Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

3×4+3+1=16

2004年07月31日 | old diary
 とある方のご好意で、CDRがドカッと届く。内容はスプリングスティーンの名作ライヴ・ブート&その他。スプリングスティーン関連は、78年ダークネス・ツアーと81年リバー・ツアーの音源で、もう最高である。まだ全部を聴ききれてはいないけど、ゆっくりじっくり堪能したいと思う。興奮したいと思う。

 サイトを始めて以来、ときおりこうしたご好意をいただくことがある。もちろん音源自体も嬉しいのだが、気にかけていただいたその気持ちの方がずっと嬉しいもの。とてもありがたいし、大切にしたい。

 昨日は、1978年12月15日のサンフランシスコ公演『Winterland Night』と、その4日後である12月19日のポートランド公演『Paramount Night』を聴く。いやもう、とんでもないことになっている。天空をつらぬくほどの凄まじいテンション、ほとばしるエネルギーの乱射、細やかな感情の交錯、いっぱいの優しさと包容力、この世にこれ以上のライヴなど存在するのか?という気持ちにさえなった。で、今は81年7月15日のフィラデルフィア公演『Spectrum Night』をかけているのだけど、うー、これが一番凄いかもしんない…。やはりフィリーでのライヴははずれなしか。『Winterland Night』は、ずっとピッチが遅いものを持っていたのだけど、やっとまともな速さで聴けて嬉しかったな。
 
 こうした昔の音源を聴くと、当時のスプリングスティーンが、いかにセンセーショナルな存在であったかがよくわかる。衝撃的という言葉とは少し違うかもしれない。彼はそれまでのロックン・ロールの歴史を体内にしたためて登場した。そんな彼の音楽は、底なしのエネルギーに満ち、楽しく、純粋で、そして涙が出るほどにロマンティックだった。だからこそ、ブルース・スプリングスティーンは「ロックン・ロールの未来」と呼ばれたのだと思う。

 しかしあれだね、スプリングスティーンはしゃべってるだけでかっこいいね。べしゃりがかっこいいアーティスト・ランキング第1位だね。対抗できるのはジム・モリソンくらいか。彼もかっこいいからな。ま、この2人の一騎討ちだね。

20歳の差が意味するもの

2004年07月30日 | old diary
 昨日、The Whoの映像を観ながら、ふと思ったこと。

  ピート・タウンゼント、59歳。現在The Whoにてドラムを担当するザック・スターキー、38歳(今年の9月で39歳)。その年齢差ほぼ20歳。つづいてブルース・スプリングスティーン、54歳。MIYAI、34歳。その年齢差ほぼ20歳。おー、同じじゃん!っつーことは…。

 僕がE.Street Bandにいても、ちっとも不自然じゃない…ということになりはしないか?いやぁ、まいったなぁ。

 ある日、スプリングスティーンが僕の家のドアを叩く。「やぁ、迎えに来たぜ。今度のツアーに是非一緒に来てくれないか?」。そう請われたら、僕に断る理由などない。さっそく身辺整理を始める。「俺は勝利をつかむためにここを出て行く!」と自分を頼りにしてくれる部下達に別れを告げ(いないけど)、「今が車輪を翼に変える最後のチャンスなんだ!」と妻子を置き去りにし(いないけど)、「君は美人じゃないけれど、ユー・アー・オールライト」と愛人だけは連れて(全然いないけど)、僕はNJのリハーサルへと旅立つ。

 なんて素晴らしいんだ。夢は叶うもの。だから、僕は約束の地(The Promised Land)を信じている。

 でも、ここでちょっと考えてみたい。旅立ったはいいが、あの最強のライヴ・バンドにおいて、いったい僕はなにを担当すればよいのだろう?ザックみたいにドラムが叩けるわけじゃないしなぁ。それこそ今の僕にできることといったら、へたなギターを弾いて、ものすごーいシロウトやべろべろの酔っ払いを騙すことくらいだ。これでは、ほどなくメンバーから不満の声があがるのは想像に難くなく、せっかく声をかけてくれたスプリングスティーンにも迷惑をかけることになる。うーん、困ったな。

 やっぱり、E.Street Bandは無理かな。サザン・オール・スターズくらいにしとくか…(おこがましい)。

Rosie, I'm Home !

