ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

サザンビーチホテル&リゾートで

2011-09-08 18:29:27 | 
糸満市の漁港を東に、広大な東シナ海を西に。
西向きの部屋からはドラマチックなサンセットが望める。
「美々(びび)ビーチ」が眼下に広がり、まだまだ遊泳は旬。
たくさんのカップルや家族連れでにぎわう。
ホテルのプライベートプールも充実している。

なにしろ分不相応なほど贅沢なホテルだ。

もうすぐサンセット。
感動的な絵がそこに広がる。



ひとっ飛び 国際通りへ

2011-09-07 18:02:52 | 
写真は伊江島の滞在先のプールで。

話は急展開。
ひとっ飛び、那覇市の国際通り。
空きっ腹を市場のいつもの食堂で満たし、土産物の物色。
まず実家の父母用。
父の好きな黒砂糖系を5袋ほど籠へ。
春ウコンの瓶詰めにゴーヤ茶、ノニ茶などヘルシー健康ものをどっさり。
こっちは母へ。
アーサー海苔、もずく、海ブドウ、紅いも類。
1万円越えると送料無料らしいので、
やたら菓子などを詰め込み最後に特撰古酒10年でフィニッシュ。

会社にも1万円目指し泡盛4本にお菓子類を詰め込んだ。
知り合い用にも見繕いこっちは自宅へ。

これですっきり。
めんどうだけど土産物は大切だ。

自分用に香水も2本買う。
カルバン・クラインとバーバリー。爽やかさ重視で。

伊江島とおさらば

2011-09-07 10:20:42 | 
伊江島は雨が降らない。降るのは台風が来たときくらい。
島のあちこちに溜め池があり「地下ダム」なる施設を建築中だという。
また湧水(ワジー)というわき水もあり水にあまり困らない。
電照菊、葉タバコ、落花生などの産地で島の大半は畑である。

この島のシンボルである城山(グスクヤマ)には昨日の夕方に登った。
ももの筋肉が痛くなるほどの垂直歩行、てっぺんは絶景なり!
ちゅら海水族館からこのとんがりがよく見える。
いつか登ってやろうとの思いが今回達成され満足。

こんな伊江島とも早お別れである。
10時のフェリーで本部へ。
朝は日の出とともに伊江ビーチや青少年研修の森公園をラストランした。
www伊江リゾートは一度は泊まる価値のあるお奨めのコテージ。
オクマプライベートリゾートの次にいい。
ニライカナイの上くらい。
さて今日はどこいくかな。

滞在記・二日目

2011-09-06 18:09:33 | 
旅先で早朝走るということ。旅の定番となった。
日が昇か昇らないかの境に颯爽と町に繰り出す。
誰もいない町の空気を吸い景色を目に刻む。
健康のためもあるがそればかりではない。
日中人だかりの町にない自然の息吹きを感じられるのがいい。
僕と自然だけある世界だ。今朝は伊江島の早朝を堪能した。
朝食も美味い。

旅の今回のもう一つの友は「与謝野晶子」。
愛と情熱の歌人だ。

春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ

こんなにも愛された鉄幹は幸せものだった。
それにしてもエロチック過ぎ。
コバルトブルーの海と真っ青な空をデッキチェアから遠く望みながら
こんな歌集を読んでる人などいない。
しかも朝っばらだ。

午前中いっぱいプールで泳ぎ、沖縄そばを食いに町場へ出かけた。
暑いが日陰は風がひんやりとして涼しい。これが沖縄の空気だ。
過ごしやすい。
漁師さんや地元の人で溢れるさり気ない食堂へ。
当然まずいはずがない。

午後は沖へ釣りに出かけた。
漁港から15分くらいで大海原。水深は30メートル。水は濃い青だ。
撒き餌の下に針が6本もある仕掛けで釣り糸を垂らすや否や、
もう「入れ食い」!!
グスクンというアジのような魚の他、あいなめを七色に染めたようなのや、
真っ赤な魚、黄色と青の魚。あっと言う間の2時間、30匹は釣れたろう。

帰って風呂に入りこうして夕涼みをしている。
波の音を聞きながら夕食までの束の間のひととき。
ほどよい疲れと少しばかりの空腹が何となく幸せだ。
今日はどをな古酒を堪能しようか。

