艦長日誌 補足(仮) 

タイトルは仮。そのときに思ったことを飲みながら書いたブログです。

カーテンを洗濯した

2008年02月27日 21時56分08秒 | 個人日誌
 先週、革ジャンをクリーニングに出しまして。「こちらの店では取り扱いができないので、別のお店に持って行くので時間がかかりますがよろしいですか?」と聞かれた。急ぐものでもないので了承して預けました。出来上がりの日がわかったら連絡しますとのことだったが、未だ連絡がありません。
 こんなに時間がかかるものなのかな?でも、まぁ、急がないのでゆっくり丁寧に仕上げてもらえればそれでいいっす。

 今日はいろいろ買いたいものがあったし、もちろんリハビリも行きたかったので外で過ごす時間が長かったのだけど、午後三時頃に雪がチラチラと降ってきました。布団干して出たのにな~。天気予報じゃあ晴れるって言ってたじゃあないか。まぁ、雨よりはマシか。

 全然関係ないけど、パソコンの調子がまたよくありません。

 mixiのトップ画面。なにか変じゃあありません?本来なら上のほうに「トップ」とか「あしあと」とかそんなバナーが表示されるはずなのに。


 そんで、今。なにも出てこない…。

 なにが欲しいかって、ラグとか欲しいんです。ラグってなんだ?絨毯となにが違うのかよくわからないが、あればあったかそうで。
 思い切って部屋の模様替えをしたいんです。

 最近買った布団一式は特にイメージしたわけでもないのだけど、茶系。
 一時、ブルーが好きで、なにを買うにもまずブルーありきって買い方をしていた。座椅子とかテーブルとか、小物入れとか。
 それに飽きてきた。
 部屋の扉なんか木目だし、ステレオも木目だし、色としては茶色で統一してみたらなんだかグッと大人びてよくない?よくなくなくなくなくないな。

 ぜ~んぶ茶色は少し渋めすぎてインパクトに欠けるので(なにに対するインパクトなんだろう?)どこか一箇所だけビビッとな色を入れていきたいとこだ。それはどこだろう?まぁ、気長に考えるさ。


 クローゼットのサイズが小さくて、常に扉が開きっ放しなのが悩みの種。

 部屋のことを考えるとさ~、この部屋に住んで長いんだけど、あと一万も出せば2DKとか3DKの部屋借りれるんだよな~。もちろんそれには引越し代も必要だし、なにより不動産屋に行ってあーでもないこーでもないってやるのが面倒だ。
 一万ったらそりゃあ大きなお金だけど、飲みに行けば一回でだいたい一万だし、ある日財布から一万円札がなくなってもそんなに気がつかない。

 とは言いながら勝手に引っ越すわけにもいかないし~。いや、じゅさんが「今日帰るわ」と言ったときに「引越しましたw」ってやったらウケるかな?
 あ、そうそう!グリーンジャンボ買いましたよ。もう何億円当たってるかわからないくらい貯まっていますね。つーか、これ有効期限というか当選金の引渡しっていつまでなんだべか。

 今日は飲みながらダラダラと書いたり書かなかったりしたので、話題があちこちに飛んでしかもオチもないのですが、せっかく書いたから載せただけ。

 買ってきたピローケースが小さくてがっかり。歯磨き粉買ってきたらちゃんと予備があった。歯ブラシも買ってきたけど、たくさんあった。

おいしく食べることって素晴らしい

2008年02月26日 22時02分26秒 | 個人日誌
 入院が延びたというshow先生の早期回復を祈願して、昨日までの昼ご飯はとんかつにしました。三日連続で。

 このブログの中で、一番登場頻度の多いメニューと思われるとんかつですが、好きなんです。「好きな食べ物なに?」って聞かれたらすぐさま答えられるようなカンジでもないし、そこまで頻繁に食べているわけじゃあないのだけど、毎日食べても全然飽きません。
 好きってよりは、とんかつが食べられる体調でいるってことが、自分のなかでは一種健康のパロメーターみたくなってるのかも。だってさ、とんかつなんか二日酔いのときには絶対食べられないじゃん。

 昨日いただいたのは、最近できた初めて入るお店でしたが、なかなかいいカンジのとんかつ屋さんでした。チェーン店なのかな?
 一見の店だと、なによりも値段が気になってしまう小市民な僕ですが、店の前のノボリに「ランチタイム」って書いてあったので、「そうか、よしよし」と入ります。

 仕事中は、お昼御飯に1000円までなら使っていいと、自分で決めています。そこが限界。ときに高くなったり安くなったりはする。
 忙しくて遅い時間に食べる羽目になったらやや高くてもいいとか、それでもラーメンなんかには1000円は高いだろうとか、その日その日で基準も変わる。安く済ませるときには吉野家なんかで。
 平均するとおそらく800円くらいだと思われる。

 お昼御飯になにを食べるかは、僕の仕事(?)においてとても重要で、素晴らしい食事と空間を用意してくれるのなら1000円ってのがスタンドの射程距離って話です。
 いくら安いからって、コンビニの駐車場でおにぎりを食べて10分しか休息がないなんて御免だ。
 そんな忙しいときもあるけど、そんなときは仕事なんかやってられないよ~って気分になる。なるけど、それだけ面倒なことになってるってことだからやるしかなくて、疲れる。

 一番安いランチが、とんかつとエビフライの定食1000円。まぁ、ギリだな。

 注文してすぐに店員が盆に載せてやってきた。ずいぶんと早いな?と思って運ばれてきたものを見ると…


 お新香と胡麻。
 お新香は三種類もあって、この小さな器のなかに入っている。胡麻は自分で摩りおろせるようになっていて、うむ~これはなかなかいいね。
 お茶を飲みながら、さっそくぱりぱりといただく。

 この漬物だけでご飯一杯くらいはいけそう。そしてとんかつの登場。


 左から三番目のカツが横向きになっているのが、お分かりでしょうか。
 ロースカツは切っていただいたものを左から二番目、ないしは三番目から食べるのが基本。
 なぜかって、脂身と肉の割合が一番いいところだからです。食すときにはここからいただくと、その店の味がわかります。
 この横向き具合は偶然なのか、それとも作り手がそれを知っていてあえてやっていることなのか。この謎を解くためだけに、また来ちゃうもんね~ってカンジです。

 こちらのお店では御飯とキャベツがおかわりできます。そういうお店は多い。もともとの料金の中にその代金が入っていると考えるべきだけど、そんなことはどうでもよくてお徳感ある。
 女性はそんな何杯も食べないだろうし、たとえものすごく食べる人が来たとしてもその量は高が知れている。一回炊くのにかかるコストと人件費を考えたら、御飯の量もキャベツの量も、たいしたものではないだろう。
 同じものが900円でおかわり不可、1000円でおかわりし放題なら、客心理としてはどちらを選ぶかは一目瞭然ですね。900円でも食べないひとは、ハナからターゲットにしていないわけだから。
 そこも取り逃がさないようにするためには、もう少し安価で、少量であってもおしゃれにおいしく食べられるお店を近くに出店すればいいわけだ。

 そんなことはどうでもよくて。おいしかったです。とんかつサイコー。

 こんなにおいしいとんかつですが、じゃあお酒を飲みながらも食べるのか?と問われると、それはしない。食べるときは食べる、飲むときは飲みたいので。

 今日はお休みでした。昨日帰ってきてからビール一本飲んで、少しだけ寝ようと思ったらあっというまに午前一時になってしまっていて、せっかく買ってきたお刺身をこんな時間から食べるわけにもいかないと思いつつ、また寝ました。
 そして起きたのは夕方の17時。僕はホントは何かの病気なんじゃあないでしょうか。途中何度か目は覚めるのだけど、そのまま横になっていると、次に目が覚めるのは三時間後みたいなことを繰り返しながら。

 前日のとんかつ以降なにも食べていないので、28時間も栄養を摂っていない。さすがにこれはいけないとは思いながら改善されないね~。
 父さんにも「寝るのはいいけど、一度起きてなにか食べろ、からだに悪いから」と実家にいたころはよく言われたものだ。

 その実家から荷物が届きました。前に書いたけど、吉川英治三国志前八巻とスニーカー。それにしてはあまりに重たいダンボールだが、他にはなにが…
 鬼のようにチーズやおつまみが入っていました。

 母さん、嬉しいけど、これがある分だけ息子は酒を飲み続けることになるよ。

 おつまみのほとんどは乾きモノでした。これを食べきるのにどれだけのビールが必要なんだろう。
 おつまみのネーミングがよかったので、写真を載せておきます。

ど~こに~むか~うのだろ~ なにを~さが~しだせる~のだろう

2008年02月24日 23時21分29秒 | 個人日誌
 「明日は給料日ですねー」
 「今月もなんとか生き残ったなー」
 「僕なんかそろそろヤバイな~なんて」
 「俺はいつクビになるか、いつもビクビクしてるよ」

 そんな微笑ましい会話が、月末にもなると職場のあちこちで交わされます。みんなギリギリのとこでなんとかかんとかやってんだにゃ~(←他人事)

 僕も「向いてない向いてない」とこの仕事を続けながら幾年月。営業ってやつはホント意味のわからない職業だけど、もともと意味のわからない暮らしをしてるんだから、まぁいいか~って最近は思う。
 どうしても数字が取れないときってのはあって。営業の人間なら誰でも経験する苦しい時期なんだけど、ご多分に漏れず僕も「あ、これもう無理」っていつも考えてます。スランプに陥る周期が段々と短くなってる気もするんだよね。

 ここんとこ、手法を変えてみました。
 うまくいっていないときにガラリとやり方を変えてみるのも、やっぱ誰もがよく試みることなんだろうけど、けっこう賭けだよね。変えることによって新しい発見もあるにはあるけど、たいがいは派手に転ぶ。
 今までの僕は、「お客さんを説得して買わせる」ってことに固執してきた感があって、この方法だと、説得が失敗すると自分の人間性までが否定されたような気持ちになって憂鬱になるんです。
 営業のターゲットとなりえる客数が決まっているタイプの仕事なので、お客さんのほうも「その話は何度も聞いたよ」的なことをおっしゃるケースが多いので、「いやいや、それでも今時期は…」なんてテキトーなこと喋ってたわけですが、ぼちぼち限界。
 そこで逆のやり方を試みています。

 説得しない。説明は最低限。もしもお客さまが「またその話かよ」みたいなことを言い出した瞬間に「ですよね、じゃあまた時期みて来ます」って帰る。
 そこで「おいおい、もう帰るの?説明なし?」ってのを期待しているわけじゃあ全然なくて、この時点でそのお客さまを「除外」しているんです。

 だってダルイじゃん。ってのはウソで(いや、本音か?)。どんなにガー喋っても、ダメなものはダメなんだよな~。
 いや、中には「ここまで熱心にきちんと説明してくれるなら安心して任せられるな」って客もいるかもだよ。
 もしくは、こっちにしてみたら話す必要性に乏しいと思い込んでいた些細なことが、実は客にしたら引っかかっていた事柄のことであって、それをなんの気もなくツラっと話すことによって成約になることもあるよ。

 ただ、その確率的に小数点以下の可能性に賭けて、毎回毎回プレゼンを仕掛けるのは、なんだか労力の無駄ァッ!!って思って。
 営業という仕事は、その逆風のなかで契約いただくのが本質なのかもだけど。疲れるんだわ。
 除外して除外して、残ったお客さまは間違いなく契約していただけるって寸法さ。「寸法さ」ってそんなすごいもんでもないけどw

 いやね、のれんに腕押しなところに時間を使うのなら、もっと見込みありそうな次の客を開拓するのに力を使えってことです。
 野球だと、一試合の打席数ってのはだいたい目安があって4打席で一本のヒットが打てれば打率は.250。ここは僕だけ一試合10打席くらい立って、一本打てば打率は.100だけど、ヒットの数は同じ。
 イチローのようには打てないけど、イチローのよりも試合をこなせばいいんじゃあないか!?

 なんてことは、どんな営業の人間も、おそらく年に百回は考える使い古された考え方なんだけど。まぁ、他に方法がないならそれでもやってみればいいんです。

 ただし、僕なんかは「あ~、このピッチャーの球すごいよ。こんなん打てない」と思ったら、もうバットを振らないってもので。ファールで粘るとか、奇策でセフティーバントを試みるとかはしない。
 その代わり、その球筋だけは覚えておいて次の対戦のときに活かすってカンジかな~。そんなうまくいきっこないけど。

 今日もそんな「生き残った感」をかみ締めながら、会社を出て自転車をこぎだした所で。
 営業部には女性も少ないながらおりまして。他部署や事務方は女性が多いのですが営業にはホント少ない。
 その一人が自転車を押しながら歩いていた。あまり話したこともないひとなんだけど、そのまま通り過ぎるのもなんだから「おつかれさま~」と話しかけた。
 そんでそのコが今の恋人です。なんてことはなくて。

 その女性が押している自転車の後輪の、なんていうのかな…タイヤを保護する部分あるじゃあないですか、そこが凹んでるようだ。そのためタイヤが転がらずに乗ることができないらしい。
 尋ねると、朝までは凹んでなかったのに、夜この時間帰る時に見たらこの状態だったとのこと。おそらく会社の構内を走る車にぶつけられてしまったのかも、とその女性は言いました。
 「そっかー。だいじょうぶ?帰れる?」
 「だいじょうぶです」

 で、そのまま僕は帰ったのだけど。「今夜はなにを食べよっかな~」って考えながら、心の隅で思ったのは「僕の自転車を貸してあげればよかったじゃん!仮にそこまでしなくても応急処置くらいは」ってことだった。

 結局は「今さら戻ってそれを申し入れるのも変かな?」ってことで普通に帰りました。
 ひとのことを自分と同じ立場で思いやって、それを実行にうつすには普段の心がけが大事だとよくいうけど、僕はそんなことをいつもいつも考えているわけでもないし、できたこともほとんどない。

 自分が逆境に立ち向かうときに、困難に直面したときに「ああ、今誰か側にいてくれないものか…こんなの一人じゃあ無理だよ」なんて弱気なことはよく考えるんだけど、たとえ僕が強くて周りにも気のきくすんごいやつになれたとしても、同じ立場でもの考えちゃあいけない。

 おや?矛盾しているぞ。さっきまで「もしも自分の立場なら…」なんて思っていたのに。
 つまりこういうことだ。言っていまえばだけど、「最近どーよ?」と俺がジョッキ片手に挨拶代わりに、例えばだけどシジマやジューシーやダーキシやあべくんなんかに尋ねて、もしもそこで後輩が「今けっこう大変なんですよ」って仕事や生活や、自分自身のことで愚痴や気弱なことを、語り出しても「ふーん。そっかー。そういえばさ~…」って全然話を聞かない。
 女性に関しては「俺でよければ話してよ」って気分だ。べ、べつに下心じゃあないぞ。
 話せば楽になることって、たま~にあるじゃん。
 でも実際には女性が相手でも、いつも「ふーん。そっかー」なんだけど。

 知らないうちに自分の自転車が壊れていて、自転車ってたぶん大切なものなんだけど、そのことを残念がりながら、誰がやったかわからない…なんて不安を抱えながら、仕事で疲れてもいるのに、この風も強くて寒いなかを夜歩いて帰るなんてことは、けっこう心が痛い出来事だと思うんだよね。
 なんだか今日一日を締めくくるには悲しすぎる出来事だよなー。

 話変わって。(もう変わりすぎてなにがなんだか。いっつも心のなかはこんなんばかり)

 今日は遅めのお昼をどこで食べようかな~とウロウロしていて、とんかつを食べました。禁煙席のカウンターに案内されたけど、短い時間ならタバコは我慢できる。でも最近本数増えてるように思います。

 そのお店は二階席まで含めれば100人は収容できそうな店構えで、味もとてもおいしく、この界隈では有名なお店なのだが、そこの主人が唐突に話かけてきた。
 たま~に寄る店なので、常連ってほどでもないけど、顔をあわせれば客と店のひとくらいの関係で会釈する程度の主人。
 そのかたがカウンターで新聞を読んでいた僕に向かって「お客さん、○○(僕の勤めている会社名)のひとだよね?」
 「はい、そうです」
 「実はさ~…」
 と、うちで展開しているサービスを自宅に導入するかどうか迷ってるという話を振ってきた。
 正直言うと、僕は食事中には仕事の話はあまり好まない。休日にも好まない。仕事中にも好まないけど。
 仲間相手に前述のように「仕事はど-さ?」とは尋ねることはあるが、細かく仕事の話を聞きたいのではなくて、挨拶程度。そこでなにか面白い話に発展すれば、それはそれでいいけどね。
 そんなわけで好ましい状況ではないのですが、僕はこの時間、会社の制服を着ているし、唐突に道行くひとに話しかけられたとしても、いつのまにかそれっぽい顔つきや表情で受け答えをできるくらいには馴染んだ。

