自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件は〝政治とカネの癒着〟をどう断ち切るか、腐った政治構造をどう創り直すかという本質から〝派閥〟の存廃の問題にすり替わった。
新聞も「派閥」、「派閥」の見出しを躍らせ、派閥にぷかぷか浮かんできた岸田文雄首相が溺れそうになっていると書き立てるばかりだ。
ちよっと待てよと思う。
派閥政治が蔓延った責任は有権者にもあるし、メディアにもあるのではないか。
どの先生に貢げば要望が実現するか、どの派閥が一番権力を握っているかに敏感に行動してきたのは利益誘導を図ろうとする有力企業と一部の個人であったことはこれまでの政界汚職事件で明らかになっている。
メディアにしても特に政治部は政局の節目節目で自民党の派閥を下敷きにした報道を繰り返し、内閣改造に至っては「派閥のバランスに配慮したよく出来た布陣」とまで論評する新聞が殆どだったのではないか。
半ば派閥を生活の知恵として肯定していたのである。
政局解説者のスシロー先生は「派閥は組織内の意思伝達機関」の役割もあると仰るが、党内には議員総会はあるし、総務会も政調会も各部会だってある。
現に無派閥議員は衆院で60名近くいて(23年12月)何ら支障は無さそうだ。
スシロー先生の意思伝達は〝夜の闇会談〟のことではないのか。
30年前に自民党政治改革大綱なるものがあったとは知らなかった。
その通りに進まなかったのかの検証は今回の事件で設置した自民党の刷新本部の中間報告には無い。
裏を見せることになるから出来ないというのが正確なところだろう。
政党助成金創設の趣旨に沿って、少なくとも企業・団体献金を廃止しなければ「政策集団に衣替えする。」「人事には介入させない。」と言ってもやがて形骸化する。
民度に応じた政治しか得られないとは古来言われてきたことだが、今回ほど大がかりな政治家の不正は無かったからそのことを感じる。
カネに群がる腐った政治構造を創り直すには有権者が選挙で騙されないようにするだけだ。