沖縄旅行記・伊江島編

2011-09-05 20:06:14 | 
沖縄はこれで5回目だろう。
本部港からフェリーに乗り伊江島に行く。
ちゅら海水族館から目の前に見える島。
とんがった山があり登ってみたくなった。

フェリーが出港し瀬底島の大桟橋をくぐった。
東シナ海の大海原に出て30分の短い航海。

天気は最高!デッキに出よう。

伊江島では自転車でいろんな名所を回る。
海岸添いの断崖の勇壮な様、聖なる洞窟ニィアティヤ、
米軍基地後と団結集会所、等など。

畑と豚舎が広がるなかジリジリした日差しが肌に痛い。
午後はビーチで泳ごう。


伊江ビーチで泳ぎYYY!伊江リゾートのプールで泳ぎ、
その後、ジャグジー&サウナで疲れを癒した。
和食の夕飯、泡盛古酒10年もので酩酊した。

明日は伊江島タッチュ~(とんがりのことらしい)へ登ろう。


足乳根の母を思う

2011-08-27 12:40:07 | 
斉藤茂吉という歌人を知っていますか?
山形県の上山市に生まれ近代短歌に大きな影響を与えた人です。
かの芥川龍之介に『僕の詩歌に対する眼は誰のお世話になったものでもない。
斉藤茂吉にあけてもらったのである。』とまで言わしめたほど。

かつて山形県上山市を訪れた時に月岡公園の茂吉の歌碑を見た記憶があります。
上の写真は月岡公園から蔵王山を見晴らした風景。茂吉もこの景色をよく眺めたそうです。

たぶん僕が見た歌碑はこれではないかと思います。



 足乳根の母に連れられ川越えし田越えしこともありにけむもの


『赤光』という茂吉の歌集があります。折に触れてぱらぱらと開いたペエジを目で追う。
詩歌を正確に読み解く力は僕にはありませんが、よい歌はよい歌と読めないなりに感じることはできます。

特に胸にしみるのは母を題材に読んだ歌の数々。
その何首かは高校でも習ったような気がしますが今のように感じたかどうかは定かではありません。
母の歌は、特に「死にたもう母」として有名です。


 みちのくの母の命を一目見ん一目見んとぞただにいそげる

 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる

 我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足(ちた)らひし母よ

 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)いて足乳根(たらちね)の母は死にたもふなり

 ひとり来て蚕(かふこ)のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり




斉藤茂吉が25歳のときの歌です。
母に対する抑え切れない思慕の念が絶唱として迸ります。

みちのく… 僕は、僕に生じるその時を思い、その時の自分の姿が二重写しに想起され、
いつも胸を締め付けられる思いに駆られます。とても苦しくなります。
それくらいこの歌はリアリティがあります。つらい歌です。


人はみな母親から生まれてきます。当たり前ですが父親ではないんだなと思う。
どんな時でも自らの分身として子を思うのは母に違いない。そうしてそのことをいつの時点でか子は気がつく。
いや、心の奥底では誰しも知らぬうちに気がついているのかもしれません。
気がついているくせに知らんふりをしている。僕もそうなのだと思います。
そういうことを赤裸々に否応に表に引っ張りだす強烈な力を持った茂吉の歌です。


今日も母から電話がありました。そう、毎週のように土曜日には電話が入ります。
何の用事もないのに電話を掛けてきます。用もない電話に今日は少し長めに付き合ってやりました。
結局、今年の盆も実家には帰れませんでした。
「今度はいつ来るの」「忙しくて帰れないよ」「んだな。仕事忙しいんだろ」「・・・・」「無理しないでな」
こんな会話でいつも終わります。
とても心が痛む。

 みちのくの母の命を一目見ん一目見んとぞただにいそげる

この時が来ないことを祈りながら…








僕の周りで起きていること

2011-05-21 21:07:48 | 
この半年足らずのあいだ僕の周りで起きていること。

僕の3年間通っていた高校のある町が震災の津波により壊滅的打撃を受けたこと。
その惨状をこの目で見て茫然自失したこと。
同級生の何人かが犠牲になったこと。
子供の頃から目に馴染んだ風景のすべてがひとたまりもなく瓦礫と化していたこと。
ずっと昔に捨てたと思っていた“ふるさと”がとても愛おしく思えたこと。
十数年ぶりに実家の畑を耕運機で耕したこと。
両親がうんと年老いて見えたこと。
これからあの一帯がどのような復興の道をたどるのか心配になったこと。

