今日会社に行くべきか、行かざるべきか・・・・
そんなことをぼーっと考えながらテレビをみている。
勝野洋が、「ぶらり一人旅」で鎌倉を歩いている。
そういえば、少し前に、C子との鎌倉での思い出を綴った日記があった。
「不意に鎌倉・湘南・江ノ島」
その旅の終わりは、小田急線の藤沢の駅だった。江ノ電の“始発”でもあったか。
そこでの、しばしのお別れは、とっても辛かった。C子に泣かれた。
これではやはりいけないのだと、こころからそう思った。
それから僕は、“仕事”の関係で東京へ帰ったが、夏休みのC子は実家の府中に帰る前に、北鎌倉あたりを一回りすると言うことだった。
北鎌倉の古史、古物を見学したいのだという。
その後、彼女の一人旅の風景が、手紙に静かにしたためられていた。
胸が痛くなった。
当時は、まだ携帯が汎用化していなかったため、彼女の音信を知るのは普通の電話だった。
携帯と違い、かければいつでも声が聞けるわけでもなかったため、僕らはどちらかと言うと、手紙のやり取りがお互いの近況を知ったり思いを伝え合う最大の手立てだった。
夏休みが終われば、C子はまた、地方都市の大学のキャンパスに帰る。
週に一度やり取りする手紙を待つ日々が何ヶ月も続いた・・・・。
いまは本当に便利になりました。携帯でいつでも声を聞ける。
メールでどこにいてもやり取りができる。
もう、手紙を書くなどという必要はなくなりつつあるんでしょう。
手紙を出して、それに対する返事が返ってくる。1週間という長い時間。
その時間は、やきもきしてじれったいのですが、その分だけひとしお思いが募ります。
いっそのこと夜行列車で今すぐ逢いに行こうなどという衝動も何度となく経験しました。
けれども、今思えば、そういう時間をお互いに共有し、
その気持ちを丁寧に文字に記し、相手の息遣いを短い文章に感じ、
相手の気持ちを思いやり、・・・ こんなことが大切なんだと今も思っています。
電話では、なかなか面と向かって自分の気持ちを伝えられないものです。
みんなそうとは思いませんが、僕の場合はそうです。
「どうしてる・・・」
「学校から帰ってきてぐた~っとしてる・・・」
「そうか・・・」
「そっちは天気いい?こっちは毎日ぐずついた天気でさぁ・・・」
「今度、いつくるの?」
「来週の土日に行く」
「わかった。待ってるよ」
「そうか。じゃあ・・・」
こんな感じ。けれど、直接、声が聞けるというのもなにか安心感がある。
だからそれだけで、特に何も語り合う必要もないのかもしれません。
携帯は、便利すぎる。
こんな恋愛には、電話も、多少不便な昔の方がいい面が多いと思います。
手紙と言う不便さは、もっといい面があると僕は今でも思っています。
(と言いながら、めっきり手紙を書かなくなりました。書く相手もいないというのが正直なところですが・・・)
そんなことをぼーっと考えながらテレビをみている。
勝野洋が、「ぶらり一人旅」で鎌倉を歩いている。
そういえば、少し前に、C子との鎌倉での思い出を綴った日記があった。
「不意に鎌倉・湘南・江ノ島」
その旅の終わりは、小田急線の藤沢の駅だった。江ノ電の“始発”でもあったか。
そこでの、しばしのお別れは、とっても辛かった。C子に泣かれた。
これではやはりいけないのだと、こころからそう思った。
それから僕は、“仕事”の関係で東京へ帰ったが、夏休みのC子は実家の府中に帰る前に、北鎌倉あたりを一回りすると言うことだった。
北鎌倉の古史、古物を見学したいのだという。
その後、彼女の一人旅の風景が、手紙に静かにしたためられていた。
胸が痛くなった。
当時は、まだ携帯が汎用化していなかったため、彼女の音信を知るのは普通の電話だった。
携帯と違い、かければいつでも声が聞けるわけでもなかったため、僕らはどちらかと言うと、手紙のやり取りがお互いの近況を知ったり思いを伝え合う最大の手立てだった。
夏休みが終われば、C子はまた、地方都市の大学のキャンパスに帰る。
週に一度やり取りする手紙を待つ日々が何ヶ月も続いた・・・・。
