Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

シム・レッドモンド・バンド

2005年05月31日 | old diary
 仕事のからみで連日のライヴ(というかCD売り)。そろそろ疲れてきてて、「あーまだ火曜日かよぉ」となんとなく思ってみたりも。でも、昨日のライヴはそんな疲れを忘れさせてくれるような、優しい空気に満ちたものだった。このバンドがとりたててすごい音楽をやっているとは思わないのだけど、演奏を通して彼らの飾らない人柄や日常はしっかりと伝わってくる。そのことが僕を安心させる。きれいなメロディにのせて、美しいハーモニーが聞こえてくると、素直に「いい曲だな」と思える。

 ミュージシャンとリスナーの目線が同じ高さにあること。僕らは見上げることなく、流れてくる音に身をゆだねることができる。彼らの音楽は、店の片隅や、自宅の居間や、浜辺や芝生の上に座りこんで聴くのがもっともふさわしい。この感覚は、僕がウッドストック系のなごんだ音を好んで聴くのと、深い部分でつながっていると思う。

 昨日僕が感じた気安さは、日常の中にありそうで、実はなかなか見つけられないものだ。でも、僕らはそれを心のどこかで求めている。だから、彼らのCDは売れるし、ライヴにも人が集まってくるのだろう。

 ライヴが終わると、たくさんの人がCDを買って帰る。一番新しいのはどれですか?お薦めはありますか?などなど。音楽がしっかりと心に届いたんだなぁと思える瞬間だ。こうした瞬間を積み重ねることで、音楽は広がっていく。それは時代がどんなにすすんでも変わらないと思う。

ロジャーが歌った“Born to Run”

2005年05月30日 | old diary
 念願かなってと言いますか…。ロジャー・ダルトリーの歌う“Born to Run”を友人のはからいで聴くことができた。歌い出しをとちってもう一度最初から。歓声が聞こえてきたので、これがスタジオ・ヴァージョンではなくライヴ・ヴァージョンであることを知った(2003年12月5日、カリフォルニアでの演奏)。「そりゃそうだよな」となんとなく思った。かなりオリジナルに忠実なカヴァーで、展開もまったく同じ。サックス・ソロだってちゃんと入るし、ロジャーも「ウォー!」と叫んでみたりする。

 夢と希望がいっぱいに詰まったスプリングスティーンのオリジナルには遠く及ばないまでも、それなりに好感のもてるカヴァーだと思う。3回ほど繰り返して聴いた。曲そのものがいいというのはあるけれど、聴いてて楽しい演奏になったのは、やはりロジャーのヴォーカリストとしての力量によるところが大きい。このまっすぐな感じこそ、The Whoの音楽性に多大なる貢献をしてきた、ロジャーの個性だと思う。この人の声には、どこか突き抜けたところがある。迷いなく前へとすすんでいく。そこが素晴らしい。

 “Born to Run”をカヴァーするのって、けっこう勇気いると思うんだけどね。普通は気後れするでしょ。でも、きっとロジャーはそんなこと考えなかったんだろうな。もちろん自信もあったんだろうけど、そもそもそういうことを鼻から考える人じゃないんだと思う。思いつきもしないというか…。そこがロジャー・ダルトリーの一番えらいところだと僕は思っている。

 昨日は休日出勤。昼は渋谷でインストアがあり、夜は横浜のライヴ会場でCD売り。バンドのギタリストと、ものすごーくカタコトの英語で話をしているとき、彼の誕生日がスプリングスティーンと同じだと判明。「まじっ?えーいいなぁー」と羨ましがっていたら、「そんなことどうでもいいんじゃないの」と周囲の方々に言われた。確かに…。ちなみに、この日のライヴで“Born to Run”は演奏されませんでした(当たり前だ)。

