Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

上半期総括

2003年06月30日 | old diary
 1年の半分が過ぎ、まだ半分とつぶやくか、もう半分!と驚くか…。思えば恥ずかしきことの数々。今はただただ反省の日々であります。

 でも、いいこともあった。ストーンズの来日公演。チケット争奪でちょっと入れ込み過ぎたきらいもあるが、しっかり4公演に足を運んだ。横浜アリーナでの感動は、今も揺るぎないものとして胸に残っている。昨年にひきつづきポールとスプリングスティーンが元気にツアーをしてくれたのも嬉しい。
 他にも…、あれ?ん?おっ?あんまりパッとしたことってなかったなぁ。このサイトを立ち上げて、こうしてこんな駄文を書いているのも、まぁ、よかったことでしょうか。

 あとはいつも通り。仕事をしっかりこなし、毎月のフットサル練習、海を眺め、自炊をし、よく眠り、酒を飲み、音楽を聴く。たまに映画を観たり、ライヴに行ったり、BBQしたり。けっして贅沢できる身分じゃないけれど、こうして健康にやってこれたのは、ありがたいことだと思っている。

 ただ、いくぶん刺激が足りないので、下半期はフットワークを軽くし、いろんな人と会う機会を作りたい。

 それではあと半分、頑張っていきまっしょい!

Badlandsを生きる

2003年06月29日 | old diary
 スプリングスティーン欧州スタジアム・ツアーが閉幕!これより舞台を本国アメリカへ。リスタートは地元ニュージャージー、巨大なジャイアンツ・スタジアム怒濤の10daysである(まずは7daysなんだけど)。まさに世界中のボス・ファンが集結する夏の一大イベントとなることだろう。ぐぅぅううう!行、行、行、行きたい……。

 The Rising Tourは、スプリングスティーンの長いキャリアでも特別な意味をもつであろう素晴らしい内容だ。だから行ける人は是非とも行って、体験してきてほしい。magic in the nightがあなたを待ってます。

 ところで、昨日はちょっとすごい話をきいた。仕事である金持ちの家に伺ったときのこと。某私立校に通う小4の女の子がいるのだけど、なんとまぁ、毎朝5時50分に家を出ているという。小4だぞ!僕がびっくりしていると、こんなのは序の口の序で、つづいて聞いた話は想像もつかない内容だった。

 まず、この学校に入学したければ、試験にパスするだけでは駄目。母親が働いていないこともその条件に含まれる。仕事なんかしてる人は子供の勉強をしっかりみてあげられないからだそうな。実際、せっかく入学したのに母親が外国人で漢字を普通に書けないからと、転校させられた子もいるとか。
 毎週のテストは母親が採点をして提出。それを先生がチェックする。間違えたら親もわかってないということになるから、親子揃って必死になるという仕組み。親子日記というものもあって、これは毎日提出。各学期ごとに3者面談が2~3回行われ、他にも食事会、立食パーティ、父親と先生による飲み会…。こうしたことで学校側は各家庭での学習状況をチェック。表向き成績表はないことになっているが、裏では存在し、児童が授業についていけてないと判断されると、呼び出し&転校。

 実はこの子の母親は重い病気をしていて、今は親戚の家から通っているのだけど、このことを学校中の人が知っているというのには、心底ぞっとした。なんでもプロテスタントの学校だからと、礼拝のときに「○×ちゃんのお母さんのためにみんなで祈りましょう」とかいつもやるらしい。それも毎週欠かさずだ。最悪である。当然のことながら、このせいで虐めにもあったりする。特別扱いされている、贔屓されていると。

 みんな狂ってるぜ。学校も家も。そして子供は変に大人びて育つ。でもこの子は犠牲者だと思う。さらって逃げてやりたかったよ。

You Better You Bet

2003年06月28日 | old diary
 昨朝の宣言通り、昨日はThe Whoにあけくれた1日だった。なんだか聴いてたら止まらなくなっちまって。無駄にぐったりしてます。

