Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

そして僕らは田舎へ帰って行った

2006年05月31日 | diary
 昨日は六本木でお仕事絡みのライヴがあって出かけた。会場に向かって歩いてると、ヒッピー風のかっこうをした3人組が声をかけてきた。「あのぉすみません。スーパーデラックスってどっちですか?」。スーパーデラックスとはライヴ・ハウスの名前で、僕もちょうどそこに向かっていた。で、彼らは反対方向から歩いてきた。「俺もそこ行くとこですから、一緒に行きましょう」と言うと、「うっ、まじっすか?よかったー」と3人揃って大喜び。「もう俺らかなりてんぱってて。そしたらその帽子見て、この人ならわかるはずだって思ったんですよー」とのこと。このとき僕も ヒッピーがかぶるようなヘンプの帽子をかぶっていた。「俺ら藤沢から来たんですよ」と、ひとりが言った。

 MIYAI:「あ、ほんとに。俺も藤沢ですよ」
 ヒッピー風3人:「うっ、まじっすかー?」

 それだけのことに大いに盛り上がり、固い握手をかわす。

 MIYAI:「六本木、わかんないですよね」
 ヒッピー風その1:「全然ですよ。地下から出て、あとはずっと困ってました」

 あーみんなそうなんだなぁと、なんとなく安心する。藤沢ってやっぱり田舎なんだよね。ここで軽く自己紹介がはじまった。彼らは美容師さんの仲間だという。

 ヒッピー風その1:「キューです」
 ヒッピー風その2:「ヤマです」
 ヒッピー風その3:「フジです」

 いつしかこういう自己紹介に慣れてしまったけど、これっておかしいよね?普通は名字を名乗ったりするもんでしょ。まぁ、おぼえやすいとは思うんだけど。

 まぁ、いいや。キューもヤマもフジも、無事昨日のライヴを楽しんでくれたなら嬉しい。きっと、そのうち、地元のどっかの店で再会することになるだろう。藤沢だと集まるところなんて、けっこう決まってたりするから。

馬鹿につける薬はない

2006年05月30日 | diary
 とあるきっかけで、ニューヨーク・ドールズのベスト盤をひっぱり出してみたりする。かっこいいじゃん!と思ってみたりする。これ高校生のときに買ったんだよね。懐かしい。

 ヴォーカルのデヴィッド・ヨハンセンが、現役バリバリで頑張ってるのは聞いていた。友人がニューヨークでThe Whoを観たときの前座がヨハンセンで、「ロックスターって感じでさ、すごく痩せててさ、かっこよかったんだよ」と言ってたから。

 先週末、別の友人宅にて7月に発売されるドールズの新作を聴いた。もうオリジナル・メンバーはヨハンセンとシルヴェイン・シルヴェインしかいなかったけど、音はしっかりとニューヨーク・ドールズだった。ジャケットのヨハンセンは、(まぁかっこいいかどうかはともかくとして)今も痩せていて、最近腹まわりがやばい感じの僕としては「えらいなぁ」と思ったりしないでもない。

 ところで、The Whoと言えば、新作のレコーディングも99%終わったという。

 いやーきたね。もーやばいね。

 10日ほど前、僕の家で“The Who the Night”なる夜があった。これは先のニューヨークまでThe Whoを観に行った友人の発案によるもの。なんでも、今年は彼がはじめてThe Whoのレコードを買ってから20年目であり、そんな節目とも言うべき年にThe Whoが24年ぶりの新作を発表するというのだから、これはもう、やっぱり大変なことなのだ。友人曰く、「おいら、今は、これだけを楽しみに生きているといっても過言ではないぞい。とゆーことで、フーを称える会を開催しよう~」と、まぁそういうことになったわけ。で、これがどうだったかというとだね、

 いじょーにもりあがった…。

 最後には全員が燃え尽きてたかんね。また詳しい話はいつかしたいんだけど、言葉よりお酒、お酒より音楽、音楽があれば僕らいつだって幸せだもんねーとばかりに笑顔笑顔。僕以外はどいつもこいつも馬鹿ばかりで、そんな馬鹿どもに理屈とか脈絡とか節制とか規律とか、そんなものを期待するのはまったく不可能だった。でも、思いやりと音楽への愛情だけはちゃんとあったから、きっと、多分、それでいいんだと思う。

