おれおれ日記

平成の快楽主義者な管理者による酒の話、現代美術の話、音楽の話、世間話をただただ垂れ流す日記。

死刑廃止論

2006-02-04 14:34:49 | Weblog
死刑は廃止か否か。
すっげー長い間だ論じられてる問題。
今日の読売新聞にこのことについて載っていたのでラーメンを食いながら読み、考えた。

端的に言って、俺は死刑は廃止すべきだと思う。
なぜか。
凶悪犯罪、というものは社会の構造上、どーしても起きてしまうことだからだ。
人が社会(キリスト教観で言うと、「現世」に生きる限り、となるのだろうか。人間たるもの罪な生き物ですから。)に生きる限り、1万人に1人ぐらいの割合で犯罪者気質の者が発生する構造になっているのだ。ディフェクト(欠損)(この言葉を俺が良く使うのはもちろん大江健三郎の影響)というものは常に存在すべきもので、それを贖罪羊(スケープゴート)(この言葉も大江氏の影響)にして俺たちの日常が成り立っているからだ。

そんな存在を罰することは俺には出来ない。

自殺も同じ。

一万人に一人ぐらいの割合で自殺気質を持つ人間は生まれるわけで、どうしてもこうしても自殺しちゃう。それがある意味空気抜きになって俺たちが自殺しないでいられる。のだ。

そんな自殺を断罪できない。

無意識的にかどうか知らないが、凶悪犯罪(や自殺)は人の好奇の目をそそる現象であって、そうしたことが起こると人々は色めきたち、目をらんらんと輝かせながら色んなことを言い合って、その凶悪犯罪(や自殺)を断罪しようとする。
中世ヨーロッパでの斬首刑を見に集まる群衆のように・・・。
俺から見たらこういった群集の方が気持ち悪く思える。

凶悪犯罪は社会的カタルシスであり、人々の日常(ケ)を支える儀式なんじゃないか。
というか、絶対そうだ。

痴漢もそうだね。絶対無くならないよ、あれは。

まあ、被害者の心情とか、そういったデリケートな(そして個人的な)問題は残しつつ(100%白黒つく問題なんてあるわけない)、俺は死刑廃止論者。



ま、どうあれ最終的に死刑のゴーサインを出す法務省大臣(法務省大臣のハンコ一つで死刑は決定されるらしい)は、最後まで、死刑囚が絞殺(日本では死刑は絞首刑。死刑は殺人でアル、と俺は言いきる。)されるまで見届けるのが義務だと思う。だって、自分が殺したんだから。贖罪羊をね。

それができないならハンコなんて押すな。





友人(♀)が

2006-02-04 01:03:06 | Weblog
日記で17歳の時どんなだったかと回想していて、「なにも考えてなかったし
とても不安定でした。」と書いていたのを「なにも考えてなかったし
とても不安でした。」と読み間違え、ドキッとした。

「なにも考えてなかったし
とても不安でした。」

これはその頃の真理かな。

mixiの

2006-02-04 00:49:08 | Weblog
人の日記を読んで凹むのって俺ぐらいだろうか・・・・。

とにかくリーマンになって2日。明らかな環境の変化にいささか疲れている。

別のブログを書くのに失敗した(全部消え)ので、多少投げやりになってます。

とりあえず、サラリーマン生活に慣れず、アル中度が増してます。