2004年07月29日 | old diary
 ♪The night was young, the moon was yellow...♪

 昨日は1日中、学生短期アルバイトのような仕事をしていた。封筒にチラシを詰めたり、封をしたり…。それを社長から社員まで総出で行う。小さな会社のこうした一体感はなかなか悪くない。僕は社員でもなんでもないのだけど、関わったついでにと手伝った。

 誰かが有線をオールディーズ・チャンネルに合わせた。こういうの聴くのも久しぶりだなぁ、やっぱいいよなぁ、と作業をしながらもつい耳はそっちの方へ。サム・クックの“You Send Me”とか、昔はあまり好きじゃなかったはずなのに、改めて耳にするとあまりの歌の上手さに感動してみたり。あと、聴いたことはあっても曲名や誰が歌っているかがわからないものも多くて、ちょっとびっくり。俺、オールディーズって詳しくないんだなぁと実感。

 冒頭の一節は、作業も終わってさぁ帰ろうと思ったときに流れてきた歌の出だし。これって、昨年のシェア・スタジアム最終日(長かったツアーのファイナルでもある)で、スプリングスティーンが“Rosie”を歌う前に口ずさんだフレーズなのだ。

   ♪The night was young
    the moon was yellow...♪
    Rosie, I'm Home !

 こんな感じで始まったあの夜の“Rosalita”は素敵だったな。昨日聴いたのは、おそらくこのとき引用されたフレーズの元歌だろう。いやー、初めて聴いたよ。ドリーミーないい曲だったな。

 ところで、これがなんて曲で誰が歌ってるか、知ってる人います?もしよかったら教えてください。

アムネスティの想い出

2004年07月28日 | old diary
 どうにかライヴ・レポを書き終えた。ふぅー。思えばほんの5ヶ月前までは、The Whoのライヴ・レポを書いてる自分なんてこれっぽちも想像していなかった。思いつきもしなかった。それくらいThe Whoの来日公演なんてあり得ないと思っていた。ところが、今ではそれが現実のものとなり、自分があんな素晴らしい経験をしたなんて、ほんとに信じられない。まったくなにが起こるかなんてわからないもんだな。希望をもって生きていこう。

 ここでいう“希望”とは、もちろんスプリングスティーン来日のことである。来年のロック・オデッセイでいいから、トリがKISSでもいいから、来ておくれよ。

 僕が初めてスプリングスティーンを観たのも、思えばロックフェスみたいなものだった。1988年東京ドームで行われたアムネスティ・インターナショナルのツアー。他にもユッスー・ンドゥール、トレイシー・チャップマン、ピーター・ガブリエルなどが参加していた。ただし、観客のほとんどはスプリングスティーン目当てで詰めかけており、このことは本人に単独公演以上のプレッシャーを与えていたようにも思う。

 このときには既に『Tunnel of Love』ツアーを行っていたスプリングスティーンだったが、そんな状況もあってだろうか、『Born in the U.S.A.』ツアーのダイジェストという当時の客のニーズを最大限に尊重したセットリストで僕らの前に登場した。今と違って海外でのセットリスト情報などまともに入ってこなかった時代だから、あの“Born in the U.S.A.”のイントロが鳴り響いた瞬間の驚きと高揚は、それは凄まじいものだった。それからきっちり1時間30分。押し引きまったくなし、ただただ前進あるのみの、まさにがぶり寄りな怒濤のライヴを展開。この日の演奏を観たことは、いろんな意味で僕のスプリングスティーン観に決定的な影響を与えたし、ひいては僕の生き方そのものにも色濃い影を落とすこととなった。

 The Whoのライヴ・レポを書きながら、ふとそんなことを思い出したりした。スプリングスティーンがライヴをやったら、次のKISSのとき会場はきっとガラガラだぜ(もうトリがKISSということになっている)。

You Better You Bet”の会

2004年07月27日 | old diary
 放心状態継続中のためすすみの遅いライヴ・レポですが、えっと、あと少しです。今夜遅くにはアップできるかな?