いまここにいる自分はいつもの東京のしきたりや営みに戻っていること。
何事もなかったかのように仕事に従事し業績向上のため力を注いでいること。

人間としてのさまざまな欲望がどんどん薄れ僕は透明にさえなりつつあること。
今年に入り徐々に顕著になっていたその傾向が3・11を機に加速しているようであること。

週末はかかさずマラソンをしていること。
これだけは自分に課す唯一の制約、それを守り続けていること。

まだ多くの人が目覚める前の朝の早い時間に小高い丘の住宅の密集するあたりを疾走しながら、
昨夜もこの東京の何十万戸の住居のなかで愛の営みが行われ、ことによると生命の約束が成立し、
未来への弛みのない類の伝承がなされたのだろうなどと、やや勾配のきつい坂道にさしかかり
苦しい呼吸と酸欠に襲われぼんやりする頭の中で、特に羨望するわけでもないのに、
そんなことを考えていたこと。

進むべき道がわからないのだと思っていること。
半ばわかろうとすることを放棄しつつあること。
それは希望さえも捨ててしまうかもしれないと思っていること。

しかし未練がいっぱいあること。
だから走り続けることだけは止めてはいけないのだと、
僕の命の最後の部分が警鐘を鳴らし続けていること。



ややこできちゃった

2011-01-22 07:37:08 | 

ややこできちゃった

そんな彼女の言葉が頭をよぎった。

あまりにも唐突で、初めてで、僕の前の現実だとはとても思えなくて。

どういう気持ちで彼女はそれを僕に述べたのだろう。
切なくて優しくて当惑してどうしても言わなきゃいけなくて。

結局僕は受け止め切れなかった…


温かい人の情けも

胸を打つ熱い涙も

知らないで育った僕はみなし子さ

強ければそれでいいんだ

力さえあればいいんだ

ひねくれて星をにらんだ僕なのさ…







僕はそれでも生きている

2010-11-13 08:21:53 | 
なかなかこれに向き合うことができない。

衝撃的な出来事とか、大きな環境の変化とか、
はたまた劇的な心境の変化とかが、、、

あったわけではないのです。

ぼんやりとした不安…

そんなひとことで人生を総括した作家もいました。
これに近いのかもしれない。

けれどそこまで厭世的になっているわけでもない。



心配はいらない。

きっと書きたいことがいっぱい湧き出てくる時がくる。
その日を信じて。


長いあまりにも長い…

2010-09-25 21:08:57 | 
このブログと向き合うのもだいぶ久しぶりとなりました。


僕はと言えば、そこはかとない深海の、黄泉の国かと思えるような息苦しい無限の海底を、
意志のない透明な深海生物のように、ゆらゆらさ迷っているかのようでした。
上や下という光や重力、右や左の見境いさえもどうでもよくなり、
僕はただ堕ちていく感覚だけで、それに抗うこともなくただひたすらに、
運命に従順な信徒のように、自然でした。
自然に絶望していく感覚。


読みもしない古本を今日もいっぱい買ってきました。
毎日お酒をたくさん飲んでいます。


僕がブログを記すのは、僕という存在を肯定したかったからに他なりません。
生きる希望を何かどこかに見つけたかったのです。
もともと自分を肯定できない懐疑的な思想を持つ僕は、
それでも僕という存在について、何らかの意味があるのであろうと、
実際を綴ることで、確認をしたかった。

現実にある自分はあいも変わらずくだらない自分ではありましたが、
それも人間だろうと、僕もその人間だろうと、小さな事まで記すことで、
それが生きることであり、僕の存在なんだろうと、
結構努力をしながら認めてきたのですね。


