艦長日誌 補足(仮) 

タイトルは仮。そのときに思ったことを飲みながら書いたブログです。

三国日誌 補足(仮) その4~梅酒を飲みながら英雄論~関羽と張遼

2007年12月22日 23時07分22秒 | 三国日誌 補足(仮)
 連合軍は、結局は董卓を追い詰めることができずに解散した。
 書くと長くなるので、この辺の割愛します。まぁ、いちいち描写するまでもなく、連合軍なんかも自分の利益を求める人間たちの、ただの寄せ集めだったってことです。
 義のため、人の世のためという旗のもとに集まる人間は、少人数のうちなら、まぁいいけど、規模が大きくなり過ぎるとどうしても最初の意志を見失いがちになるよね。

 名を挙げた関羽ですが、けっこうそんなことは自分にとってはどうでもよくて。流浪大好き劉備と、義弟の張飛とまたあちこち国中を飛び回っては暮らし、たまに戦い、呂布とかそんな強敵に遭いながらも、ゆく歳月。
 ひょんなことから三兄弟は、曹操のいる許昌の都に落ち着いていました。

 まだまだ群雄割拠の時代は続くんだな~ってカンジ。

 晴れたある日、宮殿の片隅の空の下、マンツーで酒を飲んでいた曹操に「今の天下に英雄と言えるほどの人間はいると思うかい?」と尋ねられた劉備は、酔ったフリして得意の聞き流しをしました。

 曹操はこの劉備という人物が、自分とはまた違う魅力を備えており、その才能はいずれ敵として強大になることを、予感というか期待感もありながら、その庇護下においていました。劉備がどれだけの人物か、己のためにも計っておきたかったのです。

 劉備は曹操なんかに比べれば、所有する軍事力も圧倒的に少ないし、身分も金もないし、領土だって持ってないし(だから曹操にお世話になってる)、車も持ってないし、彼女はいないようだし、それほど頭が切れるわけでもないし、先を読む力も、全てにおいて比較にすらならないほどの差があります。
 曹操は自分のことを天才だとか、才能あふれる若者だとは思っていません。
 今この地位にいて全てを手に入れられるのは、たゆまぬ努力したからだという自負もあります。上司やイヤな客にうるさいこと言われてもけっこう我慢もしたし、正直、「もっと寝ていた~い。仕事行きたくな~い」って朝だってあります。
 ところが劉備は、ただダラダラしていて、そのくせ名前は誰にでも知られていて人気もある。なにもしていない、なにもないただプーなのに。

 現代の社会でも、当時でも人間関係とか生活なんか価値観の違いはそんなになくて、目標をもって働かずにブラブラしているやつは、やっぱり半端なもの。周りから置いていかれるし、そんなのは自由人でもなんでもなく、自分のだらしなさに言い訳だけをする自分のことすらきちんと考えることのできない愚かな人間と思われていました。
 そんなやつなのに、それなのに、認められて生きているこという事実こそが劉備の強さだと思いました。
 ただその日を息するだけの生活と状態で、ひとはひととしての誇りをもって生きていけない。
 しかし、劉備は生きて活力に溢れている。その力はなんなのか?なにもないからこそなのか?執着がない、失うものがないから?
 地位やお金もがなくても、いつでも他人を思いやり、ひとの痛みを自分のことのように泣いて、笑ってくれる人間的な魅力に、関羽や張飛という人間がついてくるのです。しかも劉備本人にはついてきているいう感覚すらありません。「気が合うから一緒にいるだけっす」ってくらいのもの。
 誰もが、好きなものを手に入れるために汗して働き、時間もからだも削って切磋琢磨しているのに、こんなネットカフェ難民みたいな劉備のことを、曹操はまるで自分に無いものを全部もっていると感じてしまって、「うらやましいな」とつい思ってしまうのでした。

 「もう一回言うわ。今この天下に英雄と呼べる人間がいると思うかい?」あくまで酒の席での戯れといったカンジで曹操は尋ねます。
 「うむー、英雄…ですか?」
 「キミは英雄というのはどういう人間のことを指すのか知っているかい?」
 「うむー、英雄…ですか?」
 「質問を質問で返すなァーッ!いいかい、英雄というのは即ち、龍のように普段は川の底で眠り」
 「その話長いっすか?」
 「YOU&I!」欧米か。