 さて、僕の好きなThe Who Song ベスト3は下記の通り。

   1位 Baba O'riley
   2位 So Sad About Us
   3位 You Better You Bet

 今回のライヴでもこの3曲は特に楽しみで、まぁ“So Sad ~”はしばらく演ってないから無理としても、残りのふたつは聴けるだろうと思っていた。しかし、悲しいことに日本では“ You Better You Bet”が演奏されることはなかった。普段よりも短い1時間30分の演奏。曲が削られるのはわかっていた。でも、よりよってこれを削らなくても…。

 とにかくThe Whoの演奏はほんとあっという間で、時計をみると確かに1時間20~30分はやっているのだけど、僕の感覚だとそれこそ40~50分ほどで終わってしまったような気分だった。本編の最後となる“Won't Get Fooled Again”では、「えっ!もう演っちゃうの?もう終わり?」とびびってみたり。とにかく夢の時間は疾風のように過ぎ去っていった。

 ここで、ひょっとしたら大事な曲をやってないのではないか?という疑惑が胸をよぎる。

 とはいえ、終演後はすっかり抜け殻状態で、落ち着いてあれこれ考えることもできず、確認作業ができたのは帰りの電車の中でのこと。セットリストを頭から並べていく。「“I Can't Explain”でしょ。“Substitute”でしょ…」。そのとき友人がこの厳しい現実を僕に突きつけてきた。「あ、そうだ。MIYAIさんの好きな“You Better ~”をやってないね」。

 がーん!がーん!がーん!

 そ、そ、そんなぁ…。これはハプニングではない。アクシデントだ。クラッシュだ。嗚呼、気づかなきゃよかったよ。このときの僕の気持ちは、もうとにかく“You Better ~”を愛する人に電話をかけて、互いの心を慰め合いたかった。みんなで集い、「それでもいいじゃないか。The Whoが観れたんだし、次の楽しみに残しておこうよ」と声をかけ合いたかった。

 というわけで、ここに「“You Better You Bet”の会」を発足いたします。参加資格はとにかく“You Better ~”を愛していること。ザッツオール。飲みましょう。泣きましょう。
 
 しかし、これが“Baba O'riley”じゃなくてつくづくよかったよ。ほっ…。

ちっぽけな僕ら

2004年07月26日 | old diary
 いまだ放心気味の月曜日。

 昨日はライヴ・レポを半分ほど書いたところで、共にThe Whoを観た友人がビールを持ってやってきた。数日前に大阪行きを断念した僕と、当日まで悩んで行くのをやめた友人。しかし、僕らの心は大阪に向いてしまって、どうしょうもない。

  友人:「そろそろ大阪も終わりますね。まさか“Long Live Rock”とかやってないよね?」
  MIYAI:「そ、そんな…。や、やるわけないよぉ~」
  友人:「だよねー!」
  MIYAI:「当たり前だろー!」
  友人&MIYAI:「わっはっはっはっは‥」

 と言いつつも、どういうわけか急ピッチで杯はあけられていく。そう、僕らは飲まずにいられなかった。そして、セットリストが同じだったことが判明するや、がっちりと堅い握手が交わされたのだった。

 あー、小さい。なんて人間が小さいんだ。

 僕らは大阪に行かなかった。これは自分で決めたことである。だから、なにを演奏されても、僕らにそれらを聴く権利はない。しかし、腑抜けな僕らと違い、大阪まで出向いた人達がいることを僕は知っている。なぜそんな彼らのために「どうか大阪で“Long Live Rock”をやりますように」と願ってやれないのか?