そういうことが、もともと苦手なはずだった。


深海の透明な海老が、ほとんど動きのない深海の世界で、
動いているのやら何か思っているのやら全く分からないように、
僕は現実社会でただゆらゆらしています。


ビジネスも生活も何もかも一般世間並みにこなしています。


ただそれだけ。
それ以外に僕に何があるというのでしょう。

あるとすればあとどれだけか知らない、時間という不可思議なもの。
他に何もない。ほんと何もない。


僕は僕という運命を呪っている…

なんてレトリックに酔うなよ。


夏休み、暑い夏、肝試し

2010-07-10 08:07:54 | 


朝5時に目が覚めました。もう夏なんだね。こんな時間にすっかり日が昇っています。
昨日までのじめじめした天気が嘘のように太陽はさんさんと照りわたっています。
やや湿気がありますが久々に気持ちの良い朝です。

というわけで暑さが本格化する前にひとっ走りしてきました。
近くの公園を横切ると20人くらいの人が円を描いてラジオ体操をしていました。
えっ?もう子供たちは夏休みなの???と近づいていくとご年配の方々でした。
お爺ちゃん、お婆ちゃんが元気よく体を動かしています。中にはお孫さんを連れてきている方も。

子供の頃の夏休みの「ラジヲ体操」を思い出しました。毎日欠かさず通いました。
妹と弟を連れて、近所の学校の仲間達と競うように。
帰りにハンコをもらい皆勤賞を目指しました。
今日は何をしようか。その場は悪ガキ達の「作戦会議」の場でもあった。
今思えば大したこともしていないのになぜか毎日が楽しくてしょうがなかった。


山へかぶと虫、くわがた虫を取りに行きました。
近くの湖沼にフナや小魚を釣りに行きました。
まだプールがなかったこともあり川で水浴びに行きました。
地域の「子供会」では花火大会や肝試し、海水浴等の催し物が目白押しでした。
写生大会や勉強会なんかもあり夏休みの宿題をみなでやったりしました。
そう、午後に毎日やってくるアイス屋さんが楽しみだった。
1本数十円の氷菓子、汗をぶったらして遊ぶ合間にこれは重要な水分補給でした。
隣町の畑のスイカを失敬しその場でかち割りスイカを手ですくって食べた…
メロン(瓜??)とかブドウなんかもあった。
そんなこともいっぱいしました。悪ガキだったんですね。

この辺は多分小学校2~3年くらいの記憶でしょうか。





中でも肝試しは恐かった。
地域の河原や田んぼの中を一周するだけでしかもまだ夜の8時前後だし
普通ならそんな恐いことはありません。
実はその前に1本怪談映画を皆で見るのです。
ある町工場の空き地にて白い布をスクリーン代わりに垂らし映写機でカタカタ写しだされます。
白黒映画で画像や音声はそれこそ最悪でした。けれどそれが妙にリアル感を醸し出します。
なんだったろう。怪談かさねが淵だったろうか。めちゃめちゃ恐かった。
それを見た後に2人1組で懐中電灯を手に一回りしてくるという催し。
もう駄目ですね。
5分ほど間隔をあけてスタートしますが少し行くと何かに追われるように皆走り出します。
相手も置いていかれまいと必死に走ります。
小さい子らは置いてけぼりでワンワン泣き出しました。
めちゃくちゃな肝試し大会だったなぁ…
もちろん大人も管理者として参加してましたのでアフターフォローはしっかりしてましたから、
特に事故や変なことは起こりませんでしたが、やはり刺激が強すぎるとかで、
そうした映画付きの肝試しは何年後かには無くなったようです。
少し残念でした。


子供大人一緒になって地域というものが実体を持っていた頃の懐かしいお話です。

そんなこんなで洟垂れ小僧は逞しく成長していったのでした。


節度ある恋

2010-07-03 11:24:13 | 
昭和のよき時代のお話です。

ある商店街の酒屋の娘さんがショッピングモールを通る学生さんに恋をしました。
W大学に通う典型的な貧乏学生さんで当時流行していたグループサウンズのメンバーの
一人に大変酷似していたため勝手に〝サリー〟という愛称をつけました。

その商店街に古本屋がありある時そこで立ち読みするサリーさんの姿を見た娘さんは、
お酒の配達の途中にも関わらず古本屋で立ち読みするふりをして、
サリーさんがどんな本を読んでいるのか確かめたくなりました。