 制服をクリーニングに出したりすると、そこの店のひとから仕事に関係する相談を受けることもある。逆に仕事中にまったく関係のない相談を受けることもある。

 今日もコンビニで晩御飯を買うしかない時間になって、部屋の近くのコンビニで自転車を止めて、なんか食べ物を決めるのもイヤんなるくらい疲れていて、朝ご飯だけを買って、店を出ると知らない女の人がこちらに向かって会釈をしている。
 誰だろう?知らない顔だ。いや、どこかで見た気もするが…この街で僕を知っているのは会社の人間か、よく食事に行くあっちこっちにある店の店員さんか、もしくは仕事で会った何千人というお客さましかいない。

 僕が覚えていないけど向こうは覚えているパターンなら「仕事上のお客さま」なんだけど、その女性は「先日そこで」と、車道一本挟んだところにあるショッピングモールを振り返った。

 そこでやっと思い出したんだけど、そのショッピングモールに併設されているスーパーのレジのひとなんだよね。
 レジ打ちのひとなんかイチイチ覚えていないよ!ってことはなくて。僕はこの女性をよく覚えている。

 この近くにはショッピングモールが二つあります。しかもその二つは全く系列も異なる(らしい)のですが、向かい合った形に立地している。一方ができて、もう一方はその2年後にできて、当初は互いに客をとりあって共倒れになるのでは?と心配された、最近よくある郊外型大型ショピングモールなのですが。
 テナントとして入っている店も似たり寄ったりで、あまり個性はなく、僕も「これはどっちかが潰れるな~」ってのが最初に立ち寄ったときの印象だったのですが、なんつーかいい具合に価格差別というか、選択肢が増えたというか。

 個性がないってことは、どちらでも買い物しても大差はない。この大差がないというのが実は大きな魅力で。
 たいがいの食料品、お酒、日用品、例えば薬やシャンプー、歯磨き粉といった消耗品から、布団、座椅子、連弩といった生活必需品は揃うし、本屋はどちらにもあり、はたまたATMやAT-ATスノーウォーカーももちろんあって。

 あっちのショッピングモールには売ってなかったから、こっちでは置いてあるかな?こっちの価格はどうだろう?と、どちらも信号一本もないほどに隣接しているのだから、客の立場からいえば利便性が高まる結果となった。
 どちらにもスーパーがあって、たとえなにか別の店に用があって、どちらか一方のショッピングモールに出掛けたとしても、どっちでも同じように食料品が買える。
 若干、食品に価格差はあるのだけど、かえってそんな部分が「そういえばあっちのほうがビールが安いぞ」と店を行き来するという少々の手間を惜しまなければ、消費者にとって、その一帯だけで買い物ができるのはいいことだ。

 単一でも充分機能する郊外型大型ショッピングモールが、併設しているということは、なかなかこれすごい効果を生むもんだな~。
 って、今書いてて思った。もちろん経営者もテナントもそれを狙って出店しているんだろうけど、すみません、経営とか経済とか全然疎いもんで。

 法学部だったしな~。それも6年。よく卒業したもんだ、今思えば。兵法学ならちょっとは勉強したんだけど。魚鱗とか、鶴翼の陣とか。八門金鎖なんかなら東南から攻め行って、穴を開けるように北へと突進し、そこから一気に西に抜けると糸が綻ぶように総崩れ。

 話が逸れたね。

 そのレジの女性なんだけど、二日か三日ほど前に、僕が並んだレジにいた女性でした。

 この一方のスーパーのレジ。もう一方のスーパーと違って、あまり好印象はもっていなかった。
 なんつーかな、店員にやる気が感じられない。レジ打ちにやる気もなにもないだろうなんて言うシジマはいないけど、例えば、全く客のほうを見ずにボソボソと「いらっしゃいませ」と口の中で唱えたあとに、顔もあげずにただ商品のバーコードを読むだけのバイトや、僕がビール券なんかを取り出すと毎回「あれ?これそうやってやるんだっけ?」みたいにあたふたするひとばかりで、なんだかな~なんです。
 別に、深いお辞儀と妙にハキハキとした態度とともに満面の笑みで待ち受けて欲しいわけじゃあないよ、もちろん。

 これは、たまたまその店員が、やや能力が劣るとか向いてないってことじゃあなくて従業員教育の結果なんだよね。あるいは従業員がこの会社になんらかの不満を持ちつつ仕事をしているか。上司が変なのか。個人レベルのものじゃあない。

 そんな中で、この女性。胸に「研修中」のバッジをつけていて、初々しかったんだよね。なんか印象に残って。
 たまたまそのときの僕がとても疲れていたから、その女性が素敵に見えたとか、そんなものでもなくて、新人さんだから記憶に残ったのか、普段見ない顔だからそう感じただけなのかもしれない。

 えーと、ですね、なんか今日のブログはどうも自分えらそげというか、いいやつ風な書き方をしてるんだけど。
 もう少し付き合って。
 レジで喋ったりします?僕はけっこう喋る。
 「自分アレなんすよね~。自分仕事できるからだじゃあないし~このまえの試合では一発だけもらったんですけどそんなの効くわけないじゃあないですか~もちろんボコボコにしましたけど心臓手術するんでアメリカ行ってたんですよ~医者にはあと一年もたない言われて、そんなの関係ないけどその子供のために残せるものったら自分にはなにもないけど、探偵は辞めて今は新しい仕事してるんでゲームなら安く仕入れられますよ最近なんかゲームしてます?自分はアレっすね今やってるのは」
 という喋るではなくて。

 レジに並んで籠を置いて「おながいしま~す」、お金を払うときには「うーんと、じゃあ1000円でおねがいします」お釣りをもらって「ありがとうございます」くらいのもんだけど。いや、これはこれでけっこう喋ってるな。
 
 どんな仕事も振幅の幅や期間は違えど、繰り返しの単調な流れ作業であることはほぼ一致しているけど、レジ打ちなんかはその最たるものじゃあない。
 その女性が僕を覚えてるのがスゴイ。僕なんかは今日会った客の顔すら覚えてないよ。
 「また来てください」

 そういうわけで、僕はこのスーパーではどんなに混んでいようとも、このひとのいるレジに並ぶことに、今決めた。

Nothing to change

2008年02月22日 23時39分47秒 | 個人日誌
 今日は暖かかった。春は近いね~。なんだか梅の開花は遅れているようだけど、街を走ればけっこうちらほらと。

 二日前のことなんだけど、久々に尚ちゃんと電話で話しました。生意気な後輩ナンバーワンの彼だけど、ホント生意気で俺を見下すことこの上ないね。
 いつの日か、ホントに強いにはどっちかわからせてあげようと思います。わからせられるんだろうな~、俺が。背は勝ってるんだけどな~。僅差で。

 どれだけ生意気か、書くのも腹が立つので書いちゃいますが、「僕なんかは結婚もして、子供もできて、出世もして、歳とともに確実に変わってますけど、あなたは十年前からなにひとつ変わってないですね。やってることも言ってることも」
 だとさ。
 ひどいよね。俺に言わせりゃあ、オマエが丸くなっただけじゃんってことなんだけどよ~。顔が。
 このブログ読んでないっつーか「興味ないっす」ってことなので、言いたい放題で。

 変わらずに男一人、イキオイだけで生きていくことがどんなに難しいことか、今度シジマがわからせてやって。(フォローしないからw 難しいことでもないしな~)
 変わればいいってもんじゃあない。

 とは思いながらも「変わってみたことも、変わろうとしたこともないくせに」って自分で思う。がっつりなにかを変えてみて、それから俺も考えてみりゃあいいじゃんとも。
 どっちが正解とかないし、他人に迷惑さえかけなければ、いずれでも自分の生きたいように生きれればいいんじゃあないの~。
 あ、でも、けっこう迷惑かけてるのかもな~、俺。

 昨日は実家に電話しまして。
 普通の家庭だと、子が離れて暮らしいているとやっぱり親は、いろいろ食べ物とか日用品を送りたい気持ちになるんだろうけど、うちの親はあまりそれをしません。
 いや、僕が世間一般の男の一人暮らしがそうであるように「送ってくれなくても、必要なものは自分で用意する」と言ってるのもあるし、そんなこというまでもなくいい歳ですしね。
 だから今まで一度もなにかを送って欲しい、ということはお願いしたことなかったのですが、とうとうお願いしちゃった。
 とはいっても、食べ物や差し入れではなく、

 吉川英治の三国志全八巻。

 あと、靴。どちらも実家においてあったもの。

 何度か書いてるけど、本は人並みに好きなのですが、あまり買わなくなった。とくにハードカバーではまず買わない。だって重いんだもん。本棚ないから部屋狭くなるし。気に入った本も文庫本サイズで再販されないと買いません。「気に入った本ならそこまで待てないのでは?」とも考えるのだけど、旬だから読みたいとかってことはないので、一人で暮らしてもしも仕事もしていないのなら新聞が一週間遅れでも全然かまわないのと同じ。

 こっちで暮らしてからほとんど服なんかも買わない。年に一回か二回か。
 通勤は私服だから(それも一週間は同じ服)、あるもので間に合ってしまう。
 今の仕事では遠出するときしかスーツを着ないので、もしもスーツを着て外食していれば、それは着るものがなかったからです。みすぼらしい私服よりは、みすぼらしいスーツのほうがまだいいのかな?って。

 靴も同様に買わない。
 6年前に買って履き続けたスニーカーがとうとう限界まで来たので、実家に置いてあるスニーカーを送ってもらうことにしました。
 靴くらい新しいものを買えばいいでしょ、って自分で思うのだけど、「ほとんど買わない」ってことは、買うときには選んで選んで買うんです。単に優柔不断で決断力がないのかもだけど、それだけに一度選んだものは好きで好きで大好きで。

 新しい靴を調達しようとたま~に店に見に行ってたんだけど、「うむー、あれ以上のものはないな~今んとこ」と思う。

 今日は2月22日のニャンニャンニャンでシジマの日なので、シジマに電話してみたら「電波の届かないとこにいらっしゃる…or die」だったので、まぁ、特に用事もないので死んでてもいいけど。

 何週間か前に「どっちのチョーカーを買う?」って話をして、初めてネットで買い物をしたのですが、showさんのお見舞いに行った日の朝にやっと届きました。


 写真でわかるでしょうか?けっこう大きい。僕のイメージではもう少し小ぶりなおっぱいを想像していたのですが。
 革紐で首に巻くのだけど、この紐も長さがあまりなくて、首がギュッと締まります。ああ…もっとキツク縛って!
 トゲトゲの部分が激しく尖っていて、刺さると痛いです。でもそれがイタ気持ちイイ。
 これに合う指輪も欲しいとこだけど、いいもの売ってなかったな。

 ついでにこんなものも買いました。


 黄巾族パーカー。Lサイズですが、LLでもよかったかな。袖の長さはまぁまぁなのだけど、着丈がやや短い。
 届いたその日に早速着てみて、そのままshow先生のお見舞いに行ったのですが、先生ノーリアクションでした。それはそれでオッケー。「三国志っすね~」ってすぐにわかってしまうものは、さすがに着ていて恥ずかしいもんだ。こういう企画モノは自己満足でも充分。

 その影にちらりと映っている革パンは一年とちょっと前に買ったものですが、たぶん十回と着用してません。
 気にいってるんだけど、革製品って洗濯できないじゃん。クリーニングに出すと5000円とか平気でかかるしな。たいして使ってないのに膝裏の皺が目立ってきたのだけど、まさかアイロンかけるわけにもいかないし、どうしたもんか迷ってます。タオルかなにかあててアイロンかけてしまうか、寝押しでもするか。

 明日は2月23日で、これまたシジマの日だな。365日シジマの日。今年は366日あるのか。閏年ってやつか!オリンピックとかあんの?
 北京オリンピック、なんだか会場やら日程の都合で、開会式の前に本戦をやってしまう競技もあるらしいね。

 開会式の前に負けてしまってる選手とか、どんな顔して開会式で行進するんだ?すげーうな垂れてんだろーね、始まってないのに。

 書きながらオチ考えてたんだけど、うまいの浮かばなかったのでここまで。

病院へ行こう!

2008年02月20日 21時52分38秒 | 個人日誌
 日頃からお世話になっているshow先生が緊急入院という知らせを聞いて、いてもたってもいられずにお見舞いに行くことにしました。
 今週は自分のリハビリはサボってしまえ~って気分だったんだけど、まさかそれでも病院へ行く羽目になるなんて。

 僕はこのブログの中では「show先生」と書いてますが、どっちが上も下もない。
 そもそもこのブログを始めたきっかけが、showに薦められたからなので、先生ってことでもいいだろう。
 同い年だし、仲いいかって誰かに聞かれたらお互い「敵ですw」ってカンジなんだけど、なんだかんだで十四年も飲み友達なので、仲は悪くないのだろう。
 
 やれ「家に寄ってあれとあれ持ってきて」と命令されますが、どうせお休みの日だし、一人でダラダラするよりお見舞いはよっぽど有意義な過ごし方のように思われたしで、ドライブがてら行ってきました。天気も良かったしね。

 もしも、見る影もなく痩せてたり、いろんな管がからだから伸びてたら笑えない…いや、すげー笑うかも…とか思ってお伺いしましたが、元気そうでした。

 …といっておきましょうか、彼のためにも。

 ウソです。普通に元気でした。管は出てたけど。あ~これ切ってみたい。

 「入院してからなにも食ってないし、退院まで何も食べれないかもしれない」というshow先生に「帰ったらなに食うかな~」なんて不謹慎なことは言いません。少ししか。

 他人の病気についてあれこれ書くなんて、やや不謹慎なカンジもするけど、別に今さらどうこう言う仲でもないので、サクサク書きますね。
 つーか、お互いこの歳になればからだのどっか一個か二個おかしくなっても全然不思議じゃあない。逆に僕やこのブログを読んでくれているみなさんが、見舞われる立場になることも数年内にはありそうじゃん。

 三年、四年前くらいだったかな~。夏にイキナリ実家から電話がきて「お父さん入院したんだけど、調べたらガンだったの」って母さんから。
 とりあえず会社に「そんなわけで三日ほど休ませてください」とお願いして、夏の札幌へ。

 最初は本人に告知せずに、家族のかただけ…って話だったんだけど、僕がもし父さんの立場なら知らないとイヤだろうな、と思った。
 父さんは、入院したことを僕には内緒にしておけ、と母さんに話したらしいからその時点で本人もわかってたっぽいけどね。きっと僕が仕事休んで飛行機乗ってくるだろうから黙っていなさい、みたいなことだったんだろうけど。

 いや~、ガンはさすがにすごいもんで。お見舞いに行ったら、父さん痩せてたもん。「なんだ、わざわざ帰ってこなくても、だいじょうぶだぞ」と言われました。
 このときは、でもけっこう「やっぱ僕は札幌にいるべきなのかな」と考えました。母さんと妹二人だもんなー。

 そんな父も今では元気になり、普通に飲んでます。見てる限りだと食べ物を控えたり、酒量を減らしてるように思えないのが心配だけど。
 病気して以来ムチャしなくなったってほうが、周りが気を使うから無理してるのかな?そんなふうにも見えないけど。

 show先生と一時間以上テキトー話して帰ってきました。俺的には「友人のかたですか?主治医の先生からお話があるのですが…」って、看護婦さんが辺りを憚るようにして僕を連れ出すシチュエーションとか想像してたのに。
 もしくは「退院したら快気祝いでもしてくれよ」「…うん。(T-T)ボロボロボロ~」とか。

 帰りの車の中で、思い出していたのがshow先生の「いや、ケータイのバッテリーきれたら誰の電話番号もわからんからさ~」って話。
 もし万が一、事故に遭って意識がない状態だと、連絡とりようないよな~。仕事中なら社員証で身元と、とりあえず会社の連絡先はわかるだろうけど。
「さ~て今日も休みだ。なに食べよっかな~」はい、ドーン!ピーポーピーポーってときにどうしようかな。
 何人かの番号は記憶してるんだけど、そんな状態のときに口からスラスラ出てくるとは思えないし。

 あー、今すごい話思い出した。

 救急隊員の話なんだけどね。レスキューやってるひとの。
 深夜の高速道路でトラックが、前を走っていた別のトラックの急停車を避けきれずに衝突して。
 後ろから追突したほうのトラックの運転手がフロントと座席の間に挟まれて身動きが取れなくなり、現場の救急車の人員では救出できないとの報を受けたんだって。
 レスキュー隊員が現場に急行し、その運転手を確認すると、もう完全に下半身が潰されていて、生きているのが不思議なくらいの重症。ハンドルがありえないくらい体に食い込んでいる。しかし、上半身はガラスに当たったのか額に切り傷程度。
 下半身はほとんど形もないほどに潰されていて、その痛みだけで死に至るほどだったのだけど、上半身との間、ちょうどお腹の付近がものすごい力で圧迫されているせいで、血がそれほど流れてはいなかった。
 レスキュー隊員はこんな現場に何度も遭遇していて知っていたらしいけど、こういうとき被害者には意識はあるのだが、自分がどういう状態か把握できないらしい。自分で見える範囲ではたいした怪我には思えないし、見ようとしても下半身は車に潰されて視認することができないから。
 車から引きずり出すと、圧迫されて出血がなかった部分に一気に血が行ってしまうので、ズタズタの下半身から大量出血して、即死してしまうそうだ。

