Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

良いお年を…

2003年12月31日 | old diary
 土佐の友人が今日帰る。そいつが来てからの、この4日間は嵐のように過ぎていった。絶対飲み過ぎだ。年末ってのは、体に悪いな。

 昨日はいつもつるんでいる仲間と毎年恒例の忘年会。どういうわけか、歴史上の人物や建造物に関する話題で妙に盛り上がり、「よし!今度みんなで墓参りツアーをやろう」という、なんともわけのわからん結論。それに全員が大いにうなずくというこれまた珍妙なことになっていた。

 一夜明けて今日は大晦日。そんなこんなで暮れていきます、2003年。今年最後の洗濯を済ませ、部屋をかたし、友人を送りだしてから、僕も実家に戻る。2~3日ほどゆっくりしてこようと思っている。その間も日記はつけるつもりなので、明日には新年のご挨拶ができるかと。

 それではどうか良いお年をお迎えくださいませ。Good Rockin' Tonight !

今年の顔

2003年12月30日 | old diary
 うぃっす!昨日も飲んだ飲んだ。カニとか食った。いい夜でございました。

 さて、僕にとって昨年の顔がポール・マッカートニーだったように、今年の顔はやはりブルース・スプリングスティーンということになる。

 来日公演こそ果たされなかったものの、2月から10月まで日毎に変わるセットリストに狂喜し、ステージ上で発せられる言葉に心うたれ、変わらぬ純粋さに感動した。ツアーがすすむにつれ、顔つきがひき締まって精悍になっていくスプリングスティーンはほんとにかっこよかった。この人はやっぱりライヴの人なんだよなぁ。そしてなにより、あの素晴らしきThe Rising Tour(Summer Tour 2003)のラスト2日間を、かのシェア・スタジアムで観ることができたのは、一生の想い出だ。もうこれ以上になにを望もうというのか。

 今年はスプリングスティーンを通して、たくさんの人達に親切にしてもらった。音源や映像をいただいたり(今年ほどブートを聴いた年はない)、フリーホールドやアズベリー・パークを訪ねるための地図を送っていただいたり、バスの時刻表を知らせてもらったり。NYでは数名の熱心なスプリングスティーン・ファンの方々とお会いすることができ、帰国後もコアな飲み会に参加させてもらった。日本にもこれだけ熱心なファンがいるんだとわかったことは、やっぱり嬉しかった。

 一番胸が高まったセットリストは、5月26日ロンドン公演での「Meeting Across the River」~「Jungleland」のメドレー。この頃のセットはまだThe Rising Tourらしいまとまりが感じられた。一番よく聴いたブートは1975年メイン・ポイントでのライヴ。情感のこもった歌声には言葉を失う。The Rising Tourものでは、8月11日のフィラデルフィアかな。歓声の凄さと熱の入った演奏から、ここが第2の聖地と呼ばれる理由がわかる。

 スプリングスティーンに明け暮れた1年でした。

敗者は立ち去るのみ

2003年12月29日 | old diary
 年末になってまた阪神タイガースの名前をよく耳にするようになった。今年の出来事に阪神優勝、今年の顔に星野仙一、流行語大賞や今年を表すひと文字などにも、阪神にちなんだものが選ばれるなど、なにやら総なめ状態だ。しかし、これはちょっとおかしいのではないか。

 日本一を獲ったのはダイエーですよね?

 別に僕はダイエー・ホークスのファンではないし、阪神に恨みがあるわけではないけれど、負けたチームばかりがもてはやされるのはいかがなものかと思う。そもそも、勝負の世界では勝者がもてはやされ、敗者はただ立ち去るのみ。勝負の後の歓喜の時間は、勝者のためのものだ。そうでなければ、選手たちが苦しい練習に耐えてきた意味がない。
 「人気があるんだから、しょうがないよ」と言われるかもしれないが、そういう問題ではないと思う。負けたチームの監督がこれだけ多くの取材を受けていることに、僕は違和感を覚える。取材断れよ、と言いたい。敗者は黙して語らず。その方が男らしいと思うのだが。

 なにやら阪神が日本一だと勘違いしてる人も出てきてる気がしないでもない。日本一はダイエーですよ。お間違えのないように。

キャンパス・ライフ

2003年12月28日 | old diary
 飲み過ぎた。いつどうやって寝たのか、まったく憶えていない。今朝起きたら便所に服は脱ぎ捨ててあるし、テーブルはなにやら不安定になってるし、玄関のボディ・ボードは倒れてるし、ギターの弦は切れてるし、脛には傷をこさえてるし…。いったいなにがあったんでしょ?