 あー、ちっぽけだ。なんて俺はちっぽけなんだ。

 でも、結果としてセットリストは変わらなかった。それについては、The Whoが決めたことであり、僕のせいではない(当たり前だ)。ほっ…。

 ただ、野外の明るい陽射しの下で行われた横浜とは違い、屋内でのライヴとなった大阪。会場が暗転して、スポットライトの中にThe Whoが登場する図は想像するだけで感動的だ。そして鳴り響く“I Can't Explain”。うー、やっぱり行くべきだったかぁ…。でも、大丈夫!今度は単独で来てくれるさ。次回につながるだけの価値と意味をもった初来日だった。僕はそう思っている。

ロック・オデッセイ

2004年07月25日 | old diary
 一夜明けて、心にぽっかりと穴が空いたような、そこを優しい風が吹き抜けていくような…。あまりに感慨深いThe Whoの初来日公演だった。今日、ピートとロジャーは大阪へ。僕は江ノ島に残ってライヴ・レポを書くつもり。嗚呼、おおさか…。

 ここではThe Who以外のアクトについて少し。

 僕のロック・オデッセイはラヴ・サイケデリコが演奏する“Like a Rolling Stone”からはじまった。スタンド席でビールを片手に夏の風に吹かれながら聴く“Like a Rolling Stone”は気持ちよかった。それからアリーナへ移動。デリコは最後にニール・ヤングの“Rockin' in the Free World”をやっていた。

 ジョシュ・トッドとミッシェル・ブランチのとき、僕らは会場の外でランチ。

 14時、ポール・ウェラーを観る。数えて3度目のウェラーだが、すごくかっこよかった。ウェラーは、オールドなエピフォン・カジノを弾いていた。確か1985年のライヴ・エイドでもこのギターを弾いていたと思う。同じように暑い夏の陽射しが照りつける昼下がりだった。選曲も良くて、ジャム時代からスタカン、そしてソロ時代とまんべんなく披露。怒りをうちに秘めた姿が美しく、The Whoのスピリットが受け継がれているのを感じ、このままつづけてThe Whoを観れたらいいのになぁと思った。

 ウェラーがあんまりかっこよかったものだから、つい炎天下で全力投球してしまい、終わったときにはなんだかぐたーっとなる。よって次の稲葉くんは外で休憩。なるべく音が聴こえない日陰をさがしてThe Whoに備える。

 The Whoはもちろん凄かった。詳細はレポにて。

 終演後、なんとも言葉にならない気持ちで、The Whoの余韻に浸る。このまま帰ろうかとも思ったが、やっぱりエアロを観ることに。数えて3度目のエアロスミス。スティーヴンのヴォーカルはほんとに驚異的だ。ハートがしっかりと伝わってくる。衰えを知らないシャウト。あれで56歳だという。ピートとほとんど変わらない。ジョーがMCでThe Whoに対するリスペクトを口にした。「今日、The Whoと同じステージに立てて光栄だ。俺はずっとThe Whoのビッグなファンでね。夢が叶った気分だよ」。そして彼はライヴの最後にも同じようなことをマイクに向かってしゃべった。54歳のジョーが59歳のピートに会えたことを少年のように喜んでいる。なんとか敬意を伝えようとしている。ロックン・ロールは美しいものだなと思う。

遂に僕らはこの日を迎えた

2004年07月24日 | old diary
 起きがけに『Tommy』をかける。この記念すべき日のオープニングは、やはり“Overture”しかないでしょ。そう、遂にこの日を迎えたのである。おーいぇー!

 これほど毎日わくわくした来日は久しぶり。ストーンズの武道館や横アリが決まったときも大騒ぎだったけど、それ以上だったような気がする。まぁ、ポール並みとまでは言わないけど、それに近いものがあった。来日の噂を耳にした3月から、なんかずーっとThe Whoを聴いていたような気がする。ピートのことを考えていたような気がする。

 だから今日はちょっとスペシャルな感じです。胸を静かに突き上げてくる高揚感を押さえられない。こういう気持ちが大切なんだよねぇ。

 現在7時35分。あと1時間30分後には家を出て、会場である横浜国際総合競技場へ向かいまっす!今日は夏のロックフェスでっす!そこにあのThe Whoが登場するのでっす!ピート・タウンゼント降臨…、もうやばいのでっす!