 そんな状態でありながら、運転手は「わたし、もうダメですかね?」と冷静に尋ねてきたので隊員は正直に「はい。手の施しようがありません」と告げ、救出が困難であることを教えたわけです。

 「じゃあ、最期に家族に電話をしたい」
 身動きのとれない運転手の携帯電話ははどこに飛んでいったかわからないので、隊員は自分の携帯電話を取り出し、番号を聞き、その電話を運転手の耳と口に添えてあげました。

 深夜ということもあって、電話が繋がらない。
 家族も寝ているのでしょう、音を切ってるのかもと運転手は言い、隊員は何度かコールしますが、最期まで繋がらず。
 運転手は「ありがとうございます」と隊員に礼を述べて、亡くなったそうです。

 事故の翌朝、連絡を受けてやってきて家族に事故の状況を話す救急隊員とレスキュー隊員。
 しかし、電話をかけまくったレスキューの彼は、昨晩に何度も電話を鳴らしたことを、家族に告げるべきかどうか迷い、結局言わなかったそうです。
 「最期の言葉を聞けなかった、なんてことを知らせる意味はあるのか?」

 show先生…いいやつだったな。

三国日誌 補足(仮) その13~諸葛亮からホウ統への手紙

2008年02月19日 23時29分51秒 | 三国日誌 補足(仮)
 ふ~、今月も終わったぜ~。

 え?何言ってんのかって?今月が終わったって言ってんだよ!
 営業職に就いている人間なら誰でもどこでもそうなんだろうけど、課金締めってのがありますよね。この日までの契約、こかまでの契約が今月確定した成績みたいな。
 それが今日でした。休み明けからは来月のために仕事をするんです。しかし、今月成績達成していないのがチームで俺だけってどうなのさ?
 そんなにやる気がないってわけじゃあないんだけどね。めちゃんこやる気がないだけで。いやウソウソ。

 仕事ってやつは結果が全てだから、数字が悪いとなにもいえないのだけど別に適当に仕事してるわけじゃあないし、やれるだけのことはやったので、これでもし会社に文句いわれることになっても全然いっか~と思ってる。
 やったやらないってことじゃあなくて、数字が達成できてないならやり方がまずいってことなんだろうけどね。
 とは言いながらあまり悲観的にはなってません。自分のことなのに。
 むしろ最近は「なるようになるさ~」くらいで考えてます。

 ↑
 というのを昨日夜書いてたけど、なんかオチもなさそうな話に終始しそうなので、下書きにして寝てました。

 さて今日はお休みでした。
 午前中指定で宅急便が届き、ピンポ~ンで目が覚める。もうあまり眠くはないけど休みだし寝てしまえ~…で、起きたら16時。わかってんのにこれだもんね~俺。

 めぐとはなんからバレンタインが届きました。いつもありがとう。
 いつだったかめぐが「ドッピオさんにいいひとがみつかるまで贈ります」と言われたのですが、いつまでいつまで続くんかな~w

 そして、とても喜ばしいことに先日あべくんとめぐに二人目のお子さんが産まれたとのことでしたので、電話しました。
 まぁ、遠く離れていても(最近はそんなに遠くに感じない。たぶんこのブログのおかげかな~。あべくんなんか「コメントは入れてませんが、たまに読んでますよ」って言ってたしな。本来なら先輩として「読んだらコメントしろ!」と命令してもいいとこだけど、読んでくれるだけでホントに有難いのでいいっす。気の向いたときで)、本来なら今すぐ飛んでいって「よかったね~おめでとう」と言いたいとこなのですが。

 今月はバレンタインもあったので、たくさんのプレゼントをたくさんのかたがたからいただきました。
 チョコは大好きで、ビールのつまみにチョコでも全然かまわない僕は、パクパク食べながら、プレゼントしてくれためぐとはなんと、ついでにあべくんの顔を思い浮かべながら飲んで酔い「うむ~、どんだけ愛されてんだろ~僕」とかなり幸せです。

 たま~に考えるのが、みんなにこれほどかまわれて囲まれて、すっばらしい時間をいただけるのに、その期待に答えられるように僕はちゃんと生きているのかな~ってことで。日々たんたんと生活していくなかで、その幸せをみんなにも伝えることができているかな~って。

 たとえ自分が選んだ店の場所がわからなくて迷い、辿りつけずに30分も歩き続けたり、最終電車がなかなかホームを離れなくて、なんだか気恥ずかしい想いをしてしまってもいいんです。たぶん。

 「飯を食い、やがて死ぬでしょう」

 孫権に召しだされた龐統(ほうとう)が、「特技はなにか?」と尋ねられたときの言葉です。
 龐統はもともとあまり風采があがらなく、いつもヨレヨレの服を着ていて、もさっりとした男でした。
 孫権周りの家臣が「龐統という傑物がこの呉の地におります。彼を召しだして側に仕えさせるといいでしょう」と献策したのですが、召しだされた龐統が上記の言葉を吐いたので、孫権は馬鹿にされたと感じ、彼を追い出しました。

 赤壁の戦いにおいて呉と蜀の連合軍は、魏の号して百万といわれた大軍に打ち克ち、これが三国鼎立のきっかけとなりました。
 実はこの赤壁の戦い、当時どこの国にも属さなかった龐統が策を練って暗躍していたことを、みなさんはご存知ですね。(知らないですか。まぁいいよ)

 龐統はできればどこにも仕えたくはありませんでした。
 親友の諸葛亮はなんだかんだいいながらも「自分の才を生かせる現場で、思いっきりムチャしたいな~」なんて飲みながら漏らしていたのですが、龐統は「俺はそういうのどうでもいいよ、面倒だし」って思ってました。
 この時代、仕えるべき主が誰であろうと、自分の力を戦争に使われるに決まってます。そんなのはまっぴらでした。
 矛盾しているようですが、龐統が今まで学んできたのは兵法であり、その極意にまで達したという感が自分自身にはありました。
 その力を彼は、より早く戦争を終わらせ太平の世を築くことに使うべきだと信じていました。

 孫権は「飯を食いやがて死ぬ、なんてことを言うこんな小汚い男など我が陣営には必要ない」と龐統を追い出しますが、呉の重臣たちは「龐統先生!」と彼のあとを追い、魏の侵略から呉を守る方法がないかと尋ねました。
 龐統がものすごい知者であることを、知っているものは知っていたのです。

 呉の重臣たちにすれば、この赤壁の戦は本来なら絶対に引き起こしてはならないものでした。たとえ蜀と同盟を結んで魏と対峙するにしても、兵力差は圧倒的だったからです。はっきりいって呉と蜀に勝ち目なし。
 それなのに、蜀からノコノコと諸葛亮がやってきて、「今ここで魏に対抗し呉の力を見せつけるしか、呉国の生き残る道はない」とかなんとかうまいこと言って主君孫権が魏と正面きって争うことをそそのかしたのです。

 「先生!ぜひ我々にお力を!採るべき策をお示しください!」と呉の重臣たちは泣いてすがります。
 彼らは決して、曹操や魏が恐ろしいのではありません。少しは恐ろしいけど。でもそれ以上に、無謀な戦いに策もないまま挑み、敗戦にまみれた主君孫権の姿を、部下として見たくないのです。

 策は、おそらく諸葛亮が用意するでしょう。呉にも周喩という大軍師がおり、この二人が知恵を絞れば百万といわれる魏の軍勢にも対抗できるかもしれません。
 しかし、その過程において、彼らのような忠臣たちはきっと命の限りを尽くして戦い、誰にも看取られることなく、戦闘の最中において死んでいくのでしょう。

 そんな末にある平和とは、勝利とは、どれほど意味のあることなのか。

 龐統は彼らのために言いました。
 「では策を練りましょう。ただし、その策は私個人で実行します。あなたがたは各々の役目を果たし、主君のために為すべきことをしてください。決して死んではなりませんぞ」
 龐統は、表立つことなく、影で孫権軍の助けとして働くことにしました。

 龐統の策とは。
 龐統は、諸葛亮と周喩が用いるであろう計を行い易くするというものでした。あの二人は魏軍と蜀呉連合軍との圧倒的な兵力差を一気に縮めるための大量殺戮の作戦を採るはずです。
 それは火計。
 この火計に必要なものは、例えば、敵陣深く入って中心から大きな火勢を上げるとか、じゃあその中心部まで到達するためにどうやって敵を欺くか、そんな要素もあるでしょうが、そのあたりは諸葛亮と周喩がうまいこと考えるだろう。
 龐統が行うのはその補佐です。どんなに大きな火を上げても、敵は四方八方に散っていたのでは、燃え盛る炎もうまく燃え移らずに、しょぼい花火のようになってしまう。
 曹魏の船団を一箇所に集め、一気に焼き払ってしまう方法。その「集める」という行動をとらせるための策を龐統は練りました。

 多くの兵士が逃げ場をうしなった洋上(長江という河での戦闘なので、正確には河上というのかな。どっちにしても長江なんてのは海のように大きいらしい。一度見てみたいものだ。)にて、迫る炎に焼き殺されてしまうでしょう。
 そんな凄惨な計に自分は与するのだ。

 龐統の心中は穏やかではありませんでした。しかし、これがもっとも早く戦いを終わらせる方法なのだ、いや、しかし…。
 
 赤壁の戦いがどのようなものとなったか、みんな知ってるでしょうし、いつか僕も書くことがあるかもなので、ここでは省略。
 
 赤壁の戦いのそのご、いつものように大好きな酒を飲み、ダラダラとした生活をしていた龐統のもとに、最近会ってなかったけど懐かしい友人である諸葛亮から手紙が来ました。

 諸葛亮は尊敬すべき友人です。よきライバルでもあり、その知力はどっこいどこいのいい勝負でしたが、根本にある考え方は異なっていました。
 諸葛亮は、その力を仕えるべき主のために使い、かと行って部下になるとか補佐するとか下に就くってことじゃあなくて、天下統一を是非やってみたいと考えてました。
 龐統は、天下の帰趨は天の導くままにあり、それに逆らってまでひとびとの運命を操る力を持ったとしても、結局はその自分も大いなる流れの中にいるのだって考え方をしていました。

 そんな諸葛亮からの手紙。
 「あなたもぜひわが主のもとで働いてみませんか!今なら月収百万!」なんていう、どっかのいかがわしいメールのような内容です。ご丁寧に「ワンクリックで仕官!」とかそんなカンジの推薦状なんかも同封されてます。
 龐統は、諸葛亮からの手紙を無視しました。彼はほとんど友達もなく、一人で飲みつつゴロゴロするのが好きだから。そんな彼が友人と認めていたのは諸葛亮だけでした。久々にその諸葛亮から連絡あったかと思えば、なにをふざけてるんだか。

 そして二通目の手紙が届きます。

 「史上最強の男が史上最強の男をさそいにきた 孫権と組んだのも一度なら私と組むのも一度 機会が二度君のドアをノックすると考えるな 」

 ゴゴゴゴゴゴゴ…

 龐統は唖然としました。これってバッファローマンの手紙じゃん!ってことではなく、諸葛亮が全てを知っていたことに。
 先に述べたように、赤壁の戦いにおいて龐統は影となって、蜀呉連合軍の勝利に貢献しました。しかしそのことは誰も知らないはずで、歴史の中においても彼の名前が表にでるような行動はしていませんでした。
 諸葛亮は見抜いていた。曹魏の大船団を燃やした火計において、その裏に龐統がいたことを「知ってました」と言わんばかりの諸葛亮。
 しかも一通目の手紙のなんとふざけた態度。しかしこの態度は、今考えれば龐統の心境を汲みしたものでした。

 何十万もの兵士を、戦争とはいえ焼き殺す、その策を影から支えた龐統。彼の心には誰にも癒されないであろう深い傷を残しました。もともと争いはキライだし。
 おちゃらけた内容で、龐統を気遣う友人諸葛亮。「いつまでもクヨクヨすんなって。終わったものはしょうがない。そのことでキミが一人で酒を飲み悩み、からだを壊すことってのは、本当にキミがこれからするべきことなのかい?」
 諸葛亮はそう言ってるのです。

 その彼が「劉備のもとで一緒に働かないか?」と誘ってる。
 劉備がどんな人物かは知りません。また戦いの中に身を投じる重圧に自分は耐えられるのだろうか。だが、ただ酒を食らいこのままわが身を滅ぼすことが、ねぇドンファン!正しいことなのか~?

 龐統は、劉備が統治する荊州へ向かいました。

 つづく



 :補足
 今回の話はイキナリ龐統が出てきて、びっくりするかたも多いでしょうが、僕もびっくりです。だってこの前まで関羽話だったし、しかも年代的にものすごい前後してますしね。
 書きたいように書いているので、許してください。

三国日誌 補足(仮) その12~関羽VSホウ徳、そのとき呉は。

2008年02月17日 22時07分33秒 | 三国日誌 補足(仮)
 魏の大軍、再び荊州に向け南下す!

 その知らせは、荊州全土どころか遠く離れた蜀の首都にいる劉備のもとにも届きました。
 「ちょ!諸葛亮先生!どうやら魏が再び動き始めたっぽいけど、どうする?!」
 劉備と違って諸葛亮は全然焦ってません。
 「だいじょうぶです、我が君」
 「なんでそんなことが言える?」
 「今回南下してきたのは、またもや曹仁や楽進、李典なんかのザコ武将。関羽将軍の相手ではありませんってば」
 それでも劉備は不安です。関羽の力はわかってるけど、遠く離れた義兄弟の安否はやはり気になるものです。

 諸葛亮の懸念は、荊州の南に控え情勢を伺っているであろう呉だけでした。
 二度三度とやってくる魏軍ですが、どんなに勢いがあっても敗戦を重ねた戦地での士気は必ず衰えます。
 魏に勝機なければ呉だって、荊州を窺うことはしないでしょう。
 関羽が魏軍相手に有利に戦闘を進めれば進めるほど絶対に手は出さないはずです。関羽が劣勢になったときに初めて動くかもでしょうが、それでも呉では病気がちの呂蒙に代わって大都督となった陸遜は若輩浅学。
 問題なし。きっと。たぶん。わからんけど。

 諸葛亮ほどの天才軍師でも未来は読めません。
 機に臨み変に応じる。そのときその状況で、知りえた情報の中でベストと思われる選択をするだけ。

 「しかし今度は龐徳という猛者も軍勢に加わってると聞く。それでも?」
 「あんなんクリックですよ。しかし我が君、そんなに心配なら張飛でも応援に行かせればいいじゃんか」

 張飛はその頃、蜀の地の南方にある任地で南蛮族からの侵入を防ぐための警護に当たってました。張飛にしてみれば守備なんか退屈極まりない任務です。
 そこに劉備から「兄、雲長(関羽の字です)のために荊州に救援を持って駆けつけろ」という指令が届いたものですから、張飛は小躍りしてすぐに軍勢を揃えて進撃しました。
 「やった!大暴れできるぜ!」

 今も昔もそうだけど、中国大陸ってやつは無駄にデカイ。「ちょっくら行ってくるわ」なんて言っても、ここから荊州まで馬でも3ヶ月くらい平気でかかります。
 そんな長い旅路の間でも、張飛は久々に関羽と一緒に暴れることができるのが嬉しくてテンション上がりまくりでした。
 「今行くからな兄貴ィッ!もうすぐ兄貴と飲めるぜ!待っててくれよッ!」

 張飛、字を翼徳。燕のひと。もともと鴻家だかどこだかに仕えていた豪族であり、身分高き家系に生まれた。
 曲がったことが大嫌いな性格で、相手がどんな人間であろうと言うことは言うタイプ。なにをもって曲がったこととするかはけっこう自分勝手なのが玉に瑕だけど、幼少の頃から大人顔負けの腕力で、大統領でもぶん殴ってやらぁ!です。
 青年になった張飛は、当時の中国大陸を席巻した黄巾の乱の戦いに身を投じ、この反逆の民を相手に戦いました。

 「一騎で千人に相当する(一騎当千)」とのちに評されるほどの武者っぷりっつーかムチャな突撃が得意だったため、大軍の黄巾を相手にしても全く怯むことなく、戦いにおいては従う兵も追いつけないほどの速さで敵陣に突っ込み、蛇矛を手に単騎で立ち向かいますが、さすがの張飛を持ってしても倒しても倒しても次から次と補充される黄巾の兵士に多勢に無勢。
 いつのまにか彼の軍も、守るべき鴻家も散り散りとなり、流浪の日々を送ることとなりました。
 
