艦長日誌 補足(仮) 

タイトルは仮。そのときに思ったことを飲みながら書いたブログです。

難破船ペガサスの秘密

2008年05月28日 22時49分50秒 | 個人日誌
 たま~にレンタルビデオを借りに行くと、それとなくチラチラとは気になっていたのですが…。
 ああ、観たい。観たいけど、一度始めてしまったら、もうあとには戻れない。
 そう思って借りずにいたのですが。

 なにげにテレビをつけると…



 「では、丞相のもとを去るというのですか?!関羽どの!」
 「数々の御恩、忘れはせぬ。しかし張遼どの、拙者はやはり兄者のもとへと行く!」

 中国中央電子台の三国志実写版。やってましたね~、テレビ神奈川で。
 HPで調べてみると、4月23日から毎週水曜日20:00より全38話で放送。すでに途中とはいえ、これは観なければなりません。
 全38話って、週一放送で、今年いっぱいかかっても最終回までいかないんじゃあない?
 札幌に帰れなくなりました。

 そういうわけで、神奈川県在住のみなさん、毎週水曜日は録画予約を忘れずに。

 もはや、これを見逃したら次回の飲み会では会話が合わないくらいに考えてくださいw(会話合わなくて困るのは僕だけだろうけど)
 ダーキシのところはさすがに電波入らないだろうから、今度飲んだときには「実写版を観て、より強力になった僕の一人三国志語り」を堪能させてあげます。無理矢理。

 さっそく来週が楽しみですが、今日の物語の終盤で、第一の関所の孔秀に「いくら関羽将軍とはいえ、丞相の割符がなければお通しすることは敵わんですぞ~」とにニヤ~っとされて、対する関羽が雄叫びと共に青龍偃月刀を振り上げたところで、字幕が。
 「来週の放送はお休みさせていただきます」

 初回から引っ張るね~。

 関羽の吹き替えをやってるひとなのですが「この声どっかで聞いたことあるな~。誰だろう?」と記憶をまさぐったりしてみて、やっと思い出しました。

 ライカーじゃん!


 ウィリアム・T・ライカー。エンタープライズDの副長です。
 ジャン・リュック・ピカードが艦長に就任した際に、当時第○○宇宙基地に配属されていたライカーは、エンタープライズDの副長に大抜擢された。

 この写真の頃はまだ髭を生やしていない。TNGの第3シーズンくらいで髭を蓄えるようになったんだったかな?
 若いころのあだ名は「ベイビーフェイス少尉」。顔が幼かったから。本人はそれがイヤで貫禄をつけるために髭を生やしたと語っている。

 全然関係ないけど、僕は男のひとには「髪長いほうがいいよ」と言われるし、女のひとからは「短いほうがいい」と言われます。
 なのでいつも、髪を切りにいくと「それほど短くなく、いや、さっぱりめで。でも耳にはかるくかかるくらい」という、とても中途半端な要求をします。

 シリーズの終盤にあった話だと記憶してるのだけど。
 ライカーがピカードに「なぜ、艦長は私を副長に指名したんですか?」と尋ねます。

 不意な質問をされたピカードは、ライカーに向き直り、しっかりと相手の目を見て答えました。この質問が、悩みの中にある副長が、心から聞きたい問いであることを感じとったからです。
 「正直いうと、キミ以外にも副長候補は大勢いた。誰もが輝かしい成績を残しており、このエンタープライズに相応しい経歴の持ち主だったよ。キミ以外は」
 「たしかに私はあまり成績もいいほうではありませんでした。では、なぜ私を推薦してくれたんですか?」
 「誰もが評価されるべき優秀な仕官だったが、キミの経歴に中に目に留まるものがあった。それはキミが艦隊の仕官として始めて乗った艦でのある事件の記録だ」
 ピカードがなんの話をしようとしているか、それを理解したためにライカーは思わず顔を伏せた。
 しかし、ピカードは言葉を続けた。

 「キミは任務において、そのときの艦長が調査のための惑星降下を行うと命令した際に、それを固く拒んでいる。艦長命令だ。一下級仕官が逆らうことなど、軍法会議ものだ。まったくもってあり得ない」
 「…」
 「しかし、結果的にそのときの艦長が発した惑星降下という命令は無謀というべきほどの作戦であった。
 私はね、ウィル。艦長に意見をしたことをもちろん『正しい』として評価することはしない。しかしそれでも、なにが正しくて、なにが正しくないのかを、冷静に判断し、自分の意志で決断し、権力に逆らってでもその意志を貫き通したその気高い精神を…己の立場を捨ててでも、間違っているということを弾劾できるその精神を、私の艦に欲しいと思った」
 そこまでを口にしてしばし黙り込むピカード。うつむいたまま動かないライカー。

 艦長がなにを言わんとしているのか、ライカーには充分わかっていた。理解した。その信頼に応えていない自分を恥じて動けなかった。
 「…艦長、ありがとうございました」

 順番が逆になりましたが、このエピソードが一体どういう話だったかというところから説明しないと、この上の文章の意味がわかりませんね。すみません。

 いつものように星系の探索任務についていたエンタープライズに指令が入る。
 「行方不明になっている連邦艦ペガサスを見つけ出し、回収せよ」という指令。

 ペガサスという艦は、もう何年前に宇宙連邦所属の科学調査艦として任務にあたっていた。
 ロミュラン国境付近を航行中に艦はコントロールを失い漂流、生き残ったわずかな生存者が救出されたのみであった。
 艦そのものは、当時ロミュランとの関係が悪化していたために回収は断念され、行方知れずとなっていた。
 そのまま宇宙の藻屑となったのか、どこかに漂流しているのか、皆目検討もつかない状態であったのだが、たまたま今回エンタープライズが探索している領域で、その痕跡が確認されたのである。

 当時、生存したのはペガサスの下級仕官であった前述のライカー(エンタープライズの現副長)と、ペガサスの艦長プレスマン(現在の地位は提督)のみ。
 そのペガサスの元艦長が、エンタープライズにやってきて、ペガサス捜索の指揮にあたることとなった。
 今では提督とよばれるように、プレスマンは昇進しており、エンタープライズにやってきてからは、その職権をかさに勝手な指揮をとり、ピカード艦長やクルーを翻弄する。

 エンタープライズのクルーを半ば強引なやり方で捜索の任に当たらせながらも、ライカーにだけは「同じ艦での乗組員だった」という理由で、懇意にし、密談を行い、ペガサスの詳細情報をピカードに渡そうとしない提督。
 きな臭いものを感じながらもピカードは指示に従う。

 実は、当時ペガサスの艦内では連邦のごくごく少数の軍拡派の人間の命令により、極秘裏に行われていた実験があった。

 それは、遮蔽装置の実験でした。
 キトマー条約で「軍事的利用も含めた全ての遮蔽技術に関する開発をしない」と約された遮蔽装置。
 遮蔽技術は、艦を可視的にも、レーダーなどによる不可視においても発見されないように完全に隠してしまう、究極の隠れんぼ的アイテム。これを使えばどんなに敵の領域へ深く潜入しても、どんなに目の前を通過しようと、発見されることはない。
 これだけなら現代にもあるステルス技術のようなものだけど。遮蔽装置のすごさは、物質をエネルギーに変換することに極意がある。
 その変換の過程において、圧力や温度もお構いなしに、物質は物質を透過して、反対側へ突き抜けることも可能になる。
 わかりやすく言えば、人間が開かないドアを、普通に歩いて「すり抜ける」ことが可能になる。
 これを武装した艦に搭載すればどうなるか…!!

 今、この現代よりも遥かに文明の進んだ24世紀のお話、スタートレック。
 防御シールドをもち、フェイザー砲や光子魚雷、転送装置やホロデッキという科学の粋を極めた装備を持つ、華やかなエンタープライズなどの大型艦がクローズアップされがちですが、それでも文化や人類の中心地は、この科学の進んだ時代であろうと、多くのひとが住む地球型惑星です。
 ところが、このスタートレックの設定の中では、文明のある惑星であろうとも、装備は意外と脆弱なんですね。
 まぁ、住んでいるところなんかに物騒な兵器は持ち込みたくないし、配置もしたくないってのは、わかるんだけど。
 なので、例えば地球なんかも、その防衛の要は地球に配備された軍隊や武器、そこに駐留する艦船ではなくて、それらを取り囲むように配備された木星の衛星上の宇宙基地や、周辺を警備する艦隊にほぼ任せされている。クリンゴンやロミュランなどにおいても同様。
 (映画スタートレック<ファースト・コンタクト>においても、防御艦隊を蹴散らして地球までやって来た、たった一機のボーグ・スフィアによって人類は壊滅させられています。地球そのものには防衛力はほとんどない。まぁ、ボーグは強過ぎだし、壊滅には別の要素もあったんだけど、それはここでは端折るわ)

 故に、この遮蔽という技術は、その中心地へと誰にも悟られることなく一気に接近できる恐ろしいものであるし、仮にミサイルなんかに搭載すれば、惑星に着弾するまで誰にも気づかれない。どんな妨害もシールドも突き抜けてしまう恐ろしいものなんですね~。

 そんなタブーな装置の実験をしていたペガサス。しかし事実は、ペガサスの遭難とクルーの死亡により、永遠に闇に葬られたはずでした。

 ロミュランとの抗争、ボーグの襲来により、連邦は「より強力な兵器の開発」に迫られていました。たとえそれが人道的なものではなくても。艦隊の誓いを破るものであっても。

 そのためにプレスマン提督はペガサス探しという表向きの任務にかこつけて、なにも知らないピカードやエンタープライズのクルーを利用しようとしているのです。

 ただ、ライカーを除いて。
 ペガサスの生き残りのライカーは、そのときには少尉という地位でしたが、実験を知る数少ない人間です。
 今回の任務が、遮蔽装置を探し出し、その実験を完全なものにするということを、プレスマン提督から密かに打ち明けられたライカー副長。
 反発する気持ちを押し隠しながらも、上官である提督の命令に従います。

 なぜ、この非人道的な兵器開発へと繋がる作戦に、今ここにきてライカーは加担したのか?