Everytime You Go Away

2005年05月29日 | old diary
 “Everytime You Go Away”を初めて聴いたのは、ポール・ヤングのカヴァーで、高校1年のときだった。あまり好きじゃなかった。でも、この曲のオリジナルがホール&オーツだと知って少し興味をもった(ホール&オーツはあの頃も今も好きだったりする)。AMラジオで彼らのインタビューがあったとき、この曲のオリジナル・ヴァージョンがかかった。サビをほんのちょっとだけだったけど、それでも感情のほとばしりを感じた。それまで僕が聴いてきた彼らのヒット曲とはちょっと違うような、よくわからない凄みがあった。「悲しい別れの歌だ」とダリル・ホールが言った。なんでも、彼自身のことを題材にしたのだという。

 それからほどなくして、僕は『Live at the Apolo』を聴いた。いや、映像で観たんだっけな?「こっちがオリジナル・ヴァージョンだぜ」。そう言ってダリルは歌いはじめた。これがとても感動的だった。歌の中に気持ちが込められていく様がつぶさにわかるのような演奏だった。彼らの他のヒット曲よりもずっと赤裸々で、やはりよくわからない凄みがあった。

 歌詞に目をやると、歌われている内容は、高校生の僕にはひどく大人びたものだった。

  ベイビー、問題をなにひとつ解決できないのに
  僕らがこれだけたくさんの涙をながすのに、どんな意味があるのだろう?

 この歌い出しに胸をつかれた。切実ななにかを感じたのだと思う。まぁ、ほんとはなにもわかっちゃいなかったんだろうけどね。そして、歌はどんどんとヴォルテージを上げていく。

  本命の男が現れると君は出て行ってしまう
  いつもその繰り返し
  2人の間がうまくいっていることに君は気づいていないのかな?
  君はどこかへ行ってしまうとき
  いつも僕のかけらも一緒にもっていってしまう

 それから僕も大人になって、この曲は本物のソウル・バラードなんだと思うようになった。もし秘密があるとすればそれなんだと。名曲と呼ばれるたくさんのソウル・バラードと同じ匂いがこの歌にはある。それはやはり、彼らの他のヒット曲にはないもののように、僕には思える。

レノンが流れる休日

2005年05月28日 | old diary
 休日。ひさしぶりの休日。

 さて、なにをしようか?僕はなにをしたいのだろう?ベッドの上でごろごろしつつ考えていたら、このまま寝ていたいという気持ちが強くなってきて、すーすーと寝息をたてる真似などをしたりする。そしたら、ほんとに寝こけてしまい、目がさめたときには午後の2時を過ぎていた。

 あーよく寝た。ぼけぼけ状態で起き上がり、CDプレーヤーのスイッチを入れたら、“(Just like) Starting Over”が流れてきた。そういや、昨日寝る前にかけたんだっけ。奥田英朗の『東京物語』を買ったら、その中に1980年12月9日を舞台にした短編があって、それできっと聴きたくなったのだ。

 風呂につかりつつ、ジョンの歌を聴く(ちなみに、このCDRにヨーコの歌は入っていない)。こんな希望に満ちた声で歌っていたジョンは、この後間もなくこの世を去った。もう25年も前のことだけど、とてもそんな時間がたったとは思えないくらい、ジョンの声は今も希望に満ちている。

 僕が発売日を指折り数えて買ったジョンのアルバムは『Milk & Honey』が最初だった。ジョンの歌だけをテープにいれて、それをよく聴いた。ほんとによく聴いた。“I'm Stepping Out”とか”Nobody Told Me”とか、今でも大好きだったりする。でも、『Milk & Honey』はジョンが亡くなってから出た作品だから、複雑な気持ちは当時からあった。それは今でもあるかな。もちろんジョンの新曲を聴けたのは嬉しかったし、実際、すごく好きなアルバムなんだけど。

 現在、午後の4時25分。朝からなにも食べてないから、いい加減腹がへってきた。さて、なんか作るかな。簡単なものをてきとうに作って、今夜は遅くまでジョン・レノンを聴いていよう。

想像すること

2005年05月27日 | old diary
 忙しいのは嫌いじゃないけど、やることが目の前に山積みされ、それをせっせとこなすことに集中していると、想像力は確実に低下していく。今月はなにかとばたばたしていて、日々の仕事に追われながら、大事な忘れ物をしているような感覚がずーっとあって、これはいったいなんだろう?と昨日あれこれ考えてみたら、それはきっと想像力ではないかなぁと。そんな気がした。