 今日、ほぼ10年ぶりに母校を訪ねた。土佐から来た友が「行きたい」というからで、僕はあまり気乗りしなかったのだけど、行ってみたらすっかり懐かしい気持ちになってしまった。学校は10年前とほとんど変わってなかった。白い校舎も、遠望橋から見える富士山も、掲示板に貼られたアルバイト情報も、すべてが懐かしい。いろんなことが思いだされ、なんとも言えないものがじんわりと胸にひろがった。卒業して10年だもんな。懐かしくもなるか。

 まったく勉強せず、遊んでばっかの4年間だった。ほんと親には頭があがらんよ。

Open House

2003年12月27日 | old diary
 やるべきことが終わらず、昨日は珍しく遅くまで起きていた。で、今朝はいつも通りの時間に起きたので、ちょいと眠かったりする。

 今日は土佐からダチが泊まりに来る。いつまで滞在するつもりなのかは、よくわかっていないのだけど、我が家はウォーホールにちなんだ自称「オープン・ハウス(いつ誰が来てもよい家)」なので、何泊しようとそれは一向に構わない。「行く」と言われたら「来いよ」と答えるだけである。あとは居たいだけいればよい。

 その代わり、もてなしは一切なしだ。まぁ、お茶を出すくらいかな。せっかく遠くから来るのでいろいろしてやりたいところだが、さっき冷蔵庫を見たらきれいにからっぽだった。予備の布団は元々用意してないので、夜は床にキャンプ用のエア・マットを布いて、寝袋で寝てもらうことになる。それに今日僕は仕事だから、そいつがこっちに着いたとき、まだ帰ってないかもしれない。その場合は、どっかで時間を潰してもらうことになる。こういうときこそ、携帯電話があれば「今、仕事終わったぞ」とか「○時までには帰れると思う」など連絡が取れるのだが、残念なことに僕らは2人とも携帯を持っていないのだな。

 なにはともあれ、久々の再会。ゆっくりじっくり飲むとしよう。

リンゴの家に住む人

2003年12月26日 | old diary
 現在、リンゴの生家にはLIPA(ポールが後援している音楽学校)の学生が住んでいるという。「おいおい、そんなんでいいの?」とつい思ってしまう。だって、普通考えられないでしょ。ビートルズの家に住めるなんてさ。僕だったら、あまりのありがたさに毎日泣いて暮らすことだろう。そういえば、LIPAの卒業式には毎年ポールも出席して、学生達に卒業証書を手渡すという話も聞いたことがある。

 リンゴの生まれた家で生活し、卒業証書をポールから手渡される。

 なんて羨ましいんだ!それだけで人生バラ色ではないか。一体どんな奴が住んでいるのか、一度顔を拝みたいものである(できることなら、貧乏な苦学生であってほしい)。しかし、ジョンとポールの家はナショナル・トラストによって資産管理されているというのに、リンゴの家には学生が住んでいるのだな。ま、どっちがかっこいいかと言えば、リンゴの方という気がしないでもないけど。

 10月に渡米した際、スプリングスティーンの故郷フリーホールドを訪ねた。シングル「My Hometown」のジャケットでお馴染みの彼が育った家に行き、「わっわっ!ジャケットと同じだぁ」と興奮気味にシャッターを切っていると、中からおっさんが犬を連れて庭に出てきた。どうやらこの家の住人らしい。
 
 そこでふと思う。「このおじさんにしてみれば、僕なんて、自分の家の周りをうろつく迷惑な東洋人でしかないのだろうな」。

 なんだか勝手に写真を撮っていることが申し訳なくなり、すごすごとその場を立ち去ったのだった。彼がスプリングスティーンのファンであるなら話は別だけど、おそらくは違うだろう。その点、リンゴの家に住んでるLIPAの学生となれば、きっとビートルズ・ファンだろうから、僕がどんな顔でシャッターを切っていようと不思議に思うことはないはずだ。おっし!もし行ったときには、気合い入れてがちょんがちょん撮ってやるぜ!って、やっぱ迷惑かな?

