Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

Sittin' in

2006年07月31日 | diary
 今朝、苗場から帰宅。夜通し車の運転をしてくれた友人に感謝。で、初めてフジロック3日間すべてに参戦してみて感じたこと。

 疲れた…。

 いやいや、大変なもんなんだねぇ。初日のことなんて、もう遠い昔のことのようだぜ。それだけ盛りだくさんだったってことなのかな?そういや、子供の頃はほんのちょっと前のことが、すごく昔に感じられたものだった。それとなんとなく似た感覚のような、でもやっぱり違うような…。

 まぁ、いいや。とにかく子供の頃と違うのは、すごく疲れたこと。それに尽きる。

 で、今日はお休みだったんで、昼まで寝てた。そのままいつまでもゴロゴロしてたかったんだけど、どうにか起き出して、洗濯やらなにやらを済ませて、これから下北沢まで行ってくる。電車に揺られて行ってくる。下北沢でごはんを食べて、お酒を飲んで、少し真面目な話をするのだと思う。

 あと10分で出かける。それまではケニー・ロギンス・ウィズ・ジム・メッシーナの『Sittin' in』を聴いてよう。僕もこのジャケのような店で賭けポーカーをやってみたい。きっとボロ負けするんだろうけどさ。ちょっとやってみたいなぁと。

いざ出発

2006年07月28日 | diary
 さぁ、今日からフジロック。出発。眠い…。でも、出発。

 昨夜あれこれと準備してると、履いて行くつもりでいたトレッキング・シューズが見当たらない。しばし考え込んだ後、そういや引越しのときに捨てたのを思い出す。でも、今履いている買ったばかりの スニーカーは、あまり泥だらけにしたくない。で、しょうがないから、急で悪かったんだけど、先日酔っぱらって僕の古いスニーカーを間違って履いていった友人に連絡して、もってきてもらうことにした。僕が「急ですまないね」と言うと、彼は「いえ、元々は俺のミスですから」と(確かに言われてみれば)至極真っ当なことを言い、快くもってきてくれた。ありがとう、友よ。

 せっかくなので、ビールを片手にしばしレコードを聴き、交互にギターを弾いたりする。

 友人は「メジャー・セブンス」と「マイナーなメジャー・セブンス」の違いなどを、僕にわかりやすい(そして、おそらく彼が話しやすい)方法で、とても的確に教えてくれた。そして、僕がいろんな質問をし出すと、友人は西洋音階のことに触れた。「西洋の音階ってのは、つまりピアノの鍵盤なんです」と彼は言った。それを聞いて、僕はふと最近聞いたバッハの話を思い出した。「バッハの時代、まだピアノはなかったの。バッハは今とは音階が違う楽器で作曲をしたし、ピアノとは鍵盤の並びが違う楽器で演奏をしたの。だから、バッハをピアノで弾くのは難しいことなのよ」。そんなことを彼女は言っていた。

 僕はこれまでずっと音楽を聴いてきたのに、そうしたことをなにも知らない。なんだかうらやましかったし、これからいろいろ知りたいなぁと思った。

 ただそうはいっても、今日はフジロックへ行くわけでね。難しいことなんてなーんも考えず、ただただ音楽に浸れたらいいなぁと、そんなことを願ってたりもするわけでね。

 では、出発。眠い…。でも、出発。えいえいおー!(無理矢理)

The Whoの新曲を待っている

2006年07月27日 | diary
 仕事ついでに関内のディスク・ユニオンを物色。そこでThe Whoの新曲(マキシ・シングル)『Wire & Glass』を発見!しかも、アナログ盤!僕はCDをアマゾンで予約してあるので、泣く泣くスルーしたけど、あやうく買うところだったぜ。

 あまぞーん、はやくしてくれよー。気が気じゃないんだからさー。

 てなわけで、今朝はピートの『Empty Glass』を聴いてたりする。えっと、Glassつながりということで。

 今朝は少しばかり心機一転な気分。今年はそんな気分になる機会が多い気もするんだけど、まぁいいや。前を向いて歩いていこう。明日からはいよいよフジロックなんだし。

 仲間4人で車に乗って苗場を目指すことになる。朝の5時出発ってのがちょっと大変だけど、車内ではそれぞれが持ち寄ったCDをがんがんかけて、えっと、盛り上がっていくんだと思う。なんだか天気が悪そうな今年のフジロックだけど、そういや昨年も雨だったなと思ってみたりもする。だから、気にはなるけど、気にしてばかりいてもしょうがないんだろね。

 『Empty Glass』、名盤なり。ピートが吠えると、僕は背中を押されたような気持ちになる。

こうして火曜日は水曜日になった

2006年07月26日 | diary
 のーてんきな気分になりたいときに聴くチープ・トリック。正しいのかどうかわからないけど(きっと正しくないのだろうけど)、“Surrender”は僕にとってそんな曲だったりする。