 実は当時、遭難する直前のペガサスの中ではクーデターが起こっていたのです。
 「遮蔽装置の実験は間違っている!」という大多数のクルーが上官に反旗を翻し、艦の中では味方同士が相争う大規模な戦闘が勃発しました。
 叛乱です。
 プレスマン提督、当時のペガサスの艦長は、わずかな賛同者に守られて、反乱を起こしたクルーに対し抵抗。
 ライカーはまだまだ新米のペーペーでした。新入生の彼は、味方同士がフェイザーライフルで殺しあうという混乱極まる艦の中で、何を信じていいのか、わかりませんでした。
 彼の心にあったのは「上官の命令は絶対」だということ。

 最終的に、プレスマン艦長をクルーの攻撃から必死に守ったライカーは、ペガサスを捨てて脱出ポッドへと逃げ出します。
 激しい内部抗争でダメージを受けていたペガサスは、その直後に眩い閃光とともに姿を消しました。

 爆発し、その恐るべき兵器とともに消滅された考えられていたペガサスが、どこかに存在する。艦が存在するということは、禁断の遮蔽装置もどこかに存在する…。
 過去は、爆発とともに、反乱した多くのクルーの命とともに永遠に消え去ったと思っていたのに…。

 本来であればライカーは副長として、この事実をプレスマン提督から聞いて、知った直後にピカード艦長に報告するべきでした。
 だが、それはできない。
 言えば、自分の過去の過ちを、同僚を殺すことに加担し、間違った行いをしたことを、告白することになる。
 だから、ライカーは黙ってプレスマン提督の命令に従った。

 エンタープライズは、ペガサスの信号をキャッチします。その信号元は小惑星帯の中。しかも小惑星内部から発信されているようです。
 ピカード艦長の制止を無視して、ペガサスへと転送降下するプレスマン提督とライカー副長。
 ペガサスの艦内は、あの日のクーデターが起こったときのまま、消え去ったままの形を留め、時間を忘れたように完全な姿で小惑星の中にありました。

 脱出ポッドから見えた最後の閃光。あれは爆発などではなく、遮蔽装置が偶然にも起動し、艦が遮蔽に入り、消え去る瞬間の光だったのです。
 
 しかし、ペガサスの内部では生命維持のための環境制御コントロールは壊れ、戦闘で生き残ったクルーも全滅、無人のまま航行し、この小惑星帯へと漂流。ついに遮蔽装置も停止したときに小惑星内で実体化し、真空状態のまま、数年というときを越え、まるで損傷のないかのように保存されていたのです。(プレスマン提督とライカーが転送によって訪れる前に、エンタープライズからペガサスにエネルギーが補充され、環境維持システムは復旧しています)

 「見ろ!ライカー!遮蔽装置は無事だ!無傷だ!」
 歓喜の声をあげて機関室に残された遮蔽装置を撫で回すプレスマン提督。
 ライカーは、手すりに手をかけたまま下を向き、じっとなにかを考えています。

 ペガサスは、正確には、その遮蔽を小惑星内で解いたのではなく、小惑星内部の岩盤で解いていた。よって、艦の半分は岩の中で実体化しました。艦のおおよそ3分の2が、固い岩盤の中に存在する。
 「この岩の中に、どれだけのクルーの遺体が眠っているのか…」亡くなったクルーに思いを馳せ、若かったからとはいえ、自らの判断の間違いから死なせることになってしまった仲間のことを、ライカーは偲ばずにはいられませんでした。
 そして、ピカード艦長の言葉が頭を駆け巡ります。
 ライカーを意を決して顔を上げました。

 「やはり、この実験は行うべきじゃあなかった。間違っていたんだ!」顔を紅潮させ、そう叫んだライカーに、プレスマン提督は心底不思議そうに首を傾げます。
 「なにをいってるんだ?ライカー。今こうして遮蔽装置は我らの手に戻ったではないか。敵方の手に渡っていれば大変なことになっていたところだ」
 「あなたのほうこそ、なにを言ってるんです?!そんなもののために多くの命が失われ、誰にも知られることもなく、今までこうして孤独に宇宙を彷徨っていたんですよ!あなたの部下たちが!わたしの友人たちが!」 

 自分の意に動く忠実な部下だと思っていたライカーに面と向かって反抗されたプレスマン提督ですが、自らの威厳はそんなものでは崩れないというふうに
 「あのとき、私を守って反逆したクルーに銃を向けたライカー少尉の言葉とは思えんな」と、ことさら威厳を保って言い放ちます。
 「もし、あのときのことをやり直せるなら…提督、私はクルーにではなくあなたに銃を向けます」
 「…!」

 最後の最後で、自分の正しいと思うことを貫いたライカー。

 極秘の実験とは、条約に反した遮蔽技術開発の関するものであったこと、その過程において艦の中で仕官同士の争いが勃発し、クルーのほとんどが殺され、もしくは生き残ったものも見捨てられ、死して彷徨い、闇へと葬られたこと。
 ライカーは全ての真実をピカード艦長に告発し、プレスマン提督は拘束されました。

 しかし罪は消えません。

 ライカーのその昔の行為は、倫理にも正義の誓いにも反するものだった。事実は、たとえ時間が過ぎても消すことができない罪なのです。

 艦長室に呼び出されたライカーは、職を失い、副長の任を解かれることを覚悟していました。そしていずれは連行され、軍法会議にかけられ、罪は暴かれ、刑に服すことも。
 ピカードは、やはり言いました。「キミのしたことは許されることではない。上層部にも報告し、キミの処分を仰ぐことにした」
 「…もう、二度とあのときのようなことは…」
 「してもらっては困る!!キミが犯した過去の罪を今ここで言及するつもりはない!だが、それを隠匿し、今現在のこのエンタープライズのクルー全員の命を危険に晒した。その罪は決して軽くはないぞ!副長。沙汰があるまで自室で謹慎を命ずる」
 「申し訳ありませんでした、艦長。本当に…私は…」
 「話は以上だ。下がってよい」
 「…」

 あれ?最初は三国志の話だったのに。どこでどう間違ったのかな?
 そもそも関羽の声とライカーの声が同じ、ってことだって、それって日本語版の吹き替えの声優が同じってことだしね。
 大塚明夫さんというかたらしいですね。このひときっと有名なんですよね?いや、すみません。僕、俳優とか女優とかテレビに出てるひとってほとんど知らないんです。
 飲みながら「最近みたドラマの話」とかされてても、聞いてるようで全然わかってないから。
 この声優さんだけは、他にも海外ドラマや映画なんかでも吹き替えをものすごくやってますね。スネークもこのひとですね。「雷電!?返事をしろ!らいで~ん!!」それは違うか。

 ちなみにこのひと、セブンオブナインの声の女性と結婚しているそうな。

 
 夫婦でスタートレックごっことかできて、いいですね。

きっと誰もが心の中にはしゃぶしゃぶ

2008年05月26日 23時51分07秒 | 個人日誌
 全国15人の読者のみなさん、こんばんは。今日も書くこと為すこと先輩パワーで1000万パワーのドッピオです。

 (15人という数字は、おそらく毎日、もしくは少なくとも一週間に一度くらいは読んでいらっしゃるかたがたの人数を、ほぼ予想ではじき出したものです。プラマイ2から11くらいの誤差はあります)

 朝から神奈川はパァ~っと晴れました。昼間は黙っていても汗が流れるし、陽が沈んでも生暖かい空気で気温も20度をきりません。
 梅雨に入れば、ただ湿気が多くてひたすら雨だから、晴れの日は大事にいきたいところです。


 こんな夜には、やはり鍋ですね。
 むしろ鍋以外に何を食べるんですか?


 暑い部屋で一人、熱い鍋を食す。堪りません。(さみしくて)
 鍋はみんなでワイワイつついても、二人で飲みながら囲んでいいし、一人のときは自分との戦いだね。
 「え~、これマジで食うの?俺」


 スーパーでは、焼肉なんかにはいろいろなタレが売ってるんですけど、しゃぶしゃぶのたれってホント種類が少ないですよね。
 上の写真にある、左と真ん中のしゃぶしゃぶのタレは先日仕入れたタレですが、やはりミツカンのタレが一番おいしいです。クセになる味です。なんか入ってるね。

 「今半」ってなんか聞いたことあるな。すき焼きかなんかで有名なお店だっけ?
 ラベルにですねー、「おいしい召し上がり方」ってのが書いてありまして…<鍋の昆布だし(当社製品料亭のこんび一番だしをご用意ください)…>とある。

 なに?この強制は?やんわりと宣伝?聞いてないのに押付けてくるようものを感じます。
 どんな出汁を選ぼうか、俺の自由ではないか!なんつーの、この自社製品買いなさい的な指示。

 「一週間の仕事を終えて、一人鍋をいただくそんな時間に瓶のラベルごときがッ!決まりごとのように意見するな俺に」ってカンジです。

 いや、わからんでもないよ。よくあるじゃん、エンジンオイルも純正オイルが一番とか、このテレビのリモコンは同じメーカーのDVDも動かせるとか。
 作り手としたら、製品にベストでフィットするものを消費者にも薦めたいし、本当に合うもので味わっていただきたいって気持ちもあるんだろうけど。それはわかる。それでも営業的なニオイを感じてしまうんですよね~。
 こんな囲い込み作戦には、性根も折れている僕なんかにしたら「なんだかな~」なんです。せっかくのラベルの裏に(せっかく、なんてものでもないだろうけど)もっと気の効いたこと書けないのかな。

 そういえば、飲んでいるときに女のコと鍋について熱く語っていたとき(女のコとは他に熱く語ることもあるだろう、という話はおいといて)「私、やったことはないですが、その気になれば、ぽん酢だけでもお酒飲めますねー」みたいな会話があって。
 その気になるなら、僕に対してその気になってもらいたいものだけど…そんな話じゃあなくて「ホント?僕もです!僕もヘタしたらぽん酢でビール飲めます。僕以外にもいたのか?!結婚してください」って心の中で思ったのだが、言わずじまいでした。
 結婚してくださいはアレだけど、ぽん酢で飲めるという同じ意見に「今ここで調子よく合わせている」なんていうふうに思われたくなくて、「ふーん」と流してしまった。
 どうでもいいことばかり覚えてます。
 
 ちなみに僕は、店頭で売っている日高産の乾燥昆布(乾燥してないのとかは売ってないけど)をちぎっては投げ、ちぎっては投げて出汁をとります。いたってノーマル。
 冷しゃぶのタレはこの何年間で、ずいぶんと種類が増えましたよね。普通のしゃぶしゃぶよりも数が多い。
 サラダ感覚でいただけて、あっさり。そんな手軽さがウケたんだろうな。

 しゃぶしゃぶってのはさ、やっぱぐつぐつな鍋の中で、肉や野菜をササッ!と湯通しして、それをタレにちょいとつけて、ふーふーして食べるものだという考えがあるので、冷しゃぶなんて邪道っすよ。
 邪道は言い過ぎか。外道です。
 …うん、まぁ、冷しゃぶも好きなんだけどさ…。好きなものを好きだと正直に言うなんて、そんなの恥ずかしいじゃあないか…
 とは言いながら写真では、相当野菜をイッキに入れて熱しているさまが見えますね。だってあまり湯通ししないと、白菜の白いとことか固いし、ニラもやはり歯ごたえありすぎだし、椎茸も噛んだときの香りがどうもね。

 しゃぶしゃぶの発祥の地って知ってますか?

 いや、僕は知りません。

 関西のほうだったかな。
 どこかの焼肉屋さんで、夏場になると暑さのせいか焼肉の売り上げが落ちてしまい困っていたそうな。
 店長さんは試行錯誤した末に、暑くてもあっさりと肉を食すことのできる料理を開発し、それがしゃぶしゃぶだったとか。たしか。たぶん。
 こうして生まれたしゃぶしゃぶは大ヒット!特にぽん酢で食べるというさっぱり感と、野菜も多くいただけてヘルシーってことで女性にも大人気。
 そもそも御酢は、汗をかいて体力の落ちる夏にこそ多く摂取したいもんだしね。(酢について栄養学的見地で鑑みると、その摂取の必要性は夏に限ったことでもないようにも思えるけど、そんなんいいっこなし)

 店長は「これは商標登録するべきだ!」と思いました。で、商標登録するのですが、そのときに「○○店のしゃぶしゃぶ」と申請しました。

 単に「しゃぶしゃぶ」として、その料理の権利を申請すれば、他店が真似をするたびに数パーセントが懐に入ってくるのに、あえて「○○店の」とつけたことによってその権利は行使できなくなりました。

 実は店長は、わざと権利を主張しなかったのです。
 このしゃぶしゃぶという料理を、みんなに味わって欲しいという理想をもって。権利?利益?関係ないっす、おいしくいただこうよ、しゃぶしゃぶを。
 という逸話があります。

 という逸話があるって話を、最近誰かに対してえらそげに語ったな~、誰にだっけ?…と思い出したら、上司に対してでした。

 さて、洗いものしますか。

ゴミを拾って考えたどうでもいいこと

2008年05月25日 23時16分29秒 | 個人日誌
 今日はですねー、朝からしっかりと雨でした。

 書き出しの文章にずいぶん「雨」という言葉が多くないですか?実際雨ばっかしなんだもん。
 そんで、雨の中、全従業員が早出をします。(この何ヶ月は、週のうち四日は会社命令で早めの出勤です。いっそのこと定時を変えてしまえばいいのに。はい、グチっす)
 なんのためかというと、「地元密着企業として、地域貢献の一環として街の清掃活動に励もう!」って魂胆です。

 僕のことをよく知る人間なら、僕の性格をよく理解していると思いますが、こういう偽善的な作業は大嫌いです。だいたいボランティア的なものをPRすること自体がな。募金だって強要されるものじゃあないだろう。
 しかし、これまた、大人になったってことなのかね。清掃?けっこうじゃあないすか。やるからにはやります。仕事も基本的にやってから文句を言うことにしてます。
 で、結論。晴れた日にやれば良かったんじゃあないの?