 彼は決して猪武者ではなく、本来は状況判断に優れ、信じた人間は決して裏切らず、そのために自分がなにをすべきかをよく考えていました。
 ただ、少しだけ酒に酔うと物事を考えられなくなり、撫でたつもりが相手を傷つけてしまう結果となってしまうだけ。そのことを誰よりも本人が悩んでいた素振りすらあります。

 どんなに蹴散らしても、次から襲い掛かってくる黄巾の民たちの目の奥底に彼がみたのは、現在の政治への絶望感や虚脱感、貧しさ故の反乱という悲しみ。
 彼は戦いのなかで「本当にひとが喜べる世の中で、みんなで一緒に酒を飲んで、ただ笑っていたい」と思うようになりました。
 「今ある国を立て直すことに自分は尽力すべきなのか?それとも新しいリーダーを立てて、世直しをするべきなのか?」
 一人流浪する彼は、夜な夜なベロンベロンになるまで飲みながら、眠るまで考えました。

 もちろん流浪といっても「ノックしてもしもぉ~し!」的なもんです。
 「俺の名は張飛!燕から来た!初対面でぶしつけだけどねェ~!おめえーらッ!3分以内に食い物とガソリンもってこい!いいなッ!」

 とある地の居酒屋で。
 今夜も一人世の中を憂いてるカンジだけど「やっぱ酒はうまいな~。こんなうまい飲み物はないぜ」と思いつつ飲みながら(樽で)、ふと店内を見回すと、向こうのテーブルにいるデカイ男も、相当なペースで酒を食らっていました(樽で)。
 張飛のトレードマークといえば髯なのですが、彼の髯はモジャモジャとしていて、キレイというかトラ髭危機一髪なものでしたが、その男の髯はサラサラしてツヤツヤしてよく手入れされています。
 「よぉ!兄さん随分飲んでるね~!俺は張飛ってもんだ。どっちが本当の酒豪か、いっちょ競争してみないかい?」ヒゲ談義でもしようかな、くらいの気持ちでその男のテーブルに近寄りました。
 美しい髯をたくわえた男は「うむ」と一言だけ口にし、新しい酒を(樽で)注文しました。その男こそ関羽雲長でした。

 酔うと饒舌になるというか、頭に浮かんだ言葉を全部口にしたくなる張飛は、酒のイキオイもあってついつい自分話を始めだしました。これから世の中はどうなっていくのか?自分にできることはなにかないのか?そんなことを延々と。
 黙って聞いていた関羽はイキナリ張飛の頬を引っ叩きました。
 そんじょそこらの男共に武装した状態で囲まれても、素手で全員を張り倒すほどの張飛ですが、関羽のパンチ一発で面白いように吹っ飛んでしまいました。
 自分を殴れる者などいない、という強さゆえの自信を持っていた張飛なので一瞬何が起こったのかわかりません。どうやら自分はこの男に殴られたようだということに気づき「なにしやがる!」と関羽を怒鳴りつけます。

 関羽は語りました。
 憂いてばかりで酒をひたすら飲むだけの男に、未来を語る資格はないこと。そんな体力があるなら今ここで誰かのために生きてみる道を探せということを。

 関羽の言葉に張飛は振り上げた拳をストンと落とすと、急にしゅんと静かになり、ボロボロと泣きました。
 「そんなことはわかってんだよ!でも俺って人間は主君である鴻家も守れず落ちぶれてしまった。俺が助けてあげるべきだったのに、駆けつけるのに間に合わず女も子供もみんな殺された。駆けつけたころにはみんな死んでいたんだ!」

 張飛の心の奥底にあったのは、自分自身に対する責めでした。
 あのとき自分がこう行動していれば…そばにいてあげれば、自分が盾となってでも守ることができたのに…。きっと好きなひとを傷つけやしなかった。

 「もしも自分を許せないのなら、償いながら生きていくしかない。しかしそんな生き方はいずれ身を滅ぼす。我々はこれから誰かの力となり、その誰かのために尽力することで、本当の生を得ることができるのではないか?」

 関羽の言葉は非常にゆっくりでした。
 張飛は、この関羽という目の前の男もまた自分と同じ悲しみを背負っていることを感じました。
 朝まで(樽で)飲み続けた関羽と張飛は、そのご行動を共にし、仕えるべき主を捜す旅に出ました。

 「しかし、行くといってもどこに行くか?」関羽は思案しました。張飛とともにこれからどこへ向かうべきか?
 「どうも兄者は物事を難しく考えすぎるな。何々すべき!なんてものは置いといてとりあえずどっか行こう!こ~んなに広大な大地なんだし、我々はどこまでも行けるッ!」

 荊州へ向かって馬を駆ける張飛の心の中では、義兄関羽と一緒に魏軍を撃退し、勝利の美酒を飲み干すことを信じてやみません。
 荊州までの行程、久々に一騎で駆けて、自ら率いてきた援軍を置いてきぼりにしてでも早いとこ到着したい気持ちでいっぱいです。

 そのころすでに、戦地である荊州のでは戦闘が始まっていました。しかしながら関羽の兵も民も、わりとこの戦を楽観視してました。
 前回に一度魏の軍勢をほうほうの体で退散させている実績もあります。「関羽将軍がいる限りこの地は安泰だ~」って思うほど、関羽将軍の勇名は轟いていましたし、ある噂も街中に流れていました。
 その噂とは。

 呉から、このたび任地についた陸遜という若者が、関羽将軍のもとに挨拶に訪れたというのです。
 陸遜という無名の若者はひょろりとしていて、武人とはかけ離れた優男のようなカンジで関羽将軍の前に現れて「呂蒙先輩が病気のため国で療養していること」「その代わりに自分が任についたが、なんせまだ一年生なので今後は関羽先輩にいろいろご指導よろしくお願いしたいこと」「併せて蜀呉の同盟は今後も続けたいこと」…そんなことをまるで臣従の礼をとるがごとく述べていったという噂です。

 関羽はこれにすっかり機嫌を良くして「こんな若造では我が軍が北で魏軍と争っていてもつけいるような策は見出せまい。安心安心」と思ったとか。
 関羽はその夜、使者として訪れた陸遜を酒宴に招き、先輩パワーでいいだけ飲ませてガッツリ潰しておきました。
 「これで対呉に憂いはない」

 もちろん陸遜は関羽を油断させるためにおべんちゃらも使い、わざと潰れたのです。呂蒙と考えた策でした。
 陸遜は自軍に帰ると、荊州VS魏の戦いの推移を見定めながら、さらなる行動を起こそうとしていました。
 呉について甘く考えていることはありませんでしたが、陸遜という名すら誰も聞いたことのなかったような若造が何を企んでいるかなんて、もちろんそんなこと関羽も曹操も、諸葛亮ですら知りません。

 『必殺関羽』
 そんな旗印を掲げた龐徳が、関羽の守る樊城へと迫ってきました。龐徳はひたすら関羽を挑発し続け、関羽との一騎打ちを希望すると言い放ちました。
 関羽の息子、関平は「あんなパーマ、父に代わってわたくしめが討ち取ってまいります」と勇ましく龐徳に勝負を挑みます。
 「関羽を出せ!関羽を こォ ろォ すゥ~」龐徳はそう叫びました。

 先陣をきり、龐徳に矛を向ける関平。
 「ドラララ~ッ!!」
 「関羽を こォ ろォ すゥ~」
 龐徳と関平では戦闘の経験も力も差がありすぎました。だいたい龐徳はこんな小僧っ子は相手にしていません。
 捕虜から登用されるという、あまりに身に余るほどの信頼をこの自分にしてくれた曹操のために、死んでも関羽を破るほどの意気込みを持った龐徳。
 「関羽を こォ ろォ すゥ~」
 「やかましいッ!何度も同じセリフはいてんじゃあねェーッ!テメー!オウムかコラァッ!」
 勇ましく龐徳に挑む関平でしたが、龐徳の攻撃の前にあっという間に追い詰められます。

 関平の危機を見て騒然となる荊州軍。
 関羽と一緒にこの一騎打ちを本陣から眺めていた周倉が、総大将関羽に向かって叫びます。
 「関羽さん!関平が切られそうなんスよーッ!無敵の青龍偃月刀でなんとかしてくださいよォーッ!!」
 「周倉、俺はもう諦めたぜ。あの龐徳の攻撃をここから止めることは不可能だ」
 「えッ!?なに言ってんスか?!関羽さん!?」
 「だが、あの場所から龐徳だけを引きずりだせばいいわけだな」

 関羽が大声で「龐徳!俺はここだ!」と声をあげると、今まさに関平に一撃を加えようとしていた龐徳はその動きをまるでビデオの一時停止のように中断し、その目線の先に標的である関羽を認めると「よし!」と頷き、一直線に目掛けて突進してきました。

 関羽も赤兎馬を駆り、龐徳に向かって突撃します。
 互いが交差した刹那の一合目で、互いの刀から火花が飛びちりました。
 豪傑と呼ばれた並みいる武将を一閃のもとに叩き斬ってきた関羽でしたが、この龐徳という男を一瞬で「侮れぬ相手である」と理解しました。

 何度も書いてますが、本当の脅威は呉です。
 一見、蜀との同盟関係を尊重するかのように新しく就任した陸遜が、平身低頭して挨拶に来たりしてますが、これは敵情視察であると関羽はホントのところ看破していました。
 この魏との戦いが長引けば長引くほど、荊州の軍は兵力を削ることになりますし、そうなれば後門の虎である呉が不意をついて荊州に攻め入ってくる確率がうんとあがります。
 実際には陸遜と呂蒙はもう一歩進んだ計を画策しているのですが、関羽はそこまでは読んでません。

 関羽としてはこの一騎打ちで龐徳を切り捨てて、魏の攻撃意欲を一瞬で意気消沈させてしまい、退却させるという方法をとりたかった。
 さらに長くこの荊州の地に拠り、魏に備え呉を牽制する構えでいたのですが、関羽の一閃を受け止めた龐徳、これほどの男とは!
 これほどの男が相手であれば、将来の計画においても他の方法を考えなければならない。

 軍神関羽を相手に怯むことなく向かってくる龐徳。一見考えもなしに突撃を敢行しているようですが、その龐徳にも考えがありました。
 それは関羽の懸念の通り、この戦を長引かせて、呉と連携の体勢をとり関羽を挟撃することだったのです。
 龐徳は「勝負はまた後日!」と言い残し、本陣へ戻ろうとしました。
 当然関羽としては、ここで龐徳を討ちもらすことはしたくないので赤兎馬の尻を叩き、追撃を仕掛けます。

 関羽の焦りが、龐徳に攻撃のチャンスを与える結果となりました。
 一日千里を走る名馬赤兎。その速さからは誰も逃れられません。退却する龐徳にも必ず追いつくと関羽のほか、荊州軍も魏軍の誰もが思うもの無理ありません。

 赤兎馬がぐんぐんスピードをあげて、その速さが最高に達したとき、龐徳は急に馬を返し、関羽を直線状に捉え、目にも止まらぬ動作で弓を構え矢を引き絞り、放ちました。

 誰もが経験あると思うだけど、あまくせつない初恋と、柱に小指をぶつける痛み。
 小指が柱に向かっていくだけの運動エネルギーなら、その早さかける重さの衝突エネルギーだろうから、そんなに痛くない。いや、痛いけど。柱は動かないが、もしも柱もこっちに向かってやってくるとなると、その出会い頭の衝突は相当なダメージになるね、やっぱ。

 関係ないけど、いつだったか尚ちゃんと学生時代に東京に遊びに来ていて、つら~っと歩いていたら、僕がその場になにかを落として、拾おうとかがみ込んだんだよね。そしたら尚ちゃんをそれを拾ってくれるために同じ体勢になって、お互いおでこがゴンッ!!ってなって、「コントかよ!w」って笑った記憶がある。

 このくらいの矢での攻撃、関羽にしてみればたいしたものではありません。しかし最高の腕を持つ龐徳の放ったスライダー気味の矢、赤兎馬の速度、これが相まって、普段の関羽なら払うことができたであろう矢は、なんとしたことでしょう!関羽の左腕に深く突き刺さりました。

 「それっ!いまだッ!関羽を取り囲め!」一斉に魏軍が攻撃に転じてきました。
 関羽の危機を見てとった荊州軍もこれに応戦。一進一退の攻防の末、初戦は両軍入り乱れてのものとなり、互いが頃合を見計らって陣を退きました。

 魏、今までこの地では敗戦を繰り返してきましたが、まさにとりあえず一矢報いたカンジです。

 荊州の本陣では負傷した関羽を囲み、息子の関平、部下の周倉をはじめとした者たちも不安そうにしています。
 軍神と呼ばれ、最強を誇る関羽将軍も、寄る年端には敵わないのか。

 「ものども。そんなに心配そうな顔をするな。左手は義手で良かったわい」
 「父上、そんな冗談を言ってる場合ではありません!右腕だったら二度と戦場には立てないかも知れないのですよ!」
 「だいじょうぶ、右腕はミギーだから」

 笑い飛ばしていた関羽ですが、この負傷は思ったよりも重く、それ以降あまり積極的な攻勢に出なくなりました。
 龐徳が放った矢には毒が塗られていたのです。このままでは関羽の腕は腐り、使い物にならなくなるでしょう。
 (この傷の治療がどのように行われたかに関しては、1月16日の『左手は、義手でよかったわい』を参照ください)

 傷を完治させている間に関羽は、龐徳を含め魏軍を一気に壊滅させる策を考えました。

 魏軍は関羽負傷というニュースに意気盛んとなり、調子に乗ってずいずいと進撃してきました。
 現在、魏軍の陣取っている平地はやや窪地となっており、天候の良いときには陣取りとして最適の場所です。相手が攻め込んできても窪地に身を隠して奇襲も良し。どのみち荊周軍は城に篭って出てこないのですから、低地においても不利な要素はありません。

 関羽負傷→魏軍ラッキー→調子に乗る、だからこそ巡ってきた好機。
 関羽が考えた策は『水攻め』でした。

 関羽は「いまだ完治せず」の情報をわざと敵陣に流し、魏の慢心を誘いつつ、密かに関平と周倉に命じ、筏を作らせ、付近の河を全て堰き止める工作を始めました。
 大雨の日を見計らって、ダムを決壊させ魏の軍勢をこの地に一兵残らずに沈める作戦です。低地とはいえ、過去の歴史において、この地が水没したことなんか一度もありません。 だからこそ、まさか水攻めに遭うなんてことは誰も考えないでしょう。

 そして、呉では。
 関羽負傷の報を受け、とうとう陸遜が動きだしました。障害となるのは、関羽が設置していた烽火台です。南で変事が起これば烽火台が煙を上げ、次の烽火台にそれを知らせ、次の烽火台が…のこのシステム。まずはこれを崩さねばなりません。
 陸遜は軍船を商船に偽装し、兵士たちにも商人に服装をさせて、第一の烽火台へ出発させました。
 攻撃を悟られることなく、ひとつずつ確実に烽火台を押さえていく作戦。
 単純ではありますが、商人に化けた兵士が烽火台の荊州兵に「お勤めご苦労様で~す。これは差し入れで~す」といって酒や食料を届け、守備にあたる兵士たちが油断したところを一気に叩くやりかたです。

 どんな組織でもそうですが、そこに属す人間が全ての状況を把握していることなど、まずありません。皆無といってもよい。
 北方では魏の侵攻があったことを、ここにいる兵士たちが知っていても、南に控える呉が襲い掛かってくることなど夢にも思いはしないでしょう。しかも同盟関係なのですから。
 この同盟がどんなに脆く、戦国の慣わしにおいては一時の共闘のためであるなんて、下の人間が知る術もないし。

 烽火台に配置された兵の任務は、異変があれば火を焚き、煙を起こすことです。いざというときに戦えとは命じられてませんし、そこまでの兵力は配備されていません。
 急襲を受けた烽火台は、一度もその烽火を上げることなく次々と陥落していきました。
 関羽のまったく知らないところで、荊州の地は呉軍に侵略されつつあったのです。その総大将は、呂蒙でした。

 張飛が援軍をつれてこちらに向かっているという報告は、劉備から関羽にすでに届いていました。その到着までには水攻めで魏軍を壊滅させられる算段でしたが、それでも久々に会えるのは楽しみ。
 「久々に義弟と酒が飲めそうだな。張飛のやつ、この腕の怪我をみたら笑うだろうか」

三国日誌 補足(仮) その11~軍神・関羽

2008年02月14日 22時44分36秒 | 三国日誌 補足(仮)
 今日もいい天気。最高気温6度とか天気予報じゃあ言ってたけど、もっとあったんでないべか。
 晩御飯に買ってきたお寿司が、とても変な味するんですけど、この季節でいたんでるってことはないよな~。最近のニュース見て敏感になってるのかしら。