 昨日は夕方の6時過ぎから午前1時くらいまで、たっぷり音楽談義をした。最初はいつもお世話になっている人に、僕が割と将来的に考えていることについていろいろ教えてもらった。僕は「へぇー」とか「ほぉー」とか言って感心し、それからなぜか1930年代の音楽の話をし、あとは好き勝手なことをあれこれと話して、1時間30分ほどで鎌倉の焼き鳥屋を出た。

 場所を藤沢にうつし、急遽飲もうと連絡をしてきた友人と落ち合って、けっこう美味しい飲み屋さんへ。さっき教えてもらったことを報告し、2人で「なつほどね」とか「そうみたいなんだよね」とか言って、それから黒人音楽についてあれこれ語らって、ビールを飲み、煮込みや特製のおからをつまんだりした。

 最後は、その飲み屋の斜め向かいにあるアナログ・レコード・バーへ。僕らがソウルの話をしていると、マスターはちゃんとソウル・ミュージックのレコードをかけてくれた。そのときかかったチェスのコンピレーション盤はいい曲揃いで、僕は黒人音楽にやたらと詳しいその友人に「これなに?さっきの誰?」といちいち訊いた。彼はどの曲もちゃんと知っていて、当たり前のことのように、さらりと教えてくれた(もう覚えてないけど)。「すごいなぁ」と僕が感心すると、「でもね、MIYAIさん、俺も悩みがあるんですよ」と彼は言った。なにかというと、音楽以外の趣味がないことらしい。午前1時前に店を出て、もう電車のない僕らは、歩いてそれぞれの家路についた。

 僕は歩きながらメールをひとつして、少しばかり音楽以外の考えごとをした。

カフェにて

2006年07月25日 | diary
 夜に何度も目が覚めたりする。なんなんでしょ?疲れが足りねのかな?気分をしゃっきりさせようとThe Whoをかける。『Who Are You』。ふっふー、ふっふー♪

 貸してもらったゴダールの『気狂いピエロ』を観た。むかーしに1度観たと思っていたんだけど、なんも覚えてなかったとこをみると、きっとビデオに録画だけして結局観なかったんだと思う。そういう映画って、他にもいろいろあるんだろうな。

 で、これがすごく面白かった。文学性、破壊性、現実感と非現実感、軽妙なテンポ、ファッショナブルな映像、すべてが「ゴダールだなぁ」って思った。で、アンナ・カリーナがとてもかわいらしい。

 そこで昨日は、ゴダールの映画を何本観たことがあるか?といった話をした。僕は5本くらい。『はなればなれに』、『女は女である』、『勝手にしやがれ』、『ワン・プラス・ワン』、そして『気狂いピエロ』。彼女は『新ドイツ零年』がつらかったと言った。「土手をさ、男の人がさ、歩くのさ。30分くらいずーっと」。彼女は3回チャレンジし、3回とも同じ箇所で寝たと言った。きっと、向いてなかったんだと思う。

 僕もキューブリックの『2001年宇宙の旅』で似たような経験をしたことがある。映画は、人類が道具を使うことを発見したところから始まる。そのうちのひとりが動物の骨を空に向かって放り投げると、それが時空を超えて2001年の宇宙船になるという、非常に秀逸なものだった。ところが、これがものすごーく退屈なのだ。というのも、まだ猿と言ってもいい人間達が、集まって動物の骨をあーだこーだやってる時間が30分もつづくわけで、その間のセリフと言ったら、うっほうっほ言ってるだけ。これにはまいった。偉大な映画だとは思うけど、はっきり言って、これほど退屈した映画もなかった。(※僕が観たのはディレクターズ・カット版)

 だから、彼女の話を聞いて、僕が思い出したのは『2001年宇宙の旅』のことだった。なんとか寝ないで最後まで観たけど、もう2度と観ないと思う。あれはきっと、僕には向いてなかったのだろう。

 まぁ、いいや。とにかく彼女は『気狂いピエロ』を一番好きな映画だと言った。そこで僕は『ダーティ・ハリー』が一番好きだと言った。彼女はちょっと驚いたみたいだった。「観たことない」と言うので、僕は『ダーティ・ハリー』とクリント・イーストウッドに関わる非常に個人的な想い出を話して聞かせた。

