ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

同棲

2007-12-16 19:29:08 | 
彼女にはとてつもなく迷惑をかけた。

ある事情で僕はしばらく東京に住まねばならなくなった。まだ学生であったがそういう事情があった。その時に、このブログのモチーフでもある「1枚の写真」を選んでもらったのは彼女である。大判で5冊にも上るアルバムが焼却炉で燃える様を灰になるまで見ていた傍らに彼女がいた。
また東京にいる時に、学部長宛に「退学届」の手続きをしてもらったのも彼女である。目茶な話だが無理を承知でお願いした。

東京と当地でしばらくの間、「遠距離恋愛」が続いた。2ヶ月に一度は逢いに戻った。夏休みは逆に東京に帰った彼女と鎌倉あたりを旅行に出かけた。別れる際にいつも彼女は泣く。それが一番つらく堪えた。
彼女はもともと東京の出身である。彼女の通った立川の高校を見学したり国立あたりを散策したりもした。お嬢様育ちのような彼女であった。
また、彼女は僕たちの活動には理解を示しながらも、一定の距離を置きながら普通の学生生活を続けていた。だから僕たちは、何か政治的な関係とかではなく、自然に恋に落ちただけだった。

様々な経緯があり、僕はやがて東京を去り、当地に戻った。何から何まで一からやり直すことになる。その際に、やっかいになったのも彼女のところだった。
一昔前に、上村一夫「同棲時代」というマンガが流行り、大信田礼子の同名の流行歌を淫靡な気持ちで聞いた覚えがあるが、まさに初めて「同棲生活」というものを経験することとなった。

彼女は、既に大学院生になっていた。僕は、彼女を通じてとある大学受験専門ゼミの「通信添削」の仕事をしていたが、やがて仕事を捜し始め、行き着いたのが先の怪しげな「宣伝企画」のアルバイトだった。4年ほどこんな生活が続いた。
上村一夫の描いた「同棲時代」の「今日子と次郎」にも似たあれやこれやが、僕たちの上にも何度と無く訪れた。「結婚」ということも都度、意識しない訳ではなかった。意気地なしだったのかもしれない。
楽しいことも悲しいこともいっぱいあった。けれど最後は苦渋に満ちた「訣別」となった。1年ほど立ち直るのに時間がかかった。

彼女はやがて卒業し東京本社の有名企業に就職するため、東京へ移住することになる。僕は当地に残り、1年ほど再び「遠距離」となった。
後に知ったことだが、彼女は僕が一緒に東京に来てくれるものと思っていたらしい。

もうあれから20年近く過ぎているが、彼女にはすまない気持ちで一杯で、今でも心から感謝している。



愛はいつも 
いくつかの過ちに満たされている
もし愛が美しいものなら
それは男と女が犯す
この過ちの美しさにほかならぬであろう
そして愛がいつも涙で終わるものなら
それは愛が
もともと涙の棲家だからだ
愛のくらし同棲時代

『同棲時代』上村一夫第一巻(pp.4-5)


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