 今日も今日とでお仕事してまして。やっぱ運転中はラジオを聞いています。そのセリフを途中から聞いたので、話の前後は全くわからないのだけど。

 「考えてから行動しろ。行動してから考えるな。」

 言葉の意味はよくわからんが、とにかくスゴイ自信だ。

 僕なんかは心の中で「ブッ殺す!」と思ったならスデに行動は終わってるってくらいプロシュート兄貴ィ!っつーか、あまり考えもなしに行動するタイプですが、反面、行動してからえらく考える。
 つまりは、その時とった自分の行動を後付けの理由で正当化したりするんだよな。「あのときこう言ったのは実はこう考えたからでして…」みたいな。考えてないくせに。当然そういうのって「わしも入れ歯にしてからはとんと行かなくなったのォ~」ってくらいいかんぞ歯科医なので、考え方は少しずつでも改めていきたいと思う。
 なかなか難しいことだけどね、自分を変えるって。でもそれこそ期限のない課題だから少しずつでもいいのかな~って。甘え。
 
 …

 荊州攻撃を決断した曹操はすぐさま軍を編成しました。
 曹仁を大将とし、副将には李典、楽進。(この二人っていつも副将って気がする)三十万の軍勢をつけて南下を命じます。赤壁以来の大軍勢。
 狙うは軍神・関羽の首。

 しかし曹操本人は出陣しませんでした。
 それは関羽と戦いたくない、あの日の思い出を大事にして自ら壊してしまいたくない…なんていうセンチな気分に陥ったのではなくて、関羽を葬るからには自らの手で!くらい考えていたのですが、現実問題として出陣できない理由が曹操にはありました。

 天下の3分の2を所有し、その権力は並ぶものなしとまで恐れられた曹操でしたが、その国造りは当然のことながら戦いの連続でした。その戦いの中で、彼は多くを見てきました。いかに広大な土地を持とうとも、強大な権力を持とうとも、わりとどうでもいいような蟻の一穴で、その体勢が一瞬で崩れることも。
 彼がまだ今ほどの力を持たないときに、巨大な敵であった北方の雄・袁紹、最強の武人・呂布、そして栄華を誇ったこの漢帝国でさえ、時代という流れのなかではその滅亡は免れることができなかったのですから。
 その衰退の理由は、慢心であったし、油断でもありました。

 曹操若かりし日の頃。
 彼は生まれた故郷で、いつものように北炉あたりで仲間と「ビール!人数分!」とムチャしていると、仲間の一人が「曹操、そういえば知ってるかい?」と話題を振ってきました。
 この村の近くに許子将という名の人相観が居を構えており、その許子将なる人物は相手の顔を見るだけで生い立ちや今後の運命をピタリと言い当てるというのです。
 占いや予言などには全く興味のない曹操でしたが、そのときは酔いのイキオイもあって「ふ~ん、そいつはおもしろそうだ。よし、一度訪れてみよう」と思い、翌日にはアズの部室あたりで、その許子将なる者に自分の人相を占ってもらいました。

 しばらくじ~っと曹操の顔を睨んだ許子将はそこにあるものを観て言葉を失いました。
 曹操は「今まで小川の小魚はみたことがあっても、大海の龍は見たことがないようだな」と不敵な薄ら笑いを浮かべます。
 生まれ育った狭い村の中においても、曹操は自らを大器であると信じていました。
 決して自信過剰なわけではなく、曹操については「こいつは将来なにか大きなことをするだろう」と、周りの仲間の中でも評判だったし。
 「なにを言うか!そなたは治世の能臣、乱世の奸雄だ!」と叫ぶように許子将は曹操を評したのですが。
 それを聞いて曹操、「ふふふ…クリックでパーマで乱世の奸雄か、それも良い」。

 治世の能臣というのは、平和な世の中では、その能力を評価され出世するであろうということ。
 乱世の奸雄。それはまさに今、黄巾の集団が暴れ、漢室の権威は地に堕ち、混乱極まる今の世において、このような人物こそが覇道をいくであろうということ。
 許子将が、叫んで言い放ったということは、もちろん曹操の相にその「奸雄」を観たからでした。

 ちなみに僕も許子将に観てもらったことがあります。
「ふふふ…人気はあるけど人望はない、それも良い(泣)」

 月初めに人物批評をしたことから、人相観のことを「月旦(げったん)」と呼ぶようになったとか。月旦って言葉いま使ってるかな?
 ゲッタン♪ゲッタン♪って、なんかパルクフィクションの曲みたいだ。ジャングル・ブギだっけ?

 話が全然関係ないとこにいっちゃったけど、え~と、なんだっけ、曹操が関羽討伐に出陣しなかった理由について、でしたね。
 
 数年前に、大きな事件がありました。
 帝の勅を受けた官職のある人間やその郎党、名だたる武将たちが、曹操に対して反乱を試みたのです。
 暗殺の計画でした。
 その知らせを密告によりいち早く得た曹操は、疾風迅雷、反逆者たちがコトを起こすまでに先手必勝でこれら反逆者どもの屋敷を急襲。それらの者どもを全員捕縛し処刑しました。
 実際に反乱を企てた者だけではなく、三族(家族、その親戚、召使いまで)を市中引き回しの上、葬り去ったのです。
 (ちなみに密告してきた男に対して曹操は「こういう輩が一番信用できない」と言ってさっくりと殺しています)

 当時、西涼の地において将軍職にあった馬騰も、処刑の憂き目にあった一人でした。
 これに対し息子である馬超が復讐に燃え、兵を挙げて都まで迫ってきました。
 鉄壁の守りを誇る長安の関でさえ難なく突破する勢いの西涼軍団、そして錦馬超。あと、どうでもいいけど旗本八騎w

 とくに馬超たるや、威風堂々、騎乗での活躍ぶりはあたりの敵を寄せつけず、いままで歴史の表舞台に出て来なかったのが不思議なほどの武者っぷり。その力は曹魏をも圧倒するものでした。
 当面の敵と睨んでいたはずの蜀や呉とはまったく異なる、曹操ですら想像もしていなかった第三の勢力にあわや…というところまで攻め込まれる始末。

 結局は曹操の計略により、馬超は自らの軍師(韓遂)と仲違いし、お互いが同士討ちを繰り広げたところを曹操に攻め立て、この西涼の軍勢を敗走させられました。

 しかしながら敗走させてなお、曹操の頭の中に「うかつに自身が都を離れるわけにはいかない」という不安要素を植えつけたのです。

 そんなわけで、曹操不在のまま荊州の関羽を討ちに向かった曹軍三十万。
 …
 あっという間に、関羽にボコボコにされました。荊州軍の何倍もの兵力をもってあたったのですが、負けました。
 敗走した曹仁率いる軍勢は、一度新野の城まで退却し、曹操に今後の指示を仰ぎました。

 この敗戦の知らせを聞き、曹操も困っちゃいました。
 曹仁という武将をもってしても関羽には傷ひとつつけられないどころか、このままでは自国まで攻め入ってくるほどの脅威。
 曹操の考えでは、不可侵条約を締結した呉が、この隙に南から荊州に攻め入って北の自軍との両面攻撃で関羽を追い込む算段でしたが、呉は「呂蒙総督が病いのため…」とかなんとか言って全く動こうとはしません。

 まぁ、曹操はハナから呉なんかには期待していません。しかし、自国の兵士をこれ以上減らすわけにもいきません。不可侵条約は同盟ではないのだから、「魏につけいる余地あり」と呉が考えれば、おそらく手の平を返して蜀との関係を復活させてこちらに進撃してくるでしょう。(このあたりが三国均衡の面白さだね)

 曹操は考えます。軍神・関羽に渡り合える将軍は我が陣営にいるか?

 (僕けっこう張遼が好きなので、この張遼を話の中では活躍させたいとこですが、今彼は合肥の地で、対呉戦線の警備に当たっていますし、この任は地味ですが外せません)

 「むー」と悩んでいた曹操の頭の中に、突然ひとつの光景、ひとりの人物が思い出されました。
 西涼軍との戦の際、敵将馬超に付き従っていた男。
 曹操配下の豪傑と呼ばれた武将と何人とも連続で一騎打ちを行い、しかも負けることなかった豪将がいました。
 その名を龐徳(ホウトク)字は令明。南安の人。

 龐徳は最初、馬超の父である馬騰に仕えていました。馬騰の死後、報復のために戦争をしかけた息子馬超に仕え、そのとき馬超とともに曹操に対して敵対しました。
 しかし、前述のように馬超軍は敗退。龐徳は馬超とともに落ち延び、長安より更に西、蜀の国境よりけっこう北にある漢中という都市に流れ着きました。

 当時ここを支配していたのは張魯という新興宗教の二代目教祖サマです。
 その教えは五斗米道(ごとべいどう)と云われ、教えでは「どんな人間でも、たとえ外からやってきた部外者でも窮地にあれば受け入れて食料を施す」という、この時代にしてはとてもいい国。ただし、どんな人間でも必要以上に欲したり、罪を犯したりすると厳罰に処された。税金として米を五斗納めれば人種を問わずに国民とするということで、いわゆる善政だったと思われる。
 (いまの日本もそんなカンジにしてみればいいんでないの?)
 宗教っぽい政治をおこなっていた国でした。

 曹操は、すでにここも攻めています。
 馬超率いる西涼軍は今ここで徹底的に叩いておかないと、摘み逃した芽はまたいずれ反乱という形となって自国を脅かすとも限りません。
 この攻撃の前に馬超は、張魯と仲違いをして(これは実は諸葛亮の計略。それについてはまた)漢中を離れていました。
 龐徳はたまたまそのとき病気にかかり、馬超にはついていかず療養していたため、曹操の軍に捕虜として捕まる羽目に。

 曹操は張魯の国を得たことよりも、龐徳と対面できたことを喜びました。
 「一国は攻め入ればいつでも手に入るが、一将は得がたい」
 並みいる猛者を相手に一歩も退かなかった龐徳を、曹操はなんとしても部下にしたかったのです。

 曹操の心に深く感じ入った龐徳は、曹操を主として忠誠を誓いました。

 その曹操は、今、荊州攻略の切り札として、龐徳を呼び出します。
 軍神関羽と渡り合えるのは、龐徳しかいない!いや、むしろ龐徳だろう!龐徳ならいける!龐徳ったらすごいよ~ってなもんで。
 問題は、もともと降将である龐徳がそこまで自分のために体を張ってくれるかどうかです。他人をあまり信用しない曹操は、忠誠を誓う部下に対しても心を開くことはしませんでした。
 信用しないってのは言いすぎかな?曹操はどんなひとでも気が合うな~と思えば信用も尊敬もしたけど、裏切りが常である戦国において、疑心は自己保身のために必要とされる能力だもんね。哀しいけど。

 しかも、龐徳のもとの主君である馬超は、今では蜀で五虎将軍の地位まで得ています。龐徳に二心があれば、関羽を攻撃するどころか、あべこべに蜀の陣営に加わり曹魏の敵となるやもしれません。

 曹操からの呼び出しを受けてやってきた龐徳は、曹操の部屋の前で片膝をついた礼の姿勢のまま、入室の許可を待ちます。
 外にいるであろうそんな龐徳に向かって、曹操は静かに尋ねます。
 
 「関羽の軍勢に勝てる兵力を持ちながら曹仁はなぜ負けたと思う?…中へ入れ、龐徳」
 「…失礼します」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…

 「関羽は…劉備や家族、仲間のためには自らの命を捨ててもいいと思っており、張飛や馬超、他の二人…ええとなんだっけ…そう…諸葛亮やシジマにおいてさえ、この曹操を倒すために自らの命を引き換えにしていいと思っている…
 この曹操から逃げることは自分の人生から逃げることだと思い込んでいるのだな…バカげたことだが…
 しかしそのバカげたことがけっこう重要なのだ…。曹仁のやつは忠誠を誓うと言っておきながら、この曹操のために死んでもいいという覚悟ができていなかったということだ…」

 「龐徳…おまえの命をわたしにくれるか?」
 「はい…喜んで」

 「関羽は任せたぞ、龐徳」
 「曹操…さま。あなたの期待は…満たされるでしょう…必ずや仕留めて…ごらんに…いれます……グオァアアアアア!!」
 「ドアくらい開けて出ていけ」

 龐徳は新参ということもあって副将となり、大将は古参の于禁。
 さらに曹操の七軍(兵士の中で特に戦闘能力に優れたものばかりを集めた精鋭集団。曹操の護衛を勤める数万に及ぶ軍団)も従い、先の戦で関羽に敗北し、最前線の城に駐屯していた曹仁軍がいる新野に集結しました。

 ぶっちゃけ、ほんの最近に降将として曹魏の配下となった龐徳を、曹仁も于禁もあまり歓迎していません。つい昨日まで敵同士だったのだからこれは当然の反応です。「こいつ信用できんのかよ?」と。

 そこで龐徳は、諸将を集めて宴会を開くことにしました。
 勝利の前祝、発表会前日、打ち上げの前の晩に「北炉でかるく飲むべ」的なノリです。表向きは。

 主賓である龐徳は、その飲み会の場に棺桶を運ばせました。
 列席していた将軍たちは「これから戦に向かうというのに、棺桶なんて不吉なものを持ってくるな!」と困惑交じりで叱責しますが、龐徳はこう答えます。
 「それがしは降って曹操さまの配下となった。しかし、関羽を討つという心意気は信じていただきたい。たとえ関羽と刺し違えてでもヤツの命を奪う!この棺桶に入るのは関羽か、それがしか、ふたつにひとつしかない!」
 その場にいた誰もがそのご、龐徳の覚悟を疑うことはしませんでした。

 一方、関羽陣営では、曹軍に新たな敵将が現れたとの情報をいち早く掴んでいました。
 「龐徳なにするものぞ!この青龍偃月刀のサビにしてくれる!」
 関羽も迎撃の準備を整えつつありました。

 そして呉では、仮病で陣を退き、その代打としておかれた陸遜が、のちに蜀に大打撃を与える若き天才軍師が、今ここで対岸にいる素振りを装いながら荊州と魏の戦いの行く末を冷静に判断し、どちらに汲みすべきか、その計略を練っていました。
 でもとりあえずは戦の前に、のんびりと関羽将軍に挨拶でも行こうか、とも考えていました。

抜糸日和

2008年02月13日 19時16分44秒 | 個人日誌
 今日は雲ひとつない晴天。遠くにあるはずの富士山がくっきりキレイによ~く見えます。
 こんな風もなく穏やかな冬晴れの日には、病院で腰のリハビリを受けたり、縫ってもらった首のあたりの抜糸をしていただくなんてのが、やっぱ最高だよな~。

 以前まで休みの日には昼まで、ヘタしたら夕方まで寝るような自堕落な生活を送っていたので、病院に通うようになってからというもの午前中に起きて、待合室でのんびりと新聞三紙を読むのは、実はけっこう楽しみなことになりました。

 抜糸の際は予想通りチクチクして痛かった。「摘出したのはやっぱり粉瘤でしたからだいじょうぶですよ」と話しかけてくる。体から取り出したあと病理検査に回されていたのだけど、「陰性」だったってことだね。
 首から糸を抜かれているとき、ひとはあまり喋りたくないものだけど「そーですか、それはなにより」と気丈な振りして答える。
 そういえば手術の前の週に血液検査をされたな。今ではどこの病院もそうなのか、この病院だけなのかはわからないけど、後天性免疫不全…なんだっけ?HIVへの感染の有無を確認するとか言ってたような、たしか。

 抜糸のあとは普通にゴシゴシ洗ってもいいと先生は言う。今までは大きめのバンドエイドをあてたままシャワーを浴びていたけど、いきなりゴシゴシと言われてもな~…。

 病院を出るとお昼近くになっていたので、御飯にしよう。朝を抜いてきたのでお腹ペコペコ。焼肉、ラーメン、かつカレー、刺身、なにを食べようかな~って考えるだけで楽しい。
 運転したい気分だったので、遠くのラーメン屋まで行きました。天気がいいから窓全開で走ってみたけど、それはやっぱり寒かった。

 以前もこのブログで書いた北海道味噌のラーメン屋。今日はコーンをトッピングしていただきましょうか。
 先々週に来たときには、メンマをトッピングしてもらったのだけど実はがっかりでした。というのはメンマの量が多すぎ。しかも冷え冷えのメンマを出来上がったばかりのスープの中にど~んだから、スープもその部分だけぬる~いになっちゃってたんだよね。
 予想通りっつーか、コーンも御多分にもれずヒンヤリ。せめてフライパンで炙ってくれてもいいのに。かる~く焦げ目とかつけてくれたら大通公園で食べる焼きとうもろこし風でベネなのにね。

 カウンターの隣に座った男二人がですねー、食べながらやれ「麺は~~の店のほうがいいな」とか「~~系だね」とか批評しながら食べてんすよ。
 小声とはいえ、これって傍で聞いていて不愉快ですな。
 だってさ~、作ってくれたひとを前にしてあーでもないこーでもないって、友達ならいざ知らずだけど。オマエらは友達か!?友達じゃあねぇだろ~がよ~ォ~。
 百歩譲っても、女性と寝ているときに「前に抱いた女のほうが良かったな~」なんて言ってるもんじゃあない?

