ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

「政と源」「名もなき日々を」「物語ること、生きること」

2013-12-25 16:41:31 | 
「政と源」 三浦しをん  集英社  2013.8.31

 墨田区Y町。
 つまみ簪職人・源二郎と、銀行を退職した国政。
 
 源二郎の妻は早くに他界、国政の妻は娘のところに出て行って、ともに一人暮らし。
 弟子の徹平と賑やかに暮らす源二郎に対し、国政はときにやっかみも感じる。

 p243
  ゴールや正解がないから、終わりもない。幸せを求める気持ち。自分がしてきたこと。
  それらに思いを馳せては死ぬまでひたすら生きる。その時間を永遠というのかもしれない。

 徹平の仲人を頼まれた国政は、妻に毎日のようにように葉書を書く。

 その内の一通が秀逸だ。

  『あのとき、ああすれば』と、いろいろ悔いはあるが、そのほとんどが取り返しのつかない
  ことばかりだ。残された時間のほうが少ないのだから、きみも好きに生きればいいと腹の底から
  納得した。別々に暮らしていても、きみや娘たちが幸せであるようにと、いつも願っている。
  それだけは本当だ。思えば、俺が本気で幸せを願う相手は、きわめて少ない。索漠とした
  人生だったことを露呈するようで恥ずかしいが、しかし、幸せを願う数少ない相手の一人が
  きみであることは、俺の幸せだ。風邪を引くな。


「名もなき日々を」  宇江佐真理  文藝春秋  2013.11.15

 髪結い伊三次捕物余話第12弾

 伊三次とお文に支えられ、絵師修行を続ける息子の伊与太。
 大名家に女中奉公に出た茜の運命は、大きく動き始める。

  いつも当たり前の傍にあるものが、明日もあるとは限らない。
  その時におたおたしてはいけない。別の方法があるさ、と太っ腹に構えているのが肝腎だ。
  何とかなる。

  昨日と今日の間に、さして違いはない。違いはないけれど、昨日と今日は別の日だ。


「物語ること、生きること」 上橋菜穂子  講談社  2013.19.15

 そうか、1962年生まれだったのね。
 自伝的なエッセイ。

 子どもの頃に考えたことが、驚くほど重なった。

 p57
  小学生の頃、「時」というものについて考えたことがありまして。時の流れは、
  いつはじまって、いつ終わるのだろう。そして宇宙には果てがあるのだろうか。
  果てがあるとしたら、その向こう側はいったいどうなっているのだろう。
  もしそこが本当に「果て」なら、その向こう側は「何もない」はずです。
  「何もない」って、いったいどういうことなんだろう。それを考えると、眠れなくなる
  くらいこわかったし、広大無辺の闇の中に放り出されたようで、いまでも、背筋がぞくぞく
  するくらいこわくなります。

 この辺りは、まったく同じ。

  永遠と刹那。
  幼いころから、私には、私自身にはわかりえない巨大な世界が外側にあって、自分は
  その一部として生まれてしまったという気持ちがありました。
  人の命ははかない。そして私が死んだあとも変わらずに続いていく。

 荻原規子さんのときも、だいぶかぶってると思ったが、読んだ本、同じだなぁ。

  キュリー夫人、バーネット、リンドグレーン、ヴェルヌ、バローズ(ターザン)
  差とクリフ、ランサム、ワイルダー、ル=グィン、スーザン・クーパー、宮本常一
  柳田國男、梨木果歩、手塚治虫、ヴォクト、デュマ、アトリー

 数え上げるとキリがない。
コメント
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