世界中で雨が降っているとしても…

2006年05月28日 | diary
 そろそろ梅雨入りなんだって。あれま…。

 昨日は音楽を聴いたり、本を読んだりして過ごした。雨が降るとたいていそうだ。ほんとは出かけたかったんだけど、雨が降るとついつい部屋でくつろいでしまう。遊びに行くよりも遊びに来てほしい。ビールとかお刺身とかギターとか打ち明け話とか楽しいものをたくさんもって、遊びに来てほしい。

 この前地元のバーで聴いてかっこいいと思ったペドラーズのレコードを、仕事のついでに立ち寄った中古レコ屋で見つけた。4,000円だったけど、これも縁だよなぁと思って買った。で、今はこれを聴いてる。クールなオルガン・コンボ。かっこいい。

 一緒にローリー・スタイバースとシャーマン・ヘイズとリッキー・リー・ジョーンズも買った。どれも人に薦められたり、お店でかかってたりしたレコード。いい音楽を教えてもらうと、僕も自分の知っているいい音楽を教える。そんなのんびりしたやり方でも、レコードやCDはしっかり増えていく。

 ずっと前に買ってずっと読んでなかった重松清の『きよしこ』を読んだ。とてもきれいな物語だった。少年だった頃にいつも感じていた心細さを思い出しながら、僕はこの本を読んだ。そうした淋しさや悲しさは、中学や高校では怒りに変わり、大人になるとまた悲しさに戻るという。確かにそんな気がする。

 仕事絡みのライヴがつづいている。今日も横浜の大桟橋でひとつフェスがある。とはいっても、たいしてやることなんてない。ビールを飲んで、ライヴを観てと、そんな感じ。

 雨もようやくあがったみたい。はやく夏になればいいのにね。

Shenandoah

2006年05月27日 | diary
 『We Shall Over Come : The Seeger Sessions』がずっと流れている。朝起きて「うぐぅー」っと伸びをしてるとき、がしがしっと歯をみがいてるとき、くたーっとお風呂にはいってるとき、パスタを茹でてるとき、食べてるとき、ビールを飲んでるとき、本を読んでるとき、友達と電話で話してるとき、こうして日記をつけてるとき。『We Shall Over Come : The Seeger Sessions』がずっと流れている。

 気安い演奏は場所を選ばない。時を選ばない。それはときとして空気のようであり、また大きな意味をもったりもする。

 ここに収められた歌は、どれもオリジナルがはっきりしない。誰が書いたのかも、最初はどのようなスタイルで歌われたのかもわからない。その歌を気に入った誰かが、自分の好きなように歌詞を加えたり削ったり、テンポをはやくしたり遅くしたり。そうして歌い継がれてきた歌ばかりだ。だから、これらの歌はどんな風にやってもいい。自分の好きなように歌えばいいし、演奏すればいい。

 僕はそんなところが気に入ってる。音楽は、ほんとはそれくらい自由なんだ…と思う。

 シド・ヴィシャスがどんなに過激なアレンジで“My Way”を歌ったところで、そこには常に相対としてフランク・シナトラの“My Way”が存在している。シドがシナトラの歌うオリジナルを聴いたことがないとは思えない。しかし、スプリングスティーンは、『We Shall Over Come : The Seeger Sessions』に収められた(おそらく)すべての曲のオリジナルを聴いたことがない。なぜなら、それらは録音されていないのだから。最初に録音されたとき、既にそれらの歌は人から人へと歌い継がれ、生まれ落ちたときとは違う形をしていた。

 これは大きな違いだと思う。どちらがいいとかそういうんじゃなく。

 中ジャケの写真が好きだ。ブックレットにはもっと好きな写真がいくつもある。そして、世代を超えて人々が共有してきた歌がここには収められている。それをブルース・スプリングスティーンが歌っている。“Old Dan Tucker”から“Jesse James”への流れが好きだ。そして“Shenandoah”は、ほんとに美しい歌だと思う。