 僕みたいなファンが世界中にいるビートルズやスプリングスティーンって、やっぱりすごいと思うのである。

I Won't Last a Day Without You

2003年12月25日 | old diary
 昨日で江ノ島灯台のライトアップと、それに伴う打ち上げ花火も無事終了。3日つづいた「10分間」だけのささやかなお楽しみタイムでした。

 リンゴの『I Wanna Be Santa Claus』を聴く。近年のリンゴの充実振りが伝わってくる素敵なアルバムだと思う。僕はリンゴの少し淋し気な歌が好きだから、ベスト・トラックは、リンゴ自身の書き下ろしであるオリジナル・ソング「Christmas Eve」ということになるだろうか。これは「クリスマスなのにあなたはいない」という内容の歌。ツリーはきれいにデコレーションされ、その下にはプレゼントも用意されているのに、灯りは消されたまま。時間はゆっくりとしか流れてくれず、窓の外に降る雪はまるで僕の涙のよう。雪の上には去っていった君の足跡が残っている。

 不幸ではあるが、これはこれで「かっちょいいなぁ」とも思う。Man We Was Lonely...。

 なにやら優しい気持ちになって引っぱり出したのが、ポール・ウィリアムスの『Back to Love Again』。1997年に発表された16年ぶりのソロ・アルバム…だったのだが、あれからまた7年がたってしまった。あらら…。
 彼はカーペンターズに曲を提供したことで有名だけど、ここではその中から名曲「I Won't Last a Day Without You」をヴァレリー・カーターとのデュエットでセルフ・カヴァーしている。これがもうたまらくいいのだ。例えば「Yesterday」がそうであるように、時間を経るにつれより深みを増した歌がここにはある。ウィリアムスの朴訥なヴォーカル、その細やかな感情は、泉に湧く澄んだ水のように、僕の心のひだの隅々にまで沁み渡っていく。「友達が約束の半分を忘れてしまっても、それは思いやりがないわけじゃない。ただそれが見つけにくいだけ」という箇所が僕は一番好きなのだけど、くり返されるサビのフレーズは本当に美しいと思う。

  例えあの虹を越えられなかったとしても
  一番小さな夢でさえ叶わなかったとしても
  それでも僕はこの世界にある
  すべての狂気に耐えていけるだろう
  でも もし君がいなかったなら
  僕は1日ともたない

We Wish You a Merry Christmas

2003年12月24日 | old diary
 『We Wish You a Merry Christmas』というアルバムがある。ずっと昔から僕の実家にあったレコードで、ジャケットは典型的なアメリカ人家族の幸せそうな写真。各々がプレゼントを手に微笑んでいる。その中の父親がこのレコードの主役であるピアニスト、フロイド・クレイマーその人だ。

 フロイド・クレイマーといえば「Last Date」のヒットで有名だけど、僕にとっては、エルヴィスのバックを長年務めた素晴らしきナッシュヴィル・ピアノ・マンだ。なんせこの人は、エルヴィスがRCAに移籍した最初のセッションから参加しているのだから。かの「Heartbreak Hotel」における、やさぐれたピアノ・ソロも彼の仕事だ。エルヴィスとのつきあいは60年代いっぱいまでつづき、たくさんのほんとに素晴らしいナッシュヴィル録音を残している。ちなみにビートルズ関係で言えば、ポールが1976年にThe Country Hams名義でリリースしたシングル「Walking in the Park with Eloise」にゲストで参加してたりもする。

 当然のことながら、そんなことを知ってうちの親父がこのレコードを買ったはずはない。単なる偶然に決まっている。しかし、まったく毒のかけらもないその内容は、異国の地で小さな子供を抱えて暮らしていた我が家にはぴったりだったのだろう。クレイマーのセンスのいい演奏に、暖かく包むようなストリングス。日本に帰ってきてからも、クリスマスになるとよくターン・テーブルにのったものだった。だから、このレコードの音は、僕のクリスマスの想い出の中にしっかりと刷り込まれている。

 僕らが大きくなるにつれ、家族でクリスマスを祝うことも少なくなり、いつの間にかこのレコードが実家のリビングで流れることもなくなった。そんなレコードが捨てられることなく、今もちゃんと僕の手元にあり、こうしてクリスマスの日に再びターン・テーブルにのっているというのは、なんだかしみじみいいものだなと思う。ジャケットを裏返して、「おぉ、プロデュースがチェット・アトキンスかよ」と声をあげているのだから…。

 We Wish You a Merry Christmas....