サリーさんが去った後、その本を確かめると海外文学を解説する難解な古書でした。
娘さんにはちんぷんかんぷんの内容でしたがペエジをつらつらめくっていくと、
あるところに「Y・T」という文字がインクで書かれている厚紙を見つけました。
貧乏でこんな高い古書を買えないサリーさんはここで立ち読みするのが精いっぱい。
そして毎回読んだペエジに栞代わりにこの厚紙を差し込んでいるのだと彼女は思いました。

Y・Tとは彼のイニシャル。そう思った娘さんは、エプロンのポケットから小さなメモ用紙と
鉛筆を取り出し、

 「難しい本ですね K・K」

と書き、栞があったペエジにその紙を一緒に挟み込み、本を元にあった場所に戻しました。

 「君は誰ですか Y・T」

数日後、恐る恐る手に取った古本には白い紙の栞に奇麗な文字でそう書かれてありました。

めったに古本屋になど行ったことのない娘さんでしたが、それからというもの店主のお爺さんの訝る目が気になりつつも、
恐る恐る店に行き古書を手に取る日々が続きました。

 「あなたを尊敬する者です」

 「君もランボオが好きなのですか。 Y・T」

 「勉強中です K・K」

 「ランボウは素晴らしいですね Y・T」

 「そうですわね。K・K」

   ……

栞の文通は約二カ月ほど続きました。
話せばきっと5分で済んでしまうような短い会話の数々…
娘さんにとっては相手の言葉の一つ一つが愛しかった。

その間も、商店街でサリーさんをちょくちょく見かけることはあったけれど、
彼女は声をかけかねていました。


その切ない恋にやがて意外な転機が訪れます。

大学生のサリーさんがある時、きれいな彼女を連れて娘さんの酒屋にお酒を買いにやってきました。
二人の会話からサリーさんの名前は「Y・T」でないことを知ります。
しかもサリーさんは彼女が想像していた姿とは全く違う性格の人でした。


すると今まで栞で文通していた「Y・T」とは誰?


娘さんは古本屋のお爺さんに全ての事情を話しました。
そして「Y・T」の秘密がお爺さんの口から明らかになっていきます。


本の著者である学生は太平洋戦争末期、神風特攻隊で無念の死を強いられました。
享年24才でした。名前はY・T。

彼女は特攻隊で死んだその若者と時空を超えた恋をしていたのでした。

とても不思議な話です。



『栞の恋』という短編です。



昔は文通という手紙のやりとりで恋心を語る文化がありました。
最近は携帯、メールですし、恋愛に節度などありません。
ましてや古本屋で栞を手紙に、一言ひとことに思いを込め…
などということは、小説の世界以外はあり得ないでしょう。

淋しい限りです。

好色ということ

2010-06-27 19:28:54 | 
世に好色でないひとはいるのでしょうか。

これは長年僕をとらえて離さない妄念のひとつです。
聖人君主といえどもなくはない。
もちろん好色といっても十人十色で濃淡も違うのは当然として、
しかし、好色でない者はない。

青春の一時期から強まり、青年となるにつれ抑えきれなくなり、
壮年とともに充実し、老いてなおその火は消えることはない。

好色という性癖は決して表に出して開陳すべきものでもないので、
また日本の文化は羞恥の心が重んじられるため、
みな澄まし顔で素知らぬ風を装うわけですけれど、
誰しもいつもチロチロとその火を絶やすことはない。
生き物である限り本性、本能だからしょうがないのです。


僕もまたなかなかの好色であるのは疑いようもない。
これは自分が言っているのだから間違いはありません。
そしていけないことだとは全然思っていない。

最近の草食系と言われる傾向の若者の一群にもそれは無いはずはない。
そう感じさせないのは社会の問題だと思う。
マスコミや商業的なものは上手にイメージや印象を操作するのが上手だ。
逆に「ラブアゲイン症候群」というのもよくも作ったりという感じ。
若者は草食系、青年期を過ぎた方々は肉食系というわけでしょうか。


好色の強い人、惜しげもなく表現し、行動に移す人、それも〝天才〟だと、
芥川龍之介は「好色」という初期の短編で言っていた。

この「好色」という短編、さっき風呂で読んでました。
だからくどくどこんなことを書いてしまった。

落ちが笑えるのでぜひ読んでみては。

人生は長いか短いか

2010-06-26 19:49:33 | 
中島敦の『山月記』の中に虎となった主人公が今までの自分を恥じて、

  「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、
   何事かを為すには余りに短い」

という箇所があります。

今日の自分は(いや今の自分は)この虎となった主人公に近い気がします。
すなわち「余りに短い」のではなく「余りに長い」という空虚さ。
僅かばかりの才能の空費。卑怯、怠惰…