 思わず買ってしまった本

 あまり読む気が起こらない。いや、読みますよ。

 部屋に戻って簡単にお掃除。洗濯機を二回ほど回してパソコンを開いたけど、いつのまにか寝てました。起きたら18時半。うむー、どうしてこんなに眠いんだろう。
 ちょいと早い時間だったけど飲んじゃえ~。今21時前。4本目です。関係ないけど、最近またビールっつーか発泡酒を変えました。Draft One。今月に入ってビール発泡酒も値上げしちゃったね~。まぁいいか。
 日記を読み返してみると、一年前まではハイネケン飲んでたんだよな~。今はそんな贅沢はできません。

 それにしても今日は天気が良くてホント気持ちが良かったな。布団も干したし。
 車を運転していても「このままどこか知らないところまで行ってしまおうか」っていい意味で思ったね。
 初夏の北海道、札幌を抜けて十勝からずっとオホーツクのあたりまで半日かけて音楽でもかけながらひたすら走りたい気分だった。

ま~た明日を待ってる~

2008年02月12日 22時08分39秒 | 個人日誌
 う~ん、今日は雨でしたね。
 晩御飯に納豆と茄子の一本漬け、酢豚を買ってきたのですが、部屋に御飯がなかったので炭水化物ナシのままいただきました。なんだかすごく塩分を摂り過ぎた感がありますが、たとえ御飯があっても摂取する塩分の量は変わらないのだから、気持ちの問題、かな?

 前回のブログでは、みなさんのコメントはほったらかしですが、すみません。他意はありません。コメント返すだけで「今日も書いたな~これでいっか」ってそれだけで満足しそうな予感がするので。

 さて、昨日までの三日間。詳しくはよね3日記でお楽しみいただきたいのですが、僕の視点から見た三日間も書きますね。
 よね3と嫁3が東京に遊行されるということなので、僕も時間の許す限りお供させていただきました。

 一日目。仕事を終えてから品川へ向かいます。時折雪も混じるとても冷たい雨の降る一日でしたが、せっかくよね3と嫁3に会えるのだから、この機を逃すことはできません。
 仕事が終わったのは21時前くらいでしたが、よね3と嫁3の到着も遅くなるということなので、時間的には全く問題なし。むしろ予定より早く僕のほうが品川に着いてしまったので、先にshow先生と居酒屋に入ってビールを飲み飲み、鍋なんかもいただいて「一杯目って言い張ろうぜ」と確認し合います。

 show先生が「いや~、最近さ~…」といつものように話し始めましたが、隣のテーブルに男二人と女性二人のグループが座っていて、僕はなぜかそれがとても気になり、ずっとその女性のおっぱいばかり見てました。

 よね3夫妻、ご到着。時間があればもっと飲んでいたかったところですが、翌日仕事もあったので中座させていただきました。
 お土産、ありがとうございます。
 嫁3が焼いたパンケーキは戴いてすぐに「わ~!ありがとうございます!早速明日朝ご飯でいただきますね!」とは言ったものの、帰りの電車の中で一人「朝ご飯でいただくって、それって失礼な言い方だったかな?」と考えました。僕の中では、朝ご飯は大事なものなので、そこでおいしくいただきますって意味だったんだけど、最近は自分で喋って自分の言葉におおいに反省させられることが多くなった気がします。

 二日目。たぶんこの日の昼ころが一番僕が悶絶したときです。仕事はたんたんと、でも今この瞬間によね3は、いろんなひとと会って最高に楽しい時間を過ごしてるんだろうな~と思うと、いますぐ飛んで行って合流したい!いてもたってもいられないってカンジです。
 なんとか夜には上野までたどり着いて合流しますが、すでによね3は遊びつかれてぐったり。僕も一緒にガー遊んでぐったりしたかったです。

 そして三日目。なんとよね3と嫁3の滞在中、全日程においてお邪魔させていただきました。せっかくのご旅行にしゃしゃり出て申し訳ないような、申し訳なくないような。
 なんだかわからないけどやたらやってきて顔を出すのってのは、「うむー、それが僕のキャラなのかな~」なんてふと考えたり。

 浅草で待ち合わせ。すっかり寝坊してしまいましたが、なんとか間に合いそう。念のためガソリンを満タンにして高速乗っちゃいます。出発してすぐにナビの調子が悪くなり、イキナリ画面がブラックアウトしてしまいました。都内の道を全く知らない僕は「え~!!ここから電車はイヤだぞ!」と混乱しましたが、無事に復旧。
 約束の時間を過ぎて雷門に到着。

 少しだけ遅れるというよね3夫妻を待つ間に、観光客(僕もそうだけど)にお願いされて写真を三枚くらい撮りながら。今思えば、僕らもみんな集まったときに写真を撮ってもらえばよかったな~。

 久しぶりにじゅさんに会い、でも全然久しぶりの会話もなく普通に「遅いな~」「電話もでませんしね~」と言いながら待ちます。
 よね3と嫁3と無事に合流。よね3日記では「ドッピオは頭ひとつ出てるから見つけやすい」って書かれてましたけど、あなたもです。

 うなぎ屋さんへと向かう。
 こんなに天気のいいポカポカした日に、じゅさんとよね3と嫁3と4人で、浅草でのんびりと店の前で待ちながら過ごせるなんて嬉しいです。
 店の中に案内されるのを待ちながら僕はボケ~っとしていて、ただじゅさんとよね3の会話を聞いていました。こんな時間を過ごせるのなら仕事なんかはホントどうでもいいことばっかだよな~と考えてました。

 ひつまぶしは大変おいしかったです。お櫃を開けたときの「おお!」「うなぎすごいね!」って、これだけで浅草まで来た甲斐があるってもんです。

 その後は浅草を歩き回って、おせんべいを食べたりどら焼きを食べたり。あのどら焼きは、また今度浅草に行ったときには是非もう一度食べたいものランキングに入りますね。

 じゅさんはそのあと予定があるために途中で別れ、僕らはお参りを終えて、そのあと空港へと向かうよね3と嫁3をお送り差し上げるために車に乗り込みました。
 僕の見通しが甘く、空港に到着したのは飛行機の出発予定時間ギリギリでしたね。ご迷惑をおかけしました。
 よね3と嫁3を見送ったあと、よね3から飛行機自体の出発が遅れてたと連絡をいただきましたが、運転中はもう「遅れたらどうしよう!!」ってことしか考えられませんでした。せっかくだから北海道に戻るまえに、のんびりと車中から見る東京の街を楽しんでいただきたかったのですが、運転も荒くなってしまって。

 見送ったあと、のんびり三時間くらいかけて一人部屋に帰り、マックを食べたあとは、いつのまにか座椅子の上で寝てしまい起きたら2時でした。ポテトも冷え冷え。

 全然話は違うのですが。
 土曜日の朝に出社すると、会社の同僚が倒れたとの話を聞きました。前のチームで一緒だった50代のひとなのですが、前日に帰宅後に倒れて救急車で搬送されたそうです。
 このひと、休日もほとんどサービス出社をしていて、夜も遅くまで仕事をして、それなのに僕の仕事っぷりを見て「やっちんはよく頑張ってるな~」「やっちんの仕事は大変そうだな~」と声をかけてきて、「あなたほどじゃあない」っていつも返していたのですが、歳も歳だけに心配していました。僕の父さん世代ですからね。このひとが有給をとったところを見たことがない。
 メールがきて、「たいしたことない。つけが来ました。悪運強く首の皮一枚で残ったみたいです」って。
 ひとまずは無事でなによりです。しばらくは休むみたいですけど。有給使えてよかったですねwなんて不謹慎なことは言わないw

 また話変わって。
 「今日は絶対にノー残業デーで!」とチームの人と二人、出社してから誓いをたてましたが、気づけば二人して夜までお客さんに電話。
 今の仕事は電話でアポをとって、訪問して、説明して契約をいただくという、まさに営業ここにありってもんなんですが、たくさん電話をしないと会えないし、会えないと契約もなにもないし、当然仕事にもならないし、数字にもならないしで、電話がキライで知らない人に会うのもできるだけ避けたい僕に「この仕事は向いているのか?」っていつも考えるのだけど、仕事なんかそんなもんなんだろう、誰にとっても。

 帰りのロッカーで、チームのひとが「なんか面白いことないですか?」と聞いてきた。そんなものがあるなら僕も聞きたい。
 でもね、僕には会ってくれるひともいるし、会って飲んでれば楽しいし、なんでもな~いこともふとしたことも「ラッキー」とか思ってるので、仕事以外はたいがい楽しい。
 そりゃあ仕事はイヤだけど、職場に人間とどうでもいい話しているのとか好きだしね。訪問したけどやっつけられたお客さんの話とか、失敗話とかでも。

 そんなこんなで今夜も一人でビールを飲みながら、夏にはよね3とビアガーデンに行きたいな~、シジマをいじめ回してやりたいな~なんて考えている。

ベーコンはかりかりに焼けているか

2008年02月08日 23時57分57秒 | 個人日誌
 今日の仕事も終わったぜ~と、喫煙室でボヘ~っとしていると、まぁいろんなひとが集まってきて「今日どうだった?」「雪降るらしいね」「明日も朝早いんだよなー」「それじゃあ一緒に歌おぜ!エベバデセィ!」といろんな会話が始まる。

 そんなかんじで一服していると、「ジュージャンしましょうよ」と誘われました。
 ジュージャンって言葉は全国区なのかな。学生時代はあまりやらなかったけど(そのかわり「ひとくちゲーム」とか水コンパとか、決して全国区にならない遊びはいっぱいあった)。卒業後にバイトをしていた頃は、現場でADや他のカメアシを巻き込んでは頻繁にやった。
 このゲームって根拠ないけど、言いだしっぺか最後に挑戦してきた人間が負けることが多い気がする。統計学的には最初だろうが最後だろうが勝ち負けの回数に差はないはずなんだけど、なんとなく「その人間が負けたほうが盛り上がる」もんだから、記憶に残り易いのかもね。

 で、誘われたんだけど、断りました。どうでもいい日常のひとコマみたいなもんだけど「いや、僕はいいです」って言った瞬間に、僕は僕にガックリきました。
 いつからこんなに守りに入ったんだろう。ここで負けることこそ!負けることこそおいしいのに…。なんの気もなしに自然に「いや、いいです」なんて言葉に出てくる自分にがっかりだ。

 結局、やったんだけど。
 普通に勝っちゃいました。しかもそのあとジュースを奢ってもらったあとの僕の言い訳もすごいぞ。「帰ってビール飲みたいから喉渇かせておきたくて」
 いや、これは本心でもあるんだけど、それをイチイチ説明するなよな~俺。なんかさ~ってカンジじゃあない?

 なにを言いたいのか自分でもよくわからないけど、いつのまにか僕は自分本位で甘えてしまっているような気がした。

 全然別の話なんだけど。
 今日は横浜のお客さんのところに営業に行って、まぁ、散々な結果だったんだけど、帰社の間の車の中でラジオを聞いていた。
 タレントの風見しんごさんっているじゃあないですか。そのひとがラジオのなかでテリー伊藤と喋っていて。
 あんまり僕はテレビもみないし、芸能人はほとんど知らないんだけど「あ~、たしか去年娘さんを交通事故で亡くしたひと?」くらいのことしか知らなかった。

 会社に戻ったあと、隣に座っている同僚が「誰か今日のラジオ聞いてました?」とそこにいるみんなに尋ねてきた。
 この彼、めちゃんこかっこよくて、僕が以前に他の同僚と飲んでいて酔っ払ったときに「今の会社でこの僕よりもかっこいいのは彼くらいだ!」と豪語したほどの男なのだが(そんな評価はどうでもいいって?)、その彼が「風見しんごの話、スゲー泣けました」って話をはじめた。
 「や~、あれは俺も聞いていたよー。うるうるきたね~」なんて答えていた僕ですが、実は号泣。運転中あまりに涙が出て思わず車をコンビニに止めてしばらく泣いてました。

 風見しんごさんが、そこで語った内容はとてもここで書くことができません。とんでもなく唐突に幸せを失ったときの、その寂しさや虚しさ、娘に対する愛情を、このひとはずっと心に留めながら生きていくんだろうな、ってことを考えると、なんだか僕がここで書くことすら憚られる気持ちです。

 帰ってきて、最近はズーパーがやっている時間に間に合わないので、買い置きしていたピザトーストを食べることが多いのだけど、一度火を通したブロッコリーも一緒にトースターで焼いて、なんとなく買ってあったベーコンのブロックも厚切りにして、それも焼いて食べました。
 ベーコンおいしい~。

 朝ご飯に、パンとミニトマトとベーコンを良く食べるのですが(ベーコンの代わりにソーセージもわりとある)、朝なんか時間もないからベーコンも切り落としのままなのだけど、トースターで油が撥ねるほどにかりかりに焼いたベーコンがこんなにおいしいなんて。
 いや、もちろんベーコンがおいしいものだということは知ってるけど、久しぶりに口にするまで、それを忘れていただけなんだよな~。

 もうちょっとだけ書いていたいんだけど、そろそろ寝ないと明日の仕事にひびきそうなので、おやすみ。

前向き戦士

2008年02月07日 21時49分49秒 | 個人日誌
 朝起きて部屋を出たら、けっこう雪が積もっていてびっくりでした。このまえの日曜ほどじゃあないけど。なんでも今週末もまた降るとか。今年はよく降りますね。

 このまえ撮ってアップするの忘れていた写真

 しばらく住んでいるけど、こんなに積もったのは初めてかもなァ~。普段降らないので、たまに降るとなんだかワクワクする。
 この日も朝にこの雪をみて「今日はきっと昼で業務終了だ~!」って思った。会社に行って営業車にチェーン巻いてイヤイヤ仕事したけどね。いつもどおり。

 仕事を終えて帰ってくると、ビールを冷蔵庫に入れておくのを忘れたのに気がついてすぐに冷凍庫へ放り込む。
 あまりチンチンに冷えすぎたビールは、ビールのうまさも麻痺してしまうから普通に冷蔵庫で冷やされたくらいが好きなんだけど。

 いつもは帰ってきたらまず一杯だけど、冷えているのを待つあいだにシャワーを浴びてしまう。最近はシャワーもやたらアツアツで浴びるようになった。だって寒いんだもん。
 と、浴室がなんか汚い気がする。こんなところにこんな汚れあったかな?あれ?ここにも?ブラシでゴシゴシと擦る。
 急に汚れるわけもないので、おかしいな~おかしいな~思ってたんだけど、ただ単にコンタクトつけたままシャワーを浴びていたので、いつもより良く見えていただけでした。
 良く見えている状態で気になる汚れってことは、今まで気がつかなかっただけで、これってマズイよな~。いつかがっつり掃除してやらねばなるまい。来週でいいや。

 そういえば昔、文連あたりで桐野と。
 「俺ってよ~、眼鏡かけると途端に鏡に写る自分の顔がかっこ悪いような気がするんだよね~。よく見えるせいかな。本当はもっとかっこいいのにさ~。控えめに言ってもミケランジェロの彫刻のように美しいよな~」(←うそですよ!こんなことはさすがに言わない。書いてみたかっただけ)
 「あ~、僕も自分で自分の顔を、眼鏡かけて見るとイケテナイふうに思います。かけてなければ僕ら最強なんですけどね~」
 「だよな~、敵ナシだよな~。飲み会で」
 「つーか、ヤスさんマンツーで飲みに行きましょうよ~」

 桐野に会いたいな。今頃どうしていることやら。
 最後に会ったのは仙台だったな。もう何年もまえに、こっちで暮らし始めるまえに一人でツラ~っと仙台に遊びに行って。朝早くに札幌出たはずなのに、仙台駅に着いたのは夜の8時近かったかな。
 その晩にキクさん、遊太さん、Romiyさんといいだけ飲んで。二軒目でトイレの個室をゲロまみれにしたな~。
 翌日、「せっかくなので牛タンが食べたいです」という僕の要望に応えてもらって、牛タン屋に入ったはいいけど、やっぱ二日酔いで食べるどころじゃあないんだよね、からだは。
 僕は「ヘルシー牛タン定食 サラダ、とろろ付」みたいなやつを注文しようとしたんだけど、その空気をいち早く桐野に読まれてしまった。
 「大盛りいきますよね?牛タン二倍ですよw」
 「はい、大盛りでw」

 そのごの東京行きの新幹線の中では、ずっと一人で「う~んう~ん」って戦ってました。

 岡村靖幸が覚醒剤所持の現行犯で捕まったニュースから一日経って。ようやく僕のなかでも「あ~あ」って気持ちが広がってきました。
 バカだよな。どうして止められなかったんだろう。
 別にさ~、クスリで自分のからだをボロボロにするのはいいよ、いや、よくはないけど勝手にしなさいってカンジ。クスリってのは好きでやってるぶんにはこっちは関係ないし、誰にも迷惑かけないなら。
 つーかさ、僕らファンの声どうこうのまえに、きっと彼の目の前にも彼を励ます友人がたくさんいたはずなんだよね。
 本人は友人なんかいないって言ってたけど。それに気がつかないのもなんだけどよ~、岡村靖幸復活のためにスタッフも会社の人間も、彼の周りで奔走したわけじゃん。そこには単に自分のおまんまのネタだからってわけじゃあなくて、心から彼の再生を願う人間もいたはずなのに。
 まんまと裏切ったよね。

 困難に立ち向かったときに逃げるのは卑怯だとか、臆病者のすることだというけど、逃げるのもけっこう体力いる。逃げるというか、ここは退いて今後の出方をみるってのは、まぁ、いいかた変えればそれもひとつ戦術だしさ。

 広い意味でいえばお酒もドラッグみたいなものだけど。中毒になるし、中毒になればからだも心も壊れるし。
 僕は毎晩ビールを飲んでいて。たま~に「これってからだに良くないよな~」とも考える。一人でもくもくと今日あったイヤなこととか、明日から起こるイヤなことを想像して飲んでしまうときもある。
 でも、みんなで一緒にワイワイと飲んでるときって、決して逃避じゃあないんだよね。同じ「飲む」ってことなんだけど、この違いはなにかな?