 もとも追従型の人間なので、やれと言われたほうが気が楽だ。

 みんなが雨の中、傘を差して歩く中、一人ずぶ濡れになってゴミ拾ってみました。別にいいかっこしいなつもりではなくて、けっこう好きなんですよ、こういう単純作業。歌うたいながらできるし。ゴミは客のように文句言ったりしないからな。
 頭から足先まで濡れてしまったので、本来の仕事はまったくやる気なく一日を過ごしました。

 めんどうなことも、イヤになることも、男ならぐっと堪えて胸にそっとしまっておいたほうがかっこいいだろう。と、思うは思うのですが、感じたことを何も書かずに悶々とするのは精神衛生上とても良くないこととも思います。
 じゃあ、自分の気持ちを正直に書いているのかといわれれば、はなはだ疑問が残るとこ。

 18時に会社を出ました。こんな時間に仕事を終えるなんて何年振りだろう?
 鍋を食べることにしました。とてもおいしかったのですが、久しぶりにたくさんの洗い物を目にすると、「やっぱ弁当でも買ってきたほうが楽だな」と思いました。

 あまりに時間がありすぎて何をしていいかわかりません。走ればいいのかもしれないけど、そこまでの元気はない。そこで近所を歩いてみました。パジャマで。通報されたら走るかもしれない。

 ゴミを拾って歩いてみると、意外と落ちていないことに気がつきました。キレイなもんじゃあないか。ところが、最後に立ち寄った公園は汚かった。誰がどういうつもりで捨てたゴミかは知らないけど、なぜか「このゴミも、あのゴミも、僕が捨てたゴミなんだ、きっと」っていう妙な気持ちになりました。
 だって、僕はその公園の前をいつも通勤で通り過ぎていたのに、ゴミなんか気にしたことなかったものね。

 これを機にエコとかに目覚めることはありません。そもそもゴミなんか気にして歩いていたら、一歩も進めないよ。

 異論反論あるでしょうが、好きなひとと街を歩いていて、そのへんの道端に唾を吐くおっさんや、タバコのポイ捨てを目撃して、いちいち注意するかい?
 僕は見てみない振りをするな。まず気持ち悪いし、そして怒りの感情を持ったことを隣のひとに悟られたくないから。
 そして、そんな光景は、なるべく好きなひとの目に触れないように気遣っていたい。

 戦争を知らない子供たち、とかいうけど、知らないなら知らないでそれでいいんじゃあないの~。

データの考察

2008年05月24日 23時56分48秒 | 個人日誌
 食べたいものも、行きたいコトも、したいコトも、たくさんあり過ぎてとてもここでは書けません。

 「楽しい時間は早く過ぎてしまう」って言うじゃん。どのくらい早く感じるのかってことを考えてみた。
 最初の一杯目から三杯目あたりまでは、ホント一瞬。店に入って、三杯くらい飲むあたりまでは喉を潤しながら、うんうん頷いていて、時間にして一時間にも満たないのかもだけど、ものすごく早く感じる。
 今日見たものや聞いたもの、頭に浮かんだことを流れのままに話して。
 四杯目からはややスローペースに。ふと振り返る。一体いつからこうして飲んでいるんだろう?僕はなにを喋りたいんだろう?なにをしたいんだろう?
 普段ブログの中で書いているような、いわゆる迷いみたいなものではなくて、うまく言葉では表現できないのだけど、一緒に過ごせる素敵な時間を得た自分に酔ってるような感覚に陥る。

 そういえば、スタートレックで。あまりここの話とは関係ないけど。
 カウンセラートロイがデータの部屋を訪れると、データがヤカンに火をかけて、それをじっと眺めている。
 「データ、何してるの?」とトロイが尋ねると、データは首だけを声のほうに動かして「ヤカンに火をかけて水が沸騰するまでの時間を計っています。一度目は、ヤカンを見ないようにして。二度目にはヤカンをじっと見ながら」と答えました。
 「なにかの実験なの?」

 データは「ふん」とひとつ頷いて「人間は、時間が経つことを早いとか遅いといった表現をします。『楽しい時間は早く過ぎてしまう』というように。しかし時間というのは本来、一定のものであり、そこには早く過ぎる、遅く進むといったことはあり得ないはずなんです」

 ヤカンが水を沸騰させたことを示し、注ぎ口から湯気が立ち上りました。
 「一度目も二度目も同じ分量の水を入れて試してみました。どちらも正確に1分10秒で沸点に達しました。その過程において注意して観察しても、どちらがより早く過ぎる、また遅いということはありません」
 「人間は感覚的にそう思うこともあるのよ」

 誰もがそうであるように、一日の大半は仕事か、仕事に向かう準備と明日への備えに費やされる。自分が好きに使える時間はそれほど多くない。
 このときの時間の長い、短いは、絶対的なものであって。
 ただ、「過ごしかた」って考え方をすると、単に長いか短いでは測れないものになる。

 仕事はめんどくさいさ。イヤなことも多しね。自分に還れる時間ってのは一日のうちどのくらい?数時間しかない?もしかして何分もないんじゃあない?
 ポジティブな考え方をすれば、仕事の時間だって、自分を磨いて会社に貢献するための、もしくは周りの人間と協調するための、もっと穿った見方をするなら、給料を得るための、必要なものなんだ。
 それを自身の成長に欠かせないものと見做すのか、苦痛の時間と捉えるかは、けっこう日替わり。

 明日への準備も、明日転ばないために行う。黙々と自分の部屋を掃除するのも、洗濯をするのも(洗濯はキライじゃあないが。だって楽じゃん。服入れて洗剤入れてポンとスイッチ入れるだけ)、より快適に過ごすため。

 ただ、何年も経ったときに心に残っているのは。
 決して仕事でイヤな目にあったことや、洗濯機をゴワンゴワンまわしたことや、雨に降られたことなんかじゃあなくて。
 時間にすればほんのわずかなもののはずの、隣で笑って話して飲んでいたこと。

 僕がいつもいつも胸に繰り返し思っていて、札幌のことばかり考えているのは、たぶんそんな素敵な思い出があるからだろう。
 大学のときに知りあった友人と過ごしたことは、時間にしたら、札幌での大学時代は六年間あって、その後も一年、バイトなんかしながら暮らして。合わせて七年くらい。
 こっちで暮らして、まだ僕なんかは六年半くらい。それでも随分の時間を経て、こっちでの思い出のほうがだんだん多くなってきて。
 
 うむー、こんな話をするつもりじゃあなかったのだけど、えーと、何を書くつもりだったかな、最初は。
 でも、五、六杯目くらいはそんなことを考えたりもするな。

 二桁飲むころに、終電の心配をする。会話の合間で時計をチラリと見たりして。僕以外の人間が、僕の前でそんな素振りはして欲しくないけど、僕は考える。本当は終電なんかは無視したいところだけど。
 時間は…僕にはあるけど、いやになるくらいあるけど、時間を気にしないほうにこそ時限ってものはあるんじゃあないか?

 「楽しいと思える時間を過ごしていると、まだまだ話し足りないことを考えて、まだまだ一緒にいたいと思って、それが満たされないから、時間が早く過ぎるって感じるんじゃあないかしら?」
 
 こんなことはあまり書きたくないんだけど、僕は。
 いつまで続くかわからない時間に対して、ひとはその時間が素晴らしいものであっても、いつしか「ずっとこの調子で物事が続くのかな?」って考える。考えるようになる。
 よくある、気の合う友人といても「なんか面白いことないかな~」ってことや、仕事しながら「いつまで働くんだろう」ってことや、恋人といても倦怠感を感じるときとか、考えた末の決断でも「これで良かったのかな?」って迷うこと。

 振り返ったときに、おおよそ過去ってものは、多くの時間を占めていた変化のない日常のことは忘れて、そのときどきの、稀有だと思われる現象を記憶に留める。それをふとしたときに思い出して「きっと良かったんだ」と信じる。
 信じるっつーか、それはそれでホントにいいことなんだけど。

 あーん、もう!なにをしても迷うなら、そのときそのときに自分がより良いと思えることをするしかないじゃあないか!

 誰もがそうであるように、自分に語りかける時間と言葉があまりにも多すぎる。そのときそのとき思ったことの全部をひとには告げられない。
 だけど、それをするためには?全部じゃあなくても少しでも伝えるためには?
 明日もあって、そのまた明日もあって。そして青空のもとでお互い笑顔でいられる、夜にはビールで乾杯できるっていう、そういう時間が訪れる。そう心に言い聞かせながら生きていくしかないじゃあないか。

 (作者の都合で、「三国日誌 補足(仮)」は休載させていただきました)

三国日誌 補足(仮) その15~劉備一行、荊州に入る

2008年05月22日 22時12分10秒 | 三国日誌 補足(仮)
 前回までのあらすじ

 曹操の恩を感じながらも、主であり義兄の劉備のもとへ帰参した関羽。
 こうして劉備、関羽、張飛の桃園の三兄弟は再び終結した。しかしながら劉備も世話になった袁紹のもとを離れて、行くところはない。
 いつまでいつまで流浪するんかな。

 …

 「して、兄者。どこに行くんだ?」
 張飛は気軽に尋ねました。「まぁ、俺は兄者たちとうまい酒が飲めるなら、どこまでも放浪もいいぜ」
 しかし、状況はあまり芳しいものではありません。

 官渡の戦いで打撃を受けた河北の袁紹を追撃するであろう曹操。その曹操に対して反旗を翻した形となっている劉備陣営は、まず曹操の追手の手の届かないところまで逃げなければなりません。
 (なぜ、曹操に反旗を翻すことになったのかは、書くと長くなるので、ここでは簡単に述べておきます。
 劉備軍は、呂布に徐州を追われて曹操の厄介になりました。その最中に、許都の南方を脅かす偽帝袁術を討つという名目に劉備は曹操の兵を借りて、曹操の庇護を逃げ出します。その間に、許都では帝の勅命による『曹操抹殺』の密詔が発覚し、その首謀者の名前が暴かれ、中には劉備の名前もあったのです。
 当然曹操は烈火のごとく怒り、首謀者を捕らえてはちぎっては投げ、ちぎっては投げ…。)

 袁紹と曹操の抗争がいつまで続くかはわかりません。仮に袁紹が曹操を破ったとしても、それでも劉備は追われることになるででょう。
 なぜなら劉備は、曹軍の中に関羽を見たときに、なんとかして袁紹の軍を離れて再会を果たすために、袁紹に「曹操に打ち克つために、わたしが荊州の劉表を口説いて挟撃させてみましょう」とかなんとかうまいこと言って、袁紹のもとを離れたからです。
 もちろん詭弁。