いまは本当に便利になりました。携帯でいつでも声を聞ける。
メールでどこにいてもやり取りができる。
もう、手紙を書くなどという必要はなくなりつつあるんでしょう。
手紙を出して、それに対する返事が返ってくる。1週間という長い時間。
その時間は、やきもきしてじれったいのですが、その分だけひとしお思いが募ります。
いっそのこと夜行列車で今すぐ逢いに行こうなどという衝動も何度となく経験しました。
けれども、今思えば、そういう時間をお互いに共有し、
その気持ちを丁寧に文字に記し、相手の息遣いを短い文章に感じ、
相手の気持ちを思いやり、・・・ こんなことが大切なんだと今も思っています。
電話では、なかなか面と向かって自分の気持ちを伝えられないものです。
みんなそうとは思いませんが、僕の場合はそうです。
「どうしてる・・・」
「学校から帰ってきてぐた~っとしてる・・・」
「そうか・・・」
「そっちは天気いい?こっちは毎日ぐずついた天気でさぁ・・・」
「今度、いつくるの?」
「来週の土日に行く」
「わかった。待ってるよ」
「そうか。じゃあ・・・」
こんな感じ。けれど、直接、声が聞けるというのもなにか安心感がある。
だからそれだけで、特に何も語り合う必要もないのかもしれません。
携帯は、便利すぎる。
こんな恋愛には、電話も、多少不便な昔の方がいい面が多いと思います。
手紙と言う不便さは、もっといい面があると僕は今でも思っています。
(と言いながら、めっきり手紙を書かなくなりました。書く相手もいないというのが正直なところですが・・・)
ブログなんかもそうですよね。
彼のブログをのぞくと過去のラブラブな彼女とのやり取りが。。
~なーんてね(苦)
いつでも連絡取れるから話もどうでもいいような。とか。
知らなくてもいい事、知らない方が良かったな
なんて思うのです。
その事によって今が楽しめなくなったり、疑ったりして
私ってそんなに嫉妬強かったっけ?とか色々と。
真実がわかりにくくなった世の中ってかんじかな?です。
ところで、お体の調子はいかがですか?
不眠が続くと体の調子が崩しやすくなりますので無理はなさらないでくださいね。
手紙とか紙に書かれたものだと、ちゃんと頭に入ってくる気がします。
といっても、字が得意でないせいもあり、私もすっかり手紙は書かなくなりました。
御礼状くらいでしょうか・・・。
結局、ボスの電話により、今日は会社というか、
飲み会に行って、さっき帰ってきました。
(昼酒は効ききますね・・・)
>いちごさん
情報は、早く正確に、全て、というニーズがあります。
ビジネス上では本当に貴重です。
けれども、人間同士、特に恋愛では、
どうだろうかと、功罪を考えますね。
なんでも早けりゃあいい、全部わかりゃあいい。
そういうもんでもないと思います。
「じらしの美学」とでもいいましょうか。
恋は熱く燃えるような気がします。
>たけかなさん
たけかなさん、こんにちは。
体調は、結構上々です。お気遣いありがとうございます。
本当に、ありがとうございます。
手紙の「ぬくもり」、まさにそのぬくもりが、
者を書き、表現する、感じることの良さに違いありません。
ブログもPC上で書いているのですが、
けど、便箋に、万年筆やペンで、
したためるのとは感じが違います。
文字を筆で書く。その感覚が大切ですよね。
それが、ぬくもりですよね。
ブログでもそれが表現できればと、思っています。
>momoさん
こんにちは。
僕も本当に手紙を書かなくなりました。
あんなに書いていた手紙が、もう年に1度あるかないか位まで。
情報の伝達手段としては、必要がなくなったんですよね。
けれども、本当に手紙のよさってあるんですよ。
便利さの弊害なんですね。
彼女、彼氏の綴った、文章。
一つ一つの言葉や表現、思い・・・。
それがいつまでものこるメモリアル。
であるが故に、辛いこともありますが、
恋愛渦中は、本当に大切で思いや歴史を刻む、
とても大切な二人の証左。
もう、彼女とのその証跡はなにも手元にないのですけど。