s 2013-01-31 12:11:54 | Weblog 週末は奥多摩。カニ鍋を食べる。 ---- 昨日の酒: 新宿「磯丸水産」 ビールなど。イカなど。 ----- とりあえずは3月頭の温泉までひと踏ん張り。 その後はGW、夏休みと刻んでいく。 どっかで突発的に沖縄に行きたいもんだ。
で 2013-01-31 12:11:54 | Weblog 安倍公房の初期短編集「(霊媒の話より)題未定」を購入。 題名からしていい感じ。 フエンテス読み終わったら早速取り掛かろうかなと思う。 ---------- 今日もブックファーストうろうろしようかな。 やっぱり楽しい。 もしくは久し振りにタワレコでも行ってみるか。
牧野信一 2013-01-30 12:04:39 | Weblog 牧野信一の「吊籠と月光と」については以前書いたが、今年のセンター試験でやってくれたようだ。 完全に頭がいかれた文章がいきなり出題されて、戸惑った受験生も多かったろう。 この人は本当に興味深い。 フエンテス「おいぼれグリンゴ」を読んでいることもあるだろうが、現実と幻想の混沌がそのまま放り出されているような文章はひどく(この表現が適当)引き付けられる。 横光利一にはインテリジェンスに裏付けされた狡猾ささえ感じるが、牧野は徒手空拳で狂気の世界に入り込んでいる。だから酒の力を借りなきゃいけなかったのだろう。 ------------- で、そのフエンテス「おいぼれグリンゴ」だが、ものすごい作品な気がしてきた。 エバンゲリオンとの共通点なんていうことも考えてみた。 ------- スタグフレーションに突入で。 と言ってる経済評論家っていないの?素人でも分るんだが。
rf4 2013-01-25 12:15:53 | Weblog 「景気の気は気分の気」とか「バブルよもう一度」とか言われるようになったが、何だかなあと思う。 バブル崩壊以後、バブルの反省をあらゆる論調でし尽くしてきたのではなかったか。 バブルという言葉事態、泡沫的なイメージからつけられている。 日本は、というか世界は、修正不可能なほどの猛スピードで末路に突っ込んでいっているのではないか。
昼休み 2013-01-24 12:06:24 | Weblog が削られておるな。 本が読めない。 まあ、無理やり読んでいるが。 ---------- ポー「アナベル・リー」 詩にはあまり理解がないが、これだけは一生読み返し続けるだろう。
d 2013-01-22 12:12:45 | Weblog 仕事がバタバタしており読書の時間などが取れない。 机から離れられん。 ま、こうして仕事に打ち込む時期があってもいいだろう。 ---------- 夏のためにバリバリ金を貯める。 --- 早稲田松竹で「水のないプール」。観ようかな。
よし 2013-01-19 13:05:51 | Weblog 特種スクープゲット。早く月曜日来ないかな。どこよりも早くドロップしてやる! --------- という具合に仕事に対するモチベーションがやや上がり気味。 ちょっと大変になったが。忙しいし。朝早くなったし。 -------- 昨日の酒 中野「おかやん」 焼酎お湯割りなど。おでんなど。 中野「ブリック」 ハイボールなど。チーズなど。 中野「ビッグエコー」 レモンサワーなど。ここで足をくじく。 ---------- 今日は足が痛いが渋谷に繰り出そう。 シップでも貼るかな。
アルジェリアの事件 2013-01-19 09:24:30 | Weblog あれが戦争だ。 爆弾を首に括りつけられて蜂の巣にされる覚悟はあるのか。 --- ホテル日光が閉館。 泊まったことはないけど、横は車でよく通った。 あんだけ安いホテルが林立してたら無理はない。 ------------------------ 大島渚の特集どっかでやってないかな。 日に日に見たい欲求が募る。 --- あ、今日土曜出勤。 -- ミッシェルガンエレファントを歌って足をくじいた。
あsこ 2013-01-17 12:12:09 | Weblog 仕事が増え、昼に本を読む時間がなくなった。 帰宅前に小一時間、コーヒーブレイクを作ろうか思案中。でもそうすると家での時間が慌しい。 なんとかならないものか。 ---- 前々から言ってた「abさんご」が芥川。 これで当面読めなくなった。 出だしの数行でああまで人を引き込める文章を俺は知らない。 好き嫌いの問題はあるかもだけど。
fr 2013-01-16 12:23:24 | Weblog 大島渚については、初体験は「御法度」だったろうか。 確か、高校時代に映画仲間に薦められて観たのではなかったのか。 「訳の分らなさ」に衝撃を受けた覚えがある。 重要な最後の土方の台詞が聞き取れず、何度も再生した。 その次は「愛のコリーダ」か「戦メリ」か。 「愛のコリーダ」はもうとにかく、その後の俺の人生を変えたのではないだろうか。 大島渚が藤達也に出演交渉をした話などは本当にゾクゾクする。 ヌーベルバーグの頃の作品は一部を除きあまり観ていないし、大島渚の大ファンかと言われれば、違うのかも知れない。 しかし、大島作品で人生を変えられたのは確かだ。 どこかの映画館が大島渚特集を組むことだろう。 「愛のコリーダ」を改めて観にいきたい。 --------- さて、大島の原点はやはり「怒り」ではないか。 しかも「体制」に対しての。 現在、「体制」は急ピッチで右傾化しており、非常に危ない思想に捉われている。 戦争による「痛み」を知らない世代が、戦争へと突き進んでいく。 まさに懸念されてきた事態だ。 戦争による「痛み」。それは肉体の痛みそのものに他ならない。 うちの祖父はフィリピン・トラック島で左腕に被弾し、海上を身一つで一日中漂った末、救助され負傷兵として収容された。 仮に海上で生きる事を諦めたら、俺は生まれてこなかった。 しかし、戦争がなくても、俺は生まれてこなかった。 偶然か必然かといった机上の空論はどうでもよく、事実だけが厳然としてここにある(では、事実とは何かという哲学及び量子学的な考察は省く)。 なんだか道がそれたが、腕を射抜かれて海上に投げ出される覚悟があるかということだ。木の幹に当たって回転がかかった流れ弾に腹をぶち抜かれ、ズタズタにやられた内蔵を日に晒せるのかという話だ。兵士からの命令で親や兄弟を鍬や鎌や棍棒で殺せるのか、という問題だ。 戦争とはそういうものである。 俺は左よりの考えだが、左派が売国奴だって?冗談を言ってはいけない。 全くその逆であることを知らなければならない。 プロパガンダに惑わされるやつが多くて困る。 戦争に負けて国がなくなったとしたら?アメリカの属国に戻ったりしたら?それこそ売国なんでないの?その危機感はあるの?