 面倒になって曹操は思わず、「今天下で英雄と呼べるのは、二人の人間しかいない。それは君と余だ!!」と言い放ちました。

 劉備は曹操が自分のことをライバル視していることは知っていたけど、知らない素振りを装っていました。
 曹操が認めてくれているのは悪い気持ちはしませんが、その曹操という人間は、邪魔だしキライだなと思う相手を心のメモ帳の書き留めておいて、チャンスが来たら必ず排除することも知っていたからです。
 そんなリストに名を連ねるのは真っ平御免でした。

 折りしも、先ほどまで晴天だった酒の席は、いつの間にか入道雲が日を遮り遠くで雷が鳴いているのも聴こえてきました。
 雨が降るかな~って頃、関羽と張飛が遅れてやってきました。つーか、呼んでないのに二人は座って飲み始めました。
 実は二人は劉備の身を案じて駆けつけたのです。しかしそれを曹操に悟られるわけにはいかないので、「偶然!?」みたいな顔をして、勝手に一緒に酒を飲みだしました。
 曹操を恐れていることを知られては、兄劉備のことが曹操の心の排除リストに書き連ねられると考えていたからでした。そんなのは真っ平御免でした。

 表面上は「いや~、許昌の酒うまいですねー」「すみませ~ん、ビール人数分!」「刺し盛り注文していいっすか?」「ワイン、ボトルで!」「いや、弟には樽で持ってきてあげてくれませんか?」とか関羽も張飛も陽気に飲みながら。

 関羽の張飛も劉備までもが、それは悪い方向に考えすぎ。
 曹操という人物は歴史上の評価では、冷酷とか手段選ばないとか、やたら後輩に飲ませるとか、悪いことがクローズアップされることも多いのですが、それ以上に実力のある人間や一芸に秀でる誰ものことを認めて好きになろうとする極めていいやつでした。
 ただし、相手に期待するが故に裏切りは許さないのという性格でもあったために、過激な行動(殺すとかそんなん)に出ることもままあり、その過激な行動のほうが、曹操のいないとこでひとびとが飲み会で噂したり、僕なんかが書いていて楽しいから、そういうイメージが先行してしまっただけ。

 曹操は、とくに関羽とは友人になりたい気持ちをもってました。
 虎牢関で華雄を討ったその武勇が、単にかっこ良かったし、それを誇示するでもなく馬を撫でていた人柄に惹かれました。
 当の関羽は劉備に対する忠誠と友情から、曹操という立場の人間にはお近づきになりたくありません。個人として曹操はおもしろい人間で底がしれないかもしれない。飲んでてお互いが得るものもきっとあるだろうとは感じていました。でもその気持ちは心の奥底にきっちり畳んでしまっておきました。もしも兄の劉備に害を加えることがあれば、そのときは…。
 こんな時代じゃあなかったら、きっといい親友になれていたかもしれません。
 そんな気持ちを曹操は感じていました。関羽も内心では感じていました。
 しかし、こんな時代だったのです。

 そのご、劉備は紆余曲折の末、許昌の東に位置する徐州に落ち着き、いろいろあっていつのまにかこの地の太守となっていました。
 曹操は政治的な理由と戦略的な理由から、この徐州を攻めることとなりました。
 曹操と劉備が正面きって戦争という形でぶつかったのはこれが初めてのことでしたが、勝敗は曹操の圧勝。

 追い立てられた劉備の軍はほうほうの体で逃げ出し、徐州の出城である下邳に詰めていた関羽の軍勢は劉備の本軍敗走により、この地に取り残され、曹操軍に完璧に包囲されるという状況に陥りました。

 包囲された城の中にいつまでも篭っていても、曹操の軍勢は遅かれ早かれ攻撃を仕掛けてくるでしょう。長期戦となれば孤立無援となった関羽の部下たちは怯え、いずれ兵糧も尽きてしまいます。

 この絶望的な状況の中、関羽はたった一騎でも曹操軍に立ち向かう覚悟がありました。もちろん無謀な突撃で死ぬ覚悟ではなく、一騎で敵陣深く押し入って、曹操の首を挙げる覚悟でした。
 生きて兄弟たちに会うという覚悟でした。

 「開門せよ!」
 馬上のひととなった関羽は兵士に命令しました。
 右手に青龍偃月刀を携え、一騎駆けを決行しようと敵陣を見渡すと、そこには先ほどまで詰めていた敵兵は一兵もなく、曹操配下の武将、張遼が一人で抜刀もせずに立っていました。
 「なにしに来た?!張遼!ここは戦場である!丸腰とはいえ、斬るぞ!」関羽は張遼を怒鳴りつけます。