 「どうしよっか?」
 「うん…」

 劉備も関羽も再会を果たしたものの、これといったプランはなにもない。
 三人ともけっこういい歳です。もう30も越えてます。今まではイキオイだけでなんとかなってきたけど、ぼちぼち落ち着かないとやばいんじゃあないの~って頃。
 別に、食い扶持を見つけようと思えばなんとでもなりました。劉備はいつのまにか「志高く、人間的魅力のある、なんといっても帝の遠縁」という評判でしたし、関羽の武名も今ではあちこちに轟いています。張飛は相変わらずの暴れん坊でしたが、その暴れっぷりはケタ外れ。
 しかし三人は、ただ仕事ができて生活ができればいいや~なんてことは考えていませんでした。もっとこう高い理想の為に立ち上がったのです。若気の至り?そうかもね。イキオイ?そうなんでしょう。

 いくら志高かろうと実行できなければ、そんなんはドッピオでありシジマです。そもそも志なんかあんのかい。
 飲み会の次の日のような、急に現実に引き戻されて「うわー、仕事行きたくね~」っていうのと同じようなけだるさがありました。

 以前、公孫瓚の客将であり、今は劉備一行と行動を共にしている趙雲がおずおずと切り出します。
 「ひとまず劉表どのを頼ってみては?」
 「なんで?」
 「いや、なんでって…だって行くとこないんですよね?」
 「で?」
 「とりあえず、そこでお世話になって今後の方針を決めるってのもアリなんじゃあないですか?」趙雲は若干イラッとしながらも答えました。

 趙雲はあまり考えもなしに発言していますが、今後の方針としては、実はとても的を得た選択です。
 なぜなら…
 その1。中原は(あーもう、地図があればわかりやすく説明できるのに!)すでに曹操が押さえていて、最早つけ入る隙がない。さらのその北、黄河北部も名門の袁紹が幅を利かせていて、これまた隙はない。そして今まさにその両雄がぶつかっている中に戻ったところで、この少数ではどれほどのこともできない。
 どうせならこの戦いを尻目に、自分の領土と兵隊を持つことのできる別天地へと駒を進めるべきであること。
 その2。東には長江下流に一大領土を築いた孫一門がおり、現在は若き当主孫権のもとに力あるものが結集し、これまた入り込む余地はない。
 その3。目を転じて、荊州という地方はこの戦乱の最中、唯一平和を保っている場所である。戦争に巻き込まれていないということは、イコール土地は肥え、民多く、新しい力を蓄えるには絶好であるということ。

 厳密に言えば、荊州は一度、孫権の父である孫堅(どちらも呼び方は「ソンケン」なので紛らわしい。なので、三国志を知るひとは、この二人を区別するために、子ソンケン、親ソンケンと読んだり、「堅いソンケン」と言ったりします)と争ったことがあります。
 飛ぶ鳥を落とす勢いで江南から荊州に攻め入った孫堅ですが、この戦闘の最中に敵の仕組んだ落石に遭い、敢え無く戦死。
 しかしそれ以外では中国全土を巻き込んだ、この戦乱の外に荊州はありました。

 荊州。
 僕の三国日誌の中でも、その地名は一番多く登場しています。これほど書かれるってことは、その場所が三国志においてどれだけ重要な地であるかを知っていただきたいからなんだけど。
 面積はおおよそ今の日本の国土の三倍。三国志の話の前半は、中原や河北といった、いわゆる都会の話が多いのですが、当時もちろん経済の中心は中原の都市、洛陽であり、または長安でした。
 多くの人材を輩出した都であり、後漢の皇帝がおわすのも、もともとはこの辺り。(今では曹操により無理矢理遷都され、許昌が首都となっています)
 三国志前半は、漢という国の末路、官僚の腐敗政治、地方から起こり中央を占めようとした黄巾賊、都とその周辺で戦うために地方で起こった英雄たちの物語を書いているので、舞台は必然的に中華の中心となります。

 荊州はその南部に位置し、あまり中央の混乱の影響はなかったものの、世が乱れ、民苦しむ、戦三昧のときの中では、それほどの被害を受けてはいません。
 また、とある情報筋では、漢の衰退~三国鼎立時代までの数十年の間で、人口が増えていたのは、ここ荊州とさらに南に位置する益州だけです。

 あんまり良くは知らないけど、中国国内での古今東西の争いを観ると、必ずこの荊州という中心地はとてもクローズアップされてくるらしい。ちょっと北へ行けば都もありーの、南は豊穣な長江の幾重もの支流もあり、西への交通の便もいいし。
 戦略的要地として、ここは外せないそうです。

 今、この荊州を守るのは劉表。字は知らない。升なんとかだったかな?
 数多の英雄が奔走しているこの時代に、まったくクローズアップされなかった、サークル会館でいえばロシア語研究会みたいなもんです。

 曹操が、袁紹を討つ!と決断するまえに懸念していたひとつの材料に、この劉表の存在がありました。

 「余は袁紹と雌雄を決するつもりだが、心配なのは荊州の劉表だ。今までどのような戦にも積極的に関わることなく…孫堅のときは国防のために兵をだしたが、それも孫堅のあっけない死で終わり、ほとんど国力を減じていない。これが我が軍が北上した隙を突いて都に攻め上がってくるようなことになれば、袁紹との戦いどころじゃあない」

 数年前から、曹操の帷幕に参加していた賈詡は、曹操に答えます。
 「この数年というもの、殿が都を空けて遠征したのは何も今回一度ではありません。その間、劉表という男は一度たりとも野心を顕わにしてこちらへ攻め入る様子もありませんでした。今さらどうってことありますまい」
 曹操は「げにも」と頷きますが、それでもまだ不安は消えません。聞けば荊州は、その兵力数十万を有し、兵量も豊富で、しかもその兵は減じられることなく今に至っているのです。

 さらに賈詡は言葉を重ねます。
 「劉表が殿に戦を仕掛けなかったのは、その兵力が我らに劣るからでも、チャンスがなかったからでもありません。その気になればこの都を蹂躙するだけの国力を持っています。しかしそれを為さなかったのは、理由があるからです」
 「理由とは?」
 「まず、劉表にはこの戦乱に乗じて己の野望を遂げようとする意志がありません。漢に忠誠を誓う表れなのか、ただ決心がつかないのか、どちらでもいいのですが、おそらく後者です」
 この言葉の裏で賈詡は曹操に対して「戦乱に乗じて帝を簒奪して、己が野望を、曹操さま、あなたが遂げようとしている」ということを言っています。臣下にこんなことを言われた日には普通の将なら「いや、僕はないもそんな大それたこと考えてないっすよ!僕は~、みんなの幸せを考えて~」とあたふたと自分を正当化し繕ってしまうとこです。もちろん曹操だってハッキリと告げられると黙ってられるはずもありませんが、そのことに気がつきながらも何も言いません。そんなことは自覚しているから。

 「また、袁紹との同盟への誘いが、袁紹サイドから劉表には頻繁に行われています。しかし今までその返答をしていないのが荊州という国の優柔不断を示しています。荊州には人材多く、賢者も多いのですが、それだけ意見にまとまりがありません。袁紹について我が国に矛先を向けるが吉か凶か、はたまた情勢を見定めるのかという二分論が出たときに、荊州という地盤が安定している以上、危険を冒すような積極策を採ることはないでしょう。また、江南の孫権に父孫堅の仇として常に国境に侵攻されてもおかしくありません。故に転じて北に目を向けることができません。
 どう動くか、ではなく、動けないのです」

 三国志には多くの軍師、智嚢と呼ばれる人間がいますが、この賈詡ほど『謀士』という言葉が似合うものもいないでしょう。なんつーか、ニヤリと笑いながら、たんたんと策を組み立てるその姿は、諸葛亮とも、司馬懿とも立ち位置が異なる。

 賈詡はもともとは暴君董卓に仕えました。そのあとは李傕・郭のビッグボンバーズの軍師として、ひたすら「帝を有し、その大義をもったが勝ちです」的な、漢朝の臣下にあるまじき、とんでもない献策を次々と行います。
 董卓も、李傕や郭も、民を虐げて朝廷をないがしろにしたその末路はご存知の通り散々なものでした。
 そんな悪人の配下に収まっていた賈詡という人物、それは悪か?

 賈詡はいつでもどんなときでも状況を分析し、採りうる最善の策を自分の上司である董卓や李傕、郭に示してきました。より生き延びる道を、より前進の道を。
 それらを活かすことができなかったために上記の三人は滅んだともいえます。

 賈詡はそのあと張繍という君主に仕えます。張繍ってどこにいたひとだったかな?地図だと、たしか曹操の都と荊州の間くらい。
 この位置から、賈詡は張繍にさまざまな助言を与え、曹操の軍勢をたびたび撃退しています。曹操の護衛で、名高い悪来典韋を射殺した計略も賈詡の智謀から出てます。

 張繍が曹操に降伏するとき、賈詡はどうなったか?
 なにもしませんでした。普通の武将であれば、やるべきことはやったのだし、考え得ることも考えて敗れた。是非もない…と観念するかもしれません。しかし、賈詡には敗れたという想いはありません。
 「自分の策は間違っていなかった。だが、それを使うべき主君が、我が策を受け入れる度量ではなかったのだ」
 この自信。会社の上司たちに言ってみたいもんです。シジマが。
 間違いなくクビが飛ぶよ。

 ところが曹操は、そんな賈詡を許し、自分の幕下に招きました。優秀な人材であれば昨日の敵も重用する。曹操の懐の深さと大胆さ。
 もちろん、賈詡はそんな曹操の弱みを知り抜いてつけ込んだわけではない。

 こんなふうに足跡を辿ると賈詡という人間は、まるで保身のためには悪逆も厭わず、主君を次から次へと変えるズルイやつっぽいけど、そうじゃあないんだ。
 というのは彼が示す策は、決して自分の保身のためにはならないものが多い。事実、李傕と郭のときにも、張繍のときにも「曹操に降伏するべきでしょう」などと、主君に対してあるまじき献策を行うこともしばしば。
 そのときの主君に対し、より良い道と思われるなら、一時の恥は忘れなさい。プライドがなんだってんだ。そんなものは傷つくだけのものだし、だったら捨てちまえ!みたいなことも平気で言うのです。
 大きな力の前で、これだけのことをいう人間は、自身を過剰評価とんでもないバカか、自分のことさえも客観視して的確に状況を鑑みれる策士か、どちらかでしかない。

 曹操は、賈詡の意見を聞き、吟味しました。
 「すなわち、荊州のことはひとまず切り離して、袁紹にだけ目を向けるということで宜しいかと存じます」
 「…もしも、賈詡、そなたが劉表についていたなら、荊州をどう動かした?」
 賈詡はニヤリとして「当然、一気に許昌に攻め入ります」と言い放ちました。

 話がだいぶ逸れてしまいました。この賈詡ってひとは、このあとの僕の話の中ではもうあんまり出てこないから忘れてもいいよ。
 今日の話の中で覚えておいてもらいたいのは、次回以降にも出てくる趙雲、劉表、この二人だけです。