 カフェのソファに座って、お酒を飲んで、僕らはとりとめもない話をいくつもした。そんな夜のちょっと手前だった。

Magical Mystery Tourな朝の過ごし方

2006年07月24日 | diary
 やたらと偉大な曲が集まっている『Magical Mystery Tour』。すべてがそこからはじまる1日。

 まず、起きる。“ Magical Mystery Tour”が流れてくると、心と体のスタート・ボタンが押される。“The Fool on the Hill”でフライパンに卵をおとして、“Flying”でトーストを焼いて、“Blue Jay Way”で朝食をおいしくいただいて、“Your Mother Should Know”で後片づけをして、“I Am the Walrus”でトイレに行って、“Hello Goodbye”で歯を磨いて、“Strawberry Fields Forever”で髭剃りをして、“Penny Lane”で着替えて、“Baby You're a Richman”で仕事の用意をしたら、あとは“All You Need Is Love”をビートルズと一緒に歌う。

 はい、いっちょあがりー。『Magical Mystery Tour』な朝の出来上がりー。“I Am the Walrus”の扱いがちょっと可哀想な気もするけど、ちゃんとトイレまで聴こえてきてるから大丈夫(なんのこっちゃ)。

 でも、ビートルズってすごいよね。もう、すごすぎて怖いくらいだ。いろんなバンドがいっぱいいるけど、やっぱりビートルズが一番だよなぁと、素直に思ってしまう。

法事だった

2006年07月23日 | diary
 しっかりと休息をとる日曜日。大事なり。

 遅く起きて、風呂に入って、洗濯をして、友人に電話して、一緒に昼飯を食いに出かけて、部屋にもどって麦茶を飲んで、レッチリを聴いた。友人は仕事へと向かい、僕はトイレの掃除を(なんとなく)して、今はヴァン・モリソンを聴いている。

 そんな日曜日だったりする。この世にはいろんな日曜日があるのだと思う。

 昨日は法事だった。僕は寝坊をして、少し遅刻をした。妹に「酒くさい」と言われ、兄貴に「もう少し大人になれ」と言われ、親父とお袋からはなにも言われなかった。親戚が30人ほど集まっていた。僕もいつの間にやら中堅に位置する年齢になっていることに気づき、ありゃまぁと思った。

 おばさんが車椅子に座っていた。体の半分くらいが麻痺して動かない。僕はおばさんのそばにいって「こんにちは」と挨拶をした。僕が冗談を言うと、おばさんは楽しそうに笑ってくれた。おばさんは自分の体のことを、僕に話してくれた。それはとてもやりきれない話だった。僕はおばさんを元気づけたくて、「おばさんは、気持ちの強い人だから」と声をかけた。すると、おばさんは「でも、まいることもいっぱいあるよ」とつぶやいて、胸元にかけられたタオルで涙を拭った。とても悲しそうだった。「まだ気持ちのコントロールがうまくできないんだ」と、おばさんの娘である僕のいとこが、僕にそう言った。僕はなにも言えないまま、おばさんの手を握った。それからおばさんは、昔ハワイへ旅行に行ったときの話をしてくれた。それはとても楽しい話だった。結局、おばさんが僕に気をつかってくれたんだと思った。それがなんだかとても申し訳なく、僕はおばさんのそばを離れた。

 この日は、若くして亡くなった親父のお姉さん(50回忌)と、じいちゃん(13回忌)と、ばあちゃん(27回忌)の法事だった。長兄にあたるおじさんが、MIYAI家の歴史と故人にまつわる想い出をみんなに話して聞かせた。とてもいい話だった。そこには意味があり、耳を傾ける価値があり、慈しみがあった。親父のお姉さんには会ったことがないけれど、じいちゃんとばあちゃんには、僕にも僕なりの、そしておそらく僕だけのための、想い出がある。そういうのってとても大切なことなんだなぁと、今になってみてようやくわかるようになった。

 生きてるとき、僕らは満足に優しくできない。してあげられない。だからこそ、想い出は大切なのかもしれない。

 帰りの電車を僕はほとんど寝て過ごし、家に着いてからも寝て、目が覚めて、ある人にメールをして、また寝た。だいぶ疲れているみたいだった。

朝帰り

2006年07月22日 | diary
現在、午前5時30分。只今、帰宅。

死ぬほど眠い。だから、寝る。

でも、2時間後には起きる。

法事なのである。

あーーーーーー、法事だ。

とりあえず、寝る。おやすみなさい。

3枚目を聴いて思うこと

2006年07月21日 | diary
 久しぶりにひっぱり出したレッド・ツェッペリンの3枚目。これがツェッペリンのベスト・アルバムだとはちっとも思わないのだけど、いつしか一番良く聴くアルバムになってたりする。…と言っても、かなり久しぶりなんだけど。

 初期の頃のツェッペリンはあんまりアルバム・タイトルに頓着しなかったみたい。1枚目から3枚目までは、ただ数字がふられているだけだし、4枚目にいたっては、タイトルそのものがなくなったというか、記号化されてしまっているわけでね。