 僕のシェナンドー 
 君に会いたい
 君は遥か遠くを流れゆく川
 僕は君を裏切らないよ
 遠くへ行こう ずっと遠くまで
 広いミズーリ河を越えて

Southern Nights

2006年05月20日 | diary
 だらだらと酒を飲んだ夜。開店から終電までずっとレコードを聴いていた。「これは好きだと思うよ」というマスターのセレクトは、初めて聴くものでもたいてい僕の好みに合っているのは、長い客商売でつちかった勘の良さなのか、単に僕が単純なのか…。まぁ、どっちでもいいか。昨日だとペドラーズというバンドが一番気に入った。モッズ系になるのかな?かなり黒っぽいヴォーカルだった。

 さて、洗濯物を干したら、遊行寺(地元の寺。天狗の爪があるらしい)の「どんとこい」という音楽祭りに行ってこよう。かなりの数のバンドが出るみたいだし、知り合いもたくさん来てると思うので、ちょっとだけ顔を出して、それからズレこんだ仕事を軽くこなして、夕方には新婚さんの家に遊びに行く予定。で、深夜には江ノ島で知り合いのバンドがライヴをやるそうなんで、まぁこちらは気がむいたらってことで。

 アラン・トゥーサンの来日が決まった。あんまり急なんでほんとびっくりした。ハリケーン「カトリーナ」のときは消息不明で心配させられただけに、こうして来日が実現するのはなんとも感慨深い。当たり前のことだけど、言うまでもないことだけど、もちろん観に行く。アランに会いに行く。できれば渋谷のタワーレコードでのインストア・イベントにも足を運びたいくらい(コステロも出るのかな?)。アラン・トゥーサンが来るなんて、これはね、ちょっとすごいことだと思う。

 そんなわけで、昨日の鎌倉の事務所では、アランの『Southern Nights』を聴きながら、CDの帯付け作業をやってたのだった。

メリーさんがいた町

2006年05月19日 | diary
 ジョージの『慈愛の輝きを』を聴く朝。ポールが日本で捕まってたとき、ジョージが電報を打ったというのをふと思い出したから。「元気だせ」と。ジョージが今もいてくれたら…と思う。

 昨日はいつ聴いても幸せになれるリンゴの『Sentimental Journey』をターン・テーブルへ。このアルバムではポールがプロデュースした“Stardust”が一番好き。あのきらきらと輝くイントロを聴いては、ポールとリンゴの友情を思ったりする。

 今日は帰ったらビートルズを聴こう。えっと、飲みに行かなければだけど。

 映画『ヨコハマ・メリー』を観に行きたいんだけど、もたもたしてるうちに、朝の9時10分からの上映だけになっていた。うー。まぁ、ちょっと足をのばせば、普通にやってる映画館もあるみたいだけど。で、まだ観てもいないくせに言うのもなんだけど、なんかすごくいい映画みたい。僕の知り合いが2人ほど観に行ってて、それはそれは激しく薦められた。

 横浜の伝説の娼婦と呼ばれるメリーさん。僕も馬車道で、生前のメリーさんをよく見かけた。メリーさんはいつも宝石屋の前のベンチに座っていた。または日傘をさして立っていた。手にはいつも皮のカバンをさげて。顔を真っ白に塗って。僕はその宝石屋の前にあった映画館と、今も上にある中古レコ屋へよく行っていた。最初に見かけたときはほんとにびっくりした。でもそのうち気にならなくなったし、いなくなってしまうとなんだか淋しかった。「メリーさん、死んじゃったらしいよ」と友達に言われたときのことは、なんとなく覚えている。そうなんだぁと、なんとなく思った。

 どれくらいの数の男が、メリーさんに童貞をささげたのだろう?そんなことを考えるのは、やっぱり失礼なことなのかな。僕は勘弁だけどね(誤解のないように)。

がんばれポール!

