猫額庭の隅々に生えているのですが、
この写真は一番花です。
当地で「百合」には曰く因縁があります。
私共がこの地に住居を構えましたのが昭和53(1978)年でした。
当時の地名は川崎市多摩区生田で、
昔からの地名で、所謂、生田の里です。
その後、開発が進み麻生区が出来た時に地名を変える事となって、
地(農家)の人は昔からの言い伝えの地名、「長沢」にしようと
提案したのですが、開発で入った新参者は、「長沢」なんて全く平凡。
この土地に多く咲いている花「百合」にしようと対抗しました。
結局、人数の多い後者が採用され、「百合ケ丘」になったのです。
確かに当時、開発時代は方々に白い百合の花が沢山自生(野生)していました。
今でも、当家に咲いた百合も、
ご近所の庭に多い百合も全て昔からの野生なのです。
この辺りは全て百合丘の文字が付く事となりました。
百合丘小学校、百合丘団地などなど。
此処は川崎市麻生区東百合丘です。
ゆりがおかの「が」は、「ケ」と書いたり、省略したりします。
駅名には「ケ」がありますが、地名には省略されています。
統一されていません。
この写真は一番花です。
当地で「百合」には曰く因縁があります。
私共がこの地に住居を構えましたのが昭和53(1978)年でした。
当時の地名は川崎市多摩区生田で、
昔からの地名で、所謂、生田の里です。
その後、開発が進み麻生区が出来た時に地名を変える事となって、
地(農家)の人は昔からの言い伝えの地名、「長沢」にしようと
提案したのですが、開発で入った新参者は、「長沢」なんて全く平凡。
この土地に多く咲いている花「百合」にしようと対抗しました。
結局、人数の多い後者が採用され、「百合ケ丘」になったのです。
確かに当時、開発時代は方々に白い百合の花が沢山自生(野生)していました。
今でも、当家に咲いた百合も、
ご近所の庭に多い百合も全て昔からの野生なのです。
この辺りは全て百合丘の文字が付く事となりました。
百合丘小学校、百合丘団地などなど。
此処は川崎市麻生区東百合丘です。
ゆりがおかの「が」は、「ケ」と書いたり、省略したりします。
駅名には「ケ」がありますが、地名には省略されています。
統一されていません。