 それは「前向き」ってことなんだろうなー。仲間や友人との楽しいお酒ってのは、明日やそれ以降の活力になりえる。健全っていってもいいかもしれない。

 人間はなんでものめり込むととことんまでやってしまうこともあるけど。例えばアスリートは限界ギリギリまで自分を追い込んで、結果故障してかえって選手生命を縮めてしまうこともあるし。仕事だけして自分の健康を省みずにからだを壊してしまうこともある。うむー、それはちょっと違うかな。

 つまりですよ、中毒ってものは、それを他人が聞いたときに「それはしょうがない」「それはがんばったね」といえるような、健全で前向きな努力、継続された結果によって引き起こされた自分自身へのダメージってものだけは評価される。
 評価の基準はその時代時代で変わるから、絶対にこう!ってのはないのだけど。

 前向きになるために、一人でクスリをやってました。一人で飲んでました。これはいかんぞ歯科医。
 前向きってのは、常に明日を見据えてそれに備えることを言うんだろう。

 そんなことを考えながらシャワーを浴びていました。
 僕の今の生き方は前向きで健全か?と問われれば「前へ前へとバックする」というか「ひとと比べたらものすごく歩みは遅いけど、微妙に前向き」ってカンジかな。
 明日はちょいと早めに会社に行く~。めんどいけどやらないともっと面倒だからしょうがないもんね~。

三国日誌 補足(仮) その10~魏呉不可侵条約

2008年02月06日 21時38分37秒 | 三国日誌 補足(仮)
 スタートレック前回までのあらすじは…

 「艦長!もう船体が持ちません!!ボーグキューブの攻撃でシールド20パーセントまでダウン!!」
 「キム少尉!非常用パワーに切り替えて! トゥボック!あなたは先に脱出カプセルまでクルーを誘導して!」
 「しかし、艦長。環境維持システムが働かない今、このデッキもあと数十秒のうちに人間が生きていける環境には適さなくなります!」
 「いいから行って!私は最後までボイジャーに残るわ!」
 「だめだ!キャスリン!あなたもここで死んでしまう!」
 「チャコティ!私はこの船の艦長なのよ!ボーグがそんなにこの船が欲しいなら、逆にこっちからボーグキューブめがけて突っ込んでやるわ!」

 そしてその結末は…

 呂蒙、字は子明、汝南郡の人。
 呉の大都督として魯粛のあとを継いだ彼にとって、至上命令は「関羽が守っている荊州を奪取すること」となりました。

 しかしながら、関羽ったら世に名前が知れ渡ってから一度も不覚をとったことがない猛将です。
 昔の呂蒙ならあんまり物事を考えるほうじゃあなかったので「関羽?!そんなん知らん!俺が飲ませて潰してやる!」と、春うららでデビューしたての一年坊くらいイキオイだけはあったのですが、今では主君孫権にの薦めで書をよく読み、兵法もがっつり学んで、もともと努力家でしたので、その知力は呉に並ぶもの無しとまで言われるくらいのもの。
 それはつまり冷静に敵の力を分析する能力があり、その敵にどうあたるべきかを考えるほどの能力を身につけたということです。

 それでも、アスリートが実力をつければつけるほどに、その一歩上のアスリートの実力と自分とを「世界が違う」と怯えのように感じてしまうものです。素人から見たら「打率2厘差なんて、ホント紙一重だよな~」って思う程度のものが、上にいけばいくほど、そこにいる者にしてみたら、歴然な実力差となって実感できるっつーか。

 対荊州の最前線に赴いた呂蒙は、関羽とのレベルの違いをひしひしと感じてました。私では関将軍にはとても敵わない…。でもなんとかしないとね。仕事だから。
 関羽は一般的には武の人と印象が強い。攻めて敵を倒すのには向いているが、守って戦うのことはそれほど得手ではない、と呂蒙は踏んでいました。

 なんとか攻略の糸口を探そうとする呂蒙は、作戦を練るまえに荊州の内部に間者を放ち、関羽の防備がどの程度なのか探ろうとしました。ひょっとするとそこから意外な関羽の弱点もみつかるかもしれません。

 しかし、間者の報告は呂蒙をがっかりさせるものでした。
 関羽は呉と接する荊州南部にはエリア毎に烽火台を設置し、もしも呉が攻め入ってくるなどの異変が起これば、烽火台が合図の火を上げて次の烽火台に向かってその異変を知らせ、その次の烽火台はやはり火を上げて次へ…と、現代の情報化社会以上に迅速に状況を知らせるインフラを構築していたのです。
 関羽は確かに攻めと守りでは、攻めることが得意な武将でしたが、きちんと自分の弱い部分も認めながら、それを補う策を用意できる人間だったのです。

 呂蒙は「攻めんの無理!」と判断しました。
 荊州の関羽を攻めることもできず、それでも大都督という立場上、退くわけにもいかずに困ってしまったので、仮病を決め込みました。
 「いや~、病気なんですよ~自分。このまえ肺を半分取りましたし、アバラも折れてるし、医者にはあと半年の命って言われてるんすよ~。でも一応プロライセンス持ってるんで~素人殴っちゃあいけないですけど~、心臓も悪いんで~アメリカで手術受けてきたんで~」とかなんとか言って。
 
 呂蒙が病気だという報告を本国で聞いた孫権は「ちょ、陸遜よ~、お見舞い行ってきて」と命じます。

 陸遜について書くとまた長くなるので、ここでは詳しくは書きません。
 このひと、いずれは両肩に呉国の命運を握るまでの立場になるのですが、その頃はただの下級の文官。可もなく不可もない目立たない落研の二年目ってとこかな。まぁ、まだ若いし、その力は認められていません。
 呂蒙の様子を見て来いなんてまさにパシリ程度のお役目です。
 
 陸遜は陣中を見舞うと、呂蒙の病気をすぐに仮病と見抜き、しかもなぜ仮病を使わなければならなかったかを言い当てます。
 つまりは「あなたでも攻めどころを見出せないくらいに、関羽将軍は用意周到でしたか」ということを。

 これを聞いた呂蒙は驚きます。この若造、意外とものをみる目があるな~と。
 そこで陸遜に全権を委任し、自分は国に帰ると言い出します。
 「えー!呂将軍、それがしにはこの任は重すぎます」
 「なに、策だよ。陸遜くん」

 呂蒙はますます病気が重くなったと嘘をついて帰国準備を始めました。自分は退くと見せかけて後方に待機しても、陸遜のような若く優秀な次世代の者たちがうまくやってくれるだろう。そんな予感が呂蒙にはありました。

 ちょいと関係ない話だけど。
 呉は江東(長江の東側、下流域)を占めていた一大国家ではありましたが、どんなに規模が大きくなろうと、いつまでも悩まされていた問題がありました。
 それは異民族との対立です。
 呉の軍事力、民事の及ばぬ未開の土地。そこには山越族という部族がいました。ときどき呉との国境付近で衝突を繰り返していたので呉にとっては頭の痛い問題でもありました。
 まぁ、山越族にしてみたら、こっちこそが先祖代々この地で生活をしてきたのに、そこに勝手にやってきては文明開化を主張し、力技で民族を吸収しようとする呉の人間なんかどうでもいいっつーか、ほっといてくれってカンジだよね。

 呉での稀代の猛将知将とそののちに呼ばれる将軍はみんな、この山越族平定の戦いに必ず出向いています。いわばこの山越との戦い如何で、今後の出世も決まるという試練みたいなものでした。
 周喩、魯粛、呂蒙、陸遜、世代も時間軸も違えど、ことごとくこの遠征の指揮をとったことがある者ばかりです。

 山越族って、これは想像だけど、呉国の人間の立場から見て「山に住み、その山を越えて略奪をおこなう集団」みたいな意味なのかな。
 山越にしてみれば「オマエらこそ山を越えてやってきた異民族だろーがよ~」ってカンジだろうけど。

 いずれにしても、何十万単位の兵士を保持し、最先端の武器を扱い、統率された軍を持つ呉は、次第次第にこの山越族を辺境へ辺境へと追いやることに成功します。
 行き場を失った山越族は、名残惜しみながらも故郷をあとにして、家族や友人とともに見果てぬ大海原へと旅立ちました。
 幾月もの困難な航海の末、彼らは小さな島国の、とある土地に流れ着きます。
 新しい土地で生きていくことを決心した彼らは、そこにコミュニティーを作り、その土地を「越」と名付けました。
 越前、越中、越後。
 『呉服』という言葉もここから生まれたとか。『漢字』もそうなのかな?なんせ「漢」の字だし。

 さてと。

 関羽は、積極的に呉に対して攻撃をしかけようとはしませでした。
 形だけとはいえ蜀呉は同盟関係にあったのはもちろん、まず倒すべき敵は、無理っくりに漢帝を擁し、傀儡としてその正当性を奪おうとしている魏であることを諸葛亮から聞くまでもなく感じていたからです。

 思えば若き日に、桃園で劉備を主君そして兄と仰ぎ、義弟の張飛の三人で誓いを立てました。
 漢朝の衰退を目の当たりにし、農民や弱いものが虐げられ、罪もない人々が死んでいく。そんな世の中はもうまっぴら御免だったし、我らでなんとかしてやろうって気持ちがあったからこそ。

 関羽にしてみれば、北方を曹操の魏にいつ攻められるともわからず、翻して南方からこの荊州をうかがう呉も侮れない敵です。
 この荊州という戦略的価値の高い土地を、義兄である劉備に託されたときに、関羽もさすがに「自分一人で魏と呉の両面攻撃に耐えうるか?」と心配でした。
 軍師諸葛亮はそんな関羽に「八字の戒め」というよくわからない兵法を関羽に告げました。
 「北ハ曹魏ヲ攻メ 南ハ孫呉ト和ス」

 「北ハ曹魏ヲ攻メ 南ハ孫呉ト和ス」
 すなわち、魏に隙あれば関羽の裁量で攻め込んでしまってもかまわない。ただし後門の虎である呉に関しては、現在我が蜀とは同盟関係にあるとはいえ、その関羽将軍が留守となった途端に必ず刑州に攻め入ってくるであろう。呉とはつかず離れずの程よい関係でいなさい、ってこと。

 関羽はこれを守りました。
 そのための烽火台であったし、関羽にとっても、呂蒙という剛勇がそこで総司令官を張っているのは脅威でした。しかし呂蒙が自分をそれ以上の脅威と考えていてくれていることも知っていました。
 
 荊州と呉、両軍動かずににらみ合いが続けば続くほど蜀にとっては好都合でした。

 なぜ好都合か?
 蜀という地方は、流浪を重ねた我が兄であり主君の劉備がやっと手に入れた、天下をうかがうことのできる磐石な国でありましたが、なにせ手に入れたばかりで国としては若い。まだまだ国力も兵力も曹魏には及びもつきません。
 諸葛亮という天才軍師が内政にどれだけ励んでも、その国の充実には何年もかかるでしょう。劉備が人心を得て、君臨できるのも時間がかかります。
 他国と対等に立つための時間稼ぎが、蜀には必要だったのです。
 そのためならば関羽は、自分が最前線の荊州に出張ることによって、危うい三国のバランスを一時的にでも一身に引き受ける所存でした。

 もちろん諸葛亮が、荊州に関羽を配置したのはそこが狙いです。

 一方、魏の曹操は、いつだったかの飲み会で「この世に英雄と呼べるのは君と余だ!」と言って指差したネットカフェ難民こと翼の折れたエンジェル劉備玄徳が、自分の予想通り、とうとう蜀という確固たる地盤を得たこと、そして呉と同盟を結んだことを「討ち捨て置く事態ではない」と感じていました。
 感じたというよりも、赤壁で蜀呉の連合軍には散々に負けてるしね。

 今、荊州を攻めるのはリスクが高すぎる。なにせ相手は関羽。
 もしもその関羽を助太刀する形で呉も一緒に攻め込んできて、機を逃さず蜀の軍勢が漢中方面にでも雪崩れ込んできたら、さすがの曹操ですら止める自信がありません。
 いや、曹操はそれでも止めるでしょうが、国力の疲弊は相当なものでしょう。
 現時点ナンバーワンである魏であっても、国力の一時的は減退は、いつ反逆者を生み出して、クーデター、政権交代が起こるかわかりません。
 エリートの家庭で生まれながらも己の才覚一本でのし上がった曹操は、権力なんてものは、一昼夜で逆転するものであることを身をもって知っていました。それがどんなに強大な権力であっても、鞍替えなんてものはあっという間に起こる。

 赤壁で大敗を喫した曹操は、ここは慎重に行かねばならないと考えていました。

 「曹操さま、あなたほどのものがなにを畏れることがありますのじゃッ!」
 「畏れてなどおらぬ…孫呉の血統は侮れんということだ…」

 曹操は呉を攻めることにしました。「呉を攻めたら、当然のように同盟関係の蜀が呉をフォローするじゃん。そうなったら、魏VS蜀呉連合の構図になって赤壁の二の舞では?」とも考えてしまいますが、曹操はそこも計算していました。

 蜀が呉と結ぶのは、国力を蓄えるための時間稼ぎ。
 いつか必ず蜀は、北伐という形で魏を対し軍勢を差し向けてくる。
 蜀は「魏は!曹操は!帝を虐げる逆賊である!帝をお守りし、漢王室復興のために立ち上がる!」という大義の旗のもとに時代遅れヤローが集まった国だから、いずれは戦わなければならない。
 呉は一方、もともと地方豪族の集まりです。本当は戦争なんかせずに自国の領土と保身が第一の自分大好き集団なので、蜀に義理立てして魏を攻めたりはしない。

 となれば攻めるのは呉から。それも蜀の前線基地からはうんと遠い戦場にて戦う。蜀の援軍は間に合わず、間に合わないくらいならやはり自国の準備を優先しようと判断するであろうギリギリの境界線で。
 そこであれば関羽も荊州を守る任がある以上、援軍に駆けつけることもない。劉備から任された土地を捨て置いてまで、呉なんかに援護をすることはない。
 純粋に魏VS呉という二国の争いとなれば、どうみても魏軍優勢。
 呉を落とせば、蜀などは恐れるに足りません。天下の帰趨、もって知るべし。

 そんなわけで、曹操は呉との境界であるが合肥(がっぴ)という土地を何度か攻めますが、あまり成果は得られませんでした。
 曹操の読みは外れ、いたずらに兵力を失う消耗戦となってしまいました。
 そのあいだ蚊帳の外にいた蜀は確実に力を増してきます。

 呉へ速攻をかけ、転じて蜀をも併呑したかった曹操にとってこれは誤算でした。
 これは早いところ代替案をださなければなりません。時間をかければかけるほど、曹操には不利になります。

 そこで曹操がここで採った策は。
 実質は曹操の操り人形として名前ばかりの漢帝ではありますが、未だその威光はどの勢力に所属する、どんな人間にも畏れ多いものです。これを利用して、帝の勅として合肥の戦いを停戦させました。
 「魏呉不可侵同盟」の締結です。

 しばらくのあいだ呉はもう魏の邪魔立てをしないでしょう。兵力を消耗したのは呉も同じ。すぐには体勢は立て直せないはず。そこにきて「停戦」という帝の勅詔ですから、呉にしてみたら「助かった~」です。

 呉はあからさまに魏に対抗することはできなくなりました。蜀との同盟があったとしても、それも形だけ。
 つまりは魏は攻撃の矛先を、100%のイキオイで蜀に向けられる。
 これにより曹操は思いっきり荊州攻撃ができるようになりました。

 とうとう荊州の関羽に向けて、曹操が本気で攻めるときがやってきました。

 悲しい別れをしていた二人ですが、そんなことはお構いなしに、抗うことのできない力で、とうとう運命の大車輪がグルグルまわりだします。

三国日誌 補足(仮) その9~蛇矛と青龍偃月刀

2008年02月03日 23時34分02秒 | 三国日誌 補足(仮)
 昨日のブログに対するシジマくんのコメント。

「なんか盛り上がりに欠けましたね。次回は頑張りましょう。」

 朝、会社に行く前にこのコメントを読んだときは「それはつまり、俺に飲ませて欲しいってことだな!知らんぞッ!」って気持ちになりましたが、さっき電話をしたら、ちょうどシジマはよね3とジューシーと飲んでいる最中で、とても楽しそうでした。
 ああ、うらやましい…。早く夏にならないかな。
 声を聞くと、許す気になりました。早く僕もみんなと飲みたいです。

 あ、別に本気で怒ったとかそういうわけじゃあないからね。コノヤロ~w的な、なんかいい切り返しないかな~って考えていただけで。

 パソコンを買ってインターネットを始めてすぐにshow先生に薦められた赤兎馬

 最近また三国志が熱くて、僕の中で。
 三国日誌はお休み中だけど、本屋に行く度に吉川英治の全八巻買ってしまおうか迷っています。実家にあるんだけど、今読みたい。今読んで勉強しなおしたい!