 でも、想像力ほど大切なものって、そうそうないと僕は思っている。だから、僕ものんきに忘れ物してる場合ではないのだ。

 前はとにかく時間だけはあったから、それはそれはくだらないことばかり考えていた。あれが生産的な毎日だったは思わないけど、少なくとも今月の僕よりは想像的だったような。まぁ、どんな生活にもいい面はあるということで。

 想像力の一番いいところは、うまく使えば10の楽しみが100くらいになるし、人に優しくなれること。想像力をお金に替えられる人は少ないけど、心を豊かにすることは誰にでもできる。

 例えばポールやビーチ・ボーイズを聴くと、こうしたことの大切さを思い出せる。「あー音楽好きでよかったぁ」と、そのたんびに思うのです。

 ちなみに、僕にはいつもくだらないことばかり考えてる友達が何人かいるのだけど、その中のトップランナーともいえる奴が自転車のブログを始めた。専門用語が多いのでわからないこともあるだろうけど、すごく面白いのでよかったら読んでみてくださいまし。こちら

Lonely Just Like Me

2005年05月26日 | old diary
 故アーサー・アレキサンダーの、えっと、これは遺作になるのかな?『Lonely Just Like Me』という1993年発表のアルバムを聴く静かな夜。

 アレキサンダーというと、ビートルズやストーンズも好んでカヴァーしたR&Bシンガーという印象をもってる人も多いでしょう。“Anna”とか“You Better Move on”などを作った人だし。こうなるとなんだか、ジョンやポールの少年時代に人気があった歌手って感じだけど(実際そうなんだけど)、でも、そんなあなたもこのアルバムを聴けば、必ずや考えを改めることだろう。そして、思うはずだ。

 アーサー・アレキサンダーのピークは1993年だったと。

 収録された12曲すべてがアレキサンダーのオリジナル(あるいは共作)なんだけど、いやいや、これがもうすんばらしいのなんのって。これらの曲に比べたら“Anna”や“You Better Move on”なんて…(鼻笑)。バックも、ドニー・フリッツ、ダン・ペン、スプーナー・オールダムなどなど、僕の大好きなミュージシャンばかり。つまり、いい曲がいい演奏で聴けるわけで、悪いわけがないのである。

 このアルバムの良さは、妙に力が抜けている点かな。歌も演奏ものびのびしている。ベテランのアルバムにありがちな「深みの押しつけ」もまったくなし。「あーきっとこの人はどんなに悲しくてもそっと悲しむ人だったんだろうな」なんて思ってみたり。すると、勝手にしみじみしてきちゃって、「はぁ…。俺、このアルバムはずーっと聴いていこう」なんてことを心に誓ったりするのだ。

 ジャケットの中でにーっと笑っているアレキサンダー。この笑顔がまたいいんだ。割と僕は、笑顔に淋しさがある人が好きだったりする。

Man in the Long Black Coat

2005年05月25日 | old diary
 5月24日、時差を考えると昨日から今日にかけてがボブ・ディランの誕生日。64歳になりました。あまりに偉大で感動的な人生を今もつづけている。どうもありがとう、ボブ。

 というわけで、昨日から今日にかけて、僕はボブ・ディランの歌をまとめて聴いている。正規盤からライヴ・ブートまで、あれこれひっぱりだして。僕は本当にディランが好きだ。

 1989年、ストーンズとポールとディランがニュー・アルバムを出した。『Steel Wheels』と『Flowers in the Dirt』と『Oh Mercy』。偶然か必然か、80年代に逆風を受けていた彼らが、久しぶりに活力に満ちた作品を発表したと言われた。ただ、売上げも話題性もこの順番だったと記憶している。ストーンズ、ポール、最後がディラン。ストーンズとポールは新作以上にツアーが話題になった。なにより待望の来日公演まで実現したのだから、日本での話題性という点でディランに勝ち目はなかった。