 キース・ムーン没後の『Face Dances』&『It's Hard』。これとピートのソロ『Empty Glass』&『Chinese Eyes』。どっちが好きか言えば、僕は後者。ズバリ理由は曲のクオリティ。ケニー・ジョーンズが「おい、ソロ用の曲はずいぶんいいみたいだな」とピートに言ったとか。まぁ、気持ちわからんでもない。それだけピートのソロ2作は充実している。
 でも、僕は『Face Dances』って好きなんだよな(『It's Hard』はつらいです。今んとこ)。キース亡き後のThe Whoをなんとか前進させようとしているメンバー4人の意志が感じられるし、これは好き嫌いがわかれるとこかもしれないけど、タイトな演奏も悪くないと思う。ジャケットも最高にかっこいい。そしてなんと言っても You Better You Betが収録されている。

 イントロから気持ちがグングン上昇していく。扉が開かれ光が差し込んでくる。どこまでも昇りつめていく。力強いコーラスに鼓舞され、ロジャーの声に魂が宿るのがわかる。それはどこか祈りにも似て、僕の心を揺さぶる。大袈裟に言ってるんじゃないぜ。The Whoのリスタートにこれ以上相応しい曲なんてない。
 この曲がピート・ソロに持ってかれなくて本当によかった。これはやっぱりThe Whoじゃないといけない。絶対いけない。

サンダーフィンガーを偲ぶ

2003年06月27日 | old diary
 今日僕はThe Whoを聴く。というか、The Whoしか聴かない。昨日は『The Kids Are Alright』を観たから、今日はロイヤル・アルバート・ホールかワイト島でのライヴを観るとしよう。そして、サンダーフィンガーがいなかった最初の1年間を振り返ろうと思う。

 ビートルズやレッド・ツェッペリンがそうであったように、The Whoもまた奇跡的なメンバーが揃ったバンドだった。まったく替えがきかない。ピート、ロジャー、ジョン、キースの4人でなければThe Whoではなくなってしまう。そんな風に断言できるバンドは稀だ。そして、そんなバンドがメンバー2人を失った今も前進をつづけている事実を、これまた奇跡的なことだと僕は思っている。

 ジョン・エントウィッスルは、ベースを弾きながら、同時にバンドのもうひとりのギタリストの役割も担っていた。The Whoの演奏がその他多くの3ピース・バンドみたく単調にならないのはそのせいだろう。テクニシャンなら世にたくさんいるが、ピート・タウンゼントとキース・ムーンの最強タッグと互角に渡り合えるベーシストとなると、これはもうエントウィッスル以外ちょっと思いつかない。それどころか、どうも彼の場合、バンドの中で一番「自由」に演奏していたようにさえ思う。まったくおそろしいというか頼もしいというか…。

 一番の想い出は、リンゴと一緒に来日したときのこと。Boris the SpiderとMy Wifeを歌ってくれた。僕にとっては、今のところ最初で最後の生The Who体験である。

 訃報を耳にしたときのことを思い出す。すごく驚いたし、しばらく茫然とした。その後の電話やメールのやりとり、ネットへの書き込み、えとせとら、えとせとら…。いろんなことを考えながら、その日はずっとThe Whoのレコードを聴いていた。まだジョージの死の記憶が生々しく残っていた頃だった。
 あれから1年がたってみて僕は改めて、はっきりと思う。ミュージシャンに死はないのだと。

 ところで、HMVが選んだ100人。よく見るとThe Whoのメンバーも入ってないんだよな。う~ん???

アメリカン・ロック

2003年06月26日 | old diary
 うー、飲んだ。ふぅ~。

 昨日は世田谷の先輩宅にて酒を飲みつつ、アメリカ音楽を中心にレコードをいろいろと聴いた。この人は僕の軽く10倍はアナログ盤を持っていて、部屋には見たことも聴いたこともないレコードがわんさと置いてある。いつ行っても新鮮な発見があるから楽しくて、ついついこっちも飲み過ぎてしまうわけ…。危険だ。で、ぐったり気分で家に帰る頃には、何を聴いたかさっぱり忘れていると。えっと、確かTボーン・バーネットのソロ・アルバムとか聴いたな。これはかっこよかったです。他にもなんかの自主製作もの。これもよかった。アメリカ音楽は奥深い。