 あーーー、なんかThe Whoがオープニングでもいいような気がしてきた。待ちきれないよ。

ブライアンかThe Whoか…

2004年07月23日 | old diary
 The Who初来日公演まであと1日。昨日メンバーが無事日本の地を踏んだとのこと。いよいよ也。一昨日の日記では「できるだけ手ぶらで…」と書いたけど、よくよく考えてみるに、タオル、レインコート、ビール以外の飲み物、などなど。けっこう必要なものもあるなぁと気づく。やっぱバッグ持っていくかな。

 僕らは男3人で参加予定なのだけど、昨日になってこんなメールが。

 友人A:「はっきり言って前日はほぼ明け方まで仕事な予感。へますると朝まで。集合、もうちょっと遅くしてくんない?」

 友人B:「昨日から扁桃腺が腫れちゃって...喉が痛えっす。“あーずいぶん腫れてるね~しばらく安静にしてなさい”と薬局のおっちゃんに言われた」

 お前ら、ほんと大丈夫か?炎天下で俺をひとりにしないでくれよ。

 初日となる横浜は僕の地元(に割と近い)。今そこにピートがいる。おー、なんだか信じられないな。道端でばったり会ったときのためにポスターでも持ち歩くか。英語の練習とかしとくか。はろー。

 昨日からCD屋にはブライアン・ウィルソンの新作(日本盤)が並んでいるはず。しかし、今行くとついDVD『The Kids Are Alright』を買ってしまいそうでね。どうしようかな…。

素晴らしきザック・スターキー

2004年07月22日 | old diary
 もしあなたが「キース・ムーンのいないThe Whoなど観てもしょうがない」と思っているならば、その心配はかなりの部分で杞憂かと思われる。なぜか?

 解答:The Whoにはザック・スターキーがいるから。

 これ以外の言葉は必要なし。それほどにザックのドラムはThe Whoだと思う。

 キース・ムーンという明きらかに不世出な個性を持つドラマーの後釜をさがすことなど、ほとんど不可能なはずだった。ケニー・ジョーンズという安定感のあるタイトなドラマーでも、サイモン・フィリップスというバカテクの持ち主でも、あのバンドにはうまく馴染まなかった。そしてなによりも「The Whoのピート・タウンゼント」が、彼らのドラムには馴染めなかったのだと思うし、そのことがピートの心をThe Whoから遠ざけてきたけっして小さくない要因でもあったと思う。

 そんな状況が長くつづいた1996年、ハイドパークで行われた『Quadrophenia』ライヴにおいて、ザック・スターキーがThe Whoに加入する。そしてこのときのライヴこそが、今のThe Whoのスタートだったと僕は思うのだ。ザックが加わらなかったら、ピートは今も中途半端な気持ちのままThe Whoと関わっていたかもしれない。

 ザックのプレイには、どこかキース・ムーンを彷彿とさせるところがある。手数が多くても、けっして重たくならない音。ライヴ映像を見ると、ザックの場合、力を込めて叩くというよりは、無駄な力を抜いて手首のキレで叩いているように見える。それは、体全体を使いながらもけっして重量級ではなかったキースのドラムと、どこか通じるようにも思える。そして、The Whoにはやはり彼のようなドラムが合うのだろう。もし可能ならば、Concert for NYCを観ていただきたい。ザックがどれほど素晴らしいドラマーかがわかるはずだ。その流れるようなスティックさばきには惚れ惚れする。ほんとあのときのザックはかっこいいんだよなぁ。髭をはやした風貌がやさぐれてて、とても有名人の息子には見えない。まるでワーキング・クラスだ。

 The Who蘇生の起爆剤はザック・スターキーだった。リンゴの息子だとか、そんなことは全部なしにして、僕は彼のドラムが好きだ。もはやザック以外のドラマーにThe Whoのドラムは叩いてほしくないな。

 というわけで、今のThe Whoはノー・プロブレム…え?ジョン・エントウィッスルの不在ですか?うーんと、そこだけなんだよね。問題は…。