思へば、全く、己(おれ)は、己の有(も)つてゐた僅かばかりの才能を空費して了つた
譯だ。人生は何事をも爲さぬには餘りに長いが、何事かを爲すには餘りに短いなどと口先
ばかりの警句を弄しながら、事實は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧
と、刻苦を厭ふ怠惰とが己の凡てだつたのだ。


本書はこのようにもっと辛辣にその姿勢を指弾しています。
分かっていながらなぜやらないのだと!!


ある方からの通信で、今の自分に満足するなという趣旨の励ましの言葉を頂きました。
そうですね、一向に「道」を見つけあぐね彷徨し続ける〝僕〟などみていられないのでしょう…


今日などは酷かった。
暑さと暇とでパチンコホールに逃げ込む始末…
打つこと数時間、「ザ・ピーナッツ」というパチンコ台。
僕の生まれる前に流された映像がたくさん出てきます。
なんとなく古きよき昭和を感じさせるそんな機械に没頭した。

どっかで聞いたことがある。「情熱の花」「恋のフーガ」「ふりむかないで」…
そう、何度もフィーバーし、結果いくばくかの予期せぬ収入も得たわけです。



が、いまこうした気分になっている。


何事かを為す。
僕にはとっても重い言葉です。

親友と三角関係

2010-06-26 08:58:02 | 
親友がいて恋人がいて、もし親友が恋人とできちゃったら、僕はその親友を許せるだろうか。
普通は無理です。どんな理屈があったとしても瞬間、「絶交」でしょう。
そして僕は僕の彼女を一生許さないと思うかもしれません。
少なくとも少なからず時間が流れ去るまではこんな気持ちは変わらないでしょう。




とても有名な話なんですがザ・ビートルズの一員で今は亡きジョージ・ハリスンは、
最愛の妻パティがジョージの親友エリック・クラプトンと恋中になったことを知り、
苦しんだ末、パティをリリースしクラプトンと彼女との結婚さえ祝福しました。

そしてその後も親友としてギターセッションしたり変わらぬ交友を続けました。

昔はとても理解に苦しみました。
もともとモデル出身で可愛らしいパティ・ボイドを淫乱な小悪魔だと思いました。
ジョージを情けない男だと思いました。
そこまでするかクラプトン、お前もな~…

けれど、今はそうは思わなくなった。





昔むかしその昔、僕がC子と同棲していた頃、当時東京の神学校に通っていたその前の大学での友人が
僕のところに(いや彼女のアパートでした…)遊びに来たことがあります。
懐かしい話や積もる話をいっぱいし、楽しくお酒を飲みました。
お互い貧乏だったため泊めてやることにしました。
狭い6畳一間の部屋で僕とC子は普通に布団で一緒に、その友人は隅でひとりごろ寝でした。
何かとっても居心地の悪い「ざこね」でした。

友人はこの地のカトリック教会へ行ってみないかと前日からしきりに誘い、
僕は悪いがそれは勘弁してくれと断りました。
C子はなんでも興味を持つところがあり、「へぇ~」などと話しに聞き入っていました。
僕も実はどっちでもよかったのですが、C子がそんな風だから逆に態度を硬化させたのだと思います。
小さな嫉妬だったはずです。
翌朝、友人は再度僕らに教会で牧師の話を聞くことを勧めました。
僕は相変わらず「めんどうだからいいよ」などと乗り気でない姿勢をみせましたが、
C子は行ってみたいと言い出したため、僕は少しかっとなり、
「なら二人で行けばいいさ」と、
とても大人げない言葉を吐いてしまった…

そして二人は教会へ行き僕はひとりぼっち。そんな状況に我慢できず部屋のいろんなものに僕は当たり散らした。
その時、小さなテレビをひとつ壊してしまいました。

そんなことは絶対ないのに僕はジェラシーの虜になってしまったんです。


とても僕はジョージのようにはなれない人間ですね。
(多分、今も本質的には変わっていないと思います)


ジョージ・ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」をどうぞ♪