艦長日誌 補足(仮) 

タイトルは仮。そのときに思ったことを飲みながら書いたブログです。

三国日誌 補足(仮) その3~関羽、華雄を討つ

2007年12月21日 22時26分13秒 | 三国日誌 補足(仮)
 その頃、魏では「赤壁の恨みを晴らそう!」という機運が高まっていました。
 機運の高まりは、別に魏が赤壁のダメージを回復したからということではなく、なんとなく気持ちがそうなったとか、とある晩に自分の本当の気持ちに気がついたとか、「知らないうちにあなたのことが好きになったの!」とか、そんなアンニュイなものでもなく理由があって。

 魏、呉、蜀の三国。
 なんせ三国志っていわれるくらいだから実力も伯仲、一方が一方を攻めれば、手薄になったとこをもう一方に攻められるし、こっちだけ見てればあっちの国になにされるかわからんし、絶妙なバランスを保ちつつの複数国家樹立の時期と捉えられがちですが、実はそんなことは全くありません。もう一回言っておくけど、全くそんなことありません。
 領土の広さ、兵力、経済力、有能な人材の豊富さ、どれをとっても魏が飛びぬけた国力を持っていました。
 魏を10とするなら、呉は4、蜀なんて2くらいなもの。

 だから魏は赤壁にて大敗したとはいえ、そのすぐあとに自国の西で起こった反乱にも、すぐに大軍を送って対処することができました。
 西涼という田舎で起こった魏への反乱は、その大将が馬超、副将が韓遂という、言ってみりゃあキン肉マンゼブラチームくらいにはそこそこ強いものでした。曹操はこれをさっくりと攻め、最終的には馬超と韓遂を仲違いさせ、内部分裂から戦況を自軍有利の方向へ持っていき、あっさりと反乱を平定しました。

 (この戦で敗北し流浪する馬超は、張魯という君主の治める五斗米道による新興宗教国家に身を寄せたりもしますが、最終的には蜀の劉備のもとに仕えることとなります。だから関羽は「あんなぺーぺー」と思ったんですが、それについてはまたいずれ。)

 反乱も収まり、じゃあ今度は赤壁の恨みを晴らそう、南下して蜀も呉も一気に飲み込んでしまえ!っていう思考はある意味当然。
 そんな機運。

 しかしながら、南下するにあたって、そこにいるのは蜀の関羽です。伝説の男、関羽。
 「普通の飲み会だから」と誘われて北炉に行ったら、イキナリ目の前の席に座っている人物が、自分が一年のときに「名前は聞いたことがあるけど、この人、先輩ですら『自分が一年のとき四年生』とかいうさらに上の先輩ではないか?!」ってくらいの伝説。
 まずはここを打ち破らなければ、魏は一歩も動けない。圧倒的な力をもつ魏ですら、この一歩が一番の難関だと考えていました。
 かといって放っておくこともできません。魏の総帥である曹操は関羽という人間をよく知っていました。
 関羽という男は荊州を守るだけではなく、隙あらば北上して魏に押し入ってくるだろう。そうなれば魏が全力をもってこれを迎え撃つことは赤壁以上のダメージとなる。関羽一人でそれだけの力がある。
 関羽のいる荊州だけで、4の力がある。さっきの話だけど、魏が10なら呉は4。蜀は2、ただしこの数字はあくまで関羽を除いたとして2。簡単な算数で、魏も安穏としていられないのは明白にわかる。

 そんなさ~関羽関羽いうけど、なにがどんだけすごいのさ?っていう人のために、関羽のすごさを書いておきます。知ってるかたは飛ばして読んでください。

 関羽、字を雲長。
 歴史の表舞台にでてきたのは、ここでも何度か書いてあるけど、虎牢関の戦い(この話のなかでは『水関』(しすいかん)と同一の場所として扱います)。

 当時、帝を意のままに操り、統一国家であった漢を好き放題にした暴君董卓。その董卓の暴政を諫めるがごとく、全国各地の英雄たちが連合軍を結成し、首都洛陽に迫った。
 義のために集った連合軍のなかには、若き日の曹操や孫策もいました。そして劉備も。

 いってみればこの戦いは、古い体制を打破して、新しい覇権の時代を到来させる…要は敵を滅ぼして戦争を終わらせることによって、新たに生じたアンバランスな世界を、次の誰かが治めることによって、その誰かを倒すために新たな戦いが生じて…という、人類の歴史上において避けることのできないぐるぐるの中の一ページではありました。

 連合軍は洛陽へ向かって進軍します。途中途中で面白いくらいの勝ち戦。このままいけば、董卓なんかあっというまに倒せちゃうんじゃあないの~!と誰もが考えていました。
 そして董卓のいる洛陽の都のすぐ手前、虎牢関にまで攻め入ります。「ここさえ破れば我こそが…」「いや、我こそが」「我こそが天下の覇者だ!」ってみんな気合入りまくり。