 最初に戻るけど。
 あてのない劉備と関羽、張飛、そして趙雲。他に考えもないので、趙雲の示した「劉表をあてにしよう」作戦でいくことにしました。
 「でもさー、俺、劉表とは会ったこともないんだけど、どうやって会いに行こう?」この歳までなにも考えずに生きてきた劉備が周りに尋ねます。
 「兄者の人徳があれば、劉表どのもきっと我らを向かい入れてくれるでしょう」関羽は劉備の行くところならどこまでもついていくつもりなので、迷いはありません。
 張飛が言いました。「もしも、我らを受け入れないのなら、そのときは劉表の軍勢と一戦交えて、なんなら俺が劉表の首をとって差し上げますよ!そうすりゃあ、面倒もなく、荊州は兄貴のものって寸法さ」
 「なにが寸法だw」

 新参の趙雲は、とても不安でした。このひとたちだいじょうぶか?そもそも自分はなぜこの仲間にいるんだろう?
 まるで、放文一年目のように思いました。しかし、うまく言葉では表せないのですが、この中にいればきっとうまくいくようなそんな気配を感じていました。
 そもそも、ここからどこかに退くことはできない。ならば最早進むしかないのではないか?いつだって、片道切符しか持っていないのだから。

 こうして劉備一行は荊州へ向かいました。

 劉表への挨拶は「俺は劉備ってんだ。劉備の『劉』と劉表の『劉』でおんなじだからヨロシク!よろしくったらよろしく!」に決めました。

寝るということ。

2008年05月21日 22時14分19秒 | 個人日誌
 今日はとてもいい天気でした。湿気もなく空気がカラっとしていて、陽も燦々としていて…。
 たぶん。

 起きたら16時でしたからね。どんな天気だったか全くわかりません。
 休みの日に寝て過ごすなんて、なんてもったいない!と、自分でも思うのですが、眠くて眠くてしょうがないんです。
 ひとと会っているときや、飲んでいるときなんかはそんなことないのですが、一人のときは、気がつくと「あれ?今寝てた?」ってくらい。

 ごくごくたま~に、休日出勤します。昨日なんかは、前の晩からの台風の影響でものすごい風と雨。
 朝は「バスで行くしかないな~」と考えていましたが、外に出るとびゅーっとした風だけだったので、間隙を突いてすかさず自転車で出勤しました。
 この日一件だけ入れたアポをこなして、昼ごはんを食べる。ラーメンと餃子とご飯。なんだか食べる量も増えた気がする。
 以前うちの近くにあったモスバーガーのお店がなくなって、ラーメン屋になり、月に一度くらいのペースで食べに行く。なぜか店内はハワイアンな雰囲気で、店員さんも元気いいので気持ちいい。

 そうそう、関係ないけど。
 昼時には安くて行きやすい焼肉屋があって。ここもけっこう通ってますが、二度と行かない!とこのまえ決めました。
 ランチで出てくるのは、もちろんお肉と(僕は牛ももちろん好きだけど豚肉も好きなので、豚カルビと牛ロースもの盛り合わせ)、ご飯、サラダ、キムチ、ナムル、スープ。これで680円。安いちまりですね。
 ところが、最近になってからなんだけど、食べたそばから片付けられるんですよ。
 まずは割り箸を袋から出すじゃあない?すると、その袋がサッとさげられる。まぁ、それはいいけど。
 食べるときは、いろいろなものをちょこちょこ食べたい僕は、どれかひとつだけを平らげてから次のものにとりかかるという、所謂ばっかり食いってのはできないので、決まったタイミングもなく、少しづつ皿が空になっていくのだけど、これも空いたそばからさげられる。

 よほど客が入っていて、忙しい時間帯ならしょうがないのかな~とも思うけど、そういうわけでもない。
 で、とうとう先日に、まだ食べきっていないキムチとナムルをさげられた日に「あ、この店もうダメだ」と思った。

 もう来るな?ってことではなくて、店員とはにこやかに挨拶程度はするので、嫌われてるわけではないのだろうけど。
 他の客への動きを見ていても同じなんです。
 なんつーか、店員的には、早いとこ片付けたいって空気だけがあって、当然そんな店なんかで客がくつろげるわけない。
 僕なんかは接客はあまり得意ではないし、6年やっても営業のなんたるかはわかっていないので、こんなこと言うのは大変申し訳ないが、「つぶれるね、この店」。

 話が逸れました。
 ラーメンを食べて、会社に戻ります。昼過ぎに会社に戻るなんてことは外回りではあり得ないことなんだけど、今日は営業の人間は誰もいないし、好き勝手やってやらぁ!って気もあって、今までできなかった社内での業務を一気に片付けてやろうという魂胆です。

 パソコンに向かって、あれやこれやとデータ入力をしていると、突然の地震。「揺れてる?」と思って、あたりを見回すが、誰も気がついていない。
 気がついていないのではなくて、気のせいかな?と思って、また作業にとりかかると、また同じような感覚に陥りました。
 「あ!これは眠いんだ。というか、今寝てたんだ。どうしよう?」

 上の階にマッサージチェアの置いてある部屋があります。内勤の方々が休憩に使えるように。外勤の人間が使うのは悪いことでしょうか?「否!」というわけで、そこで小一時間ほど寝ました。

 会社帰りにスーパーに寄って、いつものあのコがレジにいたので、そこに並ぶ。
 「お会いするの久しぶりですね」と、向こうから水をむけてきたのに、「そうですね」と普通に返しちゃった。
 「最近、昼の時間に回ったんです」
 「そうなんですか。僕はどうしても夜しか来られなくて」

 部屋に戻ってきて、晩ご飯を食べる前に座椅子で寝てました。これもまた「いつの間に?」ってカンジです。時計を見ると朝の4時。かるく外も明るい。
 布団に移って、次に目を覚ましたのは7時でした。

 ここで起きて、この休みという日に行動をすれば…と考えて、まずは歯を磨き、コーヒーを飲んで、一服。
 「この休みでやらなければいけないことは…?」と考えたまま、また寝ていました。
 で、起きたら16時ってわけ。

 :補足
 読み返してみても、たいして面白くもない内容だったので、アップせずにいました。(2008年6月16日)

山はいいよ~山は。

2008年05月19日 23時23分35秒 | 個人日誌
 いい風と雨です。もう少し早く帰れれば濡れずに済んだのに。
 ああ…僕が遁甲天書を使ったばかりに。みなさんすみません。

 ニュースでは毎日、先日起こった四川省の地震が取り上げられていますね。報道を耳にするたびに、犠牲になった人の数が増えていって、とても悲しい気持ちになります。
 救える命もいっぱいあったんだろうに。

 四川省で一番大きな都市といえば、最近のニュースでも知ったかたが多いかもですが、成都です。三国時代には蜀の首都でもありました。
 四川は土も肥え、水利良く、良民多く、争いなく、大変素晴らしいところであると三国時代ではもっぱらの評判でした。

 地理的には、中国の南西に位置し、その面積は日本の国土と同じくらいです。たぶん。
 北方と東方には人類未踏の険しい山や崖があり、天嶮。国ひとつが天然の要塞というか城壁に守られ、長らく外敵の侵入を許すことがありませんでした。
 まぁ、しかし、三国争う戦乱の時には、その蜀の地も時代の外にはいられない。

 よくさ、中国っぽい水墨画とか、中国っぽい景色とかで描かれるのって、滔々と流れる河に天まで届きそうなやたら細くて高い岩山と、その岩山のところどころに気まぐれで生えたような草木が描かれたりするね。

 海外には一度も行ったことのない僕ですが、行きたい国ナンバー2は中国です。しかも四川。見てみたいじゃん、あの山を。

 そういえば、あべくんと昔、「行ってみたい国」について、飲みながらテキトーに話していたところ…
 「いやー、僕、中国行ってみたいんですよ。あの仙人とかいそうな山見たくて」
 「へー(こいつ俺と同じこと考えてんなー。なんかシャクだな~)
 ……行けば」
 なんていう微笑ましい会話があったような気もします。

 再開します再開します、と言いながら全然そんな気配もない三国日誌(仮)補足ですが、書く気はあるのに、いざ書こうとすると「長くなりそうだし、もう眠いしな~」ってカンジで全く書いてません。
 書き溜めすればいいんだろうけど、書いたときが自分の気持ちの旬って思うし、例え書いて保存しておいても、あとから自分で補完するときに「なんでこんなこと書いたんだ?」ってくらい、毎日毎日の考え方が変わるので、僕は無理っす。

 このまえのshowさんのブログに、おいしい中華料理の店の話があって、読みながら飲めたね。ホントおいしそうで。
 中華料理っておいしいよね。とろとろのあんかけの蟹玉チャーハンとか、鶏肉の唐辛子とナッツ炒めとか、やわらか~い豚肉の水煮とか、プリプリ海老の入った一口大のシュウマイも。香り高いオイスターソースで味つけされた青梗菜とか。(チンゲンサイってこんな字を書くのか)
 残念ながら、ツバメの巣とかは食べたことない。フカヒレもあんましないな。どれがフカヒレ?ってくらい。
 チンチンに冷えた青島ビールでさっぱりいただきたいね。その合間に、喉が焼けるような名前も知らないカラ~イお酒をクイッといって。あま~いシンルーチュもロックでキュッと。

 中国はあまりに広いから、一概に中華料理といってもその土地によってさまざまらしいです。そりゃあそうか、日本ですら土地土地で採れる魚も野菜も違うもんね。
 明確な四季があって、周りを海に囲まれ、山も森も川もある日本だからこそ、いろいろな料理があるって、ついつい日本に住んでいると、「ここは特別なんだ」なんて考えてしまうんだけど、きっとお隣の中国にもいろいろな面白いものがあるに違いない。
 な~んてことを三国志を読みながら思います。
 三国志には料理についての記述なんかほとんどないけどね。読みながら、当時にひとびとはどんなことを考えて、考えるときにはどんなお酒を飲んで、お酒のつまみに何を食べてたんだろう?
 そんなことを想像します。

 一度行ってみたいけど、ちょっと怖い。言葉も知らないし、タクシー乗って、人気のないところで降ろされたら本気でやばそうじゃん。

 四川、蜀という土地は、とても自然に恵まれたところだったらしいのですが、それこそ名前の通り、河も多くて、多いってことはよく氾濫もして、自然は天然の要塞だ~とかいうまえに、ものすごく自然が脅威と捉えられていた土地柄だったんだろうな、と思います。
 自然を畏れることは敬うことに繋がるんだろうな~。ひとなんかが及びもつかない大きな力ってものを、その土地に住む人間は生活の中で感じていたんだろうな~。そこだけ取り上げれば、まるで北海道みたいだ。

 「蜀犬、陽に吠ゆ」という言葉があります。
 蜀の地は周りを高い山々に囲まれてて、そこに偏西風で流れ込んだ上空の空気が山肌にぶつかり雲ももくもくするから、太陽が顔を出す日が少なかったらしいです。
 なので、たま~に太陽が顔を出すと、犬は驚いて吠えるって話。

 気候がそんなんだから、天気もあまり良くなくて、空気は湿り、病気が流行することも多かったんだ。
 だから四川の料理ってのは、栄養満点の野菜をふんだんに使って、薬味もたっぷりの辛いものにして、当時の薬味ったら唐辛子どころじゃあなくて、漢方で使われるような薬草の香りだったのだろうけど。食べて健康重視の、そんな料理だった…という予想。
 そもそも薬味って、クスリって字も入ってるし。

 話は変わりますが。
 今日もテキトーに仕事して、そろそろ帰ろうかなって頃に。

 「富士山登ろうよ」
 遠くから呼びかけてきたのは、先輩のOさんでした。
 「登りますか!」たいして考えもせず生返事。いや、でもね、前にRomiyさんが富士山に登ったという話を聞いたり、よね3が登りたがっているって日記も読んで、僕の心の中でも「う~ん、今しかできないことのひとつに、富士制覇ってのもあるな」ってことを考えていたんです。ちょびっと。

 あっというまに日程も決まり、ヒマラヤの山にも登ったというチームの同僚にも山を登るときの心得を聞きながら、「じゃああなたが隊長で」「俺はやだよ」「またまた」「富士山なんか面白くないって」「じゃあ山頂で待ってます」「行かないって!」そんな流れで。

 なんかイキオイだけで決まった富士登山。仕事を終えて、夜の10時から登り、明け方ご来光を拝む予定です。7月。
 本当にやるのかわかりませんが、お盆あたりで後輩に会ったときには「キミたちも登りたまえ。山はいいよ~山は」と、知ったような顔で話したいもんです。

 さ~て、ザイルでも買うか。ザイルってなんだ?