2006年05月18日 | diary
 先程(ロンドン時間17日)、ポールとヘザーの共同声明が出された。それによると、どうやら2人は離婚することになったらしい。「絶えずプライバシーをおびやかされていると、まともな関係をつづけていくのはとても難しい。さびしいけど、お互いを思いやる気持ちがあるうちに、それぞれの道を歩むことに決めた。僕らがこの辛い時期を乗り越えられるよう、また幼い娘のためにも、どうか静かに見守ってほしい」そんな内容だった。

 でも、ポールはこれからしばらくの間、今まで以上にいろんなことを言われるのだと思う。たくさんの人が好き勝手なことを言い出すのだと思う。ときにもっともらしい顔をして、ときに心配そうな顔をして。目に浮かぶぜ。そんな奴らは全員この世からいなくなればいいんだ。

 こんな声明を出したところで、本当の気持ちなんて、とても言葉で説明しきれるものじゃないだろう。ポールが自身の公式サイトに寄せたコメントは、もっと正直で、つらく悲しいものだった。やり場のない怒りを必死になって押さえているのが伝わってくる。なぜだ?あんなに世界を幸せにしてくれた人が、どうしてこんな思いをしなければならないのだろう?
 
 善人も悪人も偽善者もいらない。どうでもいいから、とにかくポールには幸せであってほしい。ただそれだけだし、そのためにできることがあるなら、どうか教えてほしい。なにもないのなら、せめてくだらない報道には耳をかさないで、そんな暇があったらポールのレコードを聴いていようと思う。

 がんばれポール!元気だせ!ずっと応援してるよ。


<ポールとヘザーの共同声明>
Having tried exceptionally hard to make our relationship work given the daily pressures surrounding us, it is with sadness that we have decided to go our separate ways. Our parting is amicable and both of us still care about each other very much but have found it increasingly difficult to maintain a normal relationship with constant intrusion into our private lives, and we have actively tried to protect the privacy of our child.

Separation for any couple is difficult enough, but to have to go through this so publicly, especially with a small daughter is immensely stressful.

We hope, for the sake of our baby daughter that we will be given some space and time to get through this difficult period.


<公式サイトに寄せたポールのコメント>
By now you will have probably heard the unfortunate news that Heather and I are going our separate ways. We have issued a statement expressing our sadness at this turn of events but I would like to let people know my feelings about some of the stories which have appeared in the media over the past few days.

I'm really disappointed that during a very difficult and emotional time for both Heather and myself there are certain people in the media who are writing things about Heather that are just plain untrue. It's been suggested that she married me for the money and there is not an ounce of truth in this. She is a very generous person who spends most of her time trying to help others in greater need than herself. All the work she does is unpaid so these stories are ridiculous and completely unfounded. I'm very sad to see that some insensitive people would choose a moment like this to spread these vicious rumours.

Love Is Strange

2006年05月17日 | diary
 すっきりした気分の朝。睡眠は大事だと思った。

 テーブルになにが乗ってるかシリーズ。リンダ・マッカートニー写真集『シックスティーズ』。といっても、リンダが写ってるわけではなく、彼女が撮った写真を集めたもの(当たり前か)。今では伝説となったミュージシャン達を、リンダはたくさん撮っている。ブライアン、オーティス、ジム、ジャニス、ジミ…。ティム・バックリーの写真は特にお気に入り。彼女が撮ったミュージシャンの写真はとてもいいと思う。どの写真からも、彼らがリンダに心を許しているのが伝わってくる。昨夜はこれを眺めながら、ジョンとポールのレコードを聴いた。

 ジョンは『Walls and Bridges』を、ポールは『McCartney』を聴いた。ベッドに入ってからは、ポールの自伝的伝記『Many Years from Now』のジョンの章を読んだ。で、今朝は『Wild Life』を聴いている。“Love Is Strange”が大好きで、いつも楽しみにしてたりする。

 ウイングスの歴代メンバーを振り返ってみると、どの時代もコーラスができる人を必ずラインナップに揃えていたと思う。相手の声が自分の声とうまくブレンドするかどうかは、ポールが音楽を作っていく上でとても大切な要素だったのだろう。でも、リンダだけはそうじゃなかった。ポールの声とぴったり寄り添うには、彼女の声はいささか特徴的過ぎた。