 HMVが選定した「100人の偉大なアーチスト」。ジョンが見事1位。ポールが8位。う~ん、この差にはいつも悩まされるな。でもジョージが46位にランクインしたからいいか。しかし、なんでスプリングスティーンが100人の中に選ばれていない?いや別にベスト10に入れろとは僕も言わない。20位とか30位とか、その辺でいいのだ。いや、もうこの際、50位くらいでもいいや。仲間入りさせろ!と言いたい。
 見たところ70年代以降のアメリカン・ロックはほとんど無視されている。イーグルスの面々やジャクソン・ブラウンとかもいない。まったくいつになったら日本でのブリティッシュびいきは終わるのか…。

 「キース・リチャーズが入っていて、なんでミック・ジャガーがいない?」、「デュラン・デュランのランクインはなぜだ?」と昨日は先輩と2人、文句をつけつつつ、酒にまみれつつ、長い夜は更けていったのだった。

Here Comes the SunとHello Goodbye

2003年06月25日 | old diary
 Here Comes the SunとHello Goodbyeが特別に好きだったことがある。Let It Be聴きたさに買ってもらった青盤を繰り返し聴いていた頃だ。最初はとにかく曲が多すぎて、どれがどれだかよくわからなかったんだけど。

 Here Comes the Sunはある日曜日の朝に聴いた。かつて僕はボーイスカウトなんてものに入っていたことがあって、このせいでせっかくの日曜日も早起きを強いられていた。いつものようにベッドからはい出し、ラジカセのスイッチを入れるとちょうどこの曲が流れてきた。それは完璧なシチュエイションだった。その日はとてもいい天気で、窓から陽が差し込み、実家の目の前の小学校からはなぜか野球の早朝練習の声が聞こえていた。「ん?野球の早朝練習??」。その瞬間、僕はこの日ボーイスカウトが休みであることを思い出した。「うぉっし!今日はあのかっこ悪い半ズボンをはかないで済むぜ!」。もう気分は最高。幸せってこういうことを言うんだろうなぁ、と思った。そしてこれまでで一番美しいHere Comes the Sunを聴きながら、いつかこの曲をジョージみたいにギターで弾けるようになりたいと思った。

 Hello Goodbyeは人気ナンバーだった。ラジオをレイディオと発音すると知って「ほぇ~」と思っていた中学1年生にも歌えてしまうサビがよかった。友達もみんなこの曲が好きで、学校でよく一緒に歌ったりしていた。ある日、ビートルズがいかに偉大かを僕がせつせつと説いていたとき(誰もまともに聞いちゃいなかったんだけど)、隣のクラスの女の子が「Hello Goodbyeはいい曲だよねー」と言ってくれた。「なんていい奴なんだろう」と、ちょっとその子のことを好きになりかけた(ならなかったけど)。まぁ、ほんのり甘酸っぱいお話ということで…。

足るを知る

2003年06月24日 | old diary
 今日は1日中雨とのこと。今日の仕事場は割と遠目ということもあり、空を見上げながら軽く溜息なんてついてしまったけど、まぁ、梅雨ですからね。雨は雨でいいかな、とも思う。

 まだ何かがあるんじゃないか?もっといいものがあるんじゃないか?という気持ちを持ちつづけるのは大事なことだと、かつて言われたことがある。そうした気持ちが向上心をうみ、成長を促すのだと。まぁ、言わんとすることはわかる気がする。しかし、それでは切りがなくなってしまうようにも思う。
 問題なのは自分にとってなにが大切なのか?であって、急いで先に進むことではない。自分がこれで十分だと思える範囲なり質量なりを、しっかり知ることはとても大事なことだと思う。どんなことでも身につけるには時間がかかる。それができないままに先に進むのは、周囲に流され翻弄されていることと案外似ていたりもする。

 ジョージ・ハリスンがよく言う「自分が何者で、どこから来て、どこへ向かっているのか」を知ることと、「足るを知る」という言葉は密接につながっていると感じている。

6月11日

2003年06月23日 | old diary
 6月11日生まれの友人がいる。「ポールとちょうど1週間違いなんだ」と彼は言うが、つながりとしてはちょっと弱いかな、と思っていた。ところが、昨年の彼の誕生日にポールが再婚。「結婚記念日と一緒なんだよ」と彼は言う。確かにこれでおめでたい感じはするようになった。

