる。以前、ボブ・ディラン受賞の際には「エルヴィスが肉体を解放し、彼が心の扉を開け放った。「Like a Rolling Stone」が流れてきた15歳のとき、俺が耳にしたのは、それまで聴いたこともないような男の声であり、全世界を相手に戦うガッツに溢れ、聴いてる俺までをもそんな気持ちにさせた、そんな男の声だった」と語った。ジョン・フォガティ受賞のときは「俺は今も彼の音楽のパワーと明解さに嫉妬を感じている。同じ3分間でも彼ほどのことができたソングライターはほんの数人しかいない。彼の作る歌は言葉少なだけれど、とても美しかった。それは大衆のためにあらゆる装飾をそぎ落とした、本物のアメリカ音楽だった」と語った。スプリングスティーンのリスペクトに満ちた言葉は、とても感動的で大好きである。

 ついでなんで、スプリングスティーンがエルヴィスについて語ったことを、ちょっとだけご紹介。

「それ以上はないんだ。すべてはエルヴィスにはじまり、エルヴィスに終わる。彼は本を書いたようなものだ。彼はこのビジネスにおいて、やるべきすべてのことであり、やってはいけないすべてのことでもある。俺はエルヴィスが誰かを裏切ったとは思わない。だって、彼は、他のほとんどの人達が一生かかってやれる以上のことを、みんなのためにやったんだからね。エルヴィスのメッセージは深遠だ。それはあらゆるところにいるすべての人達に届いた。どこにいようと、問題がなんだろうと、どんな政府だろうと関係ない。そういったことを飛び越えてしまうんだ。それは心と心を結ぶもの。人間的なものなんだ」。

 エルヴィス、ディラン、ジョン・フォガティ、スプリングスティーン…。ロックン・ロール・リバーは流れつづける。