 張遼はそんな関羽を見つめて「わかるだろう?関羽どの」と言いました。

 なにを言っているのか関羽はわかってましたが、力を込めた青龍偃月刀をもつ腕の角度はそのまま、手綱を掴む左手もそのまま、馬に意志を伝える脚の緊張を解くことはしません。 遠く、敵軍の中心にいるであろう曹操の陣を遥かみつめた姿勢のまま、微動だにしませんでした。

 「うちの大将は無駄な争いはしたくないんだ」
 戦争中にそんなことを言ってなんになるのでしょう?平時なら、酒でも飲んで「あのときのオマエのパンチは効いたぜ!ハハハハ!」なんていいながら、昔に仲違いしケンカしたことも笑いながら盛り上がれることもあるでしょう。
 関羽にしてみても曹操にしてみても、誰が見ても今はまさに戦争真っ只中です。そんなちょろいことをいう曹操でもあるまい、と関羽は一瞬ですら考えもしませんでした。セリフの意味すら吟味しませんでした。

 すでに斬る覚悟を決めた関羽の今目の前にいる張遼。このままそこに立っていればあと5秒命がもつかどうか。

 「劉備の家族がいるのだろう?」
 張遼は指摘しました。これには関羽も怯みました。

 実は包囲されたこの下邳の城には、劉備の妻や子が逃げ遅れて残っていたのです。
 いくら関羽が無類の強さとはいえ、からだはひとつ。関羽が敵陣に突入しすれば、城に置き去りにされたものは全員捕まってしまうか、最悪皆殺しに遭うでしょう。
 曹操は、妻と子と、関羽の部下たちも助けてやるから、だからってわけじゃあないけど無駄なことをするな、お互いの兵士が無駄に死ぬようなことやめようぜ、ということを関羽に伝えたくて、張遼を代弁者として派遣し言ってきたのです。

 張遼、字を文遠。
 彼の経歴だけみると、今まで属してきた国には、君主として丁原(呂布に裏切られて真っ二つ)、続いて何進(だまし討ちに遭い、矢で殺され、最期は宦官なんかに首を刎ねられた)、そして董卓(人間キャンドルの刑)、呂布(いわずもがな)といった、マイナーリーグからメジャーリーグまでを余すとこなく渡り歩いた変わり者です。
 もちろん表面だけみてはいけないのですが。今は曹操の下で、勇猛さと頭脳を備えた士として重用されています。
 ここまであまりパッとした戦歴はない彼ですが、その後の彼の活躍をみると、ここで関羽を説得しに来れる人物として、曹操の代弁者として彼ほどの人選はなかったともいえるでしょう。

 曹操はもちろん関羽と争いたくはなかったのですが、その理由は先に挙げたようにいくつもありました。
 お互いの兵士を無駄な戦闘に巻き込んで死なせたくなかったということ、そして関羽がひととして尊敬できること、人気もあって名も知れた関羽を逆に殺したりしてしまった日にもはや劉備どころか、この戦とは関係ない国からの人望も失ってしまうこと、そのマイナスのイメージは数では計れないダメージを自分に被ることだということ、今日は自分の誕生日だったこと、天下の逸材としての関羽を認めていたこと。いろいろ。

 総大将という立場の曹操の考えと、一個人としての曹操としての想いがぐちゃぐちゃになった、そんな気持ちを、戦闘体勢に入った関羽に正確に伝えることができる適任者は自分の部下では張遼以外には考えられませんでした。
 まさか自分自身が一人のこのこ歩いて行って関羽と対面するわけには立場上いかなかったので、張遼にその想いを託したのです。

 張遼は一見のほほんとしていますが、これだけの君主のもとを渡り歩いたのは、決してフラフラしたかったわけでもなく、不遇だったわけでもなく、理想を常に追い求め、自分が存在すべき場所が見つかれば、そこで生涯尽くしたい気持ちを持った男だったからです。
 彼が、あちこちに顔を出しては、その上官を見限り、移住し、放浪を続けたのは、単なる気まぐれやおいしい匂いに敏感だってのでもなく、その上官が理想とするものではなかったからです。

 もともと張遼は曹操にとって降将です。
 呂布配下だった張遼を捕まえたときに曹操は、とりあえずくらいの気持ちで、この降将軍に話しかけました。
 どんな会話があったのか、それはわかりません。短い会話だったことだけわかっています。しかし曹操と張遼は、会って一言二言話しただけで「これは天下の逸材だ。求めていた人物に会えた」とお互いが考えました。