悪魔の涙

2008年05月15日 22時47分33秒 | 個人日誌
 はい、ども。こんばんは。こんばんはったらこんばんは。
 今日も今日とで独り言たっぷりいくよ。「な~んだ、いつもの自分話か…じゃあ読まない」と思った、そこのあなた。正解。

 英語などの外国語が話せるひとは「すごいな~」と思う。だってさ、自分のもともとの言語以外で会話できるんだよ。これってどういう思考回路なんだろう?
 話そうと思ったことを、まず日本語で考えて、それを英語なんかに置き換えて、発言するのかな。それとも考えたこと自体がまず英語の文章なのかな?
 もうその部分から「すごいな~」なんです。

 僕なんかはせいぜい、飲みながら後輩あたりに「いや、ドッピオさんも英語バリバリじゃあないですか~?w」「Really?」そんなもんです(T-T)
 意味わかんないしね。

 関係ないけど、昔の日本語って口語と文語ってあるじゃあないですか。あれもよくわからない。
 最初習ったとき、「昔のひとって、こういう喋り方したんだな~」って思ってたもん。「~で候」とか「~と思ふ」とか「~でおま」とか。おまは違うか。
 「~ござる」ってホントに言ってたんだろうか。

 昔々の日本に行ってみたい。それこそ室町時代とか。僕の言葉どのくらい通じるのかな。

 こんなこと書くくらいなので、僕は英語は苦手です(ときに日本語も喋れません)。大学のときに履修したフランス語もキライでした。教授が。
 あまり覚えていないのだけど、大学のときって「英語A」「英語B」みたいに授業が二コマあったんだよな~。しかもふたつとも必修で。なにが違うのかもよくわからなかった。高校の頃のリーダーとグラマーみたいなものだったっけ?授業出てないので覚えてません。

 それでも必修なので、単位はとらなければなりません。
 うわー、思い出した。たしか英語って2単位にしかならないんだよな~。パンキョウで生物学とか、物理学は出なくても4単位なのに。

 一度目の4年生の頃だったか、二度目の4年生の頃だったか、その英語の単位をとらないことには卒業無理な状況に陥った。(あーはい、そうですよ、英語だけでもないのだけどさ)
 その年から、その英語AだかBだかって授業そのものがなくなったので、救済策として、前年に単位を取得できなかった人間は、学部や学年を越えて英語の授業を履修することとなりました。

 このとき三、四十人ほどの落ちこぼれが授業を受けていたのですが、席につくと、左には尚ちゃん、右には大谷。
 ボーダレスという単語だけは、少なくとも覚えました。

 みなさんご存知のように、ちゃんと英語の単位を取って卒業しましたよ。翌々年にね。

 急にまた、どうして英語の話を?
 めちゃんこ本を読む!ってほど読んでもいないのですが(思い返せば今年は全然読んでないな)、最近買って読んだ本が翻訳物でした。


 THE DEVIL'S TEARDROPS(悪魔の涙)
 ジェフリー(斜め下斜め下P+K)・ディーバー

 作者はあれです。だいぶ前に映画になった「ボーン・コレクター」の原作者。
 ラジオで、児玉清さんが読んだ本を紹介するコーナーがあって、取り上げられていた。自分で読みたい本は、放っておいても買うので、他人が「これはオススメ」という本はつい読みたくなる。
 その薦めかたも「面白い」とか「驚愕のラスト!」とか「読み進めていくうちに手が止まらない」っていう当たり前な褒め言葉よりも、「何度読んでも楽しめる」「人生を変えた」ってのが読みたい。本当に何度読んでも飽きないのか?人生変えるってどれだけのものさ?っていう興味もある。

 で、読んでみました。
 …まぁ、好みあるよね。

 面白いかそうじゃあないか?と問われれば面白くなくはない。ただねー、残念ながら、翻訳モノの弱さっていうか、翻訳の仕方に問題ありって感がありました。(英語できない人間がなに言ってんだか。すみませんね、翻訳したひと。)
 なんつーか、日本語的にそれはおかしいってわけじゃあないんだけど、「え?今のどっちのセリフ?つーか、そこのくだりもっと詳しくいっとこうよ」って箇所が多い。
 そんなん訳しかたがどうこうじゃあなくて、原作の問題じゃんって指摘されそうだけど。もともと、この小説は英語で書かれたわけだから、その言い回しもセリフも、文章のリズムも当然英語圏であるし、時事ネタ知らないとちんぷんかんぷんなんてものも多い。
 そーなんだけど、そこを日本語にするからにはさ、もっと、こう、ほら、欲しいわけよ。

 英語の曲で、英語の歌詞も、訳すひとによって変わるじゃん。そういうこと?

 四方山話も、話かたとタイミングで全然違うものになったりするよね。その話を敬語でするのか、タメぐちでするのかでも全く違う。ひとによってものの見方も変わるから、同じ体験をした同じ内容の話でも。
(そんなことはここで書くまでもなく、誰もが考えたことあるだろうけど。それをあえて書くのも、僕のまわりくどいとこってことは自覚してます)

 言語ってものはよ~。
 日本語は日本語という訳し方しかないと思って生きているわけではないけど、ついつい言葉の意味を言葉通りに捉えてしまうと、本当に伝えたいことは伝わらないままになってしまうのだろう。
 あ!今思ったけど、僕はひとの話を「ふーん」とか「へー」とか、途中であまり口挟むことなく聞くのは、そのひとの言葉を聞きたいからなのかも…。

 いや、ただ他のこと考えてることも多い。「このあとどうするかな?」「やばい、酔ってきた」「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」「その服すごく似合ってるけど、今このコの話をイキナリ中断して、そこを褒めるのもおかしいよな」「この店禁煙だっけ?」「推力4分の1で発進」「もっとこの声を聴いていたい」「明日の仕事でまず電話しないといけないお客さまは…」「許されるなら、その髪にさわりたい。許されるだって?何に?」

 今日のタイトルは、もちろんこの本からです。決して「悪魔にだって友情はあるんだ~ッ!!」と叫んだサンシャインのことじゃあないよ。

正しいことってなんなのか、考えてみたけどわかりませんでした。でもたぶんみんなこうなんじゃあないの。

2008年05月12日 22時09分12秒 | 個人日誌
 まぁ、言われるまでもなく、放文イチのかっこマンといえば僕です。

 常にかっこよくあるために、日々自己憐憫を欠かしません。「僕はここではないどこかにいるべきだ」「わたしは別にどうでもいいんです」…
 そうはいっても、どこまでいっても自分は自分だし、その価値観も考え方も誰に指示されるわけでなく、ゆっくりゆっくり自分で選んできたものなんだよね。ときに選択の余地なく大きな流れのなかで選択せざるを得なかったものがあったとしても。

 なにが正しいか?なにが正解か?善か、悪か?
 たぶん人類が生まれてからずっと考えられてきた問題なんだろうけど。(今日はこんな話をするつもりじゃあなかったのに。)
 自分で考えるしかないって、ひとはいう。

 僕は大学の頃に法学を学んだ、というか学びそこなったのだけど、ある日「でもこれって、結局誰かが決めたものじゃん。なんでそんなものに従わなきゃあならないの?」って思い始めた。
 だから留年しました…ってことはなく、ただ単に授業にでるのが面倒だっただけ。

 学校に通ってると校則があり、ルールに従うことが正しいことであると、僕と同年代のひとたちはたぶんそういう教育を受けてきた。(なにも校舎も窓を割りながら盗んだバイクで走り出したわけでもないけど)
 当然、ルールにも法律にも従うべきである。今の僕はそれはそれで肯定するのだけど、ただただ従うのって、ほら、なんかイヤじゃあない?特に若いときにはそうじゃん。

 法律ってものは、律法。より良く生活するために先人達が定めた文字による教え、みたいなもん。(テキトー)
 まぁ、実際の生活の中でその文章を常に読むことも身近に置くこともない。
 本来は、生活の中で触れ合うひとたちとの時間のなかにこそ、真実がある。

 形として表れた法は、ときとして「なぜその規則が必要なのか?」って意味を置き去りにしてしまう。
 従う、従わないという分岐は、この「そのルールが存在する必然性」を見いだせなかったり理解できないときに起こる。
 簡単にいうと、なぜゴミを分別して出すのか?ってことだね。その理由は…
 その理由はなんだろう?当たり前といわれることほど、その理由はひとによってけっこうさまざまだったりする。
 海や川を汚すから?海や川が汚れたら魚が摂れなくなって食料問題を引き起こすから?キレイな海を子供たちに残したいから?単に分別するのが当然な社会だと感じているから?ガラスも紙屑も混ざったゴミを選り分けるのが困難な作業であることを知っているから?部屋をキレイにするようにゴミ出しも秩序よく行いたいから?背が高いから?曲を作るから?歌を歌うから?

 僕がいつも「正しい」と感じるものは、納得できるものでなければならない。
 五人の人間が飲み会に集まって、僕以外の四人が「それは違う!」と言っても、それが納得できるものでなければ従わない。(そもそも従うって言葉が良くないかも)
 しかし、考える。「僕が今まで考えてきたことは間違っていたのかな?だってあんなにみんなが言うんだもの」。

 自分にとって付き合いの浅い人間に、あーだこーだ言われても「ふーん」です。ところが僕をよく知るひとが、本当に親身になって(親身になるってのは、一緒に過ごした時間もに比例するし、一緒にいて楽しいかどうかってところに起因する。逆の立場で、自分がそのひとの幸せも不幸せも共有できるかどうか)諭すような口調で話をしてくれるのには納得できる。ときにギャグ交じりのイキオイで言われても、それがそのひとの本当なら納得できる。

 このブログの中で「ときには無言もいいんじゃあない」的な発言をしますが、それって本当は不安があるからで、語ることで壊れてしまうことが、なくなってしまうことがあるってことを、心のどこかで怖れているからかもしれない。
 きっと、本当は、互いの考えていることを、その無言の中にも共有したいんだ。
 いや、きっと本当は、思ったことを、気持ちを伝えたくて、その術を知らないから無言なんだ。

 飲みに行くじゃん。まぁ、僕なんかは男だらけで「いや~あの日は飲んだね~。なに話したか覚えてないけど」という飲み方を北炉や村さ来なんかでしていた。部室で後輩相手にムチャしたり。
 そこでの行動や発言は、けっして自分の考え方だけから出てきたものではなくて、流れ70%、イキオイ10%、テキトー10%、天啓みたいな閃き5%、前のひとの発言聞き取れなくて相槌打ってみた3%、実は前々から考えていた自分の本心2%。

 えーと、なにを言いたいのかというと、自分が信じて行動してきたってことのほぼ98%は、その時々のものであって(誰もがそうなんじゃあないか?100%を自分の意志で決定してきたなんて人間はいるのか?)、その時その場での行動や発言、とらざるを得なかった行動や発言がベースとなって、その後が決定される。
 わかりやすくいえば、今まで意識していなかった女のコに朝とか急にとてもカワイイ笑顔で挨拶されて、しかも気さくに話しかけられたときなんか「え?俺のこと好きなの?」と勘違いしてしまうかのように。

 行動から、ルールが生まれる。逆はない。

 行動が過去をつくり、未来への選択肢をつくること。なんでない?

