うー、マヨネーズとジャムを買い忘れた。そんなことに気づいた今朝のブレックファースト・イン・江ノ島。
今日は朝からお仕事。颯爽とスクーターまたがっての出勤です。心も軽やかにさくっとこなして、夜はサザンのライヴなり。楽しみでっす。どうやら天気は大丈夫そう。夏の最後だもんな。やっぱそうでないとね。
窓をあけてジョン・メレンキャンプの01年作『Cuttin Heads』を聴く。まじでかっこいい。「え~?今さらメレンキャンプもないでしょ」と思ったそこのあなた、聴かないでそういうことを言わないように。今年発表したカヴァー・アルバムもよさそうですぜ。
僕が高校生だった頃、アメリカン・ロックの人気はとても高かった。スプリングスティーンは別格な扱いだったけど、その他にもトム・ペティ、ボブ・シーガーといったベテラン組、苦労人のヒューイ・ルイス、若者代表のブライアン・アダムス、そしてジョン・クーガー・メレンキャンプなどなど、魅力的な人達が元気にヒット・チャートを賑わしていた。
当時の僕のお気に入りは、もちろんスプリングスティーン。それからヒューイ・ルイス、ブライアン・アダムス、そしてメレンキャンプとつづいた。今ではヒューイもブライアンもほとんど聴かなくなってしまったけど、メレンキャンプはときどき引っぱりだしては聴いている。
その頃のインタビュー(1985年頃)、「アメリカン・ロックの人気が非常に高いですが、その中のひとりとしてどういう気分ですか?」と訊ねられて、メレンキャンプはこんな風に答えている。
「あと10年ほどたったときに、もしかしたら残っているのはブルース・スプリングスティーンだけかもしれない。でも、俺はそれでもいいと思ってるんだ」
これを読んだとき、「この人はしっかりした人だなぁ」と感じた。そして、その印象は18年たった今も変わらない。あれからずっとメレンキャンプは、自分なりの挑戦をつづけながら、地に足のついた作品を発表しつづけている。けっして一流にはなれない人かもしれないけれど、今も変わらぬ「頼りになる田舎のあんちゃん」といった風情には、自分の分相応を知る者だけがもつ清々しさがあるように思う。
いいですよ。かっこいいですよ。いいじゃないですか、今さらメレンキャンプだって。ねぇ?
今日は朝からお仕事。颯爽とスクーターまたがっての出勤です。心も軽やかにさくっとこなして、夜はサザンのライヴなり。楽しみでっす。どうやら天気は大丈夫そう。夏の最後だもんな。やっぱそうでないとね。
窓をあけてジョン・メレンキャンプの01年作『Cuttin Heads』を聴く。まじでかっこいい。「え~?今さらメレンキャンプもないでしょ」と思ったそこのあなた、聴かないでそういうことを言わないように。今年発表したカヴァー・アルバムもよさそうですぜ。
僕が高校生だった頃、アメリカン・ロックの人気はとても高かった。スプリングスティーンは別格な扱いだったけど、その他にもトム・ペティ、ボブ・シーガーといったベテラン組、苦労人のヒューイ・ルイス、若者代表のブライアン・アダムス、そしてジョン・クーガー・メレンキャンプなどなど、魅力的な人達が元気にヒット・チャートを賑わしていた。
当時の僕のお気に入りは、もちろんスプリングスティーン。それからヒューイ・ルイス、ブライアン・アダムス、そしてメレンキャンプとつづいた。今ではヒューイもブライアンもほとんど聴かなくなってしまったけど、メレンキャンプはときどき引っぱりだしては聴いている。
その頃のインタビュー(1985年頃)、「アメリカン・ロックの人気が非常に高いですが、その中のひとりとしてどういう気分ですか?」と訊ねられて、メレンキャンプはこんな風に答えている。
「あと10年ほどたったときに、もしかしたら残っているのはブルース・スプリングスティーンだけかもしれない。でも、俺はそれでもいいと思ってるんだ」
これを読んだとき、「この人はしっかりした人だなぁ」と感じた。そして、その印象は18年たった今も変わらない。あれからずっとメレンキャンプは、自分なりの挑戦をつづけながら、地に足のついた作品を発表しつづけている。けっして一流にはなれない人かもしれないけれど、今も変わらぬ「頼りになる田舎のあんちゃん」といった風情には、自分の分相応を知る者だけがもつ清々しさがあるように思う。
いいですよ。かっこいいですよ。いいじゃないですか、今さらメレンキャンプだって。ねぇ?