 昨日はそいつの家で「そいつとポールの誕生祝い&ポール結婚1周年記念」というのをまとめてやった。まぁ、単に酒を飲むってことですが。

 まず『Red Rose Speedway』をかけて乾杯。「おいおい、これは大変な名盤だぜ」と2人してほめちぎる。それから映画『Let It Be』を鑑賞。「やっぱり4人一緒の映像は特別だねぇ」と感無量に口を揃える。ひとまずビートルズはこれで終了し、ZEPのDVDへ。日記ではけっこう辛口なことを書いた僕だが、かっこいいことはかっこいいのだ。そして19年前の6月に発売されたスプリングスティーンの『Born in the U.S.A.』をお祝い気分で聴いた。この辺から酒による覚醒が本格化。あとはもう無秩序に夜が更けていったのだった。

 彼とは高校1年からのつきあい。出席番号順で僕の後ろに座っていた。僕らはよくつるんで遊び、揃って浪人し、数年で会社を辞め、アメリカまでポールを観に行った。とまぁ、似たような人生を歩んでいる気がしないでもない。

 そんな友人に、キース・リチャーズのソロ『Talk Is Cheap』と、トム・ウェイツのファースト『Closing Time』をあげた。30代も半ばにさしかかった友へのプレゼントとしては、いいチョイスかと思っている。

おばぁ

2003年06月22日 | old diary
 夏至である。こんなに日に晴れちゃうと、明るい時間がとにかく長い。海ではサーフィン大会、ビーチ・バレー大会が開催され、ドゥービーズのWhat a Fool Believes とストーンズの19th Nervous Breakdownが青空の下で鳴っていた。そこにウォーキンング・クラブのおじちゃんおばちゃんまでが合流し、大変な賑わいでありました。浜はまだ夏のような熱砂ではなく、ホット・カーペットのように温かい。裸足で歩くのにちょうどいい。

 昨日はフットサルの練習後、近くの焼肉屋へ。大正12年生まれのおばぁがやっているお店。いや、店というよりは、おばぁの家にあがり込んだような気分。近くに場があるとかで、肉はすこぶる旨い。キムチも最高に旨い。サービスで肉やらなにやらいろいろ出してくれるし、伝票は自己申告ときている。おばぁは上機嫌で、煙草を吸い、焼酎をストレートで飲み、歌まで歌ってくれた。♪好きさ好きさと言うたとてぇ~、「妻」という字にゃかなわない~♪そんな感じのしみじみいい歌だった。

 それにしても、昨日は暑かった…。もうフットサルの季節じゃないな。川で泳ぎたいぜ。

フットサル

2003年06月21日 | old diary
 現在フランスで開催されているコンフェデレーションズ杯。今朝も日本代表とフランス代表の試合を観た。結果は負けだったけど、なかなか楽しめる試合だったと思う。日本代表も頑張って、はやく流れの中で点を取れるようになってほしい。

 で、今日は僕らも品川で月1回のフットサルの練習。

 僕がサッカーを始めたのは24歳のとき。サッカーは経験者がたくさんいるスポーツだから、今さらどこかのチームに入ってもレギュラーにはなれないと思い、自分でチームを作ることにした。まだ学生で暇にしてる後輩たちや元気な先輩・同輩を集めて、さっそく練習を開始。このチーム(というほどのものではなかったけど)、中にひとり抜群にうまいのがいたこともあって試合をすれば連戦連勝だった。ところが、僕の入院をきっかけに自然消滅。

 何年かして、当時よく一緒に練習していた先輩から声がかかった。ただ、当時の仲間もこの頃にはみんな仕事についており、かつてのようにはつきあってくれない。結果、必然的に縮小化されてフットサル・チームに。いつも集まるのは5~6人。僕は極力参加するようにしている。
 で、つくづく思うのは、自分らがとてもヘタだということ。練習の最後にはみんなでリフティングをするんだけど、これが笑っちゃうほど続かない。う~ん、そうかぁ、かつての勝利はあいつ(=抜群にうまい後輩)がいたからだったんだなぁと、まぁわかってはいたんですけど、改めて感じている。

 でも、試合出たいなぁ。点取りたいなぁ。勝って祝杯をあげたいなぁ。サッカーの試合を観た後は、いつもそんな風に思ってしまう。