 でもま、覚えやすいし、いいかな。大切なのは音楽であって、タイトルじゃないから。

 僕に関わる多くのことがそうであるように、僕はこのアルバムもアナログ盤で聴いてたりする。で、そういう立場で話をするならば、僕はA面よりB面の方が好きで、中でもハイライトは“Tangerine”と”That's the Way”の2曲だったりする。これらがツェッペリンのベスト・ソングだとはちっとも思わないのだけど、僕はいつだってこの2曲の登場を心待ちにしてこのアルバムを聴いている。どちらもメロディがきれいだし、アコースティック・ギターの不思議な響きもいい。ヨーロッパらしい歴史性と旅情をもっていると思う。

 ビートルズで一番好きなアルバムは?と問われると、僕は『For Sale』と答える。スプリングスティーンだと『Tunnel of Love』で、ディランだと『Another Side of Bob Dylan』で、ポールだと『Red Rose Speedway』で、ジョージだと『Somewhere in England』で、ツェッペリンだと『Led Zeppelin 3』だったりする。

 「なんかわざと地味なの選んでない?」とか言われそうだけど、そんなつもりは全然ない。その証拠に、ストーンズなら『Exile on Main St.』を選ぶし、フーなら『Quadrophenia』を選ぶ。スプリングスティーンにしたって「あれ、『Born to Run』じゃないの?」と問われれば、「あ、そうそう。やっぱりそれ」とか言いかねない(というか、その方が正しいような気もする)。

 ただ、そのアーティストを聴き込んで、(僕なりの)親密な関係を築いていくと、クォリティの高さよりも、よりパーソナルな匂いのする作品に惹かれる傾向はあるかもしれない。そうなるともう、その音楽が好きなのか、アーティストそのものが好きなのか、よくわからなくなってくる。こうした聴き方が(音楽的な意味において)いいのか悪いのかはともかくとして、おかげで自分にとってとても大切なアーティストをいくつも持てたのだから、少なくとも悪いことばかりではない…と、ささやかに思ってたりはする。

Billy Joel

2006年07月19日 | diary
 ビリー・ジョエルを何枚か聴いた。『52nd Street』とか。やっぱりよかったりする。

 ビリー・ジョエルといえば、僕の世代にとっては、洋楽の入口的役割を果たしたアーティストだった。“Honesty ”や“Just the Way You Are”などは、ビートルズの“Yesterday”や“Let It Be”、S&Gの“Bridge Over Troubled Water”や“Sound of Silence”、イーグルスの“Hotel California”などに匹敵する存在感を放っていた…ような気がする。FM雑誌なんて言うともう隔世の感があるけど、熱心な音楽ファンは、自分の好きな曲をエアチェック(なんて言葉さえ隔世的だけど)するためによく買っていたもので、そんな各誌の人気投票でもビリーはことごとく第一位だった。年間ベスト・アルバムに『Nylon Curtain』が選ばれていたのもよく覚えている。

 さすがにそんな時期は長くはつづかなかったけど、ちょうど僕が中学に入学して卒業するまではそんな感じだった。友達はみんなビリー・ジョエルのことが好きだったし、悪く言う人は(少なくとも僕の周りには)いなかった。新曲が出るたびに、「聴いた?いい曲だよねー」と言い合ったもので、“Uptown Girl”なんて、それはもうとても人気があった。

 ビリーの新作が出ても買わなくなったのはいつ頃だったか?よく覚えてないけど、彼の古いレコードは折に触れてターン・テーブルにのせつづけた。けっして頻繁ではないけれど、それは今でもつづいている。

 ビリー・ジョエルの歌に、僕は非常に個人的なノスタルジーを感じる。友達と話したことや、そのときのクラスの雰囲気や、学校からの帰り道に見た夕焼けの美しさなどを、僕はビリーの歌を聴くと思い出す。でも、もしそれだけの意味や価値しかない音楽なら、今まで聴きつづけることはなかったと思う。

 ビリーが歌う美しいメロディや、ほどよくパンチの効いたヴォーカルや、そこそこ垢抜けたサウンドは、時代の流れを上手に乗り越えて、今も新鮮な息吹をたたえている。それはきっと、彼の卓越したソングライティングの手腕によるものなのだろうし、言葉は悪いかもしれないけど、どこか中庸的なセンスの賜物なのかもしれない。そして、それらの歌は確実に、僕に音楽を聴く楽しさを教えてくれた。

 うまく言えないのだけど、とにかくビリーは30年以上という年月に絶えうる素晴らしい曲をたくさん作り、歌ってきた。そして、個人的な想い出をこえて、自分の世代が共有してきた音楽のひとつの象徴として、僕の音楽体験の入口に彼のようなアーティストがいてくれたことを、僕は嬉しく思っている。