 独りでなんでもかんでもやると、そこには自分ルールしかなくて、それすらも意志ではない。(インプットの無い人間が陥りやすい傾向はここなんだけど)他人と交わるのが怖くなる。壁を作るってやつですね。
 かといって、誰もかれもに自分を見せて受け入れられると、知らず知らずのうちにコントロールされる。気がつかないけど。

 自分の意志で行われる行動は、ほとんどなくて、ルールにも従うって意識はなくて、それができる!って思ってるうちは本当の意味で「正しいことはなにか?」って考えることはできない。
(いや、僕もできていない。できるのかな、つーか、合ってるのかどうかもわからないのに。)

 もう少し僕としてもわかりやすく表現すると。
 何週間、何ヶ月も前に計画していた遊びも飲むことを、その日まで指折り数えてるのは幸せだけど、そこまで常にハッピーってことはない。どうでもいいことや面倒なことに心は削られて、いつのまにか「せっかく楽しみにしていたけど、なんかかる~くどうでもいいやー」って気分になったりする。疲れて疲れて「休みとってあったけど、休みは寝ていたい」なんてね。誰にも会いたくない。たんたんと一人で過ごしていたいんだ、なんて。
 シャワーを浴びて、二日酔いを覚ますと前日のモヤモヤはどこかに行って「早く会いたいな」とわくわく考える。
 それを周期的に繰り返しながら、いざ会ったときには「会えてよかった!この時間がず~っと続けばいいのに!」と思う。
 今までもモヤモヤも吹き飛んで、わくわくもその程度じゃあわくわくしてたなんていえないぜ~ってくらい、なんだか今ならワープ9も可能です艦長!ってカンジ。
 そのときを過ごせることが、行われることが真実だし、それ以外に本当の喜びはない。
 気の合うひとがいる。それって最高のことじゃあない。

 なにをもって正しいとすればいいのかな?って話だったけど。

 僕は世界を相手にしているわけでもないし、国を相手にしているわけでもないし、夜のニュースをみて「ああ、またこんな事件があったのか」と遠く傍観者でいるしかない弱いものだけど、それでも僕の周りには「飲もう」と誘ってくれる友人がいて、「やっぱドッピオさんがいないと始まらない」と言ってくれる仲間がいる。
 その中で繰り広げられる人生観や世界観こそが、きっと正しく素晴らしいことなんだと、一人のときの僕は思う。

 一人のときにああしてました、こうしてましたって話するよりも、今一緒にいてあなたのことを考えていますってほうが素敵だしね。

慰めの日々よ~

2008年05月10日 23時53分25秒 | 個人日誌
 今日は一日雨でした。しかも寒~い。
 会社に行くためには、バス亭まで徒歩5分。バスは10分。近いのですが、雨の~中を~傘も差さずに~走るのは~♪ めんどいじゃん、朝っぱらから。

 なので、基本は自転車です。自転車なら10分ちょいで着く。
 この時期の雨はまだまだ風が強い。傘を持って自転車を漕ぐのは大変。なんかずっと向かい風な気がする。被害者意識多感なのかもだけど。

 高校生の頃は雨でも40分かけて自転車で通っていたのに、体力落ちたんだな~。そりゃあそうさ。そういえば高校のときのあのコ元気かな?(もー、そんなんばっかり)

 今年の一月に買ったばかりの自転車ですが、早くも錆が浮いてきました。たまに拭き拭きしていたんだけど、茶色い斑点がポツポツと。やっぱこの地域特有の潮風のせいなのか。でも海近いとこなんかはどこでもそうだろうな。

 いつもいつも「早く休みにならないかな~」と考える。休みになったらあれもしたいこれもしたいと想像するのだけど、けっこうあれもこれも放置プレー。
 だって、考えることって現実的な話ばかりで面白くないんだもん。
 「したいこと」が、いつのまにか「やらなければいけないこと」になってる。

 例えば
 ・着ない服を処分したい
 ・スーツやコートをクリーニングに出したい
 ・部屋をこれでもかッ!ってくらい掃除したい
 ・自動車税を払わないと
 ・時計のベルトを直したいけど、合うベルトが売ってない
 ・車のHDDを整理したい
 ・エンジンオイルを交換したい

 ね?
 なんか「今じゃあなくてもいいじゃん」ってことばかり。やらなくても生きていけるしさ。でもやらないよりもやったほうが快適に生活できそうなことばかり。

 本当にしたいことは?なんだろう?やりたいことは?

 控えめに言っても、女のコと飲んで喋って、そのまま酔いつぶれてゴロンと眠りたい。そのまま朝まで目が覚めずに、起きたら「いつの間に眠ったんだろう?」って記憶を呼び戻しながら、ギュ~っとしていたい。
 もしくは、逆に、眠りに落ちていく顔を眺めながら、その横でいつのまにか眠りたい。

 みんな、よく仕事なんかしてるな~と思う。一日のうち半分以上仕事じゃあないか。一週間のほとんどが仕事じゃあないか。いや、働いて給料もらわないと生きていけないけど。
 それでも、外回りで一日に何回も客に怒鳴られて、文句言われて、「これは僕に向かって言ってるんじゃあない。会社への文句なんだ」って頭では理解できていても、心は折れるよ。
 会社に戻ってきて、電話で怒鳴られて、文句言われて、ため息も出るさ。
 でも、ここで「俺だってこんなことしたいわけじゃあない!」って叫んでしまったら、それはダメ。

 雨の中、同僚と。
 「この帰り道で、かる~く車にぶつけられて入院とかしたら、たぶん『ラッキー』って思っちゃうかも」と言うと、
 「僕も、たまに考えますね~」。

 弱いところを見せるのはイヤだけど、このブログではおっけー。(なんかそんなこと前も書いたな)
 だから、誰かと飲んでいるときは、ひたすら飲んで笑ってる。

 うむー、いえばいうほど弱いな。
 今書いた、「飲んでいるときは、ひたすら飲んで笑ってる」ってのだって、まるで、そうしなきゃあイケナイって心掛けてるみたいじゃあないか。無理して振舞っているわけじゃあないのに。
 意味なくシジマとかジューシーを責めたいね。不条理に飲ませるとか。

 僕は、大学卒業も遅かったから、社会の荒波に揉み揉みされた期間もまだ短いけど、みんなはすごいな~ってホント思うよ。
 どうやって耐えてきたんだろう?


 たま~に花を買うようになりました。よしよし。

NAI

2008年05月08日 23時15分41秒 | 個人日誌
 ちょぴりご無沙汰してました。なにしてたのかって、酔って遊んでました。

 5日の月曜日は会社の飲み会でした。しゃぶしゃぶの食べられるお店で。しゃぶしゃぶ…けっこう本当に食べるの飽きてて。あーそうか、食べなきゃあいいじゃん。飲めばいいじゃん。
 休み明けの仕事を作るために、夕方からひたすら電話をかけまくって、けっこうやられっぱなしのまま、飲み会の時間までギリギリ粘ったけど、どうでも良くなって会社を出る。
 来週のことなんか知ったことか。来週の心配は来週させましょ、ともう少しマシなセリフはないのかな~自分と思いながらも、自分を納得させる。

 飲み会では、「あ、このペースはまずいな」と思いながら飲んでましたが、ビールのおいしいこと、おいしいこと。
 「けっこうひとのこと責めるけど、自分責められたら弱いよね~w」という先輩に「オマエほどじゃあねーよ!w」と言い放ち、最後のシメで挨拶しているひとのセリフの途中で「そんなんじゃあしまらない!」と勝手にしめておきました。
 あ~、もう。酒はいけないな。いや、酒のせいじゃあなくて、自分のせいなんだけど。反省?しないよ。するわけないじゃん。

 そのおかげで、明日会社に行くのがとても憂鬱です。そのとき反省はしないけど、二、三日後に効果てきめんなんだよな~、僕って。いつも。

 6日火曜日は、二日酔いのからだをなんとか起こして一路、八王子に向かいます。八王子と王子服ってなんか関係あるのかな~…ないよな。
 八王子に行くのは初めてです。地図的には辻堂からひたすら北上するカンジ。
 通ったことのない道をスイスイと走り、それもこんな晴れた日に、三連休の初日、気の合う誰かに会えるなんて。こんな楽しいことはないよ。ずっと運転していてもいいな。
 どのあたりなのかわからないけど、座間市で景色のいい橋がありました。もう一回行け、と言われても二度とは行けないな。
 道がわからないよ、ってことじゃあなくて、あのときのあの気持ちでは行きつくことができない。

 八王子の駅で、Romiyさんとshow先生を待ちます。ホントいい天気。もうかる~く初夏だな。ランニングシャツ着て。これから長い梅雨が来るけど、僕予想では今年の梅雨は短いはずだ。

 二ヶ月ぶりにRomiyさんに会います。全然「お久しぶりです!」なんてカンジもなく挨拶しましたけど、仙台からここまで来るのも大変だよな~、と少しは思ってます。

 寝坊したshowさんを待ちながら、先週洗車したばかりの車の埃を落として。
 放っておくだけで車ってすぐに汚れる。たまーにひとと会うときってさ~、別に車も部屋も汚れててもいいじゃんって気もするんだけど、なんつーか。
 例えば、それまで元気でいても、たまたま会ったその日がなんか調子悪くて顔色冴えなかったり、飲めなかったりすると「なんかあったのかな?」って心配しない?
 「いや、今日はホントたまたま具合が悪くて…」て言えば言うほど、気を遣わせてしまいそうじゃん。

 三国志展は、うむ~。僕の中では50点くらいかな。もっとこうレアなものが見たかった。どうも、こう主要人物や、大きな出来事ばかり扱っていて。
 何年か前に出土した朱然の手書きの木簡とかは良かった。あとは蜀の貨幣とかね。

 日野市にも寄りました。土方歳三の墓をお参りして。本当は函館で亡くなったのだけど、生誕の地であるここには、身寄りの方々が御参りするための墓がある。

 辻堂に戻る行程でshowさんが「こういう陽の落ちる前の時間ってワクワクするよなー」って言ってました。もうすぐ飲めるっていう期待感と、なんともいえない高揚感が、陽の沈む前の、空が赤くなる時間には、たしかにそれがある。
 何年か振りで、駅近くのやきとり屋に行きました。かるめに店員にいちゃもんつけて。

 「よし!カラオケ行こう!」どういう会話の流れだったのかは忘れましたが、急遽カラオケに行くことになりました。
 そういえば、この飲んでいるときに「ちょっと待って。なんでこんな会話になったんだっけ?」って場面が何度かあった。
 「今の前の会話がこうだったでしょ?」「その前はこうだった」「で、Romiyさんがこう言って…」と、三人ともいちいち思い出さないと次に進めない。面白い。
 「あー、あと生二つ、いや、三つ!」

 カラオケの店は、昔じゅさんとも来たことがある。当時、店の名前は「うたろう」だったと記憶しているのだけど、名前が変わってました。
 4時間くらい歌いまくり。もう何曲歌ったのかすら覚えてません。歌っていて気持ち良かったものをメモしておくと、桑田の「NUMBER WONDA GIRL」と梅沢富美男の「夢芝居」でした。