 しかし、作品のクォリティを語るとき、この順番は逆転する。

 『Steel Wheels』は、今の耳で聴くと僕にはあまり面白い作品じゃない。“Rock and a Hard Place”なんてちょっとハイパー過ぎる感じがするし、他の曲もそんなにいいとは思わない。『Flowers in the Dirt』は素晴らしい作品で、音の質感でいったらこれがトップだと思うのだけど、ポールの調子がまだ完全じゃないというか、まとまり方が中途半端というか…。まぁ、それもまたポールの魅力なんだけどさ…(歯切れわりぃ)。

 で、『Oh Mercy』である。いやもう、なんでしょうね、この充実ぶりは。曲はどれも素晴らしいし、ときに深く切り込んでいくような、ときに優しい痺れに包まれるような歌詞の美しさ。高く評価されているダニエル・ラノワのプロデュースは、実を言うとあまり好きではないのだけど、ディランの光り輝く才能の前ではそんなのささいなことだ。もしラノワのプロデュースが好きな人だったら…、うーんと、欠点なんてありますか?

 “Man in the Long Black Coat”の冒頭は、まるで切り取られた古いフィルムのようだ。

 コオロギの泣く声が聞こえ、潮は満ちている
 柔らかな木綿のドレスが物干し網に揺れている
 窓は大きく開きアフリカの木々が見える
 ハリケーンの風を受けて大きくしなっている
 さよならのひとことも、メモもなかった
 長くて黒いコートを着た男と、彼女は出ていった。

 ここからすべてが始まる。あらゆるストーリーが生まれ落ちるのを待っている。これはそういう歌い出しだと思う。

ちょっとサーフな夜のこと

2005年05月24日 | old diary
 昨日はフランツ・カハレという人のライヴを観てきた。まぁ、ライヴというかパーティーというかイベントというか…。サーファー系の集まりで、みんな南国風なかっこうをしている。このままこうした人達が増えていったら、日本もいつしか亜熱帯の国になってしまうのではないか?とありもしないことをああいう場にいると思ったりする。攻撃的な雰囲気はまったくなくて、フレンドリーなのはいいんだけど、かなり身内的なパーティだったから、僕らは末席で静かにビールを飲むことにした。

 サーファーにとってハワイはやはりひとつのキーワードになるのかな?みんなマイクを持つと最初に必ず「アローハー」と大きな声で言う。あと、親指と小指をたてたりする(どういう意味があるんだろ?)。フランツさんもハワイ出身。黒人の大男なんだけど、話してみると気さくないい人だった。とにかくずーっとビールとテキーラを飲んでいて、ステージの上でもそれは変わりなし。

 こうしたパーティーの特性なのか、フランツも集まった人たちもみんな対等で、聴いてる人もいれば、まったく聴いてない人も対等にいる。ステージの上で普通に飲み会がはじまるし、演奏中どんなに大きな声で話をしていても、誰もとがめたりしない。つまり、僕がいつも行くような音楽ファンの集まりというわけじゃないのだろう。みんなその場が楽しそうだから集まってくるのであって、音楽は大事な要素ではあっても、絶対に必要なものではないのだと思う。

 そういうことと関係あるのかな?フランツは自分の曲なんて(おそらく)ひとつもやらなかった。大カヴァー大会。1曲目こそキャット・スティーヴンスという渋めのアーティストのナンバーだったけど、あとはもうボブ・マーリィやクラプトンといったビッグ・ネームの曲ばかりをフランツは歌った。ビートルズは“Don't Let Me Down”と“I Saw Her Standing There”をメドレーでやり、つづけてヴァン・モリソンの“Moon Dance”を歌ってくれたのが、僕には嬉しかったかな。あと、ホール&オーツの“Sara Smile”ね。あれはほんとにいい曲だと思う。

 とにかく、誰も締めるとかメリハリをつけるということをしない。なしくずし的にこのまま朝までつづいていくのだろうなと思い、僕らは23時頃に店を出た。おそらくフランツはあの調子で飲みつづけ、歌いつづけたことだろう。酔っぱらった黒人の大男なんて、誰にも止められっこない。