 なんもなんも、義のための連合軍とかいって、その実、大将たちが考えているのは単に自分の力を知らしめて、我こそが新しい統治者にならん!ってことばかりでした。まぁ、別段おかしなことでもないし、今だってそんなもんでしょう。

 かわいそうなのは兵士たち。そんな大将の願望を叶えるために最前線で戦わされて。イヤんなったら帰ればいいんだけど~とか思うけど、董卓の圧政は一兵士である自分たちの家族の生活をも困難にしていたし、家族を守るためには大将の指揮下で働かざるを得ない。

 虎牢関を守るは、董卓軍の中で武勇ナンバーツーに数えられる華雄。
 連合軍はこの華雄の軍に当たりますが、なんせ華雄は強い。それまで優勢だった連合軍はあっというまに華雄によって討たれまくり。
 連合軍の大将たちは一旦退いて、緊急の軍議を開きます。議題は「華雄を討ち取るためにはどうするか?」ってこと。
 華雄の強さを目の当たりにして、こんなとこで自分の兵士を無駄に使いたくない大将たちは、誰一人として「華雄は俺が!我が軍が倒す!」とは言いません。人任せ。そりゃあそうです。目的はあくまで董卓の首。董卓を自分が倒して、その代わりに自分がその地位に就きたいから。華雄なんかを倒すのは自分以外のどっかの誰かに犠牲を払ってやってもらいたい。

 軍議は、そんな空気のなか、ただ延々と時間だけが過ぎていきました。いまどきの会社でもありがちなのんびり軍議。意味のない時間。誰もが言いたいことを胸にしまいながら発言を控える。
 こうしている間にも、この指揮系統の中心部にまで華雄はどんどん進撃し迫ってきています。

 物見の兵が、軍議中の幕舎に次々と報告に入ります。
 「敵将華雄が、ここより5km彼方にてこれこれの陣にて交戦中!」
 「先鋒の将軍討死!華雄の軍はこちらに向かって進撃しております!」
 「イキオイますます、敵は前線を突破しました!距離2キロ!!」
 報告を行う兵もその戦況を命からがら伝えに来ますが、その兵士たちにも刀傷、矢傷、一人として負傷していないものはいません。そしてとうとう…
 「華雄軍、すぐそこまで迫っております!ここももう…!ゲフッ!シジ…」

 連合軍盟主の袁紹はとうとう事態に堪りかねて言い放ちます。全軍の大将を見回して「誰か、あやつを倒す豪傑はいないのか?!」と。
 誰も顔をあげません。「じゃあオマエが行けよ」と内心誰もが思いながら。
 このままでは誰もが華雄の軍の前に敗走を免れません。それもわかってます。

 そのとき軍議の末席にいた男が「それがしが華雄を討ちましょう!」と声を上げました。 みんなが振り返ると、そこには誰も知らない男が立っていました。

 この頃の中国では身長を~尺~寸とか、体重は~斤とかそんな単位だったので、それだと分かりづらいから現代の単位でいうと、男は身長は190㎝、体重は身長のほどには重くなく85㎏くらい。デカイはデカイけど、スラリとした体型。顔は意外とスッとしていて白い肌の一見すると優男ふう。チャームポイントはヒゲ。のちに「美髯公」とひとびとに持て囃されるほど美しい髯を伸ばしており、キューティクルで艶やかな黒い髯。相当伸ばしていたようで、首から髯を入れるための袋を提げています。
 
 「誰?」袁紹は尋ねます。
 「関羽と申します」
 「で、どこに属するものなのだ?」
 「劉備玄徳の部下で、足軽です」
 「はぁ?」

 ここにいる誰もが、まずその劉備玄徳という人物を知りません。劉備という男自体が、国の役人でもなく、名だたる武将でもなく、連合軍という旗の下にちょいと顔を出した程度の男で、しかもそのさらに下の足軽だァ?。
 誰かが華雄を止めなければならない。しかし止めると簡単にいっても、そのためには華雄より強い力をもっていなければならない。それが、どうでもいいような足軽野郎が何言っちゃってんの?そんな者がデカイこと言うのもだから袁紹だけではなく、他の大将たちもキョトン顔。

 「関羽とやら、場をわきまえよ!ここは軍議である。お主のような足軽風情がしゃしゃり出て発言できるような場ではない!」
 関羽は「あーはい」としか言いませんでした。

 若くしてその才能を認められ、すでに名だたる武将の集まる連合軍のなかでも発言力のある曹操は、そんな関羽を見て言いました。
 「関羽とやら、そなたは本当に華雄を討つというのだな?」
 「そのように申し上げましたが」
 「よしッ!ならば関羽、行って華雄の首を挙げてみせよ」