 部屋に戻ったのは4時くらいだった。showさんとバーチャをやりながら(「全然とれない!」「今の中段いいね~」)、外も明るくなって。
 歯を磨いているあいだに、Romiyさんとshowさんはもう寝ていた。
 それほど記憶失くしてないけど、起きてから「そういえば帰り際に、なか卯でうどんを食べたな~」って思い出した。あんな時間にスーツ姿のサラリーマンなんかも店にいたな。

 シャワーを浴びて出てくるとRomiyさんが「大変なことわかっちゃったんだけど」となぜか半笑い。
 Romiyさんが今回こっちに遊びに来たメインは江戸東京博物館に行くことだったのだけど、なんと本日休館。ちょっと~、GW終わったからって気ィ抜きすぎなんじゃあないの~。
 他に行くところもなく途方に暮れます。showさんは起きないし。

 「どっか行きたいとことかないの?」
 「ないっす」
 Romiyさんがせっかくやって来てくれたのに、僕ときたら他に行けるような場所もお店も全く思い浮かびません。
 普段一人で、気の向くまま好き勝手やってると、なにもインプットがない。なにもない。こういう状況のときに「いいとこありますよ~」って言えない自分が少しキライになります。

 今、ここでしかできないことはなんだろう?今ここで考えないと、必ず後悔する。

 で、茅ヶ崎に刺身で食べることにします。いやー、店休みでしたね。しかもRomiyさん行ったことありましたか!いつ行きましたっけ?全然覚えてない。
 札幌にいたとき。夏には旅行していた。いつも東京だったけど。北海道はバイトでいろんなところに行けたし、東京以外にはそれほど行きたいところもなかった。
 東京が好きとかは全然なくて。会いたいひとがいれば、どこでも良かった。
 会わなくなって何年経った頃だったろうかな。そんなある年に、きっかけはなんだったのか、仙台でキクさんと遊太さん、Romiyさん、桐野に会おうと考えた。

 そこから何年もまた会わなくて、たぶん4年くらい。また急に会いたくなって神奈川から仙台まで。
 そのときのことはよく覚えているのに、Romiyさんと、この店に来た記憶がない。

 showさんとRomiyさんと、どこに行くか散々迷った挙句に、やたらボリュームにあるハンバーガーを食べた(「かるめですね~w」)ことや、海沿いでアイスを食べたことを、何年かしたときに憶えていられるのだろうか?

 今しかできないことを、今のうちにやっておきたいって望むこと。
 「自分がしたいようにすれば後悔はない」ってひとは言うけれど、本当にそうなのか?「やれるだけのことはやった」なんて、自己満足じゃあない?
 僕は僕の記憶に残らなくても、誰かの記憶に残っているのなら、そのほうがいいと思う。

これは繰り返しじゃあない

2008年05月02日 23時16分16秒 | 個人日誌
 昨夜、あさいさんから電話がきて。
 ちょうど、「晩ご飯でも食べようかな~」と一人部屋でウロウロしていたとき。この一ヶ月くらいは週に四日は鍋をしていて、その食材買い足し買い足しのループも、この晩で終わりかな~なんて考えていた。

 当たり前だけど、僕が予言をしたとか、予知能力があるってわけじゃあないくて。
 今日はなんとなくあさいさんのことを考えていたので、着信を見ながら「え?本当に?」とびっくりした。

 常に誰かのことを考えて、日常を過ごしているので、たまたまそのときに誰かから連絡があると「こっちからも連絡しようと思ってたところ」って思うようなこと、誰にでもあるよね。

 世間はゴールデンウィークだな~。羨ましい~休みた~い。休みたいどころか仕事したくないっす。もうどんだけ仕事キライなんだか。
 夕方、会社に戻ってきて書類を片付けたり、明日のためにお客さんに電話してアポどりなんかをしていると(このアポどりが一番イヤ!営業するためにかけまくる、しかも会ったこともない人間に。しかも向こうは何度も同じ話をきいているのに)、とてもじゃあないが気分が悪くなってきて。
 そんなときは、チームのみんなで適当なことを喋りながら、なるべく仕事のことを頭から追いやる時間を作る。

 作るというか、自然と、そういうどうでもいい会話が出来るような時間を求めてるんだろうな。みんなして。

 最近の僕は、なかなか契約がとれなくて。それをしんみりと語ってしまってもしょうがないし、しんみりするのは、たまにこのブログの中だけでも充分なくらいとも思うしで、わりと自虐的に「こんなんとれるわけあるか~」と笑いながら話す。

 まぁ、そんな強がりなんかは、周りのひとびともそろそろ気がついてきたようで「だいじょうぶですよ、ちゃんとやってるじゃあないですか」と半分慰めモード。
 うむー、弱きなときに慰められるのは、なんだかかわまれてる感もあってキライじゃあないし、調子のいいときも褒められるのは「もっともっと褒めて!」ってタイプだから、どんどんチヤホヤされたいところだけど…もしも、周りにこんな自分みたいなやつがいたら、ちょっとウザイな。

 仕事の本質ってやつは、考え方ひとつで変わるもんだ。
 それこそうまくいっているときなんかは「ひとのためになる仕事なんだ」という自負が出てくるけど、反対のときには「こんな仕事、誰が喜ぶんだ?」という疑問ばかりが頭にもたげてくる。
 一体、何のために?
 ただ、給料をもらって食べるために?そのためにひたすら客を潰すのか?
 いいや、営業って仕事は、お客さまによりよいものを提案して、それを気づかせてあげるためのものだ。こちらが提案をしなければ、それを知らずに損をしてしまうかもしれない。
 会って、説明をして、契約になるかどうかは状況によって変わってくるだろうけど、その確率を上げて、数字を上げるために。それがお客さんのため、会社のため、自分のためとなるように。そして、自分の周りの人間にもいい影響を与えるように。

 かるく笑いとギャグを交えながら「ああしてみればいいんじゃあない?」「思い切ってこういうプレゼンがどうだろう?」みんながアドバイスをしてくれる。
 僕の仕事は、今、こういう精神状態だからだろうか、あまり好きなしごとじゃあない!と考えているのだけど、このチームのひとたちはとても素晴らしいです。

 いつもいつも仕事は残業なんだけど、もちろん僕だけじゃあなくて。

 帰りのロッカーで。
 チームの稼ぎ頭で年上の人は、いつも上司が帰ってしまったあとも、チームの人間が残っていれば、ずーっと一緒に残っている、そんなひとで。
 「今がツライ時期かもしれないけど、ドッピオさんだけじゃあないですよ。僕もいつまでもつかなーって考えてます」
 そーだよなー。僕はこのチームに来てまだ一年。このひとは何年も同じ仕事をしてきて、無間地獄に陥ってるような感覚ったら、僕の比じゃあないだろう。

 ツライ時期なんかだれにでもある。「そこから堕ちて諦めるのは簡単だ」なんて人はいうけれど、堕ちるのはけっこう難しい。しがみつくのも難しい。昇っていくのもキツイ。どこをどうやっても楽なことなんかない。
 であれば、楽だわ~って、もう自分に言い聞かせて気持ちを上げていくしかないじゃあないか。

 「少なくともあと半年はなんとかしてみようかなって思います」と、そのひとが。「俺だってすぐには辞めてたまるもんですか!」と、威勢のいいことは言ってみたものの、これからどうすればいいんだろう…。
 ほぼ毎日「もう無理!」って思ってるのに。

 気持ちが盛り上がらないときにブログを書くと、こんな内容になりがちなので、そんなときには書かないし、書こうって気も起こらないのだけど、それでも意味があるんじゃあないかな?と思って、イヤイヤ書きます。たまに。

 過去を思い出してみるとき。
 過去にさー、「ああ…あのときこうすれば良かったのかな」とか「どうしてあのときそばにいてあげられなかったんだろう」と、延々と今さら意味もないのにグルグルと考えること、誰もがあります。
 そんな忘れたい、やりなおしたい時間の記憶って、強烈なものとして心に残っているから、おそらく一生引きずりながら生きていく。

 もう、現段階で取り返しのつかないものなんだけど、それを回避する方法が「書いて残す」ってことなんじゃあないかと。(今思った)
 だいたい、記憶に残るほどの後悔ってものは、その物事の結果だけが繰り返し繰り返し思い出されて、勝手に頭痛を引き起こしたり、胃に穴を開けたりするもんだけど(おかげさまで僕は頭痛もないし、胃に穴もありません。なんだかんだいってけっこう楽天家なんだろうと思う)、記憶の中では結果に至るまでの過程ってやつは、すっぽりと抜け落ちていることが多い。
 つまりは「ああ…あのときこうすれば良かったのかな」という後悔には「なぜ、こうすることができなかったのか?」という理由の部分の思考が欠落しているし、「あのときそばにいられなかったのはなぜだ?」とその場での前後の行動を思い浮かべることが、時間が経てば経つほどに薄れていく。

 その記憶を補うのは、強力な意志でも記憶力でもなくて、その瞬間に書き残した記録しかない。うん、まぁ、絵でも歌でもいいんだろう。

 いい思い出も、悪い思い出も、時間が経てば、その周辺の記憶ってものはじょじょにうすぼんやりと輪郭を留めることができなくなって、一番「考えやすい」形になって残ってしまうことが多い。いいことはより良い思い出に。悪いこともより悪い方向へと。同じように。
 それは誰にとっても、生きていくにあたって必要な能力であるから、悪いものではないんだけど。(と、どこかの学者か本が言ってた)

 運命ってものを信じてはいない。だから「どうあろうと自分の人生じゃあないか」「選ぶのは自分だ」とか「ひとは流されていくしかない」とか、そんな、それこそどっかの歌の歌詞にでてきそうな人生観は、僕にはまっぴらで。

 本当は、「ときに選び、ときに選ぶ余地もなく」ってもんだろう。

 その、なにかを思い出すときに「なぜ、その結果に至ったのか?」と考えることが重要で、結果だけをみて「勝った負けた」は、それこそ夜にテレビをつけて、野球の試合をダイジェストでみることもなく、ただ「4-2 巨人勝利」って事実だけを見ているのと同じだ。
 なにも、試合の一回の表の第一打席から、もしくはそのまえのブルペンでの先発投手の投球の様子から、今シーズンに向けての各球団の補強から、全部を記録しろってことじゃあない。記憶するのはハナから無理だし。
 それでも、自分の考えたことや、感じたことを、拙い文章であっても断片的に残しておけば、出来事を思い出すときに、その苦しい思いの答えはその中にでもあるような気がする。

 序盤の、あさいさんから電話があった話や、仕事の話とは随分とかけ離れましたが。
 何がいいたいのかというと、別にオチはない。

 以前にも書いたけど、僕は一時期ず~っと日記をつけていた。その日あったことを簡潔に。簡潔にっていうか、ただ、やれ誰と飲んだだの、何時から何時までバイトだっただの、天気はどうで、部室に誰がいただの。
 大半はそんな記述で、ときおり思ったことがあるときだけは、このブログのように無駄に長い文章になってたりもするけど、短い文章のなかでも「あ!このときはこうい考えかたをしていたな」ってことがわかる。そしてそこに書いていなくても、この飲み会では誰々がいる席に座って、あんなバカな話ばっかりしていたな~ってことを思い出す。

 その日記は今ではほとんど取り出すこともなくなって(だいたい何年分あるのか?ものすごい量だ)読み返すこともないのだけど、たぶん開いたときには、膝をついて立てなくもなりそうだけど、ないよりあったほうがいいってもののように思う。