 三国志Tシャツや小物とか、持っていても着ていても誰も気がついてくれないだろうけど、ある日飲み会で着ていくだけでよね3やshowが大喜びしてくれそうなグッズが盛り沢山です。

 ネットで買い物をしたことがありません。航空券くらいです。それって買い物とはちょっと違うし。
 今、買うべきか買わざるべきか、ものすごく迷ってるのはこれです。

 
 蛇矛シルバーチョーカー

 
 青龍偃月刀シルバーチョーカー

 これは迷うよね。写真でみても甲乙つけがたい。なんとなくイメージできるのは、どっちも派手かな~ってことなんだけど、三国一の三国志好きを自称する僕としては、ネタとして買ってもいいかな~くらいには思う。

 どちらも15800円。二個は買えない。どちらかを選ぶ。選ぶのは苦手なんだよな~、こんなとき刑兆の兄貴がいればなぁ~ッ。

 シルバーアクセサリー好きなんです。今はあまり買わなくなったけど、ごちゃごちゃつけるのが好きで、たまにつけ忘れて外出すると飲んでいてもなんだか落ち着きません。
 ここんとこあまり買わなくなったのは、「やっぱシンプルが一番」って考え方をするようになったからってのもあるし、主義主張はあえてみせないほうがいいときもあるってことを学んだってこともあるんだけど。
 ジーパンにランニングシャツというような、まんまシンプルな服装だと「どこにアクセントをつけるか?」ってときに、ひとつあっても困らない。

 そこで今回は、上記の「蛇矛シルバーチョーカー 」「青龍偃月刀シルバーチョーカー」どちらを買うべきかを、みなさんの意見を聞いて票の多いほうを購入したいと考えています。
 参考までに「これはなに?なんの形?」というひとのために補足で説明をさせていただきます。

 「蛇矛(ダボウ、もしくはジャホコ)」というのは、劉備三兄弟の一人、張飛翼徳(正史では益徳)が武器として使っていた長槍っぽいものです。
 張飛といえば、三国志に出てくる人物の中では、いつもやたらとお酒を飲んで、酔ったうえでの失敗も数多いのですが、純真で愛嬌のある性格で、豪快な武勇とのギャップがなんともいえない人間味を醸し出す味のある男です。
 三国志を知っているひとの中でも「張飛はキライ」って話は聞いたことがないな。

 周りに「オマエは酒が入ると手がつけられないからな」と冗談めいて指摘されても「チェ、なんだよ。俺がそんなに見境のなくなる男だと思っているのか」とスネますが、誰もが「オマエが言うなw」ってカンジです。

 長坂の戦いでは追撃してくる曹軍に、ただ一騎、殿(しんがり、追撃される軍隊の最後尾で敵を食い止めるために戦う役割。ほとんどが生還できない。生還せずに本陣を無事に帰還させることが殿の目的ともいえる)に立ち、両岸にかかる橋の上で、あえて曹操軍の追っ手を待ち受けます。
 そして一喝。
 「我こそは燕人張飛なりッ!!死にたいやつからかかってこい!!」

 この描写だけをみると、張飛は猪武者で自信過剰な命知らずとも思えますが、もちろん彼なりの考えあっての行動。
 橋の上に陣取った理由は、狭い橋ではどんな大軍も一気に攻撃をしかけられないこと。そして、単騎であることにより、他の兵士を戦闘に巻き込まずにいられ、味方の犠牲を減らせること。
 このとき張飛の部下たちは、橋の後ろにある深い草の茂みに潜んでいます。もしも追っ手に攻撃を仕掛けられれば全滅必至な少人数の編成ですが、張飛の指示ものと、各々が背中に何本もの旗印を掲げ、絶え間なく動くことにより、遠目から見るとあたかも多くの伏兵が草の中に潜んでいるかのように見せかけていました。
 決して、自暴自棄になったやけっぱちの作戦ではありません。
 もちろん、張飛自らがそこで敵を食い止めることにより、たとえ自分と部下たちが戦場の塵となっても、時間さえ稼げば本陣である劉備が無事に逃げおおせることを計算しての行動です。
 覚悟っていうのはこういうことをいうのでしょう。

 そんな、たまにみせる武将としての資質とお酒でのはしゃぎっぷりのバランスが面白さでもあるアツくてかっこいい男、張飛。

 旗揚げの初期に義勇軍(官軍、つまり正規軍に属さない軍隊。よくいえば世のため人のため、報酬どうこうよりも万民のために立ちあがった集団。悪くいえば寄せ集めの雑軍)として劉備、関羽とともに各地を転戦していた頃のエピソードから。
 黄巾族(人民、一般人による大規模な国への反乱みたいなものの、その集団)との戦いで、あちこちで敗戦を繰り返していた官軍に助太刀し、この危機を救うこと幾度でした。
 しかし、そのたびに官軍の大将に「雑軍相手に礼を言うのはバカバカしい」的な扱いを受けます。
 直情型の張飛は「劉備の兄貴!あんなこと言われて俺は黙ってられねーよッ!俺たちが助太刀しなければ、今ごろ黄巾の輩にボコボコにされているようなやつらじゃあねーかッ!それが、助けてもらってありがとうの一言もいえないのかッ!」と声を荒げます。
 劉備と関羽に「今は耐えるのだ。いつかきっと我々の働きが報われるときがくる」「そうだぞ、張飛。我ら三兄弟は認められるために戦っているのではない。この戦争によって犠牲となり虐げられている幾億の弱き民のために戦っているのだ。決して地位や名誉を求めているのではない」と宥められます。

 そんな張飛の鬱積した思いがとうとう限界まできて。
 毎度のように、官軍から礼のひとつももらえなかった義勇軍。とうとう張飛は、「ッのヤロウッ!!」と剣を抜いて官軍を指揮する将軍に襲いかかろうとします。すんでのところで関羽に止められた張飛は叫んだ。
 「兄貴!俺を止めないでくれッ!やつらに教えてやらないと気がすまねえッ!雑軍は人間じゃあねーってのかッ!声をかける価値もねーってのかッ!俺たちは命をかけて戦ってるんだッ!国やひとを思う気持ちは誰にも負けねぇ!それをひととも感じないその態度はなんだ!それが腹立だしいんだ!」
 そして「なァ兄貴…俺はそれが悔しいんだ…」と咽び泣くのです。

 対比としてよく言われる関羽との性格の違いは、張飛は「自分より上だと思った人間のことは敬う気持ちを持っているが、下の人間にはキツく冷たくあたる」ってカンジなんだけど、彼はそれが原因で命を落とすこととなりました。

 関羽雲長については、『三国日誌 補足(仮)』のなかで何度か書いていますね。
 同じく張飛の対比表現として用いられるのが、「目上の人間というか、権力というものはキライで、これを冷たくあしらう素振りが多く、実際に官職を賜るときにもなんだかんだでこれに反発しようとする。一転して、部下には優しく、どんなときにも自分に付き従うものに対して気配りを忘れない」ってもの。
 (僕の意見では「どっちの評価に対しても「そう?そうでもないんじゃあない?」ってカンジで思うのだけど)
 関羽もまたこの性格で命を落としたと、いえるいえないでいえば、いえなくはないかもしれませんともいえます。
 義を重んじ(張飛が、それを軽んじているわけではありませんが。むしろここぞというときには、張飛のほうが心からの叫びで気持ちを表現しているようにも思われる。ただそれをうまく表現する術を、彼は不器用なものだから知らないだけで)、たとえどんなに厚遇されようと主君であり義兄である劉備玄徳に付き従った武将です。
 関羽の武といえば、どんな敵にも一目を置かれ「関将軍一人で、兵千人に相当する(一騎当千)」と評されました。
 その彼が、三兄弟の旗揚げ時に作らせた武器が「青龍偃月刀」です。やはり長槍というか、切ることも叩くこともできるランスのようなものでしょう。

 関羽は、決して己の利のために戦うことはしませんでした。(その関羽が中国では商人も神様になってるのは、また不思議なことなのだけど)
 彼という人物がいなければ、三国志という物語はここまで有名にはならなかったと思います。
 業界では「関羽が死ぬまでが三国志、関羽が死んでからは後日談にすぎない」という意見もあります。

 主君として崇めた劉備と、その最大のライバルである曹操との間での心の揺れ動きは、読むものの心をも揺さぶります。このへんの話なんか、かる~く恋だね。

 さてさて。
 どうでもいいような他人の買い物ではありますが、「どちらを買うべきか?」ぜひ忌憚のないみなさまの貴重なご意見をお聞かせください。
 「ふたつとも」とか「両方」はなしで。「買わない」って意見もアリです。「それ買うなら、むしろコレのほうがいいよ」なんて意見もお持ちしております。

馬騰

2008年02月02日 23時22分12秒 | 個人日誌
 馬騰、字は寿成。
 どこ出身だったかな?忘れたけど西涼のほうだったか。息子の馬超のほうが有名ですね。
 息子の馬超が曹操に反旗を翻したとばっちりを受け、その曹操に都に召還されて、まんまとおびき寄せられた父親の馬騰は、その地で息子の反逆の罪のために処刑されたともいわれてるし、逆賊曹操を討つための帝の勅詔を受けた董丞の血判状に名を連ねたために、そのことが曹操に発覚して先制され馬鉄、馬休ら息子とともに処刑されたともいわれてるし、どっちが正史でどっちが演義だったかな…?

 と、僕がよく覚えていない三国志の登場人物です。
 西涼の旗本八旗ったらめちゃんこ強い、五虎将軍より強いって噂だったんだけどねー、曹操軍に面白いようにやられてたな。
 程銀あたりなんか、たしか落とし穴に落ちて死んでしまったし。

 ゲームの三国志なんかで、君主を馬騰ではじめると、周りに隣接する敵がいないので攻め込まれにくくて使いやすかったような…。この馬騰といい馬超といい、武力は高いしね。
 知力で使える武将が韓遂くらいしかいないから、いざ戦闘になると、他の武将がおもしろいくらいに火計や同士討ちに引っかかって、さぁ大変。
 「誰か早く火を止めろ!?」
 「味方ではないか!?」
 勝手に大混乱。

 馬騰(バトウ)≠バトン

 シジマくんよりバトンを受け取ったっつーか、奪い取りました。
 オマエのものは俺のもの。俺のものは俺のもの。文句あるのかッ!のび太のクセに生意気だぞォ!

 (あまり長く書くと、よね3に斜め読みとか縦読みとかされそうなので、さくさくいきますよ~)


♪貴方の性格を一言!

 基本的にはめんどくさがり。やる!と言ったことをなにひとつやろうとはしません。
 奇人?変人?だからなに?!


♪薄い顔?濃い顔?

 パーツパーツは薄いのに、まとまると濃いです。


♪背はいくつ?

 186センチメートル。酔うと折れて半分になるって話はけっこうマイナー。


♪自分の体で嫌いなとこは?

 断然、腰ですね。ここ何ヶ月かは5分以上立っていられません。
 切ったばかりの手術の傷跡は気に入っています。縫った糸もこのままでいいくらい。


♪あだ名は?

 小さい頃から今までいろんな名前で呼ばれていますが、今は「ヤス」です。
 あだ名ってわけじゃあないけど、よね3にたまにいわれる「でかくて使えない」とか、tontoroにいわれた「人気はあるけど人望はない」とかは、けっこう自分で気に入ってます。


♪異性の好きな髪型

 どんな髪型でも似合えばいいじゃん。
 それでも思わず目がいくのは、黒くてツヤツヤした肩を少し越えるくらいの長さの髪なので、だからそんな大谷が好きなのかもしれません。


♪背は何センチ~何センチの人が好き?

 あまり気にしたことがないです。
 身長差が20センチも30センチあっても、いちいち「このコは160くらいか?」「このコは170あるのか?」と考えません。


♪趣味は?

 趣味はない。


♪特技は?

 特技もこれといったものがない… 。


♪マイミクで会いたい人は?

 この質問って、「実際に会ったことのないマイミクのひと」ってのを想定しているんだろうな。僕は全員知ってるひとだし。
 水無月さんに会いたいですね。もう何年も会ってないから。そして不条理に飲ませたい。
 「久しぶり!最近どう?」と尋ねる前に、その飲み方をみればこの何年かがわかるような気がするし、久々に会った人間の飲み方が変わってなければこんな嬉しいことはない。

♪寂しいと思う時は?

 寂しいと思ったことはありません。


♪怖いと思う時は?

 物事がうまくいっているときほど怖い。


♪貴方が一番したい事は?

 今一番したいことは、春や夏なら太陽の下でのんびり歩きたいな。秋や冬なら満天の空の下でゆっくりホットコーヒーを飲むこと。缶コーヒーがいいな。


♪貴方が今一番気になる事は?

 やっぱ世界の経済とか株価とか~日本の少子化とか、地球温暖化とか。ウソ。
 自分と自分の周りの人間にしか興味がないので、僕の知っているひとが幸せにあるのかな~ってことだけ。


♪今年一番したい事は?

 だから、春夏なら太陽の下を歩きたくて、秋冬なら満点の空の下でコーヒーが飲みたいんだってば。


♪ケンカした時、自分から謝る?

 謝りません。せいぜい「あのときはそう思ったからしょうがないじゃん」ってうそぶくくらい。
 酔うと謝る。


♪男女に友情はあり?なし?

 ありです。
 あんまし関係ないんだよねー、友情によ~、男だとか女かなんて。


♪異性に対する理想を五つ

 理想ってものを考えたことはないかもしれない。理想ってやつは「こうあればいいな~、こんな女性がいればな~」ってものでしょ?極端になると「こうあるべきだ!」ってカンジなのかな。
 自分のことは「こうありたいな~」って思うことはあるけど、ひとに求めることはしない。



♪理想の人と出会っていますか?

 だから~理想はありません。
 「どんな女性が好きなのか?」って尋ねられたときには、そのとき好きなひとを心の思い浮かべて、「髪はこうで~、目はこんなカンジで~」って言ってるかも。


♪恋愛と結婚は別ですか?

 結婚したことないから想像できない。別モンなんじゃあないの?知らんけど。


♪バトンが回ってきた人

 この質問ちょっと変ですよね。「バトンを回してきた人」では?
 前述の通り、シジマくんから簒奪しました。


♪マイミクで貴方を一番理解している人は?

 mixi内に限らず、みなさんが僕を正確に理解していると思っています。
 それぞれに見せる僕の顔は違うかもしれませんが、そのときそのときが全部僕そのものだと思います。


 あらかじめ用意された質問に対して、今この場に誰もいないのに一人で答えるのって難しいな。アンケートなんかもそうだけど、そのときそのときで答えって全く違うし、なんか答えっぱなしで無責任な気もする。
 飲みながら、その会話のなかでお互いが質問と答えを繰り返して、「どうしてそう考えるんだ?」「なるほどそういう答えかたもあるか」「その質問の意図はなんだろう?」って困惑したり、先読みしたり、でもそんなこともどうでもよくて、ただ話をしたいからって話してるほうが、楽しいし気楽でいいな。