 そこでポールはリンダをしごくことになる。それは『Ram』~『Wild Life』~『Red Rose Speedway』と聴いていけばよくわかると思う。その結果、リンダのコーラスは、ウイングス・サウンドを大きく担っていく。きっと相手がリンダじゃなかったら、ポールはここまでやらなかったと思うし、リンダも相手がポールだったから、ここまで頑張れたんだと思う。そこには音楽への深い愛情があり、それ以外の愛情もやはり存在していたのだと思う。

 音楽は正直だ。心を開いて耳を傾ければ、いろんなことが見えてくる(そんな気がする)。たいていは、真実がそのままの形で残されているから。

 “Love Is Strange”の楽しげな雰囲気が好きだ。リラックスしてて、思いやりがあって。そして最後には、やっぱり、ポールは叫ぶのだ。おーいぇー。

ダンガリーシャツの男

2006年05月16日 | diary
 今朝ガイ・クラークを聴いたのは、ガイ・クラークがターン・テーブルにのっていたからで、それはガイ・クラークのことが一番好きだという同僚が、昨夜電車がなくなった僕を家まで送ってくれて、そのお礼にガイ・クラークの『Old No.1』をかけて、それがそのままになっていたからである。

 ガイ・クラークの『Old No.1』。知ってる人は知ってるくらいの名盤であり、同僚が墓場まで持っていくと心に決めているレコードでもある。

 ブルース・スプリングスティーンを一番好きだという人に会うチャンスも、普通に生活してるとそうないけど、これがガイ・クラークとなるとその可能性はさらにさらに圧倒的に低くなる・・・と思う。というか、まず一生会うことはないような気さえする。

 同僚がなぜガイ・クラークをそこまでに好きになったのかはよくわからないけど、おそらくはっきりした理由なんてないのだと思う。それは、僕がビートルズやスプリングスティーンを好きなのと同じように、ただ好きなのだと思う。

 彼は『Old No.1』のジャケをまじまじと見つめて、「俺、このジャケの影響でダンガリーシャツを何着も買いました」と言った。確かにジャケの中で、ガイ・クラークは、ブルーのダンガリーシャツをかっこよく着ている。

 僕もハンブルグ時代のビートルズに憧れて皮ジャンを買ったし、『四重人格』のブックレットの主人公を真似てモッズ・パーカーを買った。

 誰のファンになったところで、やってることは案外同じなんだなぁと思った。

夢のまた夢

2006年05月15日 | diary
 兄貴が家を買ったということで、遊びに行ってきた。新築だから当たり前だけど、とてもきれいな家だった。小さいながら庭があるのがいい。

 みんなで昼食をとっているとき、友達から携帯にメールが入ったので、「今、兄貴ん家。新築だよ。すごくね?」と言うと、「ご立派ねー。生き方学んできなさい」と返される。「大きなお世話だ」と戻すと、今度は「ごめんごめん。新築なんて夢のまた夢だもんねー」と返ってきた。うるさい。まぁ、その通りなんだけど。

 今年98歳になるばぁさまにも久しぶりに会えて嬉しかった。今でも友達とカラオケに行ったり、旅行に出かけたりしているという。「どこ行っても、あたしが一番歳上なのよ(そらそうだ)」と言って、ばぁさまはうしゃしゃと笑った。相変わらずの元気さんにほとほと頭が下がる。

 家が広くなったからかなんなのか、子供達が走り回る騒ぎまくる。子供の成長ははやく、年々パワーアップしていくから、今ではとても相手しきれない。なついてくれるのは嬉しいのだが、かなり疲れる。最後は逃げるようにして帰ってきた。

 夜はパスタを茹でて、ビールと一緒に遅い夕食。ひとりの生活はさびしいけど、静かでほっとする。テーブルの上には『Born to Run』30周年デラックス・エディション。ターン・テーブルには『With The Beatles』。これぞ我が家。落ち着く。

 その夜、ある友達と共同で土地を買う夢を見た。将来お互いが家族をもったとき、それぞれが家を建てても大丈夫なくらいの、湖のそばの広い土地を、僕らは買った。季節は夏で、彼女は明るい色の水着を着ていた。

 やっぱり夢のまた夢…なのである。