 だから曹操は関羽を殺したくない、できれば説得して降らせたい、と思ったとき曹操が頭に真っ先に浮かんだ代弁者は、その昔に自分に降り、世の中の価値観とその気持ちをお互い理解し疎通できた、もともと降将軍という立場でもあった張遼だったのです。

 「俺が曹操に降れば、兄者の家族は見逃す…と、そういうことか?」
 「そういうこと。余計な死は必要ない。死ぬのは兵士だけだ。まぁ、それもなにかを守るための行動だから、無駄ではないかもしれない。でもここで戦ってなんになるのだ?関羽どのよ」
 「武の誉れ!」
 「関羽どの、それは違いますぞ。別に、あなたは死なないかもしれないからってわけじゃあなくて。…どうも、あなたはめちゃんこに強過ぎるから、ときにものの見方を『こう』してしまうことがあるね。いつかその過信が自身を窮地に追い込む日が来るだろうな。」
 「張遼どの、そこをどくんだ。兄者の家族も覚悟はできているであろう」

 張遼は退いたりしません。曹操の代弁者としてここにやってきたのだから。
 責任があるからってことを考えていたのでもなく、いざ対関羽ということになっても負けない自身があったからでもなく、ただ心の底から関羽のことを案じてていたのです。いつかの自分とその姿を重ねました。そして曹操が関羽を高く評価していることも、こうして目の前に本人と接していると、理解できました。

 自然、張遼の顔は何ともいえず相手を思いやる優しい表情となり、その張遼のなんともいえない表情が、関羽にもう少し話を聞いてみるか、という気持ちを起こさせました。

 張遼は続けて話します。
 「ここで関羽どのの一騎駆け。なるほど、武の誉れでしょう。しかしその華やかしさのウラで守るべき義兄弟の家族は死ぬ。
 あなたはどうする?あなたもこの戦闘で死ぬから、それでいいと?もしくは生き残っても恥じて自決でもするか?自分の不徳を憂いて、ただただ生きることもできないのではありませんか?!それが、一心同体であることを誓った友人の劉備に対する忠義だとでも言うつもりか?!」
 「…」
 
 張遼の言葉は自分自身への問いかけだったのかもしれません。

 関羽は、しばし待たれよと行って城に引き返しました。
 張遼も一旦自軍へ引き返し、城への囲いを解くように曹操に進言しました。周りの武将は「そんなことをして、この隙に関羽が逃げたらなんとする?!」と鼻息荒く諫めますが、曹操は静かに「張遼の言葉通りにせよ」と言い放ちます。

 (自分が張遼を代弁者として選んだのだから、その張遼の判断、言葉はこの場では我の言葉と同じ意味、我が口から出た命令である、ということを暗に仄めかし、曹操に逆らってはいけないことを他の武将に知らしめるためのセリフでもあります。)

 張遼は、関羽は逃げたりしないタイプの男であることを、確信していました。仮に関羽が考えを改めずにここでやけっぱちになって、攻撃を仕掛けてきたり、抵抗しようものなら、逆に自分が一騎で城に攻め込んで関羽と剣を交えるつもりでした。自分が死んでも関羽を止めるつもりでした。

 「それも、武の誉れか…?」先ほど、関羽を諫めたはずなのに、一騎で関羽に立ち向かう自分を想像すると、感動で打ち震える思いでした。
 関羽が一騎でも戦うと決意した、その気持ちは立場を同じくしたこともある武人張遼には痛いほど感じることができました。
 「しかし、それは勇気ではない」

 関羽は、劉備の妻と子に「一時、曹操に降伏すること。今後もどんなことがあってもあなたたちを守ること。今は所在のわからない劉備を見つけ次第、必ずあなたたちを送りとどけること」を約束し、また城を出ました。

 張遼は、すでに待っていました。
 「曹操さまのところへご案内申し上げる」
 「よろしくお願い仕る」

 こうして関羽は曹操に降りました。曹操を、張遼を信用したからではなく、劉備の家族を守り、そして劉備に一言詫びるために生きることを決めたのでした。
 自ら招いた敗北では決してありませんし、恥じるべきものでもありませんが、関羽は自分がなにか他のものの為に今できる最良と思える道を選んだのです。

 皮肉なことに、この敗北により、曹操の下に入った関羽はそのごの官渡の戦いにおいて、最強伝説その2を作り上げることになります。
 官渡での関羽のムチャっぷりはまた明日。