今年もあと少し

2003年12月23日 | old diary
 クリスマスもすぐということで、昨日、江ノ島の灯台がライトアップされ、それに合わせて10分間花火が打ち上げられた。冬の夜空に映える花火もまたいいもの也。久しぶりに夜の海を散歩してから部屋に戻る。僕の家は、前が神社の参道になっているので、この時期になると道に沿って提灯がずらりと吊るされる。歩いて1分の神社にもたくさんの提灯が下がり、大きな絵馬(というのだろうか?)には、もう申の姿が。こちらは既に年始の準備に入っているというわけか。

 「はやいなぁ、1年…」ということで、手帳をめくり今年を振り返ってみた。ライヴ:17回、映画:5本、写真展:1回、サッカー観戦:1回、フットサルの試合:1回、花火大会:2回、お祭り:1回。海でBBQをしたり、フットサルの練習があったり、あちこちで酒を飲んだりもしてるけど、主だったイベントはこんなところか。花火と祭りは地元のなんで、数に入れていいものかわからんけど。

 「ライヴ、17回も観たっけ?」と思ったりする。今年はあまり行ってない気がしていたのだが。まぁ、ストーンズ4回なんてのもあるし、なんつったってスプリングスティーン in シェア・スタジアムという人生の大事があったわけだし。それにしても、まさか1年半(昨年4月下旬~今年10月初旬)で3度も渡米するとは思わなんだ。それもただライヴを観るというだけのために…。おかげでポール3回、スプリングスティーン3回、夢のような体験ができたわけだけど、冷静になってみるとちょっと狂ってましたね。お恥ずかしい。

 以下は僕の私的2003年音楽シーン総括。すごーくせまーい音楽シーンだったことが窺えますが、こうでないとファン・サイトなんてやってられません。

 Artist of the Year:Bruce Springsteen and the E.Street Band
 Album of the Year:Ringo Starr『Ringo Rama』
 Song of the Year:The Beatles「The Long and Winding Road」(from『Let It Be...Naked』)
 DVD of the Year:V.A.『Concert for George』
 Best Video:George Harrison「Any Road」
 Best Live Performance:10/4, Shea Stadium / Bruce Springsteen and the E.Street Band
 Best Album Cover:V.A.『Concert for George』

ワイト島、再び

2003年12月22日 | old diary
 今日は冬至だそうな。窓の外にちょうどゆずの木があるから、2つ3つもいで、今日はゆず湯にでもつかるとしよう。

 The Whoの2004年ワイト島フェス出演が決まったので、当り前のように『The Who Live at the Isle of Wight Festival 1970』のビデオを観る。「Water」でピートと一緒に♪お~のぉ~♪と歌ってみる。うーん、34年振りのワイト島かい。すごいな。

 僕にとってワイト島といえば、1969年のディラン&ザ・バンド、そして1970年のザ・フーということになるのだけど、一般的にはこれがラスト・ステージとなってしまったジミ・ヘンドリックスが一番有名なのかな。

 映像は1970年のしか観たことがない。体調が悪そうなジミ、髭もじゃのジム・モリソン、エレクトリック化したマイルス・デイヴィス、ステージの途中で変な奴に乱入されるジョニ・ミッチェル、テイスト時代の若きロリー・ギャラガー、などなど。フリーやジョン・セバスチャンなんてのもいたような記憶がある。なんでもこの年は60万人が集まったんだとか。島という閉鎖された場所にいかれた連中がそれだけ集結して、夜が明けるまでロックを聴くなんて、今にしたら随分と羨ましい気がする。

 昨日はいつもつるんでる友人が、自転車をこいで、1時間30分かけて遊びに来た。この自転車が実に味わい深いシロモノでしてね。どう説明したらいいかなぁ。とても古いもので、古き良き昭和の象徴とでもいうか、思わず年末の配達に出かけたくなるというか、誰が見ても涙を誘うといいますか…。もちろん涙の意味は人それぞれでしょうけど。

 とても天気が良かったから、僕らは海へ行って、それから部屋で鍋をやって、丘の上から夕陽を見て、だらだらだらだらとしゃべりつづけた。もしかしたら、僕らはおしゃべりなのかもしれない。