最終日、早朝大雨。
薬師川も濁流に。
釣りは出来ず残念。
早めにテントの中で朝食。
雨が小降りになってきたところで、テント撤収。
そして朝風呂へ。
一昨日に行った湯ったり館へ。
朝7時から営業していて嬉しいかぎり。
この日の予定は海沿いを南下して、復興状況の確認と少しの応援。
宮古から山田へ。
道の駅山田で物色。
地元のお煎餅を購入。
車に乗りながら頂きましたが、これがメチャ旨。
みんなですぐに平らげました。
道々見えてくる小さな集落を始め、大槌町の役場や、まだまだ津波の被害が見受けられます。
そして海沿いには大きな防潮堤が出来ていました。
もう、海が陸から見えないくらいの大きな防潮堤。
海無し県の僕から見ると、せっかくの景色が台無しと思いますが、そこに住む人達にとっては死活問題。仕方がないでしょう。
まだまだ仮設住宅も沢山あり、昔家があっただろう場所はサラ地のまま。
高台に新しい家は多く建っていました。
下道や三陸道を通って、道の駅を見学しつつ、釜石市に到着。
鉄の歴史館を見学。
釜石と言えば新日鉄。
昔はラグビーの強豪チームでした。
なぜ、釜石市に鐵工所が出来たか、映像や展示で学びました。
鉄で出来た遊び道具も。
知恵の輪。
僕はほとんど出来ませんでした。
長男が一番ハマったのは
ナットで出来るピラミッド。
ナットが幾つか結合したものを組み合わせてピラミッドの形にするのですが、これが難しい。
かなり粘ってやりましたが、出来ませんでした。
心残り。
歴史館から海を見ると大観音が海を見守っています。
思いの外時間を取った歴史館。
楽しめました、
ランチは釜石市内へ。
時間も14時くらいで、終わったお店も出て来て、慌てました。
結局検索してラーメン屋さんへ。
新華園本店。
10人くらい並んでいました。
せっかくだからこちらも並んで、30分ほどで入店。
釜石ラーメンを頂きました。
長男はさらに半チャーハンセット。
3人で餃子も一皿。
並んだかいあって、美味しかったです。
麺は極細のちぢれ麺。
スープが何ともほのかに甘さのある柔らかい味。
サッパリとしていて、後味も良し。
相席の御家族は花巻から来て、やはり初めて来店。
聞けば、奥様が以前に川越に住んでいたとのこと。
何かの縁でしょうね。
このお店も震災被害にあって、その時の写真もありました。
釜石市内にも至るところに、津波到達地点の印がありますが、みんな建物の1階より上。
街中はよくここまで復旧したなと思います。
時間もすでに15時過ぎに。
この旅の最後は、陸前高田にしました。
奇跡の一本松へ。
近くの一本松茶屋の駐車場に停めて、10分ほど歩きます。
よく頑張った!と言ってやりたい。
そしてこちらに逆に勇気を与えてくれます。
後ろのユースホステルはまだ、そのまま残っています。
帰りには奇跡の一本松に虹がかかりました。
何か嬉しい気持ちとありがとうという気持ち。
帰りに茶屋でお買いもの。
長男は
しょうゆソフトクリーム。
美味しかったです。
時間も17時30分。
帰路につきました。
三陸道から東北道へ。
途中、仙台辺りで小休止。
0時位に佐野SA到着。
長男が腹減ったと言うので
最後に佐野ラーメンを食べさせました。
川越着は1時30分。
今回の旅行も無事に終わりました。
久し振りの北東北。
初めてのところも多く、楽しめました。
そして、東日本大震災の現状を確認。
少しだけですが、お金を使って援助。
でも結局はこちらが勇気を貰うという感じ。
走行距離は1557Kmでした。
今年の夏の暑さでバテバテで、もっと近くにしようか悩みましたが、思いきって岩手まで行って良かったです。
最終日本来なら女川まで、行こうと思っていましたが、時間切れで行けずそこが心残り。
また、行ければと思います。