天気のいい日は働きたくない

2005年05月23日 | old diary
 ぽかぽかなのです。窓からの日射しが気持ちいいのです。こんな日は体を動かしたくて、うずうずしたりするのです。もしくは、海でほげ~っとしてたくなるのです。

 でも、僕は会社に行かねばならない。

 あまたあるこの世の不幸の中で、これほどうら哀しいことがあるだろうか?仕事は雨の日しかしちゃいけないとか、そういう法律があったらどんなにいいだろうと思う。そうしたら、みんな空いた時間をなんとか楽しく過ごそうと一生懸命に考えるようになって、みんなが真剣に楽しいことを考え出せば、相互作用でいいアイディアがいっぱいでてきて、世界は平和になると思う。

 で、たまに雨が降る。今だと雨が降れば気分はがっかり気味だが、雨の日しか仕事ができないなら、それはそれで楽しみになる気がする。会社へ行って取引先に電話をしても、「やーやーどうも。随分と降らなかったから、お話するのも久しぶりですね」、「ほんとにね。どうしてるかと思ってたところなんで、降ってくれて僕も嬉しいです」、「ところで、先日お話した件ですが…、えーっと、あれ?なんの話をしてましたっけ?」、「うーんと、あらら、なんだっけな?忘れちゃいましたね」。「わっはっはっはっは」。てな感じで、とてもなごやか。いいことだ。

 でも、現実は違う。これとは真逆な世知辛い世界を僕らは生きている。こんないい天気でも、会社に行くしかないほどに。

 というわけで、今日はとっとと出かけます。んで、夜にはライヴの招待があるので行ってきます。

TSUTAYA

2005年05月22日 | old diary
 昨日の夕方、地元の駅にて。スーツの姿のサラリーマンが数名(若手社員が2名、中堅どころが1名、彼らの上司らしき人が1名)が、輪になって立っていた。おや、休日出勤ですか?ご苦労さまです。いやね、僕も仕事帰りなんですよ。お互い大変ですねー。……なんてことを言ったりはもちろんしないけど、なんとなくそんな感じの親近感をもって彼らのことを見ていた。そのときに聞こえてきた会話。

 上司「すっかり遅くなってしまったな。さすがに腹がへったな」
 中堅「結局、昼飯を食ってる時間もなかったですからね」
 上司「1杯やるわけにはいかないが、軽く食べてから会社に戻ろう」
 中堅「(若手社員に)おい、どこか知ってる店はあるか?」
 若手1「えっと、ラーメン屋なら」
 若手2「僕はこの辺は全然…」
 中堅「しょうがないなぁ。(上司に)どうしましょう?」
 上司「まぁ、どこでもいいさ。そうだ、そこのツタヤでいいじゃないか」

 ツタヤ?それって、TSUTAYAのことでしょうか?ツタヤが定食でも始めたのでしょうか?いや、そうか、これはつまり…。なんとなーくオチが見えた気になった僕は、自分のカンが正しいことを確かめるべく、彼らの後をついていった。先頭を歩く上司さん。その後ろを黙ってついていく中堅&若手社員さん達。そのさらに後ろに僕という順番。そして、彼らが入っていったお店はというと…。

 いぇー、ビンゴー!そう、彼らはマツヤ(松や)へと入っていったのでした。ぱちぱちぱち…。

 ここで追跡をやめるのもなんだしと、僕もおつきあい。彼らと席を2つほど離れて座り様子を窺う。彼らは4人とも同じもの(豚めし)を注文し、なにごともなかったように仕事の話をし、豚めしを残さずきれいに食べ終えると、やはり上司を先頭にさっきと同じ順番で店を出ていった。

 いやー誰もツタヤのことには触れないんだねぇ。なんかよくわかんないけど、日本社会のひとつの縮図を見たような気も…。で、こういうくだらないことって案外尾をひくというか、いつか僕もこの上司さんと同じ間違いをしてしまいそうな気がする。そのときはどうか黙ってないで、「ツタヤ?ひょっとして松やのこと?」と優しく言ってくださいね。よろしくお願いします。