ここのところ時間があれば本を読んでいます。
じっくり味わうというのではなく、ただ〝むさぼる〟というような読み方。
昔読んだと思われる本、書店に積まれていた本。
BOOK OFFで買った本もあります。また5冊100円で買った本もあります。
「片眼の猿」(道尾秀介)
「パレード」(吉田修一)
「パーク・ライフ」(吉田修一)
「どちらが彼女を殺したか」(東野圭吾)
「禅、シンプル生活のすすめ」(桝野俊明)
「仮面の告白」(三島由紀夫)
「津軽」(太宰治)
「或阿呆の一生・歯車」(芥川龍之介)
珍しく「オール読物」〝直木賞作家大特集〟まで買いました。
なにか本を読んでいないと落ち着かない。
結局、実家には戻りません。
電話は何度もしています。
母は元気そうです。今日は外泊から再び病院に戻ったそうです。
子は親離れを、親は子離れを。
親は子を頼るな、子は親を頼るな。
肉親であっても兄弟であってもみな一個の人格を持った独立した存在。
であるなら誰も誰かに依存せず自立して生きるべきだ。
自分の人生なのだから自分の人生らしく生きろ。
20才過ぎたあたりから僕はこうした観念に囚われ長らくそうした生き方を貫いてきました。
今はそうでもないのですが未だ根底にこんな観念が底流している気がしてなりません。
抵抗があるのです。
あまりに青臭くて、現実を無視し、結局〝独りよがり〟のこんな無責任な姿勢を捨てきれないでいます。
どんどんみじめな人間に落ちていくな…
白石一文という作家の「僕の中の壊れていない部分」という小説を今読んでいます。
面白い長編小説です。もうなんでもいい乱読です。
じっくり味わうというのではなく、ただ〝むさぼる〟というような読み方。
昔読んだと思われる本、書店に積まれていた本。
BOOK OFFで買った本もあります。また5冊100円で買った本もあります。
「片眼の猿」(道尾秀介)
「パレード」(吉田修一)
「パーク・ライフ」(吉田修一)
「どちらが彼女を殺したか」(東野圭吾)
「禅、シンプル生活のすすめ」(桝野俊明)
「仮面の告白」(三島由紀夫)
「津軽」(太宰治)
「或阿呆の一生・歯車」(芥川龍之介)
珍しく「オール読物」〝直木賞作家大特集〟まで買いました。
なにか本を読んでいないと落ち着かない。
結局、実家には戻りません。
電話は何度もしています。
母は元気そうです。今日は外泊から再び病院に戻ったそうです。
子は親離れを、親は子離れを。
親は子を頼るな、子は親を頼るな。
肉親であっても兄弟であってもみな一個の人格を持った独立した存在。
であるなら誰も誰かに依存せず自立して生きるべきだ。
自分の人生なのだから自分の人生らしく生きろ。
20才過ぎたあたりから僕はこうした観念に囚われ長らくそうした生き方を貫いてきました。
今はそうでもないのですが未だ根底にこんな観念が底流している気がしてなりません。
抵抗があるのです。
あまりに青臭くて、現実を無視し、結局〝独りよがり〟のこんな無責任な姿勢を捨てきれないでいます。
どんどんみじめな人間に落ちていくな…
白石一文という作家の「僕の中の壊れていない部分」という小説を今読んでいます。
面白い長編小説です。もうなんでもいい乱読です。
親が病気をする姿って
目の当たりにすると けっこう
ショックなものです。
ドラゴンさん、私事ですみません。
私は10年前にガンになり手術し抗がん剤の治療をし
髪の毛が抜けたり、食べ物の味が分からなくなったりしました。
病院のベットで落ち込んじゃって‥‥
その頃3人の息子たちは中学、高校生でした。
大変不思議なのですが
子どもの顔を見ると、なんか元気になったものです。
ただ、顔を見るだけなのに
ほんの10分位病室に来てくれただけなのに
子どもの顔を見るだけでうれしかった。
親子ってそんなものなんだなあって思ったものです。
ドラゴンさんは、うちの次男とそっくり‥‥
だから、なんか気持ちが分かります。
乱読‥‥いいですね。
ドラゴンさんは、老眼でなくていいなあ
「子供達に迷惑がかからないように健康で
いることを心がけている」
と 言っています。
でも、いずれはそうもいかなくなるかと思います。
それは 迷惑 ではなく、当然の事。
私も、両親に迷惑がかからないように
健康でいなければ、と思っています。
でもそれも 迷惑 ではないのではと思えます。
確かに親子兄弟といっても、それぞれの生活があり
それぞれ自立して生きているからには、お互いの生活を阻害しないように心がける事は必要でしょう。
でも、誰でも当然、独りでは生きられないので~
幸いに健全な生活を営んでいる親兄弟が居るのであれば、お互いに助け合う事をしても、それは依存には
ならないかと・・・
両親とずっと同居していたならば
諸々の迷いや葛藤などおもう間もなく
日々の生活のうちに流れていくのでしょうけれど
故郷を離れての生活を選択してしまった時点から
色々なテーマが与えられてしまったのでしょうね。
お母さまの早い完治を願っています。
親の気持ちは痛いほどわかっていました。
そしてそんなドライなことを言いながら実は僕自身も体質は親と何も変わらない。
そんな自分との訣別でもありました。
無理をした付けで今はこんなひねくれ者になってしまいました。
「次男に似ている」なんて息子さんに失礼です。
今読んでいる「僕のなかの・・」の主人公に僕は何となく似ている。
だからその主人公を僕はあまり好きではありません。
ポテトさん。
言いたくないお話までさせてしまい本当に申し訳なく。
お気遣い感謝です。
半分以上は自分に向けられた「とげとげしい感性」。
それも今はだいぶ薄れています。
けれどそれで自分が作ってきた周りの諸関係、
高い山岳のような境界線はもう手遅れなほど異質で冷たいのです。
当然ですよね。
でも何もかも許してくれる僕にとっての唯一の存在は、
きっと両親でしょう。
それがわかるから僕はなおさら辛い。
きっと僕は「お釈迦様の手の平」だったのでしょう。