艦長日誌 補足(仮) 

タイトルは仮。そのときに思ったことを飲みながら書いたブログです。

November rain その2

2011年11月12日 19時10分45秒 | 個人日誌
 辻堂駅の北口に新しくショッピングモールができました。今日11月11日のオープン。二日ほど前からプレプレオープンとか意味のわかんない英語で宣伝していたけど、これがまぁ、駅直結でたくさん店舗が入っていて、たいそう便利そうだ。

 オープンの日に早速行く…わけないじゃあないか、僕が。そんな能動的な行動はしないって、みんな知ってるでしょ。もうちょっと空いたら行こうっと。だってオープン前だけで4万人も人手があったっていうし。4万人なんて、ほぼ小樽の人口じゃあないか。

 でも映画館が入っているのがいい。
 会社帰りに、「ちょっくら映画でも観るか」と最終の上映に駆け込むとか、夢だったんだよね~。それも休みの前日に。
 残業を終えてコンビニで晩ご飯を買って、誰もいない部屋に帰って一人でもそもそ食べて飲むよりも、余程有意義な夜の過ごしかたじゃあないか。
 まぁ、最終の上映を見たところで、誰もいない部屋に帰ってもそもそ食べて飲むところは変わらないけど。

 10年前に初めてこの街で暮らすときに。
 「そうか、僕は今日からこの街で暮らすのか」なんて確固たる決意もなく、つらっと降り立った辻堂って場所は夜だったせいもあるけど、とても陰気臭く見えた。
 アパートまでの道のりは真っ暗な工場の中を抜けて行くような道だったし、途中アンダーパスみたいな通りがあって、壁一面にスプレーの落書きがあるようなところだったし。住んでいたアパートも目の前が墓地だったし。
 それが10年経ったら、工場は跡形もなくなって煌びやかなショッピングモールに変身しちゃってさ~。

 先週あたりから部屋の掃除を始めています。全然進んでいないけど。しかし、ほじくり出すと「どうして一人暮らしの部屋にこんなにモノがあるんだ?」ってほど次から次と古い衣類や空き箱の類が出てきます。
 そのほとんどが「うむ、これは必要ない。捨てよう」ってものなんだけど、いざ捨てるのもかさばるし、服なんかはあからさまに着ないものは捨ててしまえるけど、困るのは本です。

 本はハードカバーではほとんど買わない。高いしでかいしかさばるし。それでも何冊かはあるのだけど、部屋にある大半は文庫本。中には表紙と題名をみても「これどんな内容の本だったかな?」と思い出せないものもある。
 そもそも飲んでいて喋っていたころですら翌日には思い出せないほどなのに、飲みながら読んでいた本のあらすじなんて覚えているわけがない。

 が、捨てるにも偲びない。あまりに使い捨てすぎるじゃあないか。内容忘れているならもう一回読んでもいいだろうけど。というわけでブックオフに売りにいきました。
 売るのも使い捨てなんだけど。

 つーかねー、この「売る」って行為があまり好きじゃあない。捨てたほうがまだマシかもって思えるね。
 僕なんかは服を一着買うのも「これを着るとしたら、いま持っているどんな服に合わせるか?」ってことを考えて、Tシャツ一枚買うにも平気で3時間くらい店の周りをうろうろする。そのくらい優柔不断なんだけど、おかげさまで買った服を10年以上も着続けていたりする。さすがにTシャツは首周りがのびちゃったりするけど。
 (Tシャツは洗う前に首のところを端から丁寧に巻いて、輪ゴムで縛ってから洗濯機に放り込む。が、面倒なときやイヤなことがあったときはやらない)

 本は割りとさくさく買う。文庫本はなにより大きさがないのでかさばらない。夏は薄着だから持って歩けないから我慢するけど、冬はコートのポケットに読みかけの文庫本がないと電車に乗れない。電車の中はヒマだから。
 外の景色でも見ていればいいんだろうけど、僕が電車に乗る時間帯というのはほとんどが陽が暮れてからのことで、それも飲みに行くためなので景色なんかは見えない。

 で、本をブックオフに売る話なんだけど。もうやることもないだろう古いゲームなんかも一緒に持っていきました。
 ああ、このゲームはじゅさんと飲みながらやったな~なんてことを思い出して懐かしい。

 だから売るのは好きじゃあない。
 なんというか、その思い出は、思い出そうとすれば心の中にあるものかもしれないけれど、その本の表紙やゲームのパッケージ見て「これ買った頃って」と思い出したり「楽しかったんだなー」って気持ちまで忘れてしまうような。自分の中からなかったことにして50円や100円ぽっちに換算してしまうような、一種後ろめたさがあるよなー。