この時期になると毎年恒例の年賀状の作成に忙殺されることとなる。
今ではPCで作ったり、まとめて業者に依頼したりという時代だが、僕の場合、
手紙や年賀状といったものは、どうしても手書きで描きたい口であって、
それゆえ、毎年、好んで苦労している。
写真を嵌め込んだり、グラフィックできれいにデザインしたものよりも、手書きを選ぶ理由は、自分がもらう立場だったら、送り手の気遣いや、思い入れを知りたく思うからである。手で描くということはそういうことだ。
ガキの頃から、それこそ色鉛筆やサインペンを一式そろえて、一人ひとりと今年過ごしたあれやこれやを思い出しながら、それをネタにどんなギャグをかましてやろうかと、実はいたずら心のほうが先行していたのであるが。
だから、年賀状を描くのが楽しみでもあった。
一番力を入れたのが、相手の似顔絵を入れたひとこまマンガ。これは爆笑もので、描いている自分もにんまりしながら、また、壺に入って笑いが止まらなくなるほどの数々の「傑作」も創出した。
とても「悪趣味」なのであるが、これが友人にも好評で、毎年楽しみにしてくれる奴もいる。
大学時代からの悪友らには、いまでもこれを貫いている。
まさか会社の同僚や部下や取引先などにはできまい。
こんなことができるのは、いまや苦楽をともにしたそうした連中のみだ。
毎年10枚余りは、そんな感じで悪戦苦闘するのが常となった。そろそろネタも切れ気味で、今年からは少し楽をしようかなどと考えている。
大学在学中から「まともに」社会人となる端境の数年間、僕はそんな友人とさえ音信不通となる一時期があった。皆の前から突然姿を消しまるで蒸発でもしてしまったかのように。家族にも友人にも多大なる心配をかけた。
5年以上の長きに渡っていた。何もかもと断絶し、単なる市井の小市民として、まさに自分の再生を賭けた、苦悩の時間だった。
その期間だけは「大好きな」年賀状ともおさらばした。
東京に住んでもう20年になろうとしている。
都内にも悪友らがたくさん「寄生」している。みな企業の重責を担ったり、家族の大黒柱となってしっかり生きている。
一堂に会して昔話に花を咲かせるという機会も少なくなった。
都内組だけでも集まって忘年会と行きたい所だが、なかなか年の瀬は忙しくて思うに任せない。
せめて年賀状くらい皆をにんまりさせたいものだ。
今ではPCで作ったり、まとめて業者に依頼したりという時代だが、僕の場合、
手紙や年賀状といったものは、どうしても手書きで描きたい口であって、
それゆえ、毎年、好んで苦労している。
写真を嵌め込んだり、グラフィックできれいにデザインしたものよりも、手書きを選ぶ理由は、自分がもらう立場だったら、送り手の気遣いや、思い入れを知りたく思うからである。手で描くということはそういうことだ。
ガキの頃から、それこそ色鉛筆やサインペンを一式そろえて、一人ひとりと今年過ごしたあれやこれやを思い出しながら、それをネタにどんなギャグをかましてやろうかと、実はいたずら心のほうが先行していたのであるが。
だから、年賀状を描くのが楽しみでもあった。
一番力を入れたのが、相手の似顔絵を入れたひとこまマンガ。これは爆笑もので、描いている自分もにんまりしながら、また、壺に入って笑いが止まらなくなるほどの数々の「傑作」も創出した。
とても「悪趣味」なのであるが、これが友人にも好評で、毎年楽しみにしてくれる奴もいる。
大学時代からの悪友らには、いまでもこれを貫いている。
まさか会社の同僚や部下や取引先などにはできまい。
こんなことができるのは、いまや苦楽をともにしたそうした連中のみだ。
毎年10枚余りは、そんな感じで悪戦苦闘するのが常となった。そろそろネタも切れ気味で、今年からは少し楽をしようかなどと考えている。
大学在学中から「まともに」社会人となる端境の数年間、僕はそんな友人とさえ音信不通となる一時期があった。皆の前から突然姿を消しまるで蒸発でもしてしまったかのように。家族にも友人にも多大なる心配をかけた。
5年以上の長きに渡っていた。何もかもと断絶し、単なる市井の小市民として、まさに自分の再生を賭けた、苦悩の時間だった。
その期間だけは「大好きな」年賀状ともおさらばした。
東京に住んでもう20年になろうとしている。
都内にも悪友らがたくさん「寄生」している。みな企業の重責を担ったり、家族の大黒柱となってしっかり生きている。
一堂に会して昔話に花を咲かせるという機会も少なくなった。
都内組だけでも集まって忘年会と行きたい所だが、なかなか年の瀬は忙しくて思うに任せない。
せめて年賀状くらい皆をにんまりさせたいものだ。