 総大将袁紹は、だからといってこの関羽を華雄に対して当てるのはイヤでした。こんな足軽が勝つ可能性などないともちろん思ってるし、なによりも連合軍のメンツってものがある。連合軍にはここまでひとがいないのか?!と董卓に舐められるのがイヤでした。
 曹操はそんな袁紹のどうでもいいメンツも読み尽くしており、かつ「もしも万が一、この関羽という男が華雄に勝つことがあれば、敵も『連合軍は足軽でも強いぞ!?』という話が広がり怯えだすだろう。負けたとしてもこっちとしては失うのは足軽一人、やらせて損はなにもない」という思考があったのです。

 当然ですが、当時は曹操を初め、ここにいる誰もが関羽の無類の強さを知りません。知っているのは、その横にちょこんと座っていた義兄の劉備と、義弟の張飛だけです。

 青龍偃月刀を腰に引っさげ、おもむろに髯袋を取った関羽は「馬借りてもかまいませんね?」と言い放ち、幕舎から出て行きました。「足軽の分際で馬だとォ?!」袁紹はもう、華雄どうこうよりも、連合軍の命運とかよりも、この関羽というやつが自分を差し置いて勝手やってることが、なんか癪に障って堪りません。
 「いいじゃん、別に馬くらい。その馬で華雄を討てるならアンタにとってももうけもんだろ?」と誰に言うわけでもなく呟いたのは劉備です。
 曹操は劉備のその呟きを聞き逃しませんでした。なぜなら、その考えかたは曹操の先程までの考えをなぞるかのようだったからです。

 幕舎の外では大地を震わすほどの鬨の声。敵見方入り乱れての乱戦が行われていることが、先ほどから音だけで充分伝わってくる。

 関羽は一騎、その中に馬を進めます。最早いつのまにか、連合軍もこの戦の命運を、よくわからないこの男に賭けるしかない状況となりました。
 勝利か、撤退か。
 撤退くさいぞ~とほとんどの大将が疑ってないので、逃げる準備をしつつ、全員が幕舎を出て関羽を見守ります。

 何千という兵士が襲いかかる中、どのようにして関羽が華雄の前まで進み出たのか?
 近くで見ていた諸大将たちからの距離でも確認できませんでした。敵軍は間近に迫っていたにも関わらず、味方軍勢とのぶつかり合いで、辺りは砂煙がもうもうとして、視界は遮られてたからです。

 と、華雄がいた中心あたりから砂煙は止みだし、周りで戦っていた敵軍の兵士たちも連合軍の兵士たちも動きを止めて、その中心から出てきた一騎の武将を見上げました。

 関羽は出て行ったときと同じように、青龍偃月刀を腰にさし、馬に乗って帰ってきました。幕舎を出て行ってから一分も経ってません。
 待ちかねていた諸将の前に辿り着くと、関羽は下馬して、なにか大きな丸いものを並み居る大将たちの前に丁寧に置きました。
 それは華雄の首でした。

 皆がその首を見て、続いて目を上げると、砂煙のすっかりやんだ敵陣の中心で、華雄は首のないまま、馬上のひととなっていました。
 さっきまであれだけ連合軍を苦しめて、縦横無尽、当たるもの全て蹴散らす勢いだった華雄は、気がつくと突然首だけなくなったかのような状態で、まだそこにいました。それを周りの敵と味方がようやく確認したとき、初めて華雄の首から血飛沫があがりました。

 敵味方、合わせて何万の人間の目があった衆人環視のなか、誰一人、関羽が華雄の首を撥ねた場面を目撃したものはいません。
 それは関羽の剣の速度が超人的だったとかでもなく、馬ですれ違いざまに討ったわけでもなく、華雄の後ろからそっと近づいてだまし討ちしたとかでもなく。

 関羽にとって華雄の首を撥ねること程度のことは、そこに咲いていた花を摘むくらいのことだったからです。
 行って帰ってくる。それだけ。

 誰もが信じられない目で関羽をみました。
 当の関羽は馬のたてがみを撫でていただけでした。ただ、みんなに見つめられているのに気づくと髯の袋を取り出して、その中に髯をキュキュッとしまい、また劉備の横に戻りました。

 …

 今日はやはり仕事で東久留米市に行ってきました。西部池袋線だかに初めて乗った。
 先日打ったブロック注射は効いていない気がします。座ってても痛い。痛み止めも飲んでるんですけどねー。
 まぁ、もう年末まで時間もないし、あと何日かこなせば休みだからイキオイでいくしかないかな、と考えています。

 三国志、だんだん本筋から離れてきましたね~。最初は呂蒙の話だったのに、赤壁あとの蜀呉の荊州争い、いつのまにか関羽、とうとう虎牢関の戦いまで遡ってしまいました。
 少しでも知っているひとなら、読んでいてもなんとなくタイムレコードがわかるかも…ですが、わからないひとにとっては意味わからないですよね。

 でもわからないひとはわからないままでもいいんです。いや、別に突き放しているわけじゃあないっす。
 三国志っていう面白い話を、まだ読んだことないなんて、僕に言わせれば「なんてラッキーなんだろう!」ですよ。これから、この面白さを知っていく喜